一章 戦争の世紀
1 窮鼠
旧西部ポーランド地区、大ドイツ帝国
烈風が家々を舐め、重層的な砂埃の壁でできた小さな嵐が吹き抜けていった。それ以外に動くものは無い。数ヶ月前に突然西の国境を押し入って来た連中が行った野蛮なパレードにより『急激な過疎化』を起こしてしまったかつての平凡な片田舎には、もう人間の営みというものは残されていなかった。終末的光景。ここには未来とか希望とかという陽性の物事はなく、かといって恐怖だの死だのといった陰性の物事も無く、ある物は自然の風化に耐える虚ろな廃墟の群れのみ。
グライフ・フォン・バルクハウゼン少尉が小隊を構成する三人の部下と共にうずくまっている場所はそのような場所だった。彼を入れても四名、いや、一等兵が今朝方の戦闘で戦死したから三名がこの干からびた町にいるこちらの兵力のすべてだった。ほかにも多少はいるかもしれないが、それを当てにすることはできない。その兵隊が擦り切れたゴム紐のような状態の彼の小隊とはうって変わって完全充足状態というわけではないだろうし、彼はその集団と遠距離から意思を疎通する手段を持たない。であるならば、彼らは自分達を発見したらまずそれを敵と認定し、握手の手ではなく銃弾と擲弾を差し伸べてくるだろう。
つまり彼の戦力は幸いにも傷らしい傷を負っていない自分を含めて三名。減ることはあっても増えることは無い。そして彼が出撃前に受け取った命令はこまごまとしたものが多数付着していたが、単純にいうと、
『別名ある限り、最後まで戦え』
というものだった。つまり彼は眼前のヴァルキュリアから微笑みと、英雄の認定賞と、ヴァルハラにおける傭兵契約書を差し出され、それにサインをする一歩手前の状態であるということだ。
敵はすでに町の大部分を掌握していた。彼ら昨日一日この廃墟の中を立ち回り、その後に廃墟の中心部、町の中央広場に鎮座して住民に向かって憩いを噴出していた噴水に代わるものとして設置された爆撃痕(無論パレード一行がこしらえた物)に追い詰められてしまった。全周囲、ほぼ半径五十メートルの視界は開けている。弾は次の戦闘をすれば尽きるだろうが、疲労は極限というには多少オーバーな程度。だが気力は萎えていた。この町に入ってからというもの、気を休める暇が無かったからだ。
事態はすでに残敵掃射の最終段階にあった。もちろん彼らは駆逐されるほう。だが敵も戦力には余裕が無いらしく、攻めてくるのは自分達の倍程度の数の兵力だった。だから一瞬で決着がつくわけも無しに小規模な打ち合いの連続だけで無為に時間が過ぎた。戦力を無駄遣いしたくない敵はこちらが疲れるのを待っているのだ。そしてその目論見は実現している。こちらの部下は一名戦死し、弾は尽きかけ、精神は疲れ果てた。
バルクハウゼン少尉は上体をそらし、視線を空に投げた。雲量十。大気は乾ききっているが、青空は無く、真っ白な雲が一面を覆っている。そしてその白の中に一つの黒点。鳥ではない。航空機だった。付近に友軍の航空機部隊がいるという情報を受け取った覚えはない。実のところ敵軍についてもいないと聞いていたが、とりあえずは敵かもしれないと考えるべきだ。
彼はゆっくりと体を回した。体の表面に降り積もっていた砂がこぼれ落ち、直線的な斜面を伝って地面に落ちる。すっかり砂が入ってしまった関節がじゃりじゃりといやな音を出した。直立すれば周囲の家屋の一階部分よりも高い巨体が寝起きの巨大草食動物のような速度で向きを変える。この程度ならば二次電池(充電式バッテリー)の電力で事足りた。周囲に猛烈な騒音と熱風を撒き散らす彼の心臓は動作を停止させてあった。顔面が航空機の見えた方角を向く。ほとんど胴体に埋まっているいびつな顔に据え付けられた目が遥か彼方を飛行してくる航空機を追った。彼は、身長三メートル半を越える鋼鉄製の戦闘機械だった。
「軍曹、今回の戦で航空機が出張ってくる予定はあったか」
「いえ、聞いておりませんが」
わきに転がるオルカーン・シュミット軍曹が彼と同じほとんど同じ顔を回して返事をする。士官、下士官、兵士という身分の違いはあるが、彼の小隊を構成する人員はすべて同じ形式の人型戦闘機械、一般的には歩行戦車と呼ばれる存在だった。
「ならば・・・関係ないのだろうな」
話の途中で航空機は向きを変えた。あさっての方角に向けて小さくなっていく。余程のことがない限り彼らの上空に来る可能性はなさそうだった。彼らの主要装備である弾の切れかけた二十ミリ機関砲ではできる抵抗は限られているし、もしこんな蛸壺の中で転がっているところを航空機に襲われでもしたら、いかな彼らとはいえ生きるか死ぬかは運を天に任せるしかない。生身の人間よりはよほど頑丈にできている彼らだが、その分目立つし、とっさに隠れることのできる物陰は少ない。
「ハンス、気分はどうだ」
彼がハンスと呼んだ一等兵は一時間前の戦闘で敵数名に何らかの被害を与え、その代償に相応の反撃を受けていた。しばらくは恐慌状態だったが、そろそろ正気に戻ってもらわなくてはならない。
「はい、小隊長殿。自分の右腕はすでに死んでおり、足回りもそろそろ限界であります。申し訳ありません」
「そうか、御苦労。左腕は生きてるな。次からは左腕を使って俺達の後ろから射撃しろ。ただし無理はしないでいい」
「了解しました」
一等兵の階級ペイントを塗った薄汚れた歩行戦車が凛々しく応答した。これで彼が指揮官としてすべき事はとりあえず無くなった。また部下に命令を発することもあるかもしれないだろうが、しばらくは一人の兵隊として周囲を見張り、戦い、死ぬこと以外にすることは無いだろうと思われた。
日が傾いてその光がずいぶんと赤みを帯びてきたころ、状況に変化が現れた。
「敵襲!北から来ます。」
最初に兆候に気がついたのはシュミット軍曹だった。歩行戦車に特有のキィィンという甲高い高速回転音、その廃墟の壁に何度も木霊して複雑怪奇に変調したものがバルクハウゼンにもかすかに聞き取れた。数はおそらく二、三機程度。少ない。前の敵は六機いたからどこかに別働隊がいるはずだが、とにかく応戦するしかない。
「戦闘準備、見え次第撃て」
彼は二人の部下に命じながら停止していた心臓に魂を入れた。これから戦闘を始めるというのに非力な二次電池では話にならない。彼の体に内蔵された小型の二次電池の持久力では、彼の巨体が十秒全力疾走するまえに干上がってしまうかもしれない。
小さな音と共に回路が接続され、心臓――マインバッハ社製霊子エンジンに並列に二個埋め込まれたタービンが鋭く、力強い音を発しながら猛烈な勢いで回転し始める。発電量が上がり、これまで檻に閉じ込められた象の様な有様だった巨体に獰猛な力がみなぎった。下部の排気ノズルから吐き出された高温の排気が爆撃でできたクレーターをスコップで掘っただけの急ごしらえの壕に満ち、立ち上った陽炎が町並みを揺らめかせる。ここまでほんの一秒。既に十年前のレベルで出力的限界に達したと言われている霊子エンジンが未だに重宝される最大の理由がこの極端な出力変化を可能にするレスポンスのよさだった。
「了解」
一等兵が応答し、軍曹が応答の代わりに銃を敵の来る方角へと向けた。二機共に霊子エンジンの起動を完了している。既に壕の中は生身の人間ならば蒸し焼きになるような暑さになっているはずだ。
ハンス一等兵の声が途切れるかいなかの時点で、黒い影が陽炎に揺らぐ廃墟の向こうに現れた。右肩を赤く塗った歩行戦車が三つ。遮蔽物を巧みに利用しながら猛烈な勢いで接近してくる。そして発砲、列を成した銃弾があたりを舐めていった。有効射程外からの当てずっぽうな射撃だ。牽制以上のものでは無い。
「おい、三機しかいないぞ。やつらは囮だ。周囲警戒、残りを探せ」
今接近中の三機一小隊以外に敵の気配は無い。というよりも自らが巨大な騒音を発している状況では敵の機関音を遠距離で聞き分けるのは不可能だ。仕方ないが、今は接近中の脅威目標も撃破しなくてはいけない。
「接近中の敵は自分とハンスで叩きます。小隊長殿は周囲警戒を」
銃弾が少しずつ壕に収束し始める。浅い角度で肩に命中した二十ミリ弾が装甲に弾かれ、引っかいたような傷を残して明後日の方向へ飛んでいく。
「糞ったれ、残りはどこにいやがる」
囮と見られる敵は既に両者の銃弾が有効射となる領域に入ろうとしているが、なかなか命中しない。できる限り遮蔽物に隠れ、射界に入らないような軌道をとって着実に接近してくる。そして、壕から一番近い遮蔽物まで到達した。敵が攻撃拠点を確保した以上、これからはうかつに頭を上げられない。
「少尉殿、西から別働隊」
ハンスが叫ぶ。さっきの奴等と同じ、右肩を赤く塗った歩行戦車が三機、こちらの射程外を猛烈な勢いで突進してきた。非常にまずい状況だった。奴等はこのまま数十メートル以上をひとっ飛びし、こちらの陣地まで突っ込んでくるつもりだ。決して誉められた攻撃方法ではない。すぐに見つかって狙撃されるのがオチだからだ。だが今回に限っては正解だった。敵はこちらの頭数と懐具合を熟知している。
「糞、少尉殿、奴等跳ぶ気で」
金属音。ハンスの頭部で赤いものがはじけた。クリティカルヒット。頭部に作りつけられた様々なものが衝撃でひん曲がったり吹き飛んだりする。それっきりハンスは動かなくなった。
「畜生」
残った二人で先ほどまでは正面だった側面を気にしながらも撃ち返す。既に最後の跳躍に入っていた敵小隊は避けようが無いはずだった。ヒット!先頭と二番目の跳んでいた歩行戦車に命中したように見えた。実際にはその三機は熟練者のみに可能な横滑り機動で銃弾の大部分を避けきってしまったが。
「小隊長殿、まずいです、東からさらに敵の増援」
うっと小さく呻く。だからといって手の施しようが無い。完全なる飽和攻撃。敵は攻者三倍の原則を完全に充足したわけだ。
やはり三機一小隊の歩行戦車が跳躍に入っている。間に合わない。さらにこれまで囮の役を果たしていた北の小隊までもが跳躍機動を開始した。九機の歩行戦車がそれぞれ五十メートル近くを跳躍し、小さな壕へ突っ込んで来る。最悪だ。
「白兵戦闘!」
機関銃を投げ捨て、脇に転がっている歩行戦車専用の巨大なスコップに手を伸ばす。残念ながら周りに白兵戦の武器はこれしかない。
コンマ数秒で敵の影が迫る。マズル・フラッシュが九つ。彼らが着地する遥か前にまず軍曹が蜂の巣にされた。同時に銃弾の嵐が彼にも襲い掛かる。スコップをとる暇も無かった。両足が死に、右腕が死んだ。敵の集団が着地。壕はいとも簡単に占拠された。生きている左腕で地面をまさぐる。ハンスの持っていた二十ミリ機関銃に手が届いた。敵に気づかれる。銃声。衝撃。左腕が機能不全になったという情報が脳を走った。
断末魔だった。
「ご苦労様、ゲルマンスキー」
指揮官機らしき歩行戦車のスピーカーから、場違いな可憐な少女の声が響いてきた。彼が撃ち倒したはずの歩行戦車。命中弾痕は全く無い。その声にはまったくもって不釣合いなごつい腕には二十ミリ機関銃が握られている。こちらに銃口を向けて。
「君が最後の生き残りだ。おめでとう」
最後の閃光。視界が赤く染まった。