Knights
   第一章 贖罪を待つもの

 エバンスの城を落としても、戦いは終わらなかった。
 捜し求める面影は失われたままで、シグルド軍の足は止まらなかった。
 心が、逸る。
「ガンドルフめ…」
 ふつふつと滾る怒りは、起爆剤だったのだろうか。
 …私は、自分を律する事が出来なかった。
 出撃命令を待たず、一人愛馬に跨り、駆け出した。向かうのはマーファ城。軍律違反だと、無謀だと謗られても、じっとしている事など出来やしなかった。
 直走りながら、自分の心の中を覗き見る。
 アゼル公子に殴られた時に感じた心の痛みは、一体何だったのだろうか。未だに、解らない。

 エーディン様。お使えする我が主君。美しい…姫君。

 自分の身体を満たすものは、悔恨と無力感…そして罪を償わなければいけないという気持ち。
 そう、それだけのはずなのに…この胸を焦がすような、甘い痛みは、一体なんだ?
 エーディン様のことを好きだというアゼル公子。その気持ちは真直ぐで…羨ましい。
 …自分は、本当はどうしたいんだ?
 エーディン様を御救いして…騎士として罪を償う以外に、自分が取るべき行動は無いはずなのではないか…理性はそう囁くのに、その考えにまた、胸の甘い痛みが疼く。
 苦しい。
 また、脳裏にアゼル公子の紅玉の瞳が浮かぶ。その純粋さに眩暈さえ起こしそうで。
 逸る気持ちのままに、愛馬に鞭を入れる。風が鳴って髪を掻き乱した。それはまるで自分の心の中のようだと、酷く冷静な心のどこかが感じた。

「…ミデェール!」
「…え、エーディン様…!!」
 自分が見ているのは幻ではないのだろうか?
 あまりにも求めて求めて、それゆえに脳が見せた幻なのではないか、と。
 しかしそれは幻では有り得なかった。
 馬から下りて駆け寄った私の腕の中に、エーディン様は飛び込んできた。その確かな存在感に、これは夢ではない事を実感させられ…そして自分の不遜な態度を一瞬で戒めた。
「エーディン様…良くぞ、御無事で…!」
 膝を付き、頭を垂れる。お守りできなかったという後悔から、エーディン様のお顔を直接見ることが出来ない。
「申し訳ありません…私が、未熟な為…お守りできずに」
 エーディン様は、そんな無様な私の肩に手を置いて、優しい声で言ってくれた。
「ミデェール…私のことは、いいのです。それよりも…」
 その声が震えるのを感じて、私は慌てて頭を上げた。エーディン様の美しい蒼の瞳に、微かに涙が浮かんでいる。その姿に、まるで心臓を鷲掴みにされたような衝撃を感じる。
「…貴方が無事で良かった。…貴方が死んでしまっていたらと思うと、私、私…」
 涙を浮かべたまま、エーディン様は微笑まれた。その笑顔は私が今まで見たどんなものよりも美しいと思った。
「私は無事です…シグルド様達が、助けてくれました。エーディン様をお救いする為に、エバンス城まで来ているのです」
 また、胸が苦しい。何故だろう…こうしてエーディン様をお救いする事が出来たのに。
 甘い疼きに息が詰まりそうで。
「ねえ、エーディン。こんな所じゃ、いつ追っ手がくるかわかんないよう。早く安全な所まで逃げようよ〜」
 そう言ったのは、デューと名乗る盗賊だそうだ。マーファ城で、エーディン様の隣の牢に入れられていて、一緒に逃げ出してきたらしい。
「そうですね…エーディン様、後ろへ御乗り下さい。早くシグルド様に、御無事である事をお教えしないと…!」
「ミデェールさん、おいらはどうすればいいのさ〜」
 デューが声を掛けてくる。咄嗟に返事が出来なかった…存在が目に入っていなかったから。
 その言葉に動いたのは、エーディン様だった。そっと私の腕の中に入ってくる。
「…これで、デューが後ろに乗れば良いわ。もう少し走れば、追手は振り切れると思うから…」
 そのエーディン様の行動に、私は慌てふためいてしまった。こんなに近くにエーディン様を感じることは今まで無かったのだから。
 何故か酷く、心臓が五月蝿い。
「エーディン様…一体どうやって、マーファ城から逃げ出してこられたのですか?」
 超過気味で苦しそうな馬を駆りながら、私は疑問を口にした。黙ったままでいることに耐えられそうになかったから。
「…ヴェルダンのジャムカ王子が、私達を牢から出してくれました。彼はバトゥ王に、この争いを止めるように進言しに行ったのです…」
 …その事実に、激しい憤りを感じた。
 何故だ? エーディン様がこのように無事に戻ってきたのは、そのジャムカ王子のおかげだ。感謝こそすれ、憤りを感じるだなんて恩知らずもいいところではないか。
 これは、敗北感なのだろうか。結局私は、エーディン様の為に何一つ出来なかった。騎士としての役目も果たせず、守ることも救う事も出来なかった。それゆえ、それを為したジャムカ王子に、不当な怒りを感じている…要するに八つ当たりだ。
 …しかし、それだけでも無いような気もした。さっきから収まらない痛みが、今は身を焦がすほどに強くなっている。
 理由は、まだ解らない。
 私はただ、馬に鞭を入れて、エバンス城への道を駆ける事しか出来なかった。

 無事にエバンス城に帰りつけたのは、奇蹟だったのかもしれない。
 帰還したエーディン様を、皆は喜びで迎えた。
 …しかし、進軍の足が止まる事はなかった。このままヴェルダンを野放しにしておく事はグランベルにとって害になる…そのような判断が下されたのも、故無きことだろう。

 私はシグルド様に呼び出され、今回の独断専攻について注意を受けた。
「君の気持ちも、解らなくは無い。…しかし、今回のことは、偶然の結果による成功だ。それは解っているね?」
「はい。…私はどんな処罰でも、受ける覚悟はあります」
 エーディン様が無事であるのだから、もうなにも未練は無い。
 真直ぐにシグルド様を見詰める。私の視線を受けてか、シグルド様は軽く微笑んだ。
「…別に、処罰を与えるつもりは無いよ。エーディンも、そして君も無事だった。それは最上の結果だったからね。でも、もしまたこういうことがあったとしても、同じ結果になるとは思えない。その事は重々心に留めておいて欲しい」
 知らず、私は小さな溜息をついていた。シグルド様は御優しい…しかしそれは、争いの場では弱さと謗られても仕方の無い種類の優しさ…甘さのように思えて。
「これから、マーファ、そしてヴェルダンを攻める。君の弓の腕は捨てがたい…これからも同行してくれないか?」
 その申し出は、願っても無いものだった。膝を付き、口を開く。
「喜んで、御一緒させていただきます。ユングヴィとエーディン様をお助け下さった御恩、この身を持って返させて頂きます…」

「ミデェール…まだ、争いは続くのですね」
 シグルド様の部屋を辞した私は、エーディン様に会った。哀しみに揺れる瞳を見るのは辛いが、こうして無事でいてくださるだけで、嬉しい。
「はい。私もシグルド様に御一緒します。シグルド様には今回のことで、数え切れないほどの御迷惑をかけてしまいました。少しでも御恩返しがしたいと…」
 エーディン様が、私をじっと見つめてくる。あの胸の痛みが不意に襲ってきた。…一体、何故なのだろう…。
「…私も、一緒に行きます」
 その言葉は、文句無しに私の心臓を止めかけた。今、一体何と?!
「え、エーディン様?!」
「私も、一緒に行きます…。この争いを、最後まで見届けたいの。私のせいで起こってしまったこの争いを…最後まで」
 その瞳に篭められた熱意を、覆す事は出来そうになかった。
「エーディン様…でも、危険です!」
「…私は、戦う事は出来ない…けれど、傷を癒す術はあります。皆がただ傷つくのを、黙って見過ごす事は出来ないわ…それに」
 エーディン様はふと言葉を切った。そして私を見つめる。決意を秘めた…しかし限りなく優しい瞳を感じる。
「危険が迫ったら、ミデェール、貴方が助けてくれるのでしょう? …独り帰りを待つことなんて、もう私には出来ません」
 その言葉は、私に少なからず衝撃を与えた。エーディン様は…私にこういう形で贖罪の機会を与えてくれるのか、と。
「解りました、エーディン様。今度こそ私は…この生命をかけてでも、貴方を御護りいたします。今度こそは、必ず…」

 次の瞬間見たエーディン様の顔は、花が綻ぶような笑顔…しかしそれに、何処か悲しげな影が過ったような気がしたのは、気のせいだったのだろうか…。

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