第5章「君は何も失ってなんかないよ(7)」
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クエイドは目覚めると同時に辺りを見渡した。
目覚めるというのは正確ではない。白昼夢のようなもので気が付いた時、クエイドは立ち尽くしている状態だった。右手に握られている短剣。銀色の白刃に雨の雫が濡れて、光を悪戯に乱反射させている。自分の左胸に触ってみるが傷はない。どうやら寸での所で彼女に助けられた様だ。その事に感謝の意を込めてクエイドは短剣を両手で携えて自分の胸の前に掲げる。瞳を閉じ、祈るような仕草をする。それがクエイドに出来る最大限の感謝を現す態度だった。
瞳を開き、天を仰いだ。まだ、大粒の雨が落ちてくる空を見上げる。全身を叩きつける……いや、優しく包み込んでくれるようなこの雨を楽しんでいる。
何も失ってなんてない
その事を知ることが出来て本当に救われた。
失ったと思っていたサリーナとの想い出は、今思い出そうとすれば鮮明にその光景を脳裏に映し出す事が出来る。
彼女の優しい微笑みも、少し高い声も、胸を優しく締め付ける香りも、心地良い温もりさえ。
それがあるだけでクエイドは狂気を遠ざける事が出来る。殺意に抗うことが出来る。
この想いがある限り、俺はサリーナを殺さない。殺せるはずがないんだ。
彼女の想い出を失うことさえもこんなに怖いのに、彼女の存在そのものが消えてしまう事なんて想像するだけで全身が震えてくる想いだった。
サリーナは生きている。
もしかしたら逢える事もあるかも知れない。
その時……俺はどんな表情でどんな言葉をかけるのだろう。
それは逢ってみた時しか分からない。
自分と、想い出さえも何も知らない彼女に教えようとは思わない。
もし、まだ俺とサリーナに『縁』のようなものがあればまた彼女と出会い、また……
クエイドはそこまで考えて笑みを零しながら頭を振った。
『たら・れば』の話を今しても意味がない。それよりも今やらなければならない事がある。
急いでこの国から脱出する事だ。生きなければサリーナとも二度と会えない。
「……俺は殺意にも狂気にも勝ってみせる……あんたには負けない。」
クエイドは天空を見据え、『あいつ』に向かって静かに呟いた。
その言葉を『あいつ』が知ったように心の何処かが微かに疼いたのをクエイドは確かに感じ取っていた。その苛立ちにも似た疼きに僅かな優越感に似た物を感じた。
何が『あいつ』に勝っていて、何が『あいつ』が劣っているのかは分からなかったが、理不尽な事だと分かってはいるつもりだが、正直そう感じている『俺』がいた。
俺は……この時、完全に狂気と殺意に抗えると思っていたけど、まだ殺意と狂気は俺を捕らえて離してはいなかった。
自分自身の……『俺』の恐ろしさに俺はまだ気付いていなかった。
俺の本当の戦うべき相手が『あいつ』ではなくて……そう『俺』自身だとこの時、まだ知らなかった。
俺がそれを知るのはもっとずっと後の事だった。
「くそっ!だめだ、見つからない!!」
一人の戦闘員が息も荒く苛立たしげに叫ぶ。
だが、それは一人だけじゃない。この戦闘服に包まれた人間凶器とさえ呼称出来る集団全てが苛立っていた。
「文句を言ってないで探せ!!我々に時間はないんだぞ!!」
戦闘服に装着されている特注の腕時計を見て声を荒げる。その言葉には叱責すらも含まれているようだった。その事に他の戦闘員は舌打ちする者もいたが、文句は言わず駆け足で再び散開していった。
こんなはずではなかった。
本当ならもうとっくに撤収しているはずである。
しかし、未だニルヴァーナ機関の特殊部隊はローグィン市に留まっていた。目標――クエイド・ラグナイトが発見出来ないのだ。目標の回収を確認しなければ撤収は出来ない。しかし、事態は時が経つ事に緊迫していく。
すでに状況を開始してから5時間以上が経過している。
これ以上ここに留まれば、レイキャンベル軍との交戦すら避けられそうにない。本来ならば撤収を考えなければならない。
しかし――
今の彼らに『撤収』の二文字はあり得ない。目標の回収作業が完了するまで撤収は出来ない。ゆえに彼らは追い込まれていた。
それもこれも、目標――クエイド・ラグナイトのせいだ。
「……本当に奴は化け物か?」
苛立ちと恐怖を混じらせながら呟いたその言葉にこのクエイドという人物が行った事を物語っていた。
クエイド・ラグナイトは一機のARMSを破壊し、一機の戦闘ヘリを戦闘不能にし、数名の卓越した殺人技能を持つ戦闘員を負傷させた。しかもたった一人でである。
これほどの被害を我々が被るには本来ならば一個小隊以上の軍隊が必要なはずである。現に20名以上いたローグィン市警察は我々に対してなんら被害らしい被害をこうじていない。予測されていた戦闘能力以上の能力を持っている。
これが……魔導士だとでも言うのだろうか。これが、A級ギルド派遣員の実力だとでも言うのだろうか。
「くそっ!忌々しい化け物め!!」
吐き出された言葉はまるで、凶悪なモンスターに対するもののようだった。だが、この男達にとってクエイドもモンスターも脅威という点で同じだった。
だが、彼らにとっての本当の脅威となるべき存在はローグィン市に今、降り立とうとしていた。
レイキャンベル公国は発展途上国でありながら、その防空網は大国に匹敵する程である。いや、それ以上とすら言えるかもしれない。
ドルテカ帝国、ルドラン連邦、ガイリア共和国、三国はトリニティの常任理事国であり、いずれも世界有数の軍事大国である。しかし、帝国はともかくとしてルドラン連邦は国家公安調査庁という余りにも優れた諜報機関を有しているため、情報収集能力は卓越しているが、本土の危機管理意識という物は決して高くはない。また、連邦は真の意味で軍事大国足り得ないのである。
連邦は連邦憲章によって、他国との交戦にかなりの制約を受けている。
トリニティに加盟する前までは交戦権すら放棄していた。トリニティへの加盟で「本土防衛型」から「広域防衛型」に変更され、トリニティ平和維持軍への部隊派遣が認められたのも近年である。現在はトリニティでの発言権を獲得するために積極的に部隊派遣を行っているが、これが自国に関するものとなると途端に話は変わる。
「専守防衛」を基本理念としているために、連邦は明白な他国による侵略行為を受けた場合のみ軍事行動を行う事が出来る。
サリーナが連れ去られ、国家公安調査庁・外事課によって首都高でドラゴンと戦闘行為に及んだ特殊部隊が第三国の攻撃と判断された時、内閣が治安出動にあれほど神経質な態度を取ったのはそういった理由からであった。
一方、ガイリアは本来ならば帝国とノースマル諸島越しに領土が隣接しているため、防空設備がしっかりしていると思われがちだが、実質上は西部に重点的な軍事拠点を持っているため、パラメキア諸国に対して――つまり、東部は――無防備とすら言える程お粗末な物である。また、ガイリアは帝国や連邦のような優れた諜報機関を持っていない。その事が帝国、連邦に比べ今ひとつ見劣りする原因かも知れない。
本当の意味で軍事大国と呼べるのは帝国だけなのである。
帝国はいわば本土全てを対空レーダーのバリアで覆われている。大都市に駐留している基地は防空レーダーを配備し、ノースマル諸島、ガレリオン洋、メジルビア洋にはそれぞれ第3艦隊、ガレリオン洋艦隊、メジルビア洋艦隊が駐留し、その主力のエイジス艦によって海上、空中を監視している。把握出来ない存在は民間、軍隊も含めてステルス装甲を施してある最新型の飛空艇もしくはガンシップと海中を潜行する潜水艦くらいのものだった。帝国軍の誇る超弩級飛行戦艦型飛空艇ゴリアテ、トリニティの最強の空中空母型飛空艇回天等大型飛空艇や超音速巡航を可能としている帝国のFVAシリーズすらその防空バリアから逃れる事は出来ない。
レイキャンベルの防空網も帝国のそれとほぼ同様に全域をカバーしている。故にドラゴンの侵入や、ネロの駆るガンシップに気付く事が出来た。ネロがレイキャンベルに侵入するまで知られずに航行出来たのはそれが理由だった。
この防空網を破るにはステルス型飛空艇、もしくはステルス型ガンシップ、それか地上スレスレの超低空飛行しかない。
そして、今その防空網の中を深く潜入し、ローグィン市上空8000mを飛ぶ飛空艇があった。
ステルス型強襲輸送飛空艇『パニッシャー』
かつて、キルギスタン共和国クーデターの際、ジハードの降下を行うため戦火のキルギスタン上空を泳いだ漆黒の飛空艇……それが今度はローグィンに現われた。
今回降ろすのはジハードという破壊神ではなく、壮絶な訓練を経て屈強な戦士達である。
鋼鉄の扉が開き、途端にARMSの格納されている格納庫内部が減圧される。しかし、空気の圧縮程度で歪が生じる程この鋼鉄の巨人は弱くはない。
鋼鉄の巨人の背中には空艇降下装備が装着されている。
「パイロット、状況はどうだ?」
「問題なし。至って良好だ。」
「よし。降下準備だ。3カウントで降下だ。」
「了解。下はすでに戦場だ。これからそこに下りる俺達になにか言葉を送ってくれよ。」
アーヴァインの言葉に無線を通じて他の二人の戦闘員たちから笑い声が聞こえてくる。
全くこいつらは……
呆れ果てると同時にこの胆力のある戦士達に心強さを感じてもいる。
そうだな、と思案してオペレーターは熱のこもった声で強く言い切った。
「『最強』の二文字はお前らのためにあるんだ。それを示してやれ!!」
「ラジャー!!これ以上の送り言葉はないぜ!!」
ヒューといった軽快な口笛が無線から入ってくる。
「フォーカス1準備完了。」
「フォーカス2同じく。」
「フォーカス3準備完了だ。」
三機の準備の完了を確認してオペレーターは一つ頷く。
「フォーカス1、カウント開始、スリー、ツー、ワン、降下!!」
その声と同時に鋼鉄の巨人ARMSが空中に踊り出た。次々とオペレーターの声で漆黒の闇夜に踊り出すARMS達。
世界でも最強の部隊が乗る機体も実質上、最強のARMSだった。
ARMSピースメーカー
GEES最大の軍需産業を中心とする多国籍企業ジェネシス社と帝国軍が共同で開発した次世代ARMSの最高峰である。特殊ユニットを装備する事によって宇宙、海中をも活動する事ができ、その運動性能、反応速度は従来のARMSと比べ1.5倍の性能向上を実現している。N&Bシステムを採用しているARMS?N&BD01ジハードを除外すれば文句なしに地上最強の軍事兵器とすら呼称出来るだろう。
急激に降下し続ける三体の機体が空気を切り裂いていく。背中に背負った空挺降下装備から青白い噴射剤の炎が見え、見えざる手で目的地へと招いていく。
1分にも満たない僅かな空中散歩を経て、高度は1万mを過ぎ、急激に地面へと近づく。高度を3000m切った辺りから空艇降下装備の噴射ノズルが忙しそうに角度を変えながら噴射剤を噴出し続ける。青白い炎が空気を歪ませ、そして重力に対して必死の抵抗をし続ける。
「高度1000m。各機、火器管制システム、フルオープン。」
「ちょっと早すぎないか?」
「こいつの火器管制は極めて優れているが今の内に電力をたくさん食わせておかないといざという時、言う事を聞かない。下りたと同時に戦場だからな。フォーカス1、火器管制システム、フルオープン。」
「了解。フォーカス2、火器管制システム、フルオープン。」
「フォーカス3、火器管制システム、フルオープン。」
それぞれが命令を復唱すると同時にシステム稼動を確認する。鋼鉄の巨人に破壊の衝動を響き渡っていく。無機質な期待に有機体のように意思が介在しているような奇妙の感覚にアーヴァインは襲われる。
そんな訳はない。そう感じている自分の中に戦闘意欲のようなものが沸いて来たせいだ。殺してやる。
そう考えると不思議と恐怖は感じない。心の何処かが肥大化し、そして心の何処かが麻痺している。無機質の体内に生命のどす黒い執着を抱き、戦場へと迫る。
ニルヴァーナ機関部隊によるローグィン市襲撃以来の騒乱が始まろうとしていた。
特務機関ニルヴァーナ。
帝国軍特務遂行群。
レイキャンベル陸軍。
三者三様の思惑の中、それら組織の策謀の中で翻弄されながらも必死で生き残ろうとする者達……クエイド達も新たな局面を迎え始めていた。
「クエイドさん、何処に行ってたんですか?!心配したんですよ?」
クエイドの姿を見つけて、リーサは声高く叫びながらもその表情は安堵に包まれていた。
「ごめん。心配かけて。」
クエイドは素直に謝った。その事に軽い驚きを覚えながらもリーサは頷いた。しかし、彼の様子を見れば見るほど驚きが強くなっていく。
さっきまでの切羽詰った、崖っぷちに立たされていたような切迫感が全くない。非常に冷静で最初にあった頃よりも精強で肉体的にも精神的にも逞しく見えた。
「リーサ、話さなければならない事があるんだ。ラッグスを呼んできてくれないか?」
「は、はい。」
クエイドに見詰められて、リーサは言葉に詰まりながらも頷いて駆け足で後にした。その様子を見ながら、クエイドは天を仰いだ。雨はもう小雨になり始めている。そして、それと同時に心がはやる。
何かが自分にシグナルを発している。
何度も体験したその感覚に神経が鋭敏になるのを切実に感じる。この感覚に襲われる時、それは目の前に『危機』が迫っている事をいつも教えていた。
「何かが起こる……急いだ方がいいな。」
クエイドはそう呟くと廃墟となっているビルの中へとリーサの後を追うように駆け足で入っていった。
ビルの中にはすでにラッグスとリーサが待っていた。
二人の顔を見て、クエイドはゆっくりと口を開いた。
「……二人に話さなければならない事があるんだ。」
クエイドの改まった言葉にラッグスとリーサは顔を見合わせた。彼からこう言った言葉を聞く事自体が想像出来なかったからかもしれない。だけど、それ以上にその言葉を言ったクエイドの表情は悲壮とすら言える程の覚悟が見えたような気がした。
「奴ら……俺達だけじゃなくこの都市の市民さえ襲った部隊の狙いは……俺だ。」
その告白にラッグスとリーサは絶句した。かろうじてラッグスだけが次の言葉を紡ぎ出す事が出来た。
「な、何故です?やっぱりトリニティ、いや、バロンの極秘施設に潜入した事が関係あるんですか?」
震える声を自覚しながら、ラッグスはそれでも必死に言葉を整えたつもりだった。それが今の自分に考えられる判断材料としては精一杯の答えだった。しかし、提示された答えにクエイドは首を振った。
「恐らく違う。奴らの狙いはあくまで俺だ。それにバロンにあれほどの行動を起こせる部隊があるとは思えない。」
「じゃあ……」
「二人には黙っていたけど……俺は半月程前、ある任務の過程で一人の少女を保護したんだ。その少女を巡って、想像も付かない程の謀略が張り巡らされていた。ネルドガルドへのレ軍の侵攻、キルギスタンのクーデター、ルドラン連邦フォート・コーポル首都高でのモンスターと謎の部隊との戦闘……俺はその全てに何らかの形で関わり、そしてその少女も何らかの形で関わっている。」
クエイドの想像を絶する告白に言葉を失った。
ここ最近のロンダルギア情勢を震撼させる大事件の全て……そう言っても過言ではないもの全てに目の前の男が……一介のギルド派遣員である彼が関わっている事に正直、驚きを隠せなかった。
「奴らが俺を何らかの策謀の障害だと判断してそれで俺を消そうとしているのなら、話は簡単なんだ。俺は死ぬ気はないからそれを全力で排除する。出来るかどうかなんて問題じゃない。やるしかないんだ。でも……奴らの狙いがもし、その少女――サリーナの生存に気付いて彼女の居場所を探すためだけに俺を確保しようとこの騒乱を引き起こしたとしたなら……問題は俺だけに留まらない。」
クエイドのその言葉に初めて彼がそれほど悲壮な表情で自分たちに話し始めた事の心情を理解した。彼にとってサリーナという人物がどれほど大切な存在か……想像するのは難しくなかった。
「ちょっと待って下さい。そのサリーナって人は……一体何者なんですか?」
ラッグスの言葉にクエイドは表情をさらに硬くした。サリーナについて聞かれるのは避けては通れないとは思っていた。だが、この少女について語るのは辛くもあった。
クエイドは一つだけ、息を吐き出した。そして、決意と同時に話し始めた。
「サリーナは……ネルドガルドのある村に住んでいた少女だよ。だけど、その少女を……いや、正確にはその村の住民を巡っていくつもの巨大組織が動いた。その少女は……色々な理由で記憶を消されて、死んだ事になっている。でも、本当は生きているんだ。彼女がどこにいるのかは俺も分からないけど。だから……もし『奴ら』がサリーナの生存を知って俺を狙ってきたとしたなら……俺は生きて、生き抜いて、サリーナを守らなければならない。」
「……どうしてそこまでしてそのサリーナさんを守ろうと言うのですか?」
そんなの決まっているじゃない、とリーサはラッグスを咎めようとするがそれよりも早くクエイドが声を挙げた。
「俺は……サリーナの事が……好きなんだ。失いたくない、俺が一番失いたくないものなんだ。だから……彼女に危険が迫るというのなら俺が絶対に守る。理由なんて、それで十分だ。」
その表情は決意を秘め、そして愛しい人を想うとても優しくて、逞しい表情だった。だから、素直にリーサはクエイドの事をかっこいいと思った。何か……彼に足りなかったものが急速に身についてきているように思えてならなかった。
「……え?だって、貴方とリーサは付き合ってるんじゃないんですか?」
突然のラッグスの言葉にクエイドとリーサの双方が完全にあっけに取られた表情になった。そして、その表情を見て、ラッグスの表情がまた呆けたものになった。
そして、リーサが絶叫とも言える声を挙げた。
「何言ってるんですか?!何で私とクエイドさんが付き合ってるんですか?!」
ムキになって怒り、顔をラッグスの目の前まで近づけて精一杯に怒っている。まだ、何か怒りながらラッグスに詰め寄ると、ラッグスはシドロモドロになりながら何とか言い訳をしている。最初、その光景を呆けて見詰めていたクエイドだが、突然笑いがこみ上げてきた。それを抑える事が出来ずに声を潜めながら笑っていた。そう、笑っていた。
笑える。
その事に気付いて、クエイドは嬉しくなった。感情が戻ってきている。サリーナが側に居た時のように。
止まっていた時がまた動き出している。今度はこれを止めてはいけない。人として生きていくために。サリーナを守るために。俺は……生きていく。この仲間達と。
ラッグスも笑っている。何かから解放されたように。本当に満面の笑みで。
リーサも怒りながら、その表情は明るい。久しぶりの……本当に久しぶりのこの感情を精一杯楽しむように。
そして、クエイドも笑っている。人として生きていくために。時を進ませるために。サリーナを守るために。『あいつ』に抗うために。
一通り笑ってから、クエイドは大きく息を吐いた。それはため息なんかじゃない。本当の戦い、本当の言葉、その前に自分を落ち着けるための準備だ。そして、その言葉を力強く語った。
「だから、二人の力を貸して欲しいんだ。俺と……サリーナを助けてくれ。」
クエイドはそう言葉を区切ると深々と頭を下げた。
その事に二人は痴話喧嘩を止めて、クエイドを注視した。クエイドからこういった言葉を聞くことになるとは正直思わなかったが、答えは二人の中ですでに決まっている。それを言おうと二人がほぼ同時に口を開きかけた時、軽快な声が響いてきた。
「おーおー、男にそこまで言われといて何も感じないんじゃ男がすたるぜ?」
まるで馬鹿にしているかのように底抜けに明るい声に、多少緊張感が殺がれたのだが、それでもこの緊迫感の中で聞こえた声に警戒感をあらわにしてクエイドとリーサが身構えた。
クエイドとリーサの視線の先には雨に濡れた髪を無作法に掻き揚げている一人の中年の男が映った。陽気な笑みを浮かべる長身の男性。30歳半ば過ぎに見え、年相応に顔には皺が見えるがそれが年に合わないような笑みを浮かべるとその皺がより、顕著に見える。このひたすらに明るい男に対して警戒感を抱くのは難しいような気がするが、それでもクエイドたちの置かれている状況がそれを可能にした。
だが、ラッグスだけは満面の笑みを浮かべてその人物の名前を口にした。
「ネロ!!やっと着いたんですか!!」
「……ラッグス、誰だ?」
「誰だとは失敬な奴だな。お前らを助けに来たヒーローによ。」
ネロは二ッと口元を片側に上げ、白い歯を見せて笑顔で答えた。その様子にクエイドは怪訝な表情を浮かべ、ラッグスの方を向く。その意味が分かってラッグスは苦笑しながら目の前の不良中年について説明し始めた。
「彼はネロ・クライブ。性格や口にはかなり問題がありますが、飛空艇とガンシップの操縦に関しては問題ないですから。」
「ま、そういう事だ。」
ラッグスの上手いとは言えない紹介にも納得している様子のネロ。状況が飲み込めていないリーサは目をぱちくりしているだけだった。そんな彼女を見つけたネロは口元をにやにやと歪めて、腕をラッグスの肩に回した。
「あれがお前の彼女か?お前には勿体無い良い女だね〜。だからさっき、あ〜んな事を言い出したわけねぇ?」
「な、み、見てたんですか?!」
ネロの言葉にラッグスは真っ赤に顔を赤らめて言葉を紡ぎ出すのも大変そうに口を色々な形にと変化させながら、苦心して言葉を吐き出した。
「それよりも、あんたがここにいるって事はこの国から脱出する手段が?」
クエイドの真剣な眼差しにネロは笑顔を向けた。ラッグスはようやく、ネロの腕から逃れ、服の襟を正した。
「飛空艇で迎えに来たんですよね?」
ラッグスの言葉をネロは鼻で笑い飛ばした。
「レイキャンベルに飛空艇で乗り込もうってんなら、ステルス型飛空艇か飛行戦艦型飛空艇が必要になるぜ。」
「確かにレイキャンベルの防空網から逃れるのは容易じゃないからな。飛空艇でバレずに侵入するのはステルスでもない限り実質上不可能だ。」
クエイドの言葉にネロは満面の笑みを浮かべた。そして、クエイドの肩にポンと手を置く。
「ま、そういう事だ。兄ちゃん、分かってるな。」
「俺はクエイド・ラグナイトだ。」
いつものクエイドだったら、すかさず肩に置かれているその手を払いのける所だが、どうもこの男は憎めない。それに何故か今はこんなやりとりが妙に楽しかった。初めて、そんな風に思った。
「あ、私はリーサ・ウイユヴェーデです。」
自己紹介をする機会がなかったためにこの場を利用して自己紹介するリーサ。ネロは笑みをリーサに向けるが、それに対してリーサは曖昧な笑みを浮かべるのが精一杯だった。とてもラッグスの友達とは思えない、それが本音だったからだった。まだ、困惑から立ち直っていなかったのだ。
「だから、ガンシップで迎えに来てやったぜ。」
その言葉にクエイド、ラッグス、リーサ、三者の表情が固まった。そして、ひと時の間を置いてラッグスとリーサの二人が叫び声を挙げた。
「ガンシップって、それじゃここにいる全員が乗れないじゃないですか?!」
「そうですよ!!やっとここから脱出出来ると思っていたのに!!」
ラッグスとリーサがそれぞれまくしたてる中、クエイドだけが真剣な表情で立っていた。
「いや……俺もちょっとまいってるんだよなぁ。お前と尾間の彼女だけかと思ってたからなぁ。3人が限界なんだよなぁ。どうすっかなぁ。」
のらりくらりととても『まいっている』とは思えない様な表情と声で弁明する。しかし、それでもラッグスとリーサはネロに詰め寄っている。
その様子を傍観していたクエイドだが、ただ傍観していたわけではない。この状況を冷静に判断していた。そして、クエイドが静かに言った。その声は決して大きかったわけではないが、言い合いをしていた3人の耳にそれぞれ入った。
「俺が残る。みんなはネロのガンシップで脱出してくれ。」
クエイドの言葉に今はラッグスとリーサが反論した。その表情はさっきまでネロに詰め寄っていたその表情よりも何倍も深刻な物だった。
「どうしてですか?!さっきは私たちの力が必要だって言ったばかりじゃないですか?!」
「僕達の事がまだ信用できないんですか?!」
ラッグスとリーサの言い分は最もだった。二人はクエイドに力を貸すつもりでいた。それが当たり前だとさえ思っていたのだ。だからこそ、クエイドの言った言葉に納得が出来なかった。そう様子を今度はネロがさっきのクエイドのように傍観していた。それまでのへらへらと笑っていたものとは対照的に口元を締め、真摯な眼差しでクエイドの瞳を見ていた。
「違う。みんなの事を信用している。だからこそ、俺が残るんだ。」
「理由を言ってもらおうじゃねぇか。反論それからだ。」
ネロのその一言で開きかけていたラッグスとリーサの口が閉じた。ネロの瞳がクエイドに理由の説明を促している。それを理解したクエイドは一つ頷いて、話し始めた。
「ネロのガンシップには全員が乗れない。一人は間違いなく残らなくちゃならない。だけど、今このローグィンには正体不明の戦闘部隊がうろついている。そして、その狙いは俺だ。もし俺がガンシップに乗れば追撃は俺だけじゃなく他の二人にも及ぶ。だから俺が残るんだ。」
「だけどっ!!」
「理由はそれだけじゃない。この状況から脱出出来るだけのサバイバリティを持っているのは俺だけだ。俺が残るのが、全員が生き残る最善の策なんだ。」
リーサの反論を遮って語られたクエイドの言葉に今度こそリーサもラッグスも反論する事が出来なくなった。
リーサは唇を噛んだ。確かにそれが一番の策だとは思う。だけど、幾ら彼の力を持ってしてもこの状況から脱するのは容易ではない。彼が魔法を操り、ギルドでも最高レベルの戦闘技術を持っていても、相手は武装している部隊である。いや、軍隊と言ってもいいだろう。そんな相手に一人で乗り切ろうというのはどう考えても無謀以外の何物でもない。
そう無謀だ。
だけど……
リーサの唇が言葉を紡ぎ出す事はなかった。無謀だと分かっていても、それしか方法がないのも現実だった。反論できるだけの言葉を持ち合わせていない自分が情けなかった。だから、唇を噛み締めていた。
「……分かった。お前の言い分は理解できた。誰かが残らなきゃならねぇんだからな。」
ネロの言葉に反論したかったが、リーサもラッグスも何も言えなかった。ラッグスもリーサと同じだった。
彼とリーサとの仲を疑った自分が恥ずかしかった。だからこそ、その償いのためにもクエイドの力になりたかった。それなのに自分には力がない。それが恨めしかった。悔しかった。
「……すまない。」
クエイドは頭を下げた。だが、返って来た返事にクエイドはすぐ頭を上げた。
「だがな、必ず生き残ってここから脱出するって言い切れ。でないと俺も了承できねぇよ。こいつらも同じだ。……お前の代わりにお前が好きな女の面倒なんて俺は見たくねぇからな。好きな奴くらいてめぇで守れ。」
ネロはどこか照れているようにそっぽを向きながらそうクエイドに言い放った。クエイドはその事に驚いた表情を見せた。
「……聞いてたのか?」
「……まぁな。だけど、勘違いするなよ。何もてめぇに力を貸さないって言ってんじゃねぇよ。お前一人じゃどうしようもなくなったら、いつでも頼れよ!!」
ネロはクエイドの瞳を見る事はなく、そうぶっきらぼうに言い放った。その事にクエイドは立ち尽くす程、内心驚いていた。何故、今逢ったばかりの男に、こんな男にそこまでの事が言えるのか……クエイドには分からなかった。だから聞いてみた。
「どうして……今逢ったばかりの奴にそこまで言えるんだ?」
「……さぁな。理由なんて知るか。」
ネロはただそう言っただけだった。クエイドは尚も訝しそうにネロの事を見ていた。だが、その表情はすぐに真剣なものに変わった。
「……分かったよ。俺は絶対に生き残ってみせる。そして……サリーナを守ってみせる。」
その言葉にネロはまたいつものヘラヘラした表情に戻った。だけど、その表情にはさっきまでのような腑抜けた中年と言ったものではなく、信頼の出来る男の、頼れる表情のように思えた。その様子を見ながら、ラッグスとリーサは微笑みあっていた。
この時……短くも長い苦闘の中で、初めて仲間だと思えた。自分たちが始めて結束したように思えた。
そして、突如銃撃音が響いた。
「かがむんだ!!」
クエイドの叫び声とほとんど同時に残っていた窓ガラスが音を立てて砕け散り、埃まみれの床にばらまかれる。そして、その窓ガラスを突き破った銃弾がクエイドたちを引き裂こうと迫ってきていた。
クエイドは銃撃の中、爆音に鼓膜が悲鳴を上げているのを感じながら這いつくばって辺りを見渡した。ラッグス、リーサ、ネロも皆一様に姿勢を低くして銃撃に耐えている。どうやら皆、銃撃による被害は受けていないようだ。
「くそったれ!!いきなり銃撃してくる野郎があるかよ?!」
ネロは耳を両手で抑えながら、銃撃にもの負けない声で叫んでいる。だが、実際それほどの大声で叫んでみても、銃撃の凄まじさの前では微かに耳に届くくらいだった。
クエイドはその状況の中で必死に状況を分析しようと勤めていた。
奴らは少なくとも軍隊で行われている戦闘訓練を積んでいる。ならばこの銃撃戦の後に行ってくるだろう戦法は……
そう考えた時、クエイドの脳裏に明確な危機感としてあるビジョンが鮮明に映し出された。
マシンガンを始めとする自動小銃、ライフル、短銃の類は例に漏れず、弾丸を水平に飛ばす。もちろん重力には逆らえず徐々にその角度を深めていき、最後には地面に落ちる。しかし、例外なく目標と銃口をほとんど直線で結ぶ。つまり、これが何を現すかというと目標の前に遮蔽物が存在する場合、弾丸はほぼ全てその遮蔽物によって阻まれるという事である。
クエイド達のように屋内に隠れている敵に対して、屋外からではマシンガンは有効に効果を発揮しない。この場合、屋外から敵を殲滅する手段としては、屋内へ放射線上に弧を描き、内部から爆砕する兵器か、遮蔽物もろとも内部の敵を吹き飛ばす兵器が求められる。
つまり――前者に当たるのが手榴弾、後者がグレネード弾、ミサイル等の絶大な火力を誇る兵器である。歩兵が持つ軽兵器としてはこの場合、手榴弾が有効だろう。破裂した手榴弾は爆心部を中心に半径20m以上に渡って、爆炎と金属片を撒き散らす。その破壊力はモンスター以外の生命体にとって死に直結する重大なダメージを負わせる。
クエイドはそんな細かい概要など考える事無く、圧倒的な危機感と手榴弾という言葉だけを感じた。そう……この部屋で手榴弾が爆発し、炎と金属片が撒き散らされるビジョン。それが明確に見えたからこそ、クエイドは銃撃音で鼓膜が破れる程の大音量の中で、それに負けないくらいの大声で叫んだ。
「手榴弾が来るぞ!!!俺について来てくれ!!!」
簡潔にそう言うとクエイドは寝そべったままの姿勢で歩幅前身のまま進んだ。頭の上を破れた窓ガラスから銃弾が幾つも飛び込んでくる事を考えると少しでも体を挙げる事は恐ろしかった。クエイドは肩越しに後ろを振り向くとネロ、ラッグス、リーサも同様の格好でクエイドについて来る。それでクエイドは自分の声が皆に届いていた事を確認し、再び視界を正面に戻す。少しでも早く。急げ。そう自分を急かし続けていた。
短く長い掃射の最中、二人の戦闘員が小走りにクエイド達の潜む廃墟のビルに近づいた。そして、壁に背を預け、両手でマシンガンを抱き、所定の位置に着いた事を手振りで合図する。その合図を待って、一人の戦闘員が右手を上げた。それと同時に掃射の銃撃音が徐々にその音量を下げ、そして久しぶりに沈黙が訪れた。それを待っていたように破れた窓ガラスにさらに二人の戦闘員が近づく。窓の両サイドにしゃがみ込み、慣れた手付きで手榴弾を取り出すとその安全ピンを何の躊躇も無く引き抜いた。そして、二人の戦闘員は顔を見合わせた次の瞬間、その破れた窓へ腕だけを伸ばして手榴弾を放り投げた。そして、すぐさまその場から駆け出す。重い軍隊の装備をガチャガチャと乱暴に揺すりながら、そんな事も構わず全力で走り続ける。そして、背中で二つの爆発音。それは、思ったほど大きいものではなかった。ビルを僅かに微震させ、ビルから埃がチラチラと舞い落ちる程度だった。だが、内部には猛烈な破壊の傷跡が残っているはずだった。
「破裂音2つ確認!!」
「制圧しろ!!ゴー、ゴー、ゴー!!」
隊長らしき人物が声を張り上げて、手を回した。それに呼応するように隊長の前を次々と戦闘員が走り抜けていく。その全員の手にしっかりと自動小銃が握られていた。
まだ、煙を吐き出している窓から暗視ゴーグルをかけた戦闘員二人が突入した手にした銃口を周囲に巡らす。息はまるで上がっているつもりはないが妙に自分の息遣いがはっきりと分かった。訓練の時からそうだった。突入の時はいつもそうだ。この緊張感はどんなに訓練を積んでも慣れる事は出来ない。実戦ならば尚更だった。
<どうだ?目標の確認は出来たか?!>
「現在確認中。追って報告します。」
戦闘員は無機質にそうインカムに呟いた。暗視ゴーグル越しに見る灰色の光景はビルの灰色をより濃厚にして映る。だが、実際の部屋は煙が立ち込め、目を開けている事も苦痛なのだが。
その灰色の視界に映し出される部屋には人影はどこにもない。そう、どこにもない。あるのは爆発の炎の煤と、手榴弾の金属片で部屋はズタズタに引き裂かれている。だが、あるはずの死体が何処にもない。一つくらいはあってもいいはずなのに、それが何処にもない。それに慟哭を早めた。そして、吐き出すように呟いた。声と一緒に肺に溜め込んであった空気が漏れていく。
「……目標確認できず。繰り返す。目標、確認出来ません。」
繰り返された言葉。そして、無線から返って来た言葉は簡単な物だった。
<了解。撤収だ。>
空しく響いたその言葉に内部に潜入した戦闘員二人がうな垂れた。そして、外で無線交信していた隊長は無線を切る。
「……くそっ!!化け物め!!」
そう毒づくと隊長は各隊員に撤収を伝えるため、再び無線に手を伸ばした。
ニルヴァーナ機関の軍事行動は世界各国の諜報機関による大規模な情報収集を招いた。ドルテカ帝国は陸軍情報部とIIAの対立する二つの巨大諜報機関が、ルドラン連邦は国家公安調査庁が、そして、トリニティはCITをレイキャンベルに配置した。
帝国陸軍情報部
陸軍情報部に籍を置くリーザに対する上層部の評価は総じて高い。的確な判断能力、必要な時に迷わず行動を起こす決断能力、時として最前線に送り込まれ、そこで己の身を守る戦闘能力、ARMS操作技術、そしてその最前線で戦い抜く事の出来る強靭な心と部下を思いやる優しさを秘めたもう一つの心。彼女は上層部、部下の両方から絶大な信頼を得ている。そして、それに奢る事なく彼女は日々任務遂行する。そして、今この時も。
「……『プロジェクト・ノア』。計画内容、天空に漂流している『遺跡』・『方舟』の発見及び、軍事利用。計画遂行時の脅威評価、帝国空軍総合軍事力に相等。そして……」
リーザはその書類から瞳を離して、置かれているTVに視線を戻した。テレビにはローグィン市テロ事件に対するコメントを言う自称軍事評論家が適当な事を話している。彼女は綺麗なエメラルド色の瞳を細めた。流れるように綺麗な黄金の髪が揺れている。容姿端麗、頭脳明晰。彼女に憧れを抱くのは男性情報士官だけではない。女性にとっても彼女は憧れである。その彼女は決して周りに人がいる時はこのような表情はない。彼女の表情に迷いや恐怖を見た事のある人間は全くと言っていい程いないだろう。一人の時だけは弱さを出す事が出来た。
「現在、ローグィン市でプロジェクト・ノア、進行中……」
彼女はそう呟くと視線を再び書類に戻し、その書類を美しい細い指先が封筒に収めていく。その封筒には極秘資料を意味する赤い烙印が押されている。それに触れる事が出来ることが上位士官の特権だった。
そして、ノックがリーサの耳に入った。広くもないこの部屋ではその音はやけに響いた。彼女は封筒を手早く隠し、拳銃を手に取る。そのカートリッジを確認し、そして安全装置を外す。この間約20秒。そして、扉に近づくのに5秒。覗き窓から相手を確認して、扉の鍵を開けるのに同じく5秒。総時間約30秒を経て扉が開いた。そこに立っていたのは長い黒髪のまだあどけなさを残した女性だった。
「おかえりなさい、サユリ。」
リーザはとびきりの笑顔で出迎えた。しかし、サユリは彼女に笑顔を返すよりも先に手に持っている拳銃を見て、苦笑を返した。
「出来ればその右手の物は見たくなかったな。」
サユリは本当に少女のような女性だった。国籍はドルテカ帝国だが、母親がルドラン連邦の人間である事から、彼女は強く黄色人種の肌と、ルドラン連邦の一般的な人種の特徴を受け継いでいる。しかし、幼く見えてしまうのはそうした事よりも、彼女の少女のような屈託のない明るい雰囲気による所が大きい。そんな彼女を陸軍情報部所属の少尉だと言っても大概の人物が笑い飛ばすだろう。
そんな彼女の言葉にリーザは笑顔で右手の拳銃に安全装置を再び、かける。
「同業者が仕事をしているんだもの。これくらいはね。」
その言葉にサユリはきっと表情を引き締めた。そして、部屋に入ると再び鍵とチェーンをかける。
「……で、どうだった?」
リーサの言葉にサユリは深刻な表情で答えた。
「レイキャンベル陸軍情報部が今から約1時間後に状況を開始するわ。特務遂行群もほぼ同時刻に状況を開始。ちょっと大変かもね。」
その言葉にリーサは表情を硬くした。それは更なる破壊をローグィン市に招く事を意味していた。しかし、そんな心の奥底の動揺も知らずにサユリは尚も続けた。
「あともう二つ。」
「何?」
リーザの促しにサユリは顔を今までにない程強張らせた。
「国家公安調査庁が今回の件に対してテロ特別対策室を本社本部に設置したらしいの。でも真実は帝国が進めているN計画とプロジェクト・ノアに対するものらしいわ。推定200名以上の諜報員及びカードがレイキャンベルに侵入を確認。これで尚更情報収集が厳しくなるわね。そして、CITまでついに動き始めたわ。」
「CITが?」
リーザは怪訝な表情を浮かべた。その事の意味をサユリは感じ取って同じく怪訝な表情を浮かべる。
「そう……CITの情報収集能力は決して高いものじゃないけど……どうも動きが怪しいのよね。その動きに連動するようにトリニティと帝国中央議会が何か画策しているみたい。」
「テロに対する情報収集が目的……と考えるのが普通だけど……気になるわね。今回の一連の騒動……レ軍のネルドガルド侵攻から従来では考えられない不可解な事が多く頻発しているわ。陸軍情報部やIIAを凌ぐ情報収集能力を持ったニルヴァーナ機関の動き、モンスターの突如としての都市攻撃。何かが起こっているのは間違いないわ。」
リーザの言葉にサユリは表情を引き締めた。それに気付いてリーザは笑顔を浮かべた。
「心配しないで。私たちは私たちに出来る事をしましょう。とにかく、今はプロジェクト・ノアの進行状況を見極めるしかないわ。」
リーザは優しい声音でそう言うと視線を初めてサユリから離した。
国家公安調査庁
「帝国軍特務遂行群の出動を確認?!間違いないのか?!」
国家公安調査庁テロ対策室室長に抜擢された湯村はその報告に思わず声を荒げた。その報告を持ってきた職員は湯村の迫力で思わず後ずさりそうになった。
「は、はい。帝国軍インバトール基地から高速輸送飛空艇の発進は現地の諜報員が確認しています。そして、その飛空艇が帝国軍レイキャンベル・マサリク駐屯地に着陸している事も確認済みです。特務遂行群の過去の出動パターンと重なる点が多すぎます。」
「……インバトール、高速飛空艇……確かに、特務遂行群の出動パターンだな。」
湯村はそう自答すると目を伏せた。
帝国軍インバトール基地は帝国軍4大基地の中でも中央ロンダルギア諸国への対策として活動する事が多い。先のキルギスタン・クーデターの際もインバトール基地に所属する戦車師団、機動師団が派遣された。そして、外事課が確認した本国を除くロンダルギアでの特務遂行群の出動には必ずインバトール基地が何らかの特殊な反応を見せていた。
そして、特務遂行群の特殊性、24時間以内に全世界の何処ででも作戦活動を開始できるという条件から見ても、高速飛空艇が必ずと言っていい程登場してくる。
「……まだ、特務遂行群の作戦活動の開始は確認していないんだな?」
「はい。今の所は……しかし、それも時間の問題かと。」
「分かっている。IIA、帝国陸軍情報部の動きに注意しながら諜報収集を厳にしろ。」
そう言って湯村はその職員に背を向けた。
「……特務遂行群の派遣……帝国は何を考えているんだ?このローグィンに何があるというんだ?何が起こっているというんだ?!」
情報マンでありながら、その一番大事な部分を知らない自分の力が悔しかった。
IIA
IIAという諜報機関はルドラン連邦の国家公安調査庁に比べると重大な諜報成果を挙げていないように見えるが、それは諜報という閉鎖社会においてそう見えるだけで実質上は国家公安調査庁に並ぶ、優れた諜報機関である。帝国、ガイリア、連邦の三者の冷戦構造と情報戦で真の功労者は間違いなくIIAと国家公安調査庁の両者である。
本来ならば共闘するはずの帝国陸軍情報部とIIAは二つのNを冠する計画の狭間で対立構造を深めている。
しかし、現状に疑問持っているIIAに所属する者も多い。IIAは本来、帝国首相府直属の組織であり、中央議会を含む政府機関に対しては中立の立場をとる事が原則である。中央議会の提唱するプロジェクト・ノアにIIAが参加する事に疑問を感じているのだ。
「ニルヴァーナ機関の独断によるプロジェクト・ノア遂行……これは明白な事実です。これ以上IIAが彼らに加担するのは各政府機関に中立の立場を守るという我々の原則に反します。」
「しかし、軍部のN計画は帝国の未来を左右する極めて重大な計画だ。それに対抗出来るのはプロジェクト・ノア以外には存在しないというのもIIAの見解ではないのかね?」
「確かにそうですが、ニルヴァーナ機関の今回の行動は度が過ぎます。これでは帝国のトリニティでの孤立すら懸念されます。それでは恐れている軍部独裁に拍車を掛けます。いまこそ、IIAの本来の姿に立ち戻るべきです。」
「……情報ではCITもついに動きだしたそうです。もしも、中央議会に対してトリニティから何らかの要請がされた場合……どうしますか?」
「……中央議会の出方を見よう。もしも、中央議会のプロジェクト・ノアが世界にとって脅威と我々が認識した場合……我々は本来の目的に立ち戻り、プロジェクト・ノア及びN計画の詳細を突き止め、全世界に暴露する。」
IIA局長の言葉にIIA上層部のメンバーは息を呑んだ。
この時からすでに、IIAと帝国中央議会の確執は始まっていた。
敵対しているはずのIIAと国家公安調査庁の両者が同一の目的が行動を開始するという皮肉な事態が迫りつつあった。
そして、この後に起こるトリニティと帝国中央議会の共闘によって、その立場を明確にしていく事になる。
動乱は広がり続けていく。果てのない悪夢のように。
(Continue)
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