(1)世界観による分類
戦うヒロインは世界を選ばない。いかなる世界であろうと、いかなる場所であろうと、2つ以上の「存在」があれば、そこには
おのずから対立が生まれ、戦いが起こる契機となるからだ。よって、「生まれる」ということは是即ち「戦うこと」とも言える。
しかし、敢えてアダルトゲームにおいて「戦うヒロイン」を名乗らせるからには、そこには「その世界だから」という理由付けが当然の如く
必要となることは、既に述べたとおりである。
では、実際にどのような「世界」が彼女達には用意され、どう分かれていくのだろうか。古今例を見るに、ざっと以下の4通りによる
分類が可能かと思われる。
A.和洋による分類(ヨコの分類)
B.異世界・現世による分類(オクユキの分類)
C.時代による分類(タテの分類)
D.シナリオの方向性による分類
では、順を追って見ていこう。
A.和洋による分類(ヨコの分類)
読んで字の如く、日本(を中心とした東洋)と西洋の違いである。この違いを一言で表すならば、「刀か銃か」ということになるだろう。
日本の戦いは「鍔迫り合い」であり、西洋の戦いは「早撃ち」である。
和の世界、即ち日本を舞台に取った場合、基本的に作者の狙いは2通りに分かれる。
「日本人がプレーするゲームだから何のひねりもなく日本にしました」という場合。・・・これは世界観を語る意味も持たないので無視。
「日本人”らしく”戦うことに意味があるから日本にしました」という場合。日本人らしく戦う、とは何か。それはこと戦うヒロインに限れば、
「大和撫子であること」、もしくは「どろどろとした人間の情念がぶつかる」ということである。これらは表裏1対のものと考えても良い。
先にも述べたが、日本で戦う、という場合、弓や拳銃・槍よりも、やはり重視されるのは「日本刀/剣」である。そしてこれらによる戦いは
通常、一撃必殺をもたらさない。日本人の気質、情念、粘り、意地・・・それらがぶつかり合い、せめぎ合い、相克する展開・・・それこそが
”日本人らしい戦い”を想起させる。その象徴・結晶とも言えるのが「鍔迫り合い」である。どちらかが一方的に相手を滅殺するのではなく、
魂と魂が極めて接近した状態で、相手を圧しようと押し合う。そこである者は嫉妬を叫び、又別の者は怒りをぶつけ、更には悲しみを
力に変えて相手を押しこめていく。そう、鍔迫り合いとはつまり、自分の心を相手に飲み込ませる行為のことなのだ。これは、日本に
おける勝負の決着方法に、「気持ちの砕けた方が負ける」という不文律が採用されていることからも裏付けられる。
そう。日本において、「強いか弱いか」は勝負においては添え物でしかない。大事なのは心なのだ。だからこそ、
日本における戦うヒロインには「大和撫子」であることが義務付けられる。どろどろとした情念に飲まれない、強く清く気高い魂。
そして、その魂は装備や衣装にも仮託される。「和の世界」における戦うヒロインの代表といえば、
「白く穢れ無き衣装を身にまとう処女である”巫女”」
「”武士の魂”を宿す日本刀を持った銃砲刀違反の乙女」
のどちらかしか存在しない、と言っても過言ではない。彼女達に何よりも求められている戦闘能力は、力でも冷静さでも正確さでもない。
魂である。
また、別の視点から考えた場合、日本におけるヒロインの危機はそれ即ち「寸止め無し」であることが多い。何故ならば、日本の乙女は
「汚されても汚されても砕けない”魂”」を持っていることが何よりも優先されるからだ。よって必然的に、彼女達の危機は寸止めなぞで済んでは
ならないのである。この点は我々悪の魂を持つ者にとって、非常にそそる相手である、と言っても良い(w)。
一方、西洋の戦いとは「早撃ち」に代表されるように、一撃必殺である。そこにはせせこましい心のぶつけ合いなどは存在しない。
「戦いはクールに決める」こと、これが西洋の戦うヒロインに求められる資質である。ことに、日本人を対象にしたゲームで、わざわざ
登場人物や世界設定を西洋に求める以上は、この基本線を守れないようなら話にならない。現実がどうであれ、少なくともゲームという
虚構の世界においては「世界」とは「その人物を現す記号」なのだ。情念を書くなら日本を舞台にすれば十分であり、西洋を舞台にしたと
いう時点で、「日本とは違うことが求められている」のだから。
冷徹に、正確に、そして完璧に勝利を掴むことは西洋の戦うヒロインにとっては当たり前のことであってさもなくば死ぬ。
一つ欠けたら命が無くなるのが西洋流なのだ。ゆえに、西洋の現代物戦うヒロインは難しい。心を見せずに人の感情は動かせない。
心を見せていたら死ぬ。クールな精神だから勝つのではなく、クールでない奴が死ぬから生きている奴はクールになるのだ。
精神は状況に従属する。それが西洋の戦うヒロインの基本像となる。
ニトロプラスのハードボイルド路線は数少ない成功例だが、後を追ったアサシンアンはあっさり死んだ。当たり前だ、半端な気持ちで
西洋の戦うヒロインは描けない。だからこそ、西洋の戦うヒロインという素材は、銃が活躍しないファンタジーにばかり
集中するのだ。だがしかし、ファンタジーには寸止めが多い。なぜかは、もうお分かりだろう。
西洋ではヤられる=殺られるからだ。
しかし、だからといって気楽に寸止めを行うエロゲーは、エロという本分を手放したことになる。だからファンタジーにはクソゲーが
多いのだ。
と次項への掴みが出来たところで取合えず和洋の区分はここまで。次回は異世界と現世について区分を行う。