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誰もいない部屋で、オスカーはアンジェリークの骸を抱きしめつづけていた。
もう何時間こうしているのだろう。
とめどなく流れ続けた涙は、今はもう枯れはてたのかオスカーの頬にその跡をとどめているにすぎなかった。
何も考えられなくなったその頭の中で、アンジェリークのことだけが鮮明によみがえっていた。

「アンジェ……。」

オスカーは愛しい妻にくちづけた。
その冷たいくちづけはアンジェリークが確実に生きていないことを表していた。

「目を開けてくれ、アンジェ。君なしでは俺は生きていけない……アンジェ。」

冷たいアンジェリークの頬に頬を擦り寄せオスカーはつぶやく、そしてふと目の前にあった書籍だなに目がいった。
そしてそこにあった1冊の本に目がくぎづけになってしまったのだ。
その本は確か以前、友人宅を訪れたときにふと気になって借りたまま開けることも無く本棚に納まっていたものだった。
オスカーはアンジェリークの亡きがらをそっとベッドに寝かせ、ふらふらとその本に手を伸ばした。

「黒魔術ー悪魔との契約ー」

本のタイトルはそのようなものだった。
オスカーは、本を開いてパラパラと目的の項目を探し始めた。
しばらくして、オスカーの瞳に光りが宿る。

「あった……ネクロマンス……。」

オスカーは、アンジェリークを生き返らせるため黒魔術を使おうとしていた。
そして狂ったようにオスカーは、その項目のページを読みふけったのだった。

 

満月が美しいというより、禍禍しく感じられる夜。
月を見上げながら、女が一人街角でたたずんでいる。
彼女は、見るからにそれとわかる商売の女だった。
大きくはだけられた胸に、腰やお尻を強調したデザインのドレスを着こみ、今夜も客引きをしているのだ。
だが、今夜に限ってさっぱり商売にならなかった。

「ちぇっ!今日は湿気ているわねぇ〜。さっきから一人もかかりやしないんだから。」

一人愚痴る女が、ふと道の先を見ると一人の男の影がこちらに向かってやってくるのが見えた。
これはかもらなくては、と考えた女は色っぽい視線を男に向け続けた。
男はそのまま女に向かって歩いてくる。
やっと客か?と女は喜んだ。
そして男の顔がはっきりしてくると、その美しさに目を奪われてしまった。

「あんたいい男だね。ねぇあんたなら安くしとくよ。どうだい?」

女は浮かれた声で男に話しかけた。
男はそのアイスブルーの瞳に妖しげな光りをともして妖艶に笑った。

「じゃあ、おまえを買おう。俺とくるがいい。」

真っ赤な髪が月光に栄えてまるで血の色のように見える。
でも女は、その男の美しさに心を奪われて頬を染めながらついていった。

 

「アンジェ?アンジェ。」

(誰かが呼んでいる。でも誰だろう。)

うつろな瞳を開け辺りの風景が目に入ってきても何も感じることがない。
ただそこにいるだけの存在。
それが今の彼女だ。
ぼんやりとあたりを見回す。
まず目に入ったのは、なぜか悲しい目をして自分の名を呼んでいる男。
そしてその後ろには、黒い翼と頭に角を持った黒髪の長身の男。
そして、胸にナイフが突き立てられ息の絶えている派手な女。
しかしそれを見てもアンジェリークには何も感じられないし、わからなかった。

「アンジェ…アンジェ。」

目の前にいた男は涙を流し名前を呼んでいる。

「誰?」

アンジェリークは小さな声でぼそりと呟いた。
男はとたんに声を失う。

「俺が…俺がわからないのか?オスカーだ!君の、アンジェリークの夫だよ。」

オスカーはうつろな眼のままのアンジェリークを抱き寄せた。

「どうやら感情を失ったらしいな。しかし約束は約束。その女の命をこのままつなぎとめたければ、また満月の夜に生贄をよこすのだな。」

黒い翼の長身の男は、冷やかにそういった。
ものいわぬアンジェリークを抱きしめながらオスカーは低く答えた。

「わかった。クラヴィス。」
「悪魔の契約は絶対なのだから、違えることは許されんぞ。」

そう言い残してクラヴィスは闇に消えた。
オスカーは、まるで人形のようなアンジェリークをもう一度見つめた。
生きている。
もうそれだけで十分だ。
オスカーは愛しげに彼女に口づけた。

 

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