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第3章「僕は居場所を失い 君は目の前から消える(3)」 ============================================================= 「くっ!!」 クエイドはカイラスの放った閃光の刃を寸前で避ける。 すぐ側で起こる爆風に吹き飛ばされ、数度床を転がる。 カイラスの放った魔法によってすでに部屋は形を変え始めていた。 壁には穴が空き、木材や、コンクリートの破片が床に散乱する。それや、先ほどのガラスを突き破って部屋を飛び込んだ時のガラスの破片でクエイドの体中にはかすり傷が出来ていた。それが鈍い痛みとなって集中力を殺ぐ。 事態はクエイドにとって不利に働いていた。 カイラスは『構成』のみで魔法を放つ事が出来る。 クエイドは魔導士でもあるので『構成』を感じる事で、事前に身構える事は出来るのだがそれはカイラスにとっても同じである。『構成』、『詠唱』、『呪文』という手順を踏む分、カイラスのほうが対処法を打てる分だけさらに分が悪い。 「……逃げ回ってばかりではわしは倒せんぞ?」 カイラスの不敵な笑みが見えるようでクエイドは気分が悪かった。 「何故俺の邪魔をする?!今の俺はあんたに構っている暇はないんだ!!」 クエイドの叫びもカイラスの繰り出す魔法の連続攻撃によってかき消される。 しかし、どうやらカイラスに伝わったようでカイラスは魔法を止める。 「……ガーランドはあの娘を助けるようにわしに言ってきた。しかし……お主の側にいさせてはそれも叶わん。……あの娘……いや、お前達の周りで幾つの巨大組織が動いておると思う?それでもあの娘を守れると言うのなら証明してみせよ。わしとお主のあの娘の争奪戦じゃよ。」 そう答えるとカイラスはクエイドから背を向け、クエイドの破壊した窓際に向かう。 「待て!!勝手な事を言うな!!」 クエイドは怒りにまかせて叫ぶがその声は届かない。 同時に『構成』を編み上げる。間に合わないと分かっていてもするしかなかった。 カイラスは冷笑を浮かべるとその窓際から空中に踊り出た。 「くっ!!」 クエイドは構成を霧散させ、窓際に走り寄る。眼下には不夜城フォートコーポルの絶景の夜景が大地を飾り、煌く星を付けているようなビル群という巨木がひしめきあっていた。 その中に飛竜の背に乗り、空を駆けるカイラスの姿が見て取れた。 「くそっ!!」 クエイドは壁を思い切り殴る。 争奪戦? サリーナが何処にいるかも分からないのに競争も何もなかった。 今からあの戦闘員を追っていっても間に合いはしないだろう。 ギルドがあてに出来ない以上はギルド情報部や、『カード』を利用するわけにはいかないし、それでは全てが手遅れだ。 カイラスは『レイライン』というクエイドには理解出来ない情報収集能力でサリーナの居場所をすぐさま手に入れる事が出来るだろう。 何かをしなければならないはずなのに思いつく手立てが存在しなかった。 とにかく今は一刻も早くこの場を去る必要があった。 クエイドは『構成』を編み上げるとそれを『詠唱』に乗せて周囲に展開する。 「『幻夢装』。」 キルギスタン動乱の際にも使った相手を目くらますための偽装魔法とも言うべき魔法である。実際は今まで着ていた戦闘服だが、傍目には作業服の様に見える。 クエイドがこの服装を選んだ理由はさっき戦った戦闘員たちが全てこの服を着ていたからだ。この格好で外に出れば中に入った人物が外に出ただけと思うだろう。 クエイドは走ることなく、何もなかったかのように外に出る。 ホテル内は先ほどのクエイドとカイラスの戦いの衝撃や爆音で慌しかった。そのわりにその部屋に踏み込むのが遅くなったのはおそらく警備室を先ほどの戦闘員達が掌握していたせいだろうとクエイドはふんだ。 クエイドにとっては姿を見られる事もなく脱出出来るので有難かった。 焦る気持ちを何とか抑え込んでクエイドはホテルの外に出る。 そして、魔法を解除する。 服装が作業員のものから着込んでいる戦闘服に変わる。 しかし、ここからどうするかが問題だった。 サリーナの居場所は分からない。 カイラスもどこに向かったか分からない。 どこへ向かうべきか分からなかった。 (くそっ!!どうすればいいって言うんだ?!) クエイドは心の底で叫んでいた。 そして、その心の叫びに応えるように『あいつ』の声が突如響く。 もったいつける言い方……独特の鼻につく声がしかしこの時だけは神の声……いや、悪魔の誘惑のように聞こえた。 「サリーナの居場所を……知っているのか?」 『あいつ』のもったいつける独特の言い回しと、必要な事をなかなか話そうとせずに訳のわからない事を言うのにはほとほと嫌気がさす。 クエイドの表情が焦りから怒りへと変わっていく。その様子を見ているのか、それとも感じているのかは分からないが『あいつ』はそれを読み取り、鼻で笑う。 「おい!!どういう意味だ!!」 しかし、どんなに叫んでみても『あいつ』の声はもう聞こえない。 クエイドは内心で悪態をつくと、言われた通りに神経を集中させる。 サリーナの気配を探ろうと必死で周りに心の目を配る。 目に見える範囲が限度に決まっている……はずだった。 クエイドは違和感にも似た感覚を覚えていく。 周りの風景が鼓動のように広がっていく感覚。 脈打つたびにそれは1m……10mと広がっていく。 それがどれほど続いただろう。 クエイドの瞳が突如開かれる。 そしてすぐさま、全力で走り出す。 サリーナの気配を感じた。 まるでその場にいるかのようにサリーナの鼓動を、息遣いを、温もりを感じる。 まるで自分がサリーナになったような感覚。 いや……サリーナ自身よりもサリーナの事分かっているような感覚。 その意味不明の感覚に翻弄されるよりも、サリーナの居場所を手に取るように感じる事が出来る事に心の底から感謝した。 (……初めて『あいつ』に感謝するな……) そんな事を思っている自分に思わず苦笑する。 だいぶ心に余裕が出てきている。……いい傾向だ。 しかし、事態は好転しているとは言え、予断を許さないのが実情だ。 サリーナの気配は時速50km程度の速度で移動している。 恐らく車で移動しているのだろう。 これではサリーナの居場所を突き止めても追いつけない。 しかも、先に行動を起こしたカイラスにも追いつく事が出来ない。 カイラスは飛竜に乗っている。 その速度の前では恐らく、ガンシップでもそうそう逃れられるものではないだろう。 カイラスがサリーナに危害を加えるとは思えないが、それでも自分の手でサリーナを保護しない限り安心は出来ない。 そこでクエイドの蒼い瞳に路上に駐車にしてある大型のバイクが映る。 近くには自動販売機で飲み物を買おうとしている男が一人。 (……よし。) クエイドの口元に冷ややかな笑みが浮かぶ。 クエイドはバイクに飛び乗るとすぐさまキーを回し、エンジンをかける。 低く唸るように震えるエンジン音。 その音でようやく持ち主である若い男が振り向く。 「お、おい!!それは俺のバイクだぞ?!」 そんな当たり前の事を叫びながら狼狽する男。 クエイドはその声に構わずアクセルを回す。 コンクリートを切りつける音を叫ばせ、バイクを急発進させる。 「ど、泥棒!!」 後ろでわめきつらす男の声を空気が切り裂かれる音の端で聞きながら、クエイドは流れるような景色に身を溶け込ませる。 片側2斜線の道路を猛スピードで駆け抜ける。 切りつけるように吹き抜けていく風がクエイドの頬を叩く。 凄まじい速度が、流れるように虚ろってゆく景色がクエイドの神経を高揚させる。 サリーナの息遣いをさらに鋭敏にする。 これでかなり時間の短縮が出来るはずだ。 目の前を走る車の列を縫うようにクエイドの操るバイクが疾走する。 時速100km以上の速度の中、衝突の恐怖や速度への恐怖はどこにもなかった。 ただ心の中で言い続けていた。 (サリーナ、今行くからな……) そう……ただそれだけを心の中で叫んでいた。 不夜城フォートコーポルの夜景は美しい。 赤、黄色、白、紫、青、緑、そう、まさに色取り取りの光が煌いている。 天空の星が見えない代わりに、地上の星の輝きは天空のそれを大きく上回る程に光輝き、瞬いていた。 まるで逆さまになった天国と地獄のようだ。 天国という光輝く地上に手を伸ばす、暗闇という地獄。 空が落ちて来る……天国の光を目指して…… しかし、実際は『天国』も『地獄』も存在しない。 あるのは『現実』だけ。汚染物質により汚された空と、同じく汚された大地と海洋。そして、僅かな土地で醜く、汚く、それで時に輝き人々が生きている現実だけ。 そんな汚された天国を眼下に、一匹のドラゴンが飛翔する。 煌く地上とは裏腹に天空は暗闇に覆われていた。その暗闇の中に紛れてドラゴンがいても誰もおそらくは気付かないだろう。 レーダーや、暗視装置を使えば別だろうが、文明により基本的な生物としての能力を低下させた人間には分からなくても仕方がない。 相手は自然の脅威が作り出した究極の生命体なのだから。 そして、その背に乗っている人物も自然の脅威が……いや、『星』の画策が作り出した人為らざる者だ。 『獣魔術士』…… 伝説となっている召喚魔法『獣魔術』を使う者…… 数多の魔物……異形の怪物モンスターを召喚し、己が戦力とする者。 獣魔術士は魔導士とは根本的に異なる。 魔導士は言わば、魔法を使う事の出来る人間だ。魔法を使用出来る事を除けば身体能力は普通の人間と変わらない。 しかし、獣魔術士は違う。 獣魔と呼ばれるモンスターを召喚できる事、魔法を使える事はもちろんの事身体能力も通常の人を大きく上回る。 その強靭な脚力で大地を蹴れば、20mは天空を飛び、走ればその瞬発力は獣のそれを軽く上回る。繰り出される拳は岩すらも砕き、武器を持てば鋼鉄の鎧をまとった兵器すらも裂く事が出来るだろう。 そんな化け物のような体を自在に操り、脅威の人類獣魔術士カイラスの瞳が道路を疾走する一台のトレーラーを捕らえる。 「……あれじゃな。しかし、『レイライン』の情報が詳しすぎる。ガーランドの仕業か……利用されるのはあまり好きではないのじゃがな。」 カイラスは苦笑いを浮かべる。 しかし、その瞳は決して笑う事無く冷酷とも言える瞳をトレーラーに向けていた。 「……あのトレーラーの前に降りてくれ。まずはあれを止めねばなるまい。」 カイラスの言葉に従うように一つ吼えると飛竜は急速に下降する。 そして、道路スレスレまで下降すると、砂塵を巻き上げて地面のすぐ上を凄まじいまでの速度で飛翔する。 数回翼を羽ばたかせ、地上にその巨体を下ろす。コンクリートがその重さに耐え切れずひび割れる。 「なっ!?なんだアレは!!」 トレーラーを運転していた特殊部隊隊員は急いでブレーキを踏む。 コンクリートを滑ってタイヤが唸り声を上げる。 カイラスの手前十数mで止まったトレーラー。 その運転手は自分の瞳を疑った。目の前にある光景が信じられなかった。 巨大な翼、長い首、長い尾、そして、洗練された筋肉の鎧で守られた胴体。魚のように輝いている鱗……それらその巨大生物の断片を一つずつ確認してそれが疑うまでもなく、『ドラゴン』だという事を思い知る。 「あぅ……あ……ド……ドラ……ドラゴン……」 体中がガタガタ震えて、言葉すら紡ぎ出すのが容易でない。 ガチガチと歯が鳴る。足も手も体も地震でもあるかのように震えている。 心の底からその戦闘員は恐怖した。 それほど、モンスター種の中でもドラゴンは恐怖の象徴と言えるのだ。 かつて……『遺跡』を確保するために大国の軍隊や、トリニティ平和維持軍の大部隊が出動した事が幾度もあったが、たった一匹のドラゴンにその大部隊を壊滅させられたという逸話すら残っている。都市一つを一夜で廃墟する事も可能だと言われている。 その恐怖の象徴が今、目の前にいる。 その事実に身も心も震えた。 「どうした?!!」 急に止まった事に驚いた他の戦闘員達が運転席に顔を見せるが目の前のドラゴンの姿に言葉が出てこない。 「……どうやらお前の姿がよっぽど効果があったようじゃな?」 カイラスは楽しそうに笑う。 その意味が分かっていないのか、ドラゴンは小首をかしげるしぐさをするだけだった。 「まぁ、その方が都合がいいんじゃがな。」 カイラスは視線を再びトレーラーに向けると駆け出した。 その速さは人間のものではなかった。まさに『疾走』というに相応しい速度だった。 その速度を乗せ、掌打を放つ。 衝撃波となった掌打はフロントガラスを破り、一撃の下、戦闘員を絶命させる。 獣魔術士……人為らざる力を持つ者だからこその技と言える。 その脅威の戦闘力はいくら戦闘を積んだ戦闘員でもあくまでも人である彼らにとって見れば到底敵う相手ではなかった。 「何だ?!」 「敵か?!」 「銃を持て!!迎撃するぞ!!」 トレーラーの後部からぞろぞろと戦闘員達が現われる。 「ドラゴンならともかく、こんな老人一人くらいなら問題ない!!殺すぞ!!」 戦闘員の威勢のいい叫び声が木霊する。 しかし、この時彼らは大きな間違いを犯していた。 ドラゴンを従えていたのは間違いなくこの目の前の老人だと言う事を。 それはつまり、そのドラゴンよりも戦闘力に長けているという事を。 見た目で判断を誤ってしまった事にこの時はまだ気付いていなかった。 しかし、すぐにそれに気付かされることになる。 「撃て!!」 声と共にサブマシンガンから一斉に弾丸がほとばしる。 その弾丸の横殴りの雨を前にしてもカイラスは不敵に笑みを浮かべた。 「わしに銃はきかんぞ、小童ども。」 カイラスは冷笑を浮かべ、走った。弾丸に向かって。 本来なら自殺行為以外の何者でもないその行為にしてもカイラスにしてみればどうと言う事もない事だった。 何故なら、カイラスにはその弾丸の姿が確実に『見えている』からだ。 獣魔術士の視力、動体視力もまた、通常の人を大きく上回る。 弾丸という凄まじい速度もカイラスにとってみれば十分その動きを捉える事が出来る。 残像のように虚ろって動くカイラスの動きに戦闘員達は翻弄された。 いくら弾丸をばら撒いてもその弾丸の一つたりとも命中しない。 無意味に騒音を挙げるだけだった。 「ひっ!!」 目の前にまで迫ったカイラスの形相に思わず奇声を発する。 しかし、次の瞬間には男の顎がカイラスの拳によって砕かれていた。 その拳の威力は老人の細腕から繰り出されたものとは到底思えなかった。 もんどり打って倒れていく戦闘員がスローモーションのようにゆっくりと宙を舞う。 その光景を頭のすみで確かに見えていた。 しかし、自分の体は動かない。 そう自覚するよりも早くカイラスの回し蹴りが後頭部を激しく叩く。 骨が砕ける音と、血飛沫があがる音…… 君の悪いその音共に、戦闘員の頭が吹き飛んでいた。 カイラスが……『星』に選ばれた者の身体能力を持ってすればそれくらい造作もない事だった。 頭を失い、空中に噴水のように赤い血を噴き上げる戦闘員の体はそのまま力なく倒れる。そのあまりの惨劇に戦闘員の口々から絶叫がほとばしる。 何かが落ちて来た音が近くでし、その方を見て心の底から後悔した。しかし、すでに後悔しても遅かった。 「ひっ!!」 小さく悲鳴を挙げる。 さっきまであそこで血を噴出している体についていた物……戦闘員の血塗れの頭がそこにあった。後頭部を砕かれ、だらしなく舌を出し、剥き出しの意思のない淀んだ瞳を向ける頭…… 「……ば、化け物だ……」 カイラスに向かって、銃を乱射しながら思わずそう呟いた。 しかし、答えなど期待していなかったのにその答えは返ってきた。すぐ耳元で…… 「……どうやら、殺されたいようじゃな?」 低く……どこまで低いその声はまるで悪魔の囁きのようだった。 無慈悲で……殺意しか含まれていない声。 その声を聞いた瞬間、声も挙げられなかった。 ただ、涙だけが流れていた。 そして、その涙は刹那の時を経て、血の涙へと変わっていた…… 国家公安調査庁・外事課総務課長湯村俊彦は苛立ちを抑えるのに必死だった。 諜報活動を続ける外事課メンバーからは帝国陸軍情報部、IIAの関係者と思われる活動が多数報告されている。しかも、つい今しがた高速道路でモンスターと武装集団との交戦が報告された所だった。デスクを駆け回る職員の顔にはいずれにも焦りと恐怖がある。 この報告に国家公安調査庁としては第3国からの攻撃と判断した。 しかし、内閣はそれついてアレルギーのように猛烈な反応を示した。 「第3国からの攻撃だと?!一体その根拠はどこにあるんだ?!」 「状況証拠だけじゃないか!!それでは軍隊の出動要請は出来ない!!」 「警察の力だけでなんとか鎮圧出来ないのか?!」 官僚の罵声に湯村は声を張り上げて言い返そうとする自分を抑えるのでやっとだった。 警察力だけで鎮圧? お話にもならない。すでに陸軍情報部とIIAが国内で活動している。 IIAはともかく陸軍情報部が頻繁に活動している点がひっかかる。 帝国には特務遂行群という即時、展開できる精鋭部隊が存在する 一度出動が決まれば世界中のどんな所だろうと24時間以内に任務を開始する事が可能という脅威の戦闘集団である。 現時点では首都高で戦闘を行っている集団が特務遂行群であるとは判断出来ないが、彼らの装備は未知数。少なくても機関銃、手榴弾等の軍隊でも使っている軽兵器を使用しているという。警察庁でどうにか出来るような相手ではない。 軍隊が出動出来ない以上、警察力だけで何とかするしかない。 特殊突撃部隊……『SAT』が到着するまでに民間人に被害が出ない事を祈るより他になかった。 「……ん……」 サリーナは思わずうめきながら妙に気だるい体を起こした。 頭も鈍く痛む。 心臓の鼓動に合わせてズキズキと鈍く痛む頭を抑えながらフラフラと立ち上がる。 「……ここ……どこ……?」 周りを見渡してみるがさっきまでいたホテルの部屋でないのは一目見てもあきらかだ。 自分が今、どういった状況に立たされているかさえも分からない。 (とにかく……ここから離れたほうがいいよね。) サリーナはそう判断するとまだ少しふらつく危なげな足取りで出口らしい扉に向かって歩く。 「……部屋……じゃないよね?コンテナの……中?」 サリーナはそんな事を考えながら扉にもたれかかる。 まだ体が言う事を聞かない。息も多少乱れている。 あまりの気だるさに瞳を閉じる。 頭痛がより一層酷く感じる。 それに堪らず瞳を開けるが、開けて後悔した。 心臓がドクンと大きく鼓動した。 目も前に広がっていたのはクエイドと一緒にいる内に何回か見た血の海だった。 デジャヴュ…… しかし、何度見てもその凄惨さには慣れはしない。 「あ……あ……」 意味もなく口から空気のような声が漏れる。 震える足は体を支える事が出来ずに膝を折って、その場にしゃがみこむ。 ますます自分の置かれている状況が分からない。 恐怖のままに叫び声を挙げたかった。 しかし、微かに残っている理性がそれを抑える。 今、叫び声を挙げてこの光景を作り出した存在に自分の事を知らせる訳にはいかなかった。 もしかしたら、その存在はこの場には、もういないのかもしれないがそんな楽観的な考えで自分の身を危険に晒すわけにはいかない。 サリーナは奥歯を噛み締めて顔を挙げる。 ここに留まっているわけにはいかない。 勇気を振り絞って立ち上がる。 クエイドは側にいない。クエイドに頼る事は出来ない。 自分の身は自分で守らなくてはならない。 サリーナは未だふらつく体を意思の力で支えると出来るだけしっかりとした足取りで歩き始める。 血溜まりの中心に倒れている亡骸を出来るだけ見ないようにしてサリーナは歩く。 しかし、サリーナの最も恐れていた声が背後から響く。 「……目を覚ましたようじゃな……」 その低く、しわがれた声に思わずサリーナが振り向いた時、カイラスの手は戦闘員の胸を貫き、赤く染まっていた。 その手が抜かれ、倒れる戦闘員。倒れたその場を赤い血が広がっていく…… カイラスの引きつった微笑みを見た時、ついにサリーナは叫び声を響かせていた。 そして、その声が響いた直後、カイラスの赤い血塗れの手がサリーナに伸びていた。 クエイドは顔を挙げて辺りを見回す。 周りにあるのは流れていく景色と車の姿だけ…… しかし、クエイドの耳にははっきりと聞こえていた。 サリーナが自分の名前を呼ぶ声が。 クエイドは嫌な胸騒ぎを覚えて奥歯を噛み締める。 言い表せない不安が心を蝕む。 直感的にサリーナの危険を感じ取っている。 クエイドはさらにアクセルをふかす。それに答えるようにバイクの速度がさらに加速する。 そして、すぐにクエイドの視界に赤い回転するパトカーのランプらしきものが映る。 車を止め、前面通行止めにしているようだった。 クエイドのバイクはガードレールと車の間を疾走していたために渋滞を物ともせずに進んでいた。口で言うのは簡単だが、それを猛スピードで行うには驚異的なまでの運転技術がいる。 クエイドは舌を鳴らすとすぐさま『構成』を編み上げる。 強引な手口で普段のクエイドなら好まない手段がだが、使わざるを得なかった。 叩きつけるような強風の中で詠唱を行うのは容易ではないがクエイドはまるでなんの障害もないように詠唱を行う。 「な、なんだ、あのバイクは!!止まりなさい!!」 かなり近づいてから猛スピードで迫ってくるバイクに向かって警察官が叫ぶ。 クエイドにももちろんその声は届いていたがここで止まるわけにはいかない。 「どけーーーーーーーッ!!!」 クエイドは声を張り上げられる限り張り上げて叫ぶ。 そして、一時おいて『呪文』を言い放つ。 「『烈光牙』!!」 具現化された魔法が一筋の閃光の矢となって直進する。 暗闇に突如現われた閃光に警察官が数人飛び退く。 パトカーや、運び込まれた機材によって塞がれるように置かれたバリケードに向かって、光刃が迫る。 命中すると同時に凄まじい爆音と爆炎、爆風を上げる。 衝撃によってパトカーが宙に舞う。 粉塵が立ち込める中をクエイドの駆るバイクが猛スピードで突き抜ける。 障害物が残っているなど考えてもいなかった。 自分の魔法を信頼していた。 粉塵を突き抜けてクエイドの駆るバイクが姿を現す。 そして、紙一重という所でさっきまで宙を舞っていたパトカーが落ちてくる。 クエイドは宙を舞っていたパトカーの真下を潜り抜けたのだ。 かなり無謀とも言える行為だったが今のクエイドにはそんな事はどうでも良かった。 闇に消えていくバイクをあっけにとられながら見詰める人々を尻目に、クエイドの意識は常に前だけを向いていた。 しばらく疾走するとクエイドの瞳は闇の中、街灯に浮かぶ赤い何かを捉えた。 「……何だ?」 それが何か分かるまで近づこうとする。そして、それが何か分かった瞬間クエイドはブレーキを握っていた。 タイヤからコンクリートの摩擦によって煙が出る。タイヤの悲鳴を無視して何とかバイクを止め、クエイドは静かにバイクから降りた。 背中に冷たい汗が流れる。 クエイドは大きく息を吸い込むと腰の短剣を引き抜く。 そして一歩ずつ確かめるように歩く。 短剣を握る手が汗ばんでいくのを感じる。 目の前に広がる血の海と化した道路を見ながら、路上の中心に止まっているトレーラーに向かって一歩ずつ確実距離を詰める。 焦る気持ちとは裏腹にクエイドは実に用心深く一歩ずつ歩いていた。 危険に直面した時のクエイドは非常に用心深い。それが未知の敵なら尚更だ。 相手が強敵なら強敵な程、クエイドはより慎重になる。 いや……一つだけ誤解があるとすれば『未知』の敵ではなかった。恐らくクエイドの想像通りならこんな芸当を出来る奴は二人しか思いつかない。そして、恐らくそれをやったのは…… 「……予想よりも早かったのぅ?」 凄惨なこの場に似つかわしくないのんびりした口調で声が風に乗ってクエイドの耳へと運ぶ。 その声を聞いて自分の想像があっていた事に内心苦笑する。その声のした方を見るとトレーラーの中からカイラスが現われる。 クエイドは内心の苦笑とは対照的に、表情として出したのは冷笑だった。 「……あんたのように『レイライン』とか言うわけの分からない方法ではここに来れないんでね。時間は掛かったがギリギリセーフって所か?」 軽口を叩き、冷笑を浮かべるのとは裏腹に額に汗が浮かぶ。 隠そうとしない見え見えの殺気が不気味でしょうがなかった。 「……そうとは言えんかも知れんぞ?……何なら自分の目で確かめてみるか?」 「……何?」 カイラスは笑みを浮かべながらトレーラーの後部の扉から離れる。 「どうした?中に入って確かめんのか?……あの娘がいるぞ?」 クエイドは何の言葉も発せずにカイラスを警戒しながらゆっくりと歩く。 サリーナに会いたいのはもちろんだがカイラスは冷笑を浮かべ、後ろから首を掻き切るくらいする程の残忍性を持っている。それは血祭りにあげられたこの戦闘員達の姿からも明らかだった。 短くて長い時間…… クエイドはゆっくりとした足取りでトレーラーに向かう。 その間、片時も視線をカイラスから外そうとしなかった。カイラスが可笑しな様子を見せればすぐさま行動を起こせるように。 しかし、クエイドの心配とは裏腹にカイラスは冷笑を浮かべているだけだった。 トレーラーの扉を開く。 中に踏み込むと暗く、目が慣れて見えるようになるまで多少の時間が必要のようだった。 クエイドが中に入っていくのを確認してからカイラスは声を立てて笑い始める。 「クックック……奴の顔が見ものじゃな……」 その微笑みは酷く残忍で冷酷なものだった。 目が徐々に暗闇に慣れていくに従って周りの様子が見えてきた。 今まで感じた事もない程の慟哭がクエイドを襲う。 手がわなつく…… 震える手……震える足…… 頭の奥底で鈍い痛みが走り始める。 「う……あ……ぁ……ぁ……」 口から息と共に嗚咽が漏れる。 頭の中の何もかもが悲鳴を挙げる。 サリーナの笑顔が壊れていく…… サリーナの温もりが失われていく…… サリーナの声が遠のいていく…… ゆっくりと広がってきた血がクエイドの足元にも届く…… 『あいつ』の作り出した幻だ…… そう心の中で何度叫んでみてもそれが現実だという事実に打ちのめされる。 何故なら……『あいつ』さえも狼狽しているのが分かるからだ。 『あいつ』の心の叫びと、俺の心の叫びが『一つ』になっていく。 決して交わらないと思っていた二人の『クエイド』が『一つ』になっていく。 そして、プツンという音共にクエイドの中の『何か』が『切れた』。 その張り裂けんばかりの絶叫をトレーラーの外で聞いてカイラスは冷たく笑う。 いつまでも続くかのような絶叫…… そして、カイラスの冷たい笑い声…… 目はすでに完全に慣れ、その光景をはっきりとクエイドの蒼い瞳に映し出していた。 力なく倒れているサリーナの姿…… サリーナの瞳は薄く開き、その輝きはクエイドの知っているものではなかった。 いや……戦場でいくつも見てきた瞳の色…… サリーナの服は血で汚れ、赤黒く変色していた。 そして……裂かれた腹部からは溢れる程の血が今この時も流れ出し、大きく割かれた腹部からは腸が出ていた…… 暗闇も手伝ってサリーナの皮膚は青白く見える…… それらの光景がただ一つの事実をクエイドに突き出している。 その事実を信じたくなくて、認めたくなくて、クエイドは喉がはちきれる程の絶叫をしていた。 そう……突き出された唯一つの事実は…… 過酷な現実…… それがクエイドの作りかけの心を砕くのには十分過ぎた。 この時、クエイドの心の中を支配した感情は『殺意』だけだった。 サリーナのもう一つの人格が言う通り……クエイドはこの時、最初の『殺意』に目覚めたのだった。 クエイドの絶叫が終わると同時に、クエイドはトレーラーから飛び出してきた。 その瞳には今までにない感情があった…… 『殺意』により、クエイドの蒼い瞳は冷酷なほどの輝きを宿していた。 「お前が……サリーナを……殺したのか?」 とてつもなく静かな声…… まるで水面を打つ雫のようにその声は波紋のように広がっていった。 カイラスは鼻で笑うと静かに答えた…… 「……そうじゃ……」 その答えを聞けば十分だった。殺す理由には十分だった。 そして、クエイドは音もなく動いた。 クエイドの繰り出された短剣は的確にカイラスの心臓を狙う。 しかし、カイラスの驚異的な動体視力を持ってすればクエイドの動きを見るのも容易だった。 繰り出された短剣をいとも容易く避けて、カイラスはクエイドの後ろに回る。 しかし、カイラスの尋常ではない動きをクエイドも見えていた。 『構成』を編みつつ、クエイドは回し蹴りを放つ。 カイラスはそれを一歩引く事で、紙一重でかわす。クエイドの鞭のようにしなった蹴りによって生じた風がカイラスの髪を揺らす。 カイラスは隙だらけになった胸目掛けて掌打を放つ。 クエイドはそれを回避不能と考え、後ろに跳ぶ。 掌打がクエイドの胸に命中し、クエイドはそのまま後方に吹き飛ばされる。 鈍い痛みが胸に走るがそんな事に構っている暇はない。すぐさま起き上がろうとするがカイラスはすでにクエイドの近くまで迫り、かかとを振り上げている。 クエイドは地面を転がりそれを寸前で避ける。 繰り出されたかかとはハンマーで叩かれたようにコンクリートを砕く。 すぐさま起き上がり体制を整え、『構成』によって作り上げた魔法を『詠唱』によって現実世界に展開させる。 「させん!!」 カイラスは瞬時に『構成』を編み上げるとそれを気合と共に放つ。 放たれた閃光の矢がクエイド目掛けて直進する。 しかし、クエイドの魔法もカイラスが魔法を放つと同時に完成している。 「『魔力剣召喚』!!」 クエイドの力ある『呪文』と同時にクエイドの短剣が紫色の淡い光に包まれる。 その短剣で薙ぐようにして、光の刃を吹き散らす。 光の刃は光の粒子へと変わって虚空へ消える。 「なんと?!!」 人を馬鹿にしたような驚きの声を挙げる。 「大剣よ!!」 クエイドの叫び声と共に短剣がその姿を変える。 今までは比べ物にならない程の重量が腕にのしかかるがクエイドにとってはそんな事関係がなかった。 旋風のようなクエイドの一振りがカイラスに迫る。 カイラスは避けることもなく、召喚した杖でその一撃を止める。 しばし、二人の武器が競り合い、動きが止まる。 「……その程度の力ではわしは殺せんぞ?」 カイラスの口元に余裕を現す笑みが浮かぶ。 対するクエイドはただカイラスを睨みつけるだけだった。 言葉を交わす必要などどこにもない。 ただ、目の前のこの老人を殺せばいい。 魔法だろうが、剣でだろうが、殺人術だろうが、なんでも構わない。 そう……殺せばいい。 クエイドの心を殺意が広がっていく。 それが広がっていく範囲を増すたびにクエイドの奥底から数々の殺人術が『思い出されていく』。 相手が誰であろうと殺せないとは思えなかった。 ドラゴンであろうと、この老人であろうと、……あのガーランドであろうと。 そして、クエイドが動いた。 大きく後ろに跳ぶと大剣を普通の短剣に戻す。 近接戦闘……人同士なら尚更大剣よりも短剣の方が有利である。そして、クエイドの戦闘方法からも…… 繰り出される短剣による連続攻撃。 その全てを杖によって回避するカイラス。 「くっ!!」 押され始めたカイラスは杖を突き出し、クエイドの腹部を狙う。 しかし、それは何の手ごたえもなく虚空に突き出されただけだった。 クエイドは避けると同時に一歩踏み込む。 そして、全体重をかけてカイラスに肘を打ち込む。 「ぐぅ!!」 短く苦痛の声を挙げてカイラスの体が大きく飛ぶ。 しかし、これによってクエイドとカイラスの間合いが開いた。 カイラスは空中で姿勢を変えると着地する。 そして、『構成』を展開する。 クエイドがすぐ迫ってくるため、大きな魔法は使えない。 十数本の炎の矢を作りだし、それをクエイドに向かわせる。 火の粉を撒き散らして飛ぶ炎の矢の大群。 しかし、クエイドはその炎の矢に向かって走る。 避ける必要などない。もし、避ければそこをカイラスに突かれる事になる。 未だ魔力の残る短剣で直撃する炎の矢だけを払い落とす。すぐ横を過ぎ去っていく炎の矢は無視する。皮膚が炎によって多少焼けるのを感じるが、それは思考の隅に追いやる。 しかし、それもカイラスにとって想像の範囲だった。 全力で繰り出された杖がクエイドを捉えたはずだった。 刹那……クエイドが『消えた』。 (……何……?) 一瞬何が起こったかわからなかった。 獣魔術士の能力を上回る動き…… その事実を確認し、驚愕するよりも早く衝撃がカイラスを襲う。 数度地面を転がり、自分の視界に空が映っている事で初めて自分が仰向けに倒れている事に気付いた。 起き上がろうとするとすでにクエイドが間合いを詰めていて、かかとを打ち下ろしている所だった。 体をねじる事でそれを喰らう事だけは避けるが、先ほどの攻撃の精神的なショックからは完全に立ち直っていない。 (……わしでも……奴の動きを捉え切れんとでも言うのか?!) カイラスはそれを確かめるために全力で拳を突き出す。 獣魔術士の強靭な筋肉が繰り出した拳は空気を振動させ、衝撃波として目標物を破壊する。人にはとても真似出来ない超人技。 クエイドはそれを感覚だけで避ける。 通常なら知覚さえ出来ないだろうが、鋭敏になっている今のクエイドの全感覚を総動員すればそれを見切る事も出来る。 しかし、カイラスが知りたかったのはここからだ。 カイラスの足が地を蹴る。 凄まじい速度でクエイドへと接近し、拳を突き出す。 「この攻撃でお前を見極める!!」 クエイドにしてみれば意味不明の叫び声に過ぎなかった。 クエイドにはカイラスの動きが見えてはいなかった。 ただ、カイラスの姿が残像のように動き、空気を切り裂いて『何か』が迫っている。 そうとしか感じてはいなかった。 だが、体が勝手に動いていた。 今まで培ってきた戦闘経験が、戦闘術が、全てが一つに結び付けられ、『集大成』となって発現する。 クエイドは本の少しだけ、体を左に傾けた。 今まで体があった所にカイラスの拳が貫く。 永遠のスローモーション…… 伸びきったカイラスの腕を掴む、クエイドの右腕。そして、クエイドの左腕はカイラスの襟首を掴む。 そのまま、カイラスが突進して来た力すら利用してクエイドはカイラスを背負い投げした。 宙を反転して、全身をコンクリートに打ち付けられる。 その時、クエイドの全体重すらもカイラスに圧し掛かる。 ミシッという、不気味な音が体の内側で響く…… 急激な圧迫はカイラスに呼吸すらもさせなかった。 歪む視界の中でカイラスの瞳はクエイドの次の動きを確実に捉えていた。 クエイドはカイラスの上に圧し掛かると、短剣を持つ右手で拳を放つと、カイラスの左肩を砕く。 左腕はカイラスの喉を鷲掴みにし、短剣を喉元に突きつける。 「……このまま喉を切り裂いてやろうか……?」 クエイドの静かな声が響く。 カイラスの口からは赤黒い血が溢れ出る。 その血が邪魔をするのかカイラスの声は酷くくぐもっていた…… 「……くくく……ま……まさか……わしが敗れると……は……」 死を目前にしながらもカイラスはその冷笑を止めようとはしなかった。 その様子にクエイドの瞳が細くなる。 危険な光を宿し、短剣をカイラスに喉元に近づける。 「……お主の……勝ちじゃよ……認めてやる……そして……褒美も……やろ……う。」 最初、カイラスの言葉など聞くつもりはなかった。 しかし、この老人に反撃をするだけの余力が残されていないのも事実だった。 その事実がクエイドに彼の言葉を聞かせた。 カイラスのくぐもった声が語り始めた『真実』…… その一言がクエイドの心を大きく揺るがした…… 「……ば……か……な……」 クエイドの顔に驚愕の表情が浮かぶ。 漏れた言葉が表す意味…… その驚愕の『真実』が秘めている『別れ』…… それが、クエイドを打ちのめさんと今、大きな悪魔の口を広げた…… (Continue) ============================================================= |