Der Tod Kanon -死神ノ歌

第一章 死者聖典

来訪

 びゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!
と、冷たい風を切って、私たちは夜空を飛んでいた。私はこの天使さんの背中に乗ってるだけだけど。
「ねぇ、あとどのくらいで着くの?」
私は天使さんに聞いてみた。
「そうですね・・・だいたいあと五分もあれば着くかと」
天使さんは喋る時だけ私を見て、喋り終わるとまた前を向く。ちなみに私たちが冥府を出てからまだ五分ぐらいしか経ってない。冥府が近いのかこの天使さんが速いのかはわからないけど、意外と早く着きそうだ。
「ねぇ、私たち目立ってない?」
聞いてみる。眼下には宝石をぶちまけたみたいな街の明かりが広がっているからだ。
「大丈夫ですよ。私の背中に乗っている間は生者には我々の姿を見ることはできませんから」
「ふーーん。そうなんだ。じゃぁ降りたら見えるようになるってこと?」
風切り音がすごくて、会話するのは大変だけど、この寒い中をじっとしてるわけにはいかない。
「そうですね。でも・・・」
天使さんは心配そうな顔で私を見た。
「大丈夫。覚えてるよ、掟は」
死神は死者でありながら死者ではない。生者は死者の姿を見ることは出来ないけど、死神の姿はだれにでも見ることができる。なぜだか知らないけど、昔からそうらしい。当然、生者との交流も自由だ。でも、死神と生者の間には禁じられていることがいくつかある。その一つが・・・
「生者に名を名乗ること」
この掟を破ると即座に冥府に連れ戻されて・・・それからはどうなるかわからない。当然叶うはずの願いもなくなるし、もう絶対死神になることはできない。もしかするともっととんでもないことになるかもしれない。
「・・・そろそろ見えてきましたよ。あそこでいいのですか?」
天使さんが指差した先は、真っ暗で何も見えなかった。
「うう・・・見えないよぅ・・・」
私がこの街に住んでいたのは十年も前だし、その頃の行動範囲なんてたかが知れてる。しかも、その頃の私はずっと入院していたから、病院の窓から見える小高い丘に大きな杉の木が三本立っていたことは覚えてるけど、それ以外のことはほとんど知らない。
「ほら、杉の木が三本立っていますよ」
「だから見えないんだって・・・」
天使さんって目が良いんだね。
 と、その時、カバンの中から奇妙な音が聞こえてきた。
「あ、ちょっと止まって!!」
私が言うと、天使さんは止まってくれた。ぴーぴー、と、カバンの中で発信音のようなものが鳴っていた。けどすぐに止まってしまった。
「何の音?」
天使さんに聞くと、
「おそらく儀式道具が何かに反応したのでしょう。確認することをお勧めします」
と天使さんは顔だけこっちに向けて言った。
「わかった。見てみる」
私は教科書を取り出してみた。気のせいかほんのり暖かい。
「あ、魔法円の色が変わってる・・・」
「何色ですか?」
「緑だよ」
「緑・・・」
天使さんの表情が曇る。
「葉月さん・・・これから大変でしょうけど、気をつけてくださいね」
「え、どうして?」
「緑の魔法円はこの辺りに魔の・・・」
天使さんがそこまで言った時に、不意に強い風が吹いた。
「あっ!!!」
 ・・・・・
 ・・・・・・・・・
 あーーあ・・・・
「どうしました?」
天使さんが聞く。
「落としちゃった」
「何を?」
「教科書・・・私の儀式道具・・・」
天使さんの顔色がみるみる悪くなっているのがわかった。
「私、取って来る」
気まずくなって、背中から飛び降りたけど、すぐに天使さんに腕を捕まれた。
「ちょ、ちょっと、何をしてるんですか!!」
「教科書探すの!!」
「この高さから落ちたらどうなると思うんです!!?」
「大丈夫だよ!!私もう死んでるし。怪我はしないって・・・」
「だから大変なんです!!死神と言っても見た目は普通の人間と変わらないんですよ?空から人間が降ってきて、平気な顔で歩いて行って、それを見て何とも思わない人がいると思いますか?それに、もし民家に落ちたらどうするつもりですか」
・・・あ、そっか。あぶないあぶない。私はすごすごと天使さんの背中に戻った。
「とりあえず、あそこのビルに降りますから、それから探しに行ってください」
天使さんはそう言ってから、ゆっくりと旋回して、降下を始めた。
「手伝ってくれないの?」
「私たち天使はあなた方死神と違って地上にいられる時間が短いのです。それにそもそも私たちはあなた方死神の集めた死者の魂を冥府へ運ぶことしかできないのですから」
そう、だった。たしかにそう学校で習った気がする。すっかり忘れていた。
「あう・・・わかった。がんばるよ」
大きくてもなくなるときはなくなるものでしょ、というエレノアの台詞が急に思い出された。まさか本当になくしてしまうとは。それも目的地に着く前に。我ながら凄い。凄いバカだ。
「泣かないでください。大丈夫です。きっと見つかりますから」
「泣いてないもん」
鼻水が出てきたから、私は手近なものでぬぐう。
「な、何をしているのですか!!?」
「あ、ごめん・・・」
天使さんの羽は私の鼻水でてかてかになった。天使さんはそれ以上何も言わなかったけど、ちょっと困った顔をしていた。

魔のもの

 私たちは大きな看板の乗っかった五階建てぐらいのビルの屋上に降りた。
「あ、私ここ知ってる・・・かも」
フェンス越しに下を覗き込むと、すぐそばに立っている大きな看板には「藪総合病院」とあった。
「あ、やっぱりそうだ。藪先生のとこだ」
屋上には緑色のフェンスの隣にベンチがあって、真ん中に物干し台があって、階段のそばに水飲み場がある。
「私はここに入院してたんだよ。そしてここで初めてけいいちろうに会ったんだ」
「けいいちろう・・・とは?」
天使さんは私の鼻水でてかてかになった羽を手入れしながら、まじめな顔で言った。
「けいいちろうは・・・けいいちろうだよ」
ふぅ、と、毛づくろいを終えた天使さんが小さなため息をつく。
「気をつけてくださいね。そのけいいちろうさんが目の前に現れても決して名乗ったりしないように」
天使さんは釘をさすように強い口調で言った。私は頷いて返す。
「それはそれとしても、早く儀式道具を探し出さないと取り返しのつかないことになる可能性があります」
「どうして?さっき言いかけてた魔法円の色と関係あるの?」
尋ねると、天使さんはゆっくりと頷いた。
「儀式道具は冥府からの情報や周囲の状況をあなた方死神に伝えるためにあるのですが・・・」
それは知ってる。
「その情報の種類によって魔法円の放つ光の色が変わるのです」
書類に書いてあったと思いますけど、と天使さんは付け加えたが、私には覚えがなかった。
「魔法円の色は赤、黄、緑とあって、それぞれ帰還命令、死者情報、警告を表します」
「緑って警告の色だったんだ・・・」
私は落とす前の教科書の魔法円を思い出した。確かに緑色に光っていたと思う。
「儀式道具を使用する前に紛失してしまったので具体的な指令内容はわかりませんが・・・これまでの慣例から判断すると、緑色警告は持ち主の近辺に魔のものが存在している場合が多いのです」
「魔のもの・・・」
魔のもの、それは死者の魂を狩り自分の力にしてしまう、悪しきもの。つまり、簡単に言ってしまえば私たち死神にとっての『敵』だ。
「魔のものの持つ力はさまざまで一概に言えませんが、とてつもなく強力な力を持つものも存在するのは確かです。もし魔のものに出会ったとしても、決して無理はなさらないでください。特にあなたは儀式道具をなくしてしまっているので儀式道具の発生する対魔結界もありませんからね」
天使さんのその言葉は、私を気遣ってじゃなくて、私に対する警告だと思う。天使さんの目を見るとそんな感じだ。
「どう対策するべきかは儀式道具が無いと不明ですが・・・・」
と、言っている天使さんの動きが止まった。
「残念ながら期限が来てしまったようですね。私は一度冥府へ帰らなければなりません」
天使さんは背中の翼を大きく広げた。
「可能な限り早期に儀式道具を見つけ出してください。あなたがそれを使って私たちを呼ばなければ私たちはあなたの元へ行くことができません。あなた自身の命の保証すらできません」
天使さんはそう言い残すと、あっという間に夜空に消えた。
 魔のもの。死者の魂を食べて生きている。もしそれに出会ってしまったら、もしかすると私自身が食べられてしまうかもしれない。天使さんが言いたかったのは多分そういうことだ。そして、私が儀式道具・・・なくした教科書を見つけ出さない限り、冥府からは誰も私を助けてくれない、とも言った。つまり、独りぼっちになった、って。
 そう考えると、急に背筋が寒くなった。寒くなって、くしゃみがでた。
「・・・寒い」
私は両腕をこすりながら、階段に続く扉を開けた。
「ちゃんと戸締りしてないなんて無用心だね。おかげで助かったけど・・・」

死者の声

 真夜中の病院はとっても静かで、暗かった。明かりらしいものは非常灯ぐらいだ。その非常灯の明かりより窓から入る月明かりの方が明るいんだけど。
 私は緑色の廊下を足音を立てないように静かに歩く。この時間じゃ絶対お見舞いの時間も終わってるから、こんなところにいるのが見つかったら怒られちゃう。
 この病院は奇妙なつくりで、屋上の階段からまっすぐ一階までは降りられない。五階建ての建物の三階までその階段で降りたら、今度は病室の前を通ってエレベーターもある大きな階段のところまで行かないと一階まで下りられない。そしてこの大きな階段からは五階までは行けても屋上には行けないから、こんな面倒な道を通らなければならないのだ。
 前にここを通ったのはもう十年も前だけど、見た目には全然変わってないように思えた。
 ふと、足が止まる。
 307、私が入院していた時の部屋だ。私はずっとここにいた。いつからいたかは正確には覚えてない。とにかく、ずっと昔から私はこの部屋の、六つベッドがあるこの部屋の、一番窓側の日当たりのいいベッドの上にいて、外を眺めていた。大きな川が見えて、丘が見えて、丘に生える大きな木が見えるんだ。
 ふと号室の隣に並んでいる名札に目が行った。ベッドは一つ余ってるみたいだけど・・・
「・・・やっぱり知ってる人はいないのか」
私がここを出てからもう十年、さすがにまだ入院している人はいなかった。
 その場を離れて少し歩くと、階段の前に出た。昔は大きかったその階段も、今では普通の階段だ。
 その時、モーターの動く音がして、エレベーターがこの階に止まった。私はとっさに階段の影に隠れた。出てきたのは院長の藪先生だ。私の知ってる先生よりも、だいぶ歳を取ったみたい。藪先生のあとから、頭を包帯でぐるぐる巻きにした私と同い年ぐらいの男の子が出てきた。事故でもあったのかな?
 二人の足音が聞こえなくなると、続いて病室の扉を開ける音。そして、また静かになった。
 あぶないあぶない。見つかってたら藪先生に怒られるところだった。いや、それより前に、藪先生は私が死んだことを知ってるわけだから、私だとわかったら驚いただろう。まあ、何はともあれ藪先生が出てくるより前にこの場を去るのが正解だろう。
 けど・・・・
「・・・・・・・」
 ・・・・・声だ。
 声が聞こえる。小さな女の子の泣き声。私はその場にしゃがみこんで耳を澄ました。
「・・・・ぁ・・・ぇ・・・の?・・ぁ・・・の・・・」
小さな小さな声だから、ほとんど聞き取れない。
「おかあさん・・・なおのこと・・・みえなくなっちゃったの・・・?なおのこと・・・いらなくなったの?」
声は少しずつ近づいてくるようだった。けど、足音はしない。私は気になって、降りかけていた階段を上り始めた。
 踊場を抜けて、四階。そこには、水玉模様のパジャマの女の子が泣きながら立っていた。ちょうど十年前の私みたいだ。けど、その女の子には影がなく、体がうっすらと青白い炎を出しているように揺らいでいる。間違いない。死者だ。
「おねえちゃん・・・・なおのこえがきこえる? なおのすがたがみえる? なおの・・・」
私が何も言わないでいると、女の子は肩を落とした。
「おねえちゃんにもみえないんだね。なおのこえ・・・だれにもきこえないんだね」
女の子は再び泣き出してしまった。
 私はゆっくりと手を伸ばして、女の子の頬に触れた。女の子ははじかれたように顔を上げて、私の目を見た。
「おねえちゃん・・・なおのこえがきこえるの?なおのすがたがみえるの?」
私は女の子の目を見ながらゆっくりと頷いた。
 女の子は私の手に自分の手を重ねる。女の子の涙が私の指に触れた。
「おねえちゃん・・・なおとおなじ?・・・どうして・・・みんな・・・なおのこえがきこえないの・・・なおはここにいるのに・・・だれもなおのこと・・・みてくれないの・・・?」
「あなたは・・・」
「・・・やっぱりしんじゃったの?もうおかあさんといっしょに・・・いられないの?」
きゅ、と、女の子が私の指をにぎる。
「なお・・・しんじゃったの?」
女の子が言った。私は小さく頷くことしかできなかった。この女の子は死者。私が、死神の私が導くべきもの。だけど、今私にはそのための道具がない。それでも私はこの子を放って置くことはできない。
「私と一緒に来る?」
 女の子は、真っ直ぐに私を見て、しばらく考えていた。
「・・・おねえちゃんといっしょにいけば、みんななおのことみてくれる?」
「・・・そうだよ」
「でも・・・なお、このびょういんからでられないんだけど・・・」
その子はそう言って睫毛を伏せた。聞いたことがある。何かの原因で自分の力ではその場を離れることができなくなる死者が存在する、ということを。たしか、自縛霊とか地縛霊とか呼ばれていたはずだ。ちょっと困った。だとすると、この子を連れ回すことはできない。私も本を探さなきゃいけないから・・・どうしたらいいんだろう。
「じゃあさ、もう一回だけ試してみようよ。それでダメなら・・・私が毎日会いに来てあげるから」
私の言葉に、女の子はしばらく考えて、やがて、小さく頷いた。
「なお、おねえちゃんといっしょにいくよ・・・なおのなまえは」
『名前など必要ない』
 一瞬見せた少女の微笑が、次の瞬間には掻き消えていた。その代りに、私の後ろの空間を見つめる瞳が恐怖を色濃く映す。
 振り返った私の後ろには、真っ暗な影がゆらいでいた。
「おねえちゃん・・・こわい・・・このかげ・・・のりこちゃん・・・たべた・・・のりこちゃん・・・やっとみつけたなおのことみえるともだちだったのに・・・」
私は再び泣き出した女の子を抱きかかえると、階段を駆け下りて、踊場に立つ。振り返ると、影はまだ四階でゆらいでいた。
『お前は・・・なんだ・・・死者ではない・・・生者でもない・・・』
影は私を見て(目がないから見てるかどうかわからないけど)、そうつぶやいた。
「おねえちゃん・・・かげ・・・こわい・・・」
きゅ、と、女の子の指に力がこもる。肩も小刻みに震えている。友達を食べたこの影を恐れているんだ。そうか、こいつが・・・この影が魔のものだ。でもそれがわかっても私にはどうすることもできない。私には魔のものと闘う力はないから。助けを呼ぼうにも、そのための道具すらない。
『・・・そうか、お前、死神だな!!』
魔のものが叫ぶと、目に見えない力が飛んでびりびりと空気を振るわせる。少し痛かった。
 ・・・・逃げるしかない。私は女の子を抱えたまま、一気に階段を駆け下りる。私が逃げたからか、初めからそうするつもりだったのかはわからないけど、魔のものも私たちの後を追ってくる。しかも、私たちよりもほんのちょっと速い。さらに魔のものは逃げる私たちの動きを止めようとするように小さな影をいくつも飛ばしてくる。当たったらどうなるかわからないから、とりあえず避ける。壁に当たった影は飛び散って、ふたたび魔のものに吸収されていった。
 階段を落ちるように下りて二階を過ぎる。最後の踊場への階段を一気に駆け下りていたその時・・・
「伏せろ!!」
声がして、私はとっさに女の子をかばうようにして踊場に伏せた。
 ひゅっ、と、何かが私の背中を飛び越えて、魔のものに向かっていった。
 キィン!!
『がぁあああああああああぁぁぁ!!』
鉄が床をたたく音と一緒に、魔のものの悲鳴が辺りに響く。
『お前は何だ・・・私を傷つけることができるのか』
 キィン!!
さらに音。そして、魔のものの叫び。
『ぐ・・・』
ゆっくりと振り返った私の目には、刀を構えた人影と、傷つき小さくなった魔のものが映った。その人が再び刀を振り上げた時、影は揺らぎ、掻き消える。
「・・・逃がしたか」
その人は刀を鞘にしまうと、階段を下りてきた。
「・・・・・・・・」
 立ち上がった私を、その人は黙ってじっと見る。その眼差しは、好意のものではない。どちらかと言うと、敵意に近いものだった。
「あ、すいません。おかげで助かりました」
 その人は私と同い年ぐらいの女の子だった。着ている服に見覚えがある。この近くにある学校の制服だ。昔、同じ制服の人が病院の前を通って橋を渡ったところにある学校へ行っていたのを毎日見ていたから、多分間違いないと思う。
 彼女は厳しい目つきで私を睨みつけた。きゅ、と、女の子が私のスカートを握った。
「あんた・・・何者?普通の人間じゃないよね?『闇』に追いかけられてたんだから。返答次第によっては・・・」
スッ、と音も無く刀を抜くと、切っ先を私に突きつけた。返答次第では私も斬る、ということだろう。
「私は・・・・」
私は死神。そのことを告げるべきだろうか。もしそれを告げたとして、この人はどうするだろう。
「私は・・・死神です」
「死神?」
彼女の眉がわずかに動いた。
 ・・・・
彼女は何も言わずにじっと私の目を見る。
「私は死神がなんだか知らない。だからそれだけであんたを斬ることはできない。どうやらあんたは『闇』とは違う。私の敵じゃなさそうだしね」
彼女はそう言うと、刀を収めた。かわりに、右手を突き出す。
「自己紹介が遅れた。私は鈴子。秋篠鈴子だ」
「りん・・・こ?」
「鈴の子と書く」
ん、と、鈴子さんはさらに右手を突き出した。どうやら右手は握手を求めて差し出されたものらしい。私はその右手を取る。
 ・・・一瞬名乗ろうとしてしまったけど、すぐに「掟」を思い出した。そう、死神は他人に名を名乗ってはいけないのだ。
「名前は?」
「・・・・私に名前はありません」
いろいろ考えた結果、こう答えるのが一番いいような気がした。
「名前ないの?死神さん」
「はい」
「かわいそう・・・」
不意に、私の後ろに隠れるように立っている女の子がつぶやいた。
「何がかわいそうなんだよ」
鈴子さんが、女の子を睨みつける。女の子は驚いて
「おねえちゃん、なおがみえるの?」
と聞き返す。
「はっきり見える」
それがどうした、と言わんばかりに、ますます睨みつける。それでも、女の子は動じなかった。
「ほら、言ってみな。何がかわいそうなんだ?」
「しにがみさん、なまえないのかわいそうだよ」
「そうだねぇ・・・名前ないとやっぱ不便だよな。まさか街中で『おーーい、死神さーん』なんていうわけにもいかないし・・・・」
「ふべんじゃないよ。かわいそうだよ」
女の子がむっとしたように言った。鈴子さんは小さくため息をつくと、女の子の前にしゃがみこむ。
「ところでさ、あんたは・・・なおでいいの?」
鈴子さんが女の子に聞くと、女の子は不思議そうな顔で
「なお、だよ。でも、おねえちゃんすごいねぇ。なおまだなまえおしえてないよ」
と首をかしげた。
「さっきから自分のこと『なお』って呼んでるじゃないか」
鈴子さんが言うと、やっと納得したように、「おぉ」と、驚いて見せた。
「ん。なお、よろしく」
鈴子さんは握手をしようと手を差し出す。が、なおちゃんは私にしがみついたままだった。
「どうした?」
なおちゃんは困ったように私を見上げてくる。私はなおちゃんの背中を軽く押してあげた。よろよろと、なおちゃんは鈴子さんに近づいて行って、おずおずと右手を差し出して、握手した。
「よかった・・・」
「何が?」
「だって・・・りんこおねえちゃんと、ちゃんとあくしゅできたもん。もしできなかったらっておもったら・・・こわかったから」
 鈴子さんは何も言わずになおちゃんの手を握っていた。
「じゃあ私の修行も無駄じゃなかった、ってことだね」
言うと、鈴子さんは立ち上がって、脇に立てかけてあった日本刀を手に取った。
「これ、何に見える?」
何に見えるって言われても・・・
「・・・刀、ですか?」
「そう、刀。でもただの刀じゃない。家の神社の御神体だ」
「神社なんですか?」
「うん。秋篠神社」
「あ、なお、しってるよ。あのさんぼんすぎのところにある、ふるいじんじゃでしょ?」
「そう、そこだ」
なおちゃんの言う三本杉というのは、多分私の病室からも見えていて、今日天使さんにここに来る時の目印として教えたものだ。私は知らなかったけど、あの下に神社がるらしい。
「私はそこの娘でね。生まれた時から他の人間に見えないものがいろいろ見えてた。そのせいでオヤジにいろいろやらされててねぇ・・・」
大変だったなぁ、と、鈴子さんは愚痴をこぼし始める。
「でもまぁ、それでなおと友達になれたんだからよかったよな。うん」
言い終わると、鈴子さんは私に向き直って、真剣な表情で続ける。
「ところで・・・あんた・・・死神って言ったっけ? その死神が何のためにここにいるんだ?」
「死神の仕事をしに来たんです」
答えると、ふむ、と鈴子さんは腕を組んで考え込む。
「死神の・・・仕事?何だ?死にぞこないを殺しに来たのか?」
鈴子さんの言葉に、私は首を振って否定してから、続ける。
「死神の仕事は死者の魂を冥府へ運ぶことです。生者の命を奪うことではありません」
「・・・てことは、なおもその冥府ってところに連れて行くのか?」
「はい」
「めいふー?」
なおちゃんが不思議そうな顔で私を見上げる。
「冥府、っていうのは、この世で死んじゃった人が行く世界だよ。そこでしばらく過ごしてから、またこの世に戻ってくるの」
私が冥府のことを教えても、なおちゃんはわかったようなわからないような複雑な顔のままだった。
「ま、つまりあれだな、なおはここにいて誰も気付いてくれなくて寂しかっただろ?」
鈴子さんの言葉に、なおちゃんは暗い顔で小さく頷いた。
「そんな人が出ないように、この死神さんたちが働いてくれてるんだよ」
なおちゃんはしばらく考えてから、
「じゃあ、おねえちゃんといっしょにいけば、なおはもうさみしくないの?」
「そうそう」
「じゃあ、なおおねえちゃんといっしょにめいふにいく!!」
「よーし、そうと決まれば話は早い。さあ、死神さん、なおを冥府へ・・・」
「ダメなんです・・・」
ずるっ・・・
鈴子さんはなおちゃんを抱きかかえて私に預けようとしたけど、思いっきり出鼻をくじいてしまった。
「なんだよそれ!!ちゃんと仕事しろ!!」
「あぅ、ごめんなさい」
鈴子さんはなおちゃんを抱えたまま空いている左手で私をぱーでばしばし殴る。
「実は私の力だけでは冥府に行けないんです。天使さんに運んでもらわないと・・・」
「じゃあその天使さんとやらを早く呼べ!すぐに呼べ!直ちに呼べ!!」
「ダメなんです」
 がくっ・・・
鈴子さんの肩から力が抜けていくのがわかる。
「お前なっ!!何しに来たんだよ!?」
「道具なくしたんだから仕方ないじゃないですか〜〜」
「わ、分かったよ。分かったからそんなに悲しそうな声で泣くな・・・」
「泣いてないもん」
そう言ってはみたけど、説得力まるでナシだ。だって私の手は鈴子さんの左手をがっしりと握り締めていたし、何より・・・ホントに泣いてたから。
「おねえちゃん、だいじょうぶだよ。どうぐ、きっとみつかるよ。それまでさみしいのがまんするから。だから・・・なかないで」
「おーおー。なおは優しいねぇ」
その優しさが私の心をさらに締め付ける。
「だから泣くなって。なくしたものなら探せばいいだろ?」
鈴子さんが私の髪をガシガシとやりながら言った。
「私も暇な時は探してやるからさ、いつ、気付いたんだ?その・・・道具ってやつがなくなってるのに」
「それは・・・この町に来る途中で空の上から落としてしまったんです。だからこの町のどこかに落ちてると思うんですけど・・・」
「何を落としたって?」
鈴子さんの表情が怪訝そうになる。私はあわてて言葉を続けた。
「だから、天使さんを呼ぶための道具です。あ、具体的には本です。これぐらいの、皮のカバーの・・・」
私は落とした教科書の大きさを手で示しながら言った。
「空から落としたって?本を?そりゃもし下に誰かいたら死んでるね。民家に落ちて屋根突き破ってるかも・・・・」
「こ、怖いこと言わないでくださいよぉ・・・人殺しはルール違反なんですから・・・」
「わーー、分かったから泣くな。まぁもしこの辺に落ちて誰かに当たるか屋根を突き破るかしたら救急車なりパトカーなりが走るだろ。明日になれば新聞にだって載るかもしれない。それが無かったってことは、たぶん大丈夫だったってことだろ?」
鈴子さんは私をなだめるようにして続ける。
「明日になったら私も一緒にその本探してやるからさ。だから・・・」
「もうなかないでね、しにがみさん」
「そういうコト」
 わかっているけど、やっぱり涙が止まらなかった。

水月

 とは言ったものの、だ。一体どこから探せばいいのかさっぱり見当がつかない。日の出ないうちからとりあえず病院の近辺は一通り探してみたけど、手がかりらしいものは何一つ見つかっていない。途中で会った何人かの人に尋ねてみたりしたけど、皆一様に首を横に振るだけだった。それどころかこんな早朝に何やってるんだぁ、って怪しいおじさんに声をかけられたりもして、ちょっと怖かった。
「もしかして、川に流されちゃったー、とかもあるかなぁ・・・」
もしそうだとしたら、見つかる可能性はぐんと少なくなる。
「やめやめ、そんなこと考えたら、本当にそうなっちゃうかも知れないもんね」
いやな考えを払拭するように頬を軽く叩いてから、次の場所へ向かう。えーっと、たしか駅があったよね。そっちの方を探してみることにしよう。
 というわけで、駅前にやってきた。近代的で綺麗な駅だ。私の記憶とは少し違う気がする。建て直したんだろうか。まぁ今はそんなことはどうでも良いんだけど。早朝の駅には背広を着込んだサラリーマン風の男の人が大勢押し寄せている。こんな早くから大変だね。それはそれとして、私は私で本を探さないと行けない。とりあえずこのあたりは人が多いから後回しにして、駅の向こう側に行ってみよう。
 駅の裏側は住宅街だった。どこかで見たような家並みがずーっと並んでいる。そういえば私の家ってどこにあるんだっけ?こんな感じの町の中だったような気はするんだけど、もう十年以上も前の話だし、私は病院にいた時間の方が長いから、良く覚えていないんだけど。
 僅かな記憶をたどって、細い道をすいすいと進んでいく。すぐに家がまばらになってきた。所々の空き地は田んぼだったり畑だったりだ。良く言えば閑静な、悪く言えば寂れたところ。でも・・・少し懐かしい感じ。このあたりに間違いない。と思う。はっきりと思い出せないけど、それはそれでいいと思うことにする。もし家の場所をちゃんと覚えてたら・・・きっと帰りたくなるだろうから。そしたらそこにはお母さんがいて、お父さんがいて、私は掟を破って名を名乗ってしまうかも知れない。どちらにしろ、これ以上の詮索はやめておいた方がいい気がした。
 あたりを見渡してみる。と、公園が目に入った。古びた小さな公園だ。管理が行き届いているのか、こざっぱりとしている。とりあえず、ここを今日の拠点にしてみよう。病院からずいぶん離れてしまっているから、このあたりを本格的に探すこともない気がするから、とりあえず昼過ぎまで。その後は本を探しながら駅の方に戻っていけばいい。
 ・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・
 そんなに甘いものではない。本が見つからないままどれくらい時間が経っただろうか。太陽はいつの間にか真上まで昇って、少しお腹がすいてきた気がする。死神は元は死者で、この体は『肉』の体じゃないから、別に何も食べなくても平気なんだけど、こういうのは気分の問題だ。実際、冥府にいたときは三食とも食べてたし。かといって持ち合わせがあるわけでもないから、何か食べられるかと言ったらそれは無理で・・・。気になり始めるとどんどんお腹が減っていくような気がするから不思議だ。考えないようにしようとすればするほどそれは深刻な問題になる。
 ぐ〜・・・・
はぁ、情けない。誰かに聞かれていないかと、あたりを見渡してみる。と、木陰から私を見つめている人影に気づいた。人影と言ってもまだ五歳とか六歳とかそのぐらいの小さな人影なんだけど。その影は心配そうに私の方を見ていて、私が気づいたのがわかると、完全に木陰に隠れて、しばらくしてからゆっくりと姿を現した。小さな女の子だった。その子はゆっくりとベンチに座る私に近寄ってくる。
「お姉ちゃん、何してる人?」
「本を探してる人」
女の子の問いかけにそう答えておく。他に言いようがないから。
「見なかった?これぐらいの・・・本なんだけど」
一応、聞いておく。けど、女の子はふるふると首を横に振るだけだった。残念。
 ぐ〜・・・・
な、情けない。一度ならず二度までもとは。しかも今度は目撃者付きだ。見ると女の子は不思議そうな顔で私の顔をのぞき込んでいた。
「お姉ちゃん、お腹すいてるの?」
そうなんだけど、そう答えるのはさすがに恥ずかしすぎる。
「これ、あげるよ。わたしのお昼ご飯用に持ってきたんだけど・・・家で食べるから」
そう言って女の子は小さなクッキーのお菓子を差し出す。懐かしいパッケージだ。けど、受け取るわけにはいかない。そう、お姉ちゃんとして。
「いいよ。あなたが食べて」
私がそう言うと、女の子は渋々お菓子を小さなリュックにしまい込んだ。それよりも、だ。もうすぐお昼なんだけど、この子はここで何をしているのか、少し気になる。
「ところで・・・あなたは何してるの?」
「人さがし」
女の子はそう即答した。にしても・・・突飛な・・・全く予想外の答えだった。
「人・・・捜し?」
「そう。お姉ちゃんを探してるの。お母さんに聞いてもどこにいるか教えてくれないから、わたしが自分で探すの。近くにはいない、ってお母さんが言ってたから、お弁当もって探しに行くの」
お弁当、って言うのはさっきのお菓子のことだろう。ちょっと心配だ。
「あんまり遠くまで行くとお母さんが心配するよ? もうお昼だから・・・一回帰った方がいいんじゃない?」
やめさせた方がいいと思う。
「でも・・・いつも時間が足りなくて見つからないの。だから・・・今日はお弁当持ってきたんだもん」
どうやらこれまでにも何度かチャレンジしているらしい。この子の姉はもしかしたら学校に行ってるのかも知れない。だから家で一人でいるのが寂しくて、姉を捜しに出てきているのかも知れない。
「お姉ちゃんもさ、もうすぐ帰ってくるかも知れないじゃない?その時にあなたが家にいないと会えないよ?だから、捜すのは少しだけにして、今は家に帰った方が良いと思うな。またお昼ご飯食べてから捜しに出ればいいよ。晩ご飯の時間まで」
私が言っても、まだ女の子は納得していないようだった。けど、ずいぶん悩んでから「わかった。今日はもう帰る」って言ってくれた。とりあえずこれで一安心かな。
「わたしの家、こっちだから」
「そう、気をつけて帰ってね」
「うん」
女の子はそう言うと、元気よく走り出した。いきなり何かにつまずいて転びかけるけど、なんとか転ばずに走っていく。
「お姉ちゃん!」
ふと、思いついたように立ち止まって、私を呼ぶ。
「わたし、お姉ちゃんの本もさがすから、お姉ちゃんはわたしののお姉ちゃんを捜してね!」
女の子はそう叫ぶと、また駆けていった。でも・・・
「ちょっと待って!私、あなたのお姉ちゃんのこと知らないよっ!」
「わたしも知らないから大丈夫だよっ!」
 ・・・・え?
謎の言葉を残して、女の子は走り去っていった。もう一度引き留めてどういう事か聞きたかったけど、意外と足が速くて気づいたときにはもう姿が見えなかった。一体何だったんだろう。しばらくその場で考え込んだけど、結局答えは出なかった。あの子のことは気になるけど、もうこれ以上この辺にいても仕方ないだろう。そろそろ、駅の方に戻ることにしよう。

捜索

「あ、いたいた。おーい、えーーと・・・しーちゃん」
 駅前のベンチに座って休憩している私の前に、いつのまにか鈴子さんが立っていた。昨日と同じで学校の制服を着ている。今三時半ぐらいだから、学校が終わったところなんだろう。ちなみに、しーちゃん、というのは、昨日鈴子さんとなおちゃんが私につけてくれた名前だ。鈴子さんいわく、死神だからしーちゃんなんだって。
「本、見つかった?」
鈴子さんの問いかけに、私は首を横に振って答えた。
「まぁ一晩じゃ無理か・・・この町のどこにあるかも分からないものを探すんだから。もしかしたら風に流されてかなり遠くまで行っちゃってる可能性もあるしね」
言いながら、鈴子さんが私の横に腰を下ろす。
「そこで、だ。今日はこれから国家権力を借りようかと思う」
「国家権力・・・ですか?」
「落し物は交番へ届けましょう、ってね」
「あ、なるほど。すっかり忘れてました。警察ですね、警察」
「まぁ警察に届けても無駄かもしれないけど、それでもやっぱり届けないよりはマシだろ。えーと、しーちゃん、交番の場所、分かる?」
「いえ・・・・」
「実はこの駅の裏にあるんだけどね」
 というわけで、私たちは交番に来た。ちょっと・・・いや、かなりうらぶれてるけど、間違いなく交番だ。
「すいませーーん。落し物したんですけど届いてませんかー?」
鈴子さんが交番の奥の部屋に向かって声をかけている。
「またサボってどっか行っちゃったのか?」
「うるせぇ。サボってねぇよ。中は狭いから外にいたんだよ」
「うわぁ」
「お、いたか、正臣」
私の後ろ、つまり交番の入り口には、私の倍ぐらいの身長の(さすがにそんなにはないかも)体格のいい男の警官が立っていた。鈴子さんの言葉からすると、たぶん正臣さんだ。
「呼び捨てはやめろ、っていつも言ってんだろが」
正臣さんは交番の戸口をくぐるようにして中に入ってくる。天井に頭がつきそうだ。
「いいじゃん。減るもんじゃないし」
「減らなきゃいいってもんでもないだろーが。ったく・・・」
言いながら、正臣さんは窮屈そうに椅子に座る。椅子が苦しそうにキィキィ鳴いた。
「で?何だって?落し物?」
正臣さんは書類を捜しながら聞いた。
「そうなんだよ。届いてない?本なんだけど」
これくらいの、と、鈴子さんが手で本を作る。
「本は届いてねぇな。財布と帽子なら届いてるけど」
「あ、その財布私のだね」
「ならお前は『北村留吉』85歳なんだな?年の割に若く見えるってよく言われないか?」
「ちっ・・・免許証付きか・・・」
「まぁそんなことは置いといて、本ってどんな本だ?それがわからなきゃ捜しようがない」
「ほら、しーちゃん、説明して」
とん、と、鈴子さんが私の背中を押す。正臣さんは座っていても私より背が高い。こうして側で見るとちょっと、いや、けっこう怖かった。
「なんだ、鈴子が落としたんじゃないのか?なるほどな。鈴子が本だなんて言うから一体どうしたことかと思ったじゃないか」
鈴子さんは頷くだけだった。けど額に血管が浮いているのを私は見た。
「あ、えっと、このぐらいの大きさの、皮のハードカバーの本です。だいたい五百ページぐらいあったと思います」
「へぇ・・・いまどき皮。高かったでしょ?」
正臣さんが書類を書きながら言った。
「は、はい。高かったです」
「ほー。で、本のタイトルは?」
「・・・・死者聖典」
言うと、正臣さんの手が止まった。
「・・・・どうした?正臣」
「漢字がわかんねぇんだよ!!」
あ、そうか・・・
「すいません。タイトルなんですけど、日本語じゃないんです」
「すると何語だ?『シシャセーテン』て」
とりあえず正臣さんはカタカナで書いたみたいだ。
「たしかドイツ語だと聞いたことがあります。『死者聖典』は日本語訳で。綴りは・・・デー・・・エー」
「あー、めんどくせ。鈴子、代われ」
「正臣は横文字弱いからなぁ・・・しーちゃんが直接書いてよ」
調書(?)が正臣さんから鈴子さんを経由して私まで回ってくる。
私はボールペンでその上にさらさらとタイトルを書いて、正臣さんに回す。
「へぇ、うまいもんだ。読めねぇけど」
「ホント。うちのガッコの英語教師だってここまでかっこよく書けないよ。読めないけど」
「ああ、西田な。あいつ字ぃヘタクソだからなぁ・・・黒板いつも右下がりだし」
「そうそう。試験の問題文も読みにくいの」
 それから少しの間、二人は英語教師の西田さんの話で盛り上がっていたけど、まったく話についていけない私に気づいて慌てて話をやめた。
「・・・ごめん。しーちゃんには分からない話だった」
「・・・うむ」
咳払いをしてから正臣さんが私に聞く。
「他に特徴は?」
「表紙に魔法円が描いてあるんです。複雑なやつが」
また正臣さんの手が止まった。そして、しばらく考えてから続ける。
「・・・表紙に複雑な文様あり・・・と。まぁこんなもんでいいだろ。他には?」
「中身も日本語じゃありません」
「じゃあドイツ語か・・・読めるの? しーちゃん」
「まぁ・・・一応。ゆっくりなら」
「へぇ、そりゃすげぇや」
言いながら、正臣さんが調書を埋めていく。
「聞いても無駄だろうけど一応。どこで落としたか分かる?」
「はぁ・・・多分病院の近くだと思うんですけど」
「病院て藪か?」
「ここらに病院はあそこしかないでしょ」
「まぁそうだが・・・」
カリカリ、とボールペンを走らせる音。
「いつ頃落としたか分かる?ま、心当たり程度のもんで。なくなってるのに初めに気づいた時間でいいから」
「えと・・・鈴子さんに会う三十分ぐらい前だから・・・」
「じゃあ十一時半ぐらいだね」
「昼間?」
「夜です」
「ん、じゃあ本を探してる時に病院の辺りで鈴子に会ったわけだ」
ちょっと違うけど、『病院で魔のものに襲われているところを助けてもらった』と言ってもしょうがないのでそういうコトにしておいたほうがよさそうだ。
「大体そうですけど・・・・見つかりそうですか?」
「これだけ特徴のある本なら見つかればすぐ分かるだろ。連絡先は鈴子の携帯でいいのか?」
「そだね。それでいいよ」
「あ、そうだ、君、名前は?」
正臣さんが私に聞いた。
「え・・・」
「『しーちゃん』だ」
「そりゃあだ名だろ。本名だよ、本名」
「しーちゃんはしーちゃんだ」
鈴子さんが睨みつけると、正臣さんはこれ以上深くつっこんでも無駄と思ったのか、追求をやめた。
「やれやれ。じゃ、とりあえず落とし主はお前にしとくぞ、鈴子」
「それでいいよ」
「じゃあもう行け。俺はこれからパトロールに行かねばならん」
「ん。頼んだよ」
「よろしくお願いします」
それだけ言うと、正臣さんは私たちを追い出すように外へ出た。
「じゃあな。気をつけて帰れよ」
正臣さんは自転車にまたがると駅のほうへと漕ぎ出した。その姿はあっという間に見えなくなる。
「交番開けといて大丈夫なんでしょうか」
「大丈夫なんじゃない?」
こんな所誰も来ないよ、と笑う。たとえ本当にそうだとしても・・・いいのだろうか。
「正臣さんはどこに?」
「ん・・・・多分本探しだよ」
「私の・・・ですか?」
「そう。正臣はそういうやつなんだ」
いつまでもここにいてもしょうがないので、私たちは私たちで本を探すべく、ひとまず病院へ行ってみることにした。

本のありか?

 藪総合病院のロビーは、もう日も暮れかかっているのに、外来の患者さんでいっぱいだった。その脇を抜けて、階段を上る。
「しーちゃん、ごほん、みつかった?」
屋上まで上がる最後の踊場に、なおちゃんがいた。
「ううん。まだ見つかってないよ」
「ごめんね・・・なおもてつだえればいいんだけど・・・ここからでられないから」
「いいんだよ。なおちゃんは何もしなくても」
「そうそう。なおはただ待ってればいい」
「しーちゃん・・・りんこおねえちゃん・・・」
 それから私たちは三十分ぐらい屋上で話した。なおちゃんが寂しくないように、って鈴子さんが提案したことだ。
「あ、そうだ、いま、おもいだしたんだけど・・・」
なおちゃんが不意に言い出す。
「きのうね、おとこのひとがひとり、いちにちだけにゅういんしてたんだよ。けさたいいんしていったの。あたまをけがしたみたいだった」
「・・・・?それが何か?」
鈴子さんはそれがどう意味か理解できなかったらしい。私もわからなかったからちょうど良かった。
「あのね、そのおとこのひとね、なおがしーちゃんとあうちょっとまえに、びょういんのまえにたおれてたんだって。だから、もしかしたら、しーちゃんのほんがあたまにあたって、けがしたんじゃないかな、っておもったのね」
なるほど・・・そういえば昨日エレベーターから藪先生と一緒に頭に包帯を巻いた男の子が出てきたけど・・・その子のことかな?
「うーーん、なお、わりといい線行ってると思うけど・・・さすがにこの病院よりも高いところから落とした本が頭に直撃してたら多分死・・・いや、一晩では退院できなかったと思うけど・・・」
「そうかなぁ・・・やっぱり」
鈴子さんの返事に、なおちゃんはがっかりした様子で首を垂れた。
「・・・・・でもまぁ」
鈴子さんはそっと手を伸ばして、なおちゃんの髪をなでる。
「せっかくなおが教えてくれたんだし、他の手がかりも無いし、そいつに当たってみるか?」
「そうですね。なおちゃん、教えてくれてありがとう」
「うん!!がんばってね」
「さてと、とりあえず受付に行って聞いてみるか。教えてくれるかどうか分からないけど」
「秘守義務ってやつですね」
病院や法律事務所みたいな、人のプライベートを知る職業の人たちは、その人のことを他人に喋ってはいけない決まりになってるもんね。
「ん。ま、この病院のことだろうから住所は無理でも名前ぐらいは分かるだろ」
「・・・それっていいコトなんですか?」
「いいんじゃないの?ま、こんな所で考えてても仕方ないだろ。とりあえず、当たって砕けろだ」
「くだけちゃだめだよ」
なおちゃんの真顔のつっこみが入った。
「ことわざだよ、なお」
「うん。しってる」
なおちゃんはまだ真顔のままだった。

ソイツを捜せ!!

「ダメです」
 受付の看護婦さんは、笑顔のまま、断固たる口調で私たちの頼みをつき返した。
「・・・意外とガード固いね」
「そうですね。いきなり住所教えろっていうのは・・・いくらなんでも無理でしたね」
「なに、まだ手はある。作戦4!!」
私たちの「昨日の夜入院して今朝退院した頭に怪我をした少年を探せ作戦」は三回コケて四つ目の作戦を迎えていた。
 第一の作戦はここに来る途中に実行された。とりあえず、すれ違った看護婦さんや患者さんに尋ねてみたのだ。結果は失敗。
 第二の作戦はここで実行された。見舞いを装って、しかもその人の名前をド忘れしたことにして、誘導尋問で聞き出す、というものだった。さすがに無理があったらしく、名前を思い出してから来てくださいね、と笑顔で追い返された。
 第三の作戦。それはついさっき実行された。どんな作戦かと言うと、素直に受付のお姉さんに質問する、というものだ。結果は知っての通り、失敗だった。
「よし、次の作戦いくよ!!二人はここで待ってて」
そういうと、鈴子さんは私たちを残して受付へと向かった。さっき話した受付の人が奥に引っ込んで、交代の人が出てきたのを見計らって、声をかける。
 ・・・・
 ・・・・・・・・
小声でのやり取りが続く。ここからでは何を話しているのかさっぱりわからないけど、受付の看護婦さんが震えているのがわかった。
 直後、ガタン!!と、鈴子さんがテーブルを殴りつけた。大きな音がロビーにこだまして、みんなが何事かと受付を見た。鈴子さんはなんでもありません、すいませんでした、と謝ってから、皆の注意がそれるのを待って再び受付の人と向かい合う。
 ・・・・
 ・・・・・・・・
 しばらくすると、奥の部屋からたくさん人が出てきた。鈴子さんはこっちへ走って来てなおちゃんを脇に抱え込むと、私の手を引いて側の階段を一気に三階まで駆け上った。
「第四の作戦・・・・失敗」
「な、何したんですか」
「いや、いいじゃない、失敗した作戦のことは。それより次の作戦考えないと」
「脅したんですか?」
「そうとも言うね」
「そうとしか言わないんじゃないですか?」
「ま、いいじゃない。細かいことは」
「こまかくない・・・」
 その時、私たちの後からひとり、階段を上がって来た。
「病院内ではあんまり走らないようにしてくださいね、秋篠鈴子さん?」
「わっ・・・い、や、藪、先生」
それは、この病院の院長の藪先生だった。少しくたびれた白衣とネクタイ。私の知っている先生よりもきっちり十年分年を取っている。
「看護婦さんたちが脅迫されたって言うから、誰かと思って来てみれば。一体何があったんですか?」
「え。別にたいしたことじゃないです。昨日の夜に頭を怪我して入院した男の子のことで・・・」
「ああ、近江君ですか。彼ならもう退院しましたよ」
ぽろっ、と、藪先生の口からその名前が出た。
「おうみ・・・?」
「だから、昨日頭に怪我して入院した近江君でしょ?」
「あ、ああ、そうですそうです。間違いありません。けど退院してたんですか、そうですか・・・」
偶然にも、昨日私がちらっと見た、頭を怪我していた私の本を持っているかもしれない男の子は「近江」という名前らしいことが判明した。
「・・・・ところで、そちらの方は?」
先生の言う「そちらの方」とはもちろん私のことだ。
「あ、彼女は・・・・しーちゃん」
「どうも、はじめまして。院長の藪です」
それは知ってるけど・・・私は差し出された手を握り返した。
「おや?しーちゃんさん、あなた、前にどこかでお会いしませんでしたか?」
「え?」
そういえば私は、十年前とはいえ、ずっと入院してたんだから、藪先生が私の顔を覚えていたとしても不思議じゃない。なにしろ私が覚えてたんだから。
「さ、さあ。私は初対面ですけど・・・」
「そうですか・・・私の気のせいですかね?気を悪くしたらごめんなさい」
「いえ、そんな・・・」
藪先生は深々と頭を下げた。ウソをついただけに少し胸が痛かった。
「あっ、あの、先生、私たちそろそろ行かないと」
鈴子さんは早くこの場から逃れようとしているみたいだ。藪先生も今回のことを深く追求する気は無いのか、「ああ、そうですね。でももう脅迫はやめてくださいよ」とだけ言って、怒らなかった。
 けど・・・
「あと、できれば夜の徘徊もやめてくれるとありがたいんですけどね」
「知ってたんですか」
鈴子さんの笑顔が歪む。
「一応この病院内で起こることは把握しておくのが院長としての努めですからね。まあ、何か理由があってのことなんでしょうから深くは追求しませんが、問題だけは起こさないで下さいよ」
「わ・・・分かりました。気をつけます」
「気をつけて帰ってくださいね。ベッドは空いてますけど事故なんかに遭わないように」
 冗談めかした先生の言葉に送られて、私たちはとりあえず病院を出た。なおちゃんとはここでひとまずお別れになる。なおちゃんは先生の後ろで小さく手を振っていた。私も手を振って返すと、先生も手を振って返してきたので、お辞儀してから病院を出る。
 病院を出ると、もうすっかり暗かった。今が十二月ってことを考えなくても、完全に夜だ。
「七時・・・か」
「日が落ちると一気に寒いですね」
「ん。まぁ、雪が降ってないだけマシかな」
「そうですね」
「さて・・・私はそろそろ家に帰るけど・・・・」
「じゃあここでお別れですね」
私がそう言うと、鈴子さんが引き止めた。
「まあそうだが・・・ところでしーちゃん、夜は何をやってるの?昨日もそうだけど・・・まさか野宿とか?」
「いえ、私たち死神には睡眠は必要ありませんから。眠ることはできるんですけど、眠らなかったからといってどうなるわけでもありませんし・・・それに、本も探さないといけませんから。昨日も一晩中本を・・・」
「ふーーん」
鈴子さんは気の無い返事をする。けど、私がまた礼をして行こうとすると、やっぱり鈴子さんが引き止めた。
「あのさ、今日はうちに泊まらない?ほら、夜は寒いし、さ。近江君とやらについて、ちょっと思い当たることが無いでもないから・・・」
「鈴子さんの家で作戦会議、というわけですか?」
「ま、そういうコト」
「でも、急にお邪魔して迷惑じゃありませんか?」
「ん、全然。家、広いし。家族もなにも言わないよ」
「じゃ・・・じゃあ・・・よろしくお願いします」
私はお言葉に甘えて、鈴子さんの家に泊めてもらうことにした。

秋篠神社

「これを上るんですか?」
「たいしたこと無いよ。見た目は長いけど。病院の屋上まで行くより楽だから」
 秋篠神社へいたる石段を目の前に、私はすこし気が遠くなった。
「暗いですね」
「これでも十年ぐらい前よりはマシだよ。昔はこの電灯だってなかったんだから」
長い石段は、所々で折り返していて、その角ごとにぽつん、ぽつんと小さな電灯が灯っている。明かりらしい明かりはそれだけで、長い石段は月に照らされてぼんやりと白く光っていた。
「ほら、行くよ」
「あ、はい」
そんな私のことは気にもかけずに、鈴子さんはずんずん上っていく。
「何段ぐらいあるんですか?」
半分ぐらい上ったところで、鈴子さんに聞いてみる。
「たぶん百段あるかないかだと思うんだけど・・・気になるんだったら一回降りて数えてみる?」
振り返ってみると、いままで頑張った証がそこにあった。戻る気にはなれない。
「・・・・明日にします」
「ん。そうかい。ま、あと少しだから」
鈴子さんは再び階段を上り始める。私も慌ててその後を追った。
「静かですね」
「冬だからね。夏は喧しいぐらいなんだけど」
「そうなんですか」
周りが静かすぎて、息が詰まる。何か喋っていないと気がおかしくなりそうだ。
「毎日大変じゃないですか?ここを上ったり下りたりするのって」
「毎日だからね。慣れたよ。それよりほら、てっぺんだ」
「あ、本当」
よっと、と鈴子さんがラストスパートをかける。とん、と頂上に着地して、私のほうを振り返った。
「ようこそ、秋篠神社へ」
「よ、よろしくお願いします」
私もやっとのことで階段を上りきって、古ぼけた石の鳥居をくぐった。
「わっ、広い」
「なんか意外そうだね」
思わずこぼれた感想に鈴子さんが不服そうな声を返す。
「あ、いや、そういう意味じゃなくて・・・」
じゃあどういう意味だ、って聞かれたらどうしようかと思ったけど、それは杞憂に終わってくれた。
「家は本殿の脇だから」
「あ、はい」
頼りない電灯と月と星の明かりで白い玉砂利が浮かび上がる中を歩いて、お堂の裏に回りこむ。林の陰に小さな鳥居と小道があって、それを抜けると昔ながらの平屋の日本家屋が姿を表した。
「どうよ、純和風」
「どうよって言われても・・・なんて返せばいいんですか?」
「それもそうだ」
鈴子さんは小さく笑ってから、引き戸を開ける。
「ただいまー」
言いながら、靴を脱いで家に上がった。
「しーちゃんもほら、遠慮しないで」
「あ、はい」
私も鈴子さんの後に続いて家に上がる。
「ん?誰もいないのかな?姉貴がいると思ったんだけど・・・」
「あら、鈴子ちゃん、おかえりなさい」
「わっ」
鈴子さんの目の前に突然女の人が現れた。私たちより少しだけ年上の女の人だ。たぶん鈴子さんのお姉さんだろう。とってもスタイルが良くて、美人。鈴子さんはちょっとキツい印象だったけど、この人はとても優しそう。
「鈴子ちゃん、その方は?鈴子ちゃんのお友達?」
お姉さんが鈴子さんの肩越しに私を指して聞いた。
「あ、うん。そう。今日泊まってもらおうと思って」
「そう。やっぱりそうだったの」
そう言いながら、お姉さんは鈴子さんの脇を抜けて私の前に立った。
「どうも、こんにちは。わたしの名前は秋篠みかん。鈴子ちゃんのお姉さんなの」
みかん、さん。なんだかおいしそうな名前だと思った。
「あ、あの、私は・・・」
「死神さん、でしょ?」
「え・・・」
はっとする私の前で、みかんさんは表情一つ変えず、笑顔のままで立っていた。
「その服には見覚えがあります。死神さんの制服ね。紺色ということは、まだ新人さんかな?」
「そうですけど・・・どうしてそれを?」
「あら、わたしが知っているとおかしいことかしら?」
ふふ、とみかんさんは笑った。よっぽど私が困った顔をしていたのか、鈴子さんが口を挟む。
「姉貴は私なんかよりもっと強い力を持ってるし、いろいろ詳しいからね。ひと目で見抜かれても不思議なことじゃないよ」
「そう・・・なんですか?」
「そうなんです」
みかんさんは小さく笑った。
 冥府の学校ではこの世界の人たちは私たちのことを知らないって言ってたけど、こういう人もいるんだね。
「あのさ、いつまでここにいるつもり?とりあえず私の部屋に行かない?」
「そうね。ごめんなさい。引き止めるつもりは無かったんだけど」
言いながら、みかんさんは奥へ戻って行った。角を曲がるところで、何かを思い出した様子で立ち止まって、私たちに声をかける。
「あ、そうそう。晩御飯はちゃんと二人分用意してありますからね」
「やっぱりね。分かってたんだ、姉貴」
「ええ」
みかんさんは笑いながら奥に消えていった。
「わかってた、ってどういうことですか?」
「ん。そのままの意味だよ。姉貴には今日客が来ることが分かってたんだ。もしかしたらそれがしーちゃんだ、ってことまでね」
「へー・・・凄いんですね」
「たまに怖いよ。なんでも知ってるんだから」
鈴子さんはみかんさんとは逆の方向に角を曲がった。私もその後をついて歩く。
「こっちが、居間」
障子戸を開けると、十畳ぐらいの広い和室があって、中央に据えられた大きなテーブルの上に、ちょこんと二人分の食事が用意されていた。
「ほら、しーちゃん、その辺に座って」
言われるままに、座布団の敷かれているところに座った。鈴子さんは私の正面に座る。
「テレビつけていい?」
言いながら、リモコンを操作してテレビをつけた。適当にチャンネルを変えて、「何にもやってないな」と言って電源を落とした。
 チラッと時計を見る。大体八時ぐらいだった。
「食べないの?」
「わっ、早っ」
見ると、鈴子さんはもうあらかた食べ終えていた。私も慌てて箸をつける。
「あ、おいしい」
「うん」
「これ、みかんさんが作ってるんですか?」
「そ。うまいもんでしょ」
たしかに、とってもおいしいごま豆腐だった。
「あの、鈴子さん、こんなこと聞いていいかどうか・・・わからないんですけど・・・」
「私たちの親のこと、かな?」
「・・・・あ、はい」
鈴子さんはまるでそれを聞かれるのを予想していたみたいに言った。
「オヤジは元気すぎるぐらい元気なんだけどね。母親いないんだ。私にとっては初めから、ね。生きてるのか、死んじゃったのか、それも私は知らない。姉貴は知ってるはずなんだけど・・・私が生まれたときには小学校に行ってし。でも、教えてくれない。教えてくれないから、私は訊かない。だから、何も知らない」
「そう・・・ですか」
「暗い顔しないでさ」
鈴子さんはたくあんを口に放り込む。
「最初からいなかったんだから、私はぜんぜんなんとも思ってないし、さ」
「そんなの・・・なんだか寂しいです」
「ん。じゃあ、こうしよう。死人は冥府に集まるんだろ?だからさ、しーちゃんが向こうに戻った時に私の母さん探してきてよ。もしいなかったら、まだ生きてる、って分かるし。見つかったんだったら、それはそれではっきりするからさ」
鈴子さんが笑っていたから、私が暗い顔をするわけにはいかない。この話は、聞かなかったことにしよう、と思う。
「これ、おいしいですね」
「うん」
二人でたくあんをかじる音だけが居間に響いていた。

敬一郎

「瓶・・・・瓶・・・カメ・・・?」
「ん。どした?」
 お風呂から出て鈴子さんの部屋に戻った私を見て、鈴子さんが不思議そうな顔をした。
「亀がどうしたって?」
「あ、いえ、お風呂が・・・その」
言うと、鈴子さんは納得したように大きな声で笑った。そんなに笑わなくたっていいのに。
「ああ、あれ、珍しいでしょ。あれはオヤジの趣味なんだ。五右衛門風呂。前は普通のヒノキ風呂だったんだけどね」
「ごえもん、ですか・・・」
「青くて丸いネコのロボットじゃないよ」
「?」
私が何のことか理解できないでいると、鈴子さんは困った顔で、
「しーちゃんにはわからないかな・・・」
「あ、その、ごめんなさい」
「謝ることじゃない」
「そうですか」
「そうそう」
何のことかさっぱりわからないけど、とりあえず二人で笑った。
「パジャマまで貸してもらってありがとうございます」
「ん。私のだから、ちょっと大きかったかな。でもまあ、似合ってるよ、うん」
「そ、そうですか」
なんだか少し照れくさかった。
「ところで、さ」
「なんですか?」
いつのまにか鈴子さんは真顔に戻っている。わたしも慌てて姿勢を正した。
「忘れてるかもしれないけど、しーちゃんの本を持っているかもしれない近江君のことなんだけど」
「あ、忘れてました」
「・・・・ま、いいけどね。なおとしーちゃんの見たその近江君は私たちと同年代の少年・・・まあ高校生ぐらいってことだったよね?」
「私はチラっと横から見ただけですけど・・・たぶんそうです」
昨日のことを改めて思い出してみても、その近江君の、少なくとも年齢は私たちと同じぐらいだろう。と思う。
「実は私のクラスにも近江ってヤツがいるんだけど・・・そいつが今日学校休んでね」
言いながら、鈴子さんは本棚を漁り始めた。
「その近江、って人が、私の本を持ってるかもしれない近江君かもしれないんですか?」
「ああ。めったに学校休むやつじゃないからな。頭を怪我して入院してたんなら、次の日ぐらい学校休むだろ、さすがに」
「そうですね」
私と話しながら、まだ鈴子さんは本棚を漁っていた。
「でも、その人が本を持ってる可能性はそんなに高くないんですよね?」
「何で?」
「鈴子さんも言ってたじゃないですか。高いところから落とした本が頭に当たって一日で退院できるわけない、って」
私が言うと、鈴子さんは首だけ振り向いて、
「ああ、そのことだけど、あれから少し考えたんだ。途中で電線に引っかかったか屋根にはじかれたか・・・まあ何かあったとしたら、一晩で退院するのもありえない話じゃないと思う。時間が時間だったし、怪我したのが頭だったから、大事をとっただけだったんだろうから。一晩ってことは」
「あ、なるほど」
そういうこともあるか、と、私は納得した。
「ん。あったあった。これだ」
「卒業アルバム・・・ですか」
私の正面に座った鈴子さんの手に握られていたものは、どう見ても卒業アルバムだった。『飛翔』とタイトルがついている。
「うちのガッコはエスカレーターだし、中学卒業しても高校のメンバーほとんど一緒だからあんまり意味ないんだけど・・・こんなところで役に立つとはね」
鈴子さんはアルバムを広げると、ぶつぶつ言いながらぱらぱらとページをめくり始めた。
「近江・・・近江・・・えーーと・・・何組だったかなぁ・・・中学の時は・・・えーーと・・・あ、いた。こいつだ、こいつ」
鈴子さんがひとりの男の子を指差した。
「この子・・・・ですか?」
昨日見た横顔だけでは、これが昨日の男の子と同一人物かどうかは良くわからなかったけど、私はなんとなくこの顔に見覚えがある気がした。
「ん。こいつ。名前は近江敬一郎。歳は私と同じで十七歳。だと思う」
 ・・・・
 え?
「近江、けいいちろう」
「そう。近江敬一郎」
けいいちろう・・・
 もう完全に思い出した。この人だ。間違いない。
 私が大変な苦労をして死神になってまで、会いたかった人だ。
「この近江敬一郎君が、あの、けいいちろう」
「何が?」
「けいいちろう・・・・」
「おーーい、しーちゃん?」
 気が付くと、鈴子さんが私の目の前で手を振っていた。
「わっ、な、なに!?」
「しーちゃん、こいつ知ってんの?」
「え、どうしてそんなこと聞くの?」
「ん。なんかさっきから様子がおかしいから」
「そんなに?」
「ん」
私は慌てて鈴子さんに背を向けて、顔をパシパシ叩いて気を取り直す。でも、こんなところでけいいちろうに会う機会が巡ってくるなんて。それを考えるとまた顔が緩んでしまう。
「こいつの事知ってんの?」
鈴子さんがまた聞いてくる。
「知ってるも何も、私はけいいちろうに会うために死神になったんだよ」
「・・・ふーーん。なんだか分からないけど・・・つまり死神になる前の知り合いってわけ?」
「うん」
答えると、鈴子さんは少し間をおいて、
「じゃあさ、しーちゃんが死神になる前って、何やってたの?」
「え?」
「私はてっきり死神は生まれた時から死神なんだと思ってたんだけど、どうも違うみたいだから、さ」
あ・・・しまった。うれしくてちょっと失敗したかも・・・知れない。
 ここで適当なことを言っても、鈴子さんは多分信じてくれるだろう。でも、いつバレるかもわからないし、別にバレちゃいけないことでもないから、私は鈴子さんに死神のことについて少し話すことにした。
「死神は元はただの人間なんです。人は死ぬと冥府に集められます。そして、その中から素質のある人が選ばれて、勉強して、試験を受けて、死神になるんです。だから私も昔は・・・」
「人間としてこの町に住んでた、ってわけだ」
「はい」
「じゃあウソだったんだ。名前がない、ってのは」
鈴子さんの目がいっそうキツくなる。こうなることがわかっていただけに、辛かった。
「でも・・・規則なんです。死神は冥府の外で名を名乗ってはいけない、っていう」
私がそう言った後、鈴子さんは黙って私の目を見つめていた。
 いくらか時間が経った後、鈴子さんがゆっくりと口を開き始める。
「分かった。規則じゃ仕方ないね。名前は私が死んだ時にでも教えてくれ。それでいいから」
鈴子さんはそれだけ言うと、一旦立ち上がってベッドに腰掛けた。
「・・・・はい」
「で・・・・」
にやっ、と鈴子さんの表情が崩れる。
「しーちゃんはこの近江敬一郎とどういう関係だったの?」
 鈴子さんはニヤついた顔で私が何か言うのを待っているようだ。
 私は目を閉じて、けいいちろうのことを思い出した。
 あれは、もう十年も前のこと。
 私は、いつも時間が過ぎるのをただ待っていた病院で、けいいちろうに出会った。
 そして、いろいろお話しして、友達になって・・・
 それから・・・けいいちろうは・・・私の・・・・
「友達・・・だったんです。私の一番大切な」