風に吹かれて





……果たしてこの兄が、自分の意思を尊重してくれたことが、この10年近く の中であっただろうか。
いやない。 反語で己の胸中に突っ込んで、パジャは深く嘆息した。

「なに不幸な顔してんの、パジャ。 まだ道は長いんだよー?」
ひたすら明るい声に重なる、枝葉を短刀で切り払う音。
背後で暗い双子の弟を振り返って、ソーマラータは自分そっくりなパジャの 顔を覗き込む。 髪の長さが、ソーマラータはこざっぱりとした散切り頭、 パジャが伸ばして適当に束ねた長髪という点を除けば、まるで鏡に映した姿の ように、ふたりは似通っている。 服も、母のエリッサが「せっかく双子なん だから、おそろいにしましょうよ」と言い張るので、同じ軽装を纏っている。

……ただし、似ているのは顔だけ。
と、パジャはいつも思っていることを再確認する。
狭かったろうお腹の中で、パジャのぶんまで楽天的思考を持っていった兄は、 代わりといってはなんだが、心配性だの気苦労だのといった要素を、そっくり そのまま弟のパジャに受け渡していた。
おかげでパジャは、兄のぶんまで余計に気を揉む羽目になっている。 脳天気 に遊んでいてもまあ許せる年頃だというのに、すでに懊悩はパジャの十八番と なり果てていた。

特に、このように無断で城の外――しかも裏山――に出てきた時なぞは。
父さん母さん心配してるかな……とか。
世話役のジャンガンが血眼になってそうだ、ごめんなさい、とか。

よく晴れた春の日、小さな悩みなど包み込んでしまうほど広い空の下。
草いきれの中で、パジャは肺の中の空気を残らず搾りだすような、長いため息 をこぼした。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「お子様たちがどこにもいらっしゃいませんナジュワーン様!」
「ああ。 またか」
一息に緊急事態――少なくとも彼にとっては――を告げたジャンガンに対する ナジュワーンの反応は、勢いが滑りそうなほどあっさりしていた。

パジャの予想どおり、目は血眼で顔は真っ青な、まだ十代半ばだというのに髪 の色素が抜けている少年――ジャンガンは、ずっこけそうになりながらも主人 に事の重大性を理解していただかねばと拳を固めた。
「ナジュワーン様! なんでそんなに普段どおりなんですかっ。 少しは慌てる とか驚くとかしてくださらないと、私は、私は……っ」
「どうどう。 落ち着こうね、ジャンガン」
手にしていた書物を棚に戻しながら、空いているほうの手で、ナジュワーンは 少年の肩を叩く。真面目一本槍なこの少年を、この勢いのまま喋らせていたら、 遠からず舌を噛む。 そう案じたが故の早急な対処だった。
それに、そんな大声で話されては、書庫にいる他の人たちに迷惑である。

「よしよし、深呼吸。 ……それで? いつからいないの、あの子たち」
「――おそらく、一刻ほど前からです。 昼食の後に、剣のお相手をして差し 上げる約束だったのですが、時間になってもいらっしゃらないので、どうした のかと思いましたら……」
ソーマラータはともかく、パジャは時間にうるさい。 お腹の中で、兄のぶん まで几帳面さだか生真面目さを持っていったのかもしれない。

細い顎に指を添えて、ナジュワーンは納得顔で頷く。
「いつの間にか城からいなくなっていた、と。 ふむ」
「いったいどちらに行かれたのでしょうか? 護衛もなしに。 あああいう、 かわいい盛りの子供を狙う悪党にさらわれていたりしたら……荷馬車に轢かれ ていたら……川に落ちてしまっていたら……あああああ」
どんどん悪いほうへ悪いほうへと思考を落としていくジャンガンの背負った 暗い影に、ついついナジュワーンは微苦笑をこぼす。

ジャンガンは基本的には気のつくいい少年なのだが、なにぶん心配性がすぎる 嫌いがある。 それが、玉に瑕といえば瑕かもしれない。 ……けれどそこまで 真摯に自分の息子たちを想っていてくれる人間の存在というのは、父親として 単純に喜ばしかったりもする。

父親モードに入りかけた思考を、そこではたと咳払いして引き戻した。
「お待ちなさいよ、ジャンガン。 そんな悪い人にほいほいついていっちゃう ほどお馬鹿さんではないよ、あの子たちは。 ……君もよく知っていると思う けど」
言い含められて、ジャンガンが少しだけ懊悩の皺を緩める。
でも心配は消えようもないのか、くっきりとした眉の根は、物憂げにひそめら れたままである。

ナジュワーンは、最近逞しくなってきた少年の肩に手を置きながら、連れ添 ってじきに10年になる妻のことを尋ねてみた。
「エリッサにはもう、伝えてくれたんだろう?」
「……はい」
「なんて言ってた?」
「『男の子は、死なない限り、やりたいことをやらせてあげるのが一番いい のよ』……だそうです」
一字一句正確に暗誦したジャンガンの真面目さに、ちょっと頬が緩みそうに なる。 が、そこは父の威厳を総動員して顔を真剣にして、
「でしょ? 僕もそう思うよ。 そんなに気を揉まなくても大丈夫。 やんちゃ さんだけど、ソーマラータはちゃんといろいろ考えているし、無茶はしない はずだよ。 パジャも、きっと一緒だし」
だいぶ自分に背が追いついてきた少年の、こざっぱりした白い髪を撫でながら、 諭す。 きっといまごろ、兄の行動ひとつひとつに突っ込みを入れつつ、城に帰ろう とその袖を引いているに違いない。
目に浮かぶその光景が笑いを誘ったが、ジャンガンがまだ深刻ここに極まれり の表情のままだったので、さすがにわっはっはとはいけなかった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



だいたい今日の午後は、ジャンガンにお礼参りする予定だったのだ。
手加減はかえって失礼と心得ているジャンガンは、手合わせの時に力を抜いた りしない。 だから、いままで全戦全敗の憂き目に合っている。
年が上だからとか、そんな言葉で片がつくほどパジャのプライドは柔軟では ない。 とにもかくにも一本取らねば気が済まないのだ。
兄は、「まだ仕方ないよ」と笑うけれど、自分は笑ってなんていられない。

苦節1ヶ月。
筋肉痛が出るほど、鍛錬して、そろそろいいかと思った。
だから昨日、彼に約束させたのだ。 果し合いをしようと。
遅いぞパジャ、待たせたなジャンガン、の世界である。
……引き受けたジャンガンが、笑いを堪えるような顔だったような気もする が、あれは小憎らしい余裕の笑みと解釈する。 決して自分の負けず嫌いに 苦笑しているのではない、うん。

それに――――
「……パジャ? どうしたの、今度は怒ったみたいな顔して」
つと立ち止まった兄が、小首を傾げて振り返る。
怒ってるというか、苛立っているというか。 行き場のない感情は、ちゃん と表情に出てしまっていたらしい。 恥ずかしながら。
気まずく視線を外すと、ソーマラータの短刀を持つ手が見えた。

手の甲に、細かい引っかき傷だらけ。
あ、と気づく。
刺や尖った枝先で傷つけたに違いない、あれは。
「――交替するよ。 今度は、俺が先に行く」
言葉は、勝手に唇から滑り出た。
言い出しっぺなんだから それくらい当然、なんてふうには思えない。 双子 なのに兄だけ大変そうで自分は楽というのは、パジャには許容できなかった。
「は? あ、でも別に……」
「いいから」
腰に納めていた自分の短刀を抜き払いながら前に出たパジャの背に、ソーマ ラータは控え目に突っ込んだ。
「でもパジャ、道わかるの?」
「……え」
動きが止まる。
いまさらながらの問いを、ソーマラータに向ける。
「……どこに行こうとしてたんだよ、そういえば」
「なんかすごくいまさらだよ、それ」
「いいから、どこ行こうとしてたんだよ」
「この山の頂上」
「は?」
「でも大丈夫だよ、そんな高い山じゃないし。 あと一刻もあれば、十分 十分」
……いや、そうじゃなくて。
「なんのために?」
聞きながら、いやな予感を胸に覚える。
ただ見晴らしがいいからとか、頂上でやっほーって言いたかったとか答え られたら。 ……ちょっと冷静に受け止められる余裕がない。
でも兄は、
「それは行ってからのお楽しみ」
意味ありげに人さし指を立てて、笑うのみだった。




「ほらパジャ、あとちょっとだよー」
喜色の滲む兄の声に、パジャはそろそろうつむきがちになってきていた 顔を上げた。 やさしい太陽の光が、目を射る。
顔のそばを駆け抜けた風が、涼しく乾いていて、気持ちいい。
なるほど兄の言うとおり、徐々に広くなってきた空が、目に青い。
結局なんのために頂上目指してえんやこらするのか、教えてくれなかっ た。 けれど楽しそうに笑うその顔は、誕生日の贈り物を後ろ手に隠して 自分を呼ぶ、父の表情に似ていたように思う。

道なき道を行くのに、だんだん脚も慣れてはきたが、それでも、普段 しない長歩きには息が上がりそうになる。 ……ソーマラータが平気 そうにしているから、そんな弱音は見せないけれど。

(歩き慣れてるみたいだなあ)
さっきまた先頭を交替した、双子の兄の背を見つめる。
城の中で本を読んだりしているのが好きなパジャとは反対に、ソーマ ラータはよく城下町に繰り出しているらしい。 ときどき、熟したハミ ウリや甘い葡萄水などを、お土産といってパジャにくれるのだ。
だからもしかしたら、城下町だけではなくて、こうした野山にもちょく ちょく探検に行っているのかもしれない。 兄のわくわく大好きな性格 からして、それは十分にありうる。
(……今度から、一緒についていってみようかな)
でもこんなふうに野山を三刻近くも登らされるのは、謹んで辞退したい ところだ。 なにしろ虫に刺されやすい体質なので。 ……もうすでに、 首筋や腕のあちこちがかゆい。
「あ」
と、前から声が流れてくる。
それとほとんど同時に、ソーマラータがいきなり駆け出した。 急に 背中が遠のいたのに驚いて、パジャも疲れを忘れてあとを追った。




「よかったあ……いっぱい咲いてる!」
咲いてる?
……まあ、咲いているといったら花ぐらいしかないだろう。 『裂いてる』 とか『割いてる』とかと叫んだのでなければ。
ソーマラータに遅れることしばし、やっと兄の背に追いついたパジャは、 刹那、全身を風にさらわれたような開放感を覚えた。

頂上。
遮るものなく眼下に遠景の望める平らかな地面を、悪戯な風が吹き上げ る。
あ、と声を上げる間もなく、視界いっぱいに鮮やかな白と薄紅が踊った。 髪にも手にも、色彩が絡みつく。

「……これ」
前髪に張りついた白を指でつまんだパジャは、思わず胸がふんわりと ふくらんだ。
目を落とせば、足下をぎっしりと埋める花。

「いい場所だろー、パジャ」
得意そうなソーマラータの科白は、いつもより低い位置から響いた。
気づけば、兄はすでに花の絨毯に腰かけてくつろいでいる。
「……雪みたい」
茫、とパジャは呟いた。
このあたりには望むべくもないが、遠く凍えた地に降り積もるという、 雪の話。 書庫の分厚い本に記されていた物語の中で、それは見ること の叶わない夢のように描かれていた。

「きれいでしょ?」
「うん」
小鼻をふくらませながら尋ねてくる兄には適当に頷き返し、パジャも その場に膝をついた。
微笑みかけてくるような花の中で、疲れが癒されていく気がする。
「なかなか見られないでしょ?」
「うん」
「たくさん摘んでおっきな花束にしたら、素敵でしょ?」
「うん」
「父さんと母さんのお祝いにぴったりでしょ?」
「うん……え?」
あやうく聞き流すところだった。

「……お祝い……って?」
誕生日は、まだ4ヶ月も先の話だし。 特にめでたいことも起こって はいないし。 めでたい行事の予定もないし。
首を捻る弟を見て、ソーマラータは微苦笑とともにため息を漏らした。
「パジャ、知らないの?」
「なにを」
「明日は、父さんと母さんの結婚記念日だよー」
「え? ……あ、そっか」
まるで生まれた時から夫婦をやっているような仲の良さを見せる両親 にも、そんな日があったのかと、ちょっとずれたことを思う。 いま まで祝ってあげたこともないその記念日は、パジャには妙に現実味が なかった。
そもそも、第二藩王家は そう豊かな国ではないので、派手な式典や 祭りの類のものが少ない。 さすがに婚儀の時や王族が誕生した時には お祝いがあったが、結婚記念日なぞを寿いだりはしないのが常だ。
だから、知らなくても忘れてしまっていても、仕方のない話といえる のだが。

鈍い反応に、ソーマラータはからかい半分で口を尖らせた。
「だめだなあ、パジャ。 ちゃんとそうゆう日も覚えてないと、将来 結婚した相手に、愛想尽かされちゃうよ?」
「……自分のなら覚えていられるよ」
迫力のない反論だとは、自分でも気づいている。
こういうふうに、自分が気づきもしなかったところをソーマラータが ちゃんと考えていたという話は、一度や二度ではなかった。

菊花祭の時にお祝いの花をくれた女の子たちに、ちゃんとお返しして あげていたり。
手合わせで負かせて転ばせた相手を、引き起こしてあげたり。 いろ いろ。
こんなふうに、自分ひとりで花を摘んできてもいいような時でも、 忘れずに自分を一緒に連れてきてくれたり。

やっぱりそれもお腹の中で分け合ったものなのかとも考えるけれど。 結構他のところで、抜けていたりもするけれど。
自分にはない細かな気配りを、兄はちゃんと持っている。
そういうところが、単純に偉いなあと思えるから。

「ほら、おいでパジャ。 さっさと摘んで帰らないと、日が暮れちゃう よ」
今日の予定をしっちゃかめっちゃかにして、お兄さん風吹かせてくる のも、なんとなく許せてしまう気分になれるのだと思う。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「……心配しましたよ、おふたりとも」
「ごめんなさい」
夕映えを待つ、城門の前。
出迎えたジャンガンの疲れた声に、双子は殊勝な態度でうなだれた。

「供の者もつけずにお出かけするのは お控えくださいと、再三申し 上げていたはずですよ」
「……すみません」
今度も、言葉を同時に重ねる。

「今度からは、こっそり抜け出したりなさらずに、この私やご両親に 一言告げておいてくださいね」
「はーい」
素直な返事が、これも唱和する。
「はい、結構です。 ……それで、ソーマラータ様にパジャ様。 その 花束はいったいなんなんですか?」
しかつめらしい表情を和らげて、背の高いジャンガンがふたりがそれ ぞれ腕に抱えた、春にしか咲かない、淡く儚げな花を覗き込む。

横を見ると、兄と目が合った。
悪戯っぽい笑顔につられて、パジャも口の端に笑みを刷く。
「知らないの? ジャンガン」
振り仰いだ紺碧の瞳に微笑みかけ、パジャが教える。
「明日。 父さんと母さんの、結婚記念日なんだよ」
「しかも10周年」
付け加えたのは、ソーマラータ。

対するジャンガンの反応は、
「え? ……ああなるほど、左様ですか」
聡く察して、双子の秘密の外出と 土産の花束の意味を知る。
そして愛想よく何度か頷くと、
「それでは、明日までその花束は隠しておいたほうがよろしい ですよね?」
反応よく、双子のお祝い計画に協力を申し出た。
ありがたい申し出に沸いたふたりの笑顔は、とてもよく似通って いた。




――――次の日。
ふたりで両手いっぱいに抱えてきた花束を、父さんと母さんは、目を 丸くして喜んでくれた。
結婚10周年にふさわしく、とてもうれしい贈り物だと言って。
母さんが、いちばんのお気に入りの花瓶に活けてくれたのが、照れ くさいほどうれしかった。
自分は手伝っただけだから、「ありがとう」はすべてソーマラータに 向けられるべき言葉だと思ったけれど、彼は「そんなの気にしない。 兄弟なんだし、どうでもいいじゃない」と言い放ってくれた。

そういうところも、ちゃんと『お兄さん』だと思った。








≪ 了 ≫





11000Hit御礼に、めぐりや様に捧げまする夢物語です。 『ナジュ ワーンとエリッサが生きていたら、の設定でパジャの話』ということでした ので、こんなふうになりましたが、いかがでしょう?
ちなみにイメージはトトロです。 さんぽ。
……ほのぼの目指すより、ギャグでいったほうがよかったでしょうか?
別案として、「みんなでギャウルー退治」というのもあったのですが。

すべてが想像(というか妄想か)という状況下で、パジャの本名まで偽造し たら、これはもうオリジナルものになりそうな勢いだったので、もう開き直 って名前はそのまんまです……お許しを。


BGM:『遥か』(スピッツ)