ネットワークRPG“クレギオン”シナリオ#5
『バビロンの紋章』
第5回プライベートリアクションKA2
★天使の怖れ

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Act.2 Black Soup

 エースことアイク・アークライトは、静寂の暗闇の中で目を覚ました。体がだるい。力が入らない。頭がくらくらする――ここは、どこだ? どうして、オレは、こんな所にいるんだ?
 朦朧とした頭で思考を巡らせる。何度か瞬く内に、目が慣れて来たのだろう。うっすらと、小さな緑の非常灯に照らされた室内の様子が目に入る。
 ……そうか。輸送船の中だ。
 そう思った時、聖都アダンを出発してからの出来事が走馬灯の様に心の中を駆け巡る。
(お姫様は塔の中……まだ、部屋にこもりっきり)
 そうカルラ・カレンに言われて、アレッサンドロをを見に行った。
(船を動かせ)
 その、感情を押し殺した口調。
(じいさま……)
 そして、ロカルニア長老ムライバに見せた涙。その時、エースの心は決まっていたのだ。
(貴方を守るために戦う。それで十分だろ)
 そうして、彼女と……アレクサンドラと共に歩む決意をしたのだ。どんな事がが起ころうとも。どんな未来が待ち受けるとしても。
(明日だ。また明日勝負しろ)
(あの子には、母親の二の舞いはさせん)
(いつまでも、いいようにあしらえるなどと思うな!!エース、明日は必ず勝つ!!)
 強い意志を秘めた瞳。いつも真っすぐ見据える瞳。強さと脆さの共存した心。
(アレクサンドラが死んだ)
 〈アイリーン〉の中でそう聞いた時、己の耳を疑った。嘘だろう? そう問いただした自分に、仲間の口調は冷たかった。
(アレクサンドラの死体からDスペースが発生した。目前の黒い霧の様なものがそうだ……このままでは、我々も全滅してしまう。先ずは脱出を!!)
 アレクサンドラを助けようと、カラハン邸に乗り込もうとした自分を止めたのは周りの騎士達だった。そのまま、皆に引きずられる様にして、カラハン邸を後にした……アレクサンドラ……アレクサンドラ……。
 エースは何度か頭を振った。まだ睡眠薬の残る体は巧く動かない。でも……このままにしておけるか!! 誰よりも、あの仮面の男――マルコ・バルディアは許せない。仇を。彼女の仇を。アレクサンドラの仇を!!
 必死で自身に言い聞かせ、起き上がる。ベッドを後にして、剣を手に、部屋から出る。〈アイリーン〉の所へ行こうとした時、エースは奇妙な気配に後ろを振り返った。
「どこへ行く」
 立っていたのはリサだった。その視線に、何か違和感を感じながら、エースは憮然として言った。
「あんたには、関係ないだろ」
 リサは冷酷な瞳のまま、亀裂の様な笑みを浮かべた。
「成程ね。関係ない、か。――本当にそう思うのか」
「ああ、関係ないね」
 エースは、まだくらくらする頭を持て余しながら言った。リサは何が言いたいんだ? そう考えながら。第一、この雰囲気は一体何だ? こいつ、こんなに――蛇みたいな瞳をしていただろうか?
 リサはエースを見据えたままだ。リサは考えていた。恐らく、エースはこのまま鬼幻城へ向かうつもりだろう。だが、勝てるか? あの城を守る者達に? 冷静さを欠くこの状況で? そう思った時、リサは自身の事を振り返り、思わず冷笑を見せる。
 ――今のわたしも、かなり冷静さを欠いているがな。 この、心の奥底から沸き起こる欲望を。破壊への衝動を。屠る喜びを――そして悲鳴を。それが我が悦びなれば――わたしは至極の快感をこの手にしたい。
「あなたが死にたいというのなら止めはしない。だが、せっかくの獲物を十鬼衆にくれてやるのは残念だよ。だから――わたしと勝負しろ。わたしに勝てたなら、どこへなりとも行くがいい」
「何だと?」
 エースはリサの言葉にカッとなった。死にに行くだって? 冗談じゃない。仇を取りに行くんだ。それをこいつは、最初から負けるみたいに言いやがって!!
「オレは、死ぬつもりはない!! 他人を馬鹿にするのもいい加減に……」
「マルコ・バルディアは少なくともわたしより強い。わたしに勝てなくては、あなたには手も足も出まい?」 リサの澄んだ笑い声は、さらにエースの神経を逆なでした。
「そこまで言うなら、勝負してやる」
「よろしい――外へ出ろ」
 エースはリサを見上げると睨みつけ、先に立って歩きだした。

 荒れ果てた大地に砂埃が舞い上がる。風が強い。地面は水気もなく、乾き切っている。……草ひとつない荒涼とした大地。鬼幻城の姿は、幸い、見えない。
 輸送船を出た2人は輸送船を風避けにする様に風下に立った。
 エースは腰の剣を抜く。アレクサンドラと打ち合った剣だと思うと、彼女の死が、とても悔やまれる。
 リサは使い慣れたグレートソードを左手に握っていた。〈アズラエル〉の振るうそれとよく似た、漆黒の巨剣。リサの身長程はあるその長さに、エースは心の中で悪態をついた。
(武器ってのは、でかけりゃいいってものでもないんだぜ)
 リサはエースの心中を見透かした様に冷たく笑った。「さあ、おいで」
 巨剣を肩に負うように構えると、リサは目を閉じてそう言った。エースはその様子を睨みつけていたが、痺れを切らして、言った。
「いくぜ!!」
 エースは、その高い瞬発力を生かして瞬時に距離を詰める。だが、リサの反応も早かった。目を開けたときには巨剣はリサの懐にあり――そのままエースに一撃を与える。とっさに躱したエースはリサを何度か打ち付けようと試みるのだが、それも巨剣の動きに阻まれてしまう。
 そうして、そのまま剣戟の音がしばらく響き渡った。スピードは――薬が残っているとは言え、それでもエースの方が勝っていた。だが、リサは勘が良かった。そして、巨剣の扱いに長けていた。普通の剣と巨剣の攻撃とでは、勿論、そのパターンは違う。エースは巨剣の攻撃には慣れていなかった。剣ではあしらえる動きも、巨剣は時折意外な動きをする。そして、それにリサの利き腕が左である事が拍車をかけた。攻撃の指向性が逆になるのだ。頭では解っていても、咄嗟の動きはどうしても今まで訓練で慣れた方の動きをしてしまう。更に、巨剣であるにも拘わらず、その突きが鋭かった。それに驚かされ、一瞬動きが止まると――そこに真横の一閃が来る。余計な事を考えている余裕はなかった。リサの攻撃には妥協などなかったからだ。気を逸らしていると、いつ頭上に一撃が降りかかるか判らない。エースは必死で応戦した。
 リサはエースの反射神経の良さに感心させられていた。リサの攻撃は、決して訓練のためのものではない。反応が遅ければ相手を傷つけるに足りる攻撃だ。何度か四肢は捕らえたが致命傷は与えられない。四肢への致命的な一撃もだ。成程、センスはなかなか良い――ならば、多少、本気を出しても面白かろう。
 リサは不意にエースから離れた。剣を胸の前で真横に構えた――巨剣を捧げ持つかの様に。そして目を閉じて、一言、小さく呟いた。
「我が威力もて」
 開眼と同時にその身から発せられたのは、恐るべき殺気だった。エースは氷水を浴びせられた様なその気配に思わず後ずさる。
「わたしが怖いの?」
 エースを見据えて、愉悦の笑みを浮かべながら――尤も、その瞳は冷酷な彩をみせていたが――リサが告げる。エースはその言葉に、彼女を睨みつける。
「冗談じゃない!!」
 だが、その言葉とは裏腹に、エースの心中を支配しているのは、紛れもない恐怖の感情だった。そして畏怖の感情。本気なのだ――この、目の前の女騎士はその巨剣で敵を屠ろうとしている。悦びの為に。その凍てついた瞳に己の全てを吸い取られそうな気がした。確かに、自分と彼女とでは、剣技の実力は違うのだ。勝てない――多分。あの巨剣の一撃を押さえる事は――だけど。それでも。だとしても。
 エースは自身を鼓舞するように吼えると、リサに一撃を与えようと間合いを詰める。リサはエースの剣を軽く払った。剣の打ち合う、かん高い音が響く。軽く――リサにとっては、軽く、だった。だが、それを受けたエースにとっては、その一撃はリサ自身の腕力と敏捷性と、剣自身の重さと、そして、エースの突進力すら利用した恐るべき威力を伴うものとなっていた。腕が痺れる。思わず、剣を取り落としそうになる程に。それに気を取られた瞬間、巨剣の一閃がエースの頬を掠った。生暖かい、どろりとした物が頬を流れる。
 リサは、剣についた血を指で取って、丹念にそれを嘗め上げると、言った。
「あなたの血はとても美味ね、嬉しいわ。先ず、切り落とされるのは、腕がいいかしら。それとも、足? お好きな所を選びなさいな、幼子よ」
 澄んだ笑い声が響く。エースは、逆上しそうになる自分に必死に言い聞かせていた。冷静になれ。感情的に攻撃したって、あいつには絶対に勝てない。ああ言って怖がらせているだけだ。惑わされるな。
 リサは何度も、剣撃をエースに見舞う。だが、その殺気にも拘わらず、致命傷を求めるものではない。四肢を少しずつ、少しずつ、傷つけて行く。いたぶっているのだ。そう思いながら、エースは、怒りに爆発しそうな自分と、そして恐怖に叫び出しそうになる自分と、戦っていた。自分を弄ぶ敵への怒りと、その底知れぬ狂気のそら恐ろしさと。どちらに沈むのも真っ平だった――怒りに我を忘れれば、自滅が待っている。恐怖におののけば、反撃する事も出来なくなり、リサに負けを認める事になってしまう。オレは負けない――こんなやつには、負けない。
 とは言っても、今のリサに隙はなかった。そのためエースは攻めあぐねていた。長身に加えて、振るう武器が巨剣であるが故に、リサの懐に飛び込んでしまえば、その間合いから外れる事は解っているのだ。だが、その機会がない。その隙がなかった。隙がない――と言うよりも、自分のどこかが告げているのだ。目前の敵の恐ろしさを。その威力を。何よりも異質である事を。その意識が自分を萎縮させている事に、エースは気が付く。そうして、何度か剣撃を浴びるうちに、目前の女騎士に、マルコ・バルディアの姿が重なった。
「ちくしょう!!」
 せめて、相打ちに。一度でいい、あいつに一撃を!!
 気迫と共に繰り出した一撃は、リサの右肩を捉えた。鮮血が振り撒かれ、リサの体が一瞬沈んだ。が、その瞬間、巨剣の一閃にエースの剣は跳ね上げられた。かん高い音が響き、エースの手から離れた剣はそのまま遠く地に転がる。あっ、とエースが思った時にはリサの次の一撃がエースを襲っていた。
 エースはその衝撃に吹き飛ばされた。左の脇腹に鈍い痛みがあった――巨剣はそこを捉えたのだ。エースは身を起こそうとしたが、鈍痛に体が巧く動かない。
「もうおしまい? これで、あなたの未来も潰えるっていう訳ね。希望も――その望む未来も」
 凄惨な笑みを見せるリサを睨みつけながら、エースは思わず脇腹に手をやった。パックリ傷口が開き、手が血まみれになるのを想像しながら。だが――事実は違った。血は一滴たりとも出ていなかった。傷口もなく、ただ、鈍痛だけがあった。巨剣の一撃は刃による物ではなく、刀身によるものだったのだ。当たる瞬間に、リサは刀身を90度ひねり、刃を使わなかったのだ。 エースは訝しげにリサを見つめた。まだいたぶるつもりなのか、あるいは――元々、脅かしているだけなのか? 彼女の言動はどちらにも取れ、エースには判断がつかなかった。リサはゆっくりと巨剣を振りかざした。冷酷なる瞳でエースを見据え、すうっと、魔性の笑みを浮かべる。
「おやすみなさいな。――ゆっくりと、永遠にね」
 恍惚としたリサの瞳に気が付き、思わず目を瞑る。やっぱり、こいつは、オレを本気で――本気で殺す気で――ちくしょう、こんな所で――アレクサンドラ!!
 ざん!!
 剣の大地に突き刺さる音が耳朶を打つ。エースは恐る恐る目を開けた。巨剣は、エースの首のすぐ側に突き立てられていた。リサは、エースと目が合うと穏やかに微笑んだ。
「らしくないな。諦めるのが早すぎる」
 剣を抜くと己のすぐ側に突き刺して、リサはそれに自分の体重を預けた。肩の傷から血が流れ、地に落ち染み込んで、どす黒い染みを作り始めている。
 リサは跪く様に膝を折ると、エースを引き起こした。
「何にせよ、これで少しは、頭を冷やせただろう?」
「ば……馬鹿野郎!!」
 エースはつい怒鳴った。やっぱり、最初から、何もかも演技だったと――。
 そう抗議しようと口を開きかけた時、リサはエースの身を引き寄せる様にして、そのまま、抱き締めた。
「解っただろう? 死者には、生者は護れない。誰かを護りたいなら、生きて、生きて、生き抜く事だ。命の潰えた後、護る事が出来なくなるからな」
 生きて、護る事? 誰よりも護りたかった人はもう――。エースは肩を震わせた。リサはエースの髪を半ば無意識に弄びなから、言を続けた。
「生命は失われれば、その者の歩んだ歴史も望んだ未来も潰えてしまう。だが、残された者は――逝ってしまった者の望んだ未来を継承する事が出来る。そうして継承した時――死者の全ては失われる訳ではなく、その一部を生き残らせる事になる。いま我々が目的としなくてはならない事は、誰1人欠ける事なくこの世界から還る事だ。ロカルニアの民、アダンの騎士に関係なく、だ。アレクサンドラが望んだ未来は、ヴァントゥーの民の幸福だ。父と民が争う事なく共に歩める世界だ。父と母と共に有った、良き時代の再来だ」
 エースは無言で頷いた。
「エース。あなたがアレクサンドラを愛していたと――今でも愛していると言うのであれば、アレクサンドラの望んだ未来を、彼女の希望を、他の誰でもない、あなた自身が継承しなくてはならない。彼女の未来を受け継ぐという事は、これからを――あなたの未来をアレクサンドラと共に歩むという事だ。解るか」
「ああ」
 エースは曖昧に返事をしながら考えていた。リサの言う事は観念論かもしれない。アレクと共に歩むつもりになるだけのものかもしれない。だけど――このまま彼女の全てを失うには、あまりにも突然過ぎる。
 リサはエースを更に強く抱き締めた。そこに、彼の在る事を確かめるかの様に。
「……わたしはずっと考えていたのだ。人間なんて、陰で理屈ばかり述べて、いざとなったら何も出来ない、すぐ他人に頼り、都合が悪くなれば全て他人のせいにする――汚くて狡くて、浅ましい生物だと。その様なものはこの世に存在する価値など全く無いのだと。そのくせ、たった100年足らずの短い命を生きよう生きようとあがく、何よりも愚かしい存在なのだと――そう考えていたのだ。だから、姉や天の父がどうして人間などをあれほど評価するのか解らなかった。護ってやれというのだ――儚く脆い、小さき幼子を。馬鹿馬鹿しいと思ったさ――この、卑怯で汚い生物を護ってやれだと? あいつらがどれだけ周りに悪影響を振り撒いているのか解っていてそう言うのか、ってね――。でも。あなた達をみて、少し解った様な気がする――人の強さが。100年の命しか無い人間がどうして時折驚く程の強さを見せるのか。それは歴史を背負うからだ。死者の未来を継承して、受け継いで己が未来にして行くから――そこで現れる未来への想いはただ1人のものではなく、関わった全ての人間の希望を織り込んでいるから、成程、人は強くなる訳だ、と。あなた達は1人でいながら、1人ではない――関わった、全ての人々の想いを共に支えあい未来への希望を存続させ、そしてついにはそれを現実のものにしてしまう」
 リサは澄んだ笑い声をあげた。
「天の父がわたしに見せたかったのはこの事なのだと。姉がわたしに教えようとしたのは、この事なのだと。わたしは今、気がついたよ」
 リサはそのまま目を閉じて、エースに寄りかかる様にして彼にその身をを預けた。エースは呆然とリサの言葉を聞いていたが――手をべとりと濡らす鮮血に、そのリサの様子に、自分が彼女に与えた肩の傷を思い出し、慌ててリサを引き離そうとする。
「おい、大丈夫か!? 肩の傷が――」
 リサはエースの言葉など耳に入っていない様子で、まだ彼を抱き締めたまま、うわ言の様に言葉を続けた。
「だから、護ってやろう。あなた達――小さきか弱き幼子を。姉が評価するからではなく。セレスティアが愛するからではなく。幼子よ、一緒にここから還ろう――わたしはまだ成すべき事を成していない」
 そうして、リサの意識は暗転した。