富山の写真1―富山城跡公園&JR特急ひだ

 第一回目となる今回は富山市の中心市街地施設の風景と、鉄道車窓風景。

 と書いておいていきなり中心市街地から少し外れていて恐縮だが、夕暮れの富山縣護國神社。戦前に国軍の戦死者慰霊施設として各県に建設された護國神社チェーンの富山支店である。歴史的・伝統的な謂れは薄いが国家のバックアップを受けていただけあって、今でも境内は綺麗で氏子さんもいる。表口の道路が綺麗に整備されており、遠目に見た景観はよい。後ろはそのまま神通川堤防。

 護国神社の門前を横切る「けやき通り」。南北2キロ程で車線を覆い隠すほどの立派なケヤキ並木が続き、グリーンベルトを形成しておりお気に入りの道である。より中心市街に近い東の幹線道路に比べると信号・交通量ともに少なく、それでいて片側二車線なのでねぐらから富山駅や海岸方面へアプローチするときには重宝する。走行して良し、歩いて良し。

 富山市中心市街にある城跡公園の富山城。「僕は身の丈という言葉を知っています」という声が聞こえてきそうな、戦災復興記念で建築されたという鉄筋コンクリート製の小ぶりな天守閣(佐々成政時代の城は戦国時代末に、江戸期の城は明治後期にそれぞれ焼けている)。真新しい漆喰塗りと整った石垣のお陰で清潔感はあるが風格は無い。あと副業でひっそりと郷土資料館もやっている。(クリックで拡大)

 城跡公園南側の水濠。富山市の中心市街地において比較的最近に再整備がなされた区画(公園中心部は目下絶賛土木工事中)であり、青空の日にはとても写真栄えする。整った遊歩道と、2009年末からは環状運転をするようになった路面電車の新設路線(セントラム)が周囲を走っている。(クリックで拡大)

 富山城北側を流れる松川。嘗ての富山城は神通川に面した場所にあったという。明治時代にパウルの動く城よろしく現在の場所に移動した・・・訳ではなく、神通川の方を移動させたそうだ(これは本当)。元々川だった部分は埋め立てて県庁とか市役所の用地に当てられ、ついでに排水用(?)にと残されたのがこの松川である。両岸は桜並木で、花見の季節は写真に移った遊覧船が活躍する。しかし南方から市街地を抜けてくる用水路が水源なので、実際問題として水質はよろしくないと思う。

 富山駅前にて。路面電車(富山地方鉄道運営)の富山駅前電停プラットホームにいる地鉄9000形。超低床式、二両編制、行き先表示板にはカラーLEDを採用。運用開始から半年経っていない最新鋭車両である。なおセントラムというのは利用者の多い富山市街中心部を反時計回りに環状運転する運転系統に用いられるこの専用車両の事を指す。三編制在籍しているが、それぞれ白・銀・黒で機体カラーは異なる。こいつは白い個体。

 路面電車というと赤字垂れ流しで禄に新型車量も買えず、ボロ電車を騙し騙し運用し続けているイメージが強いが、富山の路面電車は頑張っている方である(それでも赤字だが)。こういう丸っこい近代的なデザインの路面電車が走るようになると、街のイメージもがらりと変わるものである。

 ちなみにこいつが旧来の車両。本来は上方クリーム色・下方緑のツートン+赤ラインという野暮ったいベースカラーだが、この種の走る広告看板のような車両も結構な割合で含まれてる。これはこれで目を引くのだが、都市景観という意味ではやはり減点対象にしか見えない。

 久々に訪れた富山駅内部。2010年5月の時点ではしぶとく使われていた旧1~3番ホームもついに閉鎖され、在来線は全て北側の仮設ホームに移設された状態。あわせて駅舎も閉鎖されて改札は西側のプレハブ小屋へと移っている。南北駅舎・ホーム・跨線橋全てが臨時構成品。まさに工事中の駅である。写真右手が解体されつつある旧ホーム(線路もかなり撤去されている)、左手が簡易式の現ホーム。

 線路も架線もない旧ホームの残骸。一年前と比べて進んでいるのかいないのか・・・。

 新ホームの一番ホームに止まる名古屋行き特急<ひだ>(高山経由)。右のほうには同じく名古屋行き特急<しらさぎ>(米原経由)がいる。富山駅は他にも<サンダーバード>(大阪方面)・<はくたか>(新幹線乗継で東京方面)・<北越>(新潟方面)と特急ばかりが頻繁に発着し、普通列車(それも国鉄マニアしか喜ばないような旧時代の遺物ばかりが)はその合間を縫うように細々と走っている。割と鉄成分が濃い方(所謂乗り鉄)なのだが、個人的にパノラマカー級の名車両でもなければ技術革新を肌で感じられる新型の方が好きなのでこの車両構成はあんまり楽しくない。

 <ひだ>の自由席に腰を下ろし、一息つくと発車の時刻に。観光の街・高山へのメインアクセス手段だけあって一般的に行楽シーズンになると<ひだ>は指定席はすぐに埋まる。しかし鬼混雑するのは高山付近からなので、富山始発で載る分には自由席の確保は容易だ。写真は富山駅を出てすぐ、神通川を渡る途中。窓から見えるのは建設中の新幹線の橋脚。これが完成すると(特急の旅客収入でもっている)北陸本線を走る特急は金沢以東は全廃となり、路線そのものも第三セクター払い下げの目に会うわけだが、高山線をフル走破して富山まで来てくれている<ひだ>の運命はどうなるのだろう。

 富山を出て最初の停車駅は珍しく速星。英語風に言うとスピードスター。まるでポケモンの技名のようだが、実は会社最寄の駅だったりする。まあ車通勤だから使わないんだけど。一応合併される前の旧婦中町(現在は富山市の一部)の中心街前にある駅なのだが、基本的に駅前は寂しい。というか駅舎のない側は全部日産化学工業の工場の敷地になっているので、客捌きより貨車捌きのための駅である。<ひだ>も旅客需要というより、すれ違い列車の待ち合わせの暇つぶしのために一部列車が扉を開けているだけ。

 富山駅を出ると<ひだ>は水田の中をひた走る。このあたりでは丁度早植えの稲を田に植える作業が始まる頃合。そのため一部の水田には既に水が張られている。車窓から見える山並みもどんどんと流れ・・・というか大きくなってくる。高山本線は大きく左にカーブし続けながら、やがてはあの飛騨高地を登っていくのである。線路はひたすら上り坂が続き、平野の水田から傾斜地の水田へと車窓の風景も移りかわり、しかし依然として富山市の中を<ひだ>は行く。

 元々は富山湾に面する平野部にあった富山市は、平成の大合併によって6個の自治体を飲み込み岐阜県境まで肥大化した。そのため複数自治体の中心地を縦断するように続いていた高山本線は、どこまで行っても富山市内という事態に陥ることになったのである。何と富山駅を出てから実に40分、5月になっても残雪の見える山がすぐそこにある、元々は細入村にあったこの猪谷駅に到着してもまだ富山市内。いいかげんにしろ。

 ここで<ひだ>は先行列車を追い抜くが、ちらりと見える時刻表は驚きの白さ。

 猪谷駅で車掌がJR西日本からJR東海所属に変わり、やっと富山市ともオサラバ。というか県境を跨いでいるので富山県ともオサラバである。岐阜県だ!東海地方だ! しかし分水嶺はまだまだ先で、高山本線はほぼ同じルートを行く国道41号線共々、ひたすら渓谷を縫いながら高度を上げていく。

 飛騨古川駅。飛騨古川は(特急<ひだ>の視点では)高山の一つ北にある駅であり、こじんまりとだが古い町並みっぽいものや観光客向けの商店が軒を連ねている。高山観光に飽きた客層が主要ターゲットというとかく玄人志向な観光都市だ(都市と呼べるような規模ではないが、大部分が田園と山林だった富山市の南半分よりは余程開けている)。最近は割と知名度も上がってきたのか、それまで閑古鳥だった車内には、明らかに観光客風の男女がどっと侵入してくる。リゾート特急の面目活所である。ちなみに車内販売はこの駅から。

 観光の都・高山に到着。ここで車両が増結されて3両編制から7両編制になり、それでも車内は満員。彼らの多くは新幹線や路線バスなどに乗り換えるために名古屋駅を目指す(一部は温泉で有名な次の下呂駅で降りる)ため、このまま終点までほとんど客の乗降はない。

 高山を出て少し行った所の久々野駅。<ひだ>は停車しないが、ここで先行列車の追い越しと、高山へ向かう<ひだ>とのすれ違いを同時にこなす。

 同じく久々野駅ホーム。かなり葉桜になっているが、五月上旬でも高山近辺では桜の花を見ることができる。

 いつの間にか分水嶺も越え、気が付いたら川の流れる方向は進行方向と一致するようになる。しばらく(DSやっていたり寝ていたりで、かなりの時間が経過している)走っていると少しずつ山と山の間が広がるようになり、やっと平地っぽいところに出てくると美濃太田駅に到着。ここまで来れば掛け値なしに中京圏。

 美濃太田を過ぎると途端に線形が良くなり、これまでの走りが嘘だったかのように<ひだ>は速度を上げる。鵜沼駅を出たところで名鉄特急と電車でD! と思ったら特急増結車両を使用した普通電車だった。ちなみにこの後で名鉄の急行には普通に速度負け。やはり気動車で電車には勝てないのか。

 岐阜駅。ここで進行方向が変わり(スイッチバック)天下の東海道本線に。大垣方面のホームには、モーター音を全開にした120k/hの必死ダッシュが魅力なオレンジ帯の311系。このあとも特急車両の名に恥じない快走(リゾート特急の<ひだ>は尾張一宮にすら停車しない)を続け、終点名古屋駅はもうすぐ。

 そして無事名古屋駅3番ホームに到着。お疲れ様でした。

 青空にそびえ立つツインタワーの威容。

 オマケ。名古屋の駅弁といえばこれ。ひつまぶし弁当。

 残念ながらお茶漬けに用いる茶や薬味(刻みネギ・海苔・ワサビ)は付いていないが、うなぎとご飯の味付けは中々。最小限のそれっぽい気分は味わえる。