Knights
   第一章 贖罪を待つもの

 …焼けるような痛みと共に、気がついた。
「ああ、気がついたのね! …良かった」
 自分の顔を覗き込んでいる人がいる。ついさっきまで闇に沈んでいた意識が、その顔の持ち主を思い出すのには、ほんの少し時間が掛かった。
「…エスリンさま…?」
 声は、掠れていた。自分の声はこんなものだったのだろうか。
「…一体…?」
 その時、唐突に思い出した…自分の置かれていた状況を。
 慌てて体を起こす。身体が焼けるように痛んだが、構ってはいられない。エスリン様が小さく悲鳴を上げた。
「駄目よ! 今ライブをかけるから、じっとしてて…」
 身体が、暖かな光に包まれる。ライブの魔法光だ…痛みが和らいでいく。思わず、唇から安堵の溜息が出る。
 しかし、このまま休んでなどいられない。身体の痛みの代わりに、心の痛みが、体内を支配していた。
「エスリン様、ありがとうございました。…私は行かなければ…!」
 焦りと苛立ちに満ちた身体を、エスリン様は引き留める。
「何処へ行くつもりなの?」
「何処へって…! 勿論、エーディン様の元へ…」
 返事をしてから気がついた。何故、エスリン様がここにいる? 彼女はシアルフィの公女であらせられたが、今はトラキア半島にあるレンスター王家に嫁いだ身ではなかったか…?
「分かってるわ…焦らなくて良いの。エーディンは既にユングヴィには居ないみたいだけれど、お兄様がシアルフィから軍を出したから…。エーディンを取り戻しに、ヴェルダンに行く事になったの」
「…シグルド様が…」
 エスリン様の言葉は、ほんの少しだけショックだった。
 やはり、エーディン様を御守りする事は出来なかったのか…。覚悟は出来ていたが、苦しい。
「エスリン様…シグルド様は、もう行かれたのですか?」
 唐突な質問に、エスリン様はほんの少し目を丸くした。
「…いいえ、今は兵を集めている頃だと思うけど…」
 何も迷う事は無い。自分が何をすべきかは、良く分かっている…。
「…私も、シグルド様の軍に、参加させてください…! エーディン様が御戻りになるのを此処で待つなど、出来ません!」
 エスリン様は、微かに笑った。何故かは分からないが、確かに。
「貴方は絶対そう言うと思ったわ、ミデェール…。お兄様の所に案内するから、ついて来て」
 頷き、歩き出したエスリン様の後を追いながら、自分の心に問う。
 …一体、何の為に…?
 答えは決まっている。
 …他のなんの為でもない…これは、自分の為だと…。

「無事だったのか、ミデェール…。君だけでも助かって良かった」
 随分久し振りに見たシグルド公子は、戦場だからか、逞しく見えた。普段は優しげな光を湛えた目も、今は戦士のそれに見える。
「…君だけ、とは…」
「……」
 …黙り込んだシグルド様の様子で、すべて察した。元々予想できない事態ではなかった。城の最深部にあるエーディン様の私室まで、ヴェルダンの兵が侵入してきたのだ…その間に居た兵士は、必死で抵抗したのだろう…。
 だが、エーディン様は連れ去られた。
 ユングヴィの兵は、皆弓に長けている。しかし接近戦にも長けている兵は少ないから、だから斧を使うヴェルダンの兵と真っ向からやりあうのは難しいだろう。それに主立った兵は今イザークとの戦に出ている。ユングヴィに残っていた戦力は平常の半分ほどだったろう。
 …しかし、そんな事実は言い訳にもならない。
 今見つめなくてはいけない現実は…エーディン様は此処にはいない、ヴェルダンへ連れ去られてしまった…というものだけだ。
「…死んだ同胞のことは」
 絞り出すように、声を出す。
「死んだ同胞のことは…きっと、運が悪かったのでしょう。私と彼らを分けたものは…きっと、ただそれだけだったのでしょう…」
 自分の声こそ、まるで死人のようだ…自分のどこかで、冷静な自分が呟く。
「…今はそれよりも、エーディン様をお救いする事が最重要です…」
 何故か沈痛な顔付きをしたシグルド様が、動いた。そして、そっと肩に手を置かれる。
「そんなに、無理をする事も、自分を追い込む事もしないほうが良い…」
 気遣うように、微かに笑う。
「…今日は、ゆっくり休むと良い。私達は明日…ユングヴィの兵士達を弔ってから、進軍を開始する。…ついて来てくれるね?」
 その言葉を聞いて…初めて、涙が流れた。悔恨と無力さとさまざまな想い出が溢れ、止まらなかった。
「…シグルド様……あ、ありがとう、ござい、ます…っ!」
 …それだけ言うのが、精一杯だった。

 翌日、シグルド公子はヴェルダンへの進軍を開始した。
 その前に行なわれたユングヴィ兵の葬儀で、私はまた溢れてくる涙を押さえられなかった。共に戦ってきた盟友たちが天で安らげるように、そして必ずエーディン様を無事に救い出せるようにと、私はただひたすらに祈らずにいられなかった。

「…ミデェール? 久し振りだな。傷は大丈夫かい?」
「ああ、ノイッシュ。アレクとアーダンも…元気でしたか?」
 ノイッシュ、アレク、アーダンとは、以前からの顔見知りだった。シグルド公子付きの騎士である彼らとは、此処で再会した事も不思議ではない。知っている人間がいるという事は、何故か私の心をほっとさせた。
「すみません、ユングヴィのために、こんな風に軍を動かさせてしまって…」
 笑おうとしたけれど、上手く行かなかった。ひょっとしたら顔が歪んでいたかもしれない。
「…いや、ミデェールが責任を感じることじゃないよ。俺達こそ、もっと早く来る事が出来ていたら…」
 そういうノイッシュの顔も、悔しそうだった。
「…ま、元気出せよ。な?」
 アレクが私の頭をぽんぽんと叩く。まるで子供扱いだ。しかしそれは少しだけ、こころを軽くしてくれた。アーダンがそんな私たちを面白そうに見ている。
「…ありがとう、ノイッシュ、アレク。アーダンも…私は、大丈夫ですから」
 言葉に出してみたら、思っていたよりも落ちついている自分に気がついた…そうだ、今は沈んでいる場合ではない。一刻も早くエーディン様をお救いして、そして…
 …そして、自分は罪を償うのだろうか。
 何よりも、大切な…護るべき主君を護り切れなかった罪、同朋を犠牲にしても護れなかったという罪を。

 ばきぃっ!
 その拳には、あまり力が篭っていなかった。いや、ひょっとしたら全力だったのかもしれないけれど。
 拳の持ち主を見る。真紅の魔導服に身を包んだ彼は、その赤毛と同じくらい顔を紅くして私を睨んでいた。殴られ、熱を持った頬を押さえながら、彼の名を呼ぶ。
「アゼル公子…?」
 きりり、と音すらしそうな視線。紅玉の瞳は私を貫かんばかりだった。
「…どうして」
 地の底から響いてきそうな声。
「どうしてエーディンを護り切れなかったんだ、君はっ!」
 叫びは無形の刃になって、私の心を切り裂く。
「君が、エーディンの一番近くにいたのにっ!! それなのに君は…どの面下げてエーディンを取り戻しに行くなんて言えるんだよっ!!」
 噂で聞いた事がある…ヴェルトマーの第二公子は、ユングヴィの姫君に恋していると。
 その噂は本当だったのだろう…。その彼が、シグルド様の軍にいる事が何よりもの証明だ。
 なら、彼の怒りは正当なものに思えた。自分の想い人が連れ攫われてしまい、彼女を護っていた人間がのうのうと生きていたとすれば。それは怒りを覚えても仕方ない…。
「…すいません…」
 項垂れ、目を閉じる。アゼル公子が私に怒りを覚えるのは当然で。私はその怒りを受ける義務がある。
 もう一度殴られた。でもそれは、最初の一撃よりは弱いものだった。
「…でも、アゼル公子」
 正面からアゼル公子の目を見つめる。彼の目には、私はどう映っているのだろうか?
「…私は、エーディン様をお救いいたします。確かに、エーディン様を御護りしきれなかったのは私の罪。…ならば、私にその罪を償わせてください…っ!」
 これだけは譲れない。アゼル公子がどれだけ怒りを覚えたとしても、私はこの手でエーディン様をお助けしたい。それだけで罪が消えるとは思ってはいないけれど、それが、弱い自分の心へけじめをつけるのに必要なことだと思ったから。
 じっと見つめた瞳を、アゼル公子はふいっと外した。
「…君がそう言うのなら、僕はいいんだ。…その言葉、忘れるんじゃないよっ!?」
 そう言うアゼル公子は、何故か、どこか悔しそうな表情を見せた。そこにドズルのレックス公子が駆けて来る。アゼル公子の親友である彼も、この軍に同行している。
 立ち尽くすアゼル公子と頬を晴らした私の様子に、レックス公子は大体の事情を察した様だった。
「アゼル! …お前、やっちまったのか? しょうがないな…。…ミデェール、済まん。こいつは…」
「レックス! 余計な口出ししないでっ!」
「うわっ、落ちつけアゼル! …じゃ、またあとで改めて話しようぜ、ミデェール」
 連れだって行ってしまった二人を見おくりながら、私は心の中がまた熱を持って蠢き始めたのを感じた。
 自分の気持ちを素直に叫んでいたアゼル公子。エーディン様が心配だと、早く助けたいと。その態度が何よりも雄弁に語っていた。
 …自分は、なんの為にエーディン様を助けたい?
 罪を償う為に? …確かにそれもある。しかし、ただ素直に、心配だから、大切だから…好きだから助けたいと思うアゼル公子の態度を、羨ましいとも思った自分がいる。
「…エーディン様…っ!」
 その面影を思い出す。その時感じた胸の痛みは、今まで何度も訪れた、悔恨の鈍い痛みでは無く…苦しく、しかしどこか甘い疼きに、思えた。

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