'01 September



Sep / 03 / 2001

  九州サイクリング編・その(1)

 夏の間、しばらく九州へ行っていた。サイクリングのサークルの夏合宿である。僕を含めて男子5人。4人が1年生で、後の1人が2年生である。夏合宿の内容は、主に自転車で九州を走る、というもの。自炊&野宿が基本の、約20日間の貧乏旅である。

 8月11日の夜に東京を出発し、電車(鈍行&快速)で長崎へ向かうのだ。新幹線や空の便を使えば、九州なんてアッという間の距離なのだが、コスト面を考えると、青春18切符を使うのがベストなのだ。この切符はJRのみ有効であり、夏の間だけ発売される、5日間乗り降り自由なものである。勘違いしている人も多いが、別に18歳以下でなくてもこの切符は使用できる。もう18でも青春でもなんでもない人でも構わないのである。

 長崎に到着したのが8月13日の夜。以降、諫早、島原(15日)、本渡、熊本(16日)、八代、人吉(18日)、えびの(19日)、霧島、隼人(21日)、鹿児島(22日)、屋久島(24日)、種子島(28日)というコースを走った。帰りは31日に鹿児島を発ち、9月1日の夜に東京へ帰ってきた。

 九州各地、とても印象深い。

 まず、島原。九州へ行く直前、司馬遼太郎の「街道を行く」のビデオの天草島原編を見た。映像で見た島原はとてもキレイで、期待を高めていた。島原は雲仙岳から流れる水が豊富な街。歴史上では、当然「島原の乱」が有名である。実際に訪れてみると、雲仙岳をバックに、島原城、武家屋敷と、見所の多い美しい街だった。

島原・武家屋敷


 熊本は、当然のコトながら大きな街だった。熊本市内で唯一観光したのが熊本城。城主は何度も変わっているが、一時期は加藤清正も城主になっている。西南戦争では、お城として戦闘に大変優れていると改めて言われたそうな。市内は歩道も広く、楽に自転車で走れる。一方の長崎は、石畳は多い、坂道が多いなどの理由で、自転車には全然向いてない。一番近い自転車屋でさえ、長崎市内からけっこう離れた場所にある。

 次に矢岳。・・と言っても、おそらく誰も知らないだろう。九州の人でさえ、知ってるかどうか。矢岳は熊本県の最南、だいたい熊本、宮崎、鹿児島の3県がぶつかる場所に位置する小さな駅である。標高569メートルにあり、自転車でここまで上ってくるのも辛かった(よりによって暑い)。印象深いのは、ここが自分たちがまわった九州の中で一番田舎であったこと。駅は無人駅、電車は2時間に1本来るか来ないか・・というもの。家も何軒か建っているし、小学校までちゃんと(けっこう立派な)あるぐらいだから、実際は「ド」が付かないぐらいの田舎とは思うのだが・・。

矢岳


 鹿児島では自由行動が多く、市内観光もした。大久保利通像、西郷隆盛像を見て、維新ふるさと館へ行った。ここでは主に明治維新の歴史を紹介しており、ロボットの西郷、大久保、勝、坂本らがカクカク動いて話すのが見ていて笑えた。

鹿児島・西郷隆盛像


 屋久島は、世界自然遺産に登録されている。正確に言うと、島全体ではなく、特定の地域(主に山の中)がそうなのであるが、屋久島では縄文杉(縄文時代からあると言われてる大きな杉の木)を見に山登りをした。今まで自転車ばかりだったので、たまには徒歩も良いかな・・ってコトだった。屋久島は自然が大切に守られていたが・・・縄文杉に行くまでのルートは観光客が大勢いて、肝心の縄文杉もそこへ行くまでの過程が長かったがために、どうでもよくなっていた。ここまでは子供でも行けるコースだが、本格的に山登りをしたい人は、ここから更に頂上を目指すのだそうだ。案の定、筋肉痛になり、翌日は階段を下りるのが辛かった。

屋久島・山登り


 屋久島では、山登りより海水浴の方が印象深い。島の北西に位置する永田いなか浜という場所で泳いだのだ。海水浴場ではなく、浜辺の看板には「遊泳される方はサメに注意!」としっかり書いてあった。ここの浜は屋久島で一番キレイな海と言われており、ウミガメの産卵地として有名である。一人、水中メガメを持っている子がいた。磯の近くで潜ると、何十種類もの魚が泳いでいて感動した(すぐ近くにいるのに捕まえられなかった)。

屋久島・永田いなか浜


 ラストが種子島。8月29日、H2Aロケットの発射を見た。クライマックスを飾るのにふさわしい。日本の宇宙事業は過去に2回連続で失敗しており、今度成功しないと宇宙事業から撤退するというコトだったらしい。3度目の正直を、なんとしても成功させなければならなかったのだ。種子島の人の話を聞くとなんだかノンビリしていたが、失敗したら大変である。観光客が減り、民宿・ホテルはもちろん、観光事業、下手すりゃ小さな飲食店でさえ収入が減ってしまうだろう。本来、ロケットは25日発射予定だったがが、延期に次ぐ延期で、結局29日の午後4時に打ち上げられた。僕たちはロケット発射を宇宙が丘公園という、発射場所から10km近く離れた丘の上から眺めていた。大きな音と白煙とともに、時間にして1分強でH2Aロケットは大空へ消えていった。成功したようだ。拍手が沸き起こった。

 楽しい20日間だった。サークルの仲間・・と言っても今回は5人だけだが、互いのコトを前よりずっと知り仲良くなれた。貴重な、想い出に残る夏休みとなった。








Sep / 04 / 2001

 九州サイクリング編・その(2)

諫早付近


 夏の九州は暑かった。今年は例年よりも暑かったらしい。その炎天下の中を、自転車でひたすら走り続けるのだ。辛い。水分摂取が重要である。今年の夏、コカコーラ社のキャンペーンで、当社のペットボトルや缶などについているシールを集め、応募すると抽選で賞品が当たるというものがあった。1つのペットボトルに付き1点のシールを得られるのだが、旅行中せっかくだからとみんなで集め、100ポイント以上は集まった。コカコーラ社も大手なので、自販機も多く、ポイントは集まりやすかった。

 自分たちのような自転車組はほとんど見かけるコトがなかった。屋久島・種子島で数人見かけただけだ。本来、サイクリング・サークルというものは、夏は涼しい東北や北海道に逃げるのが定説らしい。そこを、最も暑いところへ走りに行ったのだから、チョットだけアホっぽい。天草で泊まったYH(ユースホステル)のオヤヂには「夏に九州に自転車で来るヤツなんてキチガイだ」なーんて言われたし。

 共同の装備がテント(2つ)と調理器具であった。旅をできるだけ安上がりにするには、野宿&自炊をしなくてはならない。

 テントは主に公園、もしくはキャンプ場ではる。公園と言っても、別に横浜の山下公園みたいなのでもなければ、鉄棒・ぶらんこ・すべり台・砂場があるような典型的な公園でもない。キャンプが禁止されている場所もあるので、街の観光案内所で野宿が可能な場所を調べる。地方なので、けっこう野宿ができそうな場所は多いのだ。

自炊だ!


 調理器具は鍋、フライパン、包丁(100円ショップの・・切りにくいヨ)、まな板など、一通り揃っていた。地元のスーパーで必要な食材・調味料を買って自炊。旅行中、僕は料理長を(いつの間にか)任され、ほとんどの料理を手がけた。と言うのも、5人の内、一人暮らしをしているのが僕1人だったからである。僕も下宿するまではそうだったが、やはり実家に住んでいる子は料理をあまり知らない。僕だって、わずか数ヶ月の一人暮らし、HP内のお料理 DAN DANのコーナーを見れば分かる通り、あの程度の料理でもこういったキャンプで活躍できるのだ。本来ならご飯を炊いてレトルトをぶっかけたり、スパゲティーをゆでるぐらいの自炊だったらしい。僕がキャンプで作ったものも、ほとんどが下宿先でいつも作っているようなものだった。野菜炒め、サラダ、若鶏、魚の塩焼き(アジ、サンマ、飛び魚)、げそ、餃子など。やはりキャンプで作った料理は、なんでもオイシク感じるものである。

 旅先の風呂は、温泉を使う。今まで「温泉」と言うと、あの露天風呂のように、チョット豪華なものを想像していた。しかし九州は、どの地域でも温泉が豊富で、銭湯のような感じだった。見た目も中身も銭湯で、地元の人が入る温泉で大人300円前後。違うのは、お湯が温泉であるというコト。旅行中、「温泉」でない湯船につかったのも、1、2回だった。ちなみに選択はコインランドリーでやる。小さな街でも必ずあった。

熊本県・津奈木町


 野宿だ、キャンプだで、けっこう人から見たら変なヤツらだと思われていたかもしれない。幸い、夏の九州であってキャンプ旅行客は多く、そんな目立ちもしなかった・・と思う。ま、集団の中に入ってしまえば、人の目は気にならなくなるって言うし。








Sep / 05 / 2001

 九州サイクリング編・その(3)

熊本県・津奈木町


 8月29日、九州サイクリングの目玉であるH2Aロケットの発射を見た。種子島はよく晴れていた。本来は25日に打ち上げる予定だったのだが、延期されたのだ。最初は28日、最終的には29日に「確定」となった。旅行中、ロケットの発射日が気がかりだった。延期の具合によっては日程を変えなければならないし、最悪の場合は見るのを諦めて東京へ戻るコトも考えられる。ラジオに耳を向け、地元の新聞をチェックし、種子島宇宙センターに問い合わせたりした。本来なら種子島の後に屋久島へ行く予定だったのだが、打ち上げ延期のため、先に屋久島へ行くコトになった。

 日本の宇宙開発事業の「3度目の正直」を証明しなければならない。日本はロケット打ち上げに関しては、他国よりはるかに遅れをとっている。この打ち上げで失敗したら、日本は宇宙開発事業から撤退するコトも聞いた。また、本当の信頼を得るためには、3回連続で成功させなければならないそうだ。宇宙開発事業の、種子島のクビがつながるかどうかの瀬戸際だったのである。

 僕は九州へ行く前、そして種子島に行く前まで、発射失敗を(少しだけ)期待していた。空中で「ボカーン」と大爆発、数十億円の打ち上げ花火を見てみたかったのだ。宇宙まで行ったのに軌道に乗らなかった・・みたいな失敗では面白くない。派手に散るのを見た方が印象に残る気がしたのだ。そりゃ、成功する方が良いけど・・失敗する可能性だって十分過ぎるほど考えられる。必ず成功するものを見るより、どうなるか分からないハラハラドキドキなものの方が面白い。

 ロケット打ち上げを見た宇宙が丘公園で、発射を待っている時、隣に座っていた老夫婦に話しかけられた。息子が、と言っても良い年だと思うが、種子島宇宙センターで働いているらしい。小さい頃からロケットが好きで、宇宙開発の仕事に就くコトが将来の夢だったそうだ。その息子が、わざわざ和歌山から両親を呼び寄せ、座りやすそうな椅子まで用意し、ぜひ打ち上げを見に来て欲しいと頼んだそうだ。なんとも良い話ではないか。そんな老夫婦の前で、小声でも「失敗しろー」とか「爆発が見た〜い」なんて、絶対に言えない。僕も調子良く(?)「成功するといいですね〜」なんて話していた。

 打ち上げ時刻は「午後1時以降」。昼前に放送された打ち上げ時刻が午後4時。僕たちは前日から宇宙が丘公園でテントをはってキャンプしていた。打ち上げ当日、発射予定時刻間際には、辺りは見物客であふれていた。午後4時00分00秒。発射台から白い煙がモクモクたちあがり、大きな音とともに浮かび上がった。重力に逆らって宇宙まで行くのだから、ものすごいエネルギーが必要なのだろう。H2Aロケットは真っ直ぐと上へ飛んでいった。わずか1分たらずで、ロケットは見えなくなってしまったが、その跡には白い飛行機雲・・いや、ロケット雲が一直線にのびていてキレイだった。

H2Aロケット打ち上げ


 ロケットが見えなくなってから数秒後、いっせいに観客から拍手が起こった。素人には、「見えなくなった」=「成功した」だが、宇宙開発事業団にとってみれば、まだまだ緊迫状態だったはずだ。ちゃんと軌道に乗るか、異常はないか・・まだまだ楽観視はできない。宇宙が丘公園には、ご丁寧にも宇宙センターからの放送が流れており、発射予定時刻の確認や、「発射1分前・・10秒前・・」といったカウントダウン、そして打ち上げ後の実況もやっていた。ロケットが大空に消え、ギャラリーは帰る支度を始める。放送では現在の時刻と「すべて正常」と、数分おきに流れていた。4時20分、突然、放送が宇宙開発事業の歴史を語り始めた。昭和40何年に出来たとか、今までの打ち上げのコトとか・・。こんな余裕を見せるぐらいだから、本当に成功したと見て良いのだろう。この時、宇宙開発事業団も、手を握り合って喜んでいたかもしれない。大空を見上げて涙を流していた人もいたかもしれない(テレビで見たら本当にいたけど)。

 隣に座っていた老夫婦も喜んでいた。非常に紳士的な老夫婦だったため、飛び上がって大喜びはしていなかったものの、表情はとても嬉しそうだった。例の孝行息子、実は今までロケットの打ち上げを生で見たコトはないらしい。いつも打ち上げの時は、宇宙センターの地下でモニターの前にジッと座っているそうだ。H2Aロケットは成功した。彼も大喜びしたに違いない。しかし、彼の夢は今後もまだまだ続くことだろう・・。

 地上と宇宙を結んだロケット雲は、時間が経つにつれて形がほどけて、やがて消えてしまった。それを見ながら、僕の中では中島みゆきの「ヘッドライト テールライト」が流れていた。NHKの番組「プロジェクトX」のエンディング曲である。大袈裟じゃなく、胸の奥から何かこみあげてくるものがあった。

ヘッドライト テールライト 旅はまだ 終わらない・・








Sep / 12 / 2001

 普段は滅多に世の中で起こっているニュースについては書かないここの日記だが、このニュースだけはさすがに無視することはできない。日本時間9月11日夜、アメリカ合衆国、無差別組織的テロ事件。

 11日の夜は、家で「ニュース・ステーション」を見ていた。東京を過ぎた台風15号がどうなっているのか気になったからだった。番組が始まってから数分後、ニューヨークの世界貿易センタービルの映像が映った。飛行機が突っ込んだという。高層ビルの、かなり高い階に大きな穴が空いており、そこから煙がたちのぼっている。最初は事故かと思った。誰だって、そう思うはずだ。さらに数分後、もう一つ(南側)のビルに、別な飛行機が突っ込んでいく映像が流れた。間違い無くテロである。その後はニュースの通り、ワシントンのペンタゴン、ペンシルベニア州などでもハイジャックされた飛行機が墜落、世界貿易センタービルも崩壊という大惨事になった。

 ペルーで、オクラホマでなど、僕も今までテロ事件やビル爆発事件などのニュースはいくつか記憶にある。しかし、ニューヨークとワシントンを標的にしたこの組織テロは、それらのどれよりも規模が大きい。僕はもうすぐ二十歳になるが、この事件は、今まで僕が見たどのニュースよりも強い衝撃を受けた。それと同時に、強い怒りを感じた。それは、この事件が世界中を巻き込む大戦争につながる可能性もあることに対する恐怖心だろうか。この二十年間、日本で起こった犯罪、世界で起きた大事件、当然印象深いものもある。しかしどのニュースも、心の中のどこかで、「自分が巻き込まれたことではない」「自分とは遠く離れた場所のこと」と思っていたことに、気がついた。阪神大震災のような自然現象とはまったく違う。多くの命が、「故意」によって奪われたのである。

 アメリカ、特にニューヨークは自分とは決して無関係な場所ではない。3歳から6歳、それと15歳〜18歳の高校生活、ニューヨークに住んでいたからだ。当然マンハッタンには何度も行っているし、世界貿易センタービルへも訪れた。今までそんなには深く考えたことはなかったが、アメリカが、ニューヨークが好きなのだ。あの景色も、人々も、空気も。そんな街並が壊されていくのを見るのは、本当に映画のワンシーンのようで信じがたい。僕が通っていた高校はニューヨーク州の郊外にあるため、被害は無かった。しかし多くの友達、知り合いがマンハッタンの、テロがあった場所のすぐ近くに住んでいる。マンハッタンにある大学に通っている田中とは連絡が取れた。住んでいるマンションも、事件があった場所からそんな遠くはない。彼も信じられない、という様子のようだ。もう自分はそこには住んでいないとはいえ、あの街が自分の故郷であることにかわりはない。遠く離れた日本にいるのに、冷静になれない自分がいる。せこい感じもするが、もしこのような大規模なテロがアメリカではなく、自分が全然知らないような国で起こったのなら、ここまでは関心を寄せていなかったかもしれない。

 今、世界中で最も注目が集まっている男、アメリカ合衆国のブッシュ大統領。「民主主義、自由を守るための戦い」というのがキーワードである。テレビで、各国首脳の発言が流れていた。日本の小泉総理大臣。イギリスのブレア首相。フランスのシラク大統領。ロシアのプーチン首相。国連のアナン事務総長。皆、アメリカに協力すると言う。裏では各々の国家の事情や思惑はあるに違いないが、世界中(それでも一部と言ってしまえば一部なのだが)が一つになったのを、僕は初めて見た。それを見て、少しホッとした気がする。「テロは許されない行為」と皆口をそろえ、「正義」のための戦いということをやけに強く強調する。そんな中、アラブ諸国の映像が流れる。民間人は歓喜にあふれている。そんな彼らを憎く思えるのは、私たちが日本人、民主主義の中で暮らしており、「正義」の側にいるである。ところが、ユダヤ人から見れば、「正義」は彼らの中にあり、アメリカは敵、「悪」の側なのだ。多くの民間人の命を奪ったのは許されない行為だと考える常識は私たちのものであり、彼らから見れば悪と戦う「聖戦」なのである。現段階で、テロが彼ら過激派の仕業と決めつけるのもどうかと思うが、どうやら間違いないのだろう。

 昔、アラブに住んでいた友人がいる。彼が知り合いの掲示板に意見を残したので、その文章の一部を掲載させて頂きたいと思う。

”大変な事件が起きたね!!無差別でしかもとても卑怯!!
でも、この事件はアメリカがアラブ諸国に対してやってきた結果だと思う。僕はアラブに住んでいたから、どれだけアラブの人達が強い反米感情を持っていたかを知っている。アメリカ政府の重要ポストにユダヤ人がたくさんいる事も手伝ってアメリカは大量の武器をイスラエルにタダ当然で提供している。その武器によってたくさんのパラスチナ人またはアラブ人が殺害されている。このような背景を考えると、複雑だね!!
もし僕らが生まれたのが平和な国日本ではなくてアラブ諸国だったとしたら、今ごろ何をしているんだろう??ちょうど20前後で冷静に考えるより行動力がまさってしまう時期だからね。”


 亡くなられた人々に心からご冥福を祈ると同時に、一人でも多くの無事を願います。そして、世界中を巻き込む大戦争にならないことも。







Sep / 14 / 2001

  ホームページを開設してから、なんと3年半が経ちました。あと半年経てば、このまま何も更新もしなくても自動的に4周年を迎えてしまいます。

 完全にマンネリ化してます。日記や料理、たまに FIELD OF VIEW のコーナーを更新するぐらいで、ホームページとしては魅力・やる気、共に無しです(それでもゲストブックや掲示板の書き込みには律儀にお返事させていただいてまぁす)。人、来なぇし、チョット危機感、感じちゃってるミタイナぁ?昔はそんなコトまったく無かったんだけど、ここ1年半ぐらい、ほとんど自分のページの宣伝をしていません。宣伝というのは、つまり他の人たちのホームページで優しく「来てね♪」と書き残したり、巨大リンク集に登録したり、ウェブリングに登録したり(コレはやった)。現在、ホームページに来る人のほとんどが間違えて来た人か、お情けで定期的に来て頂いている人のどちらかなんですね。このままではダメですね、ハイ。

 手始めに、ホームページのデザインを一変しようかと思います。10月初旬〜中旬をメドに。トップページが今のデザインに定着してから、すでに1年以上経っています。デザインというのは、トップページにあるあの黒いシルエットにまつわるやつのコトです。あのシルエット、誰だか分かります?っていうか、人間のシルエットだって気付いてくれていましたか?インターネットのどっかでダウンロードした、某有名芸能人・Kサンの画像を切り抜き加工したものなのです。

 FIELD OF VIEW のファンページ作ってる方でも、あ、このページのデザインいいなぁ、と思うのがいくつかあります。女性管理人サイトに多いですね。すごい技術なんて使ってなくていい、構成の良さと見やすさ、色使いなどが重要なのです。ここのホームページは情報量じゃ絶対に他には勝てないシニカルなサイトなので、もっとスッキリさせます。ちなみに、全 FIELD OF VIEW ファンページの中で、文字数だけならどこよりも多い自信があります(「一応」画像数もな)。今のここのホームページは、デザインがバラバラです。構造改革します。まずは FIELD OF VIEW のコーナーを民営化だ!

 ウェブ・デザインは、すでに一種のアート分野として確立されています(多分)。いかに沢山の情報を見やすく整理整頓し、色調を考え、構成(構造)が分かりやすいかなどがキーポイントです。自分のお部屋のデザインと一緒ですね。キチンと家具を揃えたり、カーテンの色などを考えたり、っていう感じに。ウェブ・デザインの良いホームページは、人の目を集めます。中身はどうであれ、やはり第一印象というのも大事でしょう。また、いくら欲しい情報が満載していても、見難かったり、どこに行けばあるのか分からなければ失格なのです。大企業のサイトなんて、技術的にもデザインもスゴイのが多いですよね(アレはプロが作ってるけど)。でも、インパクのページはダメです。

 多くの人がパソコン・インターネット環境に親しむようになり、ホームページ作りも決して難しいものではなくなってきました。今では専用作成ソフトも山ほどあるし、デザインに使える画像もネット上に「フリー素材」として無料で配られています。フリー画像を巧みに忠実に使えば、一定の見やすいウェブサイトは完成します。ただ、飽くまでも他人の受け売りといった感じが強く、下手すると自分とまったく同じようなデザインのホームページがどこかで見つかるかもしれません。

 とりあえず、Kサンはやめます。もうKサンには頼りません。今までどうもありがとうございました。コレからもお仕事頑張ってください。







Sep / 15 / 2001

 「あんなモノ こんなモノ いっぱいあるけど」

 ★★★連載20

こげぱん♪



 オレは硬派だ。今は高校も卒業して昔よりは少し落ち着いたが、高校の頃は悪(ワル)だった。飲酒、喫煙、賭博行為、無言電話、窃盗、無免許運転、喧嘩・・・一通りやった。盗んだバイクで走り出したり、夜の校舎の窓ガラスを壊してまわったのも、今となっちゃあ良い思い出だ。昔の仲間たちは未だにオレを恐れ、慕ってくれている。

 そんなオレにも、一つだけ弱点がある。「こげぱん」だ。パン屋さんで間違って焦げてしまったパンが、「どうせ捨てるんでしょ?」とやさぐれる人気キャラクターだ。キャラクターグッズも多く発売されている。オレの見た目も中身も悪党で、女もまったく興味ねえが、このカワイイこげぱんにはどうしても弱いんだ。高校の時も、こげぱんグッズを多く買った。地元で買うと知り合いに見つかっちまうので、わざわざ遠く離れた町まで買いに出かけた。硬派なオレは携帯電話なぞチャラチャラしたものは持っていないが、こげぱんの携帯ストラップは持っている。学校には絶対に持っていけねえが、こげぱんの下敷き、シャープペンなどの文房具を持っている。オレがこんなモノを買って持っているコトがもし世間にばれたら、もうオレの硬派なイメージは台無しだ!

 こないだ、オレはとうとう、かねてから欲しかったこげぱんグッズを買いに行った。すごく勇気がいた。オレが欲しかったのは、こげぱんの人形(税抜き価格580円)。しかし、この人形オレの地元の店でしか売ってねえんだ!!!地元は怖い。高校の頃につるんでたノブユキやトミアキにもしバッタリ会ってしまったら、オレはもうこの町から出て行くしかねえ。

 幸い、こげぱん人形は買えた。しかし、楽じゃなかった。まず、近くに知り合いがいないかどうか、常に気を配らないといけない。何気ない様子を演出するため、定員に「こげぱんとかいうキャラクターのもの、売ってるか?」と聞いて売場を教えてもらった。また、人形だけ買ってレジに並ぶのも辛いので、使いもしねえフォルダや原稿用紙といった文房具を山ほど買った。木を隠すなら森の中、ってやつだ。それでも、レジの姉ちゃんの視線が痛え。そりゃそうだろう、ごっつい悪党面の男が、山ほどの文房具とこげぱん人形を持って来たんだ。余計な文房具をたくさん買ってしまったため、予想外の大出費になっちまった・・。

 ダッシュで家へ戻った。早速袋を開け、こげぱん人形を取り出す。改めて見ると、かっわいいいい!!もう説明のしようが無いぐらい、愛らしい。机の上に置いて飾るのも良し。部屋の隅に置いてウジウジさせるのも良し。もう、「このぉっ!!」って抱きしめちゃいたいぐらいかわいいんだ!!

 こげぱんが大好き。オレは一生、この秘密を守り通さねばならない。辛いぜ。








Sep / 16 / 2001

 九州サイクリング編・その(4)

矢岳付近


 旅行中の小話をちょこちょこと紹介。

(1)京都が大阪より東京よりにあるコトを初めて知った。常識?

(2)広島って、思ったよりずっと大阪から遠かった。もっと近いものかと思ってた。

(3)下関からトンネルで九州へはアッという間。地図で見ると、本当に近い。

(4)小倉駅で乗り換えの際、トイレ(個室)に行った。紙が無い!!何か紙の代わりになるものを探したが、唯一あったのが GATSBY の顔をふくあの濡れた布切れ。コレでふいたら、その後しばらくはケツがスースーしてすっごく涼しかったヨぉ!!

(5)長崎へ行く途中、博多で下車し、博多で一番というラーメン屋「一蘭」へ行った。店の前には来店した芸能人の写真やサインがたくさん貼ってあった。店は効率性を重視しすぎてて、ラーメン屋って感じがしない。おいしかったけど、そんな絶賛されるほどかどうかは微妙だのう。

(6)長崎では健康ランドに泊まった。実に2日ぶりの風呂だった。天国だった。こんなに風呂が気持ち良いものだとは知らなかった。

(7)島原の街の近くで会って話したおばあちゃんの話によると、陰と陽の関係で、どうやら僕は顔の四角い女性と結婚するのが良いらしい・・・・。

(8)律儀な僕はバイト先へのお土産を買った。最初は1箱1500円ぐらいするカステラを3つ(2つバイトやってるし)を買い東京まで送ることにしたが、いざ金を払う段階で、目の前に1箱(大きい)300円チョットの「ぼんたん飴」があった。バイト先へのお土産など、コレで充分だ!結局、コレを4箱買った。ちなみにバイト先では喜ばれた。

(9)台風11号のせいで、1日足止めをくらった!時速15kmと、自転車並の速度で進む台風だった。

(10)屋久島の山登りの後の筋肉痛は酷かった。自転車を乗る時に使う足の筋肉とは違うのか?

(11)種子島の宇宙が丘でロケット発射を待っている間、週刊新潮の人に話しかけられ、写真をたくさん撮られた。週刊新潮では、H2Aロケットに関しては他の新聞雑誌とは違った角度で記事を書くので、「ロケットを見に来ていた人たち」を取材し写真を撮っていたのだ。ちょうど僕らは朝ご飯にラーメンを鍋に入れてつくっていたところだった。有名週刊誌に自分たちの写真が載るコトに期待したが、載らなかった。新宿歌舞伎町のビル火災という事件の写真が、僕らの写真を雑誌から弾き出したのである。

(12)後に新聞で読んで知ったのだが、種子島の H2A ロケットは無事に軌道に乗って成功はしたものの、ロケットの2つあった映像カメラのうち1つは壊れてしまったらしい。まだまだ問題も多いようだ。頑張れ宇宙開発事業団。

(13)地図の上で計った自転車での大体の総走行距離は560km。他の子の自転車についていたメーターによると624km強。回り道や、道もクネクネ走っているので、これぐらいは走っているのだろう。

(14)サイクリング旅行中の野宿率は約70%弱。野宿以外の寝床は健康ランド、ユースホステル、民宿などだ。

(15)大阪ではたこ焼き、いか焼き、洋食焼き。岡山ではキビダンゴ。広島ではお好み焼き。博多では豚骨ラーメン。長崎ではちゃんぽん。熊本では馬刺、辛子レンコン。鹿児島では黒豚のロースカツ。屋久島では飛び魚。けっこう各地の名物を食べた。

(16)道中、多くの人と出会って話すことができた。民宿の人や、地元の温泉で会った人、街で話しかけてくれた人。みんな親切だった。貴重な話も聞けた。九州の人たちありがとう!

(17)来年は、行くとしたら北海道へ行きたいナ。







Sep / 25 / 2001

 あまり読書家ではない。最近は前よりは読むようになったが、これまで世界の名作や、有名な文豪の書いた本を多く読んできたわけではない。人間の書く文章というのは、やはり誰かから影響されていると思われる。態度、仕草、ファッション、話し方などのように。さて、そんな自分に「もしかしたら多少は影響されているんじゃないか」な人達を紹介。

 僕が大好きなエッセイストは、さくらももこ、椎名誠、東海林さだお。この3人のエッセー(もしくは小説)の書き方には共通する部分もあり、それぞれの特徴も多い。自分の周りの出来事をオモシロオカシク伝えるコトがものすごく上手いと思う。情景が思い浮かべられ、ユーモアがあり、読みやすい。僕がそんな彼らにわずかでも影響されているのではと思うのは、もしかしたらものすごく大袈裟なのかもしれないが、自分は彼らのようなエッセーを書く人に憧れる。そんな人になりたいな。







Sep / 29 / 2001

 英国皇室チャールス皇太子の御子息、ウィリアム王子は19歳。オレと同い年。今年、大学に入学した(なんでも特別な英国の習慣に従い一年間 浪人 入学の期間を空けたらしい)。あの王子はハンサムだな。亡くなった母親のダイアナさんによく似ている。オレも日本国内じゃぁけっこういい線いってるけど、やっぱり世界は広いね。彼にはちょっと負けるかな。ゴルフでいう、2アンダーぐらいの差だろうな。あぁ、そうそう。ユニクロがイギリスで開店したらしい(初の海外進出)。ユニクロっていうと、日本じゃ高級ブランドじゃない大衆向けの、比較的「オシャレ」とは呼べないブランドだよな。王子が「ユニクロの服ってイケテルよね、ナウイよね」とか言って全身ユニクロで通学しはじめたら、・・・・・・・・・・・・この(オシャレな)オレの逆転もありえるよね!!






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