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「わかっていた事じゃないか・・・。」
オスカーは自室で、ベットにうつぶせて呟いた。
彼女は、兄の婚約者なのだ。
くちづけを交わす事など当たり前ではないか。
そして、彼女の白い柔らかそうな肢体とて、兄のものなのだ。「くっ・・・!」
オスカーは唇を噛む・・・。
彼女が、兄に抱かれる事を考えるだけで、気が狂いそうだった。
あの後、兄は彼女を抱いたかもしれない。
オスカーはこの激しく燃え盛る嫉妬の炎が、溢れ出すのが恐ろしかった。
兄をずたずたにしてしまいそうだった。
そして彼女を力ずくで奪ってしまいそうだった。
オスカーの中でその激しい感情が炎のように彼の理性を焼き尽くしてしまいそうで、オスカーは恐ろしさの為に慌てて酒をあおった。
「やはりそなたも紅竜に恋をしていたのだな・・・・。」
クラヴィスは泣き崩れたアンジェリークを見下ろして呟いた。
アンジェリークは恐れながら顔を上げ、クラヴィスを見た。
クラヴィスは怒る様子も無く、ただ悲しげな瞳で見つめていただけだった。「そなたにとっての正しき道に進め・・・。」
彼はそれだけ言って彼女の部屋を後にした。
残されたアンジェリークは、オスカーに見られた事と、そして自分の気持ちをクラヴィスに知られた事で、もう何も考えられなくなってしまった。
ただただ自分の運命に嘆き哀しむ事しか出来なかった。
そんな事があっても結婚式の日はやってくる。
アンジェリークは式の前日になっても、なんの答えも出す事が出来なかった。
あの日より、彼女はあの木にも登らなくなっていた。
オスカーの顔が見れない。
もし彼が平気な顔で声を掛けてきたら、自分は壊れてしまいそうで怖かったからだ。
自分の気持ちを彼に知られるのも怖かった。
きっと兄を裏切る自分を軽蔑するだろう。
彼に嫌われたら死んでしまいそうだった。
だからアンジェリークはなにもする事が出来ずに結婚式を迎えようとしていたのだった。
「オスカー。もういいかげんにしたらどうなのです。」
リュミエールは、オスカーが、握っていたグラスを取り上げた。
オスカーはあの日より酒の力を借りなければ正気を保っている事が出来なかった。
胸の奥に燃え盛っている嫉妬の炎は激しすぎて、オスカーの手にも余るほどだった。
この炎に身を任せてしまったら自分がどうなるのか恐ろしくて、その炎から目を背けたくてついつい酒が手放せないでいるのだ。
それほどまでにオスカーはアンジェリークに惹かれていた。
彼女を手に入れようとすれば兄を裏切り、そしてまた彼女までも傷つけてしまうのではないか。
そう、幸せな花嫁であるはずの彼女を自分の欲望の為に不幸にする訳にはいかなかった。
明日の結婚式がすんでしまえば、自分は彼女を諦める事が出来るのだろうか?
名実共に彼女が、兄のものになってしまえば自分は彼女を諦める事ができると思いたかった。
それが、彼女も、兄をも傷つけない最良の方法なのだ。
オスカーは酒をあおりながらも何度も何度も頭の中でそう呟いていた。
その日の夜、オスカーは酒のために火照った体と白濁した意識を取り戻したくて、里より少し離れた泉にやってきた。
泉についたオスカーは身につけていたものを脱ぎ去り、冷たい水の中へと入っていった。
酒で火照った体に泉の水の冷たさは心地よくオスカーの意識を覚醒させて行く。
空には青白く輝く満月が雲の間からその姿を現したり隠れたりしていた。
オスカーは月を仰いで明日兄のものになってしまうアンジェリークを思い、切なさでその逞しい体を自らの腕で抱きしめた。
アンジェリークをこの胸に抱き寄せる事が出来たなら・・・。
そんな思いが、頭をよぎる。
だが、それはかなわぬ事だ。
そう自分に言い聞かせて見るが、その思いはやはりその心から消える事は無かった。
アンジェリークはこの世の終わりを前日に迎えたような気分で、滅入っていた。
明日の朝になれば、自分は今目の前に用意された純白の衣装をまとって、クラヴィスの妻になる。
心はオスカーを思って泣いているのに、運命は皮肉過ぎてアンジェリークの思考を停止させたままだった。
花嫁衣装を眺めるうちに居たたまれなくなったアンジェリークは、薄い夜着のまま夜の里に一人飛び出した。
月が雲間からその姿を現した時、アンジェリークの目に見なれた炎のような髪を持つ人物が、ふらふらと里を出るのが目に入った。「オスカー様・・・。」
彼の姿を目にしただけで、アンジェリークの心はせつなさと愛しさであふれかえり、思わず後を追った。
泉に入ったオスカーを影に隠れて切なげに見つめていたアンジェリークだったが、オスカーの苦悩する様子に自分の気持ちを押さえる事が出来なくなってしまった。
思わず彼のいる泉へとその身を躍らせていた。
水の音に驚いて振り向くオスカーの驚いた表情が目に入る。
でももうアンジェリークの思いは止まる事は無かった。
彼の制止も聞かずに遂にその思いを口に出してしまった。「好きなの・・・あなたの事が好きなのオスカー。」
彼女のその言葉にオスカーは信じられない思いでいた。
今自分にすがりつくアンジェリークに恐る恐る触れて見た。
確かに彼女は今腕の中にいた。
それが、オスカーの中のなにかを壊して行く。「アンジェリーク。」
初めて呼ばれたその名にアンジェリークはそっと顔を上げ、その涙で濡れた瞳でオスカーを見つめた。
その美しい顔が雲間から顔を出した月明かりで白く輝く。
オスカーは吸い込まれるように彼女のそのやわらかな桜色の唇にくちづけた。