049 思い出せない 私は、昔を思い出せない。 何処で生まれ、何を食べ、何処で育ち、誰と暮らし、何処へ出かけ、何を好み、何をしたのか。 思い出せるのはほんの二、三年前のことだけ。しかし、生きることに困りはしなかった。 私が思い出せないのは声、情景、物。生活の<記憶>。 しかし常識、生活方法、世の大凡の仕組み。つまり<知識>はあった。 その知識の中には魔術を含む戦闘知識。そして異常なまでの、余りある薬学知識も鎮座していた。 だから生活は勿論、賞金稼ぎを適当に狩って行けば衣食住には困らなかった。 驚いたのは自分の体。頭にある知識を実行に移せるだけの身体能力と魔力、諸々の技術を備えていたこと。 だからその力と技術を駆使して、転移魔法で色んな場所へ行った。何度も海を越えた。 目的もあった。私の欲する魔法薬の材料は、その殆どが入手困難で、買えたとしてもとても高値だ。 だから自分で採りに行った。苦労を経て目的のものを手に入れたときの達成感は、なかなか良い。 道中、モンスターに襲われても軽くあしらえたので、危険は左程ない。 だけど自然災害だけは別だ。転移魔法はそれなりに集中しなければいけないから、咄嗟の発動は難しい。 だからその時のスリルが好きだった。自分で言うのもなんだが私はかなり出来る人間だ。その私が敵わない。 自分がただの人間でしかないことを実感できる、数少ない場面に遭遇できるのは貴重だった。 材料を取ったら家に帰って、ひたすら薬の精製に没頭する。 この場所は普通の町の一軒家、そこに結界を張ってあるから見つかる心配は殆どない。 下手に辺境に家を建てるより、このように幾つもある中に紛れさせた方が見つからない、と何故か私は知っていた。 精製中は楽しい。他の何を考えることなく、ただ一つの薬を作ることにのめり込むのはとても楽しかった。 はたから見ればマッドサイエンティスト、という者になるんだろうか。変わり者、というのもなんだか楽しそうだ。 私は薬をたくさん作ると、辺境で小さな薬屋を開いた。あまり人目に触れたくなかったから。 営業は思ったとおり、繁盛しない。人があまり通らない上、私という人間が接客に向かない所為もあった。 それでも五日に一人は買ってくれた。自分の作ったものを必要としてもらえるのは、嬉しいことだった。 その内に三日に一人、一日に一人とお客は徐々に増えていった。評判が良かったらしく、徐々に知れていったらしい。 自分が有名になるのが嬉しい反面、少しだけ照れくさかった。 しかしながら、私には一つ疑問があった。解こうと思っても、解くことの出来ない謎。 何故私は記憶を失ったのか、何故私には力があるのか、何故私はこうして薬を作り続けるのか。 突き詰めれば行動の全てが疑問だった。私にこの行動を実行させる意思は、何から派生しているのか。 そんなある日、私は初めて人に襲われた。いつの間にか私は賞金稼ぎに狙われるほどになっていたらしい。 私に下品な笑いを向けた男の商品稼ぎは、高速の詠唱で火炎魔術を唱えた。 威力は中の上、だがこの詠唱速度でこの威力はなかなかの腕だ。私は少し感心した。 しかし私には劣る。何故なら私は同じ詠唱速度で上の中は出せるからだ。それを実行する。 相手の魔術を突き破り、そして賞金稼ぎを吹き飛ばした。男は驚きと共に情けない後姿で逃げ去った。 私は何故か落胆を覚えた。本当に何故か、落胆した。私は暫く考え、一つの仮説を立てた。 私の作る薬は人間が使うものだ。その人間に私は失望したのではないか。 その仮説を裏付けるように、私の精製意欲は僅かばかり削がれていった。 あの日から数日して、また賞金首が現れた。それをまた追い返した。そしてまた精製意欲が削がれた。 襲われるたび、私の薬へ対する思いが削がれていく。なんだか気分が悪かった。 そんな日に、私は一人の少女に会った。本当にただの村に住む、か弱い少女だ。 その子は私に助けを求めた。どうやら母親が不治の病に犯されているらしい。医者も匙を投げたそうだ。 だから私の薬の噂を聞きつけ、藁にも縋る思いで私に懇願しに来たという。気付けば少女は泣いていた。 その時、私は異様なまでの精製意欲に駆られた。何故だろう。しかし私は仮説を立てるより。その少女の頭を撫でていた 私は急ぎ家に篭り、少女を待たせぬように早急に薬の精製を始めた。 私が挑んだのは神の水と名高いエリクシル。非常に高価な代物で、大抵の怪我や病はこれで解決できる。 しかし不治の病ともなれば話は別。常用しても助かる見込みは少ないだろう。 だがそれもまた、私の精製品となれば話は別。今までの状況から、これも通常を越える効力を発揮してくれるだろう。 いや、発揮させなければいけない。この子の母親を不治の病から救い出すには―― ――私は気付いた。仮説を立てる間もなく、一瞬で結論に行き着いた。 私を薬に駆り立てる要因は「救出欲」とも呼ぶべきものだった。 自分の薬で、多くの人を救いたい、そんな思いが私を薬へ執着させるのだと、私は気付いた。 しかし何故こんな思いが湧き出るのか。それはわからなかったが、私にはこれがあるという事実だけで十分だった。 気付いた時には私は笑っていて、精製したエリクシルは今までの中で最高の出来を誇れるものだった。 私は少女を家を教えてもらい、一緒にその家に向った。転移魔法を使ったので、距離も人数も関係ない。 何故一緒に行ったかと言えば、薬と作った者として初めて、本当に救えるかを見届けたくなった。 私は少女の母に事の次第を説明し、薬を飲むところをしっかりと見た。 暫くすると、母親はなんだか体全体が軽くなったようだと言った。私は魔術で診察を行なった。 驚いた。彼女の体は多少の衰弱はあっても、常人のそれを変わらなかった。 私の診察を聞いた少女は母親に抱きつき、母親はそれを優しく抱きしめた。 そして二人は受け止めきれないほどの礼を私に述べた。薬の代金では得られない満足感を、私はそこで得た。 この一件から私はいつの間にか名を広げ、いつしか<万薬師>と呼ばれる最高峰の薬師となっていた。 自分の力が賞賛を受けてる事を実感したような気がして、私のそがれた意欲は一気に蘇生した。 それから数年、賞金首の名を背負いながら薬師を続ける私がいた。 なかなか気に入っていた<万薬師>の名は消え、代わりに着いた異名は<死神紳士>。 由来は賞金稼ぎに対する態度が優雅で紳士的、だからだそうだ。意識したつもりはないのだが。 それに私は、一応は女性だ。つけられるのならば、せめて<死神淑女>の方がよかった。 しかしそれは薬屋の営業に差支えがないように姿を隠す自分の所為だと理解した。 そしてまた以前のように、私を襲うものに出会うたび、私は意欲を失っていた。 この頃から、私は生命そのものへの探求を始めた。 人が起こすありえない事象、俗に呼ぶ<奇跡>というものには科学では計り知れない何かがある。 私はそれを研究することで、最高の薬を作る事を夢見た。しかしそれは困難を極めた。 命の極限、奇跡を起こす瞬間に合間見える事は本当に少ない。自然災害より稀だ。 なにより私を前にして、逃げ出すものが多かったことが最大の要因かもしれない。 そんな中、私の前に一人の少年が現れた。同い年くらいだ。 彼はよかった。真っ直ぐな志、将来有望な資質。自分の為でなく他者のために力を振るう心。 そしてあろうことか、私に初めて傷をつけた。今でもその傷は残してある。 何故なら私はその少年を気に入ったからだ。だからあの水晶を渡した。 口移しもそれ故の最大のサービスだ。少々恥ずかしい気もあったが、彼の驚く顔はその報酬に相応しいものだった。 何故私はここまで少年を気に入ったのだろうか、わからない。でもそれはどうでもいいと思う。 人が何かを好むことに、理由は要らないと思うからだ。 しかしながら、私には思い出せないことがある。 あの少年の名前だった。どうやら所在は調べど名前は調べ忘れたらしい。 我ながら間抜けだなと思う。もし彼が私を呼び出すのであれば、その時に尋ねよう。 その裏で私は、呼ばれなくても勝手に出向いてみようか、と考えた。 また彼の驚く顔が見たくなったからだ。あの表情は、彼の表情の中で一番面白いから。