; 小説「あすりか」(65)

【焼き銀杏】

 平手打ちしたカメラ男をキッて睨む。
 痛いけど、悔しいけど、絶対に泣いてなんかやらないんだ。
 涙を見せれば、こいつらつけあがるに決まってる。
 自分が優位に立って少し落ち着いたのか、ニヤニヤだらしなく笑った顔を近づけてくる。

「福田明日香が、自分の方から挨拶に来てくれるとはな」
 煙草臭い息を吹きかけてくるから、嫌悪感も倍増。吐きそうだ。
「高いカメラの弁償も兼ねて、ちょっとくらいサービスしてくれるよな?」
「……馬ぁ鹿」

 パシッ!
 さっきと同じように平手が飛んできた。
 ジンジンする頬の感覚が、自分の惨めな状況を鮮明に伝えている。
 目の前には相変わらずの、やらしい笑顔。
 その視線が、顔から下の方へと移っていく。

 虫酸が走るってこんな感じなんだ。
 カメラ男の視線の動きに合わせて、私の身体の表面をおぞましさの固まりが這い回る。
 何とか逃れられないかと、一層ジタバタしても、羽交い締めにしている男の腕に更に力が込められて、益々身動きがとれなくなる。
 嫌だ…嫌だ…嫌だ…気持ち悪い。
 その鳥肌の立つような嫌悪感が最高潮に達したとき、カメラ男の手が胸に伸びてきた。
 繊細さの欠片も無いような、無造作で無遠慮で無品格なまさぐり。
「うぁ…柔らけぇなぁ……」
 鼻の下伸ばしただらしのない顔。

 最低…最低…最低……。
 自分の身体だけじゃなく、梨華ちゃんとの大切な思い出の場所を汚された。
 その悔しさで泣き叫びそうになる自分を、唇を噛みしめて堪える。

 ゲシッ!
「げふっ…」
 突然、背後で物音とうめき声がして、羽交い締めにしていた男が崩れ落ちる。
「な……」
 カメラ男も私の背後を呆然と眺めてる。
 何が起こったのか分からないけど、チャ〜ンス!

 ゲシッ!
 意識をそらしたカメラ男の股間を、思いっきり蹴り上げてやった。
「うっ……」
 手で股間を押さえて内股の恰好のまま、カメラ男は踞って、後はウンウン唸ってた。
「あんた、こんなところで何遊んでるの?」
 振り返ったら……吉澤が立ってた。
 足下には、カメラ男と同じように股間を押さえて気を失ってる男を横たえて……。

【チャーミー石川】

「はい、OKで〜す」
「お疲れさまでした〜」
 今日のお仕事、信じられないくらい順調に進んで、終了予定の五時半キッチリに終わっちゃった。
 こんなこと初めて。
 いつもは予定より一時間押しちゃうのなんて当たり前なのに。
 やっぱり日頃の行いが良いからよね……明日香ちゃんの。

 もうルンルン♪気分で帰り支度を整えて、心はもう明日香ちゃん家に。
「お疲れさまでした〜♪」
 返事も待たずに外に急いで出る。
 ほとんどスキップするみたいに飛ぶように駅へ急いだ。

 ポツッ、ポツポツ。
 あれ? あれれ?
 空を見上げたら、どんより暗い雲が広がってた。
 ポツポツ、ザ〜ッ。
 雨!
 もう! 何でこんな大切な日に降るの〜?

 駅までもうすぐだったから、急いで駆け込む。
 折角のお洋服も髪も濡れちゃったよ〜。
 グスン……。
 やっぱり日頃の行いが悪いからかな?……私の。
 そりゃ、いっつも明日香ちゃんに迷惑ばっかりかけちゃってる。
 付き合い始めからそうだもんね……。

 ……ハッ!
 いけない、いけない。
 ネガティブになってる場合じゃないよね。
 ポジティブにならなきゃ、ポジティブに……。

 そうだ!
 明日香ちゃん家に着いたら、すぐにお風呂借りよっと。
 それで、それで…また一緒に入ったりして〜。
 キャッ♪
 どんどんと楽しいことが浮かんできて、雨の中を進む電車の音も、カタンカタンッて軽やかに聞こえてくるから不思議。
 ルンルンッ♪

【焼き銀杏】

 吉澤が助けてくれたの?
「ありが……」
「お茶、届けに来てみれば、男二人とイチャついてるし…何やってんだか」
 いきなり人聞きの悪いことを言い放つヤツ。

「…あのねぇ……」
 ニヤッて笑ってるし。
 冗談のつもり?
 やっぱりこいつは、何考えてるか、さっぱり分からないや。

「ほらっ」
 突然、包みを投げて寄こす。
 危なく落としそうになったけど、何とかキャッチ。
「頼まれてたお茶。ちゃんと買ってきた上に、襲われてるのを助けてあげたんだから、この貸しは大きいよ?」
 その笑顔が怖いんだって!……一難去ってまた一難。

「それにしても、あんたってホントによく襲われるよね……抱き心地が良さそうに見えるのかな?」
 変なこと言うな!
 ……何だかジロジロ見てるし。
「ふむ…やっぱり一回くらい抱かせてもらおうかなぁ……」
 おいおい…それは…やめてよ。
「チェッ…けち!」
 だから、そういう問題じゃ無いでしょって。

「そ…そうだ、あのさぁ」
 何とか話をそらさないとね。
「…この人たち、どうしたらいいかなぁ?」
 地べたで唸ってるヤツらをどう処理すべきか。

 そしたら、吉澤が事も無げに言った。
「放っとけば良いんじゃない?」
 え…でも……。
「…警察に届けなきゃ……」
「事が大きくなるだけじゃない? カメラも壊れてるみたいだし、念のためにフィルムを抜いて、放っとけば良いよ」
 なるほどね。
 それにしても、何だか吉澤ってこういう事態に慣れた感じ……怖いから、これ以上考えるのはよそう。

 結局、カメラに装填されてたフィルムだけじゃなく、持ってたもの全部を取り上げただけ。
 …吉澤は、「念のために」もう一度股間を踏みつけてたけど…見なかったことにした。
「さてと…家、寄って行く?」
 紅茶とケーキくらいは出すよ?
「ううん。ここで良い。この後、ごっちんを待たせてるんだ」
 ニカッて良い笑顔だった。

 やれば出来るじゃん。
 是非このまま、私たちと関わりのないところで幸せになってほしいものだ。
「じゃ!」
「うん…ありがとね?」
 返事の代わりに不適に笑う姿が、ちょっと男前っぽかった。

 気を取り直して家に帰る。
 嫌なことは忘れるに限る!ってことで、早速、ムースの準備に取りかかって、今手に入ったばかりのお茶をはじめ、材料を一つ一つ確認しながら並べていく。
 よしっ! 全部揃ってる。
 いよいよ作業ってことで、念入りに手を洗って……。

「…あれ?」
 チラッて覗いた鏡に、何となく違和感を感じて、もう一度よく確かめる。
 ちょっと頬が赤くなってるけど大したことないし、別に何も変なところは……。
「あぁっ!」
 異変に気がついて、みるみる青くなる。
 星形ピアスの片方が……無い。無くなってる!

 さっきカメラ男に平手打ちされた時……。
 考えるよりも早く駆け出してた。
 公園に向かって。
 すごい勢いでドアを飛び出したら…雨だった。
 もう! こんな時に。

【チャーミー石川】

 いろいろ想像(妄想?)してたら、あっという間に降りる駅に着いちゃった。
 明日香ちゃん…可愛かった〜……。
 ……ハッ!
 いけない、いけない。
 自然と顔がニヤけちゃうよ。

 取り敢えず駅のコンビニでビニール傘を買って、足取りも軽く明日香ちゃん家に向かう。
 ♪ピチピチ チャプチャプ ランランラン〜
 傘をクルクル回したりしながら、初めてピンクの長靴でお出かけした時みたいに、はしゃいじゃってた。

 だんだん明日香ちゃん家が近づいてくると、何だかもう最高にハッピー!
 周りの風景なんて、全然目に入ってこない。
 とにかく、明日香ちゃん家に向かう道だけが、何故だかハッキリ、クッキリ見えてた。
 一歩一歩近づいて、一瞬一瞬「生きてる!」って実感した。
 だって、心臓のドキドキをしっかり感じることができたから。

 どうしようかな…ドアが開いたら、いきなり抱きついちゃったり…キャッ♪
 でも、明日香ちゃん、怒るかも…やっぱり…やめた方が良いかな。
 いろいろ迷ってるうちに、明日香ちゃん家の玄関にたどり着いちゃって。
 ピ〜ンポ〜ン♪
「は〜い」
 トトトッて足音が近づいてきて、ドアの向こう側で止まる。

 ワクワク、ドキドキ。
 ガチャッ。
 ドアが開いていくのも、スローモーションに見える。
「いらっしゃい」
「……こんにちは」
 そこに立ってたのは……明日香ちゃん…のお母さまだった。
 良かった〜。抱きつかなくて……。

 でも…明日香ちゃんは?
「ごめんなさいね。あの子、帰ってきたと思ったら、またいなくなっちゃって……どうしたのかしら。今日のこと、あんなに楽しみにしてたのに」
 え〜、明日香ちゃん、どこ行っちゃったの〜?
「それと…私も地区の寄り合いがあって出掛けないといけないの。明日香、きっとすぐ戻ると思うから、上がって待っててくれるかしら?」
「はい」
 どうしたんだろ〜、明日香ちゃん。
 何だか胸騒ぎがするよ〜。

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