ネットワークRPG“クレギオン”シナリオ#5
『バビロンの紋章』
第5回プライベートリアクションKA2
★天使の怖れ
4/5
Act.4 Inncent Sea
リサは、一度目を閉じて、溜め息を吐いた。ゆっくりと目を開けて、ジェレミーに視線を移す。
「さあ、カラハン邸での事を聞かせてもらおうか?」
ジェレミーを見るリサの様子はもう普段と変わりない。飽くまで厳しく、妥協を許さない鋭い視線にジェレミーは思わず息をのんだ。
「媚薬……みたいなクスリを打たれていて、殆ど身動きが取れませんでした。それで……」
言いよどむジェレミーに、リサは唐突に尋ねる。
「マルコと話す機会はあったか?」
ジェレミーが頷くと、リサは思わず身を乗り出した。
「何を喋った? 何を言っていた? ジェレミー、覚えているか、一言一句、その全てを?」
「あの……はい、その、大体は……」
ジェレミーはマルコから受けた行為を思い出し、真っ赤になった。なるべく、思い出したくない出来事は避けて、それに連なる科白はあえて無視し、彼の言葉をリサに伝える。
「マルコは、僕とアレクサンドラが純粋な魂を持っているって言ってました。アレクサンドラが手に入れば、俺は純粋な2つの魂を得ることになる。お前か、アレクサンドラ、どちらが犠牲にふさわしいかって……」
リサは、一瞬凄惨な彩を瞳に浮かべると、澄んだ笑い声をあげた。
「成程ね」
ジェレミーはリサの変容に少し違和感を覚えながら、言葉を続ける。
「犠牲は神に捧げる犠牲だ、と。世界の終末を神に祈るといっていました。この宇宙は腐っているって」
リサは驚愕の表情でジェレミーを見つめる。
「それは、その言葉のまま、それを言ったのか?」
「えっと……『神に捧げる犠牲だ。神に祈るのさ、世界の終末を。この宇宙はくさっている。純粋なものだけが生きる世界にするべきだとは思わないか』って」
「その言葉……一言一句、間違いはないな?」
ジェレミーはリサの違和感が無くなった様に感じながら――リサの言葉に頷いて見せる。
『神に捧げる犠牲だ。神に祈るのさ、世界の終末を。
宇宙はくさっている。純粋なものだけが生きる世界にするべきだとは思わないか』
リサは頭の中で何度も何度もその言葉を繰り返す。そういう事なのか? そういう出来事があったというのか? ――可能性はある。アンドレア・バルディア卿ですら多大に受けた軋轢の存在。そして母親の言葉。貴族の歓迎されざるその精神資質。リサ自身の過去。期待と失望。わたしが経てきた途筋を――恐らくは。
(アンドレア、騎士はいいね。強くて、優しくて、格好よくて。アンドレア、騎士はいいね。キャヴァリアーに乗れて。教皇様のために戦えて。みんなに感謝されて……アンドレア……アンドレア……アンドレア)
(正直気味の悪い子でした)
(アンジェラ。貴女はいい子ね――いい子ね、アンジェラ。わたくしは貴女が好きよ。愛しているわ――愛しい妹。魂の半身。天の父様も、貴女を。アンジェラを愛しているわ――この世に望まれぬ存在なんてないのよ。世界中の全ての人間が、貴女に間違っているって言ったとしても、わたくしは貴女を抱き締めるのよ――愛してるわ、アンジェラ)
(忌まわしい、気が狂っているんだわ。ああ、あなた、一体どうすれば――。姉はあんなにいい娘なのに――)
リサは己の思考の波に酔ったように、頭を振った。緩慢とした動きで立ち上がり、ジェレミーの側に行く。椅子に身を預けたままの、ジェレミーの前に立ち――騎士が教皇にする様に、教皇が神にそうする様に、リサはゆっくりと片膝を折り、跪いた。
「わたしがこれからあなたに言うことはひとつの推論に過ぎません。事実はそれと大きく掛け離れているかもしれません。わたしがそう思い込んでいるだけかもしれません。それでも、聞いて下さいますか? 救けを求めて暗闇で泣いている孤独な魂を救うために」
ジェレミーはリサのこの行動に内心おろおろしながら、立ち上がる事も出来ずに、そのまま座していた。リサの眼は臥せられていて、決してジェレミーを見上げようとしない。僕はただの従者で、彼女は騎士で、でもこの状態はまるで――まるで。
リサは答えを待つかの様に沈黙を保っている。
「……はい、き、聞きます……」
「感謝致します。慈悲深き光の者よ」
ジェレミーはますます混乱した。だがリサは、そんな彼の様子には気が付かぬ様に、言葉を紡ぎ始める。
「マルコ・バルディアにとって見れば。アダンの者達は。教皇に連なる者達は。自分を受け入れる事を拒絶した者達だと、考えているのではないでしょうか。先ず最初に、彼は母親に愛されなかった。実の子を気味悪がる母親――それは言葉に出さずとも、その子には、母親が自分の事をどう想っているのか、解ってしまうものです。母親が、自分がここに在る事を望んでいないという事が。自分を歓迎していないという事が。そうして、最初の礎が――私は望まれてこの世界に在るという自己存在肯定の大前提が、築かれる事がなかった。だから彼は騎士に憧れた。強くて、優しい騎士に。人々に尊敬され、そこに自身が在ることを誰もが肯定する存在に。勿論その憧れには体が虚弱だった事も拍車をかけたでしょう。誰にも望まれ、教皇に認められ、そして力を持っている。何物も屈しない力を持つ。そんな『騎士』にです。彼は、恐らく今までで唯一自分を認めてくれた兄の助力によって、騎士学校に進む事になります。でも。そこでも苦難が待ち受けていたとわたしは考えます。特待生の兄のお陰で入校出来たとあれば、恐らく、全てのことで、事あるごとに兄と比較されたでしょう。自分によく似た兄に。何もかもを難無くこなした兄と比較されるのです。病弱で人と交わる機会の少なかった彼が、平民の出身であり言うなれば兄の七光りで入校したその寄宿生活で、どの様な環境に放り出される事になったのか、容易に想像が出来ます。彼の感受性の高さも災いしたでしょう。平民だから認められない。兄と同等かあるいは越えて当たり前。兄に劣れば振り撒かれるのは陰口や非難。そこで憧れていた騎士の実態を見てしまう訳です。理想が高かっただけに、その現実との落差は彼を傷つける事になったでしょうし、恐らく酷い言動もあったのではないかと私は考えます。己を認めるものがなければ、そこにあるのは――冥き深淵へ向かう途のみ」
リサはそれだけ言うと考え込むかの様に言葉を切った。そして沈黙。暫しあり、リサは再び口を開いた。
「そして誰にも認められる事なく、破門され、アダンを追放されるのです。これはわたしの推測に過ぎません――でも、もしこれが事実だとするならば、アダンの者が、アダンで認められる騎士達が、彼をアダンから追い出したのです。だとするならば、わたし達にも非があります。もしわたしの考えた事が事実としてあるならば、彼は人を憎むでしょう。愚かしい人間共を。自分を弾き出した者達を。人々が自分を一切認めないというのであれば、その様な人類こそ自分は一切その存在を認めないと」
リサは面を上げ、ジェレミーを見上げて、穏やかに微笑んだ。
「わたしにも――そう考えた過去がありますから」
ジェレミーは驚いた様に、リサを見つめている。
「人々の悲鳴は至高の音楽。流れる血を。振り撒かれる臓物を。大地にちりばめられる肉片を。愚かなる人間共よ、速く汝らは滅び逝け。恐怖を。そして絶望を。それが我が歓びなれば――と、そう考えた過去が」
リサは思いを巡らせる様にジェレミーから視線を外した。そのまま記憶を手繰る様に、視線を宙に預ける。
「だから、どうすれば彼を救う事が出来るのか。わたしはそれを知っています。ただ1人でいいんです。自分がどんな事をしても。世界中の誰もが自分を認めなくても。間違っていると言っても。あなたの考えが解るよ、と――理解して、何よりも認めてくれる人がいれば。この世に自分の在ることを心から望んでくれる人がいるのなら、それで救われます。自分の居る事は無意味ではないと――誰にも望まれぬ者ではないのだと――そう言って、抱き締めてくれる人がいるのなら。世界にあなたのあるべき場所がちゃんと在ると、そう言ってくれる人がいるのなら」
リサは不意に立ち上がった。そして華のような笑みを見せた。彼女が今まで誰にも見せた事のない笑みを。
「だから、わたしは彼の所へ行って来ます。先ずは、謝りに。わたし達、彼にとても酷い事をしたみたいですから――わたしが直接それに関与していなくとも、彼がとても傷ついているのなら、誰かが謝ってあげないと。あなたの痛みが解ります、と言ってあげないと。……彼が見ているのは世界の半分なのです。人々の半面だけ。だから、残りの半分を見せる為に、わたしは彼を冥き途から連れ出して来ます――出来る事ならば。共に歩めるものならば、わたしは、彼を連れてここに戻って来ます。ただ、求める正義が掛け離れているなら、その途は交わる事がないでしょう。進むべき途が違うのですから。もしそうなれば、わたしはここに戻って来れないかもしれません。天の父の御許に還る事になるかもしれません。もし、そうなったとしても――わたしが今言った事を覚えておいていて下さい。機会があれば、同じ途を歩めないとしても、せめてその魂は救ってあげてください。恐らく、彼はあなたの言葉には必ず耳を傾けるでしょうから。たとえ他の誰の言葉も彼に届かないとしても、あなたの言葉にだけは、必ず耳を傾けるでしょう。それが、地脈と星辰の整っていたにも関わらず、アレクサンドラを犠牲に捧げ、あなたを捧げなかった理由なのでしょうから」
ジェレミーは呆然として、リサを見つめた。彼女の話はあまりにも突飛だったからだ。にわかには信じがたかった。
「わたしが今ここに在るのはそれを望んだ姉のおかげです。わたしの知る世界とは違う、その半面を示してくれたセレスティアの。慈悲深き光の者――それがわたしの知る、彼女の姿」
リサは、ふと弱々しく微笑んだ。少し悲しそうに。
「わたしも、彼女のようになれるかしらね――」
リサはそうして目を閉じた。ジェレミーは、そんな彼女を見つめながら、これからどうなるのだろうと考えていた。このDスペースの存在に、要となっているのは、紛れも無くあの男、マルコ・バルディアなのだ。リサを止めるべきなのだろうかと――そう考えながら、ジェレミーは言葉を失っていた。