第参楽章:Ruin Duo(9:43)




薄暗い、光量を絞った狭い道。
ヴァイスがいるのは牽引用のワイヤーから貨物室、そして艦橋へと渡る道の途中だ。
迷いもなく、まっすぐ進んでいく。
しかし、担がれたフェシアの体には振動はほとんどなく、翼が壁に触れないように気遣っていた。
鋼がむき出しの廊下を歩いていても、ほとんど足音をさせない。
達人級の体重移動、体捌きであった。
だが、それでも微かな衝撃は来るのだろう。
「う…ぅん…」
フェシアが目を覚まそうとしていた。
立ち止まり、それを見るヴァイス。
戦闘中とは違いその瞳は、優しさを多分に含んでいた。
「……すぅ…」
「呑気なものだぜ…自分で無理矢理眠らせといて何だがな…」
再び眠り直すフェシアを見て、そう呟き苦笑。
再び歩き出せば、すぐに行き止まりになる。
が、それは違う。
微かな排気音とともに壁が右に向かってスライド、目の前には、狭いが廊下よりは広い空間が広がる。
艦橋だ。
「兄貴、お帰りな…っと」
小柄が、言おうとしてやめる。
眠っているフェシアを見たからだ。
「…かわいいッスねぇ…」
大柄が小声で呟く。
さり気に鼻の下を伸ばしている。
「…ルーク……触れて見ろ。さわった瞬間頭と体が即日離婚、慰謝料無しだ。」
大柄――ルークはヴァイスの殺気に気圧されて後じさる。
しかし、狭い艦橋だ。すぐに逃げ場はなくなる。
「じ、冗談ッスよ…」
「けけけ、くだらない事言うからだぜ…」
「うるさいぞ、ポゥン。」
ヴァイスにしかられた小柄の方はポゥンという名前らしかった。
そういいながらヴァイスは、火器官制席の隣の予備シートにフェシアを座らせ、そのまま自分も定位置に座る。。
これは、背もたれが腰までの有翼人ウィンディル用の椅子だ。
しかし、フェシアの翼が重く後ろに倒れてしまう。
苦笑しながらヴァイスはフェシアの体を前屈みにしてやった。
翼が上に来る形になる。
十枚の大翼が艦橋内に広がり、一気に狭くなった気がした。
実際、狭くなった。
「それにしても、かわいいっスねぇ…」
「当たり前だ…俺の幼なじみだからな。」
胸を反らすヴァイスを横目に、ルークが顔を近づけた。
近づけた瞬間。
「…ぅむ…」
フェシアが目を覚ました。




その男…老人は、科学者だった。
俗に言う、マッドサイエンティストという奴だった。
己の目的のためなら何でもやった。
規律違反、命令無視、そして時には人体実験。
彼の発明は常軌を逸していた。
しかし、常軌を逸しているからこそ他の誰にも考えつかない発明を多々生み出していたのも事実だった。
その発明の数々は強力にして凶悪。
その能力が、軍が彼を狂人として排除しない唯一の理由だった。
何時の時代も、軍は力を欲するものだ。
もう一つ、彼を語る上で必要不可欠なことがあった。
彼は、飛空艦マニアだったのだ。
彼は科学将官でありながらラグール空軍大佐の地位を持っていた。
その知性から来る指揮能力と、奇抜な作戦が彼をその地位まで押し上げたのである。
己の設計した飛空戦艦に乗り込み、その凶悪な兵器で敵を屠る。
その非情な作戦行動は、畏怖の念を集めていた。
彼は現在、ガンレイ小将率いる第七航空師団に属していた。
霊峰アカーニァの付近に駐屯する部隊である。
彼に出撃命令が下る。
目的は、新型飛空艦を強奪した賊の捕縛。
だが、彼の脳裏は瞬時にして違う指令に置き換える。
賊の抹殺、そして新型艦の隠匿。
彼の名前はキグレフ。
マッドサイエンティストであった。




「ひゃうぅぅ〜〜〜っ!?」
フェシアは悲鳴とともに目覚めた。
むろん、理由が有ってのことである。
目覚めた瞬間、知らない人のごっつくて暑臭い顔があったら誰でも叫んでしまうであろう。
椅子からはね起き、飛びずさろうとするが、
「きゃっ!?」
後頭部と羽を壁にぶつけてうずくまる。
「…大丈夫か…フェシア…?」
ヴァイスが心配そうに声をかけた。
頭と背中を押さえながら応えるフェシア。
答えは聞かずとも判っていた。
「ぃ痛いです〜」
半泣き声だった。
いや、泣いていた。
「…」
無言で、ヴァイスがルークの方を向く。
殺気が艦橋を満たした。
「あ、あの、兄貴っ!?俺はなにもっ、そのっ、あのっ」
「…泣かせたな…?」
「ひぃぃぃっ!?」
ヴァイスの目から殺気が放射される。
それに当てられルークが震えだした。
それを横目に見ながらポゥンがため息。
それに対して無慈悲な一言が放たれる。
「…帰ったら、私刑リンチな。」
「ぎぇぇぇぇっ!」
この世の終末を予見したような、断末魔にも似た叫びだった。
しかし、それを遮る声がある。
「――兄さん、何でそんなこと言うんですか?」
まだ目尻に少し涙を溜めたまま、フェシアが強い瞳でそこにたっていた。
「…大丈夫か?おまえ。」
「私なら大丈夫です。話を逸らさないでください。」
ヴァイスは、ばつが悪そうに目をそらして頭をかく。
それを見て、フェシアの表情が和らいだ。
「兄さん、その癖、変わってませんね。」
「ん?…ああ、そうだな。――いつもおまえに叱られててな。」
それを聞いてルークとポゥンが驚きの声を上げる。
「ええっ!?兄貴を叱ってたんですかい?」
「そいつぁおどろきですぜ」
「ええ、そうなんですよ…兄さんはいつも悪戯をしてて…って」
フェシアの顔が難しくなる。
数瞬の沈黙の後、
「ここ、どこですか?あなた達、誰ですか!?」
自分の状況にやっと気づいたようだった。
すぐに後ろに飛びずさり、指で印をくもうとして―――
「ひゃぅっ!?」
―――また壁に後頭部と翼をぶつけてうずくまった。
「ぃ痛〜い…」
それを見てヴァイスは苦笑。
「…昔から思ってたんだが…おまえ、学習能力あるか…?」
ひどいです…と、翼をさすりながら立ち上がるフェシア。
「ここは、俺の船。名前はないから、『名無し』ナインネームっていう名前の船だ。」
といいながら、ルークとポゥンを指さす。
「こいつらは、でかい方がルーク。ちんまい方がポゥン。ルークは操縦、ポゥンは主に索敵と通常兵器操作だ。」
笑いながら一言付け加える。
「チョビとデカで覚えてオッケーだ。」
ひでぇっス!と声があがるが、怒りは混じらず楽しげだ。
「それは判りましたけど…私を、御山アカーニァに帰してくれませんか?…やらなければならない事があるんですけ」
「駄目だな。」
ヴァイスの言葉が突然、硬質なものに変わった。
それにうろたえつつも、フェシアは言葉を続ける。
「ど、どうしてですか?みんなのために、私にはやらなければならない事があるんです。」
「やらなければならない事ねぇ…」
ヴァイスは目線をフェシアから外して、瞼を閉じる。
「やらなければならない事、か。…それは全てフェシアが決めたことか?そうじゃないだろう?確かに、やろうと思ったのはおまえだ。」
そこで再び向き直り、フェシアの瞳を見つめる。
その瞳が、なぜか悲しいものだとフェシアは感じた。
「でも、それだけで決めるにはフェルフィシア、おまえは経験が少なすぎる。」
「けっ、経験が少ないって…」
一瞬、フェシアは妙なことを考えてしまう。それを振り払おうと頭をぶんぶん振った。
「…また君は変なこと考えてるんじゃないだろうなぁ…?」
「そ、そんなことないですっ!」
「そうか?じゃあ君は世界の何を知っている?世界情勢じゃない。ラグール以外の国の人の考え方、生活、そして思い。」
「…で、でも、私はずっとラグンギオーネの神殿で修行を」
「だからだ。修行三昧で世間のせの字も知らない君には、他の可能性、選択肢が見えてない。」
「…?他の、選択肢?」
「それが何かは俺にもわからん。しかし、他の道があるのにそれが見えないなんて損だと思わないか…?だけど、まだ時間はある。俺につきあってほしい時間は最高たった1週間だ。」
それから、何をしたいか考えると良い。
そういって、ヴァイスは再び目を閉じる。
フェシアも黙ったまま、艦橋内に気まずい空気が満ちた。
それをうち破る甲高い警告音と声が、ポゥンから発せられる。
「―――何!?兄貴…!やべぇぞ囲まれちまってる!」




第七航空師団第二大隊の旗艦である『黙示録』アポカリプス戦闘艦橋バトルブリッジでは狂った叫び声があげられていた。
「ヒョ〜〜〜ッヒョッヒョッヒョ」
乱れた白髪にのばし放題の髭。落ちくぼんだ目。
しかしその瞳だけは異常ともいえる輝きを放っていた。
キグレフである。
その目は正面モニターに映るくさび形の赤黒い飛空艦に向けられている。
ノイズは多少混じってはいるが光学観測が可能な距離に達しているということだ。
「やっと見つけたぞい、ネズミめが。」
にやり、とどこか爬虫類じみたいやらしい笑いがその顔に浮かぶ。。
「全艦、戦闘配備じゃ!先行させた部隊と挟み撃ちを仕掛けるぞい!全艦、戦闘機、騎装艦リッターシッフェ射出開始じゃ!」
副官がそれを復唱、大隊の全ての艦に命令が告げられた。
「生け捕りにするんじゃ!撃ち落としたものには容赦せんからのぅ」
無茶なことを言う、と、副官は仕方なく復唱。
彼は、この男についていくことで地位を上げてきた人物である。
キグレフに逆らうことは許されない。
そのキグレフは誰にともなく呟いた。
「もうすぐじゃ…もうすぐワシの手にあれが…」
けけけ、と笑うキグレフを横目に、副官は思う。
何か、自分は道を踏み外してしまったのではないかと。




「!?囲まれてる!気がつかなかったのかよ!」
「すいません…!相手のジャミングが巧妙すぎて…」
「この付近って言うと…第七師団か?砲撃兵器、法撃心球ギアボルツハートに出力3割回せ!格闘戦用意!」
「進路、このままでいいッスか?」
「…北東方向に7°修正。迂回する形で合流する。主翼畳め!亜音速飛行にはいる。」
「「了解!」」
あわただしくなった艦橋の中でフェシアが手持ちぶさたにあたふたオロオロしている。
「あ、あの、私に何かできることはないでしょうか…?」
「無い…って訳じゃない。」
そういって、ヴァイスは笑う。
「そこに座っててくれ。」
脇のシートを指さす。
「おまえは、俺が絶対に守ってやるからな。」
言い切って、前を向く。
昔と同じ表情で同じ事を言うヴァイスの言葉を信じ、フェシアはおとなしく指定された席に座った。
しかし、そこに一つ矛盾を思い出す。
自分の思いと、彼の思いの食い違いを。
それが生み出すであろう、あることを。
「あ、あの、兄さん。ちょっと話したいことがあるんですけど」
「ん、ちょっと後にしてくれ…」
「距離10000!長距離砲の射程に入ります!」
「回避行動準備!」
「敵…12時…4時…6時…10時……音紋照合…主構成艦は『龍牙』ギドラーイーゲル級!展開されてると思われる艦載機の数、大隊クラスの規模です!」
それを聞いて、ヴァイスの口元だけが笑みの形にゆがむ。
それは、辛いときに見せる顔だと、フェシアは知っていた。
「ったく…旧型の騎装艦たった一席相手に大隊クラスとは…俺も有名になったものだねぇ」
「距離8000!」
「よっしゃ!始めるか!正面突破!11時から1時まで、5時から7時まで各方向空対空時限・近接信管溜弾4づつ!」
一息つく。
フェシアはその隣で、これから自分が恐れていたことが実現してしまう予感に震えていた。
それに、ヴァイスは気づかない。
「時間差!1・2・3・4…ってえぃ!」
腹に響くような重い音とともに前部と後部、重なった振動が4回続く。
しばらく後、遠くで爆発音が聞こえた。
それに重なるように、フェシアの耳に怨嗟の声が聞こえる。
フェシアにしか聞こえない声だ。
それに反応して、フェシアの体が大きく震える。
「……!」
「…反応、前部3機命中しました!後部は、牽制くらいにしかなってません!」
「よし、腕部展開準備。衝撃中和呪章、展開!」
――騎装艦の最もたる特徴、それは格闘戦用の腕部があることである。
大型艦の分厚い防護呪章壁を破るには、火力の低い小型艦では不可能とされてきた。
仮に、大型の兵器や障壁破砕装を搭載したとしても小型艦の空中戦の肝である高速移動ができないため、大型艦を持たない部隊ではそれを持つ部隊と戦うことは不可能だった。
しかし、「大戦」時のとある一戦で、一人の男が高速飛空艦に魔綱機ウィザードの腕部を取り付けて大型艦に特攻したのである。
魔綱機の腕部に取り付けられた大型の剣は高速飛行の慣性もあり易々と壁を突き抜け、大型艦を輪切りにしたのだ。
それまでは飛空艦での格闘戦など考えられるはずもなく、このことは空中戦に大きな波紋を投げかけたのであった。
現在では、かさばる大剣の代わりに簡易呪法の発動器である法撃心球による仮想光剣エアリアルブレイドを展開する事でそれの代わりとしている。
「いくぜ!」
"名無し"が慣性中和の入っている艦橋内にも判るほどの加速をかけた。
大気を斬り割って"名無し"は空を走る。
相対速度もあり、先行している部隊と高速で接触する。
"名無し"が最初の敵艦と交差する瞬間、一瞬だけ光が煌めいた。
刹那。
中心線から斜めに二つに分かたれた敵艦が、眼下の雲へと落ちていく。
一瞬だけ炎の色を見せながら、雲海を砕くように沈んでいった。
「このまま正面突破する!」
「了解!」
男たちの威勢の良い声はフェシアには聞こえない。
彼女の耳には今し方死んでいった者たちの声が聞こえてくる。
アツイ――クルシイ――ナンデオレガ――シニタクナイ―――――
「ぃやぁ…」
耳をふさぐ。しかし、無駄。
その声は感情という映像を伴った感覚としてフェシアを襲う。
その間にも「名無し」は敵の第二波と接触しようとする。
実弾、法弾ドライヴシェル織り交ぜての弾幕を二、三被弾しながらも切り抜け、接近。
「これでも喰らえっ――!」
ヴァイスが手元の操縦桿を動かそうとする。
しかし、それは果たされなかった。
フェシアが突然組み付いたのである。
そのおかげで「名無し」の右腕部が妙な方向に曲がる。鈍い振動と共に損失を意味する赤い文章がモニターに灯った。
右舷を猛スピードで敵艦が通りすぎ、その衝撃波でまた艦が少し揺らいだ。
「なッ―――何するんだ!?」
「やめて…やめて下さい!殺し合うなんて、馬鹿げてます!」
フェシアの声は必死だ。
それは、あの声が聞こえるせいではない。あの声を理解できてしまう故だ。
神格司祭としての素質は有翼人にあるまじき高度の精神感応力として現れる。
「なんで…なんで戦わなくちゃいけないんですか?もっと、話し合うとか、できないんですか?」
「通じる相手だと思うか!?第一、ヤツらは君を取り戻しに来てるんだ。だが俺は君をヤツらに渡したくない。ヤツらは、君を籠の中に閉じこめるだけだからな。」
「…でも、戦わずに、誰も傷つけないようにすることはできないんですか?」
ヴァイスはふぅ、と腹立たしげにため息をつき、前を見る。
モニターには結界術で自分たちを捕縛しようと大型艦が四機編隊を組んでいる。
それを迂回、回避するように指示を飛ばしてからフェシアの方に向き直る。
「そんな方法があるんだったら今すぐ、この場で、俺に見せて見ろ。それが君の決断ならな。俺に見えてない可能性を、見つけることができるか?俺に教えてくれるのか?」
静かな口調だが、言いようのない威圧感に押され、フェシアは少し後ろに下がる。
しかし、彼女の中にすでに答えはある。彼女にとって、とても、簡単だが決意の要る答だ。
「…判りました。甲板に――外に、、私を出してください。」




「けひょひょ…なかなかやりよるのぅ…」
艦橋で敵艦の機動軌跡を眺めていたキグレフはその巧みな操縦技術に感心した。
きけば、旧型艦を改修したモノらしいがその機動力は一見制式艦に勝るとも劣らない。
「脳味噌を解析したいモノじゃて…」
物騒なことを言いながら笑う彼の目は、光学モニターの方へと移る。
そこには、先ほどの奇妙な動きのせいで右腕を失った機体が弾幕の中を突き進んでいる様子が映し出されていた。
何カ所もかすったように被弾しているがまだ煙はあげていない。
その中、唐突に上部甲板に人影が見えた。
衝撃波を中和する結界の中とはいえ猛風吹き荒れる中、確かに翼を持った人影が見える。
「…なんじゃ?あれは。」
副官に指示し、拡大させる。
「あれは…今回の最優先保護ターゲットのフェルフィシア・リテルガルド・ハウエンシヴァン神格司祭ですね…」
「神格司祭?」
聞き慣れない単語にキグレフは首を傾げる。
「どうやら、クリュシィースの最高位神官だとか。」
「なんじゃ、彼奴らの神官か…」
キグレフは有翼人が嫌いであると共に興味を持っていた。
己たちだけの閉鎖的な習慣を持ち、妙に偉そうにしているのが嫌いだった。
もちろん、それはキグレフの思いこみではあるが、そんな彼らの肉体に、メスを入れてみたい。
この世界に生きる種族の中で唯一翼を持つ彼らの体を、自分の思うように解剖して改造したい、という思いを常々思っていた。
その少女は今、祭儀服のようなモノを身にまとい、十枚ある翼と長い銀髪を風になびかせている。
黒い艦体に白い姿が映える
なにか、伝声管に向かって喋っているようであった。
そのとき、唐突に一発の法弾が黒い艦へと向かう。
直撃コースだった。
しかし、それは命中することはない。
唐突に、光が走った。




『…一体…どうするつもりだ?結界術に囲まれてるんだぞ?』
伝声管から伝わるヴァイスの声は少しくぐもっている。
たなびく風の音にかき消されそうで、集中しなければ聞き逃してしまうほどだ。。
吹き荒れる風の中、必死にそれを聞き取ったフェシアはただ、一言告げる。
「真っ直ぐ速く、誰にも当たらないように突っ切ってください。あと、通信は完全に切ってください。…もしかしたら聞こえるかもしれませんが。」
『…聞こえる?』
「なんでもないです。」
『…判った。』
話は終わり、フェシアは前を見る。
風を切る艦首の前に、艦体が見える。
捕縛用の広範囲呪法が球状に展開されているのが判った。
「きっと…これなら」
一回、ゆっくりと瞬く。
…誰かが傷つくなら、私だけで良いです。
詠唱を始める。
流れるように、緩やかに。
それは、ただ声を出すだけの、歌とはいえない歌。。
歌詞もなく、原始的な、しかしそれ故力強い音が広がる。
それは物質や空間というモノを無視し、際限なく広がっていく。
そんな中、一発の法弾が直撃コースで迫る。
フェシアは一際強く、詠った。
瞬間、前に突き出した手から光が走る。
それは知覚不可能な早さで艦首部分へとたどり着き、はじけた。
弾けた光は傘状の防壁となって艦を守る。
法弾は、それに当たって書き込まれた己の使命である火炎を吹き上げながら消え去った。
フェシアの顔が苦痛にゆがむ。腕に、針でつつかれたような痛みを感じたから。
極微少の痛みだが、痛みというものはそれだけで意識の一部を支配する。
結界は決して壁ではない。
衝撃を分散させるだけでそれを受け止めるのは最終的には術者である。
艦のスピードが上がる。
フェシアの結界術が弾幕をことごとく弾き散らし火花をあげていく中、眼前に捕縛術の網が壁のように迫る。
一際高く、歌い上げる。
少しの憤りと、これ以上自分の周りで死人が出ないようにする想い、そして自分でもよくわからない一種の切なさを込めて。
くらりとした謎の感覚に負けないように。
結界の形を、鋭角的に変形。鋭い円錐形、貫く形に。
衝突。
捕縛術が一瞬たわみ、しかしそれは耐えきれずに波紋のように破れる。
網が打ち消されると同時にフェシアの両腕が文字通り爆ぜた。
「っぅァ…ッ!!」
悲鳴にならない悲鳴を上げる。
だが、ここで気を失ってはいけない。
安全なところまで、せめて結界を保たせなければいけない。
その想いが、彼女の意識を保つ。
悲鳴が出そうになるのを堪えて、フェシアは詠い続けた。
痛みのため流れ出した涙が、痛みを堪えて突き出し続ける両腕の血と共に空に、流れた。




キグレフは、艦橋の中その光景を呆然と眺めていた。
大型艦すら捕らえる捕縛結界である。
それをたやすくうち破られたのだ。
戦域から高速で離脱していく艦影を眺めるその表情は、すぐに笑みへと変わる。
狂喜の笑みへと。  
 

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