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第3章「僕は居場所を失い 君は目の前から消える(1)」 ============================================================= 国防省長官ガブリエルは渡された報告書を見て、思わず顔をしかめた。 「……つまり、結果的には『N&Bシステム』は改善されていないという事か。」 苛立ち、八つ当たりするようにしっかりとした木製の机に報告書を無造作に投げる。 その側に立っていた帝国統合軍参謀長ログナーも思わず、右手で目頭を抑える。その様子には疲れと失望の色がありありと込められていた。 「これでは……『兵器』としては失格と言わざるを得ないでしょう。」 ログナーの呟きにガブリエルはイライラと爪を噛む。 やめようと思っているが考えがまとまらなかったり、苛つくとついしてしまうガブリエル自身、嫌う癖だった。 「……どうする?陸軍情報部の諜報活動によると中央議会の『プロジェクト・ノア』は着々と進行しているらしいが?」 「IIAが協力しているとは言え、実質的に行動しているのはニルヴァーナ機関のみです。はっきり言って彼らは我々の計画を知りすぎています。」 「……裏切り者がいる、とでも?」 ガブリエルの瞳に憎悪の色が灯る。それを知ってから知らずか、ログナーは頭を振る。 「陸軍情報部の調べでは現時点ではそれはあり得ないといいます。……よほどの協力者、もしくは諜報機関が中央議会に協力しているとしか考えられません。」 「バカな?!IIA、陸軍情報部を超える諜報機関などこの星のどこを探しても存在などしない事はお前にも分かっているだろう?!」 ガブリエルは怒りに任せて机を叩く。鈍い音が狭くはない部屋中に木霊する。 「……使えない『兵器』なら使えるようにすれば良かろう?」 しわがれた声にガブリエルとログナーの二人の視線が一点をさす。 そこにはよれよれの白衣に神経質な瞳をした典型的なマッドサイエンティストのような初老の男性が面白そうに笑みをふくんでいた。 「……どういう意味かね?モーリスン博士?」 その初老の男性、モーリスンは至極簡単な質問に答えるように簡単に言ってのける。 「ジハードが使い物にならないのなら、別の『N&BD』シリーズを新たに作ればいい。」 「新たな……『N&BD』シリーズ?」 ログナーがおうむ返しに言うとモーリスンは面白そうに声を立てて笑う。 「そうじゃ。ジハードは言わば、『試作機』に過ぎん。制御よりも戦闘に特化させた機体じゃ。ならば、今度は制御に重点を置けばいい。」 「……何故、最初からそう作らなかった?」 ガブリエルは爪を噛みながらモーリスンを睨みつける。この老人の人を食ったような話し方には心底、腹立たしかった。 「データが足りなかったんじゃよ。『旧N計画』の頃のデータしかなかった状態じゃからな。まさに手探りじゃよ。しかし、今回はジハードのデータがある。それに試験的にじゃが、通常のARMSに『N&Bシステム』を積み込んだデータを取っておいた。見てみるか?」 モーリスンはデータ表を取り出すとそれをログナーに渡す。 「……通常のコンピュータを搭載したデータの5倍以上?」 驚愕の視線でそのデータ表から目を離す。視線の先には満足そうに笑みを浮かべているモーリスンの姿が映る。 そのデータ表をガブリエルに渡すとログナーはため息を混じらせる。 「……つまり、2号機を作る予算を出せという事か?」 「そういう事じゃ。」 モーリスンは少しも悪びれる様子も見せずに引きつった笑顔で頷く。 「……2号機は制御出来るのだろうな?」 書類から目を離し、鋭い眼光にモーリスンは晒される。しかし、そんな事は全く意に返さない様子で笑顔を見せる。 「そのつもりじゃ。『N細胞』を制御出来るのは『BD』以外にない。これは間違いないと言える。戦闘力ではジハードには及ばんじゃろうが、その分コストを抑えて量産出来るようにしてやる。帝国が世界を席巻出来るのは間違いないじゃろう。」 モーリスンの瞳にこの時初めて、狂気的な探求と野心が蠢いていた。 クエイドは自宅のアパートに戻ると手探りでいつものように電気を付けた。 パッと瞬時に部屋全体を白と黄色の電球が照らし出す。 その部屋は殺風景という言葉が一番適当のように思えた。必要とするものしかない。それ以外のものはほとんどない。そんな部屋だった。 クエイドは嘆息しつつ、さほど広くもない部屋に入ると手荷物を片付ける。 床には埃が一欠けらもないように神経質なほど掃除が行き届いていた。 手持ち無沙汰を覚え、普段はあまり付けないTVの電源を入れる。映し出される多種多様な番組……それが瞬時に現われては消え、そして現われる。 そしてある一点でTVの画面が止まる。 ニュース番組で画面の左上には『キルギスタン』の文字が目にとまった。 「……昨日、トリニティ平和維持軍及び、ガイリア共和国、ルドラン連邦によって行われた首都奪還作戦『デザートストーム』はクーデター軍、平和維持軍共に大きな被害を出し、結果、首都奪還作戦は失敗に終わりました。作戦の失敗と首都への空爆という行為に対して、トリニティ加盟国からも非難の声が出てきております。しかし、本日、治安維持軍の派遣を見合わせていたドルテカ帝国も派遣を正式に決定したとの声明が発表されました。これにより……」 そこでクエイドはTVから目を背けた。 キルギスタンにいた頃にも感じた事だが、その当事国にいるよりも外の人々の方がよっぽど情報を手に入れやすい。 氾濫する情報はそれを必要としない人々の耳を素通りしていく。 クエイドはため息と共にキッチンに行くと、冷蔵庫の扉を開ける。中にはあまりろくな食材はなかった。 それ程空腹なわけではないが、する事もないので適当に料理を始める。 クエイドは独り暮らしが長かったためと、生まれつきだろう、器用な手先が幸いして料理の腕は悪くなかった。……いや、良すぎる程だった。 出来上がった簡単なスパゲッティを適当に皿にもるとそれ程大きくもないテーブルに置き、椅子に腰掛ける。 フォークを伸ばすが意味もなくパスタを絡めるだけで一向に口へと運ぼうとはしない。 クエイドは自分の手料理が嫌いだった。 決して味が不味いわけではない。ただ、自分の作るものに対して食欲がわかなかった。 少しだけ口に運んだあと、クエイドはおもむろに立ち上がり半分以上残っているスパゲッティを空のゴミ入れへと入れる。 そして、クエイドはいつもだったらすぐに洗う食器をそのままにし、リビングに向かうとベッドに倒れる。 ……俺、いつも自分の家で何をしていたんだ? 記憶喪失になってしまったかのようにクエイドは頭の中で何度も呟いた。 そう……普段と変わらない。『いつも』の自分の家での行動だった。 それが何故か今は無償にむなしく感じてしまう。 ここにサリーナはいない。 ただ、それだけの事なのに心が空虚になる。 いつのまにかサリーナの事で思考の全てが支配される。 忘れまいと心に固く誓ったサリーナの感触、香り、声、面影は彼女本人がいないだけで色褪せていく。 手に僅かに残っている彼女の温もりを忘れまいと握り締める。しかし、その手が掴むものは冷ややかな空気だけだった。 そして、サリーナの事を想ううちに記憶が徐々に曖昧になっていく…… 自分が今、何処にいるのか、何をしているのか…… 全てが曖昧な混沌とした境界線のない事象の果てでクエイドはサリーナに会っていた…… クエイドとサリーナの顔が離れる。 どうしようもなく心臓が突き上がってくる。まるでそれ自体が生き物のようにクエイドという主を翻弄する。 サリーナは顔を真っ赤にしてはにかむ様に微笑んだ。 クエイドはそんなサリーナの表情を見て、思わず口元を覆った。 自分の感情を知られたくない時にしてしまう一種の癖だった。しかし、想いを伝えた今ではそんな些細な事では全く意味を成さなかった。 横目で除き見るようにサリーナの顔を見ると彼女は優しい微笑をまだ浮かべていた。 そんな彼女の表情を見て、それに敏感に反応してしまう自分を知ると自分が本当にサリーナの事を好きなのだと、妙に実感してしまった。 「……急がなきゃなんでしょ?」 サリーナはクエイドと視線が交錯した事に照れながら、クエイドの手を引いた。 その手はいつもよりも温かだったのは気のせいではないとクエイドは思った。 ギルドが用意した飛空艇の中ではしゃぐサリーナを見ながら、クエイドはサリーナが『あの事』をどう感じているのか不思議に思った。 クエイドはサリーナの顔を見ることすら簡単には出来なくなっていた。 どうしても、どう自分を平静にしようと試みてもその全てが無駄に終わってしまった。 それに比べて、サリーナは平然といつものようにクエイドに無邪気な笑顔で話し掛けてくる。まるで何もなかったかのように『いつも』のように…… 自分だけが照れて、敏感になっているのが馬鹿らしく思えてくる。 いや、ただ単に…… (……俺が『子供』って事か……) どんなに大人びて振舞っていてもこういう事には少年よりも幼い反応しか出来ない。 戦闘の類になればサリーナの手を引いて自分が先導出来るのに、恋愛に絡んでくると急にその関係は逆転する。 それがクエイドには自分が情けないように感じた。 「……どうしたの、クエイド?元気ないね?」 サリーナの顔がクエイドの顔に近づく。 途端に『あの時』のサリーナの表情とだぶってしまってクエイドは「いや……」という当り障りのない言葉を呟くだけで精一杯だった。 サリーナはそんなクエイドの様子に一瞬、悲しそうな表情をする。 そして、クエイドの隣りに座る。 クエイドとサリーナだけの座席…… 周りには誰もいない。 それだけにサリーナがしゃべるのを辞めると途端に静かになる。 水を打ったような静けさの機内に、飛空艇のエンジン音と空を裂く音だけが静かに流れてくる。 「……やっぱり、後悔してる?」 「……え?」 静けさの後で静かに、今にも消えそうな意外な言葉にクエイドは思わず、声をあげた。 「……私ってまだ子供だから……クエイドと、そういう事したの、クエイドは嫌だったのかなって。クエイド、あれから何も言ってくれないから……やっぱり、後悔、してるのかな……って。」 サリーナは悲しみをふくんだ笑顔をしていた。歯切れの悪い言葉がサリーナの心情をありありと映し出していた。 そして、その想いに触れた瞬間、クエイドは言葉を失った。 自分の事だけで頭が一杯になっていて、サリーナの気持ちを考えてあげられなかった。 心臓が破裂しそうな程の不安と恐怖を抱えていたのは自分だけじゃない。 当たり前だけど、今更その事に気付いた。 想いを伝えた相手に想いを受け止めてもらえたと思っていたのに本当は嫌だったのかもしれない……それがどれほど心を痛めるか、クエイドの未完成の心でも想像に難くなかった。 クエイドの手が伸びる。 今までは、心よりも体が動いていた。体よりも心が動いていた。 でも、今は心と体が繋がっている。だからこそ、自然に彼女の頭を撫でるように優しく触れる。サラサラとしたサリーナの柔らかい髪質の茶色の髪が指に触れる。 サリーナは驚いた表情でゆっくりとクエイドの瞳を見つめた。 ……いつもだったらすぐに目線を逸らしてしまうクエイドの蒼い瞳はこの時、初めてサリーナの碧の瞳をいつまでも見つめていた。その事にサリーナの方が目線を離してしまいそうになるくらいだった。 しかし、サリーナもいつまでもクエイドの瞳を見つめていた。その氷……いや、青い海のような何処までも広い……暖かい……そう、記憶の中でいつも自分に向けられている実の母のような蒼い瞳をいつまでも見ていたかった。 「……ごめん。……俺、こういう事なれてないから……サリーナを不安にさせてばかりいるな。……でも、俺は絶対に後悔していないから。……サリーナと……………嬉しかった。」 『サリーナと……』の後の部分はクエイドの声が小さすぎて聞き取れなかったけど、そのあとの言葉だけは聞き逃さなかった。 ……嬉しかった その言葉を聞いた瞬間、涙が瞳から零れ落ちてくる。それをかくすように両手で拭うが絶え間なく涙は零れ落ちていく。 「へへ……私、泣いてばっかりだよね。でも、これは悲しいから泣いてるんじゃないから。嬉しいから泣いてるんだよ。」 サリーナはクエイドの視線に気付いて、照れ笑いをする。 クエイドもそれに答えるように精一杯に優しく笑った。 初めて、不器用にではなくて自然に笑えたような気がした。 「……うん。分かってるよ。」 クエイドの優しい声と優しい表情。 それだけで心の底から温かなものが湧きあがってくる。 心が満たされていく。 クエイドの手が髪からなぞるようにサリーナの頬へと流れていく。クエイドの大きな手がサリーナの瞳から零れ落ちる大粒の涙を拭う。 サリーナははにかみながらその手を優しくそっと握る。 温かい手…… 剣や戦闘の訓練でかなり手の皮は厚くなっているけれども、その手はとても綺麗だった。 そして、何よりもその手は温かかった。 その温もりに触れるたびにクエイドのへの想いが大きく膨れ上がっていく。 もう二人の間に『言葉』は一つもなかった。 ただ……連邦に付くまで、二人の手は繋がれていた。 その手の繋がりが二人の心までも繋いでくれる。 色々な感情が二人の間には一つ一つの言葉となって心に直接響いていた。 いつまでも……そう、いつまでも……それが続くと思ってた。 終わりなんて、絶対に来ないとこの時は信じ込もうとしていた。 連邦につくと空港にはすでにギルドの職員が待っていた。 黒塗りの車に案内されていくサリーナの後姿…… 何度も、何度も振り返るサリーナの表情にどうしようもなく胸が締め付けられる。 そう……サリーナをギルドの職員に引渡した時点でクエイドの『任務』も終わっていた。 『任務』の終わりと共にクエイドとサリーナは『他人』になる。 そう……なるはずだった。 クエイドの中の任務に対する忠誠心がクエイドを金縛りのように身動き一つ出来ずに立ち尽くさせていた。 ただ、淋しそうに車の中に入っていくサリーナの背中を見つめ続けているしかなかった。 だけど……本当だったら『他人』になる事を望んでいたクエイドだったが、サリーナだけは『例外』だった。 離れ離れになる事は最初から分かっていた。 どんなに想っていても離れなくてはならない。 ……それが『鉄則』…… だけど、クエイドは初めて、その『鉄則』を破った。 それが許されるものじゃない事は誰よりも理解していた。 それでもクエイドにはその行動を取るしか他に考えがつかなかった。 いつのまにか眠っていたクエイドは思考の隅で鳴っている音に最初、嫌気がさした。 夢の中でまた、サリーナと会えるのはないかと思うとその音は邪魔でしかなかった。 しかし、その音が何なのかに気付いた時、クエイドは跳ね起きるように体を起こした。そして、その電子音の所在を探した。 その音が自分のズボンのポケットから鳴っている事になって慌ててそれを取り出す。 これで違っていたら俺は馬鹿だな。 クエイドはそんな皮肉な事を考えながら、その電子音を鳴らし続けるもの……携帯電話の通話ボタンを押し、それを耳につける。 「……もしもし。」 高鳴る心臓を押し殺して、あくまで平静を装って低い声で応対した。 声が聞こえてくるまでのその短い間が途方もなく長く、重く感じた。 「……クエイド……だよね?」 恋焦がれていた声…… その声を聞いてもまだそれが夢の中のように思えてならなかった。 しかし、その声を聞いて高鳴る心臓の音がそれを現実だと思い知らす。 始めは戸惑いを与えていただけのその鼓動に今は感謝すら覚えていた。 「……ああ。俺だよ、サリーナ。」 『サリーナ』という言葉を言った瞬間、声どころか顔さえも温和なものへと変わっていく。 さっきまで色あせていたサリーナの全てが彼女の声を聞いただけで七色に彩れられていく。 そんな自分をげんきんな奴だととも思った。 しかし、携帯電話越しにくすくすと笑うサリーナの声を聞いているとそんな些細な事などすぐに忘れてしまう。 「驚いたよ。いつの間に私のポケットに自分の携帯電話の番号なんて入れたの?」 サリーナの笑いを堪えている様子が手にとるように受話器から伝わってくる。 その事にクエイドもつられて笑いが込み上げてくる。 「サリーナ、飛空艇で途中から眠ってただろ?その時だよ。」 クエイドの必至で笑う事を堪えている様子が目に浮かんでくるようでサリーナは頬を上気させた。側にクエイドはいないのに、彼の温もりどころか彼の心にさえ触れているような気がした。 あんなに空虚になった、空っぽになってしまっていた心の中に想いが注ぎ込まれ、それが体全体を循環していく。 そう……この小さな紙切れを見つけるまでは…… ギルドの職員の運転する黒塗りの高級車に乗っている間、サリーナは一言も話さなかった。また、ギルドの職員達も一言もサリーナに声をかけようとはしなかった。 クエイドの任務は終わった。 もしかしたら、もう二度とクエイドに会えないのかもしれない。 その事を考えると胸が張り裂けそうなほど悲しく、切なくなった。 やっと想いが伝わったのに、やっとクエイドの想いに触れる事が出来たのに。 これで終わりなるなんて悲しすぎた。 自分の心と体に残っているクエイドの温もりと面影を求めて、サリーナはきつく瞳を閉じた。 暗闇の中にクエイドの姿が現われる。 最初は冷淡で、本当に人形のようだった。 何の感情もないようだった。 次に彼の心の中にある優しさに気付いた。人形のような無表情の中に温かい優しさが潜んでいる事を知った。 そして、彼の中にある辛さと弱さに出会った。自分独りじゃ壊れてしまいそうな地獄のような現実の中で必至に自分を保っている、震える子供のようなクエイドを知った。彼を包んでいる暗闇は時にそれに囚われたクエイドを操り、私を傷つけた。 それでも……彼は優しさを捨てていなかった。 そして……私は彼に恋をしているのだと気付いた。 暗闇の中に幾つも現われては消えていくクエイド。時に強くて、時に残酷で、時に弱くて、そして……優しいクエイドの表情。 クエイドは作られた笑顔の『仮面』で隠された本当の私を見つけてくれた。 そして、その本当の私の手を引いて一緒にいてくれた。 私は……まだ彼を救えていない。 それなのにここまでなんて私は嫌だった。 いつまでも……手を取り合って一緒に生きていきたかった。 「……着きました。降りてください。」 感情のこもっていない機械的な言葉でサリーナはクエイドへの思索を断ち切らされた。 サリーナは促されるまま、ギルド本部へと案内されていく。 そのままサリーナはギルド本部内へと案内される。 ネルドガルドで見たギルドよりも広く、緑や太陽の光を多く入れているために全体的に明るく感じた。 サリーナは案内されるがままある一室に通される。 そこで色々と質問されたり、この後について説明されたりしたが、サリーナは上の空だった。その後、案内されたホテルの一室に戻ったときにはどんな内容だったか断片的にしか思い出す事が出来なかった。 その間……いや、クエイドと別れてからずっとクエイドの事を考えていた。 色々とサリーナに説明していた中年男性の話によれば任務を終えた派遣員はその後、関わった民間人と連絡を取る事はないと言うことだった。 それはつまり、クエイドともう二度と会えないかもしれない事を示唆していた。 サリーナは部屋の明かりをつけてそのまま倒れこむようにベッドに体を預ける。 ホテルのその部屋は意外に広く、どことなく上品な感じをサリーナは受けた。 しかし、今のサリーナの心はその程度の事では揺れる事もない。 (……シャワーでも浴びようかな……) 暗い、自分の気持ちごと洗い流そうとサリーナはベッドから起き上がる。 服を脱ぐ前にいつもの癖で自分のポケットに手を入れる。 洗濯する時に紙なども一緒に洗わないようにするための生活の中で身についた癖だった。 本当なら何もないはずのポケットに入れた指先に紙に触れる感触が走る。 (……え?) ドキンと小さく胸がはずむ。 取り出した四つ折にしてある紙を徐々に高鳴っていく胸に答える様に広げる。 紙には書きなぐってある幾つかの数字があった。 (……携帯電話の……番号?) その数字の特徴からそれが携帯電話の番号だという事はすぐに気がついた。 しかし、それが何の……誰の携帯電話の番号までかは想像出来なかった。 いや……その番号を見た瞬間、一人だけ脳裏にその人物の顔がよぎる。 この星で一番大切で、一番大好きな人の顔…… しかし、あえてその人の顔を脳裏から消す。 もし、その携帯の電話の番号が違っていた時のショックは今のサリーナには深刻すぎた。 その携帯電話の番号から目線を外すと視線は自然と部屋に取り付けてある電話に向かう。 少しの間思案してから電話に向かって歩く。 受話器を持つ手が自然と汗ばんで、震えてくる。もう一つの手も震えて何度も数字を押し間違えてしまう。 サリーナは深く深呼吸すると意を決して番号を押す。その番号を間違えないように一つ一つゆっくりと。 その機械の出す音が長くなっていくと同時に自分の心臓の鼓動もまた、加速していく。 サリーナは全ての神経をその電話の音に集中させた。 瞳を閉じて、真っ暗な視界の中でその音だけが響いていた。 突然鳴り止んだ機械の音……。 そして、次に現われた少し低い落ち着いた声…… 心臓は最大限に高鳴り、私に早く言えとせかす。 「……クエイド……だよね?」 想像を確信に変えるため、サリーナは一番大切で……一番大好きな人の名前を呟いた。 「……ああ。俺だよ、サリーナ。」 その声を聞いた瞬間、思わず泣きそうになっている自分がいた。 それをクエイドに知られると泣き虫と言われるような気がして、サリーナは笑う事でそれを誤魔化した。でも、その笑顔は……本当に心の底から出した笑顔だった。 その笑顔に偽りなんて一つもなかった。 「……クエイド、そういう事して大丈夫なの?なんか、ギルドの職員の人は任務が終わった派遣員は関わった民間人とはその後、交流出来ないって言ってたけど……」 サリーナの言葉にクエイドは「うん……」と言葉を濁して呟く。 「……本当ならな。でも……俺、このままサリーナと別れるなんて嫌だったから……」 クエイドの言葉にサリーナの胸が熱くなる。 大好きな彼を想う気持ちの大きさで自分の心の全てが支配されていく。 「……私も……」 「え?」 掻き消えそうな程小さなサリーナの呟きをクエイドは何とか聞くことが出来たけど、より確かな答えとして聞きたかったためにわざと聞き返した。 「……私も、クエイドとこのまま別れるなんて嫌だったから……」 電話越しだと言うのにサリーナのはにかむ表情が鮮明に映し出される。 クエイドはサリーナの笑っている表情が好きだった。 その笑顔が自分だけに向けられているから…… 彼女がその笑顔を自分にしか向けていない事を知っているから…… 一番大切に想っていて、『特別』に想っている彼女が、自分を『特別』に想ってくれている。 それだけで……クエイドの中の狂気や、『あいつ』への不安や嫌悪が和らぐ。 「……でも、クエイドはどうして私と別れるのが嫌だったの?」 悪戯っぽそうに笑う彼女の声にその答えをすでに知っている事がありありと分かる。 「……言わなくても分かるだろ?」 クエイドは赤面している自分に気付いて思わず口元に手をやる。 表情を見られているわけではないのに、いつもの癖でつい顔を隠してしまう。 「え〜?分かんないよ、言ってくれなきゃ。」 サリーナは楽しそうにくすくす笑っている。 さっきわざとサリーナの真意を聞くような事をしたのが、数倍になって自分に返ってきているようだった。 クエイドは一つ深呼吸すると決心を固める。 すでに想いは伝えてあるというのに……『好き』という言葉にはどうしても照れと緊張で体を強張らせる力があるようだった。 「……サリーナの事が……好きだからだよ……」 体中の血液が逆流して頭に集中しているように顔が赤面していくのを感じる。 「うん……。私もクエイドの事、好きだよ。」 彼女はその言葉をいとも容易く言ったようだった。 最初に言う『好き』という言葉は男も女も同じ重さだけど、二回目、三回目に言う『好き』という言葉の重さは男と女とでは違うような気がクエイドにはしてならなかった。 それでも彼女から『好き』という言葉を聞くと嬉しくて堪らない自分が確実にいる。 その事実が妙に恥ずかしかった。そして、どうしようもなく自分が『弱い』ような気がしてならなかった。 「……会いたいな。クエイドに……」 突然、少し淋しそうに呟いたサリーナの言葉がクエイドの心を打つ…… 「……すぐに会えるさ。サリーナの近辺がもう少し落ち着いたら……」 どんな簡単な言葉でもいい。不安なサリーナを少しでも安心させたかった。 それがどんな安易な約束だとしても、彼女から不安を取り除ける事に繋がるのならどんな事をしてもその約束を叶えてやりたかった。 今のサリーナの不安材料を想像することはクエイドにも容易だった。 右も左も分からない所に一人でいる事…… いつ、再び命を狙われるか分からない事…… ……俺と……離れ離れになった事…… 「……うん。」 サリーナの声色から、少しは不安を取り除く事が出来ただろうかとクエイドは思案する。 この少女にはどうしようもなく甘くなってしまう。 好きな人に対して厳しく接しなければならない時はもちろんあるが、クエイドにはそれが必要だと思われる時以外はサリーナに対して甘くてもいいと思っている。 彼女に厳しく接する事は彼女を辛くすると同時に自分の心も辛くする。 今のクエイドは……何よりも……サリーナに嫌われる事が……彼女を失う事が怖くてならなかった。 『戦場』の恐怖よりも、『あいつ』への恐怖よりも……何よりも…… 「……そろそろ、寝ろよ。今日は色々あって疲れただろ?」 「……うん。そうだね。」 こんな時、少しだけ彼の優しさが恨めしく思ってしまう。 クエイドは本当に私の事を心配しているのだろうけど、私はクエイドともっとずっと話したかった。 「あのね……また、電話していいかな?」 「ああ……いいよ。」 クエイドは柔らかい声色でサリーナに答える。 どうしようもなく……クエイドに甘えている。 その事に少し罪悪感を感じてしまう。 自分のために、彼のために強くなろうとしているというのについ甘えてしまう。 クエイドは大概の危機は自分一人の力で乗り越えてしまう。私一人くらい簡単に背負ってしまえるくらい…… でも、もし彼一人の力ではどうしようもないくらいの危機に直面してしまったら…… そう……あのガーランドのような…… その時、私はクエイドにとってお荷物以外の何者でもなくなってしまう…… その事実が……サリーナには辛かった…… 強く……強くなりたかった……クエイドの足手まといにならないくらい…… 「じゃ、おやすみ。」 「……おやすみ……」 サリーナはクエイドが電話を切るまで受話器から耳を外そうとしなかった。 そして、クエイドが電話を切った後もしばらくその余韻を惜しむように受話器から流れてくるツーツーというどこか淋しい音を聞いていた。 クエイドはサリーナとまた話せたことに安堵して、深い眠りに落ちていた。 いつもなら浅い眠りだというのにこの時だけはどこまでも深く……深く眠っていた。 ……『あいつ』が現われるまで…… クエイドはその声が響くと同時に瞳を開ける。 何度か体験したどこまでも広がる暗闇。 そこに自分だけが浮遊している。その浮遊感も相まってクエイドを不安にさせる。 その暗闇の中、全体に広がる『あいつ』の感覚。 最初はその嫌悪に吐き気さえ感じていたが、今はそれにも慣れている。 「……お前に答えるような事じゃないだろ?」 今のクエイドは冷笑を浮かべる程の強さと余裕がある。 サリーナが側にいてくれる。 その事実がクエイドを強く、しっかりと支えてくれている。 「ああ……そうだな。」 いつもは『あいつ』の言動に振り回されていた。 だが、今は対等に話す事が出来る。 サリーナは『あいつ』を連れてきたけど、同時に『あいつ』に対する強さも与えてくれた。 そして……自分ではどうすることも出来なかった『死の世界』に囚われていた俺を救い出してくれた。 『あいつ』の含んだ笑みに強くなったはずの心が大きく揺れた。 しかし、そんな時でもサリーナが側にいる。 たったそれだけの事なのに……たったそれだけだけど、それこそが唯一クエイドを支えてくれていた。 『あいつ』の気配が消えると同時にその圧倒的な暗闇も消える。 「……ガーランド、俺に報告する事はないか?」 戻ったガーランドにラズウェルは真顔で尋ねてきた。 「……ありませんよ。何も。」 ガーランドはクエイド達に向けるような冷笑とは正反対の優しい微笑を向ける。 「……そうか。所でお前の目的はどうだった?」 「ジハードは俺の考えには沿わないな。だが、別の収穫もあった。」 ガーランドの答えにラズウェルの表情が変わる。 「ほう。それは何だ……?」 ラズウェルの言葉にガーランドはにっこりと微笑む。 「貴方には関係のない事でしょう?」 ガーランドの言葉をラズウェルは鼻で笑う。そして、ガーランドはその場を去って歩き出す。 ガーランドが去ったのを見送って一人の男が現われる。 「……ラズウェル大佐。例の女について彼に聞かないのですか?我々が手を下さなくてもあの時点で確保出来たというのに……」 「……彼はあくまで我々の『協力者』だ。『仲間』でも『同士』でもない。ルビア村の生き残りは我々だけで確保する。」 ラズウェルは勝ち誇ったように冷笑を零した。 「……ルビア村の生き残りは我々だけで確保する。」 空間の歪みから聞こえてくる声を聞いてガーランドは目を細める。 そして、掌を広げると『構成』を広げる。 瞬時にその掌に小さな盗聴器が現われる。 「……盗聴器か。古臭い手にやられたものだな。」 ガーランドは冷たい笑みを浮かべるとそれを握りつぶす。 「……ラズウェル……お前には悪いがお前の『この』願いは叶えられない。お前は……それほどこの『願い』を強く願っていないからな。だが……『結果的』には叶えてやるさ。」 ガーランドの掌から灰になった盗聴器が風に流されていく…… 「……お前からコンタクトを取ってくるとは珍しいの。」 カイラスは冷たい、強がった笑いを向ける。 突然のガーランドによるコンタクトに最初カイラスは戸惑った。しかし、そういった感情をガーランドに悟られないように自分の感情を抑制する。 今、カイラスはレイキャンベルのモプフィス大森林の奥地にいる。 獣魔術士であるカイラスと魔王であるガーランドは『星』の情報ネットワーク『レイライン』を使って、互いの意思疎通を図る事が出来る。 しかし、今まではカイラスがプロテクトを張ることによってガーランドが『レイライン』に干渉する事をある程度抑制していた。 しかし、向こうからコンタクトをしてきた事から考えるにすでにガーランドの力はカイラスと同等、もしくはそれ以上になっているという事だろう。 「……クエイド?あのルビア村の襲撃の時にわしと一緒にお前と戦った男か?……何?あいつと一緒にいた女を守れじゃと?」 カイラスの眉がひそむ。 「……お前はニルヴァーナ機関の手助けをしているのではなかったのか?何故あいつらの邪魔をするような事をする?」 カイラスにとっては至極当然な疑問だった。 それに対する答えは返ってこない。ただ、それに変わるものとする答えとしては十分過ぎた。 「……確かにお前の言う通り、わしにとっては有意義じゃがな。しかし、その事に対してお前も得をすることが気に食わんがな。」 カイラスの言葉にガーランドは笑っているようだった。 「……心配せずとも守ってやる。」 カイラスの言葉に満足したようにガーランドはコンタクトを断った。 ガーランドに利用されようとしている。それは明白な事実だった。 しかし、今のカイラスにはその事実を知っていても拒否する事が出来なかった。 拒否する事が出来ないと分かっていてそれを突きつけてくるガーランドをカイラスは面白くなかった。 しかし、有意義である限り、挽回のチャンスも同時にある。 カイラスは不敵な笑みを浮かべる。 クエイドとサリーナの知らない所で謀略が蠢いていた…… そう……全ての『布石』はレ軍侵攻の終了……いや……それ以前から始まっていた…… ガーランドに取り付けた盗聴器によって、ニルヴァーナ機関……いや、帝国中央議会はキルギスタン動乱以前に多数のIIA諜報員を連邦に配置していた。 帝国軍部はGEESの協力の元、ギルドの情報によってサリーナ生存を知り、帝国陸軍情報部の諜報員を多数連邦へ派遣する。 キルギスタン動乱によって事態は予想外に進行を遅らせた。 しかし、一足早く行動を起こしていたIIAの行動によって陸軍情報部は十分な牽制を行う事が出来なくなる。 これによって、帝国軍部は始めて後手に回らざるを得なくなる。 ニルヴァーナ機関直属の特殊部隊が連邦首都フォートコーポルの闇に暗躍する。 (Continue) ============================================================= |