柔らかな陽光の中で




穏やかな春の日差しと、吹き抜ける花信風。
その中で、オルジェイは二度、夢を見た。
どこまでも優しく、心地良い夢を。しかし、悲しい夢を。

一度目の夢は、アヤレーナが見せてくれた。
彼女こそ、オルジェイの人生の中で、最も大切で、愛しい女性だった。
あどけなく、可愛らしい女性だった。 その中に、意志の光を灯す女性だった。

オルジェイは、彼女と恋に落ちた。
周囲の反対など、どうでもよかった。ただ、彼女と一緒にいたかった。
彼女は、オルジェイを出口のない迷路の中から、広い世界へ導いてくれた。
だからオルジェイは、その広い世界の中で、彼女とともに生きていきたかった。

しかし、彼女はオルジェイをおいて、逝ってしまった。


絶望と悲しみを背負ったまま、長い長い道を、独りで歩いた。
そんな時に、オルジェイは二度目の夢を見たのだ――――



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




扉をノックする音に、オルジェイは慌てて頭を上げた。
知らず、寝入ってしまっていたらしい。
「入れ」
間を置かず扉が開き、長い黒髪の少女が入ってきた。
「どうしたのだ、テンシャ」
オルジェイの言葉に、テンシャは目をしばたたかせ、
「もうそろそろ王宮に向かわれるのではと思いまして」
そうしないと遅れるという響きをこめ、遠慮がちに言った。
「もう、そんな時間か……」
ほんの一瞬だと思っていたのだが、予想以上に長い時間、居眠りをしていたようだ。
「まったく、我ながら情けないことだ」
いくら日頃からの疲れがたまっているとはいえ、仕事中に居眠りなど、とんでもないことだ。
オルジェイは、小さくため息をつき、
「わかった。すぐに馬車の手配をしてくれ」
テンシャにそう言い、眠気を払うように首を振った。


鮮やかな青に、少しだけ白を混ぜたような色の空に、真っ白な雲が浮いている。
今日も都はいい天気だ。
賑やかな民衆の声を、聞くともなしに聞きながら、オルジェイの乗った馬車は、少し急ぎつつ、 王宮に向かっていた。《太陽神殿》司祭ともあろう者が、会議に遅れるなど、あってはならない ことだ。
「まあ、この調子なら、余裕を持って着くだろう」
確信し、オルジェイは少しだけ肩の力を抜いた。
すると、どうしたことか、また急に眠気が襲ってきた。自分で思っている以上に、オルジェイの体 は疲れ果てているようだった。

――――が、人々のざわめきに、オルジェイの眠気は、吹き飛ばされた。先ほどまでとは明らか に違う、混乱や動揺を含んだ空気が、あたりを支配している。
「テンシャ、何事だ?」
隣に座っている護衛に尋ねたが、テンシャにもよくわからないらしく、首を横に振っている。
しかし、
「暴れ馬だ!」
「子供をひっかけたぞ−!」
といった、様々な民衆の声に、事態はほぼ把握できた。
確かに、馬の、荒々しい蹄の音がする。
通りの向こうに馬の姿が現れた、その瞬間、オルジェイの脳裏に美しくも悲しい思い出が、 突如として蘇った。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




あの時、何がおきたのか、オルジェイにはよくわからなかった。隣に座っていた、当時十二歳の テンシャにしても、同じようなものだったろう。
――――いや、わからなかったと言うより、信じられなかったと言う方が正確だった。

時も、場所も、今日と全く一緒だった。ただ、季節だけが違っていた。
夏の厳しい日差しでなく、春の、暖かく、柔らかい日差しの日だった。
あの時も同じように、暴れ馬がいて、子供をひっかけた。
――――そして、あの女性に出会った。



突然、馬の前に立ちはだかった少女の姿を見て、オルジェイの血は凍りそうになった。
しかし、少女が馬に蹴飛ばされることはなかった。
少女は、馬の手綱を取り、背に乗ったかと思うと、一瞬にして馬を鎮めてしまった。
馬上の少女は、太陽の光を受けて、キラキラと輝いていた。長い薄緑色の髪に、若草色の目の、 一目でそうとわかる魔族だった。
しかし、オルジェイには、彼女が魔族であるなどとは、到底信じられなかった。どこまでも細く、 華奢な体に、可愛らしい顔立ち……。
だが、オルジェイをそう思わせたのは、彼女の目だった。
全てを包み込むような、優しげな光と、何にも揺らぐことのない、強い意志を兼ね備えた目が、 オルジェイをそう思わせた。
少女は、馬から降り、その鼻面をそっと撫ぜたかと思うと、怪我をした子供の前に行き、すっと 片膝をついた。
何をするのかと思ってみていると、瞬く間に子供の怪我を治してしまった。
「あ、あの……、もしかして、術者様ですか……?」
子供の母親とおぼしき女が言った。
しかし、少女は、
「いいえ、わたしはただの魔族です。魔族が人を助けてはいけませんか?」
と、ほのかにはにかみながら、しかしきっぱりと言った。
この言葉に、オルジェイは、いや、おそらくその場にいた全ての人間が、激しい衝撃を受けた。 今までオルジェイが見てきた魔族とは、彼女は明らかに違っている。今まで見てきた魔族には ない魅力を、彼女には感じる。
そうこうしているうちに、少女はまた一つ、小さく笑ったかと思うと、さっときびすを返し、 人ごみの中へと消え去ってしまった。



次に彼女とであったのは、思いもよらぬ出来事からだった。
オルジェイが、神殿内で刺客に襲われ、大怪我をしたことがあった。
思えば、あの時から一層のこと、どこに行くにも護衛がついて来るようになった気がする。 その他にも、警護の担当をしていた術者の処罰などについて、様々な動きがあったようだが、 オルジェイにはどうでもよかった。
ただ、自分はもう死ぬのだろうかと、そんなことをぼんやりと考えていた。
そんな時に、テンシャが巷で評判だという魔法医を連れてきた。
貧しいものからは金をとらず、どんな相手であろうとも、平等に診てくれるということで、民衆 の人気を集めているらしい。
やってきた魔法医を見て、オルジェイは心臓が止まりそうになった。
やってきたのは、あの時の魔族の少女だったのだ。
あの時、オルジェイは馬車の中から彼女を見ていたので、彼女には、こちらの動揺の理由が わからなかったのだろう。
「どうかしましたか?」
不思議そうに問う姿がまた、どこまでも純粋で、やはり魔族とは思えなかった。
彼女は、ヴィシヌという名の、十六歳の少女だった。
綺麗な名前だと思った。それをそのまま言うと、ヴィシヌは素直な笑顔で、「ありがとう。 オルジェイって名前も素敵よ」
と言った。


それからと言うもの、オルジェイは、ヴィシヌの元に、時々足を運ぶようになった。
しかし、それは決して恋心ゆえではなかった。
ただ、彼女を見ていると、魔族を憎んでいる自分が、とてつもなく悪い人間な気がしてつらい 反面、今はもう失くしてしまった、大切なもの、――――夢や希望と言ったものが、還ってくる ような気がしたのだ。



ヴィシヌは、両親ともに魔族だったらしい。
彼女が生まれる直前に父親が死に、母親と二人でずっと生きてきた、と。
その母親も、彼女が十の時に死に、その後はずっと独りで生きてきた、とそう言っていた。

一度、聞いたことがある。「私を憎んでいないのか」と。
しかし、彼女は明るく笑いながら、
「憎んでなんてないわ。まあ、昔はね、ずっと憎んでたの。冷たい世の中のことも、神王家の こともね、皆憎んでた。だけどね、十二のとき、私の人生の中で最大の危機のようなものが あって、それからというもの、どっかふっきれちゃった。何と言っても、この容貌でしょ? どうせ隠すことができないなら、自分の方からさらけ出してやるって!だって、何をした所でも、 魔族として生まれてきたからには、私は魔族なんですもの。恥じる必要なんてないわ。すると、 ふふ、不思議ね。魔族!って言って迫害されることが減ったの。もちろん、なくなったわけじゃ ないけど。要は心の持ち様ってことかな?そして、私の中から憎しみは消えていった。もちろん、 嫌いはある。正直言うと、神王家も嫌いかもね。でも、憎んでない。
……知ってる?誰かを憎んでるときの人間って、とっても醜い顔してる。幸せの方から逃げ出 しちゃうくらい。私は、幸せになりたい。だから、憎い相手のせいで、一度しかない人生を狂わ されるなんて嫌。だから、他人を憎むなんて嫌。憎んでいる暇があったら、もっと別の、楽しい ことを考えていたい。いなくちゃいけない」と、あの美しい目を輝かせながら言った。
つらく厳しい試練を乗り越えてきた者にふさわしい、強さや魅力に溢れた瞳だった。
そんなヴィシヌの姿を見て、オルジェイは泣きたいほど、自分が情けなく思えたものだ。


彼女は、こうも言っていた。
「嫌いな相手がいたら、真っ正面から文句言って、大喧嘩しちゃえばいいのよ。中にため込んで、 ガマンしているよりはずっといい。ずっとすかっとするわ」
「オルジェイは、魔族が嫌いね?それで、ちょっと毛色の違う私を見て、とまどってる。ね、 魔族に言ってやりたいこと、あるんじゃない? 魔族を代表して、私が聞いたげる」
彼女の一言一言が、自分の中の憎しみを消していった気がした。
魔族を憎むのをやめられそうな気がした。
――――あの事件が起こるまでは……。



いつも通り、街外れにある、ヴィシヌの診療所の扉を開けたとき、いつもとは違う、異様な空気 が漂ってきた。
慌てて中に入ると、血の臭いの充満した部屋に、数人の男女がいた。
呆然と立ち尽くす一組の男女、血まみれのナイフを手にしたまま、膠着している男、
――――そして血まみれで倒れているヴィシヌ。
何が起こったのかは、すぐにわかった。しかし、頭がそれを拒絶している。
六年前の悪夢が、今また繰り返されようとしている……。
いいと言っているのについて来たテンシャが、男からナイフを取り上げ、道行く人に医者を呼ぶ よう指示していた。
オルジェイは、そうした光景をただ呆然と見ることだけしかできなかった。


ややあって、テンシャにナイフを取り上げられた男が、堰を切ったように捲し立てた。
「ヴィ、ヴィシヌが悪いんだ!俺の求婚を断ったくせに、神王家の、――――俺達魔族の天敵の、 神王家の嫡子なんかと仲良くしてるから!俺は悪くないんだ!」
その声と同時に、視線がオルジェイに集まった。
男は、オルジェイを指差し、震える声で、
「そ、そうだ!おまえが悪いんだ!魔族嫌いのくせに、ヴィシヌに何の用だ! 何をたくらんで いるんだ!」
と、憎悪で満ちた声で叫んだ。
残る二人も、非難の目で見ている。
ヴィシヌを刺した男でなく、オルジェイを――――。
そいつらは、怒ったテンシャが気絶させたが、オルジェイは、自分の中で、消えかかっていた 魔族への憎しみが、前と同じように、いや、前以上に膨れあがっていくのを、確かに感じた。
オルジェイの心を、次々と憎悪が埋め尽くしていく。破裂しそうなほどに。


と、その時だった。
「……オルジェイ……、……いるの……?」
かすかな声がした。
見ると、ヴィシヌが、あの美しい目で、自分を見つめている。
オルジェイが、慌てて駆け寄ると、ヴィシヌは、
「……おかしいね……。 ……医者は、患者を差別しちゃ……、いけないから、……オルジェイ とも、……普通に話してた……、だけ、なのに、ね ……」
と、弱々しく呟いた。
ヴィシヌは、鮮血に染まった細い手を、オルジェイの頬に伸ばし、
「……私ね……、オルジェイに、言いたい事、ある……。私……、魔族として、生まれてね……、 ……よかったな……、って思うの……。だってね ……、私のこの力ってね……、魔族として 生まれたから、……使えるのでしょう……? ……自分の怪我は治せないような……、そんな力 だけど……、 ……でも、この力のおかげで、……たくさんの人を助けられた……。 本当は もっと、……助けたかったけど……」
優しい顔で微笑んだ。手を握り返し、しゃべらないようにと、すぐに医者がくるからと言う オルジェイに、
「……オルジェイ、聞いて……。 私ね……、この力は、神様からの贈り物だと思う……。 私 や……、魔族への……。この力で、人々を助けなさいって ……、魔族たちの希望になりなさい って……。 ……現に……、私の無茶苦茶な生き方に……、影響されて……、……明るくなった 魔族も、いるし、ね ……。 ……そう考えると……、私、幸せな人生だったわ……。 ……オル ジェイも、……あ……後から考えて……、幸せだったな……、って思える人生を……、歩んで ね……」
最後の力を振り絞ったかのように言った。
その顔は、涙を流してはいたが、しかし優しく穏やかだった。


――――そして、
「……私……、オルジェイのこと……、けっこう好きだったよ……」
最後にそう言い残し、ヴィシヌはまもなく息を引き取った。


最後まで、優しく穏やかな顔だった。



「ヴィシヌは、神の御使いだったのだ……。魔族の心を救うための……。ヴィシヌは、魔族など ではないのだ……!それを、アヤレーナを奪ったのと同じ、あの魔族たちが殺したのだ……! 自分たちの救世主を、自分たちの手で消し去ったのだ……!」
ヴィシヌは聖女であり、決して魔族などではない。
オルジェイは、長い思考の果てに、そう思うこととした。


現実から逃げているだけかもしれない。
しかし、そうとでも考えなくては、気持ちがおさまらない。
アヤレーナもヴィシヌも、罪もなく、魔族たちに殺されたのだ――――。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




はっと我に返ったときには、暴れ馬は、すでにおとなしくなっていた。
テンシャが術を使って、おとなしくさせたのかもしれない。
ふと、馬を見る。あの時と同じ、栗毛の立派な体格の馬だ。
――――が、馬の背にまたがる、美しくも凛々しい少女の姿は、ない。
「テンシャ、子供を医者に連れて行こう。会議は……、仕方がないだろう」
傷ついた子供を癒す、あの少女は、もう、いない。




――――あの頃は、夢のようだった。春の、儚く優しい夢。
オルジェイはそう思う。

彼女が死んだ後、茫然自失となった。
彼女の最後の言葉が浸透するのに、かなりの時間を要した。
浸透した瞬間、オルジェイの瞼から涙が溢れた。
拭っても拭っても溢れ出す、熱い涙が。
アヤレーナを失って以来、流したことのなかった涙が。


悲しかった。悔しかった。
彼女が死んでゆくとき、自分は何も云えなかった。
伝えたい言葉がたくさんあったのに、一つも伝えられなかった。
一つも伝えられないまま、彼女を逝かせてしまった。
そして、もう決して伝えられない。
――――優しい時間をありがとう、君に逢えてよかった。……そして、さようなら。
今になって伝えたい言葉が溢れ出す。



孤独な自分を優しく包んでくれた彼女。
時には優しく、時には怒り、自分を励ましてくれた。


オルジェイは忘れない。
彼女を、そして彼女とともに過ごした、閃光のような、短く、 しかし眩い日々を……。




春の花信風に誘われて、オルジェイは夢を見た

甘く、美しい夢と、言葉にできない、しかし暖かい夢を……
夢を見せてくれた、彼女たちは、もう、いない


彼女たちが、今の自分を見たら、どう思うだろう……

悲しむのだろうか……、 哀れむのだろうか……

その答えを知るすべは、ない

結局、自分にできることは、ただ生きることなのだろう

どんなにつらくとも、苦しくとも、ただ歩きつづけることなのだろう

そうだ、今度の春には、昼寝をしよう

きっと、彼女たちが現れて、しっかりしろと励ましてくれる

そう、柔らかな陽光の中で……






< END >




≪ あすか様のコメント(原文ママ) ≫

ひょえ〜、は、はずかしい〜。
このあたしがこんな悲恋(?)物を書くなんて。
あぁ〜、オル様がなんか悲しい目にあってる。
ヴィシヌもかわいそー過ぎる。
オル様を幸せにしてあげたいと思いながらこんなのを書く あたしって一体 ……。
しかも、処々でかなり自分に都合よく書いてる(~_~;) テンシャって、治癒能力ないのか?  警護担当の術者の処罰ってどんなんだ? 考えれば考えるほど疑問が……。

でも、オル様って素直じゃないからヴィシヌが出現して、あーゆー死なれ方したら、 「ヴィシヌは特別だったのだ」みたいな事考えて、「魔族を憎むのをやめよう」とはなんない 気がする。
神の御使いってのはオーバーかもしんないけどさ(笑)

あ、あと一つだけ解ってほしいことが。ヴィシヌは、オル様の恋人的な存在ではなく、親友 とか家族みたいに、一緒にいて楽しい人、みたいなイメージで作りました。後から考えて、 あの時は楽しかった、といった感じです。
アヤレーナさんのように、一緒にいて幸せ、といった役ではありません。
……なんかそのあたりが巧く出せませんでしたが。



≪ 海賀より♪ ≫

うひゃぁ〜……顔が緩みっぱなしです。 ありがとうございました、あすか様♪ オルジェイに 惚れなおしちゃいました♪
オル様の、ヴィシヌに対する感情が、とっても『らしく』て素敵です♪ …… やっぱりオル様 の隣には、アヤレーナさんやヴィシヌみたいに、心の支えになってくれる人が必要ですよねぇ ……幸せになってほしいもんです。


――――JUELS