| Fov Diary 2001年と2002年からの私選集です。相変わらず内輪っぽいのばかりですが、まぁ、楽しめるのではないかと。2001年4月に大学生になったので、主に大学1年&2年の日記ってコトになりますね。基本的には元の本文とまったく同じで、手は加えておりません。 |
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2001年
Feb / 13 / 2001 (2001年 2月13日) 「あんなモノ こんなモノ いっぱいあるけど」 ★★★連載03 ![]() 昨年6月に卒業し、ボクは日本に帰って来たんだ。ボクは・・そう、何か新しいことを始めたかったんだ。卒業し、翌年大学へ入るまでは10ヶ月近くある。その長い期間を無駄に過ごさないためにも、何か新しいことを始めようとしたんだ。そして、何か楽器を新しく覚えようと決めたんだ。ボクは前からクラリネットはちょこっと吹くことができた。ギター、キーボード、ベースなどは憧れだった。けど、値段が高かったんだ。どれも安くて2万円ぐらいしちゃう。 そんな時に、このオカリナと出会ったんだ。この出会いが、ボクの人生を変えたね。楽器売り場で800円だったんだ、コレ。この800円プラスチックオカリナで基礎を覚え、次に買う時はもっとちゃんとした、高い石のオカリナを買おうと決めたんだよ、ホントだよ。あ、そうそう。「4週間スピードマスター・基礎からのオカリナ CD付き」っていう、オカリナの基礎入門の本を買った。こっちは・・1900円。コレは高いね。高すぎるよ。けど、ボクはこのオカリナで風になるつもりだったんだ。・・・いや、風じゃなくって「ムーミン」に出てくるスナフキンってやつだ。やつはオカリナ吹いてるぞ。 家でしばらく練習したよ。けど、親からは不評だった。安い楽器の下手な演奏なんて聴きたくないんだって。ヒドイよヒドイよ。そんな向かい風にも負けず、ボクは練習を続けた。ところが、ある事件が起きたんだ。それは「LESSON17・ヘ長調の音階」だ。へ長調の音階っていうのは、分からない人のために説明してあげると、これは「ファ」の音を基点とし、シ♭の音を含む音階のことを指すんだ(って本に書いてあったよ!)。この音階を演奏するには、オカリナを右手で、上面にある小さな穴(2つある)をふさいで吹く必要がある。けど、ボクのオカリナにはそれが無かったんだ。そう、あまりにも安物のオカリナだったため、♭を演奏することができなかった。そして、ボクはオカリナを吹かなくなった。去年の夏の一時だった・・・。 May / 06 / 2001 (2001年 5月6日) 松浦亜弥というアイドル歌手をご存知だろうか?簡単にプロフィールを紹介すると、彼女は、つんく系のオーディションを受けて見事1500人の中から合格し、4月18日にシングル「ドッキドキ!LOVEメール」で歌手デビューした14歳の新人アイドル。それ以前にも、「美少女教育」というテレビ番組に登場していたそうだ(見たコトないけど)。プロダクション側の宣伝費は5億円にも上るそうで、期待の新人として売り出そうとしているワケなのだ。 僕が松浦亜弥を初めて知ったのは、実はついこないだ。「HEY HEY HEY」、「うたばん」、「MUSIC STATION」などの音楽番組に立て続けに出演していたタメ、顔と名前と曲を覚えてしまった。この松浦亜弥、どういうワケだか、僕の周りの友達5、6人に受けている。「かわいい」とか言ってる。僕も、まぁかわいいとは思うけど、そんなファンになるほど好きってワケでもなかった。 その松浦亜弥のイベント・握手会が5月6日、横浜ランドマークプラザで行なわれた。彼女のファンの一人で、高校時代は剣道部の部長だった麻生がいち早くこの情報を手に入れ、ゴールデン・ウィーク前から「絶対行く」とはりきっていた。僕もイベントに興味があり、松浦亜弥も見てみたかったので、着いて行くコトにした。「社会見聞を広めるタメ」という建前も作っておいた。だって、硬派だから。
当日、イベントに行くコトになったのは、麻生、僕、そして前の晩に初めて松浦亜弥を麻生から教えてもらったイヨベの3人。たまたま麻生が前の晩にイヨベの家に泊まったタメ、彼も付いて行くハメになったのだ。イベントは11時から始まるのだが、10時40分に僕らがようやく着いた頃には、もう松浦亜弥のファン達がうじゃうじゃ。ステージ付近は、前の日の夜9時から並んでいたと言う強者どもが占領していたタメ、僕らは上の方の階からステージを見下ろすコトになった(ランドマークは建物がフキヌケなのだ)。
例の強者どもが「あーや!!あーや!!」と男っぽいコールを繰り返し、11時頃、ようやくイベント開始。イベント関係者が松浦亜弥を紹介し、なんか銀色のフリフリのついた、なかなか派手な格好で登場した。デビュー曲「ドッキドキ!LOVEメール」を歌い、司会がいくつか質問し、カップリングの「待ち合わせ」を歌い、少し宣伝、ダンスの振りを少し披露し、最後にはもう一回「ドッキドキ!LOVEメール」を歌い(新人のタメ、持ち歌が少ない)イベント終了。この後は、新星堂で松浦亜弥のCDを買って整理券を持っていたファンのみ、握手会で彼女と握手するコトが出来たのだ。 僕らがいた場所からは、松浦亜弥の表情まではよく見えなかったが、歌も聴けたし、何しろ芸能人を生で見るコトが出来たのが嬉しい。見物客(ファン)は、基本的に若い男が9割だが、中学生ぐらいの女の子や、歌に合わせて踊る40代ぐらいのおっさん、たまたまランドマークに来たと思われるおじいさんも松浦亜弥を眺めていた。
イベント後、麻生は「14歳の女の子がこれだけ多くの人の前で歌ったりして、たいしたもんだ」としきりに感心し、「声がかわいいっ」と喜んでいた。イベント前までは散々バカにしていたイヨベも、「あの曲はいいよ」なんて心を変えて、「チョットだけいいかも」なんて言っていた。・・・僕?僕は、えー、「歌がうまいね」と思いました。ハイ。 天気が良かったゴールデン・ウィークの最後の日、硬派な麻生(剣道)、僕(剣道)、イヨベ(ラグビー)は松浦亜弥のイベント行き、昼飯食って、桜木町をチョット見物して過ごしたわけサ。 Jun / 10 / 2001 (2001年 6月10日) そろそろバイト始めないとなー、そろそろバイト始めないとなー・・・と思いつつ、5月は姿を消した。バイトなどしなくても生きていく分には困らないのだが、色々と必要なモノが出てきたのだ。思えば、4月・5月と、暇な時はひたすら「ぼけー」とテレビを眺めていた気がする。 さて、そんな僕が「ここでバイトしよっかな」と思った場所は近所の回転寿司屋。ファミリー寿司というキャッチコピーが入っている、回転寿司のチェーン店であり、僕はそれまで知らなかったが、そこそこ全国区で有名だそうだ。バイト先選びに、ここを選んだ理由はいくつかある。まず、家から徒歩2分と近い。時給は850円〜と、まずまず。そして、夜、閉店する時、あまった(売られずに回転し続けた)寿司とか食べられないかな・・という、いやしい魂胆もあったのも認める。それ以外にも寿司をにぎるコトに興味がわき、一番楽しみだったのは、イクラの粒粒をのせる作業にあった。 6月2日にバイトの面接を受けた。予想してはいたが、やはり派手な経歴の履歴書に社員ビックリ。「日本語は・・大丈夫だよね?」という質問もされた。その後、社員が他のバイト君たちに「変なのが来たぞ」と言ったに違いないのだが、働き始めた時からすでに、みんな自分がニューヨークから来たコトを知っていた。バイトとして雇われるコトが決まり、6日にオリエンテーション(簡単な説明会)。 9日、初バイトの日。この日の仕事は6時半〜9時半。バイト初心者は、まず奥で皿洗い、うどんや味噌汁から初め、レベルが上がり仕事を覚えてきたらいよいよ寿司をにぎる・・というコトになっている。別に回転寿司に限らず、飲食業は大抵こんな感じだ。厨房のおばちゃんに、皿洗いとうどんの作り方の説明を早口で教わる。このおばちゃん、声が小さく、口に中で言葉を発しているので、5割以上聞き取れない。せっせと皿洗いをすること約15分、突然店長に呼ばれた。彼によると、明日、10日(日曜日)はバイトの人が少ないため、「今日中に君に寿司の作り方を覚えてもらい、明日は辛いだろうけど頑張ってもらおう」とのこと。なんと!仕事を初めて数十分で、いきなり寿司を握ることになるとは。 動揺よりも変な期待が膨らみ、中に入る。「中」とは回転ベルトコンベアの中、つまり寿司を握る場所のこと。客はけっこう多い。僕に与えられた仕事は「軍艦」。軍艦とは、シャリを細長く切ったノリで巻き、上にネタを乗せるやつである。イクラ、ウニ、ネギトロ、カニサラダ、ツナサラダ、コーンサラダ、明太子、カニ味噌、白魚など、15近くの種類が存在する。店長に、シャリの量とノリの巻き方を簡単に(本当に簡単にだった)教わり、とりあえず実践。この時、初めて知ったのだが、ここの回転寿司は実際に自分の手でシャリを握る店であった。てっきり、シャリに関しては器械が正確な大きさのシャリをポンポン作ってくれるものかと思っていた。最初に作るコトになったのは「イクラ」。まさか、一番の楽しみが一番最初に来るとは。ドキドキしながら、スプーンでイクラをのせて出来あがり。 最初は、どうやっても上手に作れない。シャリが上手くまとまらなかったり、ノリがよれよれになってしまったり、ネタが崩れてしまったり・・。しかし握り方、巻き方、手につける水の量などのコツを掴んでくれば、後は慣れである。次第に、自分の作った芸術的なオブジェ「ネギトロ」に酔い始める。 客は、目の前にいるバイトの男の子が、今日がバイト初めての日で、しかも初めて寿司を握っているなんてコトは知らない。ここは「うちは250年の伝統でがあるんだ、べらんめえ!皿洗い1年、シャリ3年、ネタ選び2年、握りはそれからだっ!!」と言いそうな江戸っ子の老舗の寿司屋ではない。自分がいるのは、住宅地の中にある回転寿司屋なのだ。 軍艦オンリーではあったが、寿司を握る作業は楽しかった。そんな難しいわけでもないし、後は素早く握ることだ。しかし、一人で黙々と握っているワケにはいかない。そこはさすがに回転寿司。客は食べたいネタが回転していないと、なんの躊躇も無く「アジ、ヒラメ、それとマグロのさび抜き1つ」と、自分に一番近い店員に注文する。いきなり客に注文された時は動揺したが、コレも慣れれば気分は聖徳太子様である。自分を囲む10数人の客の注文も、なんとか対処し続ける。注文されたネタを客に手渡す際に「ありがとう」とか「どうも」とか一言でも言われると、やはり嬉しい。この、「お客様と触れ合う作業」というのは、今までの自分のバイト経験ではほとんど無かったタメ、非常に新鮮に感じた。また、「ネギトロが少ないな」と思ってネギトロを流し、すぐにソレを取られると「してやったり」である。 週末なだけあって、家族連れが多い。店もかなり混んでおり、テーブル待ちの客もいた。本来9時半で終わるはずだった仕事も、あまりの繁盛ぶりに、結局11時半まで延長を頼まれた。店は11時に終わる。後は片付けと清算である。僕も最後の方は、奥で皿洗いをしていた。表舞台に比べると、やはり厨房内の作業が地味なのは否めない。この日、寿司がかなり大量にあまった(売れ残った)。バイト仲間によると、これだけ残るのも相当珍しく、日によってはまったく残らない時もあるとのこと。横目であまった寿司をチラチラ見ながら、「アレ、食べられないのかなぁ〜」と期待に心を膨らませていた。案の定、好きなだけ食べられた。「コレがこのバイトの特権だからネ」とバイトの兄ちゃんが言う。僕も「いやぁー、寿司好きなんすよー」と、珍しいネタからアボカドまで、色々とご馳走になった。おいしかった。大満足である。 10日、日曜日の仕事は昼の11時〜15時、17時〜21時だった。この日、サッカーのコンフェデレーションズカップ決勝戦、日本 VS フランスがあったにも関わらず、けっこう混んだ。前日に続き、軍艦を作り続ける。昨日より、シャリの握り方が上手くなった。何はともあれ、この先も色々と楽しそうなバイトである。来週からはまた裏方に戻るっぽいが、次第に仕事を覚え、爽やかに寿司を握りたいものである。 余談であるが、昨年9月のマクドナルドのバイトの面接の時、履歴書の「自覚している性格」の欄に「明るい」と書いた。今回の回転寿司屋のバイトでは、「冷静」と書いてみた。あながち、間違いではないよーな気もするが、友人は疑うコトだろう。 Sep / 05 / 2001 (2001年9月5日) 九州サイクリング編・その(3)
8月29日、九州サイクリングの目玉であるH2Aロケットの発射を見た。種子島はよく晴れていた。本来は25日に打ち上げる予定だったのだが、延期されたのだ。最初は28日、最終的には29日に「確定」となった。旅行中、ロケットの発射日が気がかりだった。延期の具合によっては日程を変えなければならないし、最悪の場合は見るのを諦めて東京へ戻るコトも考えられる。ラジオに耳を向け、地元の新聞をチェックし、種子島宇宙センターに問い合わせたりした。本来なら種子島の後に屋久島へ行く予定だったのだが、打ち上げ延期のため、先に屋久島へ行くコトになった。 日本の宇宙開発事業の「3度目の正直」を証明しなければならない。日本はロケット打ち上げに関しては、他国よりはるかに遅れをとっている。この打ち上げで失敗したら、日本は宇宙開発事業から撤退するコトも聞いた。また、本当の信頼を得るためには、3回連続で成功させなければならないそうだ。宇宙開発事業の、種子島のクビがつながるかどうかの瀬戸際だったのである。 僕は九州へ行く前、そして種子島に行く前まで、発射失敗を(少しだけ)期待していた。空中で「ボカーン」と大爆発、数十億円の打ち上げ花火を見てみたかったのだ。宇宙まで行ったのに軌道に乗らなかった・・みたいな失敗では面白くない。派手に散るのを見た方が印象に残る気がしたのだ。そりゃ、成功する方が良いけど・・失敗する可能性だって十分過ぎるほど考えられる。必ず成功するものを見るより、どうなるか分からないハラハラドキドキなものの方が面白い。 ロケット打ち上げを見た宇宙が丘公園で、発射を待っている時、隣に座っていた老夫婦に話しかけられた。息子が、と言っても良い年だと思うが、種子島宇宙センターで働いているらしい。小さい頃からロケットが好きで、宇宙開発の仕事に就くコトが将来の夢だったそうだ。その息子が、わざわざ和歌山から両親を呼び寄せ、座りやすそうな椅子まで用意し、ぜひ打ち上げを見に来て欲しいと頼んだそうだ。なんとも良い話ではないか。そんな老夫婦の前で、小声でも「失敗しろー」とか「爆発が見た〜い」なんて、絶対に言えない。僕も調子良く(?)「成功するといいですね〜」なんて話していた。 打ち上げ時刻は「午後1時以降」。昼前に放送された打ち上げ時刻が午後4時。僕たちは前日から宇宙が丘公園でテントをはってキャンプしていた。打ち上げ当日、発射予定時刻間際には、辺りは見物客であふれていた。午後4時00分00秒。発射台から白い煙がモクモクたちあがり、大きな音とともに浮かび上がった。重力に逆らって宇宙まで行くのだから、ものすごいエネルギーが必要なのだろう。H2Aロケットは真っ直ぐと上へ飛んでいった。わずか1分たらずで、ロケットは見えなくなってしまったが、その跡には白い飛行機雲・・いや、ロケット雲が一直線にのびていてキレイだった。
ロケットが見えなくなってから数秒後、いっせいに観客から拍手が起こった。素人には、「見えなくなった」=「成功した」だが、宇宙開発事業団にとってみれば、まだまだ緊迫状態だったはずだ。ちゃんと軌道に乗るか、異常はないか・・まだまだ楽観視はできない。宇宙が丘公園には、ご丁寧にも宇宙センターからの放送が流れており、発射予定時刻の確認や、「発射1分前・・10秒前・・」といったカウントダウン、そして打ち上げ後の実況もやっていた。ロケットが大空に消え、ギャラリーは帰る支度を始める。放送では現在の時刻と「すべて正常」と、数分おきに流れていた。4時20分、突然、放送が宇宙開発事業の歴史を語り始めた。昭和40何年に出来たとか、今までの打ち上げのコトとか・・。こんな余裕を見せるぐらいだから、本当に成功したと見て良いのだろう。この時、宇宙開発事業団も、手を握り合って喜んでいたかもしれない。大空を見上げて涙を流していた人もいたかもしれない(テレビで見たら本当にいたけど)。 隣に座っていた老夫婦も喜んでいた。非常に紳士的な老夫婦だったため、飛び上がって大喜びはしていなかったものの、表情はとても嬉しそうだった。例の孝行息子、実は今までロケットの打ち上げを生で見たコトはないらしい。いつも打ち上げの時は、宇宙センターの地下でモニターの前にジッと座っているそうだ。H2Aロケットは成功した。彼も大喜びしたに違いない。しかし、彼の夢は今後もまだまだ続くことだろう・・。 地上と宇宙を結んだロケット雲は、時間が経つにつれて形がほどけて、やがて消えてしまった。それを見ながら、僕の中では中島みゆきの「ヘッドライト テールライト」が流れていた。NHKの番組「プロジェクトX」のエンディング曲である。大袈裟じゃなく、胸の奥から何かこみあげてくるものがあった。 Sep / 15 / 2001 (2001年 9月15日) 「あんなモノ こんなモノ いっぱいあるけど」 ★★★連載20
オレは硬派だ。今は高校も卒業して昔よりは少し落ち着いたが、高校の頃は悪(ワル)だった。飲酒、喫煙、賭博行為、無言電話、窃盗、無免許運転、喧嘩・・・一通りやった。盗んだバイクで走り出したり、夜の校舎の窓ガラスを壊してまわったのも、今となっちゃあ良い思い出だ。昔の仲間たちは未だにオレを恐れ、慕ってくれている。 そんなオレにも、一つだけ弱点がある。「こげぱん」だ。パン屋さんで間違って焦げてしまったパンが、「どうせ捨てるんでしょ?」とやさぐれる人気キャラクターだ。キャラクターグッズも多く発売されている。オレの見た目も中身も悪党で、女もまったく興味ねえが、このカワイイこげぱんにはどうしても弱いんだ。高校の時も、こげぱんグッズを多く買った。地元で買うと知り合いに見つかっちまうので、わざわざ遠く離れた町まで買いに出かけた。硬派なオレは携帯電話なぞチャラチャラしたものは持っていないが、こげぱんの携帯ストラップは持っている。学校には絶対に持っていけねえが、こげぱんの下敷き、シャープペンなどの文房具を持っている。オレがこんなモノを買って持っているコトがもし世間にばれたら、もうオレの硬派なイメージは台無しだ! こないだ、オレはとうとう、かねてから欲しかったこげぱんグッズを買いに行った。すごく勇気がいた。オレが欲しかったのは、こげぱんの人形(税抜き価格580円)。しかし、この人形オレの地元の店でしか売ってねえんだ!!!地元は怖い。高校の頃につるんでたノブユキやトミアキにもしバッタリ会ってしまったら、オレはもうこの町から出て行くしかねえ。 幸い、こげぱん人形は買えた。しかし、楽じゃなかった。まず、近くに知り合いがいないかどうか、常に気を配らないといけない。何気ない様子を演出するため、定員に「こげぱんとかいうキャラクターのもの、売ってるか?」と聞いて売場を教えてもらった。また、人形だけ買ってレジに並ぶのも辛いので、使いもしねえフォルダや原稿用紙といった文房具を山ほど買った。木を隠すなら森の中、ってやつだ。それでも、レジの姉ちゃんの視線が痛え。そりゃそうだろう、ごっつい悪党面の男が、山ほどの文房具とこげぱん人形を持って来たんだ。余計な文房具をたくさん買ってしまったため、予想外の大出費になっちまった・・。 ダッシュで家へ戻った。早速袋を開け、こげぱん人形を取り出す。改めて見ると、かっわいいいい!!もう説明のしようが無いぐらい、愛らしい。机の上に置いて飾るのも良し。部屋の隅に置いてウジウジさせるのも良し。もう、「このぉっ!!」って抱きしめちゃいたいぐらいかわいいんだ!! こげぱんが大好き。オレは一生、この秘密を守り通さねばならない。辛いぜ。 Nov / 16 / 2001 (2001年 11月16日) 20歳になりました。 20歳になるというコトは、他の年とはチョット違う気がします。法的にも色々と変化がありますよね。選挙権。飲酒喫煙。逮捕されると実名がでる(!)。他にも沢山あると思います。ともかく、社会的に責任を問われる年齢になったと言えるでしょう。 ただ、昨日の今日。そんなすぐに全てが変わるワケがありません。今はまだ、実感も薄いようです。ここ1、2ヶ月、すでに20歳になった友人数人に誕生日の感想を聞いていましがた、皆「あんまり変わらないよ」と答えていました。確かにその通りかもしれません。けれど、20歳になってみても、「悲しさ」は感じません。もう10代ではない自分が少し不思議に思える程度です。むしろ、「嬉しさ」で晴れ晴れとした気持ちです。振り返ってみると、自分は幸せだった、幸せ者なのだなぁ、と。「色々あった」なんて大声で言える程は年をとっていないし、人生はまだまだコレからです。 11月15日、大学の授業が終わった後に僕と友達のナガタ君とクニモト君の3人でカラオケへ行きました。その後クニモト君の家へ行き、韓国レストランで夜ご飯を食べ(僕の分はナガタ君がおごってくれました)、3人でゲームをしていました。20歳になった(日付が変わった)瞬間、僕は彼らとゲームしており、年をとったコトに気がついたのはその9分後でした。 11月16日、本当に清々しい天気でした。雲ひとつない青空。多くの友人たちから「おめでとう」と言われました。本当にありがとうございます。昼飯はクニモト君がおごってくれました。夜は剣道サークルの仲間たちと一緒にお好み焼きを食べて・・・と、良い一日でした。 大学に入る頃からお酒はよく飲んでいますが、煙草は今まで20年間一度も吸ったコトはありません。本当は20歳になったら「何事も経験」と一度、二度くらいは吸ってみようかなと以前から思っていました。しかし、今から2ヶ月程前に友人から「吸っちゃダメだよ」と言われた時に「うん、吸わない」と約束(?)してしまいました。人間、約束なんて全部守れるものではないと思いますが、僕は何があってもこの約束だけは守って行こうと思います。・・たとえムコウがすでに言ったコトさえ忘れていても、そんなコトはどうでも良くても、ネ。 せっかくだから、今日から10年後の30歳の自分へ、ここの日記で手紙を書いてみようと思います。30歳になった自分は、今より大人になっているのでしょうか(それ以前に、このホームページがあと10年も続くかどうかは知りませんが・・)。あまりこういう(恥い)コトは好きではないのですが、記念に・・・。 〜〜〜30歳の僕へ〜〜〜 こんにちは、20歳のはじめです。 元気ですか?今、幸せですか?何かに頑張っていますか?30歳というと、もしかしたら結婚して、さらにもしかしたら子供までいるかもしれませんねー。いや、それは高望みしすぎかな?でも、・・・・彼女ぐらいいるよね??できたよね??まぁ、とにかく30歳になっても、きっと根本的な部分は何も変わってないコトでしょう。今の自分よりは、きっとずっと成長したとは思いますが、多分あなたは大丈夫だと思います。そんな道を大幅に踏み外したりはしないでしょ。 僕も今、色々と頑張っています。まだまだ頑張りは足りないかもしれませんが、けっこう楽しく毎日を過ごしています。30歳の自分は、これから先どうなるのかを全て知っているので、そこは少しだけ羨ましいような、淋しいような。今の自分には言われたくないだろうけど、「焦らず、ゆっくりと頑張れ」。 長い人生の中で、30歳なんてまだまだ若いぞ!!最近髪の毛が少し淋しいって気にしているみたいだけど、そんな小さなコト気にするな!!頑張れよ!!じゃあな!!! ついでに、1年後の自分にも手紙を書いてみます。 〜〜〜21歳の僕へ〜〜〜 よお、1年後のオレ。 元気か?まだ頑張ってるか?21歳か。いくらなんでも結婚はしてないだろうけど、彼女できたか、オイ?・・・お、何故目をそらす?こっちむけよ。 まぁ、なんだ。今の自分には言われたくないだろうけど、「とりあえず勉強しろよ!!」。 ハハハ。21歳かぁ。えーと、なんだ。最近彼女が自分に冷たいって悩んでるらしいけど、それはきっとオマエが原因だ!!ハハハ、頑張れよ!!じゃあな!!! ・・・なんだか書いててすごく淋しくなってきました。 ま、いいや!!20歳だ、20歳!!!"Fov Diary" 20代編、スタートです。ちなみに"Fov Diary"10代最後の日記が「ハナクソ」について語る内容だったので、かなりアホっぽいです。 両親と今までお世話になった多くの人たち、友達のみんなに 「ありがとう!」&「これからもよろしく!」。 Nov / 19 / 2001 (2001年 11月19日) しし座流星群である。僕は天文学の知識は皆無のため詳しいコトはまったく分からないが、ようするに流れ星がたくさん見られるのである。Yahoo Japanには「星が雨のように降り注ぐ流星ショー」とあった。なんともロマンチックな話ではないか。オマケに「流れ星」=「願い事」である。僕は夢見る少女にありがちな、流れ星にくだらない期待を寄せていた。 その流れ星が見られるというのが今日、夜の2時〜4時の間だと言う。ピーク時は1時間に4000個も観察できるのだそうだ。本来なら寝る時間であるが、翌日(19日)にフランス語の試験があり、流れ星も是非見てみたかったので起きていた。だが、あいにく空は曇り。真夜中だというのに雲だけが不気味に白い。3時頃、最初はベランダで待っていたが、結局厚着をして近くの川沿いに行くコトにした。 川沿いにはすでに何人か先客がいた。僕は一人でボケーと空を見上げて待っていたが、全然見えない。すると、15m程離れた場所にいたおばちゃん2人組が「あ、見えた!」と言うのが聞こえた。5分後、またおばちゃん2人組が流れ星を見つけたらしい。さらに5分後にも。けれど、僕はまだ何も見ていない。見ている場所がいけないのだろうか?暗闇の中、おばちゃん2人組をよ〜く見ると僕とは少し違う方向を向いているようだ。僕もそちらの方向の雲の隙間を凝視するが、流れ星は一向に見えない。今更、おばちゃん2人組に「あの、流れ星見えないんスけど・・」なんて話しかけられない。もう15分以上も寒い中待っているのに、君はまだ見てないの???と、バカにされるのがオチである。何故、僕には見えないのだろうか。僕の瞳に、本当の君は映らないのだろうか・・・などとポエムな気分になっている間に、おばちゃん2人組は帰ってしまった。その後もしばらく寒い中流れ星を待っていたが、無駄な努力であった。途中、友達数人からメールで「見えた」と届いた。20以上見た子もいたそうだ。コレもすべて、横浜が曇っているのが悪いのだ。 アパートのベランダ(2階)からでも見えるだろ・・と自分に言い聞かせ、結局僕は流れ星を1つも見るコトなく川沿いを後にした。再びベランダで空を見上げていると、一瞬雲の隙間に光が横切った。「ん?」としか言えなかった。もしや、今のが流れ星?1分後、また流れ星と思われる光が見えた。今度は「あ。」としか言えなかった。その後も2つぐらいは見た気がするが、「あ。」ぐらいしか言えない。コレではとても願い事なんて無理である。「あ。」の代わりに「世界平和。」なんて言える程、僕は頭の回転も反射神経も良くない。こんなコトでは「●△※@■◎♪&▼%。」(←怪しい呪文ではない)と願う暇はない。「こりゃダメだ」と(こういうコトだけは)諦めの良い僕は部屋に戻った。 湘南に住む友達とインターネットでチャットしたところ、湘南は晴れていたため、もう400ぐらいは見たと思うと言っていた。時間はすでに4時半。もう流れ星も残りカスしか流れないだろうと思っていたが、彼の話によるとピークはまだ続いているらしい。ベランダに出てみると、つい先程まで曇っていた空が嘘のようにキレイな星空に変わっていた。湘南のようには見えないようだが、数十秒おきに流れ星が見える。流れるたびに「おお。」と喜ぶが、一瞬で消えてしまう。10分程流れ星を眺めていたが、しばらくして願い事のコトを思い出した。よし、次あの辺で流れる星に願い事を言おうと決め、本当に流れた流れ星は、今まで見た中で一番大きく美しく、光の尾をひいてハッキリと見えた。今度はちゃんと、声にだして「●△※@■◎♪&▼%。」願い事が言うコトができた。なんだか、すごく嬉しい気持ちになれた。 再び部屋に戻る。あ、そうだ。今日はフランス語の試験があるんだ。あの時、「試験で良い成績おくれ。」と頼んでおけば良かった・・・と悔やまないよう、今から少し勉強してから寝ようと思った。 |
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2002年
May / 02 / 2002 (2002年 5月2日) 今日、生まれて初めて合コンに行って来ました。僕のデビュー戦です。 合コンと言うと、一般的にはチャラチャラ、ムラムラしているイメージが強いものです。テレビ番組や若者向けの雑誌などを見ると、それがよく分かります。あまりそういうモノは好きではないのですが、せっかくの大学生活で一度ぐらいは経験してみた方が絶対に良いと常々感じていました。今からおよそ一年前、大学に入学する頃にコンビニで「ホットドッグ」という雑誌を買いました。合コンに関する特集が載っていたからです。入学前は夢いっぱい希望いっぱいで、大学生活で合コンぐらいはきっとするだろーと思って購入したのですが、ようやく活躍する時が来たのです。・・と言っても、さほど参考にするコトもなく、飽くまでも素で行こうと思っていました。 合コンではメンバー編成が大事だと言います。盛り上げ役、突っ込み役、ギャグ役、クール役、・・など、各々のポジションの役割を果たさなければなりません。それぞれの連携プレイによって、合コンは成功するのです。今回の合コンは相手側が「帰国子女の男子希望」というコトだったので、めでたく僕もスタメン入りしました。僕ら、いわゆる海外組です。我がチームは、FW(フォーワード)にニューヨーク生まれニューヨーク育ち、センタリングも上げれば自分でシュートも狙う友達のK君。DF(ディフェンダー)に、やや無口だかそのクールさがウリ、パスはほとんどしないが、たまにオーバーラップをかけてシュートをするT君(K君の友達)。そして、MF(ミッドフィールダー)に通りもしないスルーパスをよく連発すると評判の僕。肝心の相手チームは東京の某超有名国立大学の女子生徒3人、初戦の相手として不足はなさすぎです。 渋谷で待ち合わせ、早速今回のスタジアムとなる多国籍料理レストランへ。合コンっていうのはてっきり居酒屋でやるものだと信じ込んでいた僕にとっては、相当驚きでした。自己紹介などから始まり、とりあえず色々と話し、料理を食べて、お酒を飲んでマッタリ。その光景は、まさにお食事会そのもの。なんだか僕が 僕個人としては、「普通に渋谷で遊びましたな日」としてけっこう楽しかったのですが、FWのプレイヤーにとってはイマイチだったようです(多分、DFも)。僕は特に危なっかしいプレイもなく、FWにも4、5回パスをまわし、後半終了間際には何度かシュートを試みた感じです(これらがすべて微妙な表現なのは百も承知)。数日前から、盛り上げ役のFWには、ポジショニング、シュート・パスの仕方、チームの組み立て方などの基本を教わっていたのですが、本番では肝心の彼が、僕が思ったよりは活躍せず、本来のプレイではなかったような気がします。後で本人に聞くと、相手があまり可愛くなかったから・・・なんか微妙だった・・・とコメントしていました。あまりにFWが点を取りに行かない様子なので、僕が攻撃に参加せざるをえず、MFとしての最低限の役割は果たしたと自覚しています。相手がどんなプレイヤーだろうと、常に同じプレイ・スタイルを保つのは、ある意味僕の特徴の1つなのかもしれません(ただ、自分の憧れのスーパー・プレイヤーが同じフィールドにいる時は、挙動不審になります)。まぁ、相手チームの1人は、僕はけっこうカワイイと思いましたけど。その子が早目に帰るコトになったので、 ・・・と、ゆーわけで、僕のデビュー戦の合コンは見事、お食事会として終了しました。色々とおいしいモノは食いましたが、何も喰いませんでした。今後、監督が僕を有力な選手として評価してくれるなら、また試合に出てみても良い気がします。でも、どうも僕は決定力不足。まさに、今のサッカー全日本代表の重要な課題と同じです。 June / 04 / 2002 (2002年 6月4日) オレは硬派だ。今は高校も卒業して昔よりは少し落ち着いたが、高校の頃は悪(ワル)だった。飲酒、喫煙、賭博行為、無言電話、窃盗、無免許運転、喧嘩・・・一通りやった。盗んだバイクで走り出したり、夜の校舎の窓ガラスを壊してまわったのも、今となっちゃあ良い思い出だ。昔の仲間たちは未だにオレを恐れ、慕ってくれている。 今日は勇気を出して、カミングアウトしてみようかと思う。実はオレ、ロリコンのようだ。 こないだ、地元の不良仲間のケンイチと話してな、その時、女の顔の話になったんだよ。で、ヤツがいきなりオレに向かって「オマエ、ロリコンだろ。」とか言い出すんだ。オレはその場で、ソイツをしめあげてやろうかと思ったが、グッとこらえた。オレは冷静になって、「あぁ?何言ってんだ、おまえ。オレがロリコンなワケ、ねーだろ。」低い声で言った。そしたらケンイチはタバコに火をつけて一呼吸してから、こう言った。 「ロリコンっていうか・・・、オマエが好きになる女って、みんなロリ系じゃねーか。こないだだって、ポニーテールの女の子大好きとか言ってたし。・・・それと、オマエが好きな加藤あいもロリ系だよ。」 もう我慢できなかった。しかし、ここでぶち切れては、硬派なオレのイメージが台無しだ。不思議と額に汗がにじんでいる。オレはなんとか落ち着いて、自分を振り返ってみた。オレはロリコンなのか?・・・いや、断じて違う。モーニング娘。の人気チビっ子2人に辻希美と加護亜依がいるが、オレは全然好きじゃねえ。オレはむしろ、どっか大人っぽくてしっかりしている女が好きなはずだ。オレが小さいもので「かわいい」と思うのは、せいぜいこげパンぐらいだ(Fov Diary.2001年9月15日参照)。 「それは違うな。オレが魅かれる女はみんな大人っぽいヤツらばかりだ。タカエもシノブもヨシコもアヤコも、みんなそうだった。」 「・・でも、オマエが去年、世界一かわいいとか言ってたアイツも、ロリ系だよ。」 オレは拳を握り締めた。が、なんとかこらえた。最近、カルシウムが足りないせいか、少し怒りっぽい。いや、そんなコトはどうだっていい。問題は、去年、・・・大人の事情ってやつなんだが、まぁ、その、オレが世界一かわいいと思ってたヤツがロリ系だと言われたことだ。ケンイチに言わせると、顔がロリ系だそうだ。オレは硬派だから、あまりチャラチャラしたものは好きじゃねーんだが、仲の良いケンイチとはついついそういう話をしてしまう。 オレは否定した。アイツは絶対に絶対にロリ系じゃない、と。現にアイツは、大人っぽくてしっかりしている印象があった。そしたらケンイチは、他のヤツらの意見も聞いてみると言い出した。数日後、結果が出た。ロリ系ではないと答えたヤツはわずか1人(ちなみにコイツは本物のロリコン)、他の4人はロリ系だと答えた。オレの完敗だった。 「ローリーローリーローリーローリー。」ケンイチが本当に嬉しそうに、悪魔の微笑みを浮かべながら冷やかしてきた。泣きそうになった。オレは人を見る目がないのか・・・それとも、世の中がすべて間違っているのか・・。 オレは開き直った。もう、人の目なんて気にしてられるか。そして、20という年になって、ようやく自分を知った。オレはロリコン、・・・っつーか、ロリ系が好きらしい。あぁ、そうだよ。どうせ、オレは前田愛より前田亜季の方が好きだよ!!モーニング娘。じゃぁ、高橋愛が一番好きだよ(あ、あと石川利華もチョット好き)!!女の子が髪型ポニーテールだと興奮するよ!!あぁ、どーせオレはロリコンだよ!わりぃかよ!!?あぁ? あぁ・・・、オレの硬派なイメージが崩れてく・・・・。 Jul / 07 / 2002 (2002年 7月7日)
実は1年前の今、うずらを飼っていた。 去年の6月21日。「うずらを飼いたい」という友人の誘いでペット屋サンへ行った。一羽1000円で、檻の中には三羽残っていた。「二羽ください」と頼んだところ、余った最後の一羽が急に暴れ出した。まるで、「オレだけ置いてくな!!」という様子で、なんだか可哀想だったので結局三羽買うコトになった。三羽のうずらは7月の終わりまでは僕が、それ以降は彼が飼うコトとなった。 三羽のうずらは、それぞれ「かとぅー」「まなみ」「うか」と名付けられた。三羽ともメスである。うずらは、友人の家にあった犬を運ぶ時に私用する檻で飼われるコトになった。うまい具合に、餌や水を入れるプラスチックのケースも見つけ、下にちぎった新聞紙をひけばオウチの出来あがりであった。まさか僕は自分の部屋にペット、しかも鳥が来るなんて夢にも思っていなかった。昔、ペットといえば金魚やハムスターは家にいたコトがあったが、鳥の世話は初めてであった。こうして、三羽のうずらとの共同生活が始まった。 うずらは可愛かった。特に鳥が好きなワケではないのだが、部屋に生き物がいるコトは一人暮しを始めて数ヶ月の僕にとっては実に新鮮な空気であった。世話は、どこかのウェブサイトに「小学生でも飼える」と説明されていた生命力の強い鳥なだけあって、難しくはなかった。餌や水はコマメに交換し、初めの内は下にひいた新聞紙も毎日変えていた(やがて一週間に一度のペースになったが)。穀物が好きなハズなのに米は食べなかった。キャベツは食べなかったがレタスは食べた。ピーナッツは食べなかったがミールウォームはものすごく喜んで食べた。このミールウォームとは小さなみみずの一種で、いかにも鳥が好きそうなヤツである。わざわざコレを買いに隣街まで自転車で行ったコトもあった。ナンダカンダ言って、僕もけっこう熱心に飼っていたのだ。
三羽のうずらには一応特徴があり、僕も最初の方はそれぞれを見分けるコトができた。頭がチョットだけ禿げており、どこかそっけないが餌好きの「かとぅー」。一番なついてくれる、温厚な性格の「まなみ」。頭が丸く禿げており、超狂暴、檻の中でもバンバン跳ねまわる「うか」。初めは知らなかったが、うずらは両手で優しく抱きかかえれば、けっこう大人しい。肩にも乗らせても、長い間大人しく座っている。それはとっても可愛かったが、そんなコトができると知る前までは、捕まえようとするとダッシュで逃げるツマラナイ鳥に過ぎなかった(実は片手で捕まえようとする僕の抱え方に問題があったのだが)。うずらは羽根を使ってハイジャンプはするが、ニワトリのように飛べない鳥である。室内で放浪させてても糞以外は問題は無かった。ただ、たまに朝6時頃に「ピーピーピー」と三羽が一斉に合掌するのには耐えられず、檻を台所の方へ持っていってドアを閉めて再び眠りに戻ったコトもあった。ただ、迷惑はお互い様で、うずら達も僕のやや不規則な生活に振り回されていたのかもしれない。ものすごく眠そうな顔つきで、目をムニャムニャする姿を覚えている。 7月2日の朝、僕は檻の中に卵を発見した。スーパーの卵売り場で見かけられる、あの「うずらの卵」である。それが自分の部屋で生まれてしまったコトに対し、思わず笑ってしまった。いわゆる無精卵である。この記念すべき第一発目の卵は茹でて食べた。そのまんま、うずらの卵の味がした。以降は三羽とも気合いが入ったのか新しい環境にようやく慣れたのか、毎日毎日バンバンと卵を産んでいった(食べなかったけど)。 やがて当初の約束通り、うずらは友人の元へと渡った。彼の家は一軒家で、犬を2匹飼っていた。うずらの登場に何よりも興奮していたのが、その犬の一匹であった。檻の周りをグルグル周っては体当たりを始めたり、手でなんとか開けようと試みていた。その姿はまさに野生の本能、犬の狩りの本性が惜しみなく出ていた。やや心配だったが、こうしてうずらは僕の元から去った。そして、それが僕とうずらの最後の別れでもあった。 さて、その三羽のうずらの結末というか最後というか・・。友人によると、二羽は脱走したようだ。脱走といっても、ベランダに放していたら、翼を広げて勢い良く庭の茂みに飛んでいったそうだ。二度も逃がしてしまうとは、一体どの様な飼い方をしていたのだろうか。そして三羽目は、あまり話したくないのだが、犬に殺られてしまい玄関前に無残な姿で転がっていたそうだ。本当に、一体どの様な飼い方をしていたのだろうか。 そもそも僕のアパートもペット禁止だったよーな感じもするが、僕の監視下以外はほとんど檻の中で大人しくしていたので問題は無かったと思う。特に今、ペットを飼いたいとは思わないが、猫なんてチョット良いかな?と思っていたりする(無理だけど)。ハムスターのような小動物は飼いやすいが(オコジョ欲しいけど)、やはり世話をするには責任感が必要である。 去年の今頃、部屋で撮った写真などを見てみるとうずらの檻が写っている。わずか一ヶ月の共同生活ではあったが、振りかえってみるとチョットしみじみしてしまう。今でも、ミールウォームをあげる時の大喜びする三羽の姿をよく覚えている。 Sep / 14 / 2002 (2002年 9月14日) ケンちゃんのコト 3年4組 はーじー 同じクラスのケンちゃんとは、きょねん友だちになりました。さいしょは「なんだこいつ」とおもいましたが、本とうはたのしい人でした。ケンちゃんはけっこうめんどうくさがりで、ほとんどの時間を家の中ですごします。ケンちゃんは言葉づかいがわるくて、「いっぱい」と言う時にはかならず「いっぱいおっぱい」と言います。学校でみんなの前で「朝マックしてきた」とか言います。また、「いただきます」と言う時も、エッチな言葉をまぜてつかいます。それはぼくにもあくえいきょうで、こないだ女の子といっしょにごはんを食べる時に、頭のすみでケンちゃんの笑顔がニーンと浮かんできていやになりました。 ケンちゃんは、たまにぼくのことをばかにします。こないだは「ロリコン」と言われました。ぼくはその言葉のいみが分からなかったので、先生に聞いたけど教えてくれませんでした。でも、ケンちゃんのことだから、ぜったいにほめ言葉ではないと思います。また、僕がかわいいと思う女の子のことを「かわいくない」と言います。きっと、ケンちゃんのしゅみがわるいからだと思います。さいきんはぜんぜんないみたいですが、会ったころのケンちゃんはデアイケイサイト公園やゴウコン広場にしょっちゅう遊びに行くような子でした。 きょねん、なかよくなってから二人とも同じクラスの女の子を好きになってしまいました。その時は、しばらくおたがいにあまり話をしませんでした。今思うと、それも僕がわるいんだと思います。ぼくが自分かってで、なんかケンちゃんをさけていたんだと思います。でも、ケンちゃんは友だちおもいのあつい子で、僕に気もちのこもった手紙をくれました。「おまえはこの学校に入ってできた一番の友だちなんだから。」「オレもマジだからあきらめることはできないけど…。」「やっぱり気まずいか?」「おれのことがムカツクんだったらなぐり合いでもするか!」「それでおまえの気がはれるならオレはかまわん。」手紙を読んで、自分のほうが先にみとめてもらったんだと知って、しょうじきぼくは自分がはずかしくなりました。それまでケンちゃんは、女の子のこととかにかんしてはかるいやつだと思っていたのですが、そんな思いこみだけでワガママなこうどうをしていた自分が、とても小さくかんじました。なみだが出ました。 それから一か月後、ケンちゃんはその女の子にふられました。その後は、よくメールとかでぼくのことをはげましてくれました。うれしかったです。二か月後、ぼくも同じ女の子にふられました。二人なかよく、同じ女の子にふられちゃいました。そんなこともあって、二人は今でもなかよしです。 ケンちゃん、いつまでも友だちでいてください。運動ぶそくみたいなので、もっと体もうごかそうね。じてんしゃも、もっとうまくのれるようになってね。来週、またマリノスのサッカーの試合見に行こうね。 Nov / 16 / 2002 (2002年 11月16日) 21歳になりました。Happy Birthday dear 僕。 前日、回転寿司屋バイト先の男子高校生には「もう、おっさんじゃないですか」、女子高生には「21ぃ〜、やばい〜」と言われました。どうやら、21というは世間的には(?)ヤバイ年みたいです。 今日一日、特別なコトは何一つない土曜日でした。今日食べたモノ→コンビニおにぎり2ヶ、コンビニ弁当、カルビーポテトチップス、アイスクリーム。むしろ、やや淋しい一日だったのかも・・・。 特別な感情も沸きません。今までは誕生日の数週間前から「もうすぐ、もうすぐ」と思っていたのに、今年はあんまり意識していませんでした。10代は誕生日=プレゼントが貰える日という楽しみがあり、20歳は選挙権や飲酒などの法律条件をクリアしましたが、21って別にたいしたコトないんだよね。せいぜいアメリカで飲酒が許されるぐらいか。 何人かにお祝いの言葉を頂きました。どうもありがとうございました。でも、複雑だったのが某出会い系サイトから届いたメール。この出会い系サイトってのは、友人ケンイチが出会い系で良い目に遭ってたのが羨ましくなって登録したは良いが、結局何もせずに忘れていたもの。届いたメールが、コレ↓。 --------------------------------- ハジメさん。こんにちは。出会いホームページです。 今日は、11月16日 お誕生日おめでとうございます!(誕生日:1981年11月16日) 今日で、21才ですね。 出会いホームページに登録されて、出会いはあったでしょうか? 積極的に出会いホームページを活用していただき素敵な出会いがあることを 心よりお祈り申し上げます。 今年一年もハジメさんにとってよい年でありますように・・・。 --------------------------------- 外の寒さに拍車がかかります。 思えば20歳の一年は、色々なコトがありました。まさか、一度だけでなく、二度も・・・・と、ここから先は書かないコトにしましょう。ま、こうしてどんどん年をとっていくんでしょーな。最近、年をとるのが早く感じます。やっぱりおっさんだ。 ここで、去年20歳になった時の僕から手紙が届きました。 --------------------------------- 〜〜〜21歳の僕へ〜〜〜 よお、1年後のオレ。 元気か?まだ頑張ってるか?21歳か。いくらなんでも結婚はしてないだろうけど、彼女できたか、オイ?・・・お、何故目をそらす?こっちむけよ。 まぁ、なんだ。今の自分には言われたくないだろうけど、「とりあえず勉強しろよ!!」。 ハハハ。21歳かぁ。えーと、なんだ。最近彼女が自分に冷たいって悩んでるらしいけど、それはきっとオマエが原因だ!!ハハハ、頑張れよ!!じゃあな!!! --------------------------------- 外の寒さにますます拍車がかかります。ブリザード状態。一年前の自分にチョットむかつきました。いいさ、若いハジメ君よ。せいぜいその後、痛い目にあってくれや・・・二度もな!!! やれやれ、・・そろそろ出会い系サイトの出番かなぁ? 21歳になりましたが、コレからもよろしくです。 Dec / 01 / 2002 (2002年 12月1日) the FIELD OF VIEW が約9年間の活動を終え、今日また新しい道を歩き始めました。 1994年2月、VIEW というバンドがシングル「あの時の中で僕らは」でデビューしました。翌1995年5月、FIELD OF VIEW としてシングル「君がいたから」で再デビューし、7月にリリースされた「突然」はミリオンヒット曲となり一躍有名アーティストになりました。2001年5月、バンド名が the FIELD OF VIEW に変わってからはシングル計3枚をリリースし、12月1日の赤坂BLITZで行われたファイナル・ライブコンサートを最後に解散しました。 僕がはじめて FIELD OF VIEW を知ったのは1996年、「突然」のシングルCDを友人から借りた時でした。当時、僕は海外に住んでいたタメ、日本の音楽に対して大きな興味や憧れを持っており、その中でも特に ZARD や WANDS など、ビーイング系と呼ばれるアーティストが最も好きでした。FIELD OF VIEW もその一つで、サウンドが親しみやすかったのだと思います。そして、同年夏に出会った友人から借りたカセット・テープに録音されていた「君がいたから」を初めて聴いた時の感動は今でも忘れられません。以降、僕は FIELD OF VIEW の大ファンとなり、1998年3月にここの FIELD OF VIEW のファンサイトを始めました。 思えば、FIELD OF VIEW は僕の高校生活そのものでした。多くの曲に想い出が込められています。ただ、2000年に僕が高校を卒業してからは昔程彼らの曲にはまるコトも少なくなり、彼らの音楽活動も行き詰まっているようにも見えました。僕も大学生になって、今年5月、the FIELD OF VIEW が解散するコトを知りました。自分がずっと憧れていたアーティストが解散してしまうのはとても残念で、できるコトならいつまでも活動してほしかったのも本音です。 今日の最後のステージへ行けたコトを本当に幸せに思います。メンバーも意識してか、元気の良いアップテンポな曲を中心に歌ってくれました。「渇いた叫び」「風よ」など、僕が大好きな歌も演奏し、ライブ中の「THINK OF MYSELF」ではヴォーカルの浅岡さんと目が合いました。・・と、こんなコトを言うと「それは思い込みだよ」とか言われそうですが、僕も恋する乙女のように嬉しくなってしまい、ときめいてしまいました。この「THINK OF MYSELF」は、将来への道について歌った曲で、今は高校時代に初めて聴いた時より、歌詞の込められた想いが伝わってくるような気がします。自分の青春時代に聴いていた歌は、その頃だけでなく、大人になって聴いてもまた新しい味があるように思います。いつまでも FIELD OF VIEW の音楽を聴き続けて行きたいと思います。 今まで4度彼らのライブへ行きましたが、今日の解散ライブが最高のステージだったと思います。終盤では泣き始める女性ファンも多く見られました。僕も泣きはしませんでしたが、やはり一番最後の「君がいたから」のメンバーとファンの大合唱ではグッとこみ上げてくるものがあり、ほんの少しだけ目に熱いものがたまりました。 最後のメンバーからファンへのメッセージでは、小橋さんの「いいバンドでしょ。」という一言が、強く印象に残りました。ファン想いの、最高のバンドに出会えて本当に良かったと思います。解散と聞くと寂しいですが、メンバーはこれは最後ではなく出発で、必ずまた会えると言ってくれました。 メンバーが最後にステージ脇に姿を消す時。浅岡さんだけが立ち止まり、振り返ってマイクを使わずに大きな声で「ありがとう!!」と叫びました。僕も FIELD OF VIEW からもらったものは多かったです。FIELD OF VIEW、ありがとう!!いつまでも、FIELD OF VIEW のメロディーは僕の中にあります。 Dec / 28 / 2002 (2002年 12月28日) 聖なる夜、クリスマス・イブの出来事。 昼、友人ケンイチが横浜にハードディスクを買いに行く用事に付き合って、夜は彼とプレステやってマッタリしていました。そこへ友人ASOが「ガン飲みしようぜ!」というメールと共に乱入し、酒を買いに行き、3人で部屋で騒いでおりました。 僕は体調がけっこう悪かったのですが、そんなコトはお構いなしの(珍しくテンションが高かった)ASOは僕に飲みながら歌って踊れコール。僕はビール片手に、マライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス 」("All I Want For Christmas Is You")を何度も歌わされ、踊らされ、飲まされました。ちなみに、その時の映像が動画で残っているのですが、ケンイチの感想通り、自分で見てもキモイです。酔って上半身裸になった状態でのマライヤ・キャリーは醜態です。 かわいそうなハジメ君も、とうとうシャンパン1杯、ビール2本、氷結21℃(ウォッカ)のボトル1本を空けたトコロでイノセント・リバース。最初の一撃はビニール袋に放出できずに、ケンイチの部屋のコタツ、床、パソコン、その他諸々を汚しました。その光景は、まさに2002年を象徴するかのようなリバース。ケンイチはキレながら笑っていました。ASOは自分のコトでも自分の部屋でもないので、爆笑していました。 さて、普通ならリバース後はすっきりし、飲ませてた方も手を止めるハズなのに、この日のASOは外道でした。その後も、僕にウォッカ(ちなみにストレート)とマライア・キャリーを強要しました。今度はJINRO(ウォッカ)、先程の氷結21℃よりずっと強力です。 ・・・・・ぷつっ。 ここら辺で、僕の記憶がお空に翔びました。その後のコトは覚えていません。 生まれて初めて、酒で記憶が飛びました(日常生活での記憶パルプンテなら茶飯事ですが)。ケンイチがその時の様子をデジカメで撮影していたのですが、後になってそれを見ると記憶にない光景が。ハジメ君がASOに抱きついたり、暴れたり、酒を片手ににっこりしていたり。思わず、「オマエ、手に何持ってんだよっ!!」と突っ込んでしまいました。JINROは、一人でほとんどボトル空けたようです。ストレートで。素面じゃぁ、絶対にできません(ストレート嫌いだし)。 ケンイチの話によると、その後も2度程リバースしたそうです(被害はあまり大きくなかったようですが、それも1度目と比べての話)。唯一覚えているのは、ASOが帰った後、ケンイチが僕を洗面台まで運んで顔を洗わせ、親切にも液キャベを飲ませてくれたコトです。ちなみに、せっかくケンイチが蛇口をひねって水を出してくれたのに、僕がすぐ水を止めてしまったのに腹が立ち(目の前に水が流れてるのを見るのも気持ち悪かったから止めたんだよ・・)、僕の背中を手でおもいっきり叩いたら「痛いよぉぉぉ〜・・」と情けなさすぎる嗚咽を漏らしたそうです。あと、朝トイレに篭城していたのも覚えています。もう胃液すら出ない状態で、「ぐおおおお」とビエリ(サッカー・イタリア代表)風の叫びをかましていました。 今まで、どんなに飲んでも記憶だけは鮮明にあったのに。記憶が無い=理性が無い、下手するととんでもない国家秘密を口にしてしまうかもしれません。あぁ、怖っ。スパイになれません、僕。 「責任とってよね。」 「は?」 そんな男女の会話を思い出します。 まぁ、世の中の若人がクリスマスのイルミネーションに胸をときめかせたり、子供たちがサンタさんが来るのを待ちきれずに寝てしまったり、サンタとトナカイが世界中の子供たちに夢を運んでいる間、僕は寝ゲロ。もう最悪。 人生最も想い出に残るクリスマス・イブとなりました(後半記憶がないのに)。ケンイチも予想以上の僕の飲酒量に免じて、多少は大目に見てくれた・・・と思います。多分。多分ね。・・・どうだろね。彼のパソコンのモニターにもぶちまけちゃったからなぁ。 ただ、腹立つのはこの晩、人に飲ませるだけ飲ませたASOはたったのビール1本とウォッカ1杯しか飲んでいないコト。ケンイチも言ってたけど、マジでアイツが一番タチ悪ぃぃ。 |