ネットワークRPG“クレギオン”シナリオ#5
『バビロンの紋章』
第6回プライベートリアクションKA2
★子午線の祀り
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Act.3 Closed Garden
鬼幻城の中は、相変わらず凍りついたかの様に冷えきっていた。リサはその一室で――遠く彼方の戦乱を風の声に聴きながら――暗い蝋燭の灯火の元で、1人跪き、祈っていた。
この騒乱は、その一瞬一瞬が、彼の地で護るべき民の生命が失われ行くその鎮魂歌なのだろうか。天のお父様――慈悲深き光の神よ。彼らに慈しみをお与え下さい。誰ひとり欠ける事なく……というわたしの望みは既に絵空事。机上の空論。それでも、可能な限り、わたしは連れて帰りたいのです。彼らの未来のために。彼らの脆く儚い生命を護るために、お父様、我が同胞の支援を彼らに与えて下さい。失われるその命が出来る限り少なくなるように。悲しむ人々の少ないように。わたしは今彼らの側には居れません――でも彼らを連れて帰りたい。出来るだけ多くの民を。可能な限り、誰ひとり欠ける事なく。そのためにも彼の地で人々を護る者達に幸運をお与え下さい。全力を尽くす彼らに、僅かばかりの幸運を。彼らは支援を受けるべき者達なのですから――これ以上誰も悲しませないで下さい。
リサはふと目を開けた。彼らから離れた自分が彼らのために出来る事はもはや祈る事しか残されていない。彼らはわたしに牙を剥くだろうか――人々を傷つける影の王の許を選んだこのわたしを。帰れないかもしれない――ふと、そんな恐怖が心中を巡った。彼らは必ずこの世界から帰す。わたしはそう誓った。その中には、無論マルコ・バルディアも含まれる。だがしかし――彼を救けられるだろうか? 手を取り合ってわたしは元の世界に帰れるだろうか? そうした時、アダンの者はわたしを受け入れるか? 隊の皆が、わたしを?
そう考えてリサは不吉な考えを払う様に首を振った。姉が待ってる。聖都アダンで。アリシアを取り巻く森を見つめながら、わたしを認める、わたしを愛する姉セレスティアがわたしの帰りを待っている。ファルネーゼ隊の者が再びわたしを受け入れなくても良い。あそこには姉がいるのだ。わたしの愛するセレスティアが。わたしは彼女の所へ帰らなくてはならない。
跪いたまま、リサは再び目を閉じた。
この冥く凍りついた城はマルコ・バルディアの心の中の情景なのかもしれない。誰にも認められない、暗く、慈しむ者すらいない氷の世界。それでは、あまりにも切ない。この世に望まれぬ存在などないのに。望まれてこの世に生を受けた筈なのに。どうして、歯車が狂ってしまったのか。あんなに素敵に兄と笑いあえた時間が彼にはあった筈なのに。時間が――時間が惜しい。彼の魂を救って、彼と共に、早急にここから民を連れて帰らなくてはならないのだ。どうすれば、わたしは彼を救えるだろうか。救い方は分かっているのだ。姉がそうした様に――あなたのここにある事を認めれば良い。でもどうすれば? 愛しいセレスティア。わたしの魂の半身。慈悲深き光の者。あなたがわたしにした様に、彼にもそうするべきなのでしょうか? セレスティア、あなたなら――今ここで、どうやって彼を救いますか?
セレスティアはどんな時でも妹アンジェラを慈しんだ。アンジェラがその凄惨な魂を愉悦で満たすために数多の儚い生命を楽しみながら屠った時にも。その様子に両親がアンジェラを疎んじた時にも、常に妹を認め、慈しみ、そして抱き締めた。決して否定はしなかった。アンジェラの嗜好性は確かに称賛されるものではない。だがその時、アンジェラを責め立てる言葉を延々と連ねる両親に向かって、齢5歳のセレスティアは毅然として彼らに告げた。
「わたくしに彼女を任せて戴けますか。――彼女の嗜好は、その性格は万人に受け入れがたいもの。だからと言ってそれは彼女がこの世に存在してはならないという事ではありません。彼女はわたくしと共にこの世に生を受けました。それは貴方達の望みでもあり、そして天の父の望みでもある。ええ、天のお父様がそう望むのですわ。そうである以上、その是非は貴方達の問題にするべきものではありません。彼女の冷酷さも凄惨かつ残忍な嗜好性も、彼女の強さを支えるもの。その性質に加えて戦いに対する極限にまで高められたその集中力が発揮されるのであれば、彼女は誰よりも強くなります。だからこそ“闇の魔獣”なのですわ。天のお父様はこうお望みです――“闇の魔獣”は自らそう望む守護獣となるか否か、と。わたくし達が彼女を認めるならば、わたくし達は最強の――人々を守護する聖なる冥き獣を手に入れる事になるでしょう」
両親はあまりに逸脱した娘の言動に戸惑いながらも、妹を屋敷から追いやる事を思い留まった。セレスティアは満足げに微笑んだ――そうしてセレスティアはますますアンジェラを慈しんだ。抱き締め、愛しんだ。
とは言え、庭園の生命は奪われゆく――薔薇の園に隠されて、小鳥、子犬、動物達。迷い込んだ哀れな人間達。特にアンジェラは人間に対して容赦が無かった。冷たく見据え、その手にした巨剣で腕を落とし、足を撥ね、転げ回るその胴体を嘲笑と共に嬲って見せた。生命の潰える時には、哀れな犠牲者は文字通り鮮血に染まる只の肉塊へと化していた。そんな時にはセレスティアは泣いた――失われた生命に。そうするとアンジェラは不思議そうな顔を見せながらセレスティアの側へ近寄り、必ず問うた。
「セレスティア、どうして泣くの?」
「失われた生命は、二度と戻る事が無いからよ」
そう答えて、セレスティアはアンジェラを抱き締めた。返り血に塗れた妹を。泣き縋る姉の姿に妹はいつも困惑した様に立ちすくんでいた。慰める様に髪を梳いてみせた。鮮血を吸ったかの様に緋いアンジェラの髪。同じ双子なのに、セレスティアの髪は光を集めたかのように白金に輝く。年を経るにつれてその髪は更に光度を増し――プラチナブロンドへと変化して行く。慈悲深き光の者に相応しいその姿へと変化して行く。
アンジェラにしてみれば、この姉は、自分が受けるべき好意も愛情も一身に受け、誰にでも受け入れられる――それ故に、憎むべき対象ともなりつつあった。だがアンジェラがもうひとつの感情を覚えていたのも確かだった。それでもセレスティアはわたしを慈しむ。誰も受け入れてくれないなかで、姉だけはわたしを認めてくれる――と。どんな時にも「あなたを愛しているわ、アンジェラ」という言葉と共にわたしを抱き締める。ならば、わたしはセレスティアを傷つけはしない。わたしを認めるこの姉を。共に天の父の声を聴く存在を。そう考え、アンジェラはセレスティアを認めつつあった。自分の心の中に、自分を支える、セレスティアという大地を作りつつあったのだ。
そうして、アンジェラは次第に変わりつつあった。10歳を過ぎる頃には、その残忍性も律する様になった。元々理性は強い方であったから――アンジェラの嗜好を万人に見せる必要は無いのだとセレスティアが教え、自らを律する事を教え、アンジェラはそれを実践した。だがその後――アンジェラが人に対して下した評価はセレスティアにとって衝撃を伴うものだったのだ。
「人間など守護するに値しない、滅ぼすべき存在だ」 とアンジェラはセレスティアに告げた。それはほんの些細な出来事に過ぎなかった。彼らに悪気は無かった。だが。契約を――約束を重んじる“闇”の気質をもつアンジェラにはそれは容認しがたい事でもあったのだ。一度得られた悪印象は容易には払拭出来ない。そうして、アンジェラは人間の何もかもを否定してみせた。この世に存在する価値など何もないものだとして。セレスティアはアンジェラの言葉に、泣いて人々を執り成した。アンジェラは獣の瞳で冷たく姉を見据えた。
「あなたは彼らの何を評価出来ると言うのだ? ここに在る価値を示して見せれるのか? 人間共の振り撒く悪しき影響を何で相殺するというのだ?」
セレスティアには返す言葉も無かった。人の立場に立たなければ、あくまで天の父の視点で彼らを見るならば、妹の主張は正しかったからだ。ただ――セレスティアは、自分達が人としてこの世に生を受けたというその事実が、アンジェラの主張を退ける理由になると考えた。天の父は人として人を見つめるべきだと、わたくし達をここへ遣わしたのだと。アンジェラは嘲笑を見せた。それは人間共の言い訳に過ぎないと。セレスティアはアンジェラを抱き締め、泣いて縋った。
「アンジェラ、貴女の言葉は神々の横暴だと――そう考える事もできてよ」
と告げながら。
「人は変わるのよ。小さき幼き者達は――その不完全さ故に、まだ変わるの。成長するのよ。未来へ向かって進むことが出来るの。よりよい未来を目指せるの。彼らが自らそう努力する以上、わたくし達は、まだ彼らを見守っていても良い筈よ。滅ぼすのは簡単なのよ。でもそうすれば――滅んだものは二度と戻って来ないの。そんな事をしたら、彼らの培って来た歴史も、これから望む未来も――何もかも無に帰してしまうわ」
アンジェラの耳元で囁きながら、セレスティアは泣いた。お願い。わたくしは彼らが大切なの、と。その言葉にアンジェラは失望した。――セレスティア、あなたは共に天の父の声を聴くこのわたしよりも、汚辱に満ちた愚劣なる人間共を取るのか、と。セレスティアはその言葉に首を振った。確かに彼らは大切だと。でもわたくしは貴女を愛するのだから――愛する貴女に彼らの事をもう少し解ってもらいたいだけなのだと。
「ええ、そうよ。わたくしは、貴女を愛しているわ。――愛しているのよ。他の誰でもない、貴女を」
そう告げて、セレスティアはアンジェラを抱いた。ベッドへ押し倒し、頬から首筋、そして肩へと口づけながら啄む。アンジェラは驚いた様に抵抗して見せた――だが、次第に大人しくなった。姉の舌と指が与える快美感に溺れつつあったためか、力が抜けたように手足を白いシーツの上に投げ出して、妹は甘い喘ぎを漏らし始める。
上質の真珠の様な、淡紅に染まった絖白い四肢を互いに絡ませ、荒い息と時折漏れる喘ぎのみが支配する静寂の中に、猫が水を飲む時の様な音を響かせながら、セレスティアはその指で、その舌でアンジェラのそこに在る事を確かめる。繰り返し姉が耳元で囁く睦言を耳にしながら、アンジェラは白く掠れゆく意識の中で呆然と考えていた。こうされる事は嫌ではなかった。彼女の言葉も心地よかった。そう、セレスティアはわたしを決して裏切らない。彼女はわたしの大地なのだ――わたしの依って立つ処。愛しい姉。でも、同性でしょう? そして姉妹なのに? わたし達――そう考えたアンジェラの瞳を覗き込んで、セレスティアはその心中を読んだように、慈悲深い微笑みと共に、優しく妹に告げた。
「……姉妹であるだなんて、問題ではないのよ。わたくしは、アンジェラ、貴女を愛しているわ。貴女の魂を。血肉なんて、魂の器にしか過ぎないものよ。わたくし達――姉妹として生まれる以前に、わたくし達自身であった筈だわ。ほんの偶然、姉妹として生を受けたに過ぎないのよ。そしてこの肉体は魂の入れ物にしか過ぎないの。些細な事なの――アンジェラ、わたくしは貴女の魂を。共に天の父の御前に拝する貴女自身を愛しているのよ、解るわね」
アンジェラは安堵した様に微笑んだ。揺るぎない居場所がここに在るのだ。天のお父様の側だけでなく、人の世にもわたしの望まれる処が存在する。アンジェラはセレスティアの背に腕を廻した。
「いい子ね――いい子ね、アンジェラ」
そうして2人は舌を絡ませあう。同じ時に生を受けた、全く同じその肉体は互いに絡み合う中でその狭間も薄れ、互いの快楽は互いのものとなる。そうして意識すら絡ませあう――互いの意識を練り合わせ、ひとつのものになる。共に天の父の身許に在った頃の様に。目前に広がるのは光の園。天上の華麗なる花園。純白の百合と紅の薔薇は互いを求めあい、その甘美なる宴はいつまでも続いた。花月の女神達の微笑みと共に。
(愛しておあげなさい。小さきか弱き人々を)
リサは姉の声が聴こえた様な気がして、ふと面をあげた。そうして、アダンを立つその前夜の事を思い起こした。
それは深夜の事。明かりの落とされた寝室を訪れた妹を、姉は慈悲深き微笑みと共に迎えた。アダンから遠く去るのだと……しばらく戻って来れないだろうとリサが告げた時、姉のリナはそれ以上追求しなかった。ただ、妹のそこに在る事を、いつもの様に確かめて、そうして窓から差し込む月明かりの中、愛しげにリサを抱き締めながらこう言った。
「帰っていらっしゃい。わたくしの処へ。約束ですよ」 リサも微笑みを返すと、姉に告げた。
「ええ。必ず」
そう、姉と約束したのだ。だから必ず帰らなくてはならない。今ならば、恐らく姉はこう言うのだろう。(帰っていらっしゃい。彼を連れて、必ずね)
わたし達は魂の半身だと彼女は言った。だが、それと共に――人と共に歩む、その存在を見つけなさいな、とも彼女は言った。目の前で救けを求める小さき幼子は、わたしと共に歩む者となれるだろうか?
(わたしは、彼らを愛する事の許される存在になり得るのか、セレスティア?)
(それを決めるのは、貴女自身なのよ、アンジェラ)
……そう、決めるのは、わたし自身なのだ。
リサは静かに立ち上がった。
わたしは、わたしの信じる途を。わたしの求める未来の為に、その実現の為に、進もう。
そして、リサは部屋を後にした。