EARTH
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第5章「君は何も失ってなんかないよ(6)」
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二機のガンシップPVA-01Rが雲を貫いてその白い機体を見せた。雲海の上は蒼天の青だというのに眼下には雲海が広がっている。雲の下の世界はまさに暗雲垂れ込める薄暗い世界……有害物質に汚染され、淀んだ大気に人々の思惑が混じっている。そんな世界に思えてきた。それを引き裂いてガンシップはジェットの爆音を轟かせる。まるで泣き叫んでいるかのように。
ガンシップのパイロットは酸素を供給しているマスク越しにそれを有視界で捉える事が出来た。それがあまりにも普通過ぎて、かつ予想に反している『敵』の姿だったため、一瞬言葉を失った。握っていたスティック、ミサイル発射のボタンに伸びていた指が空中で完全に停止していた。そして、叫んでいた。
<こちら『ウィザード01』!!トレボー、『ワイバーン』はモンスターではない!!ガンシップの姿を目視で確認!!>
<こちらトレボー、『ウィザード01』、もう一度言ってください。>
<繰り返す。『ワイバーン』はモンスターではない。ガンシップの姿を目視で確認した。『ワイバーン』はガンシップだ!!>
その言葉に空軍作戦中央室は困惑を隠そうともしなかった。いや、本当は隠したかったのだがとても隠す事出来なかっただけだった。
「『ウィザード』待て!!」
イヤホンマイクに叫んだ副司令。そして、イヤホンマイクの音声を受ける部分を手で覆い隠して司令に耳打ちする。
「どうします?モンスターなら迎撃命令を下しても問題はありませんがガンシップとなると……下手をすれば国際問題になります。」
「分かっている。可能性とすればトリニティ、ネルドガルドか。とにかく迎撃命令は一時中断だ。」
そこで掴んでいたイヤホンマイクを離し、それに向かって落ち着いた声音で話す。
「迎撃命令は一時中断だ。領空侵犯を『ワイバーン』に宣告しろ。」
そして、再びイヤホンマイクを掴む。
「……それで要求に応えない場合は?」
副司令の当たり前と言えば当たり前の質問に司令は沈黙を守った。瞳を閉じて両手を目の前で組む。そして再び瞳を開けるとほとんど同時に静かに呟いた。
「これ以上ローグィンの騒乱を広げるわけにはいかない。その時は再び迎撃命令を出す。それで俺の首が飛ぼうとな。前に出ても、引いても地獄なんだよ。今のこの国は。」
それを聞いて、副司令は小さく息を呑んだ。視線を前に移せば巨大なLSDにレイキャンベルの地図と緑色の味方機を現す2つずつ二組の三角形と、そして、それから逃げるようにローグィンに迫る赤い三角形……『ワイバーン』があった。
 

ラッグスは空を見上げた。
さっきまでは本当に綺麗な青い空だったのに今は泣き出しそうな程雲が立ち込めている。
(泣き出しそうというよりも泣き出すという方が適切ですね。)
そんなどうでもいいような事を訂正する。確かにもうじき雨が降るだろう。でも今はそんな事よりももっと重要な事がある。そう、何よりも重要な事だ。
この街に潜んでいる戦闘員よりも。何よりも。
ラッグスは右手の拳銃を再度握りなおした。
それがより神経を鋭敏したのかも知れない。その穏やかな双眸を細めると、温和な表情から途端に冷淡になる。本当はこっちの方がいつもの自分の表情だった。視力が弱くなってきてからだんだんと双眸が鋭くなっていった。友人だっただろうか。目付きが怖いと言われてからコンタクトレンズに変えた。そして、注意して瞳を大きく見開いて、温和な表情を作るよう心がけるようになった。
だが、それも今はどうでもいい。
(……現実から逃げているんですかね。)
ラッグスは頭を振る。見たくない光景だった。だけど、見てしまった。
そう。ラッグスは見ていた。
リーサとクエイドが抱き合っている姿を。
想像もしていなかった。だけど、当たり前と言えば当たり前かも知れない。自分が側にいない間にリーサに彼氏が出来たとしてもおかしくはない。第一そんな話はよく聞く話だ。
だけど、それが自分にも起きるとは思えなかった。思いたくなかった。
頬に雫が当たる。
それを手で触ってから天空を見上げた。ポツリポツリと雨が落ちてきていた。雨が降ると尚更雲の色が濃くなったように思えた。
(……戻ろうか。)
ラッグスは懐のホルスターに銃をしまう。そして踵を返し、歩き始めた。
雨脚が徐々に強くなっていく。だけど、走ろうとは思わなかった。それどころかいつもよりも幾分遅い足取りだった。
雨で髪が徐々に濡れていく。着ている衣服も。もしかしたら心さえも濡れているかもしれない。
……裏切られた?
実際はそうは思わなかった。ただ、悲しかった。そして許せなかった。……あの男、クエイドが。
最初に自分を助けに現われた時からおかしいとは思っていた。彼はギルド派遣員だと言う。確かに彼の戦闘能力は凄まじいのだろう。実際は見ていなくともバロンの極秘施設に潜入など言う事を一介のギルド派遣員が出来るはずがない。そして、助け合う男女に恋が芽生えるという話もよく聞く話だ。
(くそっ)
内心自分が八つ当たりをしている事は分かっている。だけど、それが分かっていたとしても心が言う事を聞いてくれない。それほどまで、リーサを大切に想っていた。愛していた。
「……だったら……何故助けに来たりしたんですか?」
聞けない言葉を静かに吐いてラッグスは地面から顔を挙げた。流れ落ちてきた雨の雫が目に入って最初、よくは見えなかった。しかし、それを手の甲で拭い、それをクエイドだと確信した。
沸き立つ憎悪と怒り。
しかし、それらを何とか鎮め、いつもの温和な表情を作ろうと努力する。それが出来たかどうかは分かったものじゃないが。
一歩、また一歩と彼に近づく。彼は雨のなか膝を曲げて座り込んでいた。まるで正座をしながら親に叱られている子供のように。
「……クエイドさん?」
声を掛けたが彼は何も返事しなかった。それどころか体すら動かそうとしない。ただ、雨に打たれ続けている。
そして、さらに歩みを進め……そして気付いた。
それを始めてみてラッグスは息を呑んだ。

広がる赤い水溜り。
雨によって現われた水溜りに赤い血が混ざり込み、それが川を作って流れている。その川の流れの上流へと視線が泳いでいく。
戦闘服の男が倒れている。まるでクエイドの膝にうずくまる様にして。
そして、彼の体からは血が流れ続けていた。
クエイドはピクリとも動かなかった。意志の見当たらない瞳は青いガラス玉のように焦点を合わしていない。彼の右手には短剣が握られ、血で汚れている。
いや、右手だけじゃない。
左手も体も……いたる所に赤い染みが出来ていた。
「……ク……エイ……ド……さん。」
唇が震えて、上手く声が出なかった。そんな中でも雨に濡れるこの青年は美しかった。
……戦慄するほどに美しかった。
だから、声を掛ける事も忘れて立ち尽くしていた。
その間は……1分?10分?それとも1時間?
実際はほんの数秒だろう。だけど、それがやけに長く感じられた。
そして、ラッグスはクエイドに駆け寄った。
もう、この青年とリーサとがどんな関係かなんて事、忘れていた。
 
 

ローグィン市まであとどのくらい?
もうほんの僅かな時間だ。しかし、どうやら事はそう簡単に運んでくれはしないらしい。
まぁ、世の中はそんなもんだろう。
ネロはそう考えた。そう考えない事には絶望してしまう。
例えそれが二機の戦闘機に後ろにピッタリと付きまとわれていたとしても。
……まぁ、世の中そんなもんだろう。
(……んな訳ねぇだろう。)
そう心の中で悪態を付く。
<貴機は我が国の領空を犯している。我々の誘導に従いなさい。繰り返す。貴機は我が国の領空を侵している。>
「んな事言われなくても分かっているよ。」
同じ事を無線で繰り返す。その色気も何もない言葉に嫌気がさして来る。
「ピッタリ後ろにひっついてやがるな。完全に迎撃位置だ。」
そんな事をのんびりと呟いてからにやりと笑みを漏らした。
「……さぁ、正念場だ!!てめぇらの腕を見せてもらおうか!!」
そして、ネロは機体を操るスティックを握りなおした。
それが空中戦の始まりだった。
 

レイキャンベル空軍中央作戦室
「……答えて来ませんね。」
副司令は司令の耳元で囁いた。それでも司令は答えを待った。答えが返って来なければ……もしこれ以上ローグィン市に近づくのならその時は――恐らくそう長くはないだろうが――決断しなくてはならない。
<こちら『ウィザード01』!!トレボー、『ワイバーン』が急降下した!!>

決断の時だ。

『ウィザード』からの声に司令は心を決めた。すでに長官への直通の電話はしてある。やる事は決まっているのだ。

「……撃墜命令だ。『ワイバーン』を落とせ。」

ついに交戦命令が下されたのだ。
 

まさに急転直下だった。
今までの静かな戦いから完全な戦いへと移行した。
高度32000からまさに落ちるように、いやそれ以上の加速で急激に高度を下げていく。30000……20000……15000……
雲を突き抜けて雲海の下に出る。どしゃぶりの雨と平行するように……ガンシップが三機流れ落ちていく。
『ワイバーン』とそれにくっついて『ウィザード』2機が落ちていく。滑り落ちるように急激に視界が流れていく。雲は一瞬で後方へと流れていった。そして、その後には雨さえも超えて行く。それが妙に不思議だった。理屈では当たり前だと分かっている。だけど、理屈を超えた何かに感動していた。
このまま風と一緒に何処までも……永遠に何処までも……
この瞬間、この刹那の時、この時だけは肉体を超越し、何か途方もないものになれた気がした。辛さもない。苦しみもない。恐怖もない。ただ喜びと快感だけに支配された世界。
その世界にネロは酔っていた。ただ、安らぎにも似たその速度の中で幸福を感じていた。
 

レイキャンベル空軍中央作戦室
<高度30000……25000……20000……15000どんどん下がります!!>
そのアナウンスに思わず立ち上がる司令長官。
「どこまで下がるつもりだ?!『ウィザード』は奴を落とせないのか?!」
司令の言葉に答えるように『ウィザード01』から悲鳴が上がった。
<ECMによると思われる電子妨害でミサイル誘導が無力化!!対空ミサイル使用不能!!また、バルカン砲のアイリンク・システムも無力化された!!通常モードで攻撃中だが、これでは撃墜出来ない!!>
「くそっ!!」
司令は思わず机を叩いた。
現在ワイバーンを追っているガンシップPVA?01Rには光ファイバ誘導方式を採用したミサイル兵器を搭載していない。光ファイバ誘導方式を採用したミサイルを積んでいた比較的現行機に近いPVA?02は先の『ワイバーン』との交戦で落とされている。マサリク空軍基地で現時点において飛ばす事の出来た要撃機ではPVA?01Rしかないのが現状だったのだ。
光ファイバ誘導方式ならばECM等の電子的妨害下でも有効にその能力を発揮する事が出来るが赤外線・レーザー・電波式誘導方式では使用する事すら出来ない。目標をロックオン出来ないのだ。
高速で……しかも音速を超えた領域で飛行する物体を20mm機関砲で撃墜する事は容易ではない。アイリンク・システムならば人間の視線というある種究極のヒューマンインターフェイスを用いる事で高速移動する物体を攻撃する事も可能だが、それを封じられ、レーダーによる誘導すらも使えない状況では不可能に近い。
「これ以上高度を下げるのは危険過ぎます。すでに高度は1万mを突破し、5000mまで近づいています!!」
副司令の言葉が現実の厳しさを嫌でも教えてくれる。
冷静にならなければならない。高度5000m以下の低空飛行は危険が伴う。音速を超える速度で飛行する高高度要撃機にとって、高度5000m以下の空域は一歩間違えばそく地面と衝突する事を意味する。それが戦闘を伴う事態であれば尚更である。
「……高度3000mだ。それを切って尚『ワイバーン』が撃墜出来ない場合は、『ウィザード』ならびに『ビショップ』を撤退させる。それから早期警戒管制機(AWACS)及び、PVA?03Dを発進させる。」
「何故、AWACSを?」
「『ワイバーン』の狙いが分からない。もしかしたら、何らかの大規模軍事行動の前兆という可能性もある。地上にも『目』を光らせたい。」
「しかし、AWACSとPVA?03Dの発進許可はレイキャンベル軍だけの権限では……帝国軍の了承が必要になります。」
「分かっている。だが、帝国側もレイキャンベルでの一連の騒乱を快くは思っていないだろう。ただちに帝国軍レイキャンベル・マサリク駐屯地に発進許可を求めろ。」
「了解。」

レイキャンベル空軍が保有しているAWACS『ホークアイ』3機はAWACSとしては最新機種である。帝国軍とジェネシス社が共同開発した機体がレイキャンベル軍に何故配備されているかというと、帝国側の技術協力、軍事支援の一環としてである。
陸海空の三軍が一体となって作戦行動を行う事態――仮想敵国としてネルドガルドとの全面戦争に突入――を想定した場合、AWACSの運用が必要不可欠だからである。その開発技術及び効果的な運用方法、実戦配備がなされている。
また、PVA?03D『パンサーD型』はレイキャンベルとしては最新型の機種である。しかし、それでも帝国などの大国の現行機に比べ性能が落ちる。それを帝国側の協力でエレクトロニクス機材を高性能の物に換装したり、光ファイバ誘導方式を採用した対空ミサイルを装備可能にしたりと1ランク性能を向上させた機体である。
対空戦闘に特化した制空戦闘機タイプのPVA?03Dfが5機、対地攻撃を主能力とする戦闘攻撃機PVA?03Deが3機、そしてECM・ECCMを装備した電子対策・電子的妨害に特化したPVA?03Dbが1機、レイキャンベル空軍に提供されている。
しかし、これらの機体を実際に実戦で運用する際は帝国軍側の了承が必要になってくる。
理由としてはそれら実戦における各兵器のデータを収集するためである。最も、帝国がレイキャンベルに介入してきた理由事態がそれなのだから、当然と言えば当然かも知れない。

そして、出撃要請が帝国軍マサリク駐屯地に出されてから一分もたたない内にレーダーから『ワイバーン』が消えた。そして、鳴り響くアナウンス。
<『ワイバーン』、高度3000mを突破!!尚も降下中!!>
副司令が司令に視線を移すと、司令は静かに頷くだけだった。それを確認し、落胆するようにため息と一緒に言葉を吐き出した。
「……『ウィザード』、『ビショップ』撤退しろ。」
それが二回目の『ワイバーン』との邂逅の終わりと再び『敗北』した事を嫌でも認識させた。

巨大液晶画面には去り行く『ウィザード』と『ビショップ』の姿と、悠然と飛翔する『ワイバーン』の姿がありありと映っていた。
 
 

リーサは額に浮かんでいた汗を右手の甲で拭った。
これで一応は大丈夫だろう。
そう判断し、リーサはその場から離れようと立ち上がった。
ベッドが置かれている寝室。ここはそんな場所だった。
例のテロ騒ぎのせいで壁が崩れ、アスファルトが剥き出しの状況だが何とか部屋として使うには十分だった。恐らくは元はホテルの一室なのではないだろうか。
その一つしかないベッドには……
それを見てリーサはため息を一つ漏らした。どうしてこう彼は甘いのだろう。
その事に呆れる反面、嬉しくもある。
そしてリーサはその場から離れた。
彼女には目指すべき場所があった。ラッグスから説明を聞いて以来どうしても伝えなければならないと思っていたからだ。
彼女がその倒壊寸前と評してもいいビルから出るとうな垂れるように座っている男がいた。

――男――

知っているはずなのにあまりにいつものクエイドと違うのでそれが誰だか一瞬分からなかった。
「……クエイドさん?」
恐る恐る声を掛けてみた。もしかしたら返事は返ってこないのではないかと思っていたが、返事は返って来た。
「……俺は……壊れていないよ。」
その返事の意味に慄然となりながらリーサは彼の横に座り込んだ。横目でクエイドを覗き込むが柔らかい金色の髪の毛は雨によって濡れて彼の表情を隠している。
「……どうして……こうなったんだろうな?」
「……え?」
それが自分に対する言葉だと分かり思わず聞き返してしまった。しかし、その言葉にどう答えていいのか分からなかった。
「どうしてこうなったか……理由は簡単なんだ。俺が自分自身を制御出来なかった。ただ、それだけ……ただそれだけで俺は人を殺したんだ。」
最後の言葉は本当に辛そうだった。リーサは伝えなければならない事を言おうと口を開けかけたが、クエイドの言葉によって遮られた。
「誰も殺さなければサリーナも殺さないと思っていた。でも……俺は殺した!自分を制御出来ずに!自分の殺意にまかせて!」
クエイドは徐々に語気を強めていった。そして、ボロボロの右手を再び痛めつけるように地面を殴りつけた。
「俺はあと何人殺すんだ?!何人目にサリーナを殺す事になるんだ?!『あいつ』に囚われたまま俺は人を殺し続けるのか?!」
「ク、クエイドさん!」
言葉を区切るたびに地面を殴るクエイドの腕を必死に抑える。そして、リーサはクエイドの表情を見た。
笑っている。怒っている。泣いている。叫んでいる。悲しんでいる。そのどれでもなく、またその全てでもあった。
『サリーナ』
『あいつ』
分からない単語だった。自分がまだ知らない彼がいる。目の前にいる彼をリーサは始めてみる。そして、まだ知らない彼もいるのだろう。
「……クエイドさんは誰も殺していません。」
リーサは諭すように小さく、そして優しく呟いた。
リーサの瞳とクエイドの瞳が交錯した。しかし、それを跳ね返すようにクエイドの蒼い瞳が見開いた。リーサの両肩を鷲掴みにして叫んだ。
「慰めはよしてくれ!!俺は……人殺しなんだ!!」
「クエイドさんは誰も殺していません!!あの人は生きています!!」
クエイドに強く掴まれた両肩に痛みを感じ、苦悶の表情を浮かべてリーサは答えた。見詰めていたクエイドの瞳に灯っていた痛々しい光が弱くなったような気がした。
「……生きて……いる?」
クエイドは震える声で呟いた。リーサの両肩を掴んでいたクエイドの腕から力が抜けていく。そして、彼女の肩から離れた腕は星の重力に委ねるまま垂れ下がった。
「……楽観視はまだ出来ませんが多分大丈夫です。だから……貴方は殺していません。誰も殺していません。だから……『サリーナ』さんも殺さなくて済みますよ。」
リーサはあえて『サリーナ』という名前を使った。
彼にとってこの名前には何か重要な意味があるように思えたからだ。
どうやら、その考えは当たっていたらしい。
脱力し、宙を泳いでいた瞳に力が宿っていた。リーサがその名前を使った事に多少の驚きを感じつつクエイドは彼女の顔を見詰めた。
リーサは軽く微笑んだ。彼を安心させようと。
だが、クエイドは怒ったように双眸を斜視に歪め、眉を吊り上げて叫んだ。
「生きていても死んでいても関係ないんだ!!俺が『殺そうとした』事が問題なんだ!!」
クエイドはそう叫ぶと立ち上がり駆け出した。
「クエイドさん!!」
リーサの叫び声を完全に無視してクエイドは闇雲に走り続けた。
どしゃぶりの雨の中、水溜りを踏みつけて駆ける。雨に煙る街並みは灰色のビル群をさらにその色合いを強めている。
どこまで走っても廃墟の街が広がっている。

お前のせいだ

「黙れ!!」

心の中に響く『あいつ』の声に抗うように叫び声を挙げる。だが、その声は激しい雨音に掻き消されたのか『あいつ』に届かない。
 

とうとう殺そうとしたな?

それでいい

何故、その快感・開放感を否定する?

お前は何者をも凌駕する圧倒的な力を持っている

それを振るえ!


「うるさい!!俺は、俺はそんな事を望んじゃいないんだ!!もう俺の事に構うな!!」
クエイドは響いてくる内なる声から逃れように声を張り上げた。
そして、水溜りに足を取られ、そのまま水しぶきをあげて地面に倒れ込んだ。
「くっ……」
起き上がろうと地面に手を付く。そして、そこで体が凍りついた。

揺れる水面に映る自分の姿。冷笑を浮かべる俺の姿をした『あいつ』。
 

捕まった


直感的にそう悟った。そして、意思が消えた。
それから逃れようとする意思も、抗おうとする意思も、全てが水面へ吸い込まれていく。
 

気付いたんだろ?

お前は思い出したはずだ

殺しの感触を 殺意の心地よさを 血の温もりを

さぁ、今こそ『愛』に血を流す時だ

あの女を……『サリーナ』を殺せ

そして、一つになれ

そして、オレが……全てを終わらそう


心を暗闇に塗りつぶされていく……
急激に温度が下がり、凍てついていく。
あの時と同じだった。自分が自分でなくなっていく感覚。
全てが人事に思えてくる。痛感も消えうせて、酷く客観的に自分を見詰める俺自身。その空っぽの俺の体に何かが入り込んでいく。
あの『クエイド』は誰だ?
『あいつ』?『俺』?それとも……別の誰か?
教えてくれ。俺は誰だ?あいつは誰だ?
どちらが本物のクエイド・ラグナイトなんだ?
助けてくれ……助けてくれ……サリーナ……助けてくれ……
 

オレは立ち上がった。そして、雨に濡れた髪を掻き揚げる。瞳には狂気と殺意が宿り、口元はナイフで引き裂いたように笑みを作っている。見なくとも分かる。何故なら、それがオレだからだ。
腰から短剣を引き抜く。雨に濡れた抜き身の刃が自分自身の姿を溶かす。
「……サリーナ……血の祝福でお前を満たしてやる。オレはサリーナの全てが好きだ。だから……サリーナの全てを手に入れてやる。そして、サリーナ……愛しているよ。」
久しぶりにこの星に現われる事が出来た事に至福を感じながら、肉体の五感を楽しむ。
全身を濡らす雨すらも心地よい。大地を叩きつける浄化の雫。
まるで星が泣き喚いているようではないか。星の命が尽きるのを拒んでいるように。
これから始まる惨劇を嘆くように。目覚めの時を待つ破壊の使者を恐れるように。
そうだ。破壊の使者は目覚める。そして、星は死ぬ。
だが、その前に……
「『終わりの始まり』の前にまずはオレの仲間を殺してやる。ラッグス……リーサ……お前達の血を吸ったこの短剣がサリーナの胸を貫く……くくく……素晴らしいじゃないか。なぁ、そう思うだろ?クエイド?いや、もうただの人形か?」
オレは冷笑を浮かべると水面に映る自分の姿を見る。そこには憂いの表情を讃えたクエイドがいた。……いや、クエイドだった人形だ。今はオレがクエイドだ。自分を制御出来ていない今のこいつではオレに抗う事は出来ない。
だが、それもあと僅かだろう。こいつの精神制御は卓越している。普通ならばとてもじゃないが、こいつの精神制御を破る事は出来ない。だから……
「……だからこその『心』なんだよ。」
短剣をクエイドだった人形に向ける。切っ先から垂れた雫が人形の姿を歪める。
「お前を操るべきはずだったオレはお前の師が施した精神制御によって、容易には出る事が出来なくなった。だからこそ、お前に『心』を植え付ける必要があった。それにお前に『愛』がどういうものかを教えてもらうためにもな。だが、『愛』が何かを知った今、お前の存在は邪魔なんだよ。だからこそ、仲間を殺し、そしてサリーナを殺して、お前も……そしてサリーナも手に入れる。『愛』とは全てを手に入れる事だからな。そのためには殺すしかないだろう?お前は違うと言うかもしれないがな。出来損ないの人形……それがお前の真実だ。その真実の『意味』をお前が知る必要はないけどな。じゃ、消えろよ。もう逢う事もないだろう。さようなら、クエイド・ラグナイト。」
短剣を握り直し、水面に映る人形に刃を向ける。そして、それを振りかざした瞬間、雷鳴が鳴り響いた。そして、その雷鳴の中、オレは確かにこの人形の声を聞いた。そして、硬直した。
水面にも壮絶な決意を胸にひときわ冷たい光を放つ双眸が確かに映っていた。そして、水面に揺られながらその出来損ないのはずの人形の唇が滑らかに動き、言葉を紡いでいた。
 

サリーナは殺させない

『愛』は全てを手に入れる事

確かにそれもあると思う

だがそれだけじゃない

だから……俺と一緒に行こう

俺達は『ここ』に居てはだめなんだ

『さようなら』は……『俺達』への言葉だ


右手に煌いていた短剣はそのまま振り下ろされた。だが、狙いは水面ではなかった。クエイド自身の左胸……心臓を狙って一直線に銀色の光が一閃していた。
恐怖に顔を引きつりながら、『あいつ』は叫んでいた。だが、もう遅い。この一瞬に全てをかけている。自身の精神制御の全てをこの一瞬に。
右胸まであと数センチという所で再び雷鳴が轟いた。そして、その地響きのような轟きの中で今度は女性の声が響いてきた。そして、目の前が白い闇に覆われた。
 

その白い、靄のかかったような白濁とした空間にクエイドが浮遊していた。全く足場のない空間に浮遊している事、不確実で全てがあやふやなこの空間は幾度経験しても慣れるものではない。確実な物が何も無いこの空間には多少の恐怖と不安を覚えてしまう。
だが……今はそれ所ではない。
「今はこんな事をしている場合じゃないんだ!!俺は……俺を殺さなくちゃならないんだ!!だから邪魔をしないでくれ!!死なせてくれ!!」
壮絶なクエイドの叫びに誰も何も答えない。白い闇はクエイドを優しく包み込むだけだった。
 

貴方はまた私の前から消えてしまうの?


「……意味が分からない。そうだ、あんた達はいつもそうだ!!訳の分からない言葉で俺を戸惑わせる!!迷わせる!!そして、俺はまた殺意に恐怖するんだ!!俺は……俺はどうしたらいいんだよ?!死ぬしかないじゃないか!!」
クエイドは体を激しく震わせてまくし立てる。『あいつ』への怒りや自分の全く関知しない所で自分を巻き込もうとする姿無き者達への憤りをぶつけるように。
クエイドは白い闇に向かって駆け出した。そして、自分の周りを見渡して、空に向かって叫んだ。
「姿を見せろ!!俺はもう何も信じられないんだ!!サリーナの想い出さえもう何もないんだ!!俺は……俺は……!!」
空も白い闇に覆われている。その事に激しい苛立ちをも覚え、その声は壮絶に響いていた。
制御されていない感情のままに吐き出された言葉に自分がうろたえている事が分かり、その事にも苛立つ。
まるで悪循環だ。
殺したくないという想いは踏みにじられ、そしてクエイドは殺意に囚われる。狂気が肉を引き裂き、血が大地を潤す。大地は血の洗礼で赤い海になる。
世界が殺意で包まれる。
クエイドは息を荒くし、血走った瞳を辺り360度張り巡らす。だが、変化が現われたのは自分自身の正面だった。
白い闇の部分に黒い染みのようなものが現われ空間が歪む。黒と白の色が溶け込む。その様子はコーヒーに入れられたミルクのような感じだった。
この非現実的な光景を前にしながら日常の光景を垣間見た気がした。
(……悪い冗談だ。)
クエイドは眉間に皺を寄せて、そう心の底で吐き捨てた。
そして完全に思考を分離させ、その変化に対して構えるように、いつもの戦闘態勢をとる。
それだけで心の中に戦いの戦慄と緊張が走る。精神が強固な鎧に守られていく。腰に溜められた拳がまるで運命という訳の分からない物に対する最後の支えのように思えた。
白と黒の歪の中に徐々に何かが浮かび上がってきた。
「……人?」
クエイドは自分にそう言い聞かせるためにあえて声に出して呟いた。そうする事でより自分の感覚が鋭敏になる。状況を明確に言葉にする事で考えられない事態に対して冷静になっていく。本当に戦闘の時と平時の時で精神の頑強さが違う。その事が妙に可笑しかった。
そして、笑う代わりに双眸を細めた。そうすると、より鮮明にその人影が見える。目を凝らして自分を戸惑わせる存在の姿を見る。
そして、徐々に姿が見えるに従って心臓の鼓動が大きくなっていく。最初、その姿に該当する人物の姿を『思い出して』、そして驚愕した。『彼女』のその姿を見て……
「……サリーナ……」
クエイドは呆然と立ち尽くしてそう呟いていた。もう、構えてもいなかった。
サリーナの姿をした人物の優しい双眸に射すくめられ、クエイドは立ち尽くしているしかなかった。
 
 

地上スレスレを超低空で滑空するガンシップ。雲から漏れる陽光を浴びるたびに七色の輝きを放つ銀色の機体。その強さを象徴する鉄の色に守られながら、機体は速度を落としつつローグィンに向かっていた。
「……そろそろか。」
ネロは辺りの景色と液晶画面に映る辺りの地形とを見合わせながら、そう呟いた。広がる大地。広がる緑。ほんの少しのミスで死が待っているというのに何処かネロは呑気だった。徐々に速度を落とす。
そして、ガンシップは静かにレイキャンベルの大地に着陸した。
ネロは着陸を確認すると、酸素を供給していたマスクを取り、そして大きく一つ息を吐いた。汗を両手で拭う。髪は湿気でべとつくがそんな事はどうでもいいとも思った。コクピットのハッチを開けると心地よいそよ風が頬を撫でる。ネロは髪を掻き揚げると口元に自信に満ちた笑みを浮かべた。
「さぁ、早くあいつ等を助けに行くかね。」
全く緊張感も決意の欠片も見えない言葉を風に流して、ネロはコクピットに荷物を出す準備を始めていた。
このいまいち頼りない男に自分たちの命運が掛かっている事をクエイドが知ったなら、恐らく大きなため息をついたことだろう。
 
 

ローグィン市テロ事件は発生から5時間が経過した。
ローグィン市テロ対策本部には次々と情報が入ってきていた。しかし、それらは確実とは言えない情報でその確認作業だけでも途方もないものになっていた。
WNNの報道がテレビを通じて世界中に報道されている。
「本日未明、レイキャンベル公国ローグィン市で起きた大規模なテロ事件は5時間経過した現在も行われているようです。ローグィン市には武装したテログループが潜伏し、ARMS、武装ヘリを用いたかつてない様相になっています。ローグィン市へと続く主要道路、主要な橋が破壊されローグィン市は実質上の陸の孤島になり……」
遠方からローグィン市を捉える映像と繰り返されるアナウンスがローグィンの混乱を嫌でも伝えていた。ローグィン市に滞在していた報道記者によって内部の報道がなされている場合もあるが、それらから得られる情報はまさに戦場だった。
そして、事態は新たな局面を迎えようとしていた。
 

テロ鎮圧のために編成されたレイキャンベル陸軍が出動の準備をしていた。
武装ヘリ1個小隊と強襲揚陸艇に積み込まれたARMS2個小隊がまさに治安維持活動を開始しようとしていた。正午過ぎに始まったこのテロ活動は5時間以上が経過し、徐々にその姿を夕闇に溶け込み始めている。赤外線等の暗視装備の調達に予想外に時間が掛かったのと作戦室での作戦概要の決定が遅れた事によって、作戦開始は完全な夕闇に呑まれてからになりそうなのが現状だった。
テロ部隊の規模は判明しているだけで陸上特殊歩兵並の戦闘力を保有しているテロリストが10名から20名。そして、戦闘ヘリが3機、ARMSが3機である。これらの部隊が夜間戦闘を行えるだけの暗視装備を保有しているかどうかは定かではないがテロという性質と日中を選んで活動を行った事を考えると暗視装備の類を持っている可能性は低いとの評価が下された。

そして、レイキャンベルとは別に帝国も特務遂行群を派遣させていた。
今回の任務は非常に隠密性が高く、各国の諜報機関等――特に連邦のIIA、トリニティのCIT――に存在を察知される事は絶対に避けなくてはならない。
そのために戦闘ヘリや装甲車といった兵器類の使用はかなり制限される。ARMSのみ小隊規模、2機から3機だけが作戦に参加する事が出来る。あとは重武装した特殊歩兵部隊のみ……レイキャンベル陸軍の部隊に比べ、その規模は格段に下がりテログループに偽装しているニルヴァーナ機関の部隊にも及ばない程だった。
しかし、それでも帝国軍上層部も特務遂行群の戦闘員はニルヴァーナ機関部隊はおろか、レイキャンベル軍の部隊をも沈黙させる事が出来ると信じて疑っていない。
それは強がりからくる自身でも過剰なプライドからくるものでもない。
『最強』を自負する誇りとその『最強』の名に恥じない訓練によるものだった。
その最強の牙が今、ローグィンに向けられた。その渦中の中にいるクエイド達は……
 
 

呆然と立ち尽くしてその人物を見ていた。
これは夢だ。自分の幻想だ。
分かっていても表情が緩みかける。優しく甘い感情が心を優しく包み込んでいく。それが罠かもしれないと自分に言い聞かせても抗うのは途方もなく難しかった。幾度も屈しそうになる。
この人物――サリーナに似すぎているこの少女の瞳に欺瞞、恐怖、嫌悪といった『悪意』が見えなかった。まるでサリーナのように。
だが……
「……あんたがサリーナのわけがないんだ。あんたは誰だ?本当のサリーナは俺の手の届かない所にいるんだ。まして俺の幻想の中にいるわけがないんだ!!」
現実を直視すべく声を荒げてクエイドは叫ぶ。
何が敵で何が味方なのか見極めなくてはならない。
絶対に自分を裏切る事はない……そう信じているサリーナは側にいない。本来なら自分を絶対に裏切らないはずの自分自身でさえ信じられないクエイドにはそれは生きていく上で不可欠のものだった。……違う。生きていく上でじゃない。自分の生死になんて興味はない。ただ、自分の数少ない味方を……あの優しい、愛しい少女を死なせない、そのために。
全てはそれだけのために。

サリーナに似ている少女は優しさに満ちていた瞳に悲しみの色を僅かに讃え、ずっと閉じていたその薄い唇を開いた。
 

お願い 死なないで


クエイドは奥歯を噛み締めた。どうしても受け入れられない言葉だった。
「じゃ、どうすればいいんだよ!!俺が生きていればサリーナさえ殺してしまうかも……いや、殺してしまうんだ!!俺なんか生きていていいはずがないんだ!!だから、サリーナとの想い出も無くしてしまったんだ!!それなのに、なんであんたや『あいつ』は死なせてくれないんだ!!」
 

貴方は何もまだ失っていない

ただ、忘れているだけ


クエイドは怒りで体が震え出しているのを感じていた。それを抑えなければならない。また、殺意に囚われる。そう考えて、精神を何とか制御しようとするがこの少女がサリーナに似ているせいで心が言う事を聞かない。感情のままに、激情のままに言葉を吐き出す。
「俺が何も失っていないだって?じゃ、俺には何が残っているって言うんだ!!ソフィアは『アザゼル』となって俺の前から消えた!!俺の唯一の居場所だと信じていた場所を引き連れて!!サリーナは……俺が始めて好きになって……こんなにも大切なたった一人の人に俺はもう触れる事も、想いを伝える事も、逢う事すら出来ないんだ!!そして、その大切な人との想い出さえ、もう俺には……!!」
 

大丈夫 貴方は何も失っていない

貴方の大切な人との想い出も

貴方の居場所も

そして……貴方の大切な少女も

貴方は自分自身を制御出来なかった事が許せないから

全てを忘れているだけ

だから……自分を嫌わないで

死にたいだなんて言わないで


クエイドの言葉を遮って、優しく諭すように流れ出てきた言葉は自分自身を捕らえていた殺意や狂気を取り除いていった。心の何処かが軽くなるのと同時にはっきりと分かった。
何故、サリーナとの想い出を失っていたか。
それはクエイド自身がクエイドを許せなかったから。
彼女を唯一守る方法だと信じていた『誰も殺さない』という誓いを破ろうとしたから……結果的には殺さなくて済んだが、それは結果論に過ぎないと思っていたから。自分自身が殺意を抱いてそれを実行した事が許せなかったから。
……彼女を想い続けている資格がないと……自分で決めてしまったから、クエイドはサリーナの想い出を失っていた。
答えが出てしまえば簡単だ。ほとんどの場合がそうかもしれない。
でも、答えを誰かに教えてもらうよりも自分で勝ち得た答えは、その答えよりもその答えを手に入れる過程にこそ真価がある。クエイドはまだその事を知らなかったが、それがやがて彼にとって大きな財産となっていく。

「……サリーナに姿が似ているだけじゃなくて、彼女と同じような事を言うんだな。」
クエイドは微かに笑った。
その笑みは嘲笑でも悲しいものでも、狂気に満ちた冷笑でもなかった。
随分久しぶりにこんな気持ちを味わったような気がした。
サリーナがいた頃のような優しい気持ち。それが思い出されたかのようにクエイドの心の中に広がり始めていた。
もう大丈夫だ。
サリーナにそう伝えたくて、この少女に微笑んで見せたのかも知れない。どうしようもないくらいにサリーナの事を好きな自分を実感する。その事に照れる反面、嬉しかった。
「俺は……生きていて……いいんだよな?サリーナの事を……想い続けていていいんだよな?」
目の前の少女は笑顔で頷いてくれた。
誰かに「いいよ。」って言われたくて……本当はサリーナ本人に言われたくて、そんな弱気な言葉を呟いてしまっていた。それに応じてくれたこの少女に心の中でなんどもありがとうと呟いていた。
「でも……本当にあんた……いや、君は誰なんだ?」
自分を救ってくれた人を「あんた」と呼ぶのは気が咎めて、言葉を直した。クエイドにとっての最大限の敬意だった。彼女は何も答えずにただ微笑んでくれていた。だけど、その時初めて気付いた。
この少女が身に纏っている衣服。
それは前にも見た事があった。
幻想の中で騎士の鎧に身を包んでいた俺に似た青年が傅いていた少女……そう、この目の前の少女はその少女だったのだ。気品と優しさに満ちている温かな表情……クエイドがサリーナではないと直感的に感じていた正体こそがその気品だった。それは非常に高貴なものでクエイドさえもたじろぐ程だった。
だけど……心の何処かでは違和感があった。
その違和感はこの少女とサリーナが同一人物ではないと言ったものではない。
何処かで逢った事があるような……でも、そんなはずはないと言う違和感だった。
それでも、ずっと昔……気が遠くなるような昔に自分はこの少女に会っているはずだ……そう思わずにはいられなかった。
だから、目覚めるまでクエイドはその少女を見詰め続けていた。そして、少女もまた、この青年を見詰め続けていた。
憧憬と恋慕の視線が交錯し、そしてそれが今はもう交わらないと少女は思いながら、本当の悲しみを胸にしまい、少女はこの青年をいつまでも見詰め続けていた。優しさの表情の奥底に、悲しみと密かな愛を抱いて……少女はいつまでもクエイドを見ていた。それが本来の人物……サリーナに受け継がれるその時を待ちながら……
 

クエイドは知らない。サリーナも知らない。そして、『レイライン』を用いているガーランドさえ知らない。『あいつ』だけが今、その存在に気付き始めているのかも知れない。

最悪の結末を回避すべく、施されたプログラム。
『星の遺伝子』に介入し、運命という事象さえ引き起こしかねないプログラム。
その目的は星の未来を変える事でも、全ての生命を守る事でもない。
ただ、愛し合い、そして死に別れ、狂気に陥るという狂気の運命を回避するプログラム。
そのプログラムの力は微々たる物に過ぎない。
その狂気の『運命』という名のプログラムを消滅させるプログラムというだけの存在。
『運命』が消滅しても二人は別れ、狂気と殺意に囚われる事になるかも知れない。
だが、その微々たる力がクエイドとサリーナを守っていた。
 
 
 
 
 

(Continue)
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