|
FIELD OF VIEW Tomorrow55 の3周年を記念して作った、1998年5月から2000年12月までの Fov Diary の、厳選に厳選を重ねたベスト版(私選集)です。当時の様子が分かるものや、エッセイっぽいのを中心に集め、できる限り内輪関係は減らしたつもりです。Fov Diary はその名の通り、元々は FIELD OF VIEW について語る日記(?)だったはずなのですが、現在では、もっぱら自分のマヌケな生活のコトばかりを書く日記となっております。
僕は小さい頃から、親の仕事の関係で長く海外生活を送ってきました。96年9月、慶應義塾ニューヨーク学院に9年生(日本の中学3年生)として入学し、そこで初めて親元を離れ、寮生活を始めました。この日記は、98年の5月、僕が10年生(高校1年生)だった頃からスタートしています。夏休みや冬休みは、日本に帰って過ごしていました。そして12年生(高校3年生)になり、2000年6月に卒業しました。このベスト版では、卒業した後の12月までが含まれております。読んでいて、やや分かりにくい個所があると思われますが大目に見てください。 これらの文章は基本的に、オリジナルには手を加えていません。オリジナルの方にはありませんでしたが、一部、当時の写真を載せてあります。 |
|
1998 May / 30 / 1998 (1998年 5月30日) 今日は、一人孤独に”君がいたから”の素晴らしさを語ろうか。一言じゃ言えないけど・・・・やっぱりいい曲だと思う。この曲を聞いてると、プリエントリー・プログラムを思い出す。このプリエントリー・プログラム(プリエン)っていうのは、うちの学校に入学(9月から)する前に、学校に馴染ませようと夏、8月頃に2週間新入生が寮に住んで実施されるプログラムのこと。初めて会った友達との出会いや、暑いニューヨークの夏を思い出す。その時、初めてできた友達、マサル君が持ってたカセットテープの中に”君がいたから”が入ってた。当時、僕はフォヴの知識は殆どなかった。それに、その夏はもうフォブがデビューしてから1年も経った夏だった。初めて”君がいたから”を聞いた時、感動した。本当に感動した。それまでは”突然”しか知らなかったけど(これもかなーりすきだったけど)、この曲を聞いて、一気にフォヴにはまりだした。オープニングの”スワァー”って部分、浅岡さんの透き通った声、ギター、バックボーカル、迫力、詩の良さ、テンポ、どれを取っても最高だったなぁー。うんうん。そして、プリエンが終わった時、ニューヨークの日本の本屋さんで、フォブの1stアルバムを買いました。そして、また感動。夏の浅く、人には言えない切ない思いでの全てが、この曲に染み込まれています。今でもこの曲を聞くと、あの夏を思い出す・・・・・。 Jul / 29 / 1998 (1998年 7月29日) と、ゆーわけで昨日、ダイエーのレコード屋さんで”めぐる季節を越えて”を買ってきました!!昼ごろ行ったんですが、丁度入荷して、これから棚に並べるというところでした。おそらく、その店でそのCDを買ったのは僕が一番のりでしょう。ちょっと嬉しいかも。 帰って早速聞いてみました。やっぱりオリジナル!!フォヴの音楽って感じがして、一つ前の”渇いた叫び”とは異なる雰囲気です。今回もいい曲です、好きですね。オープニングからヴォーカルが入ることは、僕もなんとなく予想していたのか、お〜やっぱりな、という思いがしました。どんどん上へ、上へと上がっていく様な曲ですね〜。ギターにかかっているディストーションから、なんとなくビートルズを連想させましたが。Rainy dayをさらにFOVらしくさせたような気がしましたね。まだ買ってない人は買いましょー。 表紙もなかなかいい感じ。イギリスの紅茶の缶に見えたけどね。裏を見ると、今までのフォヴとは違った雰囲気を漂わせる裏面でしたね。この紅茶の缶、ほしいぞ。もう一つ感じたのが、浅岡さんがこういう4人そろって出る時に、隅(はしっこ)に写るのは珍しい、というかなかなかないんじゃないでしょーか。それにしても、新津さんが美形になってゆく・・・。 果たして今回のシングルはどこまで売れるか。 Oct / 12 / 1998 (1998年 10月12日) 昨日、10月11日日曜日、学校の寮生だけでバレーボールのトーナメント戦があった。全部で12チームぐらいあり、優勝したチームには豪華夕食にご招待だかなんだかの商品までもらえるというもの。体育館でバレーをやりつつも、外のフィールドではホットドッグなどが食べられる簡単なバーベキューも用意されていた。うちのチームは一回戦、敗者復活戦とも両方負けたので、わずか2回で終わってしまったので、僕は後半、殆ど友達とフィールドでサッカーをやって遊んでいた。 だが、僕は現場にはいなかったが、僕のクラスのヒロという子が、バレーでスパイクをして着地した時に足の骨を三箇所も折ってしまい、病院に運ばれてしまった。折った場所は足の上(ももの近く)の方の骨、ひざ、足腰あたりの骨らしい。着地した瞬間に”パンッ”という大きな音がして折ってしまったらしく、昨夜、13日に行われる学校の球技大会の応援の練習をしている最中に病院から車椅子に乗って帰ってきた(本当はもう少し前に帰ってきているらしいけど、僕が彼を見たのはその時)。右足には、足全体にギブスを巻いており、全治三ヶ月との重体とのこと。 ヒロは空手部の主将であり、ZIONという部活(HIP-HOP部ともいう、ラップなどのダンスで踊る部活、我が学校で最もかっこいい部活の一つ)の一員でもある(後、ブラバンのサックス担当)。全治三ヶ月とのことだから、当分、空手もダンスもできないわけだし、その後も当分リハビリなどが必要であろう。普通の奴だったら思いっきり落ち込むと思うが、ヒロはそんな様子はあまり見せていなかった。ただ、内心かなり悔しかったにちがいないが、そんな想いを外に出さない奴もそうはいないので、けっこう立派だと思って感心してしまった。まぁ、もし僕が彼の立場だったら今ごろ、かなり落ち込んでいたことと思う。 僕は生まれて一回も骨を折ったことがない身分なので、骨折というものがどれほど私生活に影響を及ぼすものかどうかは知らない。ヒロの場合、右足がすっぽりギブスに包まれているので、移動、食事、シャワー、トイレ、勉強、何を取っても物凄い苦労を強いられるに違いないと思う。ただ、ヒロも寮に住んでいるので、周りにはいつでも何十人も彼の助けになる奴らが沢山いるのだから、随時助けを求められるのでその点ではまだ大丈夫なのではないでしょうか。ヒロも不幸中の幸いで、尻の骨を折らなくて良かったと思う(尻の骨を折ると一生歩けない可能性もあるといわれているので)。もう一つの不幸中の幸いは、ヒロが足の骨折という壁も、絶対に乗り越えられる強い精神力の持ち主ということだと思う。 ヒロの足が完治するのは来年の春頃になるだろうが、その時はまたみんなで本気でじゃれあいたいものだと思う。今学年の終わり、最後のダンパ(ダンスパーティー)にZIONのショーがあるのだが、その時まではヒロが復活していることを願うばかりである。 |
|
1999 Mar / 14 / 1999 (1999年 3月14日) こんばんはっ!!! FIELD OF VIEW Tomorrow55の管理人のTomorrow55ことはじめです。 え〜〜、おかげさまでこのページも無事に一周年を迎えることができましたっ!!!! いやぁ、めでたいなぁっ!!!! 祝福してくださった皆様、ありがとうございました!!! 次は二周年を目指してがんばります!!あ、その前にフォヴニ一周年だね、5月には。 Oct / 14 / 1999 (1999年10月14日) 今日、慶応義塾ニューヨーク学院にOBの橋本龍太郎前総理大臣がいらっしゃいました。木曜日の放課後、全校生徒が体育館に集合し、彼のスピーチを40分ほど聞き、その後我が剣道部の練習に参加されました。 いやぁ、さすがに今日は感動しました。多分、生徒の中で橋本前総理のファンなんて奴はいなかっただろうけど、みんなカメラ持ってワイワイワイワイ。まるで芸能人が学校に来るような、変な空気に満ちていました。何に使うのか、「焼き増しお願い♪」なんて数人に言われたし。ほら、よくテレビとかに出る人や芸能人って独特のオーラがあって、生で見ると輝いて見えるって言うじゃないですか。僕も初めてFOVを見た時は感動の一言でした。だから、多分目の前に橋本前総理がいたら、オーラパワーで僕なんか「うぎゃあ。」って言いながらどっか吹っ飛んじゃうんじゃないかって思ってたよう。そういえば、今日は風が強かったねぇ。で、体育館でいすに座って待っていたら堂々と入場して来ました。みんな「きゃー。」だの「うおー。」だの言いながら拍手したり写真撮ったり。ボディーガードらしきスーツ姿の男も数名いましたね。でも、オーラパワーは感じられませんでした。思ったより小柄で老けてる人だなぁ、っていうのが素直な感想です。もう60代だし・・。もしかしたら彼ぐらいの器になると、自分のオーラパワーを自由にコントロールでき、気を抑えることができるのかもしれないぞ。 スピーチの内容は、彼にとっての「慶応義塾」に対する想いや、彼の夢を語るといった内容でした。本当に優しく、ゆーーーっくり話してて内容は分かりやすかったのですが、退屈してる奴も多かったに違いない。で、スピーチが終わると今まで寝ていた生徒も起きて、また「おおーっ。」って叫びながら写真撮って拍手していました。剣道部は最新式の竹刀(要するに、カーボン竹刀)を30本と防具一式セットを8組も寄付していただきました。 スピーチが終わり、すぐに剣道部の練習、部員はすぐに着替え、体育館の1回に集合。ほぼ全校生徒の前での練習になってしまいました。僕は秋シーズンの体操号令係りなので、さすがにすこぉーしだけ緊張しましたが・・・。 ←☆中略☆→? 僕も橋本先生と稽古をすることができました。おそらく、この世で唯一合法的に元総理大臣の頭をたたく手段なわけでありまして。部員全員(普段練習に来ない幽霊部員まで)、一人30秒程稽古をつけていただきました。橋本先生は剣道五段(実はそこまで強くはないという話は有名)の方でしたが、部員誰一人遠慮せず、ぼっこぼこにしていました。いやぁ、面が入った時はチョット感動したね、やっぱり。うひひ。最後にキャプテンの麻生が、思いっきり橋本先生に諸手突き(片手突き)入れてました。最後は相当疲れていたようです。 この日、実は漢字テストもあって、前日かなり夜遅くまで漢字やってました(遊びながらっぽく)。睡眠時間はすっごい短くて、本当に剣道の練習まで体力持つんだろうかって心配でしたが・・・。まぁ、おかげさまで漢字テストの方も全然オッケー。自己採点95点ぐらい。 何はともあれ、今日はちょっと感動。有名人に会うだけでこんなにハイになれるんだから、人間不思議だ。写真も沢山撮らせていただきました♪しかも、剣道の稽古してる時に友達に撮ってもらったから、ツーショット!!うはは。さてさて、練習後、「消費税を5%に上げた恨みで、殺気を込めて戦いました。」と笑顔で話してた後輩がいました。その目少年のように、とても澄んだ瞳をしていました。
Nov / 01 / 1999 (1999年 11月1日) 昨日はハローウィーンでした。日本ではあまり注目されてないイベントの一つです。アメリカなどでは夜、お化けなどに変装した子供たちが近所の家に”Trick Or Treat”って言って(いたずらかお菓子か)、キャンディーを巻き上げるといった内容。あまり記憶に残ってはいないが、僕も昔やった(現にお菓子の前でにやついてる証拠写真がある)。さすがに幼稚園から小学生ぐらいまでのお子様が参加する(?)イベント(?)なわけであって、高校生になると、さすがに・・・。 ・・・・とは言ってられない。やりました、昨夜。さすがに近くの家を訪ねるわけにはいきませんでしたけど、うちの学年の寮の部屋を片山と2人で沢山まわりました。別に何に変装したわけでもないんですよ。事の始まりは夜11時ごろ、僕と片山が剣玉とヨーヨーで遊んでて(謎)、西島君って奴から何か食べ物をもらいに行こうと彼の部屋に行ったことからでした。僕は剣玉、片山はヨーヨーに手に持っていたので、西島君の部屋に入るなり、僕はとめ剣(剣玉の尖がってるところに玉をいれる技)、片山はヨーヨー一回転技を披露し、「見物料払えやオラ」と無理に食べ物を要求しました。結局、彼からは梅干を一粒もらいましたが・・・。「これはハローウィーンっぽいぞ!」ってことで、調子に乗った僕らはその後、みんなの部屋で同じ技を披露し、色々とお菓子をもらうのでした。約40分ほどの旅の後、みんなからもらったものは、梅干2粒、骸骨の形をした飴5つ、ライスクリスピーのお菓子2つ、蒟蒻ゼリー2つ、インスタントお吸い物1つ、インスタント味噌汁1つ、風船ガム4つ、キッツカッツ1つ、ハーシーズチョコレート3つ、Trident1パック、Jolly Rancher(飴)2つ、寿司のカルフォルニアロール2つ、小梅ちゃん2つ・・などなど。いやぁ、豪華ゴーカ、片山と山分け。技をちゃんと決めるとみんな「オオッ」って驚いてくれましたよ。まぁ、なかには「何やってんだ、おまえら。」みたいな目で見てくれた奴も、「うおぉ、すげえ!」って心から感動してくれた奴も、「中間試験勉強中にこんなことしてるおまえらを尊敬する。」なんて言ってくれた奴もいました。 そう、中間試験中なんですよね。今日、日本史とENGLISHがありました。ENGLISHはチョットむこうに置いといて、日本史はそこそこできた。ペリー来航、日米和親条約、日米修好通商条約、安政の大獄、桜田門外の変、下関戦争、薩長同盟、船中八策、戊辰戦争、江戸城の無血開城、榎本武揚、明治維新、文明開化・・・ってところまで。というわけで、明日は数学です。
Nov / 14 / 1999 (1999年 11月14日) 僕は思った。なぜ、、、なぜ、空はあんなに高いのだろう。いくら手を伸ばしてみても、絶対にとどかない空。あんなに高くする必要ないのに。だって、別にあんなに背が高い人いないじゃん。。おっと、少し話がおかしくなっちゃたな。えっと、だから、空は高いんだ。僕はあそこまでいきたいよ。地上の何もかもを忘れて。あの高い空へ、一直線に飛び立ちたい。F/A−18でいいんじゃん?500ノットで、一直線。爆撃オッケー、ドッグファイトオッケー。って、ちがうって?まあいいじゃん。だって、いまでも空はあんなに高いのだもの。 Presented by. TK |
|
2000 Apr / 02 / 2000 (2000年 4月2日) 今日は剣道の朝練がありました。朝練は日曜日の8時から10時まであります。朝、普段絶対に起こしにくるはずのない高山君が迎えに来てくれました。その時、時計を見たらまだ6時半だったので、「なんだ、まだ一時間もあんじゃん...」と思い、もう一回寝ました。おそらく高山君の勘違いか何かで、時計を見間違えたのだろうと勝手に思い込んでしまいました。7時半、僕は起きて剣道着に着替えたところ、トイレにいた子に「剣道ないの?今日からサマータイムだよ」と言われ、愕然としました。そう、アメリカのサマータイム。夏時間になるので、時計を一時間進めなくてはいけなかったのです。前日、寮の放送でアナウンスしていたらしいのですが、そんな事実はまったく知らず、見事朝練に一時間遅刻してしまいました。ちなみに、全剣道部員中、遅刻者たったの一名。僕です。 日本も「サマータイム導入しよっかぁ」なんてのんきなこと言ってられない。きっと、僕が体験したようなことが日本各地で起こるだろう。日本中のアホを犠牲にして。 Apr / 03 / 2000 (2000年 4月3日) 先週の土曜日、初めて田中と二人で街へ行きました。田中は謝恩会用のスーツの下見に、僕はバナリパの服を買いに。天気の良い午後の日でした。 話は今から一週間以上も前にさかのぼります。田中の部屋で服装の話になり、永松君という子(後輩だけど)から色々とファッションについて教わりました。僕は昔から、あまりファッションだの服装だの、そういったセンスにうとく、自分で洋服などを買ったりしない奴でした。夏休みや冬休み、親がいる時にデパートで必要な服を買ってもらったりしていました。母親は、もうチョットおしゃれになってもいいんじゃないのと、いつも言っておりました。そのようなことを話すと、永松君は自分の部屋からファッション雑誌を持ってきてくれて、最近の若者に流行りの服装について教えてくれました。雑誌の中には目つきの悪い金髪や茶髪の、なんか友達になれそーにない兄ちゃんたちがしゃれた格好をしていました。話によると、この格好は東京の渋谷近辺の若者のファッションであり、東京と言っても地域ごとに流行りの服装は違うんだと。ファッションに興味がある・ない以前に、僕はあまりそう言ったファッションだのなんだのが分からなかったので、ただ「う〜ん」とうなっているばかりでした。日本に帰ったら、自分もこういう格好するのかなぁと複雑な気持ちになりました。 その後、ユージンという子の部屋へ行き、ファッション雑誌(MEN'S NON-NO)と、バナリパ(BANANA REPUBLIC)というメーカーの服のカタログを借りました。MEN'S NON-NOの方は、永松君の見せてくれた雑誌よりは、まだ自分に合ってるかなぁと感じつつ、バナリパのカタログがものすごく気に入りました。「これだっ」って感じでしたね。いわゆる、メンズ・カジュアル、でしょうか。少し涼しい爽やかな格好のやつね。なんかダボダボのジーンズはいて重いジャケットを着てる服装よりは、こっちの方が自分向きだなと感じました。そうと決まったら、とりあえずバナリパの服を買いに行くしかないと、週末、田中と街へ行ったのです。 ショッピング・モールでバナリパの店を見つけ、さっそく物色。知ってはいたけど、洋服って高い。だからみんなセールになると、あんなに騒ぐんだね。田中から服選びの豆知識(?)を少し教わりながら、どれがいいかなと店内でキョロキョロしておりました。おそらく、洋服点で服を見るのを楽しいと感じたのは、あれが一生のうちはじめてだったと思います。「何もバナリパで買わなくても、他の店も見て回れば?」という田中のアドバイスを無視し、「バナリパを買いに来たんだから、絶対にここで買うっ!」と言い張り、気に入った服を見つけました。一つは黒い上着(78ドル)、ジッパーとフードがあって材質も今まで着たことのない感触のもの。これなら涼しそうだから、初夏あたりまでは着られるなと思い選びました。もう一つは、この上着の下に着る白いシャツ(15ドル)、合計約97ドルでした。今まで着たことにない感じの服でしたけど、これはかっこいいと感じました。高い買い物だったわりには、買った時の満足感は気持ち良かったです。なんか「えへへ」って気分でした。 田中も色々な店でスーツの下見をし、僕も多くの洋服店に入りました。BANANA REPUBLIC、TIMBERLAND、GAP、TOMMY、J-CREW、ALMANI EXCHANGE、BOSSなど、有名所はほとんど飽きずに物色しました。今までショッピング・モールにはよく来ていたけど、あんなに洋服店に入るのははじめてだったかもしれない・・・。 で、今日その黒い上着と白いシャツを着て学校へ行ったら、5・6人から「新しい服?なかなかいいじゃん。」と指摘され、ホントに人間って他人のことよく見てると痛感。うん、バナリパ万歳。 May / 21 / 2000 (2000年 5月21日) 今日が今年の剣道部の最終練習日でした。試験一週間前からは部活動はできなくなってしまうので、今日の日曜日に自稽古、O.B戦、最後に一年間の活動の打ち上げが行われました。 入学したての頃、何の部活に入ろうか。なんか、あまり深く考えずに、剣道部に入ることに決めたと思います。実は小学校4年生の頃、少しだけやったこともあったのですが。けっこう他の子たちは同学年の経験者の子(飯田だけど)に勧誘されて入部したケースが多かったみたいですが、僕(と和田ポン)は自分で決めました。9年の頃、入部希望者は放課後、どこかの教室に集まってミーティングという日がありました。僕は少し遅れてミーティングをしていた部屋に入り、席についたのを覚えています。クラスに入った時、「あ、うちの学年もけっこういるな」と気付きました。それ以来、剣道を通して同学年・先輩後輩を問わず、多くの仲間と出会い、たくさんのことを教わりました。途中で部活を辞めていった人も大勢いましたが、やはり最後まで続けたことを、自分で自分を少しは誉めています。9年の頃、まさか最後まで続けるなんて思っていたのだろうか。 高校生活最後の年、今年の剣道部は例年とまったく違い、気合が入ってまとまった一年でした。その理由の一つとして挙げられるのが、キャプテンの麻生の人柄と部のまとめ方でしょう。彼の口癖(?)は「感謝の気持ちを忘れずに」と「剣道部はスポーツクラブじゃなくて武道クラブであることを忘れないでください」かな。今年の剣道部は橋本龍太郎元首相訪問から始まり、一周間の合宿、シカゴへの延性試合、年末の紅白戦、多くの対外試合などなど、ものすごい成長を遂げました。実際にやったコト以外にも、今年の剣道部は仲が非常に良くてまとまっており、気合(と爽やかさ)に溢れた部活でした。多分、過去に卒業した先輩方には、少し想像できないかもしれません。環境にも恵まれており、全米ヘッドコーチである加藤先生、大勢のO.Bの方々、優しく強い先輩と頼もしい後輩、実に様々な面で恵まれていたと思います。事実、今年卒業する代の剣道部は歴代最強だと思います。もちろん、今の部活の良いまとまりを来年にも活かし、さらなる歴代最強部活を目指してほしいと思います。 この学校での最後の練習が終わりました。放課後の練習で汗を流したり、眠い朝に起きて朝練をすることも、もうないんだなと思うと、すごく悲しくなりました。それはきっと、この四年間、剣道を続けてがんばってきたから。練習後、防具の後片付けをしていて、「終わったんだなぁ」と頭では分かっていても、どうしても、また次の水曜日の放課後、練習があるような気がして・・・。その時、同じ学年の奈央子と「長かったねぇ〜」なんて話してたけど、実はかなり泣いてた。必死でこらえてたんだけど、どうしてもね。少なくとも後輩達の前では、涙は見せませんでしたが(意地っ張りな性分なので)。最後に道場を出る時、過去四年間の全てに大きな声で「ありがとうございましたっ!!」と叫びました。 加藤先生、放課後の練習や朝練をいつも欠かさず週5日も指導しにきていただき、ありがとうございました。倉岡先生、岡田先生、平石先生、増子先生、大河先生、竹内先生、仮屋園先生、岩松先生、片桐先生、毎週日曜日、忙しい中朝練に来ていただき、厳しい指導をありがとうございました。重松さん、宮本さん、栗ケンさん、倉田さん、田川さん、仲田さん、浅野さん、長畑さん、SOMAYAさん、巴樹さん、あずささん、仲谷さん、佐藤さん、どうもお世話になりました。宮本、ゆうごう、石垣、鎌田、山内、長島、杉野、黒田君、作田ちゃん、下山、武政、横山、八代、なっちゃん、あずさ、浅野君、赤星、塩見君、G、増子さん、吉岡君、加藤君、どうもありがとう&来年もがんばれ!!そして、麻生、飯田、則安、タカユキ、片山、セイヤー田中、和田ポン、ハンプ、仲地、奈央子、加奈子、瀬梨乃、お疲れ様&大学でも剣道しようね!! Always Remember!!!「継続は力なり!!」
Jun / 10 / 2000 (2000年 6月10日) 4年前、はじめてこの学校に入ってからたくさんの友達と出会い、多くの人に支えられ、今日僕は卒業しました。さようなら、高校生活。そんな長くは書けないけど、自分がとうとう「卒業」という立場に立ってしまったのかと、実感は50%ほどしか沸いてきません。明日、日本へ帰ります。今年の9月、または来年の4月からは大学生です。もう「大」がつく年頃、大人になるんですね。人生の中で一番「青春」した高校生活、慶応義塾ニューヨーク学院、バイバイ。Class of 2000, Forever!!! Thank You, Everyone.
Jun / 16 / 2000 (2000年 6月16日) 最近のお気に入りの曲は、モーニング娘。の「ハッピー・サマー・ウェディング」。ぱらっぱぱ、ぱらっぱぱ、ぱらっぱぱっぱっぱ〜♪♪っていう、なんとも能天気な曲で、僕の心をしっかりとつかみました。携帯の着メロにもしています。ん?携帯電話?そうです、買いました。日本に帰って来ています。 11日の退寮の日。前日からずっと徹夜で荷造りをしたり遊んだりしていて、朝になってすごく眠たかった。おまけに荷物は5つもあって、何が入っているのかものすごく重く、寝不足で弱っている僕の体にはこたえました。生徒によって帰るルートは違うし、夏休みはアメリカに残る生徒も大瀬いたので、みんなバラバラ。僕はけっこう人数が多かったJALのパックで帰りました。寮から飛行場へ向かうバスに乗る前、まだ帰らない生徒たちが大勢、みんなを見送りに寮の前まで来てくれました。泣いてる生徒もいたし、「夏、会おうね〜♪」と笑って別れる生徒もいました。みんなと別れるといっても、結局は大学で会うことになるんだし、仲の良い友達とは夏休みに会う予定だから、別に悲しくはありませんでした。学校から離れるのは寂しいけど、また来年、ニューヨークに遊びに来てもいいかなと思っています(お金があれば、ね)。・・・けど、泣きました。「田中君に春を呼ぼうの会」で知られている(?)田中君。彼は日本の大学ではなく、アメリカの大学へ進むことにしました。うちの学年でアメリカの大学へ行くのは彼一人で、彼自身が色々と夢見て決めたことで、この先ずっと日本で応援してゆくつもりです。大学は別でも、絶対にまた会えるし、メールとかチャットなどで話す機会もあるから、これが「さようなら」じゃないんだよっ、・・・と、分かっていたつもりだったのですが・・。バスにエンジンがかかり、飛行場へ行く生徒はバスに乗り込まなければならない時、他の誰よりも田中と抱き合いました(こーゆーところ、アメリカらしいよなぁ)。4年間もずっと一緒にいて、仲の良い友達であり、この先もずっと付き合ってゆくことになるんだけど、やっぱり離れ離れは寂しい。バスに乗って、中から田中を見ると、不思議と涙が出てきました。考えてみれば、田中のために泣いたのなんてこれが初めて(最初で最後か?)でした。いやぁ、人間ああいう場面では泣くもんだな。バスの窓ガラスが少し黒いやつだったから、外にいた田中達には涙とか見えなかっただろうけど、うん、青春だ。っていうか、田中ここのページ見てないだろうなぁ。恥ずかしいぞ、こんなこと書いてるの見られてたら。 日本に帰って来てからの僕の行動は素早く、早速携帯電話と以前から欲しかった(実際に夢にまで出てきた)自転車を購入しました。携帯電話はIDOのcdma1っていう、織田裕二が宣伝してるやつ。別に織田裕二じゃなくて藤原ノリカでも広末でも良かったんだけど、e-mailが使えるやつなら何でも良かったし、IDOの専門店が家の近所だったため、これを買うことにしました。まだ説明書を全部読んでないので、使い方は完璧に覚えていませんが、どこからか電話がかかってくると嬉しいもんですね。「だ、誰からだろ〜♪」とウキウキしながら、「ハッピー・サマー・ウェディング」を流すマイ・愛しの携帯に飛びつくわけです。自転車の方はママチャリです。マウンテン・バイク買えば?って声もあったんだけど、ほら、ママチャリってかっこいいじゃん?あのフロントについてるかご、あれが便利そうだったから。自転車は15900円して、この三日間、近辺の街で乗りまわしています。車や歩行者に気をつけなければいけないけれど、風になれてすごく楽しいです。ちなみにビックリマン・チョコの「大トロ」ってシールを貼って、「大トロ号」と名付けました。実に豪華な名前のママチャリですよね。 夏休みはまだまだ長いし、大学に入るまでまだまだ時間もあります。その間に車の免許を取らなくちゃいけないし、何か楽器をはじめてみたい気もするし、みんなと会って遊びたいし、剣道もどこかでやりたいし・・・・とやりたいことはたくさんあります。ま、焦らず慌てず、長い夏休みをエンジョイしたいと思います。去年の夏は非常に充実してて楽しかった。今年の夏はどうなるのかな?
Jun / 28 / 2000 (2000年 6月28日) 夏休みだけの短期バイトとして、日通・ペリカン便の仕分け作業のバイトを始めました。時給950円と、過去経験したバイトでは最高額。それだけに仕事もハードで、初日は仕事がまだ分からないということもあり、けっこう疲れました。バイト募集の広告欄を見て面接を受けたんだけど、運良く採用。これで、今のところ、僕は就職率100%。バイト募集広告見て、すっかり昼ご飯はただで支給されるものだと思っていたのに、食堂で金払って食べました。帰って来て広告をよーくみたら、「食堂完備」と書いてあるだけで、「食事支給」とはどこにも書いていなかった。思い込みって恐い。結局、350円のカレー食べたんだけどね。まぁ、このペリカン便のバイトの話は、これからもぼちぼちと(愚痴話を)書いて行きたいと思います。・・・ズボンのウェストのサイズが大きすぎるとかさぁ・・・。 Sep / 17 / 2000 (2000年 9月17日) とうとうこの日がやってきたのか・・・と、はじめ君は思った。彼は自信が無かった。果たして自分ので、ちゃんとできるのだろうか・・。そう、あれは我が家にISDNっていう近未来なキテレツ君の発明がやってきた時だった。我が家の親のパソコン2台は、多少てこずりながらも無事にISDNの波に乗ることができた。ところが僕のFMVビブロ君は、ケーブルさえ認識しない始末。修理に出そうか迷ったが、修理代もバカにならないので、えーい、こうなったら新しいパソコンカッチャエ! 買いました。SONYのVAIOっていうパソコンです。僕はパソコンの性能を見る、ペンティアムだの、ラムだの、インテルだのの違いが全然分からないので(唯一分かるのはハードディスクの容量)、そのパソコンで何ができちゃうかで決めました。前からVAIOってヤツはいろんなことができるらしいぜ、と巷で聞いていたので、ミーハーな僕は買うと決めた時からVAIOしかないと感じていました。いくつかのVAIO機種の中から選んだのが・・・えーと・・ばいおMXなんとか・・・なんとか。パソコンの外側見ても書いてないぞ、機種名が。このバイオはDVDが見られて、MDが聴けて、TVチューナーも内蔵されているというツワモノで、親に借金して購入しました(1/3も負担してくれました)。 色々いじくってみても、さすがに早いです。ISDNにも何の問題も無く接続でき、快適なネットサーフィンを楽しんでいます。さて、このパソコンに名前をつけてあげました。ばいおっていう名前から、梅夫(うめお)君と名付けました。今後よろしゅう。
Dec / 07 / 2000 (2000年 12月7日) 20世紀最後の一ヶ月になり、ついこないだ、どうして加藤あいがNTTドコモのコマーシャルに出ているのかがやーっと分かりました。加藤あいの「あい」と、i-modeの「あい」をかけてるんですね。バイト先へ向かう途中、自転車をこいでる時にフッと気付いたのです。NTTドコモ、侮りがたし。 注意 : 実際はどうだか知りません。 そんなボクの携帯電話はIDO(現AU)のcdma Oneを使用しております。最近の携帯電話の新機種は、デジカメになったり音楽が聴けたりと多機能なようですが、ボクの携帯はたいしたコトできません。それでも、CメールとEメールぐらいは使えますよ。で、ボクが発見したIDOの秘密。ボクの携帯で「どこも」と入力して変換しても、絶対に出てくるのは「ドコモ」ではなく、「どこも」なのです。普通、こういったモノには学習機能があり、よく使われる同じ読み方の言葉などでは一応優先順位みたいなモノがつけられるのですが、いくら「どこも」を「ドコモ」と変換して学習させようとしても、一向に学びません。5回ぐらい覚えさせてもダメでした。とにかく変換しても「どこも」が一番最初に出てくるのです。そんなIDOの攻撃的な姿勢が大好きです。IDO、侮りがたし。 注意 : ボクのIDOの機種のみの確認なので他のIDOの携帯は知りません。 |