小説「あすりか」(42)

【焼き銀杏】

「……あんた……何で…泣いてるの?……」
 泣いてる? 私が?
 自分の頬に手を伸ばして……指先を濡らした涙を不思議な思いで見る。

 私……本当に泣いてるの?
 ずっと、涙を堪えるのが強さだと思ってきた。
 心の奥では、本当はそうじゃないって感じてたけど……それでも、強い自分を演じ続けた。
 いつの間にか意識することさえなくなって、そんな自分でいることが当たり前になった。
 涙を流すことは……そんな自分を否定するような気がして、怖かった。

 でも…この涙は、嫌な感じじゃない。
 一度泣いちゃったら、ポッキリ折れちゃうと思ってた心も、しっかりしていた。
 深い哀しみに染められてはいるけれど……。

 それは多分、昨日の梨華ちゃんと同じだからかな。
 吉澤の代わりに泣いてるんだよね、私。
 今やっと、吉澤を理解する糸口が見えたような気がする。

 独裁者は、得てして繊細な心の持ち主だっていう。
 繊細すぎる心を隠すために、必要以上に強圧的に人に接するのだと。
 まさに、私たちに対する吉澤のように。

 ある意味、それは心の悲鳴なんだと思う。
 あまりに多くのことを感じてしまう繊細な心を持て余し、必要以上に自分を追い込んでしまう。
 そんな葛藤を心の内に溜めて…溜めて……限界を超えたとき、他者への暴力となってあふれ出る。

 ふと、梨華ちゃんとの出会いを思い出す。
 感じすぎる身体を持て余し、私を襲った梨華ちゃん。
 梨華ちゃんと吉澤が、ダブって見えるように感じていたのは、きっとそういう共通点があったから。
 何もかもが、スッと上手く組み上がっていく感じで……吉澤への反感なんか、どっかへ消し飛んでた。

「だから!……何で泣いてるんだって聞いてるんだよ!!」
 吉澤に怒鳴られても、もう全然怖くなかった。
 スクッて立ち上がって一歩進み出て、吉澤の目の前に立つ。

「な…何だよ……」
 吉澤の声に、微かに怯えが含まれているのに気づくほど、今の私は落ち着いてた。
「泣いて…いいんだよ……」
「……何言って……」
 ゆっくり手を伸ばして、吉澤の頬に当てる。
 顔を背けようとするのを、両方の手で挟み込むように正面を向かせた。
「梨華ちゃんが言ってた……『ほんの少しだけど、悲しみも涙と一緒に流れてくれるから』って……」

 ハッキリと目に戸惑いが走って、何かを言いかけるように口元が開く。
 でも次の瞬間、私を抱くようにして、後ろのベッドに身を投げ出す。
「そんなの!……そんなこと……」
 身体をひねるようにしながら、もう意味の通らないことを口走って、必死に私を押し倒してきた。
「…こんな…こと…やめなよ!」
 言いながら両手で吉澤を押し返そうとしたら……。
 バシッ!
 右手が飛んできて、掌が私の頬を張った。

【チャーミー石川】

 今日最後の仕事を前に、ちょっと休憩。
 時計を見たら午後七時半。
 明日香ちゃん、お家に帰ったかな〜?
 そう思って携帯電話をかけてみたんだけど……。

 トゥルルル…トゥルルル…トゥルルル…トゥルルル……。
 なかなか出てくれない…って思ってたら、留守番電話になっちゃった。
 どうしたんだろう、明日香ちゃん……。

 でも、明日香ちゃんは電話するって約束してくれたもんね。
 だから、私はおとなしく待ってれば良い。

「明日香ちゃん、お仕事もう一つだけになったよ。頑張るね。電話、待ってます♪」
 留守電にそう残した。
 よ〜し!
 お仕事頑張らなきゃ!!

【焼き銀杏】

 叩かれた頬だけじゃなく、頭の中もジンジンして、ショックで身体に力が入らなかった。
 私に覆い被さってくる吉澤を押しのけることも、お腹の方から服の中に入ってくるその手を払いのけることも出来なかった。

「やめなって!…自分が余計に苦しくなるだけだよ」
 声だけはハッキリしてて、自分の声を聞いて、何とか心を平静に保つことが出来た。
 力の抜けた身体で、もう一度抗うように暴れる。

「ジッとしてろって!……じゃないと…また痛い目に…あわせるぞ……」
 吉澤はそう言いながら、左手で乱暴に乳房を握りしめてきた。
 痛っ!…痛いよぉ……。
 その痛みに仰け反ったら、動きにあわせて服もブラもたくし上げられて……。

 おまけに右手はスカートの中へ。
 あの時と同じように……。
 自然とそこがカッと熱くなったような気がする。
 身を固くして、来るであろう痛みに備えて……。

 でも、今度は指が突き入れられることは無くて、谷間に沿って、指がなぞるようにゆっくりと動いてた。
「…くぅ…ぁ……」
 予期せぬ快感にゾクッと身体が反応して……もう私はうろたえてしまった。
 嫌…嫌だよぉ…でも…でも……やぁん……。
 吉澤の指使いは、予想もしなかったほど繊細で……梨華ちゃんとは、また違った攻め方で私を追い詰めていく。

 混乱したまま、私はもう目の前も頭の中も霞に覆われて、なす術もなく頂点へ、頂点へと……。
 自分の身体に流れ込む快感が、こんなにもおぞましく感じられたのは初めてだった。
 梨華ちゃんに初めて襲われたときは、屈辱感でいっぱいだったけど、それでもこんなおぞましさを感じはしなかった。
 身体は明らかに快感を受け止めてしまって熱く火照って、それにも関わらず心はどんどん凍えて行った。

 嫌だよぉ…助けて…やめてよぉ……。
 望みもしない高みへと放り上げられて、のたうち苦しむ心……。
 ただただ快楽を貪るだけの身体を捨てて、今すぐ梨華ちゃんのところへ逃げて行きたかった。

 ♪〜〜 ♪〜〜。
 その時、イスの下に置いてたバッグの中から、着メロがくぐもって聞こえてきた。
 梨華ちゃんだ……。
 ハッとして、霧がかかったようだった頭がシャキッとした。

 喘ぐだけだった自分の身体に喝を入れて、やっとの思いで顔を吉澤に向ける。
 吉澤は……私の乳房に吸い付くように愛撫してたんだけど……ただ…私を一切見てなかった。
 目をつぶって、ひたすら優しい指使い、舌使いで…明らかに私じゃない誰かを愛していた。
 なるほど……私は行き場のない愛情をぶつけられる身代わり人形か……。
 閉じた目の向こうには、ごっちんが映ってるんだろうね。

 でもさぁ、吉澤。
 そんなの……寂しすぎるじゃん。
 思いを素直に本当の相手にぶつけられれば、きっとあんた達二人とも幸せになれるのに。
 寂しいよ……哀しいよ……。

 考えるよりも先に、私の手は吉澤の背中を、ポン…ポン…ってリズム正しく叩いてた。
 子どもをあやすように、ゆっくり…優しく…鼓動とシンクロして。
 ビクッと身体を震わせて、吉澤がゆっくりと目を開く。
 その視線は…意外に幼く見えて……。

「吉澤……私は…ごっちんじゃ…ないよ……」
 ヒュ〜と一気に息を吸って私を見つめる吉澤……その時の哀しげな瞳は……初めて私に見せた真情でいっぱいだった。
 ずっと、ポン…ポン…って背中を優しく叩き続ける。
「…こんなこと…切ないよ……切ないだけで……その思いの行き場所は…やっぱり……」
 さっきまであんなに強圧的だった吉澤が、一つ息をつくたびにしぼんでいった。

 何かを一生懸命に飲み下そうとするように、のどが上下してて……。
「…我慢しないで…さ……泣いちゃいなって……私で良かったら……今だけ…身代わりになってあげる……」
 吉澤は…何度も、何度も、のどを上下させて……。
「…く……ぐ……わぁ〜……」
 我慢できずに、のどの奥から嗚咽を吐き出した。
 突然涙をあふれさせて、私の胸に突っ伏す。
 私は……相変わらず背中を、ポン…ポン…って叩いてて……。
 そのまましばらく、泣く子をあやしてた。

【チャーミー石川】

 お仕事も終わったし、さて帰ろうかな〜。
「梨華ちゃん!」
 声がするのと同時に、柔らかいものが飛びかかってきて、後ろから抱きしめられた。
「うわっ!……あいぼんかぁ…ビックリしたよ、もう…どうしたの?」
「えへへぇ…梨華ちゃん、お腹すいたぁ」
 ほっぺを背中につけて、そんな風に甘えてくる。

「梨華ちゃん、どっか食べに行かへん?」
 え〜…どうしよ。
 あいぼんとは、不思議と気が合う感じで、明日香ちゃんと付き合うまでは、結構、あちこち食べに行ったりしてた。
 でも……今日は明日香ちゃん、無理って言ってたけど、もしかしたら、ちょっとでも会えるかもしれないし……。
 かかってこない携帯電話をチラッと見る。

「梨華ちゃん…最近、仕事がすんだらすぐ帰ってしまうやろ……」
 そっか…そう言えば、最近ずっと明日香ちゃんと一緒だったから寂しかったのかな?
 今日くらい…良いよね。
「…いいよ。一緒に晩ご飯食べに行こう」
「ホンマに?!」

 あいぼん、本当に嬉しそう。
 パッと私の右手をとって、ニコッと笑う。
 つないだ手を大きく振りながら、「晩ご飯♪ 晩ご飯♪」って歌ってる。
 今にもスキップしだしそうなあいぼんの様子を見て、私も笑いながらお店へと一緒に向かった。
 それにしても…明日香ちゃんからの電話、まだかな〜?

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