054 羨望


私と彼は所謂幼馴染というヤツだ。一応家も隣同士である。
とはいえ、朝っぱらに起こしに行くなんて洒落た真似なんかしていない。
ただ、幼馴染なだけ。悪く言えば、腐れ縁。それだけ。

当時の彼を表現するに当たって使用される言葉は「普通」だろう。
顔立ちはクラスの中で目立っているわけでもないし、かといって醜いほどではない。
程ほどに整っていた。
成績だって、それほど良いわけではない。だが赤点を取るほどでもない。
程ほどに頑張っていた。

だが彼は、この上なく優しい人物だった。
常に誰かを気遣っていた。誰かが望んだらそれに答えてあげたいと思う心をもっていた。
幼馴染としてずっと彼の傍に居た私はその事をほかの誰よりも――あるいは彼自身よりも――理解していた。

それでも彼は、強さは持ち合わせていなかった。
自ら率先して老人に席を譲るとか、そうした事は一切出来なかった。
臆病なのだ、とは彼の弁である。
そんな時、私は腐れ縁の幼馴染として、しょっちゅう渇を入れていた。
彼が信じる道を進めるように、決して道を踏み外さないように。それが私の役目であった。

傍にいて、彼を正しい道へと導くために――。
そのために、私は行動していた。何故、といわれれば、感じるまま、としか答えようがなかった。

今考えれば、彼は危うかったのかもしれない。
優しいのは、それは嫌われるのを恐れての事かもしれない。
臆病なのは、今の関係が壊れるのを怖がっていたのかもしれない。
一歩踏み外してしまえば、真っ逆さまに転落してしまう綱渡りのような危うさ。
そんな彼が、縄を踏み外さないように、恐れから立ち止まってしまわないように、私は補佐を続けてきた。

そんな彼にあこがれに似た感情を抱く事もあった。私にはないものを彼は殆ど持っていたからだ。
だが、それはいけない事だった。
言わば、彼は太陽であり、私は月なのだ。あくまで私は補佐に過ぎない。彼より前に出てはいけない。
翼を無くした鳥が飛べないように、太陽の光がなくなってしまったら、月は輝けないのだ。
月は自らが光ってはいけないのだ―――。



やがて月日は流れ、彼は立派な青年と成った。
大きな別れと長年の月日が、彼に恐れぬ強さを与えていた。
それでいて、優しさは変わらず、強くなった。
もう彼は、渇を入れるための私を必要としなくなっていた。
自らで迷い、そこから決断するだけの意思の力を兼ね備えていた。

それは寂しくもあったが、同時に嬉しくもあった。
私の目的は私がでしゃばるまでもなく達成されたのだから。彼は今後私が居なくとも彼の信じる道を進むだろう。
彼が彼自身の信じる道を進むこと―――それこそが、私の目的だったのだから。

それでも寂しさを感じたのは、たとえるなら、お気に入りの玩具が突然なくなってしまったようなものだろう。
二人とも高校生になった。もう再来年は受験だ。何時までも一緒に居ることは出来ない。
その事実と、もう私が居なくても大丈夫だという事実が、私に寂寥感を味あわせた。

やがて、あれは、そう、1年の夏休みに入る前の頃だろうか。その昼休みの事だった。
たまたま屋上に行くと、彼が女子に告白されていた。
もとより顔も中の上であるし、性格だって申し分ないのだから、慕っていた女子は居ただろう。
そう解っていたことなのに、何故か私は、言い得ぬ恐怖のようなものを感じた。

その場に居つづけることがたまらなくなった私は、脱兎の如く駆け出した。否、逃げ出した。

其の日の放課後、私と彼はいつも通りに一緒に下校した。
いつもなら、その帰りは他愛もない世間話などでにぎわうはずだ。
だが、昼にあの情景を見てしまっていた私にとって、その一緒の下校は針のむしろのようだった。
当然、会話も途切れがちになってしまった。

見かねた彼が切り出した。「そういえば、今日の昼休みさ」と。
その言葉を聞いただけで、いやな予感が胸中を満たした。

彼が続ける。「行って見たら、女の子が待っててさ。告白されたんだ」。
それ以上聞きたくなかった。頭がグラグラする。それでも声はクリアに聞こえた。

「ずっと好きでした、って。そんな事初めて言われたから、戸惑って――」「やめろ!」

自分でもよく解らないうちに叫んでいた。彼はきょとんとした顔でこちらを見るばかり。
ハッとして、自分の行いに気づいた瞬間、唐突に涙が溢れてきた。
其の涙を見られたくなくて、私は一目散に駆け出した。
後ろから彼の慌てたような声が聞こえた気がしたが、私は振り返らなかった。
















つまるところ、私は彼に惚れていたのだろう。そしてそれに自分自身気づけて居なかった。
だが、気づいてしまったのだ。あの、昼休みの告白で。
そして一旦自覚してしまった恋心はもう止められない。

私は一体どうしたらいいのだろう。彼には私は必要ない。だが、私は彼を必要としている。
告白なんて出来るわけもないし、出来たとしても許可してもらえるとは思えない。

私はただ、ベッドの上で泣きじゃくるしかなかった。