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第三話「転機」
東日本の第二軍が防衛線を突破する事に成功した。
この情報は一夜にして知れ渡り、各地域を混乱のるつぼに叩きこんだ。
西軍は名古屋要塞の弱体化と、機動戦車旅団の壊滅によって、効果的な対策が取れず、
各地で孤立した部隊がゲリラ戦を辛うじて仕掛けているという有様であった。
この中でも、西日本が河島秀久大尉を失ったのは大きいと言えよう。
西日本軍総司令官、河島直継の長子でもあり、
また、戦車戦術のエキスパートであった事もあり、
彼の死は西日本に多大な動揺を与えた。
この悲報を知り、弔い合戦を希望した士官、下士官は実に、500名を数えた。
そして当月の志願兵入隊が、前月の3倍にも跳ね上がった事からも見て、
軍内外での彼の人望の厚さを知らしめることとなる。
これを見て、軍上層部は大いに沸き立ったのだが、
一部の見識ある指揮官は言いようの無い不安を感じていた。
実際に、現在の状況には事態を楽観できるほどの余裕は無かった。
すでに幾つかの西軍部隊は急速に展開した東軍部隊に包囲され、
殆ど戦うことなく降伏を余儀なくされている。
そして降伏した部隊の装備はそのまま東軍により調査され、
あるいはそのまま最前線へと投入された。
今や、近畿地方はさらなる修羅場と化していたのである。
そんな中、名古屋では来たるべき戦闘に備え、連日にわたる復旧作業が続けられている。
だが、司令官室ではそんな状況とは無縁と思われそうな、のどかな光景が展開されていた・・・。
「…いやぁ、実にいい天気だなあ」
30を半ば過ぎたようなその男は、湯飲み茶碗を両手で持ちながら、しみじみと呟いた。
その眼は宙を浮いており、いかにも幸せそうだ。
「お、茶柱。これは縁起がいい」
この光景を傍から見れば、『早くして隠居した男の平和な日常』…と見えなくも無い。
だが彼の胸に輝く大佐の階級章は、
彼がこの基地の最高司令官であることを物語っていた。
もし彼が軍服でなければ、ただの一般人と見間違われそうである。
いや、実際、彼には軍人特有の雰囲気と言うものが欠如していた。
彼の名は御門宗光。
大鳥中佐の後任として、中央から派遣されてきた陸軍大佐である。
こののどかな情景の中で、彼が何を考えているのかはさっぱり分からない。
分かるとすれば、彼自身と神や仏くらいであろう。
「安田くん、君もそうは思わないかい?」
御門はのんびりとそう言い、顔だけを背後の扉へ向ける。
ほどなくして扉が開き、筋肉質の男が入ってきた。
この司令部つきの副官である、先任士官の男。
その顔つきは幾つもの修羅場をくぐり抜けた、職業軍人の顔である。
しかし、さらに彼の背後から入ってくる物体があった。
それは………大八車に積んだ大量の書類。
「自分が居たのを、よくお気づきになられましたな、司令官“殿”」
御門は、彼の言の司令官“殿”に敬意の念が無い事は知りつつも、あえてそれを口に出そうとは思わなかった。
「いやいや…相変わらず硬いね、君は」
苦笑と共に言い、再び湯飲みに口をつける。
「自分は自分に正直に生きているだけです」
安田と呼ばれた男は、上官のからかうような口調にもまるで動じずに言い放った。
彼は、この軍人らしくない上官が好きではなかった。
幾つもの戦場から生還してきた自分から見れば、
いくら彼が三十路を過ぎていると言っても、ヒヨッコにしか見えない。
だが、そんな視線にも気付いているのかいないのか、
それとも意図的に無視しているのか、目の前の大佐は平然と話を続けている。
しばらくして、話題がその書類に移った。
「…で、その書類は?」
体を椅子ごと向き直ると、執務机に頬杖をついて訪ねる。
安田から見ればおよそ軍人とは思えないが、“一応”上官である以上、いちいち意見するわけにも行かない。
「司令官殿の仕事です。もう三日ほど溜まっていたので執務室から持って参りました」
「やれやれ、サボってたのがばれちゃったか」
そう言っている割にはやけに愉快そうである。
そのちゃらんぽらんな上官の様子に、安田もいい加減に頭に来た。
「司令官殿! いい加減にしてください! 前任の大鳥中佐に比べ、貴方は…!」
「安田くん、君の階級は?」
上官の冷静な言葉に我に返った安田が前を見ると、真顔に戻っている“指揮官殿”の姿があった。
いつもの昼行灯の顔と声ではない…。
そう思った瞬間、背筋に寒いものが走った。
――歴戦の勇士である自分が気圧されただと…?
慌ててその思考を消す。
――ばかな、そんなはずはない。気のせいだ。
とにかく、上官が聞いている以上、答えなくてはならない。
「…自分は大尉であります」
咳払いをひとつ、一呼吸置いた後に彼は答えた。
「僕は大佐。つまり階級は三つ違うわけだ。
したがって君が僕に“仕事をしろ”と命じる権限は無い」
安田は、その言葉を聞いて愕然とした。
彼には、目の前にいる人物が権力をかさに着るような人物だとは思っていなかったからだ。
「司令官殿!」
思わず、声を荒げてしまう。
「…さて、話はここまでだ。僕はその書類を片付けるから、基地の見回りにでも行ってきてくれ」
御門は一方的にそれだけ言うと、書類の山と格闘し始めた。
安田は、もはや何も言うまいと思い、彼に背を向けた。
そして、部屋から退室しようとした時、思い出したように彼が声をかけてきた。
「そうだ、忘れるところだった。陸軍の新宮寺曹長にこの手紙を渡してくれ」
安田は怪訝な顔をしつつもそれを受け取り、早々に部屋を退室していった。
――あの陸軍一の問題児に何を…?
途中、自分の部下にそれを渡した時も、その疑問は続いていた。
――同時刻、名古屋市街地にて――
「何ですか…?」
それは、いつものように買い物をして帰る途中に起こった。
歌を口ずさみながら歩いていたのだが、
擦れ違いざまにそれを聞きつけた尉官クラスの軍人達が絡んできたのだ。
「おい、そこの女! この非常時に歌を唄うとは何事だ!!」
彼女の歌っていたのは、最近の流行の曲で、
西日本と言わず東日本でも爆発的に広まっている曲だった。
「あ、すみません…でも、これはごく普通の歌なんですけど」
彼女は素直に謝った後に弁明したが、軍人達は気に入らなかったらしい。
眉を吊り上げると、彼女を取り囲んだ。
「口ごたえする気か!?」
「気に入らん!」
強い語句が吐き出されるその口々から、アルコールの匂いが同時に漂っていた。
「聖戦を遂行している最中だというのに、貴様のような
非国民がいるから、士気が低下するのだ!
前線で戦っている兵達に申し訳ないと思わんのか!!?」
軍人達のリーダーとおぼしき人物が彼女との間合いを詰める。
が…
「まだ日も暮れてないのに酒をあおって、婦女子に言い掛かりを付ける方が
前線にいる兵隊さん達に申し訳ない事をやっていると思います。
軍人として恥ずかしくないのですか、皆さん?」
彼女は屈することなく男達を睨み返した。
「何だと!! 貴様!!」
リーダー風の男が、その言葉に激昂して拳を振り上げ、彼女を殴りつけようとする。
(やられる!?)
彼女は思わず身構えた。
「クソ野郎がっ!! ムカつくぜ!!」
だが、彼女のすぐ後ろで起こった怒号と共に、リーダーは後頭部から路面に叩きつけられた。
いきなり曹長の襟章を付けた男が現れ、リーダーの顔面に
凄まじい速さの飛び蹴りをブチかましたのだ。
リーダーは、靴底に鉄板の入っているジャングルブーツの直撃を受け、
前歯を豪快に折られながら、曹長と共に反対側の路地に吹っ飛んでいった。
「だ、誰だ!?貴様!」
「下士官の分際でこんな事していいと思っているのか!?何処の部隊の者だ!?」
狼狽した尉官達が喚いたが、曹長は慌てず騒がず倒れているリーダーの腰に差してある
軍刀を引き抜くと、構えて答えた。
「新宮寺曹長だ…所属はまだ決まっていない。
俺は岐阜で全滅した独立戦車旅団第一中隊のままだ」
「!!」
尉官達は一斉に互いの顔を見合わせた。
(こいつ…生きて帰って来ていたのか!?)
そして、心底戦慄した。
独立戦車旅団第一中隊の新宮寺曹長といえば、西日本の軍人なら誰しも名前を知っている名物男である。
彼の存在は、軍上層部にとって目の上のたんこぶのような存在だった。
野生の香りを全身から発している曹長は、怒りをかみ殺したような低い声で声を発した。
「てめえら…俺達が戦場でさ迷っている時に、こんな事ばかりやっていたのか…。
河島大尉がロクな補給も無い戦いの結果、死んでいった時に
てめえらは酒をかっ喰らって婦女子にチョッカイを出してたって訳か! 許さん!!」
彼は目をくわっと見開くと、ジリジリと尉官数名との間合いを詰めていく。
「ま、待て! 貴様は…」
「問答無用じゃコラァ!!」
尉官達は必死に抗弁しようとしたが、曹長…勝意は一顧だにせず、抜刀したまま突っ込んでいった。
その時彼女はというと、勝意の暴れっぷりを見ることなく、見知らぬ伍長に
手を引っ張られ、現場から離れていた。
「災難だったね」
現場から大分離れ、危険が及ばない事を確認して足を止めると、息を弾ませながら
伍長が訊いてきた。
「助けて頂き、ありがとうございました」
彼女は素直に礼を言って頭を下げた。
「僕は夕樹…夕樹映伍長です。以後よろしく」
訊いてもいないのに、伍長は自己紹介すると、彼女に手を差し出してきた。
「はあ…」
そう返して彼と握手したものの、彼女は戸惑っていた。
何故ならば、馴れ馴れしくいつまでも自分の手を握り締めて放さない
目の前にいる伍長や、飛び蹴りで自分の危機を救ってくれた、さっきの曹長は
普段、彼女が目にしている軍人達と明らかに毛並みが違ったからだ。
「どうですか、ここで知り合ったのも何かの縁。そこいらで茶でも?」
案の定、毛並みの違った伍長がナンパしてきた。
漁夫の利?
「…構いませんけど…それより、いいんですか?曹長さんを置いてきて」
とりあえず彼の誘いを受けたものの、彼女は気になっている事を訊いた。
幾らなんでも複数を相手に、あの曹長がいつまでも立ちまわっていられるとは
思えない。助けを呼ばないと危ないのでは…。
だが、映は興味なさそうに手をひらひら振った。
「大丈夫、大丈夫。勝意なら放っておいても問題ないさ」
「勝意?」
「そう、新宮寺勝意…あいつの名前さ」
「新宮寺勝意か…」
映に手を引かれ、近くにあった喫茶店に
連れ込まれながらも、その名前は、彼女の頭に強烈にインプットされた。
ここで、少し新宮寺勝意と言う人物の説明をしておこう。
彼は、日本最強クラスといっても過言ではない戦車兵である。
特に特筆するべきところは、その徹底した反抗ぶりにある。
たとえ上官の命令であろうと、その命令が理不尽だったり、高圧的ならば絶対に言う事を聞かない。
命令違反など日常茶飯事、職務ボイコット、サボタールなど常習犯であり、
上官暴行、恐喝なども一回や二回では済まない。
こう言うとただの乱暴者にしか聞こえないが、これは彼なりの理論に従って行動しているだけなのだ。
彼はある事件でこう述べている。
『不正行為に手を貸すな、例えそれが上官の命令であっても、自分が信じた行動を貫け』
徹底した上下関係で成り立つ軍隊で、これだけ言うとは見事の一言に尽きる。
だが、彼には、それを言うだけの実績があった。
実戦での、彼にまつわる武勇伝は数限りなくある。
特に、歩兵部隊にいた頃の話は凄まじいものばかりだ。
白兵戦で敵の一個小隊を撲殺した…。
京都戦線で東軍兵相手に、軍刀で百人斬りをした…。
爆撃機を手榴弾で撃墜した…。
前線視察に訪れた将官を酔っ払って投げ飛ばした…。
など、どこまで嘘か本当かわからない話もあるが、
戦闘に、これだけ精通した人物が他にいないと言う事も事実だった。
この理論と実績に従って行動を取っているため、上の方からは酷く評判が悪い。
何しろ、軍という組織を根底から揺さぶっているのだ。
権力者に目の仇にされるのも無理はないと言えよう。
「陸軍一の問題児」という烙印すら押されてしまったほどの男である。
憲兵隊や軍上層部も彼の余りの素行の悪さに、
取り締まろうと躍起になった時期もあったが、皆失敗に終わっていた。
権力で押さえつけようとすれば、かえって反発して、平気で命令無視や
上官脅迫をするようになるし、陸軍刑法を盾に処罰しようとすると
取り締まる側の人間に決まって『不慮の事故』が起こり、いつの間にか事件は、
うやむやのにまま終わっているのだ。
一時は実力行使で逮捕する案が出たが、余りにもリスクが大きいので
その意見は即座に却下された。
なにしろ相手は<敵、一個小隊撲殺>や<百人斬り>の異名を
持っており、素手や軍刀で捕まえる事は物理的に不可能で、拳銃や機関銃を使えば
まず確実に戦車を持ち出してくるだろう。
有無を言わさず暗殺する手もあったが、彼は国民から決して少なくない支持を集めており、
彼の死は不満分子の全面暴動の引金になる可能性があった。
それに万が一、暗殺に失敗したら…怒り狂って確実に自分の小隊を率いて
反乱を起こすだろう。
普段は口が悪く馬鹿ばかりやっているが、同じ下士官や兵達の間では彼の人気は相当なものだ。
軍上層部に対する不満のせいもあるが、特に階級が下に行けば行く程、その傾向が強い。
反乱の際、彼の側につく兵力も相当数になると思われる。
そして、京都戦線で、
彼の所属していた小隊の数倍はある敵部隊を壊滅寸前まで追い込んだ彼の力が、
今度は西軍相手に発揮されるのである。
だだでさえ稼動兵力が少なく、名古屋要塞急襲で弱体化している
西軍にそれこそ致命的なダメージを与えかねない。
…結果、彼の滅茶苦茶な行動も黙認される事となった。
今では、憲兵隊や参謀連中も、彼の悪行(弱い立場の者から見れば善行)も
見て見ぬ振りをしている…。
もっとも、彼等が勝意を野放しにしている理由は、それだけではなかったが…。
弱きを助け、強きを挫く、だがちょっと行動が粗暴。
それが第三者から見た新宮寺勝意曹長の姿だった。
しかし、彼も入隊時からこんな無茶苦茶な男だったわけではない。
入隊当初は彼の持つ平和についての理想を語っており、それが原因で事あるごとに先輩や上官の陰湿なイジメにあっていた。
さしずめ理想と現実のギャップに悩む、年頃の少年兵といった所であろうか。
だが最初のうちはそのイジメに耐えていた勝意だが、忍耐にも限界があった。
そして、初めて実戦の洗礼を受けた時にそれは爆発した。
日本内戦初の機甲戦力同士の激突…京都会戦をきっかけに
おとなしく理想を唱える少年兵から、泣く子も黙る陸軍一の問題児に
豹変したのである。
普段から勝意をイジメていた先輩や上官が、実戦では何の役にも立たない
臆病者だという事が解って、戦闘終了後、ついにブチ切れた彼が上官や先輩達に
前代未聞の鉄拳制裁を加え病院送りにして、結果、重営倉入りになったと言う事件は、軍内部でも名高い。
以後、彼は問題児として扱われ、軍上層部から目の仇にされていた。
…と、このような経緯も持っているのである。
さて、尉官数名に対し、軍刀をひっさげて斬り込んだ彼は…。
「ふん、昼間っから酒なんぞ飲み腐りやがって。ちったあ思い知ったか」
彼はそう言って、奪った軍刀を手刀で叩き折ると、
顔面が月面のクレーターさながらになって転がっている尉官連中のそばに放り投げた。
その後、憲兵隊が駆けつけ詰問した所、彼はいけしゃあしゃあと
「一般人に危害を加えようとしていたので、軍法に照らし合わせた行動を取ったまでだ」
…と、答えたらしい。
また上官暴行か。
憲兵隊はそう思ったものの、相手が相手なのですごすごと引き返していった。
八月某日、軍の名簿から三人の尉官が姿を消した…。
…そして。
「新宮寺曹長!! 司令殿から通達です」
安田の部下が、ようやく彼を発見したらしく、小走りで近寄ってくる。
随分と長い間探し続けていたのであろう、軍服は汗でびっしょりだった。
不満を漏らすこともなく任務をこなしている彼を見て、勝意はふとこんな事を考えていた。
――さっきの連中とは雲泥の差だな…。
全く惜しいな、これだけの人材が使い走りをやらされてるってのは。
西日本には純粋な軍人が少ない。
そのため、全体として見た場合の軍人の質は、どうしても東軍に劣ってしまう。
勝意個人の意見としては、ただの一兵卒でも実力があれば、分隊長、小隊長へとどんどん抜擢して欲しかった。
だが、軍と言う組織がそれだけの度量を持つのは難しい。
どうしても、その人物の“経歴”が先に立ってしまうからである。
まあ、実力だけでのし上がれるようなら、勝意自身が士官様にでもなっているだろうが。
――ったく、ぺーぺーの素人将官ばっかだからウチは組織力が低いんだよ。
彼は勝意の思惑には気付くことなく手紙を渡すと「では」と一礼して去っていった。
勝意は軽く会釈を返すと、人目につかない裏通りに入り、その手紙の封を切った。
そして紙面に目を素早く走らせているうちに、自然と口元に笑みが浮かんだ。
「…宗光のオッサンも、随分と思い切った事をするじゃねえか…」
その紙面には、新宮寺勝意曹長に、名古屋に存在する
自走砲混成大隊の臨時指揮官を命じると書いてあった。
「全く、やっと俺に出番が回ってきたな…」
彼はその紙面をくしゃりと握りつぶし、マッチを擦って火をつけた。
手紙はみるみるうちに紅く燃え上がり、灰となって散っていった。
歴史と言う名の舞台に、彼の出番がついに回ってきたのだ。
<続く>
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