第5章「君は何も失ってなんかないよ(エピローグ)」
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……あれからどれくらいたっただろう?
そう自分に聞いてから、クエイドは確か五日くらいか……と内心でごちた。
身なりはは擦り切れている所がいくつもあって見られた物じゃなかった。恐らく大半の人が見れば浮浪者だと勘違いされている所だろう。
「……いや、浮浪者か……」
クエイドは力ない声で自分を皮肉った。
ギルドが何の連絡も入れない自分に対してどういった処罰を下しているか分からない。下手をすれば除名もあり得る。そして、クエイドにはもうギルド派遣員として任務に就くつもりはない。しかも自分の家には帰れない。
あの後……ローグィン市でラッグス、リーサ、ネロと別れてからもローグィン市を襲った戦闘部隊と思われる追撃が執拗にクエイドを追い詰めていた。
あれほど大規模な軍事行動を起こされる事はなかったが、暗殺まがいの事をこの五日間で何度も受けている。
街中でナイフを隠した男に尾行されたり、すれ違いざまに刺されそうになった事もある。こんな事を繰り返されては、食事にさえ毒を盛られる可能性があるのでレストラン等を利用する事も出来ない。ほとんど、コンビニなどで手に入れたパンなどで食いつないでいる状態だった。
食事よりも問題なのは宿だった。
最初の日に寝込みを襲撃され、これを何とか撃退する事で難からは逃れられたが、それ以来毎日野宿状態だった。
そんな状況では肉体的にも精神的にも追い詰められて当然だった。
そして、クエイドはそんな状況を打破するためにルドラン連邦に向かっていた。
相手がどこの国かは何となくわかっていた。
これといった証拠があったわけではないが、あの戦闘の仕方から何となく推測は出来ていた。だからこそ、表面上はともかく敵対関係にある連邦に身を寄せる事にした。
だが、連邦に入国してからも追撃は終わらなかった。
回数自体は圧倒的に少なくなってきているが、明らかに奴らも連邦に侵入していた。
クエイドは現在、カイデリカ市にいる。
路地裏に腰を下ろし、虚ろな瞳で呆けている……そんな感じだろうか。
(……さぁ、これからどうするかな。)
クエイドはそんな事を考えながら、気だるい体を揺り起こして立ち上がった。
そして、歩き始めようとした時、出掛かっていた足が止まった。
闇夜の中で、薄明かりの路地裏と光の溢れている本道へと続く細い道。空き缶やゴミなどで薄汚れているクエイドの周りに本道から零れる明かりが差し込んでいた。
だが、今はその明かりはクエイドには届かない。その細い道を一人の男が遮っていた。
真っ黒のスーツの男。そのスーツで隠していても分かる、鍛え抜かれた肉体。そして、右手に銀光を放つナイフ。
気配はその男だけ。相手は一人。
その事実にクエイドは半身を引き、いつもの戦闘態勢を整えた。右手はいつでも腰に隠してある短剣を引き抜ける。
出来るだけ、騒動は起こしたくはない。だから、広範囲に影響を及ぼす魔法は使いたくはなかった。だが、いざとなればいくらでも使ってやる。俺は生きなければならない。
クエイドの生への執着心が萎えかかっていた精神を強靭に繕っていく。
僅かにこめかみに痛みを覚えるような集中と緊張感。その中で視界にその男しか映らなくなっていく。
相手は動かない。ただ、ナイフを構えクエイドを睨みつけている。
(動かないなら……こっちからやってやる。)
クエイドはそう決心すると地面を強く蹴った。滞留していた風が一瞬にしてクエイドの金髪をたなびかせた。流れるような軽やかな動きで男へと迫る。
男はナイフを突き出した。緊張感に負けたのか距離が甘い。十分に引き付けずに放ったナイフを避ける事はそう難しい事ではない。僅かに身を傾け、伸びた腕の中に潜り込む。そして、その勢いのままに右手の拳を相手の腹部へと打ち込んだ。
鈍い音と共に男が吹き飛ぶのが見えた。完全に急所を捉えた一撃だった。男はそのまま空中遊泳を楽しんでから、地面に落ちてゴロゴロと転がった。
反撃をする事など出来ないだろう。クエイドはそう考えて後ろを向いて駆け出そうとした瞬間だった。背後からくぐもった男の声が耳に入った。
「……馬鹿……め……」
笑ってさえいるようなその声を不審に思って、振り返ろうとしたその瞬間、肩に衝撃が走った。
「ぐっ?!」
思わず苦痛に表情をゆがめて、崩れ落ちるようにその場に片ひざをついた。右手で左肩に触れると何度となく経験したぬるりとした気味の悪い感触がした。右手を見れば鮮血で真っ赤に染まっていた。
狙撃
その言葉に頭の芯が冷える。
まさか狙撃手までいるなんて……
自分の無用心にヘドが出る想いだったが今は急いでこの場を離れなければならない。クエイドが立ち上がろうとした時、自分のすぐ近くのコンクリートの一部が弾け飛んだ。そこに視線を向ければ、明らかな弾痕があった。
それに戦慄を覚えて、クエイドは駆け出した。急いでこの場を離れなくてはならない。クエイドは流れ出る血を構いもせずに走り続けた。左肩は異様に熱い。力が全く入らずに左手はだらりと垂れ下がっている。どこを走っているかも分からずに路地を悪戯に駆け巡った。それをしばらく続けてからクエイドは走るのをやめた。
正確にはやめたのではなく、走れなくなっていた。数歩歩いてからその場に崩れ落ちるように倒れた。その衝撃で唇を切ったのか血の味がした。奥歯を噛み締めて自由な右手だけで上半身を起こし、ビルの外壁にもたれ掛かった。
呼吸の乱れは心臓の鼓動に呼応するように少しも収まる気配がなかった。
「くそっ!なんて……ミスだ……」
自分のミスを叱責せずにはいられなかった。普通の状態ならば狙撃があり得る事は十分に想定していたはずだった。あの状況で戦う必要など何処にもなかった。目の前の敵を倒しただけで油断するような事もなかったはずだ。
右手で地面を叩きつけるがそれは弱々しい一撃だった。徐々に狭まっていく視界に危機感を覚えながら、必死で瞳を開けていた。
「……俺は……こんな所で……死ぬわけには……いかないんだ……」
クエイドは自分を奮い立たせるために何度も何度も呟いてきた言葉を呟いた。その言葉を呟けば強くなれた。
だが、この時だけは疲れ果て、傷つきすぎた体の前に有効に作用しなかった。朦朧とした意識はやがて、暗闇に落ちていった。
そして、どれくらい時間がたっただろう?
まるで分からない状態の中で声が響いてきた。
あの……大丈夫ですか?
(だ、誰だ……?)
声の主を見ようと瞳を開けようとするが未だ視界は暗闇のままだった。
あっ!怪我してるの?!
(見れば……分かるだろ。)
そんな事を考えながら、必死で瞳をこじ開けようとする。今の自分が置かれている状況を考えれば急いで意識を回復させなければならない。自分自身で体を制御しなくてはならない。だからそれが出来ない現状に苛立っていた。
ちょっと待ってて
そんなような声が聞こえてからしばらく立ってから視界の暗闇に光が走った。
そして、左肩の痛みが引いていくのを感じた。優しい光だった。
これで大丈夫
でも……このままじゃダメだよね……
(……あっ)
そこでクエイドはある事に気付いた。そして、その事を確かめるために瞳をこじ開けようとした。今確認しなければ俺は一生後悔する。そう思ってクエイドは瞳をこじ開けた。
暗闇からぼやけた視界となってクエイドの瞳に『現実』を映し出した。
輪郭すらもぼやけているが人の顔が自分を覗きこんでいる。クエイドは焦点を合わせようと必死になってその人の顔を見た。
徐々にはっきりしていくその人の顔。
女性だった。色素の薄い茶色のストレートの髪。大きな瞳には心配そうな光が灯っている。
口も、輪郭も、全てが知っているものだった。
ああ……やっぱりそうだ。
クエイドはそう思って安心してまた瞳を閉じた。
どうやら俺はここまでらしい。本気でそう思った。
最後に、愛している少女の顔が見えた。ただ、それだけでクエイドは安らいだ。この気だるい眠気に全てをまかせようと思えた。
幻想のはずのその少女はまだ何かを言っているようだがもうそれさえも聞こえては来なかった。ただ……その安らぎの中でクエイドはついに眠りに落ちていた。
まるで子守唄だ。
そんな幻想的な事を考えていた。
死の眠りへと落ちていく者に送られる死の天使の歌声。それが愛している人の声であったならこれ以上に幸福に満ちた死は無いのではないだろうか。
死の甘い誘惑……
クエイドがそう誤認したその感覚に身を委ねる事が出来たのも全ては愛している少女ゆえだった。あれ程、死が恐ろしく受け入れ難い存在でも、ある種の覚悟と愛している者に「もう苦しまなくいい」と言われてしまえば受け入れてしまう。
死に魅入られる……そうとも言えるだろう。
ただ、クエイドが真の意味で幸運だったのはクエイドが死への眠りと思い込んだものは体験した事もない疲労感と痛覚からの解放が原因であり、幻想だと思っていた愛している少女の幻影は幻でも幻想でもなく真実だった。
そう……全ては真実なのだ。
微かに上げた瞼から光が差し込んでくる。
白い閃光となって、クエイドの眠りを妨げたのは窓から燦々と差し込む日差しだった。
体を起こそうとするが疲労感と気だるさで思うように動かない。右手でようやく左肩に触れる事が出来るが、あのヌルリとした血の流れている感触はなかった。
視線を向ければ、血痕どころか銃創すらも見あたら無い。あれからどれくらい時間がたったかは定かではないが、それほど時間は経っていないとクエイドは思っていた。
それなのに、これほどまでに傷が完全に癒えているという事は一つしかない。
(……魔法……か)
クエイドは視線を天井に戻してそう内心で反芻した。
見渡せばそれは小奇麗に纏まった一室である事が分かる。
調度品や雰囲気からこの部屋の持ち主が女性である事がクエイドにも何となく理解出来た。一つ息を吐いてからクエイドは思索した。
(……迷惑は掛けられないな……早く出て行かないと……)
そう考えてみても、動かない体ではどうしようもない。その事に軽い苛立ちを覚えてクエイドはシーツに顔を埋めた。
人の足跡がした。
クエイドはシーツから顔を出すとその足跡の近づいてくる扉の方に視線を向けた。
何故だろう。
胸騒ぎが起こった。足跡の音が近づいてくるたびに鼓動が早まる。
それが何故か分からなかった。
ただ、自分にとって重要な何かが起ころうとしている。そう直感的に感じた。
開いた扉。
現われた少女。
そして、絶句するクエイド。
これはまだ幻想の続きか?
それとも俺は実は死んでいるのか?
クエイドはその少女を見た瞬間の衝撃を二度と忘れないだろう。
幻想の中、その何度も何度も見てきた姿で、想い出の中の笑顔を自分に向けている少女。
優しい微笑み。その微笑みが俺に大切な事を幾つ教えてくれただろう。
大きな碧色の瞳。その瞳に何度癒されただろう。
肩で切り揃えられた茶色の髪。その髪の香りが何度胸を掻き毟っただろう。
華奢な細い体。その体を何度抱き締めたいと思っただろう。
小さな手。その手を幾度、繋ぎたいと思っただろう。
彼女を造形する幾つもの要素が何度も何度も俺を救ってくれた。
それは想い出となってからも変わる事はなかった。
でも……想い出よりも鮮明に衝撃的に自分の目の前にいる見慣れた少女の姿。
それは幻想だろうか?
彼女は歩いてくる。自分に向かって。
優しい日差しが二人を白く包んでいる。彼女を輝かせている。俺は彼女にどういう風に見えているだろう。
俺は想い出の君の姿を、君の声を抱いて生きてきた。彼女がいなくなってから……
瞬きする程の長い時間が流れていく。
呼び合う心の声が木霊し合っているような気持ちだった。
そう感じたのは俺だけだろうか。君は……何を想って微笑んでくれているのだろう。
――サリーナ。
心の中で呟いた少女の名前。
そう呟いた瞬間に、二人の物語がまた動き始めた事をクエイドは知った。
それが悲劇だろうが、喜劇だろうが構わない。
ありがとう。
誰に呟く訳でもなく、クエイドは心の中で泣きながら呟いた。
何度も何度も呟いた。彼女と再び出会えた事が、その瞬間は嬉しくて堪らなかったから。
幾度も自分を苦しめてきた運命という奴にこの時だけは感謝した。
サリーナ。
クエイド。
今、二人の運命が再び交わった。
その果てはまだ見えなくても……彼女と出会えた。
そう……二人の物語は再び始まった。
全てを知る者ならばこう言うだろう
プログラムだと
予定調和だと
だけど……それが『運命』だとしても
その『運命』を殺せるのもこの二人しかいないのだから
未来は今、開かれた
(Continue)
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