第伍楽章:The Capriccio -From Ogre Lament-(09:53)




フェシアと件の蜥蜴人は窓際の道を歩いていた。
長身で緑の鱗と小柄だが大きな5対の白翼を持った少女の二色が通路を占領する。
蜥蜴人リザートネスの名はツィ・ツィ・ロンヌンギィア。この船の機関室長を務めている。
なお、「ツィ・ツィ」とは蜥蜴人の言葉で「匠」を意味する。
機関室長に、ふさわしい名であった。
「艦橋に行って部屋データの検索をしてここまで来るのに1時間か…えらく時間がかかったな。」
とてつもなく疲れたように―――実際疲れているのだろう。主に精神的に。
「いえ、本当にありがとうございました。」
こちらも疲れを濃く――肉体的に――出しているフェシアが礼を言う。
いや、別にいーよ、と気のない返事をするロンヌンギィア。この一時間でフェシア相手に精神的にかなり参っていることは確かである。
…やっぱり、迷惑だったでしょうか。
そう思い当たる内容は2つ。
ひとつは、艦橋でヴァイスを呼び出して案内させようとしたのを断ったこと。
先ほどあんな話をして分かれて、今あっても暗い表情をするだけだとフェシアは思った。
…まだ、疑問も解けていませんしね。
もう一つは、ここまでの案内をロンヌンギィアに頼んだことだ。
少しも話したことがない相手に案内されるよりも、少しでもお互いのことを知っている相手の方が良い。
…この人、見かけは怖いですけれどいい人です。
そんなわけで、ロンヌンギィアとフェシアは窓際の長い廊下を歩いていた。
廊下の電気は隠密のため点灯されていなく、窓の外は暗い。
天障海越しに瞬く数多の星の光が見えた。
その光景にフェシアは思わず足を止める。
「どうしたい、嬢ちゃん。」
「いえ、少し。」
そう言って、窓の外を見る。雲の大地と、天障海に挟まれた空間。
星々の多さに、思わず先ほどの光景を思い出す。
―――機関室の、光景。
…あの人達は、どうして彼処にいるんでしょうか。
ヴァイスの言う、見えるだけ見える道の中から自分で選んだ道なのか。
それとも、強制的に減らされたなかで仕方なく選んだ道なのか。
少なくとも、仕方なく選んだわけではないとフェシアは想像する。
儀式的な作業といっても、そこに退廃感はない。あるのは、暖かい空間。
町の神殿にいたときに、みんなで気に入った歌を歌っていたときと、似た感覚だとフェシアは思う。
いま、与えられた条件の中で何故選ばせてくれないのか。
「何故でしょう…」
「何がだ?」
聞こえていたのか、ロンヌンギィアが答える。
フェシアは一瞬逡巡。だから逡巡するくらいなら問うことにした。
「悪条件、好条件、与えられた条件の中で選ぶことが、どうしていけないんでしょうか?」
抽象的な質問。話の主題が判らない。
彼女はそのことに気付いて質問を取り下げようとする。その前に。
「そりゃあ、簡単だな。」
「―――え?」
フェシアは思わずロンヌンギィアの方に振り向く。
「だってな。俺も、俺の部下達も、望んでこの道を選んだわけじゃない。でも、あいつらの表情に後悔なんて言葉が似合いそうか?」
彼の表情は、ひどく穏やかだった。
…それは―――
フェシアの思考は続かない。
それを遮る物があるからだ。




警報音とともに艦内放送が響く。
『あー、艦長兼ウグイス嬢のセティだ。そこ、笑うな。2時方向に機影確認。機種は不明。個数:大型騎装艦リッターシッフェ1・敵味方識別信号赤。超高速接近中。後30秒で接敵予定。総員、第一種戦闘配置につけ。これは演習ではない。戦争である。とか言ったりなんかして。繰り返す―――』

「―――!?」
フェシアが疑問の声を挙げると同時に、窓に対衝撃シャッターがかかる。
通路が赤く照らされ、警報の音と重なって緊張感を醸し出す。
再び、戦闘が開始される―――




艦橋の中は緊張、というひとつの空気に支配されていた。
名無しの艦橋とは比べほどにならないほど広く、同じように薄暗い艦橋の上方、艦長席に座ったセティとその傍らに立つヴァイスがいた。
セティの目は「青」を中心として周囲の物体が投影される3Dディスプレイを強く睨みつけていた。
各種兵装の攻撃範囲、結界障壁の動作範囲とは別に、「青」の右手側、高速に接近する影がひとつある。
その影はぼやけていた。
敵だ。
ぼやけているのはジャミング能力が強力すぎるためだ。
大型の騎装艦に小型の強行偵察機以上のステルス能力。
これが何を意味しているのか。
「…右舷砲座…自律斉射。目標の安否を確認する前に結界障壁をはれ。」
セティが指示を飛ばし、オペレーターの一人が手元の機械を操作する。
半秒後。
洸!
甲高い音ともに光の飛沫がはじける。
同時に、ディスプレイに8本の太い光の筋と16本の細い光の筋が数瞬だけ現れて、消える。
光使砲ストラーレンカノーネとその減衰版の副使砲クルツカノーネだ。光の前進するという使名をエーテルに強調して書き込んだ対艦用遠距兵器である。
「結界障壁展か―――!」
オペレーターが報告を終える前にそれはやってきた。
衝撃に800Mという巨体が微かに震える。障壁に何か大質量がぶつかったのだ。
「被害状況確認!」
「損害皆無…敵艦、光学観測、出ました!」
艦橋にいる全員から見える、大型のディスプレイにその姿が映し出される。
「…なんだこりゃぁ……」
誰かがそう呟く。無理もないだろう。
それは、空を飛ぶにはあまりにも奇異な形状をしていた。
宵闇の中、月光に映える真っ赤なボディ。
ラグール空軍所属のマーキング以外、識別番号も何も書かれていない。
艦の前部。巨大な縦長のコンテナを片翼三つ、計六個抱えている。
空気抵抗など考えてもいない。
まるでシュモクザメの頭部を肥大化させたような形状。
艦の後部。むき出しになった機関部。
それは、この「青」に使われているのとほぼ同サイズの聖霊石ルフトクリスタル
サーチライトを避けるように、ジェットも何も噴出せずに飛んでいる。
「こいつは―――」
セティが呟こうとした瞬間。敵艦が行動を起こした。
上中下、と、取りつけられているコンテナの内、中の二つが開く。
中から現れたのは紛れもなく―――
「―――騎装艦か!」
そのまま敵艦は抗風結界を張りながら障壁へと突っ込んでいく。
ものすごいスピード。
迎撃はできない。壁の中で銃を撃っても自分を守る壁に当たって届かないのと同じだ。
だが、いくら騎装艦、大型艦といっても騎装艦そのものの大きさはさほど大きくない。せいぜい50M級が良いところだろう。
「青」とは質量差が圧倒的に違う。
障壁を破れる物ではない。このままでは障壁にぶつかって墜落するだけだ。
しかし、その常識を変えようとする動きがある。
激突する瞬間、コンテナの内側から現れた両腕に光が点る。
暗い、光だ。
それを見たセティが顔色を変える。
「…障壁破砕式バリアブレイカー!?」
障壁の前で一気に速度を落とし、敵機がそれに比例するように強く光る様になった拳を振り上げる。
「迎撃準備っ!ヴァイス、お前も「名無し」ナインネームで出撃しろっ!」
叫んだ刹那。
絶対防御を誇る結界障壁が一瞬だけ音もなく消え去った。
その一瞬で充分。
直後。敵艦は「青」の側面の死角に一瞬でとりつき、何かを探るようにホバリング。
「ちぃっ!」
「おいっ大丈夫か!?」
「おぬしは早く行け!死角に入られたら迎撃できぬ!」
一瞬ためらいながらも、黒い翼を持った青年は艦橋を飛び出していく。
その後ろ姿を見ることなく、
「何を探している…まさか!」
捜し物。そんな物はこの船にはひとつしかない。
騎装艦が止まり、拳を振るう。
一撃!
艦全体に衝撃が走る。攻撃を受けた箇所がディスプレイに即座に表示される。
「名無し」の方に向かったヴァイスには見えていない情報。
フェシアの、部屋の近くの、通路だ。
これまで、たった、1分ばかしの出来事である。




「嬢ちゃん!危ね―――」
ロンヌンギィアに突き飛ばされかけて、気がついたときにはそれとは別の衝撃に吹き飛ばされていた。
背中と、翼をしたたかに打ち付けるが、痛みが気絶を許さない。
目を開けながら呟く。
「これは―――」
なにが、という前に目に現状が飛び込んでくる。
壁から、巨大な拳が生えている。
名無しの物よりも更に洗練され、緩やかさと直線を組み合わせた複合装甲。
貫くための衝角ラム
そして法撃心球ギアボルツハートをそなえたそれは、空に面している壁から生えて内壁へと浅く突き刺さっている。
ロンヌンギィアが突き飛ばしてくれなかったら、、死んでいた。
その恐怖による緊張感で痛みを感じなくなっていく。
周りを見回す。瓦礫に埋もれるようにしてロンヌンギィアがいた。
幸い息はしているようだ。
目立った外傷はなく、どうやらショックで気絶しているだけのようである。
…さすが、純蜥蜴人ですね。
極度の緊張から、気持ちの悪い汗が体中から噴き出していく。
それはまず、肌寒さを感じさせた。
壁から、高空との気圧差によって空気が一気に吐き出されていく。
急速に冷えていく気温と、馴染みの深い酸素濃度になっていく。
元来高原民族の有翼人ウィンディルだ。細胞一つ一つが酸素を求めて活性化する。
それを感じて一瞬身震い。立ち上がった瞬間。
壁に開いた穴から思いもよらぬ顔が入ってきた。
それは、ただ一人の肉親でもある―――
「ワル…ター?」
ワルターは鋼の音を立てて床に降り立つ。廊下の建材とは違った、重金属の重なる重い音。
その印象はあまりにも変わっていた。なぜならば。
「その、身体は…」
ワルターは無言。その代わりに、手足を動かしてみる。
両手、両足が義体に変わっている。特に特徴は見受けられないが、実用性を突き詰めたようなスマートな義四肢ルーゲグリーダー
そう。スマートに見えるのにその義四肢は力に満ちている様に見える。
黒く、飾り気のない服装。
ラグ−ル軍の将校服ではない。かといって、戦闘兵服でもない。
特殊戦闘用の、衝撃反射装甲服ASRSという物があるということを、フェシアは知らない。
そして何よりも印象を変化させていたのはその背中。
ワルターを象徴するとでも言うべき、四枚の翼。
有翼人の証でもある翼が、無くなっている。
その代わりに、太く長いコンテナに似たような物が四本、羽のあるべき位置から生えていた。
「力だよ。」
ワルターは呟く様に言う。
「ここに来るための、力だ。」
「そんな…ワルター、あなた、一体自分がどういうことをしたのか―――」
「判ってる。」
呻くように呟く。警報機の音がうるさく、さもすれば聞き逃してしまいそうな声。
「でも、これしかない。これしかなかったんだから。」
「でも、翼を…翼を義体化グリーデライズするなんて、許されるはずがありません…」
「許されなくてもかまわない!」
振り払うように叫ぶワルター。
「とにかく…帰ろう、姉さん。全ては、それからだ。」
そう言って手をさしのべてくる。鉄の、冷たい手のひらを。
その表情は焦りや悲しみを含んでいても、悪意は感じられない。
その時唐突に、フェシアは一つの想像を見つけてしまった。
…ここに来るために、力を欲した…?
つまり。
…私の所まで来るために…?
予想はすぐに確信と名を変える。
自分のせいで実の弟が神への冒涜を行ってしまったと言うこと。
自分のせいで。
そのことが重くのしかかる。しかし。
…だからこそ、ここで帰ることはできません。
「今帰ると言うことは、他の選択肢を見つけることを諦めるのと一緒です。」
呟き、一瞬迷って、しかし、強いまなざしでワルターを見つめ返すフェシア。
迷いはない。
「嫌です。」
「…ねぇさん。」
ワルターは、はぁ、と昔のまま、困った性格の姉を見上げるような表情で、苦笑しながら言い返す。
「我が儘を言わないでくれ。ねぇさんを待っている人が何人もいるんだ。」
…それでも。
「それでも、帰れません…!まだ。まだ、答が出てませんから。」
決別の言葉は一瞬。
フェシアの硬い表情を見たワルターの表情が戸惑いへと変わる。
だがそれはすぐに冷たい眼差しに。
「なるほど…ヴァイスが…彼奴が何かねぇさんに吹き込んだんだな…!!」
「ちがう、ちがうの。ワルター。きっと、必ず御山には帰ります!でも、今は駄目なんです…」
「いや、ねぇさんは騙されやすいからね…さぁ、来るんだ!」
フェシアの手を掴もうと迫ってくる鋼の拳。
先日久しぶりにあった、弟のワルターの、しかし知らない義腕に、フェシアは確かに恐怖を感じた。
何か、知らないモノが自分を握りつぶそうとしているように見えて。
「ひ―――」
「―――おぅ、若いの。強引な男は嫌われるぜ」
「ぐぅ―――っ!」
打撃音。唐突にワルターが遠ざかって、騎装艦の拳にたたきつけられる。
ずり落ちていくワルターを睨め付ける強力な視線。
この世界の人間の中で個体能力では最高といわれる純蜥蜴人が、そこにいた。
「あー、なんぞ、息がしにくいなぁ…」
と呟きながら拳を軽く振っているその人物の名を、フェシアは呟く。
「ロンヌン、ギィアさん…」
「おっと、嬢ちゃん。間を開けちゃいけねぇ。一続きでロンヌンギィア、だ。言ったろ?ほら、いってみな。」
「ロンヌンギィア…」
律儀に言い直したフェシアに上出来だ、とにやりとした笑みをフェシアに向けた後、再びワルターを睨みつける。
ワルターはすでに立ち上がっていた。
「―――っ!」
フェシアには判る。ワルターの身体からすさまじい怒気と殺気が立ち上っている。
物理的に感じられるほど濃く、暗い、憎悪の念だ。
「貴様…」
「あの、ロンヌンギィアさん…」
「ちょっと黙っててくれねぇか?嬢ちゃん。」
こいつにちょっと言いたいことがあるんでな。そう言って構えを取る。
両の拳を腰で構え、力の限りたたきつける。そういう構えだ。
「さっきから聞いてりゃ嬢ちゃんの言うことに聞く耳も持たずに…ホントにキンタマ着いてるのか?おめぇ。」
「貴様のような畜生にねぇさんの何が判る…」
「少なくとも、おめぇよりは嬢ちゃんの話を聞いてやれるぜ?」
「フン…戯れ言を。」
「そうさな…まぁ、俺なんかよりも。」
そういって苦笑。親しい者のことを思うときの表情だと判る。
「ヴァイスの小僧の方が俺なんかよりも遙かにこいつのことを判ってるしな。」
「その名を言うな――――!!」
ワルターが殴りかかる。義腕、つまりは機械の動きでもって直線的な、しかし高速の拳だ。
「あめぇよ!」
そういって同じように拳を叩きつけるロンヌンギィア。
純蜥蜴人と有翼人という、純粋な体格差以上に力の差が出た。
「ぐっ!」
再び吹き飛ばされるワルター。しかし、何とか持ちこたえる。
「おらぁ!」
再び砲弾のような一撃。だが。
「その程度か…!」
「―――なっ!?」
ワルターは左手で顔を押さえながら、右手一本でロンヌンギィアの拳を受け止めている。
圧倒的な質量差を、義腕の力でもってむりやり押さえ込んでいる。
指の隙間から見えるワルターの左目…恐らくは義眼が薄紅く光っている。
「―――甘いのは貴様だっ!」
「…!?ワルターっ!?駄目――――――」
制止の声も届けばこそ。
刹那。
それを呆然と見つめるフェシアの頬に、血飛沫が二、三滴とんだ。
これだけは他の種族と変わらない、赤い鮮血。
ワルターの右腕は、ロンヌンギィアであったモノの腕を受け止めたまま。
左手は、顔を押さえ続けている。
フェシアが床に座り込んでしまう音がする。
そんな音がしても現実は変わらない。
ヴァイスの背に付いていたコンテナ状の翼の代わり。
そこから、新たな金属の義腕が生えていた。
本来の腕よりも少し長めのそれは、ロンヌンギィアの身体へと伸びていた。
一つは左腕を引きちぎっていた。
一つは下腹にめり込んでいた。
―――そんなモノより、後のもう二つが致命傷だった。
一つは、ロンヌンギィアの竜によく似た首をねじ切っていた。
最後の一つは、胸に突き刺さり、未だ少し震えている心臓を握った拳を堅い鱗の生えた背中から貫かせていた。
心臓を抜かれたことにより、血しぶきはあまり上がらない。
ただ、清水がわくように立ったままのロンヌンギィアから血が流れ出していた。
警告灯の赤い光の中でも、目に飛び込んでくる鮮やかな朱。
「あ、あぁぁ……」
フェシアは上手く話せない。目の前で起きていることが信じられなくて。
今さっきまでこちらに笑みを向けていてくれた相手が。
死んだ。
「フン…煩わしい…」
そういいながら握っていた心臓を握りつぶす。再び少しの血飛沫。
新たに生やした四本の義腕についた血糊を振り払いながら、ワルターはフェシアの方に近づいていく。
「さぁ、ねぇさん。」
再び手を伸ばす。
フェシアは動かない。目を虚ろにさせたまま、何かを言おうとしている。それだけだ。
「…ちっ…」
ワルターはフェシアの延髄を綺麗なままの左手でつつく。
皮肉にも、ヴァイスがフェシアを気絶させた方法と同じだ。
フェシアの意識は、闇に飲まれる直前まで血の朱をうつし続けていた。




ワルターの騎装艦がヴァイス達の「名無し」と接敵したのはフェシアを乗せて「青」ブルーから離脱した直後だった。
ヴァイスは通信機に向かって怒鳴る。
「おらぁ!てめぇ、喧嘩売っといて勝手に帰るな!」
「ねぇさんは返してもらった!次は貴様の番だっ!」
「うるせぇ!」
ヴァイスは即座に火器管制を操作。狙いの浅い徹鋼弾が射撃音とともにカッ飛んでいく。
機体を「青」から抜いた直後で、機体の安定性が足りない。
弾道は、直撃はなくても、ダメージは与える。そんな軌道だ。
一発、前部のコンテナ部に当たりそうな弾丸がある。
弾種は徹鋼弾。当たれば騎装艦の最大の武器の一つである腕部の使用が不可能になる。
だが、ワルターの騎装艦は思いも寄らぬ動きでそれを回避した。
真後ろに、後退したのである。
「なっ!?」
ヴァイスは驚愕した。騎装艦の中にはホバリングのできる機種もあるが、後退できる機体など聞いたことがない。
「この『鬼』オウガが、ただの騎装艦だと思うなよっ!」
後退からいきなり全速で前進。一瞬水蒸気の爆発が起こる。
「名無し」は散弾を撃って応戦するが、事ごとくを避けられる。
「何だっ!?あの無茶苦茶な機動はっ!」
最低射程ギリギリで放った高初速散弾を、最初に真上に直角に曲がり、更に右に直角に曲がってて避けた「鬼」を見て、ヴァイスが叫ぶ。
それに答える声が通信機から響く。セティの声だ。
『恐らくは、重力慣性制御だ。機体の規模に似合わぬ聖霊機関ラインサーキットの出力を限界まで機動に割いているに違いない。』
「重力慣性制御!?んなこと普通の聖霊機関でできるのかよっ!?」
重力慣性制御。名の通り重力や慣性を操って飛ぶシステムのことだ。基本的に、聖霊機関の出力では理論上でしかあり得ない航行法である。
『目の前にあるのが現実だ。』
「わぁ、夢の機械万歳…っと!」
機銃の砲座を操作するが、これほどまでに縦横無尽に動かれては付いていけない。
その間にも「鬼」との差は縮まり続けている。
「ええぃ、ままよ!ルーク、格闘戦全速突撃っ!」
「了解!」
「名無し」は修理された腕部を展開しながら聖霊機関のジェット推進で一気に接敵。
それに対抗して「鬼」もコンテナから腕部を展開して迎え撃つ。
打音!
二つの巨大な拳が空中でとっくみ合う。
黒は己の持ちうる最大の推力でもって前進。朱が徐々に押され始める。
「てめぇ、さっさとフェシアを返しやがれっ!」
「黙れ!貴様は奪っていったのだろうが!返してもらうのはこっちの方だ!」
「あいつが帰りたいって言ったのか!?」
「ねぇさんには仕事があるんだっ!皆のためにやらなければならないことがっ!」
「『みんな』のために…だと!?」
「他人のためにっ!誰かのために自分を犠牲にして生きることをどうして否定する?自分のことしか考えられない、周りの迷惑も考えないこの半端物がぁっ!」
「自分のやりたいことすら満足にできずに、他人に奉仕するなんてできると思うかっ!?自分の想いを貫き通す勇気を持てないだけだろうがっ!」
「そんなのは詭弁だ!だからといって他人に迷惑をかけて良いという保証にはならん!」
「鬼」が前進力をあげる。後ろに下がりつつある機体が、止まった。
「ッたれがぁ!」
ヴァイスは操作管に力を込める。「鬼」の腕部がきしみ始めた。
鋼の筋肉が、悲鳴を上げる。関節部から蒸気を噴き始めた。
だが、ワルターは物怖じすることもなく言い放つ。
「『鬼』の真の姿、見るが良い!」
「…ちっ!?装弾!」
「へっ!?」
「とにかく装弾だ!ポゥン!」
「了解!」
瞬間。
残りのコンテナ四つから本来の二腕と同じような腕部が新たに出現する。
ヴァイスの与り知るところではないが、それはロンヌンギィアを屠ったワルターの拳に類似している。
基本的に騎装艦の腕部は操縦桿を手に握って操縦するか、もしくは脊髄直結によって操作する。
どちらの方法も、基本的に己の腕の数しか操作することはできない。
その基本を、ワルターは塗り替えた。
「喰らえっ!」
「撃てぇっ!」
砲声と金属打撃音、叫びが重なる。
「名無し」の零距離射撃によって「鬼」の新たな四本の内、二本が爆ぜるように吹き飛んだ。
「鬼」の打撃によって「名無し」の下部砲塔と左腕が砕け散った。
「名無し」の格闘能力は半減した。
「鬼」はまだ戦える。
決定的な違いが生まれた。
その決定的な違いが戦闘を支配し始める。
「ちぃっ!」
とっくみあいから急いで離脱する「名無し」。しかし、「鬼」はそれを許さない。
一度ロールを打って、瞬間的に加速。「名無し」の背後に付く。
「コレで終わりだっ!」
各腕部の先端に付いた法撃心球にエーテルの光が点る。直後、15メートルほどの光剣エアリアルブレイドが形成された。
敵機を、切り裂くための武器だ。
それを振り下ろそうとした瞬間。
洸!
という竜の泣き声にも似た音と共に光使砲の雨が降り注いだ。
数舜の後、後、法撃ドライヴシェルによる炎弾や雷弾の弾幕が降り注ぐ。
「鬼」が死角から出てきたお陰で「青」からの援護射撃が届いたのだ。
「鬼」は連続回避。機体をシェイクさせるような動きを連続させる中、どうしても避けられない副使砲が
「五月蝿いっ!」
光剣一閃。切り裂くための使名と貫くための使名がお互いをうち消し会う。
光の飛沫く音と光の砕ける音が、確かに響いた。
武器が無くなり、一瞬だが速度の鈍った「鬼」に再び「名無し」が真上から突撃する。
「誰かに迷惑をかけたなら償えばいい!何かを無くしたなら探せばいい!壊してしまったら直せばいい!」
「償いきれない罪、二度と見つからない物、直せない物!そんな物は世の中にたくさんある!それを失わぬよう、皆で助け合いながら安全な道を行くことが正義なんだよっ!」
「みんなで安全な道を?ただ単にビクビクして殻に閉じこもってるだけじゃねぇかっ!周りのことばかりに気を配って、過去の鎖に縛りつけられてるんじゃあ前に進めねぇだろうが!」
「だまれ!これ以上貴様と話すことなど何もないっ!」
「てめぇもうるせえんだっ!」
全力打撃の鋼の衝撃音。「鬼」が一撃力の強さに一瞬重力制御を失い一気に10mほど落下。
しかし、すぐに機体制御を回復、機動を再開した。
さらに、ダメージは「鬼」の上部装甲板が拳の形にへこんだだけだ。
堅い物を叩いた反動がヴァイスの握った操縦桿にも響いてくる。
「なんつー堅さだ…!」
「貴様ごときの信念では俺には勝てんっ!」
離脱しようとしていた「名無し」の残影を「鬼」の光剣がかする。
「…ちっ……コイツは不利だな…」
「アニキ、どうするんでスカイ?」
「スカイって言うな…どうしようも、火力に圧倒的な差がある。全力パンチでさえちょっと揺れるぐらいだぞ?あの船は。」
「どうしようもないんスか?」
いや、と唇の端をつり上げるだけの笑い。苦しいときに見せる笑みだ。
「あの巨大な聖霊機関で活動するには多量の製燃が必要だ。どう見たって燃料の入るスペースがない…さらに、何処にも増燃槽が見あたらない。」
つまり、と前置きしてから。
「あと少し耐えればあいつは逃げる。」
「それまで逃げきるだけなら簡単じゃないスか?」
「駄目だ。」
そういいながら残った右腕部の操縦桿を振る。修理された腕は反応良く動く。
「名無し」が抜き打ちではなった光剣は「鬼」のそれとぶつかって仲良く光の飛沫をあげる。
「フェシアが…あいつが、連れてかれちまうだろうが。」
「「…」」
ヴァイスの言葉に対して、誰も何も言わない。「名無し」の艦橋内に束の間の、重い沈黙が訪れる。
「しっかし…墜とす訳にもいかないだろ…障壁破砕式積んでるんだったら捕縛結界も無駄だろうし…」
打つ手がないのかよ、と呟く。と同時に、右腕を振って四連続で迫る相手の光剣を己のそれで再びたたき落とす。
「…法撃心球に回す出力はいまいち低いようだな…」
そうごちても状況は変化がない。ダラダラと時間を浪費していくだけだ。
その膠着状態を打破するアイデアを実行するためにヴァイスはセティに尋ねる。
「…セティ。」
『なんじゃ。』
「コイツの母艦の位置、判るか?」
『相手の逃げていく方向が判れば、どうと言うことはない。こやつのジャミングが特殊すぎたせいでこれほどの接近を許したが、パターンの解析は終わっている。』
「そうか。じゃ、簡単だな。」
安堵のため息を付きながら、ヴァイスは操縦桿を放す。
「ルーク、適当に引き延ばして、逃がすぞ。」
「良いんですかい?」
「貸してやるだけだ。ちゃんと返してもらいに行く。」
それだけ言って、ヴァイスは目を閉じた。
機動はルークの仕事である。自分のやる仕事はない。
そんなヴァイスにルークは尋ねる。
「でも、「名無し」と「青」だけじゃあとっこみは無理じゃあないんですか?」
「アレを使えばどうにかなるだろう。基本武装が無いにしても、戦えることには戦えるしな。」
「でも、アニキは大丈夫じゃないでしょう?」
その問いに答は無い。
再び艦内に沈黙が訪れる。
十数分後、中途半端に二人の対決は終わった。




目覚めればそこは、白い部屋。
…あったかいおふとん…
ごそごそと、毛布をかき集めて暖をとる。
例によって、寝惚けているフェシアは、幸せそうだった。
…ここ何処でしたっけ…?
意識がそう問いかける。それに答えるのは知覚だ。
目の前は、白い壁。やはりベッドに寝かされているらしいが、どこか、違和感がある。
体を起こす。着ている物は長袖のシャツ。
上着はどこかと見回すと、布団の上に件のフライトジャケットが掛けてあった。
見回したときに部屋の内装が判る。窓が無く。冷たい感じのする、生活感のない部屋だ。
…ここは…
寝惚けていた頭に灯が点り始める。
ワルターが何をしたとか、思い出した。
ロンヌンギィアのことも。
「―――」
何か独り言を呟こうとして、やめる。誰もいない部屋だ。
その代わりに思考する。
…ここはきっと、ワルターの母艦です。
ベッドから降りる。ひんやりとした感覚が足裏に。
知覚にあったビニールスリッパを履く。
ビニールスリッパは冷え切っている。何もかもがこの部屋の冷たさを誇張しようとする。
それが、少し寂しく感じた。
…なにか、無いですかね?周りを再び見回す。そして思い知る。
必要な物以外何もない部屋だ、と。
そこにあるのはテーブルとタンスと椅子が二脚。それだけだ。
少し歩き回ってみる。ドアに近づいてみる。ドアは外側から鍵がかかるようになっているらしい。もしくは両方とも鍵が必要なのか。
「さて、これからどうしましょうか。」
呟いて考える。どうにも独り言が多い気がして苦笑。
…逃げ出す…というのも選択肢の一つですね。
自分の呪力を持ってすれば、ドアを破ることなどたやすいだろう。だが、外に出たとたんに捕まるのが落ちだ。
絶対防御呪法アンチドライヴの使える者や、呪法の効かないタイプの魔導歩兵ラードイルくらいこの艦には居るだろうと、そんな気がする。
…無理そうですね。
他の方策は。
…じゃあ、このまま御山に連れ返されるのを待つだけ?
…そんなの、嫌です。
…じゃあ、どうすれば…?
そう考えている途中、二回、ノックの音が響いた。
「…お目覚めでしょうか?」
知らない人の声だ。少し身構えてしまう。
そうこうしている間に、再びノック。
「起きてます…けど。」
どうして返事をしたのか自分でも判らなかった。それでも、返事をしたことは確かだ。
鍵を開ける音の後、ドアノブが回され人影が見える。
ラグール空軍の将校制服を着た人間だ。手にはトレイを持っている。
「あなたは…?」
細面の、人の良さそうな笑顔で、その将校は答えた。
「自分は、イシラス・梶原少佐であります。この艦…「黙示録」アポカリプスの副長を務めております。」
手に持ったトレイを掲げてみせる。
「夕食…というより、お夜食をお持ちしました。ハウエンシヴァン神格司祭殿。」
一気に部屋の雰囲気が暖かくなった気がした。




イシラス・梶原という名の少佐は、表情を変えずに、逡巡していた。
自分の目の前で、美味しそうにサラダを食べている翼を持った銀色の少女の姿を見て。
…この、少女が…
神格司祭なのか、と。
話によると、神格司祭という者は世界中にあふれかえる残留使名を自分の命を使って浄化するという。
もっと達観した、悪く言えば俗世など切り捨てた、聖人のような者だと思っていた。
それが、
「熱っ…」
と、シチューの思わぬ熱さに半べそをかいているような者だとは夢にも思わなかった。
急いで水を口に含み、舌を冷やす。
その仕草をじっと見つめられているのに気が付いて、えへへ、と照れ笑いするところなど、普通の少女と何ら変わるところはない。
自分の従妹など、ちょうど同じくらいの年であろう。
「―――んですか?」
「あ…え?」
考え事をしていて、耳の方がおろそかになっていたらしい。
「…御自分の分、お食べにならないんですか?」
そういわれて、自分のトレイを見る。一緒に食事をとって警戒心を薄めさせるように命令されていたのに、それを失念してしまうとは。
「いや…少し考え事をしていましてね。」
イシラスはそう告げて、食事を続ける。
フェシアは、そうですか、と返事をしてから、シチューを飲み干す。比喩ではなく皿を鷲掴みにして飲み干した。
…何というか…
そう考えてしまう。少女の行動のそこかしこに育ちの良さが伺える。発音、物腰、フォークとナイフの扱い方。
だが、時折見せる少女の表情。行動。一見すると不躾に見えるのだが、無意識に微笑んでしまいそうな空気を発している。
そして、いつしか食事は終わる。
「ごちそうさまでした。」
「お粗末様でした。」
途中、ブランクはあったがフェシアの方が食べるのが圧倒的に遅かったせいもあって、イシラスの方が先に食べ終わった。
手順では、このあと、睡眠薬の入った紅茶を彼女に飲ませることになっている。
彼の上司、キグレフの知的欲求という名の狂気を満たすための玩具として、この少女は選ばれたのだ。
今までにもこんな場面は何回と有った。目の前の少女と同じくらいの年の少女に、実行したこともある。
軍律違反と言うことも、有った。最優先保護目的の少女に対し、このようなことをやって良いものか、と。
…だが。
「おいしかったです。」
「それはよかったですね。」
……だが。
「お代わりしたいくらいです。」
「…それは、ちょっと。」
………それは、正しいのだろうか?
「…すこし、昔話を聞いていただけますか?」
紅茶を入れ終え、気が付いたときには、そう呟いていた。まるで懺悔をするときのように。
…オレは何を言っているんだ!?
そう問いかけてみる。答はない。ここまで来てしまったら相手が拒否するのを望むしかないが、彼女の行動からしてそれはあり得まい。
その考え通り、彼女は、はい、いいですよ、と。優しく。頷いた。




「…すこし、昔話を聞いていただけますか?」
目の前で今まで一緒に食事をとっていたイシラスという将校が、そう呟いたのが聞こえた。
深刻そうに。注意していなければ聞き取れないほど小さい声で。
…町の教会で。
懺悔する人の中に、こういう切り出しで話し始める人は多かった。特に男の人に。
だから。
「はい、良いですよ。」
と。
いつも通りに、優しく微笑みかけた。
一瞬、彼は迷っていたが、目をつむると、ゆっくりと、しゃべり始めた。
「ある町に、少年が居ました。特に裕福でもなく、貧しくもなく、平凡な家庭に生まれた、これといって才覚のない少年です。」
「少年は、成長して大人になりました。大人になって、軍人になりました。それは、親が軍人になってくれ、と言ったからだと思います。」
「彼は、ただ自分の地位を上げることにしか興味が無くなっていました。何故かは知りません。軍隊がそういうところだったのかもしれません。親に、親族に楽をさせたかったからかもしれません。」
「友を売りました。家族を売りました。知らない人たちを売りました。自分が偉くなるためだけに、何も思わず。」
「そして彼は、或る少女を売ろうとしました。そのことに、彼はためらいを覚えました。」
そこで、しばらく沈黙が降りる。もはや昔話ではなかった。
「かれは、どうするべきだったのでしょうか?」
…この人は…
フェシアは思う。自分が周りに言われて、神格司祭の役目を果たそうとしていたことを。
彼と、自分では似ている部分があると。
だから。
思わず言葉が口をついて出ていた。
「彼が、行くべき道を見つけられないなら、生きたい道を生きなさい、と伝えてください。」
…ああ、この言葉は。
「迷って、探して、逡巡した末に行き着いた道に。」
…私に、言っているのかもしれない―――
「後悔する必要はありません。我が神も、」
…私も。
「そう思っています。」
フェシアは、そう言って、傍らに置いてあったティーカップから、紅茶を一口、独特の飲み方で嚥下した―――




砕音。
陶器が床に当たって割れる音だ。
フェシアの手にあったティーカップがイシラスの手によって叩き落とされた音だ。
床に、紅茶が広がる。
突然のことに、ただ、フェシアは驚く。
「何を―――」
「逃げてください!」
そう言ってイシラスがフェシアを立たせた瞬間。
「ご苦労じゃったな。イシラス少佐。」
ドアが開き、老人が中に入ってきた。言うまでもなくキグレフだ。
「大佐!軍法会議物ですよ!今―――」
「ご苦労じゃったな、と言うておる。」
語気を強めた言葉と共に放たれたキグレフの黄色く濁った眼光に射すくめられ、イシラスの言葉が止まる。
恐怖だ。狂気に対する、得体の知れない者に対する恐怖。
「貴方は―――」
ぞくりとした。キグレフの狂気に当てられて。自分とは絶対に相容れない、理解できない次元の思考。
足が無意識に恐怖で震え出す。
「ワシは、この船の艦長、キグレフだ。」
「…その、艦長さんが私に何のようですか?」
「いやなに、少しワシの実験につきあってもらおうかと思ってのう。」
キグレフの粘り着くような笑みを見て、フェシアの本能的な部分が警告を発する。
危険だ。その一言が頭の中を駆けめぐる。
「…断る…といったら?」
思考放棄してしまいそうなほどの恐怖の中、放った声は自分の物とは思えぬほど掠れていた。
「断れるのかのぅ?その身体で。」
「何を―――」
言っているのか。そう言おうとした刹那。
がくりと来た。膝から、体中から一気に力が抜ける感覚。その場にへたり込んでしまう。
意識が朦朧とする。目の前が暗くなっていくのを精神力で精一杯くい止める。
…なに……これっ!?
キグレフの顔を睨みつける。フェシアにしては珍しい行為だが、それほどまで力を込めないと意識を保っていられない。
「ほう。一口で確実に昏倒する量を紅茶に入れたというのに、耐えているか。」
素晴らしい素材じゃ、とにんまりするキグレフ。
キグレフが近づいてくる。枯れ木のような生気のない指が近づいてくる。
フェシアはそれに対し、素直に恐怖を感じ、しかし、耐えた。
「さあ―――」
という言葉は続けられない。
「ぐっ!?」
フェシアの視界から唐突にキグレフが消えた。イシラスが体当たりしたのだ。
いくら狂気に支配されていると言っても、所詮老体。若いイシラスの力にはかなわない。
「さぁ、行きましょう!」
イシラスに半ば引っ張られる形で立ち上がり、駆け出す。ドアを飛び出し、右へ。
ドアのすぐ外には手術台など物騒な物を用意した研究員らしき者達が居たが、それを無視して走る。
手を引かれて、何とか走るフェシアは、ふと、昔を思い出す。
…兄さんに、手を引かれて走ったこともありましたよね…
あのときは黄金の原。今走っているのは鋼の通路だ。
三回ほど角を曲がったとき、先導していたイシラスが舌打ちをして止まった。
「…どう、したんですか?」
そう呟いてから、またくらりと来た。
走ったお陰で薬の周りが早い。そのことを自覚して、小声で唱う。
「病みし流れを繋ぎし旋律…」
神楽ワイルドライブではない、形態化された神霊呪法ハインドライヴだ。解毒系の術。
しかし、多少の体のだるさがとれただけだ。眠気にも似た感覚は薄れない。
特殊な薬物でも使っているのだろうか、と思う。
再び前を見ると、イシラスは腰の物に手をかけていた。
護身用の小銃。それだけでフェシアは敵対する者が近くにいるのだとわかる。
気配は感じることができない。そちらに集中したとたん、意識がとぎれるのは目に見えて判っている。
「――――よし。」
そう言って、イシラスは再び走り始める。どうやらやり過ごせたらしい。
「何処へ…向かっているんですか?」
「格納庫だ。とりあえずここから逃げ出さなくては…」
それから先、何度となく同じようなことを繰り返しながら、一つの扉の前にたどり着く。
格納庫、と書かれた扉だ。
「ここだ。」
イシラスは、扉を開けた。
イシラスは、吹き飛んだ。
…え?
フェシアには過程が判らない。もしいつも通りだったならば、ドアの内側からの銃撃によって吹き飛ばされたのだろうと言うことが判ったはずだ。
扉の前の壁に打ち付けられたイシラスの身体には、無数の弾痕が穿たれていた。
息はしていない。何が起こったのか判らない表情で死んでいる。
「…貴様の行動などお見通しなのじゃよ。」
開け放たれたままの格納庫の扉の中から声が響く。そこにはキグレフと武装した兵士の一団がいた。
そのことに気が付いたフェシアは、キグレフを睨みつける。それだけで精一杯だ。
身体はもう殆ど自由に動かない。
「…あなた、は。」
「けひひひ!ワシに逆らうからこうなるのじゃよ…!」
ひとしきり笑ってから彼はフェシアの方に向き直る。
手をうねらせながらフェシアの方に近づいてくる。
…ここまで…ですか…
そう思いかけて。イシラスの方に目がいく。
自分を陥れようとして、最後の最後で助けてくれた人だ。
そして、もしかしたら自分の代わりに殺されたのかもしれない人だ。
彼は死んで、自分は生きている。そのことに気が付く。
自分はまだ生きている。声は出せる。指は動く。体も動く。傷は微塵もない。
そして、重要なこと。
…私は、まだ戦ます。まだ、諦め…ません―――!
視線に力を込め、キグレフを睨みつける。。
残った力で印を組み、神韻の籠もった歌で神に訴える。
奇跡を起こす。それが、神霊の呪法だ。
「さぁて、思う存分切り刻ませてもらおうかのぅ…」
…これがかなわなかったら…
その時こそ、最後。
そう思って、詠う。上位攻撃神霊呪法「神炎」メタフランメン
天翔あまかける端炎はえんの―――」
「誰を切り刻むんですか?キグレフ大佐。」
フェシアの声を知っている男のそれがうち消す。この船の中で他に自分の知っている男声は一つしかない。
その男の名前を、フェシアは呟く。
「わる…たー…」
「貴様…」
右だ。通路の奥から、機械の身体のワルターがゆっくりと歩いてくる。
相も変わらず黒い装甲服に身を包んで。
「聞きましたよ。大佐。約束が違いませんか?」
背中の義碗を展開させて、百腕巨神のごとき姿で。
威風をまとわりつかせて、紅い義眼を光らせながら。
歩いてくる。
「くっ…やれ!」
兵の中に動揺が走る。それを叱咤するようにキグレフは再び叫ぶ。
「やれと言っておるだろうが!」
その声に含まれた狂気によって、兵の一人が叫びながら発砲した。
いくら広いと言っても、所詮は船の通路。よけれるはずもない。
だが。
「ふっ!」
強い呼気の一音。それだけを残してワルターは床を這うように跳んだ。
身を低くして一気に加速。獣…否、蜘蛛が狩りをするときの姿勢に似ている。弾丸が翻った髪の毛を二・三本持っていった。
だが、それだけだ。誰もその動きを止めることができない。
更に床を蹴って、義碗で床を殴りつけて前に進む。緩急のメリハリが利いた機動に、兵士達の動体視力が追いつかない。
兵士達の中心に突っ込んでいったワルターは六本の腕でもって戦闘を開始。
ただ振り回す。それだけの単純な動作が、義体の力を持って加速。凶器と化す。
殴り、払い、打ち、貫く。
十数秒。それだけの時間でワルターは兵士達をなぎ倒す。いつのまにかキグレフの姿は何処にも見あたらない。逃げたらしい。
拳を払い、背中の義碗をしまいながら、ワルターはフェシアに笑いかける。
「ねえさん、大丈夫かい?」
「ワルター…」
いつも通りの笑顔に、そう呟くが、膝が震えてその場にへたり込んでしまう。
極度の緊張状態から脱したのと、薬の効果もあってそろそろ限界のようだ。
「ねえさん…とりあえず、ここから出よう。ここにいては危険だ。姉さんをここに連れてきたのは間違いだったかもしれない。」
ワルターはフェシアを抱き上げる。俗に言うお姫様だっこという奴だ。
「あ、あの、一人で歩けますから…!」
「倒れちゃったのに?」
そうワルターが問う。フェシアは少し赤くなって黙る。
今ではとりあえず共通の敵を持ってしまった弟と、そんなやりとりをかわす事。
思ってみれば、それはとても懐かしいこと。
場所が場所でなければ、それは長閑な風景。
だが、ここはその共通の敵の身中だ。そうのんびりとはしていられない。
フェシアを抱き上げたワルターは、格納庫の近くのドアにはいる。
エアロックを出ると、馴染みのある希薄な大気。。
外だ。
フレームがむき出しになった通路の先には、一隻の騎装艦が係留されている。。
赤い色をしたその船の名をフェシアは知らない。
コンテナ式の腕部の換装は終わって、ほぼ無傷の状態のそれ。
柳羅りゅうらの国の伝説上の生物、阿修羅鬼の名を冠する騎装艦。
「鬼」だ。


10

「黙示録」の艦橋で、キグレフは発進した「鬼」を睨みつけながら呻いていた。
「何奴も此奴も…!」
歯ぎしりする。何より、副官を殺してしまったので命令の伝達が面倒くさい。
「撃ち落とせ!必ずだ!」
至極簡単な命令が、艦橋内に響き渡った。
「黙示録」、及び第二大隊が起動した。


11

「鬼」の最もたる特徴は、重力慣性制御によって航行するという点であろう。
自分には似合わないサイズの発動機を常に臨界ギリギリまで駆動させ、機体全体に彫り込んだ浮遊呪章とその出力で無理矢理に飛ばしている。そんな機体だ。
故に、武装や保護結界に回す出力はそれほど多いわけでもない。光剣ならまともな物を一本形成するのが限界だし、数本形成しようと思うなら、個々の威力・サイズは妥協しなければいけない。
障壁破砕式などを使おう物なら、一瞬だけでも出力全てをそちらに回さなければいけない。
それほどに不自由な物である。
だが、それほどの代価を支払ってでも重力慣性航行する効果は、十分にある。
打撃系の攻撃を慣性中和によって軽減できること。
高速機動中に機体のバランスが崩れるような衝撃を受ければ、それだけで衝撃波によって機体がバラバラになる。
それと、軌道予測が、全く通じないことだ。
今も、機械の軌道予測によって放たれた数本の副使砲を簡単に避ける。
上下前後左右どのような方向にでも一瞬で慣性・進行方向の変更ができる。
形状上の前後はあっても、実質無い様なものだ。
まるで雨のように降ってくる光使砲の中、ジグザグに機動する「鬼」の中で、ワルターは悩んでいた。
…このまま地上に降ろしたんじゃ、すぐに奴らに見つかる…
ロールを打って加速。その後ろを連続して破壊の光が通り過ぎていく。
…かといって、御山に降ろせば御山のみんなに迷惑がかかる…、
前進していたはずの機体をを急に右に直角に曲がる。慣性中和が効いて船の中には何の影響もないが、目の前を数十発の法撃が通り過ぎていった。
それを確認してから、再び前に加速。
…いっそ…ヴァイスの所に?
そう言う考えが何故か浮かんできた。なぜだかは自分にも判らない。
つい先ほど、手合わせして相手の実力を思い出したからだろうか。
…他人のことを考えることのできない未熟者だが、実力は確かだ。
ヴァイスを認めようとしている自分がいることにワルターは驚愕した。
戦闘中だと言うことも忘れて、頭を振って考えを振り払う。
…彼奴など…!夢を語るだけの偽善者が…
しかし、自分が考えるだけでは彼以上の実力の者はいない。
軍の中で本当に信頼できるような友人はまだいない。付き合いのある上官もまだ少ない。
ヴァイスは、神に反する邪悪な黒翼を持つ者だがフェシアのことは昔から大切にしていた。
今だってそうだろう。フェシアが彼を信頼しているのはそう言うことだ。
姉は、人を見る目が無いどころか、人の本質を見抜くことができる、とワルターは知っている。
いつだったか村に来た人の良さそうな商人を、強盗だと看破したことがある。
よくよく考えてみればそのころから彼女は神格司祭になる運命を持っていたのかもしれない、と思った。
そのフェシア本人は、副座で大人しく丸まっている。
時折、心配そうにこちらを見る。そのたびに、大丈夫だ、と笑顔を向けるワルター。
一回、迎撃に来た戦闘機を落とそうとしたのをフェシアが止めてから、ワルターは攻撃行動をとっていない。
それを、歯がゆくも思う。敵は倒す。それがワルターの心情だから。
しかし。
…姉さんには、聞こえるのか…
怨嗟の声が。それを聞く姉のことを思うと、攻撃ができなくなる。
姉の苦しむ様を見たくはない。
しかし、このままでは埒があかない。
逡巡する。
攻撃を全て回避しきる自身はある。だが、問題は製燃だ。
増加製燃槽が六個追加されていることは知っている。だが、それでも永久というわけではない。
今、自分がどうすることができるのか、必死で考える。その途中、フェシアが言っていた言葉がよみがえる。
自分を拒絶する際に言った言葉だ。
…まだ、答が出ていない…から、か。
答え。何の事だか判らないが、予想はできる。
…それを求めることは姉さんのためになるのだろうか?
まず、それを第一に考える。
…姉さんは何も知らない。町にいたとしても、姉さんの性格だとあまり外にも出なかっただろうし。
逡巡する。
それでは、何かを考えると言うことは良い事ではないのだろうか。そう思ってしまう。
このまま御山に連れ戻しても、待っているのは平穏で安全な死だ。
だが、自分の中では個に徹すると言うことは悪であるという思いもある。
周りのことを何も考えずに、自分のやりたいことを貫くのは悪である、と。
逡巡しかけて、姉の顔を見た。
それで、吹っ切れた。
自分は姉の助けになろうと思っているのだ。とっくに個に徹して居るではないか―――
…やっぱり、ヴァイスの所しか、無いか。
そう思い、回頭。ヴァイス達の母艦があった方向に向かって加速する。
場所は動いているだろうが、基本的な方角は変わってはいまい。
「さて…届いてくれよ。」
手元の装置を操作。空間に向けて一つの信号を発信した。
内容は、むかし、ヴァイスと共に作った暗号の類だ。ヴァイスが受け取れば必ず判る。
…こんなところで役に立つ…何てね。
少し皮肉だな、と苦笑する。
「…どうしたの?ワルター。」
「いや、ね。」
苦笑をやめる。
「姉さんは彼奴のことが好きなんだろ?」
「…彼奴って、兄さんのこと?」
「そう。ヴァイスのことさ。」
フェシアは、少しだけ考える。考えていないと眠ってしまうから。
そして、逡巡して。
「ええ…好きですよ。」
「それは、幼なじみとしての、友人としての好き?それとも、男と女の、好き?」
…は?
「い、い、い、一体何を言ってるんデスカッ!?」
「姉さん、声裏返ってるよ。」
フェシアは、自分の顔が熱くなるのを感じた。耳まで真っ赤になっているだろう。
フェシアがおろおろしている間に、ワルターは返信をキャッチした。
場所指定まで付いている。そちらの方に機首を向けて、一気に加速した。
追っ手から逃げ切れはしないだろう。ただ、距離を開け、時間を稼ぐのが目的。
「あう、あう…」
…ど、どう答えれば良いんでしょうか。
「別に、今無理して答えてくれなくても良いよ。」
…ワルター………
それっきり、操縦室の中に沈黙がわだかまる。
やがて、指定場所に着いた。  
 

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