恋心
自分独りの空間。静かで、透き通った空間。
テンシャは、この空間を二番目に愛している。
オルジェイと一緒にいる空間の次に。
オルジェイと同じ空間にいるとき、テンシャは幸せだ。
ただ、オルジェイの前で、自分がどれだけ幸せなのかということを表すことが出来ないのが、
ほんの少しだけまどろっこしいけど。
でも、とても幸せだ。
オルジェイと一緒にいると、まるで温かいお湯の中にいるよう。
自分を優しく包み込んでくれる。
そんなかけがえのない大切な人だから、テンシャはずっと努力してきた。
少しでもオルジェイの役に立ちたくて。少しでもオルジェイに認めてもらいたくて。
その想いは、おおむね果たされていると思う。
でも、まだ満足するわけにはいかない。
もっともっと努力して、もっともっと役に立たなければならないのだから――――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
漆黒のベールが空を覆い、砕いたガラスのかけらが空一面に散らばっている。
月は出ていない。しかし、美しい闇夜だ。
いや、月がないからこそ、一層星が眩く輝いているのかもしれない。
昼間の厳しい暑さも少しは和らぎ、過ごしやすい気温だ。
テンシャは今、自室にいる。
窓から吹き込む風に、長い黒髪がそよいでいた。
それが少々気になり、窓を閉めようと立ち上がって窓際に立ち、テンシャは、
―――怪異が起きているなんて、嘘としか思えない綺麗な夜……。
心の中で呟いた。
最近、都では夜になると化け物が出ると、人々の間ではまことしやかに囁かれている。
ただの戯言しか思えないが、最近そうした被害が非常に増え始め、神殿としても放っておく
訳には行かないと、対策を考え始めていた。
――――ただの戯言のために、これ以上オルジェイ様に無理はしてもらいたくない。
テンシャはそう切実に思っている。ただでさえオルジェイは忙しいのだ。これ以上余計な仕事が
増えては困る。
しかし、人々のためとなれば、オルジェイは自ら解決に乗り出すかもしれない。人に誤解され
やすく、不器用だが、人がいいのだ。オルジェイという人間は。
そこがテンシャも好きなのだが、物には限度というもがある。
溜め息をつき、窓を閉めたテンシャは自分の机へと戻った。
今、日記をつけているところなのだ。毎日ではないが、テンシャは日記をつけている。
さらさらっと書き流し、テンシャは引出しを開けた。
そこには、今までの日記の全てが入れてあり、五・六冊の日記帳が入れてあった。
もうこんな溜まっているのかと、一種の感慨のようなものを感じ、テンシャは一冊の日記帳を
手に取った。
ぱらぱらっとページをめくり、過去の思い出にふける。
と、ある一ページでテンシャの手が止まった。そのページには、
『今日はとてもこわいことと、とってもいいことがありました。こわいことは、じゅつしゃの
長さまのめいれいで、夜のしんでんを見回ったことです。いいことは、こわくてこわくてしかた
なかったわたしを、オルジェイさまがやさしくなぐさめてくれたことです。しんでんに来て
はじめて、ひとまえで泣いてしまいました。思いだすと少しはずかしいけど、でもふしぎと
とてもいい気持ちになれました。
オルジェイさまはとってもいい人です。とってもやさしい人です。わたしは、オルジェイさまの
お役に立ちたいです。だから、これからはいっぱいどりょくしようと思います。……どりょく
すればきっと、オルジェイさまのお役に立てると思うから』
と、幼い子供の字で書いてあった。
それを読んで、テンシャの胸に懐かしいものが込み上げた。
――――そして同時に、なぜだか涙がこぼれ、テンシャは自問した。
――――なぜ涙が出るの!?
しかし、答えは出ない。
努力に努力を重ね、オルジェイの役に立てている自信はある。力も認められ、術者の長にも
なった。オルジェイの命を狙おうとする愚か者から、何度もオルジェイの命を守った。
この日の日記にかかれた決意は、間違いなく実現しているのだ。涙がこぼれる筈がない。
しかし、現に涙は今もなお、テンシャの瞼から溢れている。
――――でも……。
テンシャはふと思った。
自分はこの六年間、全てをオルジェイのために努力してきた。今だってしている。
テンシャにとってオルジェイとは、誰よりも深く尊敬し、誰よりも深く大事に想い、そして
誰よりも深く幸せを手に入れて欲しいと願う、ただ一人の人だ。
オルジェイこそ自分の全てといっても過言ではない。
しかし、オルジェイにとって自分とは何なのだろう。
といっても、部下に他なる訳がないのだが、しかし何かが悲しい。
こんなに想いを懸け、こんなにオルジェイのために頑張っているのに、ただの"部下"で終わって
しまうのだろか。
そこまで考え、テンシャは己が考えに首を振った。
――――何を考えているのかしら。オルジェイ様は私を御信頼なさってくれている。それで十分
じゃない。 だいいち、部下が嫌なら、いったい自分は他の何を欲しているというのだろうか。
そんなもの、あるはずがない。
ないのに、何か別のものを求めている自分に、テンシャは苦笑するしかなかった。
――――この涙は、何かの間違いなのだわ。
テンシャはそう結論付け、そして、眠りについた。
もしここでもっと突き詰めていけば、テンシャはその涙の意味に気づいたかもしれない。
その名で呼ぶには、まだあまりに淡い、恋という名の感情ゆえと……。
いや、たとえ気づいても、認めなどはしないだろうが……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
テンシャの朝は早い。理由はオルジェイの朝が早いからだ。
部下たるもの、上司より遅くまでごろごろしているわけにはいかない。
――――神殿の司祭の仕事部屋。
テンシャとホル・アホ神官長が、オルジェイの話を聞いている。
「――――ということで、会議の結果、公安省が特別な警備隊を組織し、都の治安に当たる
事となった。しかし、相手は化け物だ。もしかしたら神殿にも役目が回ってくるかもしれない。
いつでも対応できるようにしておくように」
『承知しました』
テンシャとホル・アホ神官長の返事にオルジェイは頷き、
「たのんだ。君たちには期待している」
穏やかに微笑んだ。
その笑顔に、テンシャの中で靄のようにわだかまっていた部分が、不思議なほどにすうっと
消え、温かいものがテンシャの胸を満たした。
「お任せください、オルジェイ様」
そして、いつのまにかとびきりの笑顔で返事をしていた。
オルジェイが少し驚いた顔をしたが、それすらも今のテンシャには心地良かった。
――――さあ、今日もまた一日オルジェイ様のために頑張ろう。
そう決意したテンシャの胸は、これまでにないほど晴れやかだった――――
< END >
≪ 海賀より ≫
やっぱりいいですねぇ、このカップリング……(しみじみ)。
最終的には 結ばれてくれるといいな、とか思っている 私には感涙モノです、あすか様♪
テンシャはやはり、未発達の恋心を秘めつつ つくす姿が似合う!