Der Tod Kanon -死神ノ歌

最終章 最後に祈るもの

 こち、こち、こち・・・
冷たくて暗い蛍光灯の明かりが照らし出す室内に時計が鋭く時を刻む音だけが響いている。
 あの後私たちは無邪気な顔で眠っているけいいちろうを四人で担いで、けいいちろうの家まで戻ってきた。
 それからけいいちろうをベッドに寝かせて、鈴子さんは家に、エレノアは冥府に帰って行った。だから今この家にいるのは眠っているけいいちろうと、私と、それから北村さんだけ。けいいちろうのお母さんは仕事で今日は家に帰ってこないんだ、って北村さんが言ってた。私は・・・けいいちろうの目が覚めたら少し話して、それから一回冥府に帰ろうと思っている。
 けいいちろうは私のこと好きだ、って言ってくれたけど・・・けいいちろうは生者で、私は死神で、その二つは相容れない存在だから・・・一旦戻って距離を置きたい。
 もしかすると、もうこの町には戻って来ないかも知れないから戻る前に鈴子さんに挨拶をしていった方が良いだろう。いや、そもそも冥府に今回のことを一任されはしたけれど、それが解決したからと言って名前を告げてしまったことが帳消しになると決まっているわけじゃないのかも・・・。
 そんなことを考えながら、ただ時間が過ぎていくのを待っていた。北村さんはというと私と向かい合うようにリビングのテーブルに座って、何も言わずに目を伏せている。と、私の視線に気づいたのか、
「あの・・・あたし、ちょっと近江先輩の様子見てきます・・・ね・・・」
そう言って席を立つ。北村さんはそのまま足早にけいいちろうの部屋へ向かっていった。
 一人になる。
 なぜか少しホッとした。
 何気なく部屋を見回してみる。この世界は十年ぶりだ。変わったな、って思うところはあんまりなかったけど、それでも少しずつ、私がいた頃と違っているような気がする。一応、死神の学校で今の現世で起こっている事件やその他実際に赴任したときに役に立つような知識みたいな事は教えてくれるから、そのおかげかも知れない。
 ふと、壁に掛けてあるカレンダーに目がとまった。青い綺麗な海でイルカが泳いでいる絵。十二月には不似合いな絵だけど、とっても綺麗で私は気に入った。よく見てみると、日付の所に所々、隅っこに黒い三角が書いてあるところがあった。今日の日付にも付いている。もしかするとこれが『けいいちろうのお母さんが仕事で帰ってこない日』なのかも知れない。何となくだけど、そんな気がする。
 とそこへ、北村さんが戻ってきた。やけに思い詰めた表情だ。何があったのか、それは私にはわからないけど、北村さんは黙ってまた私の正面の席に座った。
 えーーと・・・
「けいいちろうはどうだった?」
私が聞くと、北村さんは暗い声で一言「まだ眠ってました」と返した。そこで会話が途切れてしまう。
「あのっ」
しばらくあって、唐突に口を開く。そして何か言いかけて、またうつむいてしまった。
「何?」
言いにくそうだから、私から聞いてみる。
「あの・・・はつきさんはその・・・近江先輩のこと、どう思ってるんですか?」
たどたどしい言葉で所々詰まりながら、やっとそう言いきった。今はじっと私の目を見て私の答えを待っている。ぎゅ、と、拳を握って、何かを我慢しているような、そんな表情だ。
「私は・・・よくわからない」
「そんなっ!!」
ガタンッ、と激しく音を立てて立ち上がる。けどすぐに静かになった。
「あたしは・・・・近江先輩のこと・・・大好きです。ちゃんと大好きなんです!それなのにあなたがそんなじゃ・・・」
そこまで言ってから、また席に着いた。
「けど・・・本当にわからないんだよ。私は死神で・・・けいいちろうは生きた人間で・・・ずっと一緒にいたいけどたぶんそれは難しくて・・・私がけいいちろうのこと本当に好きになっても良いかどうか・・・わからないんだよ・・・」
「・・・難しくても何でも・・・本当に好きなら・・・そんなことは関係ないはずです!そんなこと・・・誰かを好きになっても良いかどうかなんて・・・そんなこと誰が決めるんですか!」
「ご、ごめんなさい・・・」
「あたしに謝られても困ります」
そう言って視線をそらす。
「とにかく、はっきりしてくれないと・・・あたしの立場が・・・ないです」
それ以上何も言わなくなった。ただ横を向いてうつむいている。
「あの・・・ちょっとごめんね。けいいちろうの様子見てくるから」
私は耐えかねてこの場を離れることにした。あのままあそこにいたら・・・押しつぶされてしまいそうだから。
 けいいちろうの部屋の前に立つ。何の飾りもない簡素なドアだ。眠っているだろうけど、一応ノックしてから中に入った。中は真っ暗で、ひんやりとしている。遮光カーテンが引いてあるから月明かりも入って来ない。さっき開けたドアからリビングの明かりが少し漏れて来るぐらいだ。
「けいいちろう・・・」
そっと、音を立てないようにけいいちろうのベッドの脇に腰を下ろす。
「私・・・どうすればいいんだろう。全然わからないんだよ。私はけいいちろうとずっと一緒にいたいけど・・・私はもう死んだ人間だから・・・たぶん無理だよね」
そっと、けいいちろうの額に触れてみる。と、くすぐったそうに少し動いた。
「けいいちろうとずっと一緒にいたら・・・いつか私のこと知ってる人が現れて・・・そうなるとけいいちろうにも迷惑がかかっちゃうもんね」
話しかけても何も返ってこない。それはわかっている。わかっているからこそ、話せるのかも知れない。
「私ね、けいいちろうにお礼を言うために戻ってきたんだ、って言ったよね。十年前の誕生日プレゼントのお礼、もう伝えたから・・・もう行ってもいいよね?」
きっとけいいちろうが目を覚まして・・・少しでもお話ししたら私はもうけいいちろうと離れたくなくなる。
「・・・・そうだ、ちゃんと返事していかないとね」
けいいちろうは・・・ちゃんと私のこと好きだって言ってくれた。このまま帰っちゃ悪いよね。けいいちろうは眠ったままだから・・・私も十分ズルいかな。でも、おあいこだよね。
「私もけいいちろうのこと・・・大好きだったよ。ずっと昔から・・・今も」
「・・・・・・だったら」
はっとした。眠っていたと思ったのに・・・・急に起き上がって私の腕を掴むから。
「だったら・・・ずっと一緒にいよう。難しいかも知れないけど・・・不可能じゃないはずだよ。はつきのこと、誰も知らない所に行こう。そこで新しい名前で暮らせばいい。ただそれだけのことだ」
一体どこから聞いてたのかよくわからないけど、それは明らかに私の言葉を受けての言葉だった。
「死神とかそんなのは関係ないよ。僕がここにいて・・・はつきもいる。それだけあれば十分だよ」
素早くけいいちろうの腕が伸びて、私を抱き寄せた。
「ずっと・・・・一緒にいてほしい」
「そう・・・だね」
そっと、優しく唇を重ねる。そしてすぐに離れた。
「・・・・ところで・・・他の三人は?」
思い出したように尋ねるけいいちろう。
「えと・・・北村さんはリビングにいるよ。鈴子さんは家に帰ったし・・・もう一人は冥府に・・・」
言うと、けいいちろうは「いないんだね」と言って少し笑った。ちょっと違和感がある気がするけど・・・些細なことだ。
「あの本は?」
「リビングに置いてあるけど・・・どうしたの?」
「いや、なんでもない。ちょっと気になっただけだから」
そういうと、さらにきつく私を抱きしめてくれる。嬉しいはずだけど・・・何かが違う気がする。
 ピー・・・・
その時、遠くで儀式道具の鳴る音が聞こえた。
「何だろ」
「関係ないよ」
「そんなことない・・・なにか大変なことかも・・・・」
そんな話をしていると、突然部屋のドアが閉まった。突然の音よりも、急に部屋が真っ暗になったことの方に驚く。
「何!!?」
ドアを開けようとしてノブを回そうとしたけど、回らなかった。そのまま引いてみても押してみても、ドアが開く気配もない。そうこうしているともう一つドアが、今度は開け放たれる音がして、続けざまに激しくドアを叩く音がする。
「しーちゃん!!離れろ!そいつ・・・まだ魔物に取り憑かれてる!!」
驚いたことに、声の主は鈴子さんだった。
「迂闊だったわ。完全に裏をかかれた・・・」
エレノアもいるみたい・・・
「な・・・どうして二人がここにいるの?」
「ん、それは・・・ちょっとなんか面白そうだからこうして隠れて二人で温かく見守ってやってたんだけど・・・ってそんなことはどうでも良いんだって!!さっき彼女の十字架が光って・・・それで魔物がいるって!ランクBだそうだ。しーちゃん、本は?」
「リビング」
「ばかっ!!」
ドア越しに二人から罵倒される羽目になってしまった。それはそれとしても・・・もしかしたらピンチかも知れない。エレノアはまだ「だからかさばるって言ったじゃないの」って文句を言ってる。
「なんだよ・・・あの二人は帰ったって言ったじゃないか」
「私もそう思ってたんだよ」
ダンッ、と拳をドアに叩きつけるけいいちろう。いや、魔のものか。ともかく、私は魔のものとドアとに挟まれる格好になってしまった。
「あなたこそなぜ・・・まだけいいちろうの中にいるの?」
聞くと、魔のものはさも当たり前のように返してきた。
「あの場合、ああするのが一番賢いやり方だっただろう?もしあの場を逃げおおせたとしてもすぐに死神は追いかけてくる。かといってそのまま中に籠もってたんじゃ、あのまま消滅、はい終了。で、俺はひらめいた。やられたふりをして力の大半を捨て、残った僅かばかりの力でこいつの魂の奥底に隠れて敵が去るのを待つ。そしてほとぼりが冷めた頃に新しい体を探しに行く、という方法をね」
ぐ、と、魔のものの顔が私に近づいてくる。
「実は目が覚めたのはついさっきなんだ。お前が部屋に入ってくる少し前かな。いやに静かだったし、見たところ例の本を持ってなかったから・・・まずはお前を喰うのも悪くないと思ってね」
「アホッ!!こらっ!しーちゃんに何してんだコラァ!!殺すぞ!!ここ開けろ!!」
「まだ何もしてねぇよ!!」
魔のものが叫ぶ。ドアに触れている方の手から影がにじみ出して、それがドアを通過して鈴子さんにダメージを与えたのか、小さな悲鳴が聞こえてきた。
「おい、あの兵隊を中に送り込めないのか!?」
「無理よ。冥兵は危険防止のために見えるところにしか召喚できない決まりになってるの!」
「じゃあ外の窓から回り込んで・・・ってそうか、たしかカーテンがかかってたな。だからこうして隣の部屋で見張ってたわけだし・・・」
「仮にここに召喚したとして、ドア越しに槍で突けばなんとかなるかもしれないけど・・・」
「んなことしたらしーちゃんまで!」
「わかってるわよ!!というわけだから、そっちで何とかしなさい!」
なんとか、って言われても・・・
「ごめん、無理」
「諦めるの早すぎるわよっ!!あなたらしくもない!!」
でも・・・無理だもん。もう、腕の感覚はないし・・・足だってそうだ。ほとんど影に浸食されてる。
「アンタもこんなことしてただで済むと思ってんの!?もししーちゃんを喰ったりなんかしたら問答無用で槍がドアごとアンタをぶち抜くんだぞ!!」
「ふふふ・・・できるものならやってみるがいい。お前たちには『その瞬間』は見えないだろう?私の影をたっぷり壁にしみこませてあるから気配を探ることすら叶うまい。俺はその一瞬の隙にこの体を捨てて闇に紛れてどこか遠くへと逃げさせてもらうよ」
はっはっはっ、と魔のものは高らかに笑った。こんな夜中に近所迷惑じゃないだろうか、と場違いなことを考えてしまった私は緊張感が足りないのかも知れない。いや、絶対に足りない。
「ずっと歌ってなさい!ハミングでも何でも良いから・・・声を出し続けて!」
「そんな・・・私がやられる事が前提みたいな・・・」
ってそんなこと言えた義理じゃないよね。何しろもう・・・半分ぐらいは飲み込まれてしまったみたいだから。
「そんなこと俺が許すわけ無いだろうが!!」
魔のものが叫んだかと思うと、一気に闇が私の全身を覆い隠してしまった。今までジワジワ来てたから、完全に油断してた。声を発する間もなかった。これも魔のものの作戦だったんだろうか・・・。なんだかあっけなかったな。私が食べられちゃったから、きっと冥兵の槍が振り下ろされて、魔のものも、けいいちろうも、私も、みんな一緒に消滅してしまうんだ。
「葉月!!」
 最後に、エレノアが私の名前を呼ぶのが聞こえた。
 けど、それが最後だった。
 すべての感覚が無くなって、ただ真っ暗な中にぽつんと一人でいるみたい。
 立っているのか、倒れているのか、落ちているのか、昇っているのか、そんなことさえ全然わからない。
 そうか、これが・・・消えていくってことなのか。
 きっともう少ししたら考えることもできなくなって・・・
 それっきり、もう私という存在は消えてしまうんだね。

おもいで

 もう夏休みも終わりだね・・・
 そんな声が聞こえた。何のことだろう。私には全くわからない。
「はつきっ、聞いてる?」
 え・・・?
 名前を呼ばれて、一気に意識が覚醒した。カーテン越しに差す鋭い日差しと、冷たいクーラーの風。見慣れたベッドと、見慣れた部屋。そして、すぐ隣に置いてある椅子にはけいいちろうが座っていた。それも、十年前の姿で。
「あれ・・・けいいちろう・・・どうしたの、子供になってる」
私が言っても、けいいちろうはきょとんとした顔をするだけだった。
「それにここって病院でしょ?私たちけいいちろうの部屋にいたのに」
いくら言っても、けいいちろうが納得する様子はなかった。それどころか、心配そうな顔で「看護婦さん呼んでこようか?」と言った。
「さっきもボーっとしてたけど・・・大丈夫?」
なおも心配して声をかけてくれる。私もだんだん混乱してきた。一つづつ整理して、思い出してみる。私は葉月。十年前この病院で死んじゃって、それからがんばって試験を受けて、死神になった。さっそく仕事に出かけたんだけど、現世に向かう途中で大事な本を落として、偶然それを拾ったけいいちろうに会って、そしたら実はけいいちろうには凶悪な魔のものが取り憑いてて・・・なんとかそれを祓うことに成功して・・・そのまま眠ったけいいちろうを部屋までみんなで連れて帰ったんだよね。でも・・・みんな、って誰だろう。思い出そうとしても、そこだけぽっかりと抜け落ちたように、いくら考えても出てこなかった。
「死神が・・・そう、死神がいたの」
私の口から出たのはその言葉だった。
「死神、って・・・あの、この前屋上に座ってたおじさんのことだよね?天使さんと一緒にいたって言う。また会ったの?僕はあれから一度も見てないけど・・・」
「違うの。会ったんじゃないの。私が・・・死神になったの」
「・・・夢を・・・見てたんじゃないの?」
 夢・・・・?
 夢、だったんだろうか。夢だとしたら、どこからが夢で、どこまでが夢だったんだろうか。
 その時ふと、窓に映った自分の姿に気がつく。驚いたことに、私もけいいちろうと同じで十年前の姿だった。着ているパジャマにも見覚えがある。一番気に入ってずっと着てたストライプのパジャマだ。
 長い長い、十年分の夢を見ていたんだろうか。そう言われると、だんだんそんな気がしてきた。そうか、夢だったんだ。私が死んじゃうことも、それから起こるすべてのことも。そう思うとふっと気持ちが楽になった気がした。モヤモヤが一つ晴れた、そんな感じだ。
「でさ、聞いてる?はつき」
「な、なに?」
聞いてなかっただろ、ってけいいちろうは笑った。
「僕は明日退院するけど・・・毎日お見舞いに来るからね。でも、もうすぐ学校始まっちゃうから・・・もしかしたら夕方からしか来られなくなるかも、だけど」
明日・・・けいいちろうはこの病院の、私の正面のベッドからいなくなる。
 ・・・・あれ?
 けいいちろうが退院したとき・・・私は個室に移っていたような・・・ああ、そうか、それは夢の話だったんだ。どうもいろいろ曖昧で、どっちがどっちかわからない。
「でさ、あさってなんだけど、はつきの誕生日だよね」
そう言われて、カレンダーを探す。日付が・・・わからなかったから。たしか枕元に小さな卓上カレンダーが置いてあるはず・・・・あった。見ると、八月二十一日の所に赤ペンで丸が書いてあって、『けいいちろうのたいいん』と書いてあった。ということは今日が二十日だから、明後日の二十二日は間違いなく私の誕生日だ。花丸まで書いてあるし。
「うん、そうみたい」
カレンダーを探していた私を見て、けいいちろうが「自分の誕生日、忘れたの?」って笑った。私は「今日の日付がわからなかっただけ」って言い返してやった。けいいちろうはいつもの通り「そっか」って言って、話を戻す。
「あさっては絶対お見舞いに来るからね。雨が降っても、槍が降っても」
「槍は降らないよ」
言い返すと、「たとえばの話だよ」って少し怒った口調で言った。
「プレゼント用意してくれるの?」
「さ、さぁ・・・どうだろうなぁ。まぁ・・・もしかするとひょっとするかもしれないけどね」
ごまかされた。でも、もし、夢の通りなら・・・ちゃんとプレゼントを用意してくれているんだよね。それは・・・えーーと・・・なんだっけ。思い出せないや。まぁいいか。
「明後日はね、お父さんも来てくれるかも、なんだよ」
「え・・・」
私が言うと、けいいちろうは少し困った顔をした。そっか・・・けいいちろうは前に事故でお父さんを亡くしてるんだった・・・。ちょっと失敗。
「ホントは昨日も来てくれたんだけど・・・すぐ帰っちゃったから、けいいちろうは会えなかったよね。毎年私の誕生日にはどんなに仕事が忙しくても来てくれるんだよ。だから今年もきっと来てくれると思うんだ。ちゃんと約束もしたし。そしたら今度こそけいいちろうにも紹介するね」
違う。何か、とっても大切なことを忘れている気がする。誕生日は・・・たしかに夢の中でやった。でも・・・思い出せないけど・・・思い出さなきゃいけない大切な何かがあったはずだ。だけど思い出そうとすればするほどそれはぼやけていって・・・やがて記憶をたどる手がかりはなくなってしまった。
「僕のお父さんも紹介できると良いんだけど・・・今度写真持ってくるね。あんまり・・・ないけど」
気が付くと、けいいちろうが寂しそうな顔でそう言ったところだった。私は「うん」って小さく返すのが精一杯だった。
 夜が明けた。今日はけいいちろうが退院する日だ。私はとってあった新しいパジャマに袖を通して、藪先生たちと一緒にけいいちろうを見送った。けいいちろうに花束を渡すのは、私の係。花束を受け取ったけいいちろうは嬉しそうに「ありがとう」って言ってくれた。私も、嬉しい。
 そして、次の夜も明ける。今日は私の誕生日だ。面会時間が始まるとすぐに、お父さんが来てくれた。もちろんお母さんも一緒で、すこし遅れてけいいちろうも来てくれた。ちゃんと紹介できて良かった。
「誕生日おめでとう、葉月」
 お父さんのくれたプレゼントは、大きめのスケッチブックと、色鉛筆のセットだった。私が前に欲しいって言ったの、ちゃんと覚えていてくれたんだ。
 お母さんのプレゼントはケーキだった。お母さんはそんなに料理うまくないけど、自分で作ってくれたみたい。甘くて、とってもおいしかった。
「これ・・・僕から」
 そう言ってけいいちろうがくれたものはピンク色のかわいいウサギ絵のついた筆箱だった。「ありがとう」って言うと、けいいちろうは照れて頭をかいていた。
「それからこれは私からです。葉月ちゃんももう小学生ですからね、これで思う存分お勉強してください」
 藪先生がくれたのは、ノートと鉛筆だ。藪先生にはこれまでもたまに勉強を見てもらってたりしたから、先生は私にとって学校の先生でもある。ちょっと大変だと思うけど、これからもがんばろう、そう思った。それからもしばらく、とぎれとぎれに看護婦さんや他の患者さんたちが私にプレゼントを持ってきてくれた。私はもうこの病院にずっといるから、知り合いも多い。いつの間にか枕元は小さな袋でいっぱいになった。ちょっと戸惑うけど、やっぱり嬉しい。
 誕生日が終わると、すぐに夏は終わった。そして、秋もあっという間に駆け抜けて、再び冬が訪れる。もう何度目になるだろうか。去年は雪が積もったけど・・・その前は積もらなかった。今年は・・・積もってくれるといいな、と思う。
 そして、雪がまだ一回も降らないまま、十二月十六日になった。今日はけいいちろうの誕生日だ。学校がある日だから、それが終わってから、けいいちろうがここに来てくれることになっている。そしてその日、けいいちろうが来たのはだいたい四時半ぐらいだった。昨日看護婦さんとお母さんと一緒に買いに行ったプレゼントを渡して、少しお話ししただけでもう外が暗くなり始めていた。藪先生に「危ないからそろそろ帰った方が良いよ」って言われて、渋々けいいちろうは出て行った。もっとお話ししたかったけど、暗くなって事故にでも遭ったら大変だもんね。
 クリスマスイブには外来の診察が終わった後にロビーでクリスマスパーティーをやった。誰でも来られるパーティーだから、もちろんお父さんもお母さんも、けいいちろうも一緒だ。プレゼント交換があって、私はミニチュアのクリスマスツリーをもらった。私の入れたイルカのカレンダーは誰の所に行ったんだろう。こんなに楽しいクリスマスは本当に久しぶり。また来年もこんなに楽しかったらいいのに、と思う。
 クリスマスの次はすぐにお正月だ。最近は調子が良いから、いつも行けなかった初詣に連れて行ってもらえることになった。新しい服を着て、お父さんの運転する車に乗って、五分ぐらいドライブする。あの三本杉が生えている丘の麓に車を止める。大きな石の鳥居があって、そこから丘の上に向かって長い階段があった。「上れるか?」って言われたから、私は意地になって「上れるよ」って言って階段を上っていった。けど、けっこう大変だった。やっと最後の段を上りきると、真っ白い石が一面に敷き詰められているのがまず目に入った。とっても綺麗だった。そのままお父さんに手を引かれて、お参りを済ませる。私のお願いは当然、早く病気が治りますように、だ。お参りが終わると次はおみくじだ。箱をカラカラ回して、棒を出す。その棒を見せると、お姉さんが棚から紙を一枚出して、渡してくれた。大吉だった。それを木に結んでもらうと、次はお札と矢を新しくするんだよね。それはお父さんに任せて、私は人混みから少し離れたところで待つことにした。
 ふと視線を感じて顔を上げると、目の前に同い年ぐらいの女の子が立っていた。女の子は私のことをじっと見つめていて、私が声をかけると「忘れちゃダメだ」ってだけ言って、どこかに行ってしまった。何のことだかさっぱりわからない。私は気になって、女の子の後をついて行ってみる。けど、角を曲がったところで見失ってしまった。諦めて元の場所に戻る。お父さんが心配するといけないから。と、いきなり何かにぶつかって、しりもちをついてしまった。
「大丈夫?」
私がぶつかったその女の人は巫女さんの格好をしていた。その人に手を引かれて、立ち上がる。
「そうだ、この辺で女の子を見なかった?ちょうどあなたと同じぐらいの・・・」
「見たよ。でも・・・私も追いかけてたんだけど・・・見失っちゃった」
言うと、「そう」って少し残念そうな顔をした。でもすぐに「まあいいわ」って言って笑った。
「本当は私もあなたを捜してましたから」
「え?」
巫女さんはしゃがみ込むと、私の肩に手を乗せた。
「これから私が言うことを、よく覚えておいてね」
何のことかわからないけど、巫女さんは私の耳に口を寄せると、はっきりとした声でゆっくりと何か呟き始めた。
「進む方向がわからなくなったら思い出して。あなたが昔に見た『夢』のことを。その中で起こった悲しい出来事のことを。そのあと、がんばったことを。そして、願いが叶ったときのことを。その後に起こったすべてのことを。そうすれば・・・きっとあなたは正しい方向に歩くことができるから」
何のことか、全く思い当たる節はなかった。巫女さんはその後に続けて何か呪文のような言葉を繰り返して唱えると、ぽんぽん、と私の背中を軽く叩いて、ゆっくりと立ち上がった。
「これ以上私たちが手を貸すことはできないわ。あとはあなたが自分の力で何とかするしかないの。さっきの言葉を忘れないで下さいね」
そう言うと、巫女さんは歩いていった。きっと、あの女の子を探しに行くんだろう。
「葉月!」
お父さんの声だ。手に真新しいお札と矢を持ってる。私は駆け寄ると、一緒に病院に戻った。その夜、ベッドで昼間の巫女さんの言葉を思い出していた。私が昔に見た夢のことを・・・私は思い出さなければいけないのだろうか。でも・・・何も思い出せないまま、私はいつしか眠っていた。
 時間はどんどん流れていく。今年も結局雪が積もらないまま、冬が終わって春が来た。でも、今年の春は今までの春とは違う。それは・・・私が今年から学校に行けるようになったからだ。まだ退院はできないけど、病院から学校に通えることになったんだ。しかも藪先生の特別のはからいで、けいいちろうと同じ学校の同じクラスに入れてもらえた。というわけで、今日がその初日だ。
「いってきます」
と、みんなに挨拶して、病院を出る。今日は初日だから、お母さんも一緒。途中でけいいちろうとも合流して、三人で学校に向かった。学校のみんなは、私をすぐに受け入れてくれた。どうなるかと思ったけど、心配することもなかったみたい。友達もたくさんできた。
 夏になって、一学期が終わる頃、私はとうとう退院できることになった。もっとも病気が完全に治ったわけじゃなくて、まだ毎週一回通わないといけないんだけど。でも藪先生が言うことには、その回数も徐々に減っていって、来年の今頃にはもう病院に来なくてもいいようになるかも、なんだって。何にしても、長い間お世話になったこの病室ともうお別れだと思うと、少し寂しい気もする。ここから見る景色も最後かも知れないから、思いっきり目に焼き付けておこうと思う。昼を過ぎた頃、お父さんとお母さんが来た。退院の手続きをするためだ。それから藪先生としばらく話し込んでいたみたいで、私の所に戻ってきたのは三時を回ったところだった。
 それからの時間は、まさに駆け抜けるように過ぎていった。
 春、夏、秋、冬、春、夏、秋、冬。
 学校に行ったり、遊んだり、いろんな事をしているうちに、どんどん、どんどん、時間だけが流れていく。
 そして、けいいちろうと初めて会ってから十回目の冬が・・・静かにやってきた。

最後の祈り

「もう・・・十年になるよね。けいいちろうと初めて会ってから」
 何をするでもなく遊びに来ていた病院の屋上で、何気なく言った言葉。始めは特に意味もなく発した言葉だったけど・・・ふと、思い浮かんだ言葉があった。
「私ね、時々思うんだよ。けいいちろうと出会ったことはきっと、運命だったんだ、って」
けいいちろうは何も言わないで、ただ黙って私の話を聞いていた。
「ずっと・・・何年も入院してたのに全然良くならなかった病気が良くなり始めたのは、けいいちろうと会ってからだもん」
けいいちろうは何をするでもなく、フェンスにもたれて川の方を眺めていた。冷たい風が吹き付けて、髪が乱れる。
「十年前・・・小学校に上がったばっかりの頃に・・・事故で父さんが死んで・・・」
突然、けいいちろうが語り始めた。
「そしたらさ、母さんそれまでにも増して仕事仕事、って言うようになって・・・ほとんど家に帰って来なくなったんだ。保険金も入ったし・・・そんなに生活が苦しかったわけでもないのにどうしてだ、って一人で拗ねてた。でも今ならわかる。きっと母さんも寂しかったんだ、って」
考えてみれば、けいいちろうがこうして親のことを話すのは、初めてかも知れない。
「もしあの時、はつきに会ってなかったら・・・もしかしたらまだ一人でいじけてたのかも、ね」
振り返ると、普段はあんまり見せない優しい顔で笑う。
「だから・・・僕も割と運命感じてると思うよ」
言うと、恥ずかしそうに鼻の頭をかいて、フェンスから離れた。
「そろそろ戻ろう。ちょっと冷えて来た」
「うん」
 階段室のドアを開いて中に入ろうとすると、ちょうど中から出てきた小さな女の子にぶつかってしまった。その水玉模様のパジャマの女の子はふらふらっ、とよろめく。危うく倒れそうになったところで「はっ」と足を踏ん張って、なんとか倒れずにすんだ。ふぅ、とため息が出る。見ているこっちが緊張してしまっていたらしい。
「大丈夫?」
「うん、だいじょうぶ」
声をかけると、女の子は笑って言った。じゃぁね、と挨拶して階段を下り始める。
「おねえちゃん」
踊り場まで降りた頃、その女の子が声をかけてきた。
「なおは、おねえちゃんのこと、ぜったいわすれないからね。だから、おねえちゃんも、なおのこと・・・わすれないで」
その女の子はそれだけ言うと、屋上に飛び出して行った。その時に一瞬見えた寂しげな顔に、なぜか胸が締め付けられる思いだった。
「はつきっ!」
「え、あ、何?」
「何、じゃないよ。ボーっとして、どうしたの?もう帰ろう」
「そう・・・だね」
さっきの女の子の『忘れないで』と言う言葉が頭から離れなかった。昔、もうずいぶん昔に聞いたことがあるような気がする。なにか大事なことを教えられて・・・それから・・・『忘れないで』と念を押されたことがずっと昔にあった気がするけど・・・思い出せなかった。
「けいいちろう」
夕暮れの川原を歩きながら、声をかける。
「私・・・何か大切なこと・・・忘れてる気がする」
そう言って立ち止まる。少し前を歩いていたけいいちろうは振り返って、側まで戻って来てくれた。
「何か・・・って何?」
「それはわからないんだけど・・・」
するとけいいちろうはうーーん、としばらく唸ってから、
「今困ってないなら・・・別に無理して思い出すこと無いんじゃないの?もしかしたら・・・思い出しちゃいけないことなのかもしれないし」
と言って私の頭を軽く叩いた。
「そう・・・・なのかな?」
「そうそう」
けいいちろうはそう言ってくれたけど、私はまだ納得できなかった。
「もしかしてさ、さっきの女の子のことが気になってたりする?忘れないで、とか言ってたっけ。おかしいよね。僕ら初対面だったのに」
「・・・うん」
確かにおかしい。けいいちろうは笑ったけど、そうじゃなくて、不自然なんだ。なぜ、あの子があんな事を言ったのか。考えられるとすれば・・・そう、あの子と私が初対面じゃなくて、そのことを私が忘れているからじゃないだろうか、そんな気がしてならない。でも・・・いつ?あの子と会ったのが今日が初めてじゃないとすると、いつ会った?いや、いつ会うことができた?それが問題だ。そんなに最近じゃない。あの言い方からして、結構親しかったんだと思う。もしそれが最近のことなら私も忘れていないだろう。じゃぁもっと昔?とは言ってもあんな小さな女の子だから、十年も前とかではないはずだけど。
「・・・・十・・・年前・・・?」
ふと出てきた『十年前』と言う単語が頭のフィルターに引っかかる。考えてみるとあの女の子に会う前、私はけいいちろうに言った。もう十年になるよね、って。何の気なしに言った言葉だったけど・・・『十年前』、もしかすると、それが鍵かも知れない。現実的に考えて十年前にはあの女の子はまだ生まれていなかっただろう。それでも、きっと、何かあるはずだ。『十年前』に。『十年前』といえば、けいいちろうと初めて会った年だから、私がまだ病院にいた頃だ。
「行かないと・・・」
そんな気がする。
「行くって・・・どこへ?」
「病院」
「なに?どっか具合でも悪くなったの」
違う。
「違うの。私は何か大切なことを・・・思い出さなきゃいけないことを忘れてるの。それを思い出す鍵が・・・きっとあそこにあるから・・・私は行かなくちゃ」
「あ、おい、ちょっと・・・」
けいいちろうの制止を振り切って、来た道を走って戻る。けいいちろうも困った顔で追いかけてきた。
 もともとそんなに離れてなかったから、あっという間に病院の前に着いた。そのまま、少し息を整えてからまた中に入る。とりあえず、三階のあの部屋に行ってみよう。十年前まで私がいたあの部屋に。エレベーターがゆっくりと下りてくるのを待つ。階段で行った方が早いような気もしたけど、呼んだ以上、私は待つ。ちょっとして、チン、と小さな音が鳴って、エレベーターのドアが開いた。すぐにでも乗り込みたかったけど、それはできなかった。大きなビニールのテントで囲われた移動式のベッドが中から出てくる。その中に入っていたのは、さっきのあの女の子だった。苦しそうに荒い息を吐いている。ゾッと悪寒が背中を走った。
「あ、あの、この子どうしたんですか!?」
まず出てきた藪先生に聞いてみる。
「ちょっと難しい病気だったんだけど・・・ちょっと目を離した隙に病室を抜け出してね。見つけた時にはもう危篤状態で・・・ごめん。急ぐんだ。そこ、通してくれるかな」
慌てて扉の前をどくと、四人の看護婦さんが慌ただしくベッドを運び出して、そのまま一番奥にある集中治療室に入って行った。
「あの子・・・」
「馬鹿なこと言わないで」
「・・・まだ何も言ってないけど」
「わかるよ・・・けいいちろうの考えてることぐらい・・・私にはわかる。だからそれ以上言わないで」
 私はただ呆然と、あの子が運ばれて行った方向を眺めて立ちつくしていた。そこへ、向こうから黒の詰め襟を着た男の人がゆっくりと歩いてきた。どこかで会ったことがある気がするけど、思い出せなかった。その男の人は一瞬私のことを見たけど、そのまま玄関から出て行った。これ以上ここにいても仕方がない気がした。重い足を引きずるようにして、エレベーターに乗り込む。けいいちろうも慌てて立ち上がると、私について来る。三階のボタンを押すと、エレベーターはすぐに上昇を始めた。
 307、私が十年前までずっといた部屋の前に立つ。知らない人の名札が六つ、そこには刺さっていた。
「あら、葉月ちゃん、どうしたの?」
ドアを眺めていると、ちょうどそこから看護婦さんが現れる。私もよく知っている人だった。
「ちょっと・・・懐かしくて」
「良かったら中見て行く?静かにしてもらわないと困るけど」
「・・・うん」
看護婦さんと一緒に中に入る。知らない人ばっかりだけど、見覚えのある部屋、見覚えのある眺めが目に入った。思わず窓際に駆け寄ってのぞき込む。川があって、橋が架かっていて、丘があって、町があって、私たちの通ってる学校があって・・・ここから見える景色は十年前とほとんど変わっていなかった。ここに来れば何か思い出しそうな気がしたけど・・・結局何も思い出せなかった。次は・・・屋上に行ってみよう。
 看護婦さんにお礼を言って病室を出る。そして屋上に行こうと、階段を上っていく。あの女の子と会った、あの階段だ。
 その時ふと、思い出したことがあった。あの男の人のことだ。十年前、私は確かにあの人に会っている。こことは違った気もするけど、階段で確かに見かけていた。
「・・・そう、だ・・・。死神・・・・」
「しにがみ?」
けいいちろうが私の言葉を繰り返す。
「ああ、そう言えばはつき、十年前に言ってたね。死神がどうとか」
「うん。たぶんあの人が・・・その時の死神・・・だと思う」
「そうだっけ?僕は一回ちらっと見ただけだから顔までは覚えてないけど・・・」
いや、たぶん間違いない。あの人は『死神』だ。その細い糸を頼りに、記憶を探っていく。死神、それは・・・死んだ人を死んだ人の世界へ連れて行く、そう、たしかそんなことを言っていた。
 私は胸が押さえられないぐらい高鳴っているのを感じた。心臓の音が自分でも聞こえるぐらい激しく脈打っているのがわかる。ぽっかりと抜け落ちた何かが、すぐ目の前にある気がする。けど、まだ手は届かない。まだ何か足りない。思い出すんだ。十年前に起こったことで覚えていることから、少しずつ。
「・・・そうだ、初詣」
そのころ私の病気が良くなってきていていたから、久しぶりに初詣に行った。その時・・・そう、巫女さんが・・・私に言った。
「そうすれば・・・きっとあなたは正しい方向に歩くことができるから」
たしか、こんな言葉だったと思う。もしそうだとすると、巫女さんの言った言葉を思い出さなければならない。それによって、私が正しい方向に歩くことができるから。何だっけ・・・。何か・・・あと一つ鍵があれば思い出せそうな気がするんだけど・・・
「そう言えばさ」
ふいにけいいちろうが言う。
「死神で思い出したけど、はつき、十年前に夢で死神になってた、って言ってたよね」
 !!
 ハッとした。
 まさに、それだ。最後の鍵は『夢』。『十年前』の『死神』の『夢』。それが、私の忘れてしまった何かだ。
 ここまで来ると、次々と新しいことがわき上がるように思い出されてくる。
 あのとき、巫女さんが言った言葉を、繰り返してみる。
「進む方向がわからなくなったら思い出して。あなたが昔に見た『夢』のことを」
私が見た夢。
「その中で起こった悲しい出来事のことを」
その中で、私は短い一生を終えた。
「そのあと、がんばったことを」
でも、もう一度けいいちろうに会いたくて・・・
「そして、願いが叶ったときのことを」
私は死神になった。
「その後に起こったすべてのことを」
そして・・・脳裏に浮かぶ明確なビジョン。泣きながら私はけいいちろうの胸に槍を突き立てた。闇を・・・けいいちろうの魂に取り憑いた魔物を倒すために。
 今ならもうわかる。あれは・・・夢じゃなかった、と。今ここで起こっていることがすべて、魔のものに取り込まれた私が見ている夢なんだ、と。
「けいいちろう」
「何?」
けいいちろうはきょとんとした顔で答えた。
「私ね、全部思い出したの」
「全部・・・って?」
「私の見た夢の話。全部思い出したの。その夢のこと、けいいちろうに全部聞いて欲しいの。でもそれは・・・夢じゃないの」
けいいちろうは私の言った意味が理解できなかったみたいだった。私も自分が何を言ってるのか、いまいちよくわかっていない。ただ思いつくままに言葉を並べているだけだ。
「私は・・・十年前に死んでしまったの」
「そんな・・・・はつきは今こうして・・・僕の目の前にいるじゃないか」
突然の言葉にけいいちろうはうろたえる。けど、他に言いようがない。私はさらに言葉を続けた。
「それでも・・・けいいちろうに会いたくて・・・もう一回会いたくて・・・でもその為には死神にならなきゃいけなくて・・・だから私は十年かけて死神になったの」
「何の話を・・・してるんだ・・・?」
「夢の話だよ。でも、夢じゃない、現実の話。死神になった私は・・・けいいちろうに再会できたんだよ。でも・・・」
けいいちろうは何も言わなかった。ただ私の目を見て、私の次の言葉を待っている。
「でも・・・けいいちろうの心には悪い魔のものが取り憑いていた・・・。それは・・・今も同じ」
「そんな・・・それじゃ僕は魔物?」
違う。
「そうじゃないの。けいいちろうの心に魔物が住んでいるの」
「そんな話・・・すぐには信じられないけど」
「嘘」
けいいちろうの言葉はすぐに嘘だとわかった。けいいちろうの目が・・・自分もいろいろ思い出し始めていることを私に教えてくれていたから。
「本当はもう・・・けいいちろうもわかってるでしょ?この世界が・・・現実じゃない、って事は・・・もうわかってるでしょ?」
その質問にけいいちろうは何も答えなかった。私はこれを肯定と受け取る。
「私たちは魔のものに取り込まれた。でも・・・まだこうして生きてるってことは、まだ何とかなるかも知れない、ってことだよ」
「・・・・いやだ」
「え・・・?」
「・・・・やだよ。この世界を終わらせるのは・・・僕にはできないよ。僕だって・・・はつきと一緒にいたいんだ・・・この世界でなら・・・それもできるのに・・・二人とも生きた人間として死ぬまで一緒にいられるのに・・・ここから出たら僕は人間で・・・はつきは死神で・・・」
「それでも・・・一緒にいられるよ」
「無理だ、って言ったのははつきの方だよ」
 ・・・確かに・・・そうだ。そうだった。でも・・・
「無理じゃないよ・・・がんばればできるよ・・・」
首を振ってそれを否定するけいいちろう。
「・・・・この世界だっていつまでもあるわけじゃないんだよ・・・?魔のものがけいいちろうと私の魂を完全に取り込んだら・・・なくなっちゃう世界なんだよ?」
けいいちろうは何も言わない。
「死神とか・・・そんなのは関係ないよ。私はけいいちろうと一緒にいたいんだもん」
「は・・・つき」
けいいちろうが私の名前を呼んで、私を抱きしめた。
「僕も一緒にいたい」
そっと、優しく唇を重ねる。本当に短い時間だったけど、十年分ぐらい嬉しかった。
「・・・・・・この夢を終わらせないとね」
 けいいちろうがそう呟いたとたんに、ピシッ、と何もない空にヒビが入って、割れたガラスのようにパラパラと少しずつはがれ落ちていく。その隙間から覗いているのは真っ暗な闇だ。
「これは・・・夢だったんだもんね。現実より楽しい・・・夢。僕が自分の心を守るために作り出した・・・幻の世界だもんね」
ヒビ割れはどんどん広がって、ある程度増えたところで一気に辺りの景色がはじけ飛んだ。それは音もなく闇に消えていって、あたりは真っ暗の闇になる。ここにあるのはもう、私とけいいちろうの心だけ。
「・・・・・あいつを探そう」
「そうだね。探そう」
 夢は終わった。けど、これで終わりじゃない。まだ・・・魔のものが残っている。ソイツをここから・・・けいいちろうの心の中から追い払わない限り、終わりは来ない。あたりは上も下もない真っ暗闇だけど・・・探すしかない。
『お前たちが探しているのは俺か?』
と、耳の奥で声が聞こえた。どこから聞こえたのか全くわからなかったけど、その声はけいいちろうにも聞こえたみたいだった。低いトーンの不気味な声。紛れもなく・・・魔のものの声だった。
『やれやれ。あのまま大人しく夢の中で死を迎えていれば苦しまずに俺の一部となっていたものを・・・』
くっくっく、と薄気味悪い笑い声だけが響く。魔のものの姿はどこにもないのに。
「・・・!!がぁっ!!!」
突然けいいちろうが苦しみだした。体中から汗が噴き出して、苦しそうに首を押さえてその場にうずくまる。
「けいいちろう!?」
私は慌ててけいいちろうに駆け寄った。けいいちろうは呻くだけだ。何が起こっているかわからないけど、あいつが何かしたに違いない。
「どこにいるの!?隠れてないで出てきなさいよ!!」
叫ぶ。声は残響もなく闇に溶け込んでいった。
『隠れるも何も・・・俺はずっと目の前にいるじゃないか』
はっはっは、と高らかにあざける。私は辺りを見回してみた。けど・・・暗闇が見えるだけだった。
『一体どこに目をつけているんだか』
そう言われて、気づいた。そうか、そうだったんだ。この場所が全部、魔のものなんだ。
『ご名答』
私の心を読んだのか、魔のものはそう言った。
『そういうわけだから、諦めてさっさと俺の一部になるんだな。抵抗すれば苦しむだけだぞ。その男のように』
「・・・どうして私は苦しくないの?」
『そんなこと俺が知るか。だが見てみろ。お前の指を、足を、体を。闇に溶けていっているだろう?痛みが無くてもお前は俺の一部になりつつあるんだよ』
確かに私の体は闇に溶け始めていた。けど・・・まだだ。まだ大丈夫。最後の一瞬まで抵抗してみせる。そうじゃないと・・・可能性を全部ドブに捨てることになるから。可能性がある限り、私は頑張れる。
「けいいちろう」
苦しむけいいちろうをそっと抱き寄せる。けいいちろうは時折苦しそうに呻きながら、私の腕を掴んだ。
「もう少しだから・・・もう少しで全部終わるから、だからがんばって。あいつをここから・・・けいいちろうの心から追い出せば・・・全部終わるから」
『いいかげん諦めたらどうだ?今はそいつの中に俺がいる、ってのはちょっと違うぜ?俺の中にお前らがいるんだぜ?』
私にはわかる。この言葉は真実じゃない。私たちを絶望させるための、魔のものの手段だ。それにたとえそれが本当だとしても・・・
「そんなの関係ないよ。私たちはアンタをここから追い出してみせる。絶対に」
『まぁせいぜい悪あがきすることだな。男の方はもう虫の息だが・・・・』
その言葉に、けいいちろうが目を見開いて絞り出すような声で返す。
「・・・僕は・・・まだ大丈夫だ。お前を僕の心から追い出すまでは・・・僕の体から追い出すまでは・・・諦めたりしない」
けいいちろうはなおも叫ぶ。
「僕は十年お前と一緒だった。だから・・・分かる。闇は光があるところでは生きていけない。だからお前は十年前に僕の闇に取り憑いた。けど・・・今は」
確信に満ちた、力強い声だった。
「僕の心には・・・はつきがくれた光がある。だから、お前はもうここにはいられない」
『違う!違う!違う!!』
不意にあたりが少し明るくなった。いや、闇が薄らいだ、と言った方が良いだろうか。その代わり、私たちの目の前にさっきより濃い闇の固まりがあった。
『もう終わりだ!一瞬のうちにお前を食い尽くしてやる!』
闇は叫び、けいいちろうに襲いかかる。私は慌ててけいいちろうをかばうように前に飛び出す。けど、けいいちろうは私を後ろから抱きしめて、大丈夫だから、と言ってそのまま反転して闇に背を向けた。そんなことはお構いなしに、闇は私たちを飲み込む。
「はつき」
「なに?」
何か言いかけたけど、それをやめて、小さく首を振る。それから、笑った。
「・・・いや、いいや。戻ってから言う」
「じゃあ私もそうする」
 二人で笑う。
 そっと二人目を閉じて、お互いに体を預ける。
 希望、それが、ふたりの光。
 魔のものを祓う、光。
 目を閉じているけど、はっきりとわかる。
 私たちが今光の中にいるんだ、と。
 体中の感覚はどんどん失われていくけど、それでももう一人が側にいることがはっきりとわかる。
 もしかしたら私たちはこのまま魔のものに食い尽くされてしまうかも知れない。それでも不思議と恐怖はなかった。それとは逆に、今までに感じたことのない安らかな気持ちが私たちにはあった。そのことがお互いに手に取るようにわかるから、何も怖いものはない。人は無謀と言うかも知れないけど、負ける気がしない。この、私たちが共感している感情に一番近い言葉を探すなら、そう、それはきっと勇気と呼ばれている力だ。
『ば・・・かな・・・』
 魔のものの声がかすかに聞こえた。その声は今までとは比べものにならないほど小さく、弱々しい声だった。

「はつき」
「何?」
 あたりから完全に魔のものの気配が消えたのを確認して、私たちは目を開ける。そこは今までと違って、真っ白な世界だった。
 ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!
目を開いた途端に、大音響の断末魔が響いた。声のした方を見ると、ぽっかりと開いた窓のようになっているところがあって、そこからけいいちろうの部屋の様子が見えた。そこではエレノアの喚んだ冥兵が槍を構えて立っている。きっと冥兵が魔のものを滅ぼしてくれたんだろう。
「終わったね」
「そうだね」
そう言って笑い合ったけど、その時、二人とも気づいた。
「なんか・・・だいぶアイツに食べられちゃったな」
「・・・・うん」
二人とも、もうボロボロだった。ここに存在していられるのが不思議なぐらい、お互いの存在が揺らいで見える。
「・・・・残念だけど・・・もうダメだね」
「・・・・うん」
根拠はないけど、わかる。もう私たちは消えかけているんだ、って。
「せっかくあいつを追い出したのに・・・これじゃ一緒にはいられないかな」
けいいちろうは言った。けど、私はそれを否定する。
「だいじょうぶだよ。けいいちろうは魔のものが私に言った言葉知ってる?魔のものが初めにけいいちろうに取り憑いたときのこと」
けいいちろうは何のことかわかってないみたい。仕方ないから、私が一人で全部言う。
「あいつが言ったんだよ。けいいちろうの心の闇があいつを引き込んだ、って。その時けいいちろうの心は消えそうになってたんだ、って。俺がいなかったら・・・そのまま死んじゃってたんだぞ、って」
「そっか・・・。じゃぁ、あいつにも少しは感謝しないとね。もしかしたらはつきと再会する前に・・・消えちゃってたかも知れないんだから」
「そう・・・かもしれないね」
そう言っている間にも、私たちの存在が希薄になっていくのがわかる。
「一つだけ、あるんだよ。私たちがずっと一緒にいられる方法」
「それって・・・もしかして」
「うん。私が・・・魔のものの代わりにけいいちろうの中に入るの。そうすればずっと一緒だよ。けいいちろうも・・・私も・・・消えないよ」
「・・・そんなこと・・・できるの?」
「できるよ。あいつにできたんだから、私にできないはずないよ。それにもう、ここはけいいちろうの中なんだから。簡単だよ。大丈夫。私は魔のものみたいな悪さはしないよ。もう疲れたから、もしかしたらずっと眠ってるかも知れないけど」
「でも・・・それじゃはつきが・・・」
「いいの。だから、けいいちろうは・・・早く私が離れても大丈夫になるように・・・がんばってください。私もけいいちろうの心から少しずつ元気をもらって、いつかきっと外に出られるようにがんばるから」
「・・・うん。がんばるよ。どうすればいいかわからないけど・・・がんばるよ」
 最後にもう一回、ぎゅ、って抱きしめてもらう。
 これで、終わりだ。
 目を閉じると、二人の心が重なっていくのがわかる。
 けいいちろうにはずっと一緒にいる、って言ったけど、もしかすると私は消えてしまうのかも知れない。けいいちろうもそれがわかっているのか、涙を流していた。だから、私も涙を流す。
 ずっと一緒にいるよ。
 最後にそれだけお互いに、耳元で小さく呟いて、私は深い眠りに落ちた。

 願わくは私の大切な人が永久の平穏を、失われることのない想いを持ちつづけてくれますように。
 私は祈る。
 再会の時が来るまで、一番近くて遠いところから。
 私は、祈る。
 ただそれだけしかできないから。

おわり。