ネットワークRPG“クレギオン”シナリオ#5
『バビロンの紋章』
第6回プライベートリアクションKA2
★子午線の祀り

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Act.2 Sacrifice

 鬼幻城に残ったリサは、まずアンドレアの居場所を探した。彼を救出するつもりなど無かった――ファルネーゼ隊に、アンドレアのここに在ることは伝えてあるのだ。彼らに余力があるならば、彼らがアンドレアを救いにくるだろう。自分自身がアンドレアをここから連れ出す訳にはいかない、とリサは考えていた。確かに、兄がこのままここにいる事は、弟にとって決して良い事にはならない。だから、アンドレアをここから引き離す事は重要なのだとリサは判断した。だが、自分がアンドレアを連れてここを離れるならば、マルコは恐らくこう考えるに違いない――あの女騎士は、自分を理解すると言っておきながら、結局他の者達と同じ様に兄を選んだではないか――と。リサが選んだのはアンドレアではなく――他の誰でもない、弟のマルコなのだ。彼を救けるために、彼が揺るぎない大地を得るために、リサはここに残る事を決心した。だから、自分がここから離れる訳にはいかないのだと。
 リサは冷たく暗い場内を巡り、それでもアンドレアを探していた。
 先ず、考えなくてはならないのは。どうやってアンドレアをマルコの側から引き剥がすかという事。アダンの騎士達がここにくるとしても――この鬼幻城の長距離武装を突破し、さらに融合者となっている十鬼衆を相手にしながら、その場所のまだ判らぬアンドレアを探さねばならないのだ。その過程で、この城の主である影の王を倒そうなどと考える者もいないとは限らない。
 リサにとって今最も優先するべき事はマルコ・バルディアの身の安全だった。倒す事――殺す事は簡単なのだ。須らく、この世に息づく全ての存在は、その生命の終焉など驚く程簡単に迎えてしまう。そして、失われた生命の灯火は何人たりとも再び灯す事は出来ない。殺す事は罪を償わせる事にはならない――救けを求める存在ならば、彼の知らない事がこの世にはあるのだから、それを知り彼がどう変わって行くのか、その変化こそが――恐らく彼の償いとなるはずだ。だから彼を殺してはならない。人を信じる事を知り損なっただけに過ぎない小さな存在を。それを知っても尚、彼が他人を陥れ傷つけゆくというのであれば、その時にこそ彼の人生に幕を引かせても遅くはないはずだ。彼が学び得なかった事を、彼がそうしないからと言って殺そうとするのは――恐らく誤った考え方なのだ。知らない事なら、先ず学ばせるべきなのだから。
 マルコの身の安全を計るためにも、アンドレアを早急に見つけて連れ去って貰わねばならない。そのためには――要は簡単な話だ。アンドレアの居場所を知る者が、アンドレアの所まで騎士達を連れて行けばよいのだ。それで、自分自身と騎士達の利害は一致する。リサは騎士達がマルコに牙を剥かなければ――彼に刃を向けなければそれで良いのだし、騎士達にしてみても、強力な敵と激戦を繰り広げる要因はなるべく少ない方が良いに決まっている。十鬼衆を葬る決め手にすら欠ける騎士達の、現在の戦力を減らさせる訳にはいかない。そのためには、アンドレアを短時間で見つけださせ、彼を回収させ、直ぐさま彼らをこの城から撤退させねばならない。
 リサは1人苦笑した。思わず、呟きが漏れる。
「わたしも……随分とお人よしになったものだわ」
 10年前なら、恐らく、誰かのために――人間のために何かをするなどと、思いもよらなかっただろう。そして、ほんの数カ月前までならば、手を指し伸べるにしてもその理由は『姉がそう望むから』であったに違いないのだ。だが今では。ヴァントゥー太陽系に来て、人々と交わる間に、恐らく自分自身も変わったのだ。『誰ひとり欠ける事なくこの世界から帰る』そう考えるようになったのも――その為に己の全てを傾ける事を決意したのも――彼らのそこにあるからに他ならない。そして、彼がここで救けを求めているから――孤独に泣いているから、わたしの学んだ事を、あなたの知らない世界を、儚く脆い、それでも未来を望む小さき人々を、見せてあげたいと思ったのだ。――あなたもその一員なのだと。慈しむべき存在なのだと。愛されるべき幼子なのだと、教えてあげたい。
 暗黒へと続いているかの様な冥い螺旋階段を下って行く途中で、リサは、呻き声の漏れる扉を見つけた。小さな窓からは明かりが漏れている。リサはそのまま身を落とすと、そっと扉に耳を近づけ、目を閉じて精神を集中させ、中の様子を伺った。
 人の気配は1体のみ。この気配は恐らく……。
 リサは扉に手をかけた。鍵でもかかっているかと思ったが、予想に反して扉は音もなく開いた。成程ね――とリサは考える。手の中の小鳥は閉じ込めるまでもないという事か、と。
 尤も、この小部屋に捕らわれの小鳥はその身を鎖で壁に繋がれ、逃げ出す事も叶わなかったが。

 突然扉の開く気配に、アンドレア・バルディアは力無く顔をあげた。狂気に満ちた弟の姿を予想した――だが、そこにあったのは、紅蓮の髪をした女騎士の姿だった。彼女の胸に宇宙教の聖象架を見てとったアンドレアは思わず顔をほころばせる。
「君は……」
「近衛騎士団ファルネーゼ隊所属、リサ・オルラヌス。――お久しぶりですわね、副団長殿」
 そう告げながら近づく彼女の瞳を見て、アンドレアはその表情を凍らせた。リサはそのまま――黄金の瞳に凄惨な彩を乗せたまま、冷酷な笑みを見せた。
「弟に嬲られるというのは、どんな気持ち?」
 アンドレアの顔を覗き込み、澄んだ笑い声を響かせる。アンドレアはリサを厳しい視線で睨めつけた。自分の待ち望んだ助け手ではないのだ、と自身に言い聞かせながら。
「アダンを裏切るつもりか」
 リサは動じるでもなく、じっとアンドレアを見つめる。その面に浮かぶ笑みは正しく魔性のものだった。
「裏切る? 馬鹿な事を。わたしはわたし。アダンの騎士、リサ・アンジェラ・オルラヌス。どこに居たって何一つ変わりはしないわ」
 リサはゆっくりと、アンドレアの肌に指を這わせた。その傷を爪がえぐる様に――再び口を開けた傷からは鮮血が泉のように湧き出しつつある。リサはその芳香に、端正な顔が苦痛に歪む彼の姿に、愉悦に満ちた笑みを浮かべながら更に深く爪を食い込ませる。
「こうなったのは、あなたの罪よ。彼に傷つけられるのも。嬲られるのも」
 リサはアンドレアの耳元で囁いた。その手はアンドレアの鮮血で赤く染まってゆく。リサは血まみれの手でアンドレアの頬をそっと撫でると、さらに言葉を続けた。
「自業自得なのよ――解るかしら?」
 困惑した瞳で自分を見るアンドレアを、リサは厳しい表情で見据えた。
「あなた、彼を助けなかったでしょう。助けを求めたその時に、冷たく拒絶したのでしょう」
 アンドレアの顎に手をやり、上を向かせ、リサは更に責めるように告げた。
「誰よりも彼の側にありながら、彼が求めてきたその時に、どうして救けてあげなかったのよ……」
 そのまま、胸の傷に爪を這わせる。長く伸びたその爪は小さなナイフの様にアンドレアの血肉を傷つけ、鮮血を溢れさせる。アンドレアはその痛みに小さく悲鳴をあげた。
「母親に愛されず。他の者にも理解されず。唯一自分を認めてくれたあなたに、愛して下さいって――大地を下さいって、縋ってきたのでしょう? あなたの弟は。その時にどうして拒絶したりするのよ。愛してあげればいいでしょう――それとも、あなた、彼を認められないの? あなたしか認めてくれない弟を? 愛され方を知らない、傷つきやすい彼の事を」
 告げながらリサはアンドレアの喉に手を廻した。そのまま少しずつ喉を締め始める。
「こうやって。……ふふふ、命乞いをして見せる?」
 凄惨な笑み。澄んだ笑い声の響くなかで、アンドレアは目前の女騎士の狂気に恐れおののいていた。その手には徐々に力が加えられてゆく。息が詰まる。目前が真っ赤になり、意識が次第に遠のく中で、リサの手が不意に外されるのをアンドレアは感じた。
「あなたを、その罪を理由に天のお父様の所へ連れてゆけるのなら、どれ程楽かしらね。……でも、それは彼が望まない事だもの」
 げほげほと咳き込むアンドレアの傷口から滴る血を指で受け、リサはそれを丹念に舌なめずりをして舐めあげる。
「彼はまだ救けを求めているわ。そして、わたしは、まだ間に合うと考えている。だから――」
 リサはアンドレアの耳元へ唇を寄せた。
「わたしは彼を救けてみせる。男色ですって? 問題なのは人の魂でしょう。その肉の器なんてどうでもいいのよ。男でも、女でも――些細な事なのよ、血肉の差なんてものは。残忍だから受け入れられない? わたしに比べればね。彼の残忍さなんて、可愛いものよ。わたしですら受け入れられたわ。だとするならば彼のそれは容認されてしかるべきものよ。融合者だから?……彼をそこまで追い詰めたのは、誰?」
 告げながら、アンドレアの頬に流れる鮮血を啜り、嘗め、吸いあげる。その舌が舐めあげるリサの唇は鮮血に絖りながら緋く染まった。
「追い詰めたのは、わたし達アダンの人間だわ」
 そうして、リサは鮮血で妖艶に絖るその手で、恍惚とした視線で彼を見つめながらアンドレアの頬を撫でた。耳元で、殆ど聞き取れない程小さな声で囁いた。
「助けがくるわよ。あなたを助けに。あなたのここにある事は彼にとって善き事ではないのよ。彼の精神にはね。故に……その時にはあなたは迅く去りなさい。つぎに彼とまみえる時、あなたがどういう態度をとるのか分からない……でもそれは彼に大きく影響するのだという事だけ、覚えておいて。結局わたしでは彼を救けられないかも知れない――あなたの代わりは誰にも出来ないのだから。出来れば救けてあげて欲しいわ。唯1人の弟なのでしょう? この世に唯1人の」
 リサは不意にその身をアンドレアから離すと澄んだ笑い声を響かせた。凄惨な輝きを秘める獣の瞳でアンドレアを真正面に見据えながら。
「籠の中の哀れな小鳥さん。せいぜい、彼を楽しませてあげて頂戴。……彼のためにね」
 高笑いと共に去り行く女騎士の後ろ姿を虚ろに眺めながら、アンドレアはようやくその意識を手放した。