
山賀 博之
まず、この作品を終えた感想を。
高山監督の世界観の雰囲気が受け取りずらくてなかなか難しかったですね。1話のフィルムが出来た段階でも後の話にまったく反映出来ないという感じでした。脚本家は監督のやろうとしていることを汲み取ってやるべきなのに、上がったのを見てもどういう事をやりたいのか私自身最後までつかめてなかったのが残念です。
でもブレーン・ストーミングでは監督の代弁者だったそうですが?
富野由悠季の世界である「ガンダム」が、そこから離れたところでどうしたら商品化が出来るか、その問題からブレーン・ストーミングは始まったんです。富野氏抜きではやはり無理だから独自のドラマ・世界観はあきらめて、キャラクター商品の延長線上で造ったらいいと思ってたんですが、監督が本気で、出来る限りオリジナルで作りたいと言うので、じゃあ僕も高山さんの世界観である「ガンダム」をお手伝いしましょうと決めました。その時点から高山さんのやりたいことを聞き出す役になったわけです。
そこで「少年の感性は素晴らしいがそれだけじゃいけないんだ」と作品のテーマを一言で表したとか?
普通は監督が抽象的なテーマを言って、具体的なディテールをスタッフが積み上げていくんですが、今回は逆で監督がディテールを言って、僕がそれについてのテーマを解釈していくという役だったんです。監督と結城さん(構成担当)の間のズレを無くすために、通訳に入ったような状態でその時点での僕なりに解釈したのがそのセリフです。でも実際は、高山さんの持っているテーマは、さらにアナーキーというか、そんな単純なものではない感じだった。2話まではなんとなく分からないまま進められたんですが、3話で進まなくなってしまって、「前から聞きたかったことなんだけど、これはどーいう話なのか」って監督と話し合った時、ただならぬ物だと分かったんです。
監督が本当にやりたかったのは、古典的な起承転結にとらわれず、雰囲気、世界観で創りたいということだった。私としては、世間一般で言われている作品テーマを尊重した作り方のほうが楽だし、それしかやりようがないと最後まで抵抗してたんですが、高山さんはディテールが全てを語っていく、ドラマ性よりも世界観が前に出ている作り方をしようとしていました。監督は僕に楽をさせませんでしたね。方法論としては僕も解るんですが、テーマが言葉に出来るなら、わざわざ映像にしなくてみいいじゃないかという考え方なんです。
ところで実際には脚本の作業はどんな感じで進みましたか?
結城さんのを高山監督が更に細かくしたプロットがすでにありました、ただそれを見ても、何でキャラクターがこう動くのか全然分からなくて逆に僕が問い詰めるような形でした。確かに話してみると監督には監督の世界での整合性はあるんですが、僕にはよく分からなかった。私は「ガンダム」というのは、60年代の邦画にあったクサイ部分を持っていると思っていたんですが、彼の世界は洋画のアクション風の感じだったのです。セリフなどにも監督はこだわりがあるんですが、それを言わないタイプなんで、それを問い詰めて作業を進めるんです。全ての作業がそうだったと思いますよ。
内容ですが、ドラマ構成上でストーリーの核になるものは何だったのですか?
確かに全体的に持っているドラマ性はたいへん希薄で、盛り上がりが少ないです。まだ観てないので高山さんが最終話でドラマの核をどうしたかなと思ってますが。僕は、バーニィのコンプレックスしか売りは見つけられなかった。監督とアルの話をしても、高山さんはどうしてもバーニィの話にもっていくんです。彼が影の主人公と言えるかもしれません。しかもバーニィと対比するキャラとしてのクリスがくっついて強化されて、アルは主人公になりずらい。そのアルを狂言回しでなく、主人公にするのが監督のやりたいことなんですが、難しいですね。
そのアルがバーニィの性格と非常に似かよっていて、よけい主人公らしくないのは?
戦争の中で生死に関わるのはバーニィとクリスで、アルは主人公にならないと話し合ったんです。彼はこれといって特徴の無い普通の子供なんです。能動的に動いていかないんです。そうすると、意味を持って来るのはコンプレックスを持っているバーニィで、彼にくっつけてやるしかないんです。一体感を持って動いていたのが崩れていく方向へ持っていかないと、アルを主人公にする方法が見つからなかったんです。そのためにも、二人のキャラクター性は重複させないといけなかったわけです。
最後に「0080」の脚本の仕上がりにどの程度満足出来ましたか?
脚本中で世界観を描くのは出来なかったです。そういう意味でかなり辛い仕事でした。自分なりに先読み出来なかったし、とっかかりの読み違いで監督のディテールを汲み取れなくて。だから完成作品をみて高山さんの世界だなとは思うけど、この上で何かしろと言われても手がつけられない。
今回の作品は監督自身が脚本を書くのが一番よかったのではないでしょうか。僕には共通部分が少なすぎて、よく分からないんです。この場合脚本家と言うのは監督が何をやりたいのか先読みして文字にするか、自分なりのテーマで予定調和的に作るしかないんです。僕に出来る方は監督からダメがでて、高山さんの世界観を汲み取って書くことは、うまく出来なかった。つまりまったくダメだったわけですが、脚本がある程度あがっていればそれなりに取り込める世界観だったから、監督にはそれでも良かったのかもしれません。
