横須賀旅行記1―記念艦<三笠>

 今回の旅行記の舞台は海軍の町、神奈川県横須賀。まずはまともな形で日本に現存する唯一の旧帝国海軍の軍艦である戦艦<三笠>である。敷島級戦艦の四番艦(六六艦隊計画における6隻目の戦艦)である<三笠>は日露戦争で行われた主要な海戦に連合艦隊旗艦として参戦した武勲艦であり、特に日本海海戦での伝説的な活躍は世界に名高い。実際にはその日本海海戦で多数の被弾を受け満身創痍になっているし、その半年後に火災事故で佐世保軍港内で沈没するわ、太平洋戦争後の混乱中に艦上構造物を撤去(甲板上のチーク材も燃料用に持ち去られたため極一部を除いて復元品だったりする)されて米兵向けダンスホール兼水族館にされたりと割と過酷な運命をたどっていたりするのだが。

 そんなこんなで建造から一世紀が過ぎた現在の三笠は日露戦争当時の姿に復元されて横須賀市街地に隣接する三笠公園に護岸と一体化する形で保存されており、一般に広く公開されている。ちなみにこの三笠公園、何故か夜間は門が締められていて朝八時までは入る事ができなかったりする(<三笠>の開館は午前九時から)。時限開園制の公園とはこれいかに。何か過去に治安面のトラブルでもあったのだろうか。
[左舷側]

 記念館三笠の入館料は大人500円。地上からは左舷後部に設置された軍艦特有の傾斜のきついタラップを上って乗艦する。入り口でチケットを切って貰うと目の前には後部主砲塔が鎮座しており、その前にはお約束の主砲弾が置かれて(転がって)いる。直径30サンチ、日露戦争当時なら世界最強級の艦砲なのだが、やはり大和や長門の主砲弾と比べるとかなり小さい。
[もちろん人が持てる重さではありません]

 次に<三笠>の戦歴を示したプレート。日露戦争勃発直前に連合艦隊に加わった<三笠>はその後のシベリア出兵・第一次世界大戦では海上警備行動しか行っていないため、参加した海戦は全て日露戦争時のものである。
[太く短い戦歴]

 そのまま後部甲板を横断して右舷側へ。艦体が護岸と一致している様子が良くわかる。ここに来る前はコンクリート船のように舷側がそのまま堤防になっているのかと思っていたが、流石に違ったようだ。ちなみにこの艦内空調用室外機、真っ白なので海側から見るとやたら目立ったりする。せめて軍艦色に塗るくらいの心遣いはあって欲しいぞ。
[右舷側]

 前方に歩くと艦中央部の7.6センチ補助砲が並ぶ区画。吹きさらしとはいえ、このあたりの雰囲気は大帆船 輪切り図鑑で図説されたHMSヴィクトリー(18世紀中頃・ネルソン提督の帆走戦列艦)の砲列甲板そのままである。この時代においては第二次世界大戦期の常套手段である「艦橋トップの測距儀の計測データに全砲塔が連動する公算射撃」はまだ英国で開発されたばかりのテクノロジーであり、最新鋭の英国製戦艦である<三笠>でも主砲まわりにしか実装されていなかった。そのために一層この個別・目視照準の補助砲たちが時代がかって見えるのだろう。
[基本的にネルソン時代と変わらない仕事場]

 補助砲から横須賀沖の猿島を望む。猿島は無人島ではあるが海岸(写真では島の右端)が有名な海水浴スポットであり、訪れた時期が夏真っ盛りな事もあって多くの人でにぎわっていた。
[チョイ左、目標海水浴客!(コラコラ]

 左舷中央区画、残飯を海中に投棄するためのスカッパー。このあたりの生活感がたまらない。
[ここは くずかごでは ありません]

 ちなみに外はこんな感じ。
[ダストシュート]

 補助砲の脇で青空を見上げると帆船時代を髣髴とさせる前部マストにZ旗がはためいている。この時代の日本戦艦の前部マストはまだ一本脚マストの見張り台なのだが、これがしばらく立つと三脚マスト、七脚マストと進化し、最終的にはゴテゴテと部屋が増設されて「パゴタ・マスト」に至る。
[青空にZ旗]

 そのまま上甲板を前方に歩いて艦首部へ。<三笠>はまだ体当たりで艦首を敵艦にぶつけるラム戦法が完全否定されていない時代のため、主錨が微妙に艦首より後ろ側にあったりする(写真手前の舷側がくびれている部分)。
[人が居ないのは朝一で来た成果]

 前部30センチ主砲。第二次大戦期の戦艦に比べると全幅の割にターレットリングが大きい。主砲数や砲弾重量の関係でまだ斉射時の反動がそれほど強くなかったからだろうか。なお前部主砲の下はぶち抜き改装されて大型の講堂と化しており、給弾設備どころか区画としての面影も残されていない。後部砲塔の下層部も円形の区画構造こそ残されているが、内部は備品倉庫になっていたりする。
[というより始発で来たから開くまで朝マック]

 続いて艦橋基部、35cmの鋼板で覆われた司令塔。ちなみに<三笠>後部艦橋基部にはもうひとつ司令塔が設置されているが、そちらの中身は空っぽ。
[名前の割に吹き曝し]

 司令塔内部には操舵輪と方位盤。三笠の公式HPによると艦長もここで戦闘指揮を執る事になっていたそうだ(しかし日本海海戦では東郷平八郎に付き合って吹き曝しの露天艦橋に登っている)。
[操舵主はつらい仕事だったんだろうなぁ]

 艦橋横に置かれた補助砲。筒先には在日米軍の横須賀ベース。
[もちろん固定されているので旋廻不能]

 艦橋最上部の露天艦橋。日曜日ではあるが開館直後に訪れたためまだ人も少なく、歴史に名高い空間を独占することができた。床に打ち付けられた八角形のプレートが日本海海戦時の艦隊首脳部の立ち位置で、東郷平八郎が立っていたのは最も奥(四人の位置関係からすると最も前側)のそれ。また周囲をハンモックで防護されていないため、有名な日本海海戦時の東郷らを描いた絵と比べると非常に開放的である。こんな所に突っ立っていて無傷で済むのはかなりの幸運なのではないだろうか。なおあの絵から受けるイメージと異なりかなり狭い。イナバ物置くらい。
[今の常識からするとここで指揮を執るのはダメコン的に問題だよね]

 露天艦橋から艦首方向を眺める。入港時の艦長はここから細かい操艦指示を下に出していたのだろう。ちなみに<三笠>の艦首は皇居の方角を向いているそうだ。何かしら風水的な意味があったりするのだろうか?
[艦長の視点]

 続いて艦内展示物を見るために艦内へ。タラップを降りて目に付くのは海外の記念艦や士官学校との交流の品の数々。写真のこれは、日本ではメジャーではない方のレキシントン(珊瑚海海戦で撃沈したレキシントンから名前を引き継いだエセックス級航空母艦"CV-16 USS Lexington"。長らく練習空母として用いられた後92年に記念艦となる)から送られた楯。他に舷側の15センチ副砲が置かれた砲室には模型や明治時代の世界情勢・海軍の歴史を記したボードなど、艦中央部の煙路を潰して設けられた大型展示室には<三笠>ゆかりの品が置かれている。説明ボイスが日本語と英語のバイリンガルなのは目と鼻の先に米軍基地がある横須賀ならでは。
[日本にも空母の記念艦が欲しいなぁ]

 艦尾方面に歩いていくと艦幹部の個室(<三笠>で個室がもらえるのは佐官クラス以上のみ)が並び、艦尾部が司令長官公室、その更に奥のどん詰まりが司令長官居室となる。英国艦らしく調度品もイギリス製の高級品が作りつけられており、床もカーペット敷きで非常に貴族的(あの時期の英提督や艦長はほとんど貴族だろうが)。居室にはなんと暖炉まである。
[今では使えないような貴重な木材製の家具も]

 しかし会食用の長テーブル(床が傾いていることに対応して足の長さが異なる特注品だそうだ)が置かれた司令長官公室で一歩視線を横にすべらせると、こんなところにも補助砲が置かれていたりする。これも帆船時代から続くイギリスクォリティ。
[オールウェイズ・オン・デッキを忘れさせないイングランドらしさ]

 ついで東郷平八郎も使用したであろう司令長官専用浴室。<三笠>艦内には同じ部屋がもうひとつあり、そちらは艦長専用。狭い艦中でバスタブと便座を一人で占有できるのは特権なのである。
[今の護衛艦の艦長に専用便器ってあるのかな?]

 浴室の雰囲気やこの洗面台は前述した大帆船 輪切り図鑑の海軍提督に関するページに記述されていた設備そのままであり、18世紀の帆船から150年経っても変わらないイギリス海軍技術の伝統(頑迷さ?)を実感できて今回最も感動した場所だったりする。
[150年経っても進歩がねぇ!]

 以上で<三笠>の見学は終了。予想していた以上にこの艦がイギリス帆船の面影を残す設計であること実感したひと時だった。
[<三笠>全景]

オマケ

 記念艦<三笠>のすぐ横に蒸気機関車(D51)が保存されていた。しかし石炭車に何かプレートが張られているのが気になったので近づいてみると・・・なんと『横須賀市緊急用飲料貯水槽(100m3)』の文字。センスがいいというか何というか。D51自体は人気車種なこともあって日本中に保存されているので、こういう風に魔改造するのもありなのだろうか。
[蒸気緊急用飲料貯水機関車D-51]

 よく見ると石炭車の車輪の間に給水口が。
[何という魔改造]