'00 May



May / 19 / 2000

 先週の14日、剣道の昇級・昇段試験、部内試合、そして12年生の追い出し稽古がありました。今回試験を受けるのは皆後輩たちで、数週間前から練習と形を努力してきたのを見てきました。放課後、暇な時は僕も木刀持ってわずかながら手伝いにも行きました。彼らの努力のおかげで、ほとんどの生徒が無事に昇級・昇段し、中には初段を取った子までいました。

 その後、すぐに部内戦が始まりました(トロフィーまで出てて、一応公式戦でした)。出場選手は皆部内の生徒なので、お互いの強さなどはそれぞれ知っていたはずです。僕の一回戦の相手は、11年生の下山ヒロ君。最初は僕の体がまったくあったまっていなかったこともあり苦戦しましたが、二本先取して勝ちました。今年の最初はまだまだ下手なところもあって試合ではガチガチに緊張してしまうようなヒロ君でしたが、すごく強かったです。ニ回戦では今年の剣道部の部長の麻生とあたり、彼が小手を二本決め(僕も引き面を一本決めましたが)、僕は敗北しました。麻生と公式戦で当たるのは初めてで、今まで彼と勝負してきた中では、なかなか良い内容だったと思っております。麻生はそのまま決勝戦まで勝ち進みましたが、優勝は副部長の飯田が取りました。3位は高山と加奈子でした。今回のトーナメント、女子の活躍がすごかったです。片山も奈央子に負けてたし・・。

 最後に、剣道部伝統の12年生追い出し稽古がありました。毎年12年生が卒業する前に行われる儀式なのですが、これは12年生が全員もとだちに立ち、後輩たちがノンストップで順番にかかってゆくというものです。最初に二分ほど稽古をして、その後に12年生が一本を取るまでひたすら勝負という内容です。実際には稽古の方も二分以上は絶対にやってたし、一本かどうかの基準も後輩次第なので、負けず嫌いの子は一本取ったと思ってもなかなか認めてくれないし。歴代の剣道部では一番人数の多かった12年生ですが、後輩の人数も相当多く、終わった後には喉はカラカラでした。順番にかかってくるわけなのですが、一人一人、その後輩との想い出みたいなものも少し思い出しながら稽古しました。僕も9年生の頃から追い出し稽古で先輩を追い出してきましたが、とうとう自分たちの学年が追い出される立場になってきました。同学年の子と「早いねぇ・・・」と顔を見合わせながら苦笑してしまいました。







May / 20 / 2000

 今日からちょうど3ヶ月前のことを、今書きたいと思います。2月、ホームページを少し休んでいたので、その間はここの日記を書いていなかったのです。そう、あれは2月20日のことでした・・・。

 剣道部では毎年、どこかで公式戦が行われる度に昇級・昇段試験を受ける機会があります。昇級・昇段すると、次の試験を受けるのに一年、間が必要です。つまり、うまくいけば毎年一つ一つ段位が上がっていけるわけです。僕は9年生の時に二級に、10年生の時に初級(一級)に、そして11年生の時には念願の初段(一段)に合格しました。段を取った時の嬉しさは未だ覚えています。先輩のSOMAYAさんと巴樹さんに色々と教えていただき、合格の発表が出た時、巴樹さんに抱きついたのを覚えています。

 今年の2月20日、近くの学校で試合がありました。多くの道場の生徒が集まる試合なのですが、毎回学校の部活として参加するのは僕達だけです。当然、大半がアメリカ人や韓国人の剣士なのですが、強い人は強いです。1月最後の稽古の後、二段を受けてみないかという話が持ち上がりました。初段と二段というのは、わずか一つの段位の違いながら、心構え一つにしろまったくレベルの異なるもので、当時の僕から見たら遠い遠い存在でした。せっかくの機会だから受けてみないかということで、12年生の僕、和田ポン、片山、田中の4人が二段試験を受けることにしました。この4人は9年生の頃、この学校に来てから剣道をはじめた仲間で、初心者から少しずつ成長してきて、当時は初段でした。最初は二段に合格するなんて自信はどこにもありませんでしたが、段審査までの二十日間は稽古と形の猛特訓でした。稽古では、自分の悪いクセを直し、二段にふさわしい剣道をひたすらたたきこまれ、放課後は形を練習しました。形とは日本剣道形のことで、二人が木刀を持って向かい合い、うちだち・しだちに別れ、決まった動作を振舞うものです。形とはいっても、剣道の基本が全て含まれており、実際に形を見ただけでその人の剣道のうまさが分かるとも言われています。

 今回、ニ段を受けてみようと決めてから本番まで、わずか二十日間しかなく、一日一日がアッと言う間に過ぎていきました。普段、剣道に対してはクールな(やる気がたまにしか無い)片山君でさえも、「あの時はずーっと剣道のコトばっかり考えていたね」と、最近ボソッとつぶやいていました。和田ポンは「やるぞ!がんばるぞ!絶対に二段になるぞ!」と燃え上がり、田中は「う〜、ダメだよぉ、オレ無理だよぉ」と、よく弱音を吐いていました。練習や放課後も形はひたすら練習しましたが、深夜、寮のラウンジでもひたすら練習しました。あの時、和田ポンの上段の構えが下手で、何度直そうとしてもなかなかうまくいかず、本当に冗談(シャレ)になっていませんでした。

 ところが試験を受ける十日前、災難が起こりました。その日の稽古は、果たしてその生徒が目的の級か段を受ける資格があるかどうかを判断する日でした。内容は、ただひたすら加藤先生(剣道部のヘッド・コーチ)に稽古でかかっていくというもので、先生の許可が無いと昇段試験自体受けられないことになります。当然、部活として、まだまだ早いと思った生徒を無理に出すわけにはいかないからです。和田ポン、片山、田中、僕の順で加藤先生の(地獄の)稽古に挑みました。最初の和田ポンも全身でエグり、見ている方も「あいつ大丈夫かよ・・・」と不安になるほど過酷な内容で、過去四年間で一番きつい数分間だったと断言します。和田ポンが稽古が終わり、竹刀をおさめる時に、加藤先生が「二段受けてもよし!」と、彼に許可を出しました。片山が加藤先生と稽古をしている間、田中が「オレだけ許可でなかったらどうしよう・・」と不安な声をあげていました。それは僕にもまったく同じ心境でした。とにかくあの時は「いつも通りやろう」とか「落ちついて」などと言った雰囲気はどこにもありませんでした。片山と田中の稽古が終わり、二人とも昇段試験を受ける許可をいただき、僕の順番になりました。稽古が始まってから数分、僕の体当たりが先生にはじき返され、床に倒れてしまい、その際に左足をひねってしまいました。その後はただ激しい痛みを味わいながら、左足をひきずりながら稽古を続け、なんとか他の三人同様、試験を受ける許可を頂きました。

 この時の足の怪我は、当初は「すぐに治るだろう」と思っていましたが、普通に歩くことさえも難しく、次の日、アスレチック・トレーナーに診てもらいました。彼によると、倒れた時に足をひねったところが腫れていて、もしかしたら左足の骨に小さなヒビが入っているかもしれない、当分運動は無理とのことでした。剣道の昇段試験があるんだと話しましたが、今無理してやっても良い結果をだせないし、かえってその後運動ができなくなってしまうよと止められました。テーピングと松葉杖をもらい、結局、彼とスクール・ナースのすすめで、試験の五日前の火曜日、学校の近くの病院で診てもらうことになりました。しかし医者には、レントゲンまでとってもらったのに「ヒビが入ってるかよく分からないけど、とうぶん運動しちゃダメよ」と言われましたが、翌日水曜日の放課後の練習にはちゃんと出ました。まだまだ左足の痛みは回復しないままでしたが、痛み止めの薬とテーピングでごまかしながら続け、形もできるところだけ練習しました。試験を辞退することも考えましたが、今諦めたらきっと後悔するだろうと、ただただこらえました。

 日曜日になり、いよいよ試験の日になりました。足の痛みも少しは和らいできましたが、まだ左足に重心をかけると痛みを感じるほどでした。二段試験の試験内容は「試合稽古三分」と「日本剣道形・七本目まで」です。試合稽古は他の二段を受ける人とやり、その後に形が行われました。自分の番を待つ間は緊張し続け、田中は不安がり、和田ポンは燃え上がり、片山は「う〜ん」って感じでした。形の相手は幸いなことに、今までずっと一緒に練習してきた和田ポンだったため、かなりやりやすかったです。今思うと、試合稽古中や形をやっている間は足の痛みなどまったく感じませんでした。怪我してるなんて思われたくなかったので、本番ではテーピングもはずしました。試験が終わった後は合格発表前だったのもかかわらず、相当な達成感を得ました。試験の後の昼ご飯を食べ終わった後に、誰からからもう結果発表の張り紙が出ていることを教えられ、ドキドキしながら見に行きました。張り紙には、僕の名前の隣に「2 DAN」と書かれており、合格を意味しました。結局、僕と田中と和田ポンは二段に合格、片山は充分に二段の実力を持ちながらも不合格となってしまいました。この日は試験のことしか頭にありませんでしたが、その後に行われた試合でも良い結果を出すことができました。おかげさまで。

 9年生の頃、麻生が僕に言ってくれた一言を、僕はずっと忘れていません。「今からずっとマジメに剣道やってれば、12年には二段になれるぞ」、と。毎日剣道を指導していただいた加藤先生、放課後の形にずっと付き合ってくれた麻生、飯田、則安、一緒に励ましあいながら試験を受けた片山、田中、和田ポン、応援してくれた同学年の子と下級生の子、練習中に使っていたテーピングを作ってくれたアスレチック・トレーナーのKENさん、どうもありがとうございました。と、いうわけで、2000年2月20日、僕は二段に合格しました。







May / 21 / 2000

 今日が今年の剣道部の最終練習日でした。試験一週間前からは部活動はできなくなってしまうので、今日の日曜日に自稽古、O.B戦、最後に一年間の活動の打ち上げが行われました。

 入学したての頃、何の部活に入ろうか。なんか、あまり深く考えずに、剣道部に入ることに決めたと思います。実は小学校4年生の頃、少しだけやったこともあったのですが。けっこう他の子たちは同学年の経験者の子(飯田だけど)に勧誘されて入部したケースが多かったみたいですが、僕(と和田ポン)は自分で決めました。9年の頃、入部希望者は放課後、どこかの教室に集まってミーティングという日がありました。僕は少し遅れてミーティングをしていた部屋に入り、席についたのを覚えています。クラスに入った時、「あ、うちの学年もけっこういるな」と気付きました。それ以来、剣道を通して同学年・先輩後輩を問わず、多くの仲間と出会い、たくさんのことを教わりました。途中で部活を辞めていった人も大勢いましたが、やはり最後まで続けたことを、自分で自分を少しは誉めています。9年の頃、まさか最後まで続けるなんて思っていたのだろうか。

 高校生活最後の年、今年の剣道部は例年とまったく違い、気合が入ってまとまった一年でした。その理由の一つとして挙げられるのが、キャプテンの麻生の人柄と部のまとめ方でしょう。彼の口癖(?)は「感謝の気持ちを忘れずに」と「剣道部はスポーツクラブじゃなくて武道クラブであることを忘れないでください」かな。今年の剣道部は橋本龍太郎元首相訪問から始まり、一周間の合宿、シカゴへの延性試合、年末の紅白戦、多くの対外試合などなど、ものすごい成長を遂げました。実際にやったコト以外にも、今年の剣道部は仲が非常に良くてまとまっており、気合(と爽やかさ)に溢れた部活でした。多分、過去に卒業した先輩方には、少し想像できないかもしれません。環境にも恵まれており、全米ヘッドコーチである加藤先生、大勢のO.Bの方々、優しく強い先輩と頼もしい後輩、実に様々な面で恵まれていたと思います。事実、今年卒業する代の剣道部は歴代最強だと思います。もちろん、今の部活の良いまとまりを来年にも活かし、さらなる歴代最強部活を目指してほしいと思います。

 この学校での最後の練習が終わりました。放課後の練習で汗を流したり、眠い朝に起きて朝練をすることも、もうないんだなと思うと、すごく悲しくなりました。それはきっと、この四年間、剣道を続けてがんばってきたから。練習後、防具の後片付けをしていて、「終わったんだなぁ」と頭では分かっていても、どうしても、また次の水曜日の放課後、練習があるような気がして・・・。その時、同じ学年の奈央子と「長かったねぇ〜」なんて話してたけど、実はかなり泣いてた。必死でこらえてたんだけど、どうしてもね。少なくとも後輩達の前では、涙は見せませんでしたが(意地っ張りな性分なので)。最後に道場を出る時、過去四年間の全てに大きな声で「ありがとうございましたっ!!」と叫びました。

 加藤先生、放課後の練習や朝練をいつも欠かさず週5日も指導しにきていただき、ありがとうございました。倉岡先生、岡田先生、平石先生、増子先生、大河先生、竹内先生、仮屋園先生、岩松先生、片桐先生、毎週日曜日、忙しい中朝練に来ていただき、厳しい指導をありがとうございました。重松さん、宮本さん、栗ケンさん、倉田さん、田川さん、仲田さん、浅野さん、長畑さん、SOMAYAさん、巴樹さん、あずささん、仲谷さん、佐藤さん、どうもお世話になりました。宮本、ゆうごう、石垣、鎌田、山内、長島、杉野、黒田君、作田ちゃん、下山、武政、横山、八代、なっちゃん、あずさ、浅野君、赤星、塩見君、G、増子さん、吉岡君、加藤君、どうもありがとう&来年もがんばれ!!そして、麻生、飯田、則安、タカユキ、片山、セイヤー田中、和田ポン、ハンプ、仲地、奈央子、加奈子、瀬梨乃、お疲れ様&大学でも剣道しようね!!

 Always Remember!!!「継続は力なり!!」







May / 23 / 2000

 さて、下の日記で三日間連続で剣道のことについて書いていますね。驚きです。なんか青春ですね、感動ですね。21日のは書いてて涙でちゃいましたよ。ははは。やけにかっこよく書いてありますね、読んでて自分を疑ってしまいます。口調をいつも通りに戻しま〜す♪

 久しぶりのホームページ更新なわけなんですが・・・。ちょうど一ヶ月ぶりですね。最終更新日が4月23日でずっと止まっていました。忙しかったこともあったけど・・・・う〜ん、めんどくさかったのかな。実は、5月19日からの今日までの日記は全て一夜でまとめて書いてあります。ごまかされないよーに。ちなみに昨日、22日は日本史のプレゼンテーションで「沖縄の米軍基地問題」についてやりました。テレビ番組「知ってるつもり」をパロディで行い、「僕らはけっこう知ってるつもり」という片山のビデオ映像と僕のHTML技術を駆使した(素晴らしい)発表した。チームは僕、片山、和田ポン、けんゆうの4人。データ集めを全て和田ポンに任せ、映像編集ビデオ作成を片山が行い、テレビ画面にグラフや画像をパソコンから映し出すのを僕がHTMLを使って行い、俳優・声優のけんゆうを混ぜた、実に役割分担がはっきりしていたグループでした。おそらく、クラス最高点でしょう。まぁ前日、剣道の最終練習後から朝の5時までずっと続けてやってたし・・・。ちなみに、僕は司会者の関口はじめでした。米軍基地問題を調べていくうちに、僕自信沖縄に興味がでてきました。是非一度、遊びに行きたいです。

 長い間ホームページ更新してませんでしたが、僕は元気にやってますよ。6月10日に卒業します。そしたら、後はずっと日本です。大学生、ですね。うわー、信じられない。あ、そうそう。スーファミの「ファイナルファンタジー6」をクリアしましたよ!もうエンディング、超感動的!!







May / 27 / 2000

 最近めっきり少なくなった音楽の話題でもしようと思います。2000年になってからリリースされた曲で、一番気に入っているのはサザンオールスターズの「TSUNAMI」です。売上でも、歴代のサザンのシングルCDでは最高記録となり、早くも次にリリースされるアルバムに期待が高まります。

 他に気に入っているのは宇多田ヒカルの「Wait & See 〜リスク〜」、Yaen feat. CAの「First Impression」、福山雅治の「桜坂」、愛内里菜の「Close To Your Heart」、小柳ゆきの「あなたのキスを数えましょう」など。どうしても売れてる曲しか聴くことができないのですが・・日本に帰ったら、もっと色々聴けるかな。最近のマイベストはSomething ELseの「うそつき」ですね。とても落ちついたメロディーの曲で、詞も切なく恋愛の情景を思い浮かべられるものです。あ、美空ひばりの「川の流れのように2000」もエエのう。

 FIELD OF VIEWは今年はシングル1枚、アルバム1枚をリリースしています。アルバム「CAPSULE MONSTER」、いいですね〜。ディスコグラフィーではけっこういろんなこと書いていますが、聴きやすい曲が多いですね。好きです。あ、今も聴いていますよ。ライブは7月19日、ファイナルの一日前のやつの方に行けそうです。チケットを取っていただいたこびゅうさん、ありがとうございました。







May / 28 / 2000

 たまには、僕の使っているパソコンの話を少し。機種は"Fujitsu FMV-biblo NU13D"、富士通の3年前の春頃のモデルのラップトップです。まぁ、初めてこのパソコンらが世間に出た頃はなかなか良いパソコンだったんだろうけど、今はどうだか・・・。

 9年生が終わった後の夏、僕はマクドナルドでアルバイトを始めました。6月、7月、8月とがんばって続けたバイトで貯まったお金は約20万円。親から数万円の援助をいただき、8月の終わりに僕は念願のマイパソコンを手に入れました。それからはずっと、このパソコンを年がら年中使い続けています。

 僕はパソコンの使い方とかは知っているものの、パソコンの性能や機能的な部分は全然知りません。パソコン雑誌を読んでも、どのパソコンが良いのか悪いのか分かりません。RAM、ペンティアム、メガヘルツ、そういうパソコンの機能を計るものは全然知りません。唯一分かるのが、ハードディスクの容量。他はそれぞれの単位がパソコンの早さを測るのか計算力を測るのか、未だに理解できません。

 長年、自分の使っているパソコンの性能も知りません。分かっていることは、ハードディスクの容量は1.2GBであり、残りは50MBしか残っていないということ。フロッピーディスク・ドライブが壊れていて、フロッピーが使い物にならないということ(iMAC並じゃん)。パソコンの後ろのプリンターとか繋げるポートが壊れていて、プリンターが使い物にならないこと。ラップトップ本体についているマウス(タッチパッドとかのやつ)の左クリックの感度が非常に悪いこと。パソコンの起動がかなり遅いこと。「ウィンドウズの終了」をしてから、実際に電源を切る準備ができるまで、2分ぐらいかかってしまうこと。一回サスペンド状態(スリープ)にしてしまうと、戻した時にフリーズしてしまい、困ってしまうこと。PCカードスロットとかいう、特殊なカードを入れるドライバーの2つのうちの1つが壊れていること。CD−ROMドライブは、特定のCDーROMしか読んでくれないこと。正体不明のウィルスに2回ほど感染したこと。「ごみ箱」をダブルクリックしてから開くまで、一時期20秒ぐらいかかっていたこと。液晶画面が見にくくて汚いこと。やけに重いこと。カップラーメンをこぼしても、床に落としても壊れないこと。実はかなり時代遅れのパソコンを使っていること。寮内で、自分のパソコンが一番性能が低いこと。たまに友人のパソコンをいじっていると、やけにスムースで早いパソコンだなと感じること。

 こんなパソコンですが、これから先、後1年ぐらいは使っていくつもりです。決してSONYのVAIOっていうパソコンが欲しいなんて言いません・・・口が裂けても。







May / 30 / 2000

 今日で Fov Diary が二周年を迎えました。普通の日記なんて、どんなに続いても夏休み期間が限度だったのに、ホームページ上の日記が二周年とは驚き。まさに執念。過去ログを読むと、なんだかとんでもないこと書いてあったり、くだらない内容ばっかりで、消したくなります。だからといって、最近のが内容が濃くなってきたかどうかは分からないけど・・・。本来は一日一回、FIELD OF VIEWについて語るセクションだったのに(タイトルもFov Diaryだし)、何時の間にか自分のことをうにゃうにゃ述べてるだけの日記になりました。

 ちなみに今、期末試験勉強中です。この試験が終わったら、卒業して日本に帰ります。試験初日はENGLISH(楽勝)、二日目の今日は現国・古典(辛勝)、明日は日本史、最終日に数学とフランス語という予定になっています。え?勉強しなくていいのかって?いや、今日ここの日記が二周年だったから。まさに二執念。





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