遠く望むの歌 2





不本意なことをやらされるというのに、几帳面な性分なのか 約束の時間より早く集合 場所である巡回劇団の前にやって来たパジャは、約束の時間ぎりぎりにやって来た フェイロンに、母親がするような説教をしながら劇団内へと入った。




控え室らしい、広い部屋。
「さ、じっとして……そうそう」
「このくらい仮縫いで詰めれば、大丈夫そうね」
「動きにくくない?」
ごちゃごちゃと20人ばかりの少年たちが、順々に裾合わせをしてもらっている。
武術を習っているだけあって、皆そんじょそこらの子供より しっかりした体つきを しているが、さすがに大人用の衣装を着せられては、肩や袖が否応なしに余る。

ざわざわと騒がしい中、パジャもまた 慣れない衣装を、劇団の裏方らしい女性に着つけ させてもらっていた。 女性の器用な指先が、余った下衣の裾を パジャの足の長さに合う 程度に きれいにたくし上げて、さっと針で留める。
その仕草に、くすぐったさと懐かしさが 胸にわいて、パジャは少し目を遠くさせる。

色街でも、娼妓たちが こうやって色々とかまってくれた。
買ってくれた服が合わない時、いつも裾合わせをしてくれるのは、姐さんで。
彼女のやさしさを独り占めしているような時間が、パジャには大事で。

「パジャー! どうだ似合うだろ俺っ」
……ひとの思考を叩き切るのは、いつもこのフェイロンかトゥヤ老師である。
少しの苛立ちをこめたまなざしで、首だけ後ろをふり返る。

黒地に あざやかな花鳥の繍が映える、動きやすそうな衣装。 飾り帯の余り具合が、 成長途中の少年らしさを見せている。 そして腰には、意匠の美しい飾り刀。

こいつには赤が似合うんだな、と意外な一面を見た気がしているパジャを、今度は フェイロンが 頭のてっぺんから爪先まで 眺めまわす。
「んー? パジャの衣装、なんか俺のとちょっと色使いが違わねえか?」
「それはそうよ、坊や。 そのひとそのひとに似合う柄を選んでいるんだから」
パジャの帯を締めていた中年の女性が、笑み声を聞かせてくる。
戦乱の場面、主役たちの後ろで動きまわる その他大勢だというのに、彼らに対する劇団 側の気づかいは細やかだ。 細かいところにまで 気を配るのが、いい劇の場面をつくる ひとつの秘訣だと、教えられる。

フェイロンの衣装の繍は 緋色を基調とした花鳥だが、パジャの衣装の繍は、瑠璃色を 基調としている。 ただ、腰に佩いた飾り刀の意匠だけは、ふたりとも同じ。

「はい、できたわ。 こんな感じでいいかしら? 動ける? 苦しくない?」
「あ……はい、大丈夫です」
「でもあなた魅力的な顔しているから、こんな衣装だけじゃなんかもったいないわねえ。 どう? 本番の時、ちょっとお化粧でもしてみない? 紅の似合いそうなくちびるだ もの……」
「い、いいえ結構です!」
その昔 娼妓たちに遊ばれかけたのを思い出して、パジャが本気でうろたえる。
フェイロンは、そんな様子に失礼とは思いつつも横で ぷっと吹き出しかけた。
色を失っているパジャに微笑んで、女性は彼の肩を、ぽんぽんと叩く。
「やあねえ、冗談よ」
できあがり、と今度は強く背を押されて、あやうくこけそうになる。
バランスを取り戻した時にはもう、女性は違う少年の着つけをはじめていた。

「おお、パジャもなかなかかっこいいじゃん」
フェイロンが愛想よく笑って、小さな拍手を送る。
その軽い音でふとパジャは、あの女性は 自分が魔族なのに、嫌がったりしなかったこと に気づいた。 めずらしい人物もいるものだ。




寸法は各々に合うように、当日までに直しておくことになって、とりあえず慣れない 衣装着せの束縛からは逃れた。 ……と思ったら、次に待っていたのは稽古の嵐。

振りつけ師だという黒髪に色眼鏡の青年に、容赦なくトゥヤ老師並みにしごかれた。
おやつの時間が過ぎようという頃にはもう、ほとんど全員の息が上がっていた。
舞台稽古なら修行よりは楽だろうと思っていたが、これでは修行と大差ないじゃないか と、エイカが泣き言をぼやいている。

舞台裏の、休息場。 少年たちが、思い思いにだれている。

「いやー、剣舞って普通の剣術より難しいな。 やたら大げさに動かなきゃなんねえし、 客席に 下手に尻向けちゃいけねえし」
みんながへばっている中で、ひとり涼しい顔をしているフェイロンが感想を述べるのに、 水を飲みながら パジャも心中で同意する。
無駄のない動きで 相手を制する鍛錬を積んでいる トゥヤ老師門下の少年たちにとって、 舞台芸術である剣舞の派手で見栄えのする動きは、あまりぴんと来ない。

「どうじゃい、頑張っとるかおまえらー……て、なんじゃだれおって。 情けねえ」
のんきな声で場に割って入ったのは、もちろんトゥヤ老師。
もしかしたら 劇の主役の衣装よりも派手なんじゃなかろうかと思ってしまうような、 あいかわらずも 色使いのにぎやかな道着姿である。

「つってもさあ、剣舞ってやりにくいよじいちゃん」
「軟弱言うとらんで、稽古に励めい。 たまにはわっし以外のやつに鍛えてもらうのも 一興じゃろ」
「……確かに強そうでしたねえ、あの振りつけ師のひとは」
あまり武術の腕は強くない方の エイカでも、その程度のことはわかる。
ただの振りつけ師とは思えないような、隙のない身のこなしをする青年だった。
トゥヤ老師が、長い髭をいじくりながら、さもありなんと首肯する。
「じゃろう? あやつは昔、故郷で自警団の団員をしとったらしいぞい」
「……へえ」
汗にまみれた顔を洗おうと立ち上がりながら、パジャは感嘆の声を落とした。




(……どっちだったかな)
通りすがった 舞姫らしい女性に水場を教えてもらったあと。
水場に行き着いて 用事を済ませたのはいいが、今度は帰り道がわからなくなった。 舞台裏なんて 当然はじめて入るのだから、迷うのも仕方ないといえば仕方ないのだが、 往きと同じ道をたどれない自分が情けなくて、パジャはため息をつく。

ふと、人の気配に、正面の廊下を見やる。
ざわざわと、複数の人間が 急ぎ足の様子。 それとともに、ずいぶん昔から聞き慣れた 音が、耳にそっと触れていく。

花簪が揺れて触れ合う、涼やかな音。
晴れ着の裾を引きずる、衣ずれの音。
女たちの、やわらかな笑い声。

着飾った舞姫たちが 目の前を通り過ぎるのを、ぼうっと見送る。
……似ている。 色街の、あのざわめきと。

懐かしさに胸がつかの間 暖められて、次には切なく苦しむことになる。

まだ、自分がなんのために生きのびているのか、わからない。

大事に抱いていきたいと思っていたすべては、あの日の炎の中に。

還る場所もないのに、何処へ歩んで行こうとしているのだろう。

「……姐さん」
彼女を救えないような命なら、失ってもいいとさえ思ったというのに、また助けられ て、ここにいる。

うつむくと、藤の花に似ていると言われた色合いの長い髪が、顔にかかる。
そう言って褒めてくれたのは、やはり やさしく慈しんでくれた彼女で。


思い詰めて足を止めていたパジャの意識は、なにかの小さな鳴き声に引き戻された。
――――おそらくは、馬。 けれどずいぶん、弱々しいような。
なにやら胸騒ぎめいたものに背押されて、パジャは 普通のひとより利く耳で、鳴き声 のした方向を探りあてた。

足をそちらに向けると、簡単な造りの厩があった。
明かりとりの窓から入り込む 春の日ざしの中に、地面に打ち込んだ杭に つながれた 馬が、それぞれの場所にきちんと おとなしくおさまっている。 怪我をしているのか、 うちの何匹かは、体のそこここに包帯を巻かれていた。

(そういえば、馬が暴れて役者に怪我をさせたって……)
おとなしそうな馬なのにと、小首を傾げる。
いちばん怪我の具合のひどいらしい 栗毛の馬は、顔のほとんどが包帯に覆われていた。 かわいそうにと つい近づいて、鼻の頭をそっとなでてやった。 つぶらな瞳をしばたか せると、馬はすぐにパジャの手にすり寄った。
すり寄られたせいで、もとからあまりきつくは巻かれていなかったらしい包帯がほどけ かける。 あ、と慌てて 地面に触れかけた包帯の端をすくい上げると、巻き直してやる ように馬と向き合った。
包帯がほどけてしまったせいで、傷がのぞけている。 深く抉れた傷痕は まだ生々しく も痛々しい。
(……矢傷に見えるけど……なんの傷だろうな)
不審に眉をひそめたところへ、

――――物音。
鋭い耳がとらえたのは、厩の物陰から、誰かが立ち去る音だった。 それも、急いで。
不審に思って、厩舎の中に目を走らせる。 が……もはや、なんの気配も影も ない。

「気のせい……か?」
そんなはずはないと思いながらも、呟いた。




指を折りつつ、大春節祭を待つ人々の 興奮が、はやくも都を満たしている。
はじめの10日は、剣舞の修練であっというまに過ぎて、本番まではあと5日という 頃。

動きが板についてきた。 もう他の役者との合わせ稽古にも参加できるだろう。
振りつけ師の青年のお墨つきをもらって、フェイロンたちは いま、舞台の上で飛び まわったり華麗な足さばきを見せたりと、劇団の役者たちの感嘆を誘っている。

飾り刀の重さに慣れて、振りかざす動作に余裕が見られる。
学習能力の高い少年たちだけあって、動きがすでに剣舞のそれになっている。

「筋がいいですねぇ。 うちに何人か誘いたいくらいですよ」
座長が、舞台を見つめながら、まんざら冗談でもないらしい科白を聞かせた。
客席で揚げ菓子をつまみつつ、トゥヤ老師は 旧友に苦笑を返す。
「悪いが、ひとりもやれねえな。 皆わっしの大事な弟子じゃて」
それは残念と、座長は濃い髭を揺らして 大笑い。


「パジャ〜、もうちょっと手加減して打ち込んでくれよ。 手が痛いだろ」
「……手加減しているつもりなんだが」
「パジャの手加減は手加減じゃねえよー。 手合わせの時だって、手加減したとか言い つつ 腕が下のやつをこてんぱんに伸すじゃん」
稽古中に 何度か切り結んだエイカが訴えるのに、パジャは渋面を見せ、フェイロンが 苦笑で突っ込みを入れる。
確かにパジャは手加減が下手だった。 そのへんの不器用さが、フェイロンとは異なる。 おかげで道場では、師であるトゥヤ老師と、腕がほぼ互角のフェイロンくらいしか、 まともにパジャと手合わせしたがらない。

汗を拭ききったエイカがふいに、高く広がる空を仰ぎ見る。
「でも……もうすぐだな、大祭」
「ああ。 俺兄ちゃんにアヤレーナ姉ちゃんと 見にきてくれって頼んどいたぜ」
「兄って……エンレッド神王家の嫡子か」
フェイロンが言うのに、パジャは嫌悪をあらわにする。 王家の人間というのは、パジャ の 数ある嫌いなもののうちで、常に上位に位置している人種だ。
そんな魔族の少年の反応に、笑顔に少し寂しさを滲ませて、フェイロンが問い返す。
「……パジャはうちの兄ちゃん嫌いか?」
「好いているとでも思ったか」
「いや思ってねえけどよ。 ……ただ、わけもなく嫌ってほしくはねえなってさ」
「……あ」
努めて明るい声音にしようとしているフェイロンの様子に、いまさらながらパジャは自分 の無神経さに気がつく。 身内を嫌悪されて、辛くない人間がいるだろうか。
悪かったなとすぐに失言を悔いたが、それでも素直に謝る気にはなれない。 謝って みせたところで、自分の気持ちに変わりはないのだからと、頑なさがパジャの口を重く していた。



――――近づく大祭。
けれどあまり皆ほどには、うきうきと心弾む気分になれないのは、大祭の準備にはしゃぐ 都の人々の群れが、あの色街のざわめきに似ているせいかもしれない。

泡沫のような 一夜の夢を買って、つかの間寂しさを癒す。
単なる色好みの客よりも、そういう切ないお客の方が多いのだと、姐さんが教えてくれ た。
『人間ってほんとうに……独りきりじゃ、生きていられない生きものなのねえ』
そう、窓辺で目を伏せて呟いていた横顔は、とても悲しそうに見えた。

……それなばら、すべてを失くして独りきりになった、いまの自分は。




暗く堂々めぐりの考えに陥りそうな頭を振って、雑念を追い払う。
稽古中に集中していないと、怪我をする。 舞台用で刃は潰してあるとはいえ、飾り刀 は 立派に危険な代物だ。 打ちどころを悪くしたりしたら、骨がぽっきり折れる。
「パジャー。 稽古再開するってよ」
大きな声と手で呼ぶフェイロンに、わかってると応じて立ち上がる。


舞台の上で、腰に佩いた武具の重みと立ち位置を確かめる。
かん、と軽やかに響く拍子木の音と同時に、少年たちが舞台やや下がりめの後方で、 主役ふたりが舞台の中央で、それぞれ飾り刀を手に立ちまわる。

一人目と切り結んで、跳び退って離れる。
後ろから大きく振りかぶってきた少年の刃を、振り向きざまに払いのけ、繰り返し跳んだ 位置へと移動する。
そこで、フェイロンと向き合う。
他の少年たちとは一段実力の違う彼と見合うと、ついまなざしが真剣になる。
左から薙いだ一撃を 上に跳んで避けるフェイロンを追って、刀を持ち直して突きの形を つくる。 それを着地したフェイロンが上に切り上げて、すかさずパジャの懐に飛び込んでこよう とした。 後方へ大きく退いて、逃れる。
体勢を立て直す前に 距離を詰めてきたフェイロンの、大上段の一撃は、頭上に構えた刀 で かろうじて防ぐ。 押される重み。

――――そこでふたたび、拍子木の音。
ようし、という振りつけ師の声に、ほっと息を吐く。




――――幾度かの通し稽古を終えて、水場にぞろぞろと向かった。
まだときどき肌寒い日がある季節とはいえ、どたばたと活劇に参加していれば、それなり に汗もかく。 稽古着が肌に張りついて、気持ち悪い。
「あー、五臓六腑に染みわたるう」
冷たい井戸水で喉を潤したエイカが、杯の酒を飲み干した飲兵衛のようなことを言うの に、フェイロンがけらけらと笑う。 つられてパジャも、微苦笑を口元に滲ませた。


なんてことはない、晴れた午後。
その平穏さを打ち破ったのは、甲高い馬のいななき。
続いて大きく響いた、なにかが倒れる音。


え、と驚いて音のした厩の方を 皆がふり返る。
誰かの悲鳴が聞こえたのに、思わず駆け出した者が数名。


馬たちが暴れだしたと、男が触れまわる声に、地を蹴る足に力を込めた。








≪ 続 ≫





フェイロン&パジャの子供時代といいつつ、視点は完全にパジャサイド…… さすがパジャファンの書く駄文♪(爆) ああでも次回はちゃんとフェイロンも 目立たせますとも。

京劇にせよなんにせよ、映画派の海賀は劇というものに詳しくないので、ヘンな ところがあっても見逃してくださると嬉しいです(こら)。