水面の月
人の心は移ろいやすく、儚いもの。
そう、まるで月のように満ちては欠け、欠けては満ち……。 そして時には消えてしまう事すら
あるのです。
しかし、それでも人は惹かれ合うことを止められない。
裏切りあうことを繰り返しても、それでもまた人は人に惹かれるのです。
なぜなのでしょう?
それは人が、心に自分だけの宝石箱を持っているから。
どんなに時が流れようとも決して消えない、美しい思い出があるから。
人はどんな時でも、その宝石箱を覗くと、優しい気持ちになれる。
優しい気持ちになって、また人を信じようと思える。
あらたな"宝石"を増やすためにも、また人は人を信じ、愛することが出来るのです。
―――――あなたの宝石箱には、どんな美しい宝石が入れてありますか?
―――――Part1 テンシャ―――――
わたくしの、宝石箱ですか?
もちろん、尊敬するオルジェイ様との思い出が入れてあるに決まっていますわ。
これも、そしてこれも……。 皆がみんな、そうですわ。
では、一つ紹介してみましょうか……。
でも、人によっては「他愛のない」「取るに足らない」というように思うかもしれません。
しかし、それでも構わないのです。
どんな小さな事でしたって、わたくしにとっては大切な思い出なのですから……。
(……どうしたらいいのかしら?)
テンシャは神殿の廊下を歩きつつ、必死に考えていた。
何を考えているのかと言うと、どんな顔をしてオルジェイに会ったらいいのかである。
―――――テンシャは≪太陽神殿≫の術者だ。
術者の家系に生まれ、郡を抜いて強い力を持っていたため、つい最近、術者として神殿で働く
ことになったのだ。
そのことに依存は無かったのだが、しかし、神殿の暮らしは想像以上に厳しく、テンシャは
いつも泣いていた。
いくら術者で力が強くとも、たった十歳の子供なのだ、テンシャは。
故郷を偲んで泣きたくなるのは当然だ。
そんな時、術者の長のグイランに命じられ、テンシャは夜の神殿の見回りをした。
それが昨日。
と、そこまでは問題なかった。
テンシャは術者であり、術者としての仕事をする事に、意義はなかったから。 少なくとも、
頭では。
とにかく、そこまでは良かったのだ。が、そこからが問題だったのだ。
テンシャは昨日、連れの術者とともに侵入者を見つけた。
しかし、テンシャは何も出来ずに、ただ呆然と見ていることしか出来なかった。
そんなテンシャを、一人の男が気遣い、慰めてくれた。
男の名はオルジェイ。≪太陽神殿≫の責任者。平たく言えば、神殿で一番偉い人。
そのオルジェイは、泣くテンシャの頭を、優しく暖かい手で撫でてくれた。
テンシャは相手が "神殿で一番偉い人"なのも忘れ、泣きじゃくった。
しかし、今日になって落ち着いて考えれば、恥ずかしいことこの上ない。
確かに、思いっきり泣くのは気持ちよかった。オルジェイに撫でられるのは嬉しかった。
しかし、仮にも術者が"神殿で一番偉い人"の前で泣きじゃくったなど、非常識すぎる。
よく覚えてないが、最後のほうなどオルジェイにしがみついていたような気もするのだ。
おかげで、恥ずかしさのあまり、オルジェイの顔がまともに見れない。
御礼だか御詫びだかを言いに、さっきオルジェイに会いに行ったのだが、オルジェイの顔を
見るなり、真っ赤になって逃げ出してしまったのだ。
(オルジェイ様のお力になるために努力するって、そう決めたばかりなのに。 いくら強く
なっても、顔も合わせられないようじゃ意味がないじゃない)
自分で自分を叱咤し、再びオルジェイの元に行こうとするのだが、どうしても「もう少し後で
もいいわ」と勝手に言い訳をして、後回しにしてしまう。
「図書館で勉強でもしましょう……」
―――――知識は無いよりあったほうがいいし、ここでぶらぶらしているよりはましだろう。
そう判断し、テンシャは図書館に向かった。
―――――が。
「集中できない……」
テンシャは机に突っ伏したい気分で呟いた。
オルジェイのことを忘れ、勉強に集中しようと思ったのに、なぜかオルジェイのことが頭を
離れない。
やはり、一つの事を後回しにして次のことをしようなどとは少々考えが甘かったらしい。
(でも、どうして……)
なぜか頭に浮かぶのは「なんて昨日のことの御礼を言おう」とか「早く一人前の術者になって
オルジェイ様のお役に立とう」とかという、今後の自分の行動に関することでなくて、ただ
単に昨日の優しいオルジェイの顔が浮かぶだけなのだ。
(私ったら、どうしちゃったのかしら……)
考えたが、やはり答えなど見つからず、テンシャは深い溜め息をついた。
一つだけわかったことは、図書館にいても意味がなさそうだという事だけだった。
「はあっ……」
今度は神殿の敷地内を歩くことにした。
元々術者は神殿内の警備やオルジェイの護衛が仕事なのだから、テンシャが敷地内の警備を
かねて散歩することは間違っていない。
ただ、命令が出ていないだけで。
(結局、私は何がしたいのかしら)
今日何度目かもわからない自問を再びし、テンシャは自沈した。
と、そのとき、
「テンシャ?」
若い男の声がし、テンシャは声がしたほうに振り返り、そして絶句した。
「オ、オルジェイ様!?どうしてこのような所に!?」
顔が赤らんでくるのを自覚しつつ、テンシャは叫んだ。
使い慣れてない敬語のせいもあり、かなり声が震えていたが。
オルジェイはそんなテンシャを見て、面白そうに言った。
「会議から帰ってきて参道を歩いていたら、君の姿が見えたものだから、声をかけてみたの
だが。驚かせてしまったようだな」
そして赤い顔で口をパクパクさせているテンシャの前にかがみ、
「今日はもう怖くないか?」
と、テンシャの顔を覗き込んだ。日頃は冷たいとすら思える青紫の瞳は、今は優しい光を
灯している。
「え、あっ、は、はい!」
テンシャはというと、完璧に真っ赤になりながらも、必死に頭を冷静にしようとしていた。
(そ、そうだわ。せっかくオルジェイ様に会ったんだから、今言っちゃえばちょうどいいわ!)
そして、決死の覚悟で、
「オ、オルジェイ様!」
やっと口を開いた。
「何だ、テンシャ?」
オルジェイも呼びかけに答え、あとは礼を言うだけだ。
(でも、御礼を言えばいいの? それとも御詫び? んっと、オルジェイ様にご迷惑かけたん
なら御詫びよね。 ……やっぱご迷惑だったよね……。じゃあ、御詫び?)
そんな事をしている間にも時間は流れていく。
オルジェイは多忙であり、そう長い時間テンシャを構ってなどいられないはずだ。
しどろもどろしつつも、テンシャはこのままではいけないと、とにかく口を開いたとき、
「オルジェイ殿」
折り悪くも、オルジェイを呼ぶ声がした。
振り返り、テンシャとオルジェイ、二人して動きが止まった。
振り返った先にいたのは女だった。輝く金髪を腰まで伸ばし、華奢な体を白い服で包んでいる。
端正で美しい顔をした、二十歳ほどの美女だ。
しかし、二人の動きが止まったのは、彼女の美貌ゆえではない。
その両の瞳から溢れ出す憎悪ゆえだった。
「あなたが……オルジェイ殿なのですね……。 私から幸せを、あの人を奪った ……!!」
女の刺すような視線が、オルジェイを射抜いた。
しかし、当のオルジェイは平然としている。 というより「またか」と言うような、煙たがっている
ような感じだった。
だが、テンシャはそうもいかない。
テンシャは、ここまで剥き出しにされた激しい憎しみなど、今まで見たことが無かったのだ
から。
「許さない……、あなたのせいであの人は……!!」
女は呻き、懐から短剣を取り出して、オルジェイに襲いかかってきた。
オルジェイは短剣で応戦したが、テンシャはというと体が固まったように動かなかった。
女は剣の心得があるのか、誰の目から見ても女が優勢だった。
このままでは、オルジェイの負けは火を見るよりも明らかだ。
(私がなんときゃしなくちゃ……。 私は術者なんですもの……。 なんとか……。でも、体が
動かないよ。 どうして……? どうしてなの?)
そもそも、テンシャがこんな所にいなければ良かったのだ。 人目の少ない、こんな場所にいた
から、女は襲ってきたのだろう。 もし、一目のある場所なら女は襲ってこなかっただろうし、
万一襲われてもすぐに誰かがやって来ただろう。
(私のせいだ……。 私の……。 でも、何とかしなくちゃ……!)
しかし、気持ちだけが焦り、かえって何も出来ない。
そうこうしているうちに、女がオルジェイの短剣を弾き飛ばした。
オルジェイの舌打ちが聞こえ、間をおかず女の短剣がオルジェイの喉下に繰り出された。
―――――その時、時間の流れがやたら遅く感じた。
女が狂気に満ちた目で、オルジェイを見つめている。
オルジェイはと言うと、柳眉を吊り上げ、女を睨みつけていた。
恐怖などを表に出して、女を喜ばせてたまるかといった表情だ。 恐怖を表に出すなど、自尊心
が許さないのだろう。
少しずつ、少しずつ、―――――少なくともテンシャにはそう見えるのだが、女の短剣が
オルジェイに迫っていた。
(駄目……いや……やめて!!)
このままではオルジェイが死んでしまう。 自分が不甲斐ないばかりに、死んでしまう。
「だめぇーーー!!」
その時、光が弾けた―――――気がした。
気が付くと、テンシャの顔が涙でべたべたになっていた。そして、荒い息で肩を上下させて
いた。
はっとして辺りを見ると、女は地面に倒れ、オルジェイはというと、呆然とした顔でテンシャを
見つめていた。
「テンシャ……?」
オルジェイの声に、テンシャの目から再び涙が溢れ出した。
「オルジェイ様……わたくし……」
怪我も何もないオルジェイの姿にテンシャは安堵し、そして同時に力が抜けた。
「よかった……よかったぁ………」
地面にぺたんと膝をつき、テンシャは泣きじゃくった。
「ごめんなさい……、 オルジェイ様。 わたくしは術者なのに……、 何にも出来なくて………、
ひっく……、 危険な目にあわせてしまって……、 ごめんなさい ………ひっく……」
そんなテンシャの前に、オルジェイは屈み込み、
「そんな事は無い。 テンシャがいたから私は助かったのだ。 ありがとう、 テンシャ。 ……
テンシャは立派な術者だ。 恥じる必要も、謝る必要も無い。 だから、泣かなくていいのだ」
昨日と同じように、優しくテンシャの頭を撫でた。
テンシャは、思う存分泣いた。その間もずっとオルジェイはテンシャの頭を撫でていてくれた。
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しばらくして、テンシャは顔をあげ、オルジェイを見た。
「……オルジェイ様。先ほど言いかけていたことですが」
「何だ?」
テンシャは小さく笑った。
「ありがとうございました」
「え?」
「本当に、ありがとうございました」
それだけ言って、テンシャは立ち上がった。
「人を呼んできます」
不思議そうな顔をしたオルジェイを尻目に、 テンシャはきびすを返し、 駆け出した。
これでいいのだろう。
御礼だとか、御詫びだとか、そんな細かいことなどどうでもいいことだ。
なんだかんだ言うより、「ありがとう」という素直な気持ちが言えただけで十分。
そう、「ありがとう」と思ったのだから、そういえばいいことだ。 昨日の出来事にも、今日の
出来事にも、オルジェイという、いい上司に恵まれたことにも、全てありがとうでいいのだ。
―――――それ以外に言い様が無いのだから。
「もっとありがとうって言いたいな」
テンシャは呟いた。
でも、きっと言えるだろう。
あからさまにではなく、オルジェイは見えない所で色々と気を使っている。
わざとらしく恩を売るような人間に礼など必要ない。
でも、さりげない優しさを持ったオルジェイには、きっとこれからたくさんの「ありがとう」を
言うことになる。
これは予感ではなく、確信だった。
「やっぱり私はオルジェイ様のお役に立ちたい!!」
絶対に立ってみせる。信頼を手に入れ、いつだってオルジェイの役に立ってみせる。
頬を撫でていく風が、やたらと気持ちよく感じられた。
どうでしたでしょうか?
他にも色々あるのですよ。
私が術者の長に選ばれた時、オルジェイ様に初めて優秀な部下だといわれた時……。
数え切れないほど、たくさん。
……わたくしの宝石は、ただオルジェイ様という、一人の人間に関することですから、
オルジェイ様が司祭でなくなったこれからも、きっと増えていきますわ。
増えて、そしてますますわたくしはオルジェイ様を尊敬し、オルジェイ様に尽くすのです
わ……。
これは、わたくしの心の奥。
誰も汚すことの出来ない所。
幸せな幸せな、わたくしだけの聖域なのです……。
誰もが持っている宝石箱。
さあ、あなたも、たまにはわたくしのように開いてみたらどうでしょう?
きっと幸せな気持ちになれるのですから………。
< END >
いやん、オルジェイ様ってば王子様♪(司祭だ司祭) テンシャでなくても惚れますな
これは(^^)。 オルジェイ様の、やさしいけれどキザっぽくないナチュラルさが出ていて、
心がほかほかしますー♪