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明日香は、なつみの部屋にいた。
新世紀に入り、娘。内のユニットが新曲発売などで忙しくなる頃、それに
反比例するようになつみの仕事は減る。
明日もなっちだけオフだから、たまには泊まりに来ないかい?
そんな誘いを受けて、先程まで共に鍋をつついていたのだが…
なつみは今、寝ている。
なつみの寝顔を見ながら飲んでいた缶ビールが底をついた。
二十歳未満でも、自己責任のとれる年齢であれば飲酒は普通というのが
最近の風潮。この二人も御多分に漏れず、茶の間のテーブル、土鍋の周り
にはアルコール類の缶やらビンやらが散乱していた。
名残惜しそうに飲み口から中を覗き、しばらく考えたあと缶を逆さにして
落ちてくる一滴を、口を開けて待つ。
生ぬるく苦い雫が、舌に当たった。
酒の肴に交わされた会話は、久しぶりに実家に帰った時のことや、渋谷
で可愛い靴を見つけたこと、スーパーの野菜が安かったことなど他愛のな
い話ばかり。
アルコールが回れば「福ちゃ〜ん、愛してるよ〜」の連発。
てっきり仕事の愚痴でも聞かされるかと思っていた明日香は、少々拍子抜
けした気分だった。しかし逆に言えば、仕事や娘。の話はまったくと言っ
ていいほど出ていない。
やっぱり、うまく行ってないのかな…。
部屋中に転がる空き缶を片づけながら、そんなことを考える 。
振り返ると、大の字になって安らかな寝息を立てているなつみがいる。
…やめた。人の心配なんてガラじゃないや。
そう自分に言い聞かせてみるも、心のどこかではなつみのことが気がかり
だった。
「まったく、風邪ひいたらどうするのさ」
あらかた部屋を片づけ終えた明日香が、なつみの上に毛布を掛けてやろう
とした、その時。なつみが寝返りをうった。
なんてことのない動作のはずだ。なのに、毛布の切れ端を持った明日香の
手が止まる。
今、明日香の目の前になつみの寝顔がある。
以前に比べて少しふっくらした頬。
激太りだとか散々叩かれ、心ない人間からはブタ扱いされていた。
けど。明日香は思う。以前のようなきつい感じを受けなくなった分、可愛
くなったじゃん。
「う…ん」
薄く開いた、色艶のいいなつみの唇から吐息が漏れる。
刹那、明日香の心臓が一度、大きな音をたてた。
…っていうか…マジで…可愛いかも……
せっかく寝てるし…キスとかしても、いいかな?
……って、何考えてるんだ私は。相手はなっちだぞ?
いやでも…たまには、いいよね…いいさ。大丈夫さっ。私が許す!
0.3秒の葛藤の後、明日香は改めてなつみの方へ身を乗り出し、顔を近
づけた。
そのタイミングは、まるでドラマや漫画のよう。
なつみの唇まで残り数センチと迫った瞬間、なつみの眼がパチッと開いた。
──いぃっ!?
引きつった表情を浮かべ、その場に固まる明日香。
きょとんとした顔で、そんな明日香を見つめるなつみ。
彼女が次に出た行動は、明日香を更に混乱させた。
両の頬になつみの白い指が添えられたかと思うと、唇に柔らかな感触。
キスをされた。唇を奪うつもりの相手から、奪われたのだ。
状況を明日香が認識するまで、しばらくの時間を要した。
「な、なっち…」
真っ赤な顔で、金魚のように口をパクパクさせながら、ようやくそれだけ
言う。
呼ばれたなつみは、切なげに目を潤ませて更に突拍子もない台詞を吐く。
「福ちゃん…抱いて」
はい? なんですって?
その台詞の意味を理解したとき、明日香はますます顔を赤くさせて後ずさ
った。
「な、なな、何言ってんスか安倍さん! そんなこと、で、出来るわけ…」
「お願い」
言葉が遮られる。
「なっちね、寂しいんだ…」
慌てる明日香とは裏腹に、その口調は真剣そのもので。
「ずっと独りぼっちでね、寂しいの…だから、なっちを慰めて…お願い」
潤んだ瞳から一粒、涙が零れた。
綺麗な涙。それを見たとき、何故だか明日香の胸がチクリと痛んだ。
「…分かった」
一度ゴクリと唾を飲み、覚悟を決めた。
仰向けになったなつみの上に覆い被さり、もう一度、口づけを交わす。
舌を絡めながら、ぎこちない手つきでシャツのボタンを外していく。
“なっちね、寂しいんだ…”
頭の中で、何度も反芻される言葉。
夢だった芸能界で、彼女は何を手に入れた?
お金? 名声? …それもある。
確かに、彼女はオーディション敗者復活から始まり、国民的アイドルの座に
までのし上がった者たちの一人だ。
けどその結果手にした、一番大きな副産物は……孤独。
なっちには仲間が居る。彼女達に心を開けばいい。
明日香は以前、なつみにそう言った。
なつみは答えた。
心を開きたい。うぅん、開いているつもり。でも、何かが違う。
どこかで皆はなっちを避けてる。
きっとみんな、なっちのことが嫌いなんだよ。
…今度ね、裕ちゃんが卒業するんだって。
今年の春に、モーニング娘。を卒業しちゃうんだ。
福ちゃんと同じだよ。福ちゃんと同じで、四月にいなくなっちゃうんだよ。
なっちの前からいなくなっちゃうんだよ。
なっちを受け入れてくれる、たった一人の人だったのに…
ねぇ、なっちはどうしたらいい? どうしたらいいかな?
教えてよ、ねぇ、福ちゃん……。
彼女の喘ぐ声を聞きながら、思った。
なっち…これでいいの?
こんなことで、寂しさを紛らわすことが出来る?
いや、よそう。余計なことは考えない方がいい。
一時だけかもしれない。
それでも、なっちの孤独が癒されるなら…今は、それでいい。
明日香は、なつみを責めることのみに集中した。
やがてなつみの体が大きく反り返る。絶頂に達した合図。
長く愛撫し続け、疲れた手を軽く振って、なつみの顔をのぞき込む。
と、なつみの両腕が明日香の首に回され、そのままギュッと抱き締められた。
「愛してるよ、福ちゃん…」
明日香は何も言わず、少し上体を起こして、なつみの額に唇を落とす。
そしてそのまま、なつみの上に身体を委ねる。
同情…しているのかな。私は。
はは、そんなハズはない。それこそガラでもないや。
じゃあ何故?
…理由なんて無いんだ、きっと。
慰めようとしたわけじゃなくて、ただ、なっちが可愛かったから。それだけ。
なんか……疲れたな……もう寝よう……。
────
──
─
「きゃあああぁぁぁぁ!!」
朝もはよからにわとりの…もとい、少女の大きな悲鳴が響きわたった。
『あと5分〜』など愚図る間もなく、明日香は飛び起きた。
はっとして絶叫の音源に目を向けると、上半身裸の娘が毛布で身体を隠し、
痴漢でも見るような眼で明日香を見ている。
いや、きっとその娘──なつみにしてみれば、目の前で寝ぼけている人物
は痴漢も同然だったのだろう。
「福ちゃん…なっちが寝てる間に何したべさ!!」
「へっ? えっ…何って…何が?」
「とぼけるんじゃない!! なっち裸にして、何してたって聞いてるべ!」
「ふぇ??」
寝起きの働かない頭で、今の状況を分析してみる。
なっち…まさか…昨日の記憶がない?!
明日香は、昨夜のなつみに大量の酒が入っていたことを思い出した。
背中を冷や汗が伝う。
「いや…だって…それはなっちが…」
「はぁ!? なっちが何だって!?」
なつみの迫力に気圧されて、明日香は口をつぐんだ。
怒りと軽蔑の篭もった視線が突き刺さる。
まずい…これは、とても。
両手を胸の高さにまで挙げて、ちょっと待ったのポーズ。
「あの…なつみさん? 僕ら、話し合えば分かり合えると思うんだ?」
もう何を言っているのか自分でも分からない。
「問答無用!」
明日香に向かって飛んでくる、中身のないアルミ缶たち。
あぁせっかく片づけたのに…などと嘆く場合でもない。
「…ッテテ! 安倍さ〜ん、落ち着こう!?…うわぁ!」
醒めた頭でもう一度、状況分析。安倍さん視点で。
朝起きてみた。
上半身裸だった。
下着を着けていなかった。
覆い被さるように寝ていたワタシ。
…こりゃあ、普通の女の子だったら怒るわな。はっはっは。
なつみの攻撃にあたふたする自分と、それを冷静に傍観するもう一人の自分。
二人の自分は、なつみの放った一升瓶アタックにより、意識の彼方に吹っ飛
んだ。
──神様。銀杏は何か、悪いことをしましたか?
教えて下さい。ねぇ…ねぇ……貴方……
薄れていく意識の中、何故か『赤い日記帳』が頭の中を流れた。
おわり。
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