'01 May



May / 01 / 2001

 「あんなモノ こんなモノ いっぱいあるけど」

 ★★★連載13

プレステ


 初めてプレイステーションという存在を知ったのは、僕が中学生の頃で、当時はセガサターンと共に「次世代マシーン」と呼ばれていました。任天堂のファミコンとスーパーファミコンしか知らなかった僕にとって、雑誌とかで見る写真は未知の物でした。で、初めてプレステを見たのが中3の頃で、寮の友人が「FINAL FANTASY VII」というゲームをやっていた時でした。今では当たり前になってしまいましたが、CD並の音質、キレイなコンピューター・グラフィックスには驚きの連続でした。寮にいた4年間は、友達の部屋でチョットやるぐらいで、それほどゲームやってたワケではありませんでした(パソコンはやってましたが)。

 2000年の夏、良樹君から貰ったのが、このプレステです。彼は、もうプレステ2所持者だったので、お古のマシーンをプレゼントしてくれました。もらった当時はけっこう中古でゲームをいくつか集めて遊んでいましたが、最近ではあまりやらなくなりました。一応、一人暮しの家にも持ってきてあるのですが、あまりゲーム三昧、というコトにはなってませんね。やるゲームがないからかな。

 ファミコン、スーパーファミコン、プレイステーションのゲームから、最も楽しかったモノや、印象深かったモノ、想い出深いモノ、ベスト10を紹介します。


ドクターマリオ任天堂ファミコン
マッピーNAMCOファミコン
ダウンタウン熱血行進曲テクノス・ジャパンファミコン
ドラゴンクエスト4エニックスファミコン
FINAIL FANTASY Vスクエアスーパーファミコン
ストリートファイター IIカプコンスーパーファミコン
LIVE A LIVEスクエアスーパーファミコン
影牢 〜刻命館 真章〜TECMOプレイステーション
ブシドーブレードスクエアプレイステーション
10街 〜運命の交差点〜チュンソフトプレイステーション








May / 06 / 2001

 松浦亜弥というアイドル歌手をご存知だろうか?簡単にプロフィールを紹介すると、彼女は、つんく系のオーディションを受けて見事1500人の中から合格し、4月18日にシングル「ドッキドキ!LOVEメール」で歌手デビューした14歳の新人アイドル。それ以前にも、「美少女教育」というテレビ番組に登場していたそうだ(見たコトないけど)。プロダクション側の宣伝費は5億円にも上るそうで、期待の新人として売り出そうとしているワケなのだ。

 僕が松浦亜弥を初めて知ったのは、実はついこないだ。「HEY HEY HEY」、「うたばん」、「MUSIC STATION」などの音楽番組に立て続けに出演していたタメ、顔と名前と曲を覚えてしまった。この松浦亜弥、どういうワケだか、僕の周りの友達5、6人に受けている。「かわいい」とか言ってる。僕も、まぁかわいいとは思うけど、そんなファンになるほど好きってワケでもなかった。

 その松浦亜弥のイベント・握手会が5月6日、横浜ランドマークプラザで行なわれた。彼女のファンの一人で、高校時代は剣道部の部長だった麻生がいち早くこの情報を手に入れ、ゴールデン・ウィーク前から「絶対行く」とはりきっていた。僕もイベントに興味があり、松浦亜弥も見てみたかったので、着いて行くコトにした。「社会見聞を広めるタメ」という建前も作っておいた。だって、硬派だから。

ランドマーク


 当日、イベントに行くコトになったのは、麻生、僕、そして前の晩に初めて松浦亜弥を麻生から教えてもらったイヨベの3人。たまたま麻生が前の晩にイヨベの家に泊まったタメ、彼も付いて行くハメになったのだ。イベントは11時から始まるのだが、10時40分に僕らがようやく着いた頃には、もう松浦亜弥のファン達がうじゃうじゃ。ステージ付近は、前の日の夜9時から並んでいたと言う強者どもが占領していたタメ、僕らは上の方の階からステージを見下ろすコトになった(ランドマークは建物がフキヌケなのだ)。

どっきどっきどっき


 例の強者どもが「あーや!!あーや!!」と男っぽいコールを繰り返し、11時頃、ようやくイベント開始。イベント関係者が松浦亜弥を紹介し、なんか銀色のフリフリのついた、なかなか派手な格好で登場した。デビュー曲「ドッキドキ!LOVEメール」を歌い、司会がいくつか質問し、カップリングの「待ち合わせ」を歌い、少し宣伝、ダンスの振りを少し披露し、最後にはもう一回「ドッキドキ!LOVEメール」を歌い(新人のタメ、持ち歌が少ない)イベント終了。この後は、新星堂で松浦亜弥のCDを買って整理券を持っていたファンのみ、握手会で彼女と握手するコトが出来たのだ。

 僕らがいた場所からは、松浦亜弥の表情まではよく見えなかったが、歌も聴けたし、何しろ芸能人を生で見るコトが出来たのが嬉しい。見物客(ファン)は、基本的に若い男が9割だが、中学生ぐらいの女の子や、歌に合わせて踊る40代ぐらいのおっさん、たまたまランドマークに来たと思われるおじいさんも松浦亜弥を眺めていた。

まつうらさん


 イベント後、麻生は「14歳の女の子がこれだけ多くの人の前で歌ったりして、たいしたもんだ」としきりに感心し、「声がかわいいっ」と喜んでいた。イベント前までは散々バカにしていたイヨベも、「あの曲はいいよ」なんて心を変えて、「チョットだけいいかも」なんて言っていた。・・・僕?僕は、えー、「歌がうまいね」と思いました。ハイ。

 天気が良かったゴールデン・ウィークの最後の日、硬派な麻生(剣道)、僕(剣道)、イヨベ(ラグビー)は松浦亜弥のイベント行き、昼飯食って、桜木町をチョット見物して過ごしたわけサ。








May / 18 / 2001

 「あんなモノ こんなモノ いっぱいあるけど」

 ★★★連載14

元気チューリップ


 ウチの近くに園芸店があった。一人暮しを始めて間も無い頃、僕は「チューリップ」を50円で買った。何かベランダに置いてみたかったのだ。

 水をあげていたら、順調に育った。↑の写真は4月15日のもので、元気いっぱいの頃だ。ところがこの後、アブラムシの被害に合う。アブラムシというのは、緑色の小さな虫で、チューリップの若い葉が大好物という特徴を持つ。ベランダでノホホンとしていた、僕のかわいい一人娘は、大量の虫に寄って来られたのだった。最初見た時は、何だか分からなかった。ちょっと凸凹してるなぁ・・と思って、近くでよく見たら、気持ち悪いほどアブラムシがはりついているのである。

 その後もしばらく奮闘したが、そこは略す。あまり思い出したくない。

 結局、このチューリップは花を咲かすことなく、ボロボロになった(↓)。何がいけなかったと言うと、まず鉢。園芸店に運ばれる時に使われる、最小限の土のヤツを使いつづけたため、根を伸ばすコトができなかったのだ。また、基本的に植物は毎日水をあげるべきではなく、土が乾いてからというのが常識らしい。以上が母から聞いたアドバイスである。僕の母は園芸好きで、マンションのベランダにはズラーと色々並んでいる。

枯れチューリップ


 そもそも、園芸のコトなんて何も知らないクセして、チューリップとは生意気すぎた。多分、・・・多分、チューリップとはハイレベルな園芸技術を要する植物なのだ。アブラムシという天敵がいるし。

 しかし、このまま引き下がるのも悔しい。そこで、新しく育てはじめたのが「アサガオ」である。アサガオは、なんと言っても小学校1年生が観察日記を付けながら育てるぐらいなのだから、僕にだって育てられるだろう。いや、むしろ育てられないハズがない。これでアサガオの花が咲かなかったら、僕は日本全国の小学生に負けるコトになる。それだけはイヤだ。今回はチョットした鉢を母に買ってもらい、土ももらってきた。準備はパーフェクトである。果たして7月頃、僕のアサガオは無事に花を咲かすのだろうか。







May / 22 / 2001

 「あんなモノ こんなモノ いっぱいあるけど」

 ★★★連載15

亀裂が入る前Yo


 数年前から使っている、普通の目覚まし時計である。こいつにはスヌーズ・機能が付いている。コレは一回アラームを止めても、本体脇のスイッチをオフにしない限り、5分後にまた鳴り出すという機能なのだ。なかなか起きれない僕は、朝、何度も5分オキに起きてはアラームを止めている。

 4年ぐらい前に、「君は低血圧だね。朝とか起きるのつらいでしょ。」とお医者様に言われたコトがある。「そうそう、その通りなんだよアンタ、なんで分かったんだい、このこの。」と心の中で喜んだ。その時から、自分が朝起きるのが苦手なのは低血圧のセイだと信じ、ある意味仕方ないと思っている。過去の寝起きの悪さも、すべて償われよう。

 しかし、今は一人暮し。目覚まし時計以外、誰も起こしてくれない。起きれなかったら最後、大学の講義に遅れるコトになるのだ。面倒くさがりな自分だが、講義の出席度と真面目度は高校の時よりはるかに高い(高校の時がひどかっただけかもしれないが)。講義によっては、絶対出席した方が身のタメなので、朝の目覚ましはかなり重要なのだ。

 部屋にある目覚まし機能を持つ器具は3つ。1つ目はスヌーズ・機能付きの目覚まし時計。2つ目は携帯電話のアラーム機能。3つ目は、パソコンのタイマーで設定された時間に音楽が鳴る機能。この3つを巧みに駆使して、朝起きなければならない。

 僕は部屋の構造に注目するコトにした。この部屋はロフト、つまり寝る場所は階段を上った1.5階っぽいところになるのだ。なるほど、つまり目覚まし時計を下にセットしておけば、朝、階段を降りたりする労力で目が覚めるだろう。こうして目覚まし、携帯、音楽の3つをセットして寝た。朝、最初に動くのがパソコンの音楽タイマー機能であるが、時間が時間なだけにボリュームを大きくするコトができず、アラームのように騒々しくないので、ロフトの上で気にせずに眠りつづける。最近では音楽が鳴っていても目が覚めない時もある。次に鳴るのが、目覚まし時計。「うるさいなぁ・・」とロフトの上から、下で「ピピピピピ」と鳴っている目覚まし時計をにらみつける。階段を降りて目覚ましを止めるのが面倒くさい。そこで、ベッドの横にあった人形、「たれぱんだ」を使い、ロフトから下の目覚まし時計を狙って落としてみたら、見事に命中し目覚ましは鳴るのを止めた。しかし、また5分後に同様に鳴るため、今度はモソモソと起きなければならない(枕も落としたコトがあるが、布団はない)。目覚まし時計を止めて安心し、床の上で寝転がる。隣で「たれぱんだ」がたれている。最後に携帯電話の目覚ましが鳴り、それを止めて起きれば良いのだが、まだ寝転がりつづける。基本的にどの目覚ましも、けっこう早めにセットしてあるタメ、3、40分遅く起きても朝飯抜きで大学へ向かうだけなので、滅多に講義には遅れない。

 しかし、数回「たれぱんだ」を目覚ましに向かって落としていたら、目覚まし時計の秒針が外れた。時計を分解して戻さなければならない。ネジマワシで分解を試みるが、どうしても最後のネジだけ外れない。ブキッチョにイライラが手伝って、力ずくで分解してみると、「ボキッ」という鈍い音とともに大きな亀裂が入ってしまった。しかし、運良く壊れたのは外側のフレームだけだったので、今でもチャント動いている。

 今では、この目覚まし時計はロフトの上に移り、「たれぱんだ」は最後に落とされた時からずっと下でたれたままになっている。








May / 23 / 2001

 先日、夜8時頃に家に戻ったが、なんと鍵が無い。かばんの中にも、ポケットの中にも。愕然。無くした場所は大学しかないと信じ、すぐに自転車でキャンパスへ向かう。この日、体育実技でサッカーのクラスがあったので、着替えた時に落としたかと思い、夜のグラウンドを捜索したが見つからず。結局、大学に置いてあった運動着の入ったリュックサックの底で発見した。「これで家に帰れる」と思うと、嬉しくてたまらなかった。今回は無事に鍵を見つけられたから良かったものの、もっとしっかりしなくてはならない。

 一人暮しを始めてから2ヶ月経った。料理、掃除、洗濯と、色々と面倒くさい。料理はなんとか楽しみながらやっているツモリなので、そこまで苦にはならない。洗濯もベランダが南向きなだけあって乾くのが早い。部屋は片付けないと、本当にすぐに散らかる。新聞、本、CD、ポリ袋、脱げ捨てられた服などが床を占領してある。部屋には座椅子、もしくは小さなソファーが無いタメに、床に寝袋を敷いて、その上に寝転がりテレビを見たりしている。この寝袋こそが、床の面積を少なく見せている本人なのだ。

 一人暮しを始めたばかりの頃は、それなりにうかれていた。一人暮しの最初の日の夜から、無理矢理友人2人に連れられて横浜まで行き、SOGOのレストランでスパゲティーを食べた。また、用も無いのに夜コンビニへ行き、適当な雑誌を立ち読みしてみたり。家の近所を自転車で走りまわってみたりもした。今では、スーパーの安売りに注目したり、ボケーっとテレビを眺めたり、スーパーでもらうポリ袋を集めてごみ袋にしたりと、生活感あふれる暮らしをしている。

 一番の最寄駅から徒歩で約30分かかる。不便にも聞こえるが、自転車さえあればなんてコトはない。また、大学に自転車で10分チョットというのがものすごく嬉しい。部屋は1R6畳カーペット、ロフト付き。しかし夏になると、ロフトの上で寝るのは暑苦しくて仕方がないらしい。今の時期でも、上へ上ると温度が少し違うのを感じる。また、コンビニ、スーパー、レンタルビデオ屋、郵便局、クリーニング屋、モスバーガーも近くにあり、便利なのだ。隣に住んでいる人との交流は無いが、片方は男の学生もしくは社会人、もう片方は夫婦なのかカップルなのか親子なのか分からないが、男女2人で住んでいるようで、どちらも部屋も静か。それなりに気をつけているツモリなのだが、ウルサイのは自分だけなのかもしれない。







May / 24 / 2001

 入学したばかりの大学生や新入社員は2つの病気にかかりやすいと言う。1つは「4月病」と言い、これは新学期、新しい出発としてついつい張り切りすぎて、無茶な履修(好きな講義を選ぶコト)のスケジュールを組んだりする病気である。もう1つは「5月病」で、こちらは張り切りすぎた4月とは一転、5月以降、身体疲れて無気力になり、大学にもダンダンと行かなくなってしまうという病気である。「4月病」の症状が重いほど、「5月病」も自然に激しくなる。

 僕の場合、「4月病」の症状は軽かった。チョット張り切っていたのは認めるが、無茶しようとも思っていなかった。「簿記論」のクラスを取ったところなど、やや「4月病」の影響かもしれない。簿記の資格を取るかどうかは知らないが、やや面倒な・・・、いや、難しい講義になるかもしれない。

 今年、新1年生の僕が履修した講義は以下の通りである。まず、必修で「経済学」と「商学概論」、語学で「英語 Level 4」と「フランス語 初級」。一般教養で「社会学」、「法学(憲法を含む)」、「生物学」。他に「情報処理 I」、「数学基礎」、「微分方」、「社会経済学」。体育実技で「サッカー」と「ソフトボール」。以上で合計48単位で、履修可能の上限ピッタリである。これらは通年(1年を通じての講義)もあれば、春か秋のみの半期の講義もある。ナンダカンダで、必修と重なったり抽選に落ちたりで、自分が本当に取りたかった講義を履修できなかったりした。「心理学」、「現代メディア論」、「女性学」(メディアの中での女性像を学ぶ講義)などがそうである。

 さて、家から大学までの距離は短いクセして、生まれつきの面倒臭がり屋が本性をあらわし、僕が講義を入れたのは月、火、木、金の4日間だけにした。つまり、水曜日と土曜日は一つも講義を入れず、見事に週休三日制を得たのだ。コレが、かなり一週間を楽にさせる。週に6回、ほぼ毎日遠い所から大学に通っている人間から見れば、「なんてだらしねえ野郎だ」と思うかもしれないが、週休三日制にしてるだけあって、他の月、火、木、金の4日間はそれなりに忙しいのだ僕だって。

 ・・・こうして考えると、もしかしたら僕は「4月病」とはほとんど縁が無かったのかもしれない。「4月病」がたいしたコトなかった分、「5月病」もたいしたコトないコトを祈りたい。







May / 26 / 2001

 トイレのウォッシュレットというモノをご存じだろうか?このウォッシュレット、果たして日本国民の何割がその存在を知っており、関心を寄せているのかは疑問である。はたまた、このウォッシュレット機能を実際に経験した者は何割ぐらいなのだろうか。一回、渋谷あたりで調査してもらいたいものだ。

 さて、ウォッシュレットの定義・説明はなんだか微妙だが、つまりはトイレに付いているボタンを押すと便器の中から水が飛び出し(キレイな水ですよ)、お尻をキレイにしてくれるという便利なものなのだ(乾燥機能もある)。紙を使うよりも、ずっとキレイなお尻になるという。ウォッシュレットを使ったコトのない人なら、絶対疑問に思うコトがある。それは、「お尻の正確な位置にちゃんと噴射するのか?」というコトだ。しかし、これはどういうワケだが、ウォッシュレットの何かの機能が肛門の位置を正確に検索し、狙い通りの場所にちゃんと噴射してくれるらしい。つまりは次世代型ハイテク・トイレであり、もしかしたら21世紀では当たり前になる時が来るのかもしれない。

 実際、今の実家のトイレには、このウォッシュレット機能が付いている。便器の横にいくつかボタンが並び、それには「おしり洗浄」、「ビデ」、「乾燥」と書いてあり、強弱な位置などを変えるコトも可能である。しかし、僕自身、このウォッシュレット機能はあまり好きではない。なんだか、くすぐったくてイヤなのだ。やはり日本男児たるもの、しっかりと紙でふきたいのものよのう。

 そんな僕とウォッシュレットの出会いは、正確には覚えてないが、小学校高学年だか中学生の頃だった気がする。出会った場所は、祖父母の家のトイレ。普通に用を済ませて水を流した後、便器の脇にいくつかのボタンが並んでいたのに気づいた。まだピュアだった僕はこの怪しい装置に警戒心を抱くコトなく、ボタンを押してしまった。するとどうだろうか。便器の中の隅から、一本の細い管がシューと出てくるではないか。「おや、何が始まるんだ?」と思い、便器の中を覗き込んだ、その瞬間!突然、ウォッシュレットは僕の顔面めがけて勢い良く水を噴射してきた。まだピュアだった僕がパニックにおちいらないワケがない。生まれて初めて、便器に水をかけられたのだ。それも顔面に。混乱状態のまま両親と祖父母に助けを求め、僕はその時初めてウォッシュレットの存在と役割を身をもって知ったのだった。

 日本国民の何割が実際にウォッシュレットの機能を堪能したことがあるのかは知らないが、顔に噴射された人間は数少ないと思われる。しかし、ただ一人ではないコトを願いたい。きっと他にも、僕みたいなのがいるはずだ。







May / 30 / 2001

 「あんなモノ こんなモノ いっぱいあるけど」

 ★★★連載16

えにっき


 僕が3歳〜6歳までニューヨークに住んでいた頃の絵日記です。押し入れの中から出てきました。多分、5、6歳の頃のモノではないかと思われます。下に当時の貴重な記録(?)をいくつか紹介します。

 8がつ18にち かようび はれ
 きょうのゆうがた、はなぢがでました。はなのなかにかみをつめて、おでこをひやしました。

 すごいシビアな内容です。かわいそうに。絵の方は、なかなか傑作です。鼻血を出した自分が「ママー」と叫んでいる絵です。


 8がつ29にち どようび くもり
 きょうほしゅうこうで、せいこちゃんがおやつをわすれました。ぼくは、せいこちゃんのとなりにすわっていたのに、ぼくのおやつをはんぶんわけてあげなかったので、あとで、パパとママにとてもおこられました。これからは、こまっているおともだちには、いつでもかならずやさしくします。せいこちゃんごめんなさい。

 な、なんて悪い子なんだ!!もう1回、せいこちゃんにあやまりたいよ、僕は。日記では謝ってるけど、本人には直接謝ったのかなぁ。どうなんだろ。「これからはやさしくする」と誓っているけど、実際は守っているような、守られていないような。しかし、なんでオヤツを分けてあげなかったコトをヘラヘラと親に言うのかなぁ。言わなければ怒られずに済んだのに。要領の悪いヤツめ。(「ほしゅうこう=補修校」・土曜にあった海外の子供が日本語などを学ぶ学校。)


 9がつ8にち かようび くもり

 なつやすみは、きょうで、おわりです。ことしのなつやすみには、にっぽんへいきました。それから、じてんしゃにのれるように、なりました。およげるようにも、なりました。サッカーもたくさんしました。

 ご覧の通り、なかなか体育会系なお子様なようです。自転車、水泳、そしてサッカー。元気だね。楽しそうだね。遊んでばかりだね。勉強のコトについては一言もふれていないね。そりゃそうか。


 コレが僕の書いた日記で、現在形に残っている最古のモノです。もしかしたら、生まれて初めて書いた日記なのかもしれません。日記自体は、小学校や中学校の夏休みの宿題程度でいくつかノートが残っています。小さい頃、何度か親に「日記を書くようにしなさい」と言われたコトがありますが、基本的に長続きせずに途中放棄ばかりです。

 「Fov Diary」は、僕が(日本で言う)高校1年生の3月からはじめたWeb上の日記で、今日でなんと3周年を迎えました。人生の中で、3年間も続いた日記は、コレだけです。日記と言っても、好きな時に何か書いているだけなので、正確には「日」記ではないかもしれませんけどね。それにしても、改めて昔の日記を見ると、本当に恥ずかしい内容ばかりです。こんなみっともない文章を書いていたのかと・・。今書いているコトだって、数年後見れば、また同じ想いになるんでしょうけどね。




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