広島旅行記2―安浦
広島旅行記第二回、前回の舞台尾道から列車に揺られること1時間半の距離にある港町安浦からお届けする。なお尾道から三原までが山陽本線、三原から安浦までが呉線となるのだが、三原―安浦間を含む呉線の東半分は海岸沿いにへばり付く様に分布する小集落を結ぶ路線であり、二両編成のワンマン列車が一時間半に一本走るだけのローカル路線(それでも通勤時間帯以外全く運行しない山奥の路線とかよりはましなのだが・・・)である。そのため事前に時刻表を調べておかないと自分のように三原駅で1時間足止めを喰らうこと請け合いだ。
そんなこんなで瀬戸内の海岸を眺めながら辿り着いた安浦駅、次の列車は当然1時間半後、それを逃すと後々の予定に支障をきたすので時間だけはしっかりと確認する(なおもうちょっと先の広まで行くと1時間二本運行のかなりましな路線になるのだが、安浦にいる限りは何の恩恵もない)。駅舎を出るととりあえず路線バスが止まる場所くらいはあるだろうという規模の駅前広場があり、暖かい日差しと潮気を含んだ風もあいまって来訪者にローカル線途中下車気分を満喫させてくれる。コンクリート船は一応町おこしの観光スポット扱いで、駅舎の横にそびえる巨大な案内看板にもしっかりと描かれていた。![[観光客には絶対関係ない物件まで書いておかないと地図が真っ白になる悲しい現実]](img/hiroshima1-00.jpg)
看板がある安浦駅からコンクリート船へのアクセスは、看板をご覧になればわかるとおり国道185号線を道なりに東へ歩くだけである。徒歩だと約15分ほどで右手に浮かぶコンクリート船二隻が視界に入ってくる。一応路線バスも走っているが、運行本数があれなのでたいていの場合歩いたほうが早いだろう。なお一応観光スポット扱いになっているとは書いたが、コンクリート船の周囲にそれらしき看板などはおかれていない。国道は車通りも多いので自動車で来訪する場合は注意が必要だろう。![[手前の桟橋は漁協関係者以外立ち入り禁止]](img/hiroshima1-01.jpg)
いよいよ辿り着いたコンクリート船への入り口。周囲は安浦漁協の作業広場で、牡蠣の養殖プラント(帆立貝の貝殻を利用したもの)や漁礁と思わしきワイヤー製の篭などがうずたかく積まれていた。周囲にはコンクリート船を真横から見られる桟橋もあったが、残念ながら漁協関係者以外立ち入り禁止になっている。![[牡蠣養殖プラント。地上に置いてある物だけでそれはもう無茶苦茶な数]](img/hiroshima1-02.jpg)
国道からだと帆立貝の山に隠れて見えないコンクリート船入り口。駅ホームの「町の史跡」看板にノミネートされているとは思えない侘しさだ。一応脇に船の由来を記した目立たない看板があるが、この船に関する看板は周囲にそれ一枚だけ。コンクリート船への扉はまるで「本来は立ち入り禁止だけど管理面倒だから開けっ放しだよ」とでも言わんばかりの中途半端さで開け放たれていた。やる気あんのか安浦町。![[これでも駅構内の観光看板では町の名所扱いなんだぞ!と言わんばかりに]](img/hiroshima1-03.jpg)
ここで安浦漁港に眠るコンクリート船「武智丸」について簡単な解説をしておく。ここで触れるコンクリート船とは、第二次世界大戦中に鋼材不足を理由として建造された文字通り鉄筋コンクリート製の船舶のことである。コンクリート製の船は重たいため輸送効率が悪いが、建造に必要な鉄の量が通常船の半分だけ(ただし減らせるのは鉄の使用量だけで、逆に木材やコンクリートの所要量が膨大になってしまうため決して実用的ではない)という特徴がある。
日本でこのコンクリート船を建造したのは武智造船所という土建屋さんが作った造船所で、敗戦までにまた後ほど紹介する曳航式油槽船(要するに燃料タンク)5隻と本格的コンクリート船舶である「武智丸」級4隻が作られている。安浦港に眠っているのは後者シリーズの「第一武智丸」と「第二武智丸」で、姉妹船四隻のうち「第三武智丸」は戦時中に触雷沈没、「第四武智丸」は未完成状態のまま戦後荒天で同じく沈没しているから現存する二隻が揃ってこの安浦に在ることになる。![[ちなみに零戦の御値段が一機数万円の時代。まあ戦中のインフレとかで通貨価値違うかもしれないが]](img/hiroshima1-04.jpg)
前置きが長くなったがいよいよコンクリート船に乗り込むことにしよう。二隻のコンクリート船は陸(手前)側が「第一武智丸」で、海(奥)側が「第二武智丸」。この二隻は艦尾をつき合わせた姿勢で海底に固定されており、施設後の地盤沈下によりやや外海側へ傾いでいる。なお船上には鋼鉄製の渡り廊下が設置され、更に奥側の堤防まで歩いていけるようになっていた。ちなみに地元民にとってここは良い釣りスポットのようで、自分が訪れている最中にもおじさんが一人釣り糸を海面にたらしていた。![[入り口入って右を見たの図]](img/hiroshima1-05.jpg)
ではまず海側の「第二武智丸」船尾側から見ていくことにする。船尾甲板は鉄筋コンクリート製の梁がむき出しになっており、その上部は板張りの甲板になっていたことが想像される。なお開口部は煙突が通っていた場所で、船体部(機関部)まで付きぬけた構造になっている。資料によると武智丸級搭載の機関は800馬力のディーゼルエンジンで、最高速力は8.5ノットだそうだ。![[甲板はどうやって固定していたのだろうか]](img/hiroshima1-06.jpg)
中央甲板に降り立ち艦尾側を振り返る。手前の巨大な穴は第二船倉でここに積荷を収める。図面によると艦尾船室と第二船倉の間にはデリック(クレーン)が作りつけられていたようで、それらしき場所に直径50センチほどの穴があった。![[落下防止の手すりは勿論後付のもの]](img/hiroshima1-07.jpg)
デリックの柱が刺さっていたと思われる場所から船倉を覗き込む。このようにパーツがこすれあう部分は鉄がむき出しになっており、摩擦に弱いコンクリートの性質を補っている。狭い船倉内の海水は攪拌されないせいか異常に透明度が高く、陽光に照らされエメラルドグリーンに輝いていて幻想的だ。![[露光の関係でコンクリートが真っ白に]](img/hiroshima1-08.jpg)
船尾船室内に踏み込む。ススキが生え、鉄筋コンクリートの梁と柱だけになったまるで船室は廃ビル化何かのようで船内と言うイメージはあまり感じられない。ただし天井は今の常識からすると天井が低く圧迫感はある。まあ今の平均的体格の日本人からすると当時のビルはみんな狭苦しかったのかもしれないが。![[右の穴は煙突が貫通していた場所]](img/hiroshima1-09.jpg)
船尾船室右舷側の窓。勿論ガラスは残っておらず、鉄製の窓枠だけが形をとどめている。窓の向こうは安浦漁港。![[使うべきところはしっかり鉄で作ってある]](img/hiroshima1-10.jpg)
船尾船室の行き止まり。果たしてこの写真を見せられた人はこれが船の中と言われて信じられるのだろうか。![[僅かな砂地を使って根を張るススキの繁殖力に脱帽]](img/hiroshima1-11.jpg)
艦尾船室を出て甲板を眺める。手前の開口部が第二船倉、奥のそれが第一船倉。最も船倉内部に隔壁は現存せず、船体内は一つの大きな空間と化してしまっている。開口部の手すりは御覧のように限られた部分にしか無く、端のコンクリートの腐食も激しい状態なので誤って落下しないよう注意が必要だろう。落ちたら最後自力での脱出はおそらく不可能だ。![[PTA要注意区域?]](img/hiroshima1-12.jpg)
船倉内部。鉄製の骨格らしきものが走っている。なるほどコンクリート船と言えど芯になる部分は鉄で作ってあるのだ。通常船舶の半分とは言え鉄を消費するのも頷ける。このとき海面は風が出てきていた為若干波打っていたが、風の届かない船倉は御覧の通り。![[船倉内にも漁業用具が転がっていたりする]](img/hiroshima1-13.jpg)
今度は船首船室に入ってみることにする。船首楼は屋根までコンクリートで覆われており、内部は真っ暗闇の暗室となっている。入り口部分は崩壊が進み鉄筋がむき出しになっているが、船首楼自体は堅固なもの。なお船室内に転がっている錆びた鉄製の物体は船の備品ではなく漁業に用いる道具らしい。要するに漁協の人たちが物置代わりに使っているということか。![[船首船室。掃除とかされていないせいか妙に散らかっている]](img/hiroshima1-14.jpg)
渡り廊下は一旦船首楼を上り、「第一武智丸」の先に新設された堤防と真新しい小型灯台まで続いている。こうして堤防から眺めてみるとしっかり船のまま堤防と化しているのがお解かりいただけるだろう。なお艦首部が甲板の高さまで鉄板で覆われているのは武智造船所製コンクリート船に共通する特徴で、おそらく艦首部の保護と造波抵抗の低減を目的としたものだ(そのため艦尾には無い)。いずれにしても戦時中の設計のため極力曲線を減らし、生産加工が簡単な直線的主体のフォームとなっている![[階段のつくりがいい加減なんじゃないぞ、船が傾いているんだ!]](img/hiroshima1-15.jpg)
オマケとして渡り廊下の基部。かなりヤケクソな固定がなされているのがわかる。![[直接溶接かよ!]](img/hiroshima1-16.jpg)
堤防から身を乗り出して側面を撮影すると、流石に60年間潮水と潮風に耐えてきた風化の度合いを肌に感じることができる。外壁が剥離し一部は鉄骨が露出し始めているが、よほど酷い天変地異でも来ない限りあと数世紀は確実に耐えていてくれそうだ。![[やはり海側の方が腐食が早いか]](img/hiroshima1-17.jpg)
続いて陸側の「第一武智丸」に移るとしよう。この「第一武智丸」は武智丸級特設輸送船のネームシップであり、船の状態も先ほど紹介した「第二武智丸」とそれほど変わらない。強いてあげるとすると船首船室・艦尾船室に共に雨水が溜まっていること(なぜ「第一武智丸」だけなのかは謎)、左舷側にテトラポットで防波堤が築かれていること、土木工事の結果船倉のほとんどが土砂で埋まってしまっていることだろうか。いずれも堤防になった後の経緯が多少異なるだけで、船としての要目はほとんど違わないだろう。![[何故か水浸しの船首船室。雨漏りするのか、それとも床の水密がしっかりしているのか。更に艦尾船室も水浸し]](img/hiroshima1-18.jpg)
![[右舷側にはテトラポットが積まれている]](img/hiroshima1-19.jpg)
![[第一船倉は土砂で埋められている。怖くて上に乗る気にはならなかったが]](img/hiroshima1-20.jpg)
最後に船首楼。完全にコンクリート製の壁で水密構造になっており、当時の駆逐艦などと同じく船首甲板を持っている。船室内部の状態は前述の通り。なお直線が多用された「第一武智丸」船首部は堤防と国道を繋ぐ埋め立て区域の外壁にめり込む形となっていた。![[斜めになっている所は舫綱を通すところらしい]](img/hiroshima1-21.jpg)
![[戦時急造艦特有の直線構造]](img/hiroshima1-22.jpg)
以上で武智丸級コンクリート船堤防の見学記事は終了となる。この堤防はもとが軍艦ではなく輸送船、しかもキワモノの部類に入る船であるため知名度は低いが、敗戦から60年以上が経過した今でもその形状を明確にとどめている数少ない「生き残り」でもある。幸い安浦町はこの二隻を観光資源として末長く保存していくつもりのようであるから、興味を持たれた方は一度彼女達を訪ねてみてはどうだろうか。