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クラヴィスは自分の書斎で怒りに震えながら王宮から届けられた書状を握りしめていた。
「ジュリアスめ!アンジェリークをよこせだと!一体どういうつもりなんだ。われらアメジス家に対する嫌がらせか?」
王宮からの書状はアンジェリークを後宮にあげろという要請だった。
もちろんクラヴィスはそんなところにアンジェリークを手拍子でやるつもりなどまったくなかった。
だいたいこのアメジス家は王家といがみ合ってきた間柄であったはずだ。
それをまったく無視してアンジェリークをほしいなどとよく言えたものだ。
そんな気持ちでクラヴィスはいらだちを隠すことが出来なかった。「大変ですクラヴィス様!」
慌てた様子でリュミエールがクラヴィスの書斎に駆けこんできた。
いつものリュミエールらしからぬ行動にクラヴィスは眉ひそめた。「いったいどうしたというのだリュミエール!」
いらだつクラヴィスの声にリュミエールは身を固くした。
「申し訳ございません。じつは妹御がオスカー・ド・フレイアスにつれ去らわれました。」
「なんだと!」クラヴィスはあまりのことに声を失っていたが、王宮のこの書状といい、オスカーの行動といい、これは王家の陰謀ではないかとさえ思えてきた。
一体オスカーはアンジェリークをさらってどうするのだ。
まさか王宮のジュリアスの命令なのだろうか。
とにかく事態は深刻だ、なんとか手を打たなければ。
クラヴィスは歯噛みするように虚空を見上げた。
町のはずれにあるフレイアス家の別館でアンジェリークはいま幸せを噛み締めていた。
愛しい人が自分の危機を救ってくれた。
それがどんなにうれしいか、アンジェリークは言葉に現すことが出来なかった。「オスカー様・・・」
そっとオスカーの胸にその身を預ける。
オスカーもそれに答え、アンジェリークを強く抱きしめた。
2人は熱くみつめあい、お互いがお互いをかけがいの無いものだと思っているのがよくわかった。
自然とその唇は互いの唇を求めて熱く深くくちづけた。
あつい吐息がアンジェリークから漏れ、オスカーの気持ちは否応無しの高まっていく。「君が欲しい。」
オスカーが耳元でささやくとアンジェリークの体はその吐息でとろけてしまいそうだった。
立っているのもやっとと言う風情のアンジェリークを抱きかかえてオスカーは寝室へと向かった。
オスカーの首にしっかりと腕を回し、アンジェリークは激しい動悸で目が回りそうだった。
そっとベットにおろしてオスカーがまた優しくそして熱くアンジェリークにくちずけた。
アンジェリークもオスカーのくちづけに一生懸命に答え、彼が自分を欲しがっていることに陶酔を覚えた。
そして二人はその愛を確かめるため一夜をともにしたのだった。
朝もやの中、オスカーとともにアメジス家の近くまでアンジェリークは戻ってきた。
兄のクラヴィスがきっとオスカーを捕まえようと見張りを屋敷の周りに張り巡らせているに違いない。
アンジェリークはオスカーをそんな危険にさらしたくは無かった。
オスカーの方はクラヴィスに認めてもらうためには、つかまってでもアンジェリークの事を許してもらうと聞かなかったが、アンジェリークがそれを頑として聞かなかった。「オスカー様は兄を知らないのよ。兄は怒ると怖い人なの。いつもは物静かで優しい兄だけど怒ったときは容赦が無いの。あなたはそれにフレイアスの人だもの。兄がそう簡単に許すはずが無いわ。」
「君を愛してる!俺はどんな困難だって乗り越えて見せるさ。俺を信じてくれアンジェ。ここで君と離れたら二度と会えないかもしれない。俺にはそんなことは絶えられない。お願いだ!君を屋敷まで送らせてくれ。」
「オスカー様・・・。愛しい人。」アンジェリークはオスカーの気持ちがうれしくて彼の胸で泣いた。
オスカーはアンジェリークをしっかりと抱きしめた。「妹を返してもらおうか。」
不意に背後から声がかかり、オスカー達はぱっと振り向いた。
「お兄様・・・。」
オスカーはアンジェリークを後ろでかばうようにしてクラヴィスの方に向き直った。
「クラヴィス・ド・アメジス公爵様ですね。はじめて御目にかかります。私はオスカー・ド・フレイアスです。どうか私と妹御アンジェリークとの仲を認めてください。お願いです。」
出来るだけ低姿勢で、真摯な態度でオスカーはクラヴィスに願い出た。
クラヴィスは冷たい目線でオスカーを見つめると、口元に冷笑を浮かべた。「オスカーと言ったな。アンジェリークが欲しいと言ったのか?だがおまえの障害は私だけではないぞ。それを超えられるか?」
「超えて見せます。」
「相手が陛下でもか?」
「・・?・・」
「そうだ、あのジュリアス王がアンジェリークを後宮に上げろといってきたのだ。おまえはどうする。」驚きのあまり返答できないオスカーの横をすり抜けクラヴィスはアンジェリークの腕を掴んだ。
アンジェリークの瞳が不安げにゆれていた。
クラヴィスはアンジェリークを複雑な思いで見つめ彼女を連れて屋敷へと向かっていった。
オスカーはなにも出来ずにその場に立ち尽くした。
アンジェリークはそんなオスカーを何度も振りかえって見つめていた。
王宮ではジュリアスがアメジス家からの返答を待っていた。
多分今ごろクラヴィスが怒り狂っているであろう姿を想像するとジュリアスは一人噛み殺すようにくっくっと笑った。「さあクラヴィスおまえはどう出るのだ?このまま王家との対決を望むのかそれとも和解か。どちらだ?」
ジュリアスはクラヴィスの決定を待つ間アンジェリークの顔を思い出していた。
やわらかな日差しのような金の髪、桜色に染まるつややかな唇、そして誰をも惹きつけて離さない澄んだエメラルドの瞳。
その瞳を思うだけでジュリアスの胸は狂おしく熱い思いに翻弄された。
彼女を絶対に手に入れる。
ジュリアスのラピス・ラズリーの瞳が青い炎のように欲望に燃えた。
クラヴィスの部屋でアンジェリークは兄と対峙していた。
苦悩をにじませたクラヴィスの表情をアンジェリークは不安な面持ちで見つめていたが、オスカーに対する自分の気持ちだけは絶対譲る気持ちは無かった。「アンジェリーク。私は恐れていたのだ。おまえが舞踏会に行きたいと言ったとき、きっとこうなるのではと思っていたのだ。だからおまえが誰にも渡ってしまわないようにと思って、リュミエールをおまえの婚約者にしたのだ。」
「お兄様!でも私はオスカー様が好きなんです。リュミエール様ではありません。」
「それはわかっている。おまえは昨夜帰らなかったのだからな。」クラヴィスの言葉に昨夜の情事を思い出してアンジェリークの頬が染まる。
その表情を苦々しい顔つきでクラヴィスが見つめ、言葉を続けた。「だがジュリアスには通じないぞ。」
アンジェリークの表情に影が落ちる。
「あいつは権力を盾にしているのだ。残念ながらいまあいつよりもこの国に権力を持つものはいないのだ。奴が望めばおまえは奴の元へ行かねばならない。」
「お兄様・・・。私が拒むとどうなるのです?」不安そうに尋ねるアンジェリークをクラヴィスは抱きしめた。
クラヴィスの体は震えていた。
それがアンジェリークに兄の愛の深さを知らしめた。「おまえを差し出すことなど出来るわけが無い。しかし逆らうことも難しい。オスカーとてジュリアスに逆らうことなど出来ないのだ。おまえの思いはもう届くことは無いのだ。」
「お兄様・・・。」アンジェリークの頬を涙がぬらした。
アンジェリークをジュリアスに渡さない算段を早急に考えなければならない。
クラヴィスは決意を新たにした。
そしてオスカーは自室でクラヴィスの言ったことを考えていた。
ジュリアスにも逆らえるのか。
クラヴィスはそう言っていた。
ジュリアスがなぜアンジェリークを?
だが彼女を見たのならそれも理解できた。
それくらい彼女には魅力にあふれている。
昨日の彼女は最高だった。
もうオスカーにアンジェリークを手放すことなど出来ようはずも無かった。
そしてオスカーの気持ちは決まった。