遠く望むの歌 1





雑踏も、ざわめきも嫌い。
……もういない人の姿を、探しそうになるから。

夜に灯る、蛍のような街の光も嫌い。
……懐かしくて還れない場所を、思い出すから。




……まだ、ちょっと、思い出にはできない。




「おーいパジャ。 じいちゃんがエイカんとこで飯おごってくれるってよー♪」

井戸端の、ちょうどいいころ具合に木陰になっているあたりで休んでいたところに、 耳に触れるだけでいらつく声が届く。 せっかく汗を拭いて気分が少し良くなった のに、とパジャはため息をついた。

わざと無視して立ち上がり、声の主から離れるように、歩き出す。
言い得ぬ胸の靄が、晴れすぎたような早春の空の清澄さには、不似合い。

「お、パジャ発見」

横手の茂みからわいた明るい声に、心臓が跳ね上がる。
確かめるまでもないけれど、一応顔を向ければ、いったいいつの間にまわり込んでいた のか、若い茂みの向こう側に、薄着の少年がいた。

まだ伸びきらない、けれど生き生きとした力にあふれた体つき。
洒落っ気もへったくれもないような ざんばらの黒髪に、同じ色合いの、愛嬌のある 瞳。
この妙に懐っこい目で笑いかけられれば、たいていの人間は、お愛想でも笑い返さ ねばならないような気分にさせられるし、このフェイロンという少年に好感を抱く。

……自分のような人間以外は。

無意味に手を振り回しながら、こちらに近づいてくる少年に、仕方なく覚悟を決めて パジャも向き直る。

「パジャパジャパジャパジャー」
「うるさい! 1回呼べばわかる!」
突っ込むのと一緒に、そういやこの名前は猫の名前だとかほざいていたなこいつと、 あまり笑って流せないことが頭をよぎった。

よぎったのはいいが、再燃しかけた憤りは、夏空のごとくすかっと晴れたフェイロン の声に、吹き飛ばされる。
「なんか今日はじいちゃん機嫌良くってさー」
「……近所の婆様に胡麻団子差し入れられたからだろ」
誰にもやらんぞとひとりで皿を抱え込んで、玉投げの大道芸人のように次々と胡麻団子 を口に放り込んでいた老師の姿を思い返して、我がことでもないのに胸が焼けてくる。 甘いものが好きではない人間には、あの豪快なむさぼりっぷりは理解しがたい。

パジャの冷静な突っ込みは適当に流して、フェイロンはあくまでもマイペースに話を 進める。 ……まあ、この少年がマイペースでなかった試しなぞ、この半年ほど付き 合っていても見たことがないが。

「んでさ、今日は道場のみんなに、エイカの親父さんとこでおごってやるから来たいやつ は早よ玄関んとこに来いって言い出してさ。 だから行こうぜパジャ」
「俺は行きたいともなんとも言ってないっ」
もちろん鬼のように激しい鍛錬のあとなので、当然腹は減っていたが、勝手に決めていか れること、そのことだけが心外で、パジャは声を荒げる。
荒げたのだが。

……きゅきゅう、ぐう。

腹に力が入ったのがよくなかったのか、なにやら間抜けでかわいらしい音を上げて、腹が 鳴ってしまった。
パジャの顔にさっと、朱が走る。

フェイロンが、けらけらと笑った。
「腹しっかり減ってんじゃんパジャ。 つまんねぇ意地張ってねぇで、行こうぜ? 早く 行かねぇと、じいちゃんに置いてかれちまうし。 年寄りはせっかちだしさー」
さ、と腕を引かれて。

「………………」
恥ずかしさに声もなく、パジャは唇を噛んだまま引きずられていった。






うまい団子のあとにはうまい夕飯を食いたいもんなんじゃいという、少々わけの わからない論理をふりまわして大食いに励んでいるトゥヤ老師の真向かいで、パジャは ちびちびと包子なんぞをつまんでいる。
その隣ではフェイロンが、育ち盛りなのはわかるがそれはなんでも食べ過ぎじゃないか と案じたくなるような量の料理を、仲間と談笑しながらぽいぽいと口に運んでいる。

大飯食らいふたりの、一種暴力的な食欲の前で、もとから小さいパジャの胃袋は、げん なりと縮こまってしまっている。
「……なんであんなに食えるんだ?」
理解できず、ため息がひとつ こぼれる。


いつも閑古鳥のエイカの店――――正確に言えばエイカの親父さんの店は、本日夕方は めずらしく盛況。 トゥヤ老師と、その弟子たちのおかげで。
こんな忙しいことなど全然ないせいか、ちょっと親父さんとエイカの連携がうまく 行かず、ときどき料理の皿を持ったまま正面衝突しかけている。 しかし、転びかけて も料理は一粒たりとも床にこぼしたりしないのは、あっぱれ料理人根性という他ない。


「なんじゃい、パジャ。 おまえさん食が細いぞい。 13歳、これから育つ年頃じゃ ねえか、もっと食え食え」
熱い茶を冷まし冷まし飲んで、食べるのをやめていたパジャに、箸を一時休めた トゥヤ老師が、はしたなくも箸を前後にぶんぶん振って、食事を促す。

そうだそうだと、しなくてもいい合いの手をフェイロンが入れるし、これうまいぜ なんて左隣のリャンが魚料理を取り分けた皿まで渡してくれるものだから、やむなく パジャはふたたび箸を手にした。
ほんとうは、お腹はもう8分目に達していたのだが。
こういうふうにかまわれると、なんだか弱い。


……まだこうしたざわめきを、自分には不似合いなもののように感じているのは、 やはりこの輪の中に 完全には溶け込んでいないからだろう。
懐かしいような暖かさと、まだ深いような痛みが、ないまぜになって。
おずおずとここに歩み寄ろうとする足を、心を、あの場所に引き留める。

『パジャ、これもお食べなさい。 おいしいわよ』
『ほらほら、こぼしてるわよ、そこ』
『あら、片付け手伝ってくれるの? ありがたいわ』
……あのやさしい笑み声が、このざわめきの中に混ざっているはずはないのだけれど。

もう一度還りたいと願う幼さは、止めようもない。




「うおっし、みんな食いながら聞けい!」
追想は、ばかでかいトゥヤ老師の声によってぶった切られた。
あやうく噛まずに飲み込みかけた煮魚を、ようやく冷めてきた茶で飲み下して、真 向かいで妙に偉そうに 立ち上がっている老師に目をやる。
他の皆も、唐突な老師の科白に、目をしばたかせながら、喋るのや食べるのをやめて いた。

うおほん、とわざとらしい咳払いひとつののち。
「皆の衆。 さ来週に、大春節祭があるのは知っとるなー?」
ああ、と一同が頷く。

四季の大祭のひとつ、大春節祭。
春の訪れを祝い、豊かな暮らしを七郡神に祈るのが、一応の目的なのだが。
そんなことは知ったこっちゃねぇというように、桜や桃の花びらを浮かべた杯を手に、 どんちゃん騒ぎに終始する連中も多い。 ……というより、そういう馬鹿騒ぎ集団の 方が多いだろう。
でも、それがどうしたのだろう。

「それでじゃな」
もったいつけるふうに、老師が髭をいじくる。 人が悪い。
弟子たちが 自分の話に前のめりになっているのを確認したのち、トゥヤ老師は告げた。


「わっしらも、祭の出しものに参加することになった」


「は?」
間抜けた声を上げたのは、空の皿を何枚も運んでいる途中のエイカ。
そのまま力が抜けて 皿を落としたりはするなよと、パジャがどうでもいいところで 気を揉む。

そんな中いちはやく状況に適応しているのは、やはりフェイロン。
「出しものってなんだ、じいちゃん。 龍形か神車でも担ぐのか?」
「違わい。 巡回劇団の剣舞に参加するんじゃ。 つっても脇役じゃがの」
「劇団!?」
他人に見られるのが、慣れているとはいえ好きではないパジャは、思わず悲鳴に 近い声で反芻した。

トゥヤ老師は、パジャの反応に 意味もなく重々しく頷く。
「そうじゃ、劇団じゃ。 わっしの知り合いがいる劇団での。 なんでも数日前に都に 到着したんじゃが、その日の夜に、飼っていた馬がいきなり暴れだすっちゅー事件が 起きての。 そんでもって役者がけっこう怪我しちまってなあ。 山場の戦乱の場面で、 剣舞やれるやつが 足らんようになってしまったんじゃな」
「でも……俺たちみたいな子供じゃ、迫力不足じゃあ」
いつもは子供扱いされるのが嫌いなパジャだが、ここはそれをうまく利用して切り 抜けるのも仕方ないと、ほそぼそと反論を口にする。

だが老師は、そんな反論は読んでいたというように、にやりと笑う。
「大丈夫じゃ。 舞台の一段高いところで やってもらうからの。 それにだいたい、 おまえさんたちゃ そんな小柄でもなかろ。 心配せんと、思いっきりやれや」
心配とかいう話じゃない! と突っ込む前に、フェイロンが 目を興奮に輝かせて 老師に問う。

「じいちゃん、どのぐらいやるんだ、剣舞。 衣装とか着せてもらって、飾り刀とか 持たせてもらえんのか?」
「おう、時間はそう長くねえし科白もねえが、衣装も飾り刀もばっちりじゃい」
リャンも、フェイロンとそっくりの表情で、前のめりになっている。
「俺 劇に出るなんてはじめてだよ……おもしろそうだな、パジャ!」
「え? あ、俺は……その……」
そんなもの出たくもない、なんぞとは。
リャンの同意を求める まなざしの圧力の前に、言葉にできず。
「……まあ、確かに」
できる限り曖昧に、流した。

「……劇団かあ。 俺一度持ってみたかったんだよなぁ、あのきれいな飾り刀」
「俺、母さんに見に来いって言おっと!」
「気が早ぇなー、稽古もまだなのによ」
「でも舞台かー……どうしよ、俺いまからどきどき言ってるよ心臓」
ふと気づけば 周囲の同輩たちは、皆一様に 興奮しきった面持ちで。
ますますもって、自分はそんなの出たくないからやめとくとは言えない状況に なって しまっている。
(…………)
どうしよう、なんて惑う少数派の意見を、気にかけてくれるような老師ではなく。

「つーわけで明日から、衣装の裾合わせとか舞台稽古とかやるからな。 朝は道場で なく中央広場にある 劇団前に集合じゃ。 いいなー?」
「おう!」
と、あんまりみんなが元気よく頷いているものだから。

「…………おう」
雰囲気負けして、パジャも不本意ながらも頷いた。




今年の春は、どうやら嵐模様。

いままでにない、騒がしい季節になりそうな、そんな予感がする。








≪ 続 ≫





子供時代想像図。
リャンとかいうのは、いわゆるオリキャラです。 エイカが親父さんの手伝いをして いる以上、パジャの隣に座ってくれるような 同年代の少年がいなくて、それはどうだ と思いつつも苦しまぎれに出しました。 あんまり好きじゃないんですよ、自分で書く 時にオリキャラ入れちゃうの……うまく世界に合わせられないような気がして。

ちなみに大春節祭というのも、創作です。
中国っぽいお祭りってなにー!? と悩んだ結果のひねり出し(そればっかだな、この 小説……無理があるのか、それだけ)。

トゥヤ老師がわからない……いま手元に『天高』がないから、口調はうろ覚えだし…… フェイロンが老師を どんな呼びかたで呼んでたかもわからない……(書くなよ、それ なら)。

しかも続きます(うう)。
一話完結を 努力目標としているくせに、なんでしょうね……(嗚呼)。
たぶん次回は練習シーンとか衣装合わせのドタバタになるでしょう。