EARTH
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第6章「君がいた想い出と 君が忘れた僕(2)」
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クエイドは小さく声を漏らした。
今まで気付かなかった事に大きな後悔が襲ってきた。
サリーナの部屋に戻ったクエイドはする事がなく、暇を持て余していた。そして、いつものように短剣の手入れでもしようかと至る所を探してみたが見つからなかった。
「……まずいな。」
クエイドは思わず苦い表情で漏らした。
ここに来るまでは確かに腰に装備してあった。それが起きてからは見当たらない。
その事に若干の焦りを感じながら、クエイドは思案した。しかし、答えはすぐに出てきた。だからこそ、クエイドは思わず舌打ちしてしまった。
「……サリーナしかいないじゃないか。」
そうとしか思えなかった。
その事がクエイドには苦々しかった。

サリーナには……特に今のサリーナにはそういった物を近付けさせたくなかった。
短剣、拳銃、爆弾……そういった人を殺傷するものを彼女に近付けさせたくなかった。せっかくそういったものから遠ざかる事の出来た彼女を再び巻き込みたくはなかった。

だが、そう考えた時、クエイドは凍りついたように動きを止めた。

オマエハドウダヨ?

そんな嘲うような声が聞こえてきた。
短剣よりも、拳銃よりも、爆弾よりも、俺という存在の方が彼女にとって危険なんじゃないのか?
そう考えた時、クエイドは心の底から震え上がった。
分かっていた事なのに、いまさらながらその問題の大きさを思い知った。彼女を大切に想うがゆえに今の自分の置かれている状況が切実だった。
「分かっている……分かっているさ。」
苦悶の表情を浮かべてクエイドはそう呟いた。
分かっている……だけど……だけど!!
彼女から離れたくない。彼女を手放したくない。彼女を見続けたい。
その想いが彼女から離れる事を頑なに拒み続ける。
理性では分かっていても、感情が、心が理解してはくれない。まるで小さな子供のように自分の望みを声高に叫んでいて、やめようとはしない。
決してその叫びをやめない。
俺は……サリーナが好きなんだよ。
その事を声高に叫びたかった。誰に聞かれてもいい。喉が潰れる程叫び続けたかった。
だけど、それだけは出来なかった。それだけは心が理解してくれた。
……彼女に過去を告げるような行為だけはしたくはなかった。
彼女に過去を告げて、それでどうなるのか……分からなかったから怖かった。
もしも、彼女さえ……太陽のように輝く彼女さえ狂気と絶望という黒い雲が掛かって、その輝きを失うような事になったなら……それだけは絶対に嫌だった。
サリーナがサリーナでなくなるなら、こんな想いなんて意味がない。
俺は……サリーナが……サリーナのままのサリーナが好きなんだ。

そう思う事は悪い事か?
人は変わっていくモノだから……変わらないで、その人のままであり続ける事を望むなんて事は悪い事なのか?好きな人が好きな人でなくなってしまう事を否定する事は悪い事なのか?……変わってしまっても愛し続けるのが本当の……『真の愛』なのか?

「……俺にそれが出来るのか?」
自分を嘲って笑う。その嘲笑がすでに出来ない事を現していると俺は思った。
それは……わがままなのかも知れない。それでも、そうだとしても、俺は今のサリーナが好きだ。どうしようもないくらいに。
サリーナのあの優しい温かい微笑みが。少し冷たいけど、あの俺を包んでくる小さな手が。触るとすごくさらさらしていて零れ落ちてくる彼女の髪が。あの大きな瞳でいつでも俺を見詰め続けてくれる。あの碧色の世界で俺を包んでくれる。その宝物のように煌びやかな心で俺を優しく迎え入れてくれる。
彼女の全てが……愛しくて、失いたくなくて、変わって欲しくなくて……。
……彼女が……好きなんだ。

クエイドは強く瞳を閉じた。
開くとすぐにでも泣き出しそうだった。
(俺って……こんなに涙もろかったっけ?)
そう思って何か、可笑しくなった。声を立てて笑いたかった。殺人人形なんて呼ばれていた俺が、彼女がいるだけで、笑って、怒って、泣いて、そしてまた笑う。
こんなにも俺の出来損ないの、つぎはぎだらけの心が七色に輝く事を嬉しく思う。
クエイドは瞳を開けた。そして、きっと視線を強くした。
そうだ。
サリーナはいる。俺の側にいるんだ。俺に多くのものを与えてくれるサリーナが側にいる。
だから……俺もサリーナに与えられる存在になろう。もっと強く。もっと大きく。もっと優しく。彼女を包み込める程に。
まだ、判断を下すのは早すぎる。
俺はまだ、彼女に何も与えていない。何かを奪ってきた俺がサリーナに何かを与える事なんて出来るはずが無いのかもしれない。でも、それを決めるのは他人じゃない。サリーナでもない。俺自身なんだ。俺が努力するしかないんだ。彼女に与えられるように。

そして……願わくば、『愛』を彼女に与えられるように。
彼女という花に『愛』という水を与えられるように。もっと大きな花びらで、もっと輝いて欲しい。その願いを水にしよう。その願いを愛にしよう。
それが出来るその日まで……俺はもっと……もっと強くなりたい。
彼女を支えられるように。支えられてばかりじゃなくて、支え合えるように。
二人で手を取って……二人の道が交わって、一つの道になれるように。
 

答えが見えたような気がした。

ずっと迷っていた事の答えが。
俺は生きるべきなのか、死ぬべきなのか。
そんな抽象的な事だったから、明確な目標もなくて俺は困惑して、絶望の中に立たされた。
だけど、それが明確な目標になった。

もしも……サリーナに必要とされるなら……他の誰かにも必要とされる時が必ず来る。この人を傷つけるだけの力もきっと守るために使う事が出来る。
だから、サリーナに必要とされよう。そこから……俺は変わっていける。

こんな時……いつもなら『あいつ』が現われて何かを呟いていくはずなのに、この時は『あいつ』は現われなかった。
それは……サリーナの香りが溢れているこの部屋のお陰だったのかも知れない。彼女は目の前にいないのに、すごく近くに彼女を感じる。
腕を広げる。そうするとまるで彼女がこの腕の中にいるような感覚が両腕に走る。
彼女が『あいつ』を連れてくると最初は思っていた。でも、本当は違っていたんだ。
あの頃は……彼女の優しさを受け入れられなかった。彼女の優しさの中で自分の中の暗闇が見えて、それに囚われていた。だから、『あいつ』が現われた。
でも……今は違う。『あいつ』は現われない。サリーナが俺の狂気を消し去ってくれる。俺の中の暗闇をその白い輝きで掻き消してくれる。俺は……俺のままで生きていける。

サリーナのベッドの上にそっと手を置いた。日差しで温かくなっているそのベッドの上にそっと頬を乗せた。
(……温かい。)
瞳を閉じるとまるでその温かさの中で揺らいでいるようだった。全てが温かい。暗闇の中なのにそれがサリーナの温もりがあるとないとでは全然違って感じた。
窓の外にはもう明かりはない。太陽は隠れて夜の帳が下りている。薄暗いその部屋の中で、サリーナを感じながらクエイドはいつのまにか眠っていた。まるでゆりかごで眠る赤子のように深い眠りに落ちていた。そして、久しぶりに『あいつ』以外の夢を見ていた。
 

サリーナは仕事の疲れを若干感じながら自分の部屋へと足を進めていた。そして、自分の部屋の前に来てふと足を止めた。
(……あれ?)
サリーナは訝しげに小首を傾げた。少し開いている扉から、光がすこしも漏れてはいなかった。中にはクエイドがいるはずなのに……
そう思い、静かに扉を開けて部屋の様子を覗いてみた。目が暗さに慣れずに最初は真っ暗で何も見えなかった。しかし、時間が経つにつれて少しずつ中の様子が見えてきた。そして、サリーナは思わずくすりと笑みを零した。
扉を静かに開けて起こさないように部屋に入った。暗闇に慣れた目ならこの程度の暗さなら少しの問題もなかった。
ベッドに座り込むように寝入っているクエイドの側にそっと座ってクエイドの顔を覗いてみる。
規則的な寝息を立てて眠っているクエイド。そのクエイドの穏やかな、子供のような表情に思わず優しい笑みが表れてしまう。
「……かわいい。」
サリーナは思わず小さくそう呟いていた。本当にクエイドの寝顔は可愛かった。いつもは表情を硬くしていて、可愛いなんて思った事なかったのに今は本当に小さな子供のように可愛い。そのクエイドの表情がすごく好きでずっと見入っていた。

良く見てみるとクエイドの本当の表情が色々と見えてきた。
丹精に整った目鼻立ち。切れ長の瞳。今は閉じられているその瞳の色は蒼。少し触れただけでさらりと流れ落ちる金色の髪。本当に綺麗な青年だった。
「……笑ってくれないかな。きっと、すごい素敵な笑顔だと思うんだけどな。」
その小さな呟きに反応するようにクエイドは少し動いた。それで起きるのではと内心冷や冷やしていたサリーナだったが、再び規則的な寝息を始めたのでほっと息を吐く。

どうしてだろう。
この人と一緒だとすごく安らぐ自分がいる。全身を包み込まれているように安心出来る。
初めて逢った人なのに……今まで逢った人でこんな感じを受けた事なんてなかったのに。
一緒にいるだけで本当に幸せな感じになってしまう。
どうして?どうして?あなたは……誰なの?

ゆっくりとサリーナの手がクエイドに伸びる。
クエイドの頬に触れた時。その感触と温かさに心が震え上がった。
まるで電気が体に走ったように言葉もなく、ただ、指先だけが彼の頬を触れていた。
泣き出しそうになった。思わず、クエイドの頬から両手を離して口元を手で抑えた。瞳からは止め処なく涙が溢れてきていた。その涙の温かさで初めて自分が泣いている事を知る。
「……あ…れ……?変なの……どうして……どうして、私……泣いているの?」
そう呟いてみても涙は止まらない。溢れ出てくる涙に反応するように心に熱いものがこみ上げてくる。愛おしさと切なさで小さな胸が悲鳴を上げている。込み上げてくる想いが声となって出てきてしまいそうだった。
「……サ……リー……ナ?」
その言葉にサリーナの体が震える。震えたのは体だけじゃなかった。心も震えた。
それは何に震えたのだろう。
喜びに?恐怖に?悲しみに?それとも……?
クエイドの眠りから覚めた虚ろな瞳が私の瞳を捉えて離さなかった。……違う。もしかしたら、捉えて離そうとしなかったのは私自身だったのかもしれない。
こんなに誰かに深入りしようとした事はなかった。だから、戸惑った。
「わ、私……」
クエイドの頬に触れていた指先が力を失って、滑り落ちた。そして、クエイドの唇が微かに動き出したのを見て、何も考えられなくなっていた。

気が付いた時、サリーナは涙を拭う事もせずにクエイドから逃げ出していた。
言葉を紡ぎ出す事も出来ずに嗚咽が漏れた。瞳からは涙が溢れ出てきて、止まる事を知らないようだった。
何故、逃げ出したの?
何度も自分に聞いてみるが、その答えは分からなかった。
だけど……もしかしたら、私は怖かったのかもしれない。
何が怖いの?
彼が?彼の何が?
――違う。私が怖いのは……恐れているのは……

私が怖い?

まるで自分の心臓の音が響き渡ったようにサリーナの体が震えた。
表情を青くさせ、声のした方向に恐る恐る振り向く。揺れる瞳に映ったその姿に全身の血の気が引いていく。
その目の前に現われた人は青白い顔に微笑みを貼り付けて、その眼差しを向けていた。その姿はまるで鏡のようだと錯覚してしまう程だった。
まるで自分の姿がそこにあるようにその人はサリーナに似ていた。……似ているというよりもサリーナそのものだった。面立ち、体型、髪の色、服……全てが今の自分そのものだった。ただ、決定的に違うのが私は恐怖に表情を引きつらせているのに対して、彼女は微笑みを浮かべているという事だけだった。
「あなたは……」
震える唇を紡ぎ出せたのはその言葉だけだった。その言葉を紡ぎ出すだけでも大変だったのにそれ以上言葉を言うことなんて想像すら出来なかった。まるで金縛りにあったように体が動かなかった。ただ、視線だけをその自分に似たもう一人の『私』に向けていた。

貴方は私を知っているでしょう?

その言葉にサリーナの心が凍てついた。
そう……私は『私』を知っている。夢の中で……何度か逢ったことがある。でも……それは夢に過ぎないとずっと思っていた。でも、『今』は夢なんかじゃない。
「私が……貴方を怖い?」
震える声で『私』に問い掛ける。
『私』は小さく笑みを零した。その表情の一つ一つにさえ何故か心が過敏に揺れる。疑問を投げかけているのとは正反対に、確実に私は『私』を恐れていた。
それを見透かしたように微笑みを讃えて、『私』は静かに告げた。

私は……貴方にとっては不幸を呼び込む存在だから

それを貴方は直感的に理解している

それは間違っていないのかもしれない……よね

その微笑みが徐々に悲しみを含み始めている事を私は感じ始めていた。
悲しみだけじゃなく、嘲笑も若干含まれている。そうも感じた。

でも……彼を避けないで

彼の手を……離さないで

悲劇を繰り返さないで

彼が壊れてしまわないように

「……彼って誰の事?」
私の問いに『私』は瞳を閉じた。そして、私ははっとした。
その閉じた瞳から流れ出た涙。涙の欠片がきらりと零れ落ちた。彼女は何も語る事はなく、ただその涙だけで答えているようだった。
そして、私は理解した。
この人は……私自身なのだと。姿が似ているとかそんな事じゃない。……この人は私なんだ。理解というよりも漠然とそう感じていた。
そう感じた自分を不思議と可笑しいとは思わなかった。そして、もう『私』の事を怖いとは感じていなかった。ただ……『私』の語った『彼』が誰なのかが気になった。
気になったというよりも……知らなければならないと思った。
心がざわめいた。鼓動が早くなる。
私は知らなければならない。『彼』が誰なのか。そう急かされるように私は答えを求めていた。そして、口をついて出た言葉に自分自身が震えた。
「……クエイド?」
その言葉を発した事自体に衝撃が走る。
心の中で短く叫んだ様にさえ思った。自分でも何故クエイドの名前が出てきたのか分からなかった。だけど、クエイドの名前を呟いた事でさらに鼓動が早くなる。
そして込み上げてくる想い。まるで忘却の彼方に封じ込められていたものが一気に噴出したように様々な想いが去来した。
切なさ、愛しさ、悲しみ……人に対して抱く想いの全てがクエイドに集中するように彼についての数少ない言動が思い出される。
いや……それだけじゃない。まだ見た事もないようなクエイドの表情すら見えた。彼の表情の一つ一つが自分の失われた部分を深い意識の海の底からすくい上げてくる。
涙が再び頬を伝う。だけど、今度は理由が分かった。
クエイドと出会えたから……それが嬉しかったから泣いている。そう素直に認められた。

『私』は何も言わずに消えて行った。
そして、私はただ泣いていた。
 

夢を見ていた。
長い夢……永遠とも思えるような長い夢だった事を片隅に覚えている。
その夢の中で俺は一人の女性に傅いていた。そして……愛していた。
鋼の巨人を駆り、漆黒の甲冑に身を包み、血で血を洗う戦場の中でその少女への愛だけが自分自身を支えていた。その少女を守れるならば死ぬことすら恐れてなどいなかった。
彼女の物を奪おうとする奴らからそれを守るためならば、奴らの血、己の血、それで大海を紅蓮に染め上げようとも構わなかった。大地を骸で覆い、業火で下界を焼き払おうとも構わないと本気で思っていた。それが正しいと思い込んでいた。
 

だけど――何故、君は泣いているんだ?
 

「……サリーナ?」
そう呟いて周りを見渡す。ぼやけた視界に苛立ちを覚えながら、眼を擦る。しかし、開かれた瞳にも彼女の姿は何処にも映しはしなかった。
(夢……?サリーナの夢……?)
クエイドは夢を思い出そうと必死にぼやけかかった夢の残骸を探した。
「……違う……サリーナの夢じゃない。……もっと遥か昔の……そう、気の遠くなる程、昔の……」
クエイドはそこまで呟いて頭を振った。もう夢は完全に闇の彼方に消えてしまった。もう思い出す事は出来そうになかった。
ただ……ただ……何故か胸が重苦しかった。切なさ、悲しみ……そんな最近思い出した感情に似ているような……そんな……感じだった。

そこでクエイドは理解した。消えてしまった夢だけど、たった一つだけ覚えている刹那の一コマ。瞳から涙を零すサリーナの姿。それを見てしまったから……その訴えかけるような瞳に見詰められてしまったからこんなにも心が締め付けられているのだと。
 

サリーナだけがこんなにも心を支配している。
彼女の表情の一つ一つに心が敏感に反応する。心が彼女に染まっていく。
だが……
それと同時に俺の心は『あいつ』にも染まっている。
 

クエイドは窓から入ってくる月明かりの中で瞳を細めて、その淡い光を見詰めていた。
その光を見詰めながらクエイドは想う。
この光は俺を包んでいるのだろうか?それとも、この光は自分の闇の部分を浮かび上がらせているのだろうか?
立ち上がって窓に近づく。変な格好で寝ていたので体のあちこちが多少痛む。その痛みに表情をしかめるが、吸い込まれるように窓の外の景色を瞳は捉えていた。
月明かりだと思っていた微かな光は淡い街灯の光だという事が分かった。夜空には確かに月明かりと星の瞬きがあったが、それは微々たる光でとても部屋に差し込む程の光じゃなかった。月はその姿を半分以上欠けさせ、細く鋭利に輝く刀のようにその刃を黄色く輝かせていた。
視線を地上に向けると目を引く街灯の明かりと他の建物の窓から零れる電気の明かり。白と黄色の混ざったその光が暗闇にぼやけながらも浮き上がっている。
ビルに包まれた近代都市の一角に時代を逆行したように幻想的な雰囲気を出している。100年以上前のパラメキア大陸……映画や絵画で見たようなパラシア様式の街並みに心の何処かが安らぐのを感じる。
それは懐かしさなのかも知れない。
クエイドの生まれはドルテカ帝国だ。
ドルテカ帝国の国民の大半は、その祖先をパラメキア大陸に持つ。ドルテカ帝国国民はパラメキア大陸からの移民者で建国された歴史を持っている。
クエイドの血にもパラメキア民族の特徴が受け継がれている。
金色の髪、青い瞳、白色の肌、長身な体格。
その遺伝子に植え込まれている過去の先人達の記憶が、懐かしさとしてクエイドの心に発現した結果なのだろうか。
(……昔の俺なら、馬鹿らしいって思ったかな……いや、そんな事思いもしなかっただろうな。)
そう考えたらふっと笑みを零した。当然だが、クエイド自身にその表情は見る事は出来なかったが、その微笑みはとても優しい笑顔だった。

クエイドの表情に色彩が戻ってきている事にクエイド自身も気付き始めていた。サリーナと知り合い、その関係を深めていった頃のように。
長い冬の中で、降り積もった雪の中から春の木漏れ日によって、新緑の芽がその顔を出したように。クエイドの周りが色彩で彩られていく。彼女がいるだけで全てが鮮やかに輝きで照らされ始める。
それでも照らされる事無く、汚泥のように広がっている闇も確かに存在している。
その闇が手招きをしている。冷笑を浮かべて。

クエイドはきつく拳を握った。その握られた拳が抵抗の意思表示だった。
言葉にしなくても決意は胸に燃え滾る想いとして灯っている。
守るべき人がいる。大切な人がいる。仲間と呼べる人もいる。

だからこそ、クエイドはその内に蠢く静かで激しい闇を、瞳を逸らさずに見詰め続ける事が出来た。

(……明日、店長とやらに会わないと。サリーナが何故ここにいるのか、カイラスとどういう関係があるのか、知らなければならない事が山程ある。)

幻想は現実を前にして途端に色褪せていった。
平和に見えるこの街にも間違いなく脅威がその手を伸ばしてきている。その脅威からサリーナを守れるためには知らなくてはならない。
クエイドは最後にもう一度窓から見えるその美しい幻想的な街並みを見てから、ゆっくりとその景色から視線を外した。
 
 

ローグィン市騒乱事件はテロリストによる国家権力への攻撃というのが各メディアの発表だった。そして、周辺諸国もその発表を公式の物とし、テロリズムへの対策を打ち出そうとしていた。

しかし、それが欺瞞工作である事を知っている者達もいた。
国家公安調査庁もその一つだった。
ローグィン市での諜報活動によって、ローグィン市での騒乱を行った存在が帝国中央議会直属の特務機関ニルヴァーナである事が分かった。そして、その行動について情報収集をIIA、CITが行っている事も。
そして、もう一つ重要な事が外事課のチームによって国家公安調査庁本部にもたらされた。

「……ニルヴァーナ機関はローグィン市偽装テロ事件後、その行動を秘匿しながら、尚作戦活動を続行中。それを裏付ける証拠は以下の通り……」
湯村は報告書の活字を目で追いながら、興奮を抑えるので必死だった。それが意味する事に気付き始めていたからだった。
報告書に記されていた内容はこうだ。

一、 過去の諜報活動によって判明しているニルヴァーナ機関関係者の存在がローグ   ィン市周辺で確認された事
二、 IIA諜報員と思われる人物がローグィン市周辺で多数確認されている事

三、 その諜報員がローグィン市騒乱中とほぼ同じ規模でなお諜報活動を行っている    事

以上、一から三の状況から、ニルヴァーナ機関の作戦行動は継続中と考えられる。また、その行動はローグィン市から徐々に南下の傾向にある。このままでは本国内でのニルヴァーナ機関部隊の行動が起こる危険性がある。
また、ローグィン市偽装テロ事件については潜入したニルヴァーナ機関部隊を掃討した部隊は帝国軍特務遂行群である可能性が大。更なる情報収集活動続行を要請します。

書類を持つ手の震えを必死で止め、湯村はやっと書類から目を離した。目の前の背広を着た若い職員の表情にも困惑の色が濃い。
「……ルドラン連邦内での騒乱……だと?」
湯村の口から漏れた言葉に若い職員は震えが込み上げてきた。
「すぐに会議を開くぞ!!関係者各員を非常招集しろ!!事態は一刻を争う!!」
「わ、分かりました!!」
すぐに走り去っていく職員の後姿を見ながら、湯村は拳をきつく握った。もし、連邦国内でローグィンと同様の事態が発生した場合……事態は恐らく収拾出来なくなる!!
ルドラン連邦という巨大国家の一員である者はそれがその組織のトップに近い者ほど、この国の歪さを思い知っている。
「……ローグィン市と同等の騒乱がこの国で起こっても、すぐには軍は動けない。特務遂行群……いや、ニルヴァーナ機関部隊に対して警察力で対応するしかない。……軍が動く頃には死傷者は凄まじい数になる。」
湯村の最悪を想定した状況判断は的確だった。しかし、湯村はこの時まだ半信半疑だった。しかし、それが自分の甘さだった事に湯村は気付く事になる。
『トップ』と呼ばれる一部の人々は、すでに騒乱を予期していたのだ。
 

世界秩序。冷戦構造。戦争形態の変貌。
その全てを決定付けたのがエルグラド紛争だった。この戦争によって、帝国・ガイリア・連邦の三者による冷戦構造は決定的なものになり、トリニティはトリニティ平和維持軍と言う『張子の虎』を必要とした。張子の虎すら必要とせざるを得なかった。
高度に発展し過ぎた現代戦争はその存在の意味すら無くすほど、国庫に負担を掛けるようになる。そして、飛空艇・ARMS・ハイテク艦と呼ばれる三軍の主要兵器がその力を最大限に発揮した場合、敵国土の大半を焦土とし、同時にそれを実行する事は自国すらも致命的なまでに疲弊させる事となるのだ。
結果的に、大国同士の戦争は不可能と化し、大国対小国、小国同士、もしくは内乱という形の小規模戦闘・紛争規模の戦闘に限定された戦争形態が誕生した。
トリニティは新たに誕生した戦争形態を利用し、帝国・連邦・ガイリアの冷戦構造をコントロールしようとした。また、エルグラド紛争のような大国間の紛争が発生した場合、その調停者となれるように。そのための平和維持軍であり、トリニティの存在を強調するための張子の虎だったのだ。それは新たな戦争形態に対して、世界が望んでいた歪な一つの形ではあった。
だが、トリニティは変容した戦争形態に完全に対処しきれた訳ではなかった。エルグラド紛争を機にもう一つ誕生した戦争があった。
それが情報戦である。
エルグラド紛争を経て、連邦の擁する国家公安調査庁の持つ高い情報収集能力とそれによる国家の利益に非常に注目した帝国はIIAに注力し、帝国陸軍に極秘機密情報機関帝国陸軍情報部を発足させた。その成果は絶大だった。今まででは考えられないようなガイリア・連邦の極秘資料の入手に成功し、軍の行動を事前に把握する事が可能となった。
だが、それらの恩恵は同様に連邦にももたらされていた。

しかし、その恩恵も気付かなければ意味がない。
連邦のトップは確かに気付いてはいた。だが、その見えざる危機に対して傍観した。
事態が動くまで静観する……いつもの常套手段を選んだ。
万全の用意もなく選んだその選択肢がいつも悲劇を招く事も理解出来ずに。
 
 

「……まさか、向こうから呼ぶとは思わなかったな。」
クエイドは扉の前でそう一人呟いた。珍しくその表情には緊張が見えた。
朝起きてから、困惑する事ばかりだった。その一つ一つがまだ自分の中で整理出来ていない。
(少し落ち着いて、整理してからでないと重要な事を聞き逃してしまうな。)
そう判断したクエイドは少し考える事にした。

……そうだな。確か朝目覚めてから……それからサリーナに逢って……

クエイドの意識はほんの30分くらい前に遡っていった。
 

クエイドは欠伸を噛み潰してゆっくりと階段を下りていった。体はもう完全に回復していたが、眠ったのが遅かったせいか珍しく眠気がまだ残っていた。本当ならもう少し寝ていた所だったが、店長とやらに早く逢いたいという気持ちの方が強かった。
「……行動を起こすべきか、それとも今は動かないほうがいいのか、早く判断しなきゃな。」
「……何を判断するの?」
別に誰かに言った言葉じゃなかっただけに返答が返って来た事に心底驚いた。思わず振り返ると階段の上にサリーナの姿があった。
「いや、何でもない。独り言だよ。」
クエイドは適当に言葉を濁した。しかし、内心では自分の無警戒に舌打ちしていた。油断のし過ぎだと自分に渇を入れて気持ちを引き締めた。サリーナもゆっくりと階段を下りてきた。
「早いんだね。もっと寝ていればいいのに。体の方はもう大丈夫?」
さっきの言葉を聞き流してくれたのか、それについてはもう何も聞いては来なかった。その事にクエイドは多少安心してクエイドは返事をする。
「ああ。お陰さまで。サリーナには大分世話になってしまって……」
サリーナは首を振って笑顔で答えた。
「気にしなくてもいいよ。」
「それよりもサリーナの方こそ、朝早いんだな。」
「うん……そうかな?私は今日、仕事休みなんだ。でもいつも仕事で朝早いからもうこの時間くらいには目が覚めちゃうんだ。」
そんなサリーナの他愛のない話を聞きながら、クエイドは自分が知っている頃のサリーナと似ている所と似ていない所をはっきりと感じていた。話し方や、雰囲気は自分の知っている頃のサリーナとほとんど一緒だった。でも、サリーナから仕事の話を聞く時だけは少しだけ大人びて見えた。表情にも力強さが見えた。……それがクエイドには少しだけ淋しく感じられた。仕事の話をしている時のサリーナの言葉は……何処か遠く聞こえた。
「……どうかしたの、クエイド?」
「え?別に……どうして?」
サリーナは少し言いづらそうにしてから、口を開いた。
「……どうして……かな?私にもよく分からないけど、クエイド何だか……遠くに行っちゃうような感じだったから。」
その言葉を聞いて、クエイドは思わず笑いを零した。その様子にサリーナも思わず困惑を滲ました笑顔で「どうしたの?」と問い掛けてくる。
「……サリーナって……変な事言うんだな。」
「え?そ、そうかな?」
サリーナは少し恥ずかしそうに髪を掻いていた。その様子を見ながら、クエイドはまだ笑っていた。

本当はそんな事で笑ったんじゃなかった。
サリーナのそういう所……変わってないなって思ったら途端に可笑しくなった。普段はすごく単純で、人の事を疑う事を知らなくて、どこまでもお人好しなのに、どういう訳か些細な感情の変化にサリーナはとても敏感だった。自分の事には鈍感なのに……

「もう!そんなに笑わないでよ。」
サリーナの機嫌が悪くならない内にやめないとな……そんな事を考えていたと思う。
「ごめん。じゃ、俺もう行くよ。」
クエイドがそう言ってサリーナから立ち去ろうとした時、サリーナの呼び止める声が聞こえた。
「……何?」
クエイドは足を止めて、後ろを振り返るとサリーナは少しまごついている様子だった。その事に怪訝な表情を浮かべているとサリーナは少し、俺の機嫌を伺うような感じで恐る恐る尋ねて来た。
「あ、あのね……ちょっと買い物に付き合って欲しいんだけど……いいかな?」
「……え?」
クエイドは少し思案した。街に出るとなると、俺を狙っている連中に居場所が分かってしまうかも知れない。しかも下手をすればサリーナが実は生きている事さえも……下手な行動を取るべきではない事は分かっていた。
「ダメかな?……やっぱり私とじゃダメかな?」
サリーナを見ると彼女の表情には少し落胆しているように見えた。だから、思わず言ってしまった。
「いや、そんな事ないよ。いいよ。」
思わずそう言ってしまった事に内心しまったと思っていたが、その返事に嬉しそうに笑っているサリーナを見るともうとても断れない。
「本当?それじゃ、1時間後に店の入り口の所で……いいかな?」
「あ、ああ。」
クエイドの返事を確認してから、サリーナは嬉しそうに笑うとクエイドに手を振ってから二階へと上がっていった。
「……参ったな。……まぁ、何とかなるか。」
どうしようもなく、サリーナには甘くなってしまう。普通ならそんな楽観視は絶対にしないのに。
クエイドは一つ息を吐いて、再び店長の部屋へと足を運ぼうとした時、サリーナにまた大事な事を聞きそびれた事に気付いた。
(そうだ……短剣の事、聞き忘れていた。)
だが、それに気付いてもクエイドはすぐにサリーナの後を追う気にはなれなかった。サリーナにその短剣について詮索されるのはやっぱり気分のいいものではなかったからだ。その理由は考えるだけで気分が滅入ってくる。
(……でも仕方がないな。奴ら……特務機関ニルヴァーナもしくは、特務遂行群に狙われている以上、最低限身を守る術は確保しておく必要がある……)
クエイドには奴らがニルヴァーナ機関かもしくは特務遂行群だと断定する要因が一つだけ分かっていた。それは自分が狙われているという事だ。自分が狙われる……という事と、その狙っている組織とに因果関係がないはずがない。自分が狙われる理由は間違いなく、レ軍侵攻からキルギスタン動乱、連邦での首都高爆発事件……つまりサリーナに関わる事件だろう。これらの事件にはレイキャンベル、キルギスタンという国家の裏側に帝国の影がいつもちらついていた。帝国内であのローグィン市騒乱事件を引き起こせる部隊は二つしか思い当たらない。特務遂行群か、ニルヴァーナ機関か……だ。
(ニルヴァーナ機関ならともかく、特務遂行群が相手だとしたらよく生き残れたもんだな。……いや、まだ安堵するのは早い。俺はまだ狙われているんだ。)

クエイドの表情にはもうサリーナと会話していた時のような温和な表情は欠片もなくなっていた。甘さがなくなったクエイドにはやっぱりさっきの判断が間違っていると思えてならなかった。
(奴らにもしも俺の居場所が分かってしまったら、危険は間違いなくサリーナにまで及んでしまう。いや、サリーナだけじゃない。ローグィン市のような騒乱はまずないにしても間違いなくここに住んでいる人にまで被害が及ぶ。)

クエイドはそう判断するとサリーナの部屋に向かって足を向けた。やっぱり断ろう。いくらなんでもリスクが大きすぎる。やっと平穏な世界に戻ったのにまた、殺伐とした世界にサリーナを戻したくはなかった。
(……やっぱり、俺はサリーナの側にいるべきじゃないのか……?)
胸が痛んだ。
理性で考えれば間違いなく俺はサリーナの側にいるべきじゃなかった。すぐにでもサリーナの前から消えてしまうべきだった。だが、どうしても感情がそれを納得してくれない。どうしてもサリーナから離れたくない。離れたくないんだと胸を締め付けるくらいに叫んでいる。
「……どうしたら……」
「おい!」
思案している所で聞いた事のない声に呼び止められたので、クエイドは多少不機嫌な面持ちでその声の主の方へ視線を向けた。そこにはクエイドよりも若干背の低い……というよりも標準的な身長、標準的な体格の黒髪の男がいた。気の強そうな強い光を放つ瞳には見覚えがあった。……そうか、サリーナと一緒に働いていた男だ。
「……何ですか?」
「お前、やけにサリーナと親しく話してるな。彼女の知り合いか?」
見ず知らずの男にサリーナの事を呼び捨てにされるのは気に障ったが、それもしょうがないと自分を納得させる。
「……いや、そんな事ないと思うけど?彼女は誰にでもあんな風じゃないのかな?」
自分の感情の変化を悟られないようにわざと言葉を温和にする。しかし、そんな事まるで無駄な様に敵愾心をクエイドに容赦なく浴びせてくる。
「……誰にでも?彼女は……サリーナはそんなに無防備じゃねぇよ。とにかく、あんまり彼女に慣れなれしくすんなよな!!」
男はクエイドの言葉を鼻で笑った。まるでそんな事も分かっていないのかと言いた気に。
だが、クエイドはその事よりも言葉に違和感を覚えた。……サリーナが無防備じゃない?いつも笑顔で、人当たりも良さそうに見えるのに?
男はそう言い放つとクエイドの前から足早に立ち去ろうとして、思い出したように振り返った。
「それから、店長が部屋に来てくれとさ。確かに伝えたからな!!」
そう言うと足早に去っていった。
「……何だ、あいつ……?」
クエイドは困惑して頭を掻いた。恨みを買うような事をしたとも思えないが……明らかに彼は俺の事を敵視している。別に嫌われる事には慣れているが、やはりいい気分とは言えない。それよりも……サリーナが無防備じゃないという事が引っ掛かった。

「……今の笑顔も……仮面だって……事なのか?」
確かにサリーナに最初に会った頃の笑顔は、今思えば違和感を覚えてしまう。恐らくは彼女自身が語ったように誰にも嫌われない様に笑顔の仮面を作っていたのだろう。でも、それは義理の母親の虐待が原因だった。その時の記憶を失っているサリーナが笑顔の仮面をつける必要はクエイドにはないように感じた。それに今のサリーナの笑顔を『仮面』とは感じる事は出来ない。……どうして、彼と俺とで意見が割れるのだろう。
俺と彼に見せている表情は別……という事なのだろうか?サリーナがそんなに器用に表情を使い分ける事が出来るとは思えなかった。……どうして表情を使い分ける必要なんかあるのだろうか?俺だったら別に誰にでも……

そこでクエイドははっとした。
そうだ。俺も表情を使い分けている。いや、誰だって表情を使い分けている。むしろ、表情を使い分けない方が可笑しいんだ。
表情を使い分けるという言葉にはどこか冷たい印象を与えるが、言葉を変えればそれは表情が変わるという事と同じなんだ。悲しい時には悲しい表情を。嬉しい時には笑顔を。怒っている時には怒っている表情を。それを当たり前のようにみんなが使い分けているんだ。
俺は……サリーナと知り合うまで一つの表情しか持っていなかった。無関心という一つの仮面しか。そして、サリーナも同様に笑顔という一つの仮面しか持っていなかった。でも、サリーナと知り合って、色々な表情を出せる様になって……でも、俺はまだその表情をサリーナ以外の人には上手く出来ない。見ず知らずの人なら、また無関心という仮面しか出せなくなってしまう。
もしかしたら……サリーナも同じなのかも知れない。他の人には笑顔という仮面しか出せないけれど、特定の人には……俺には……
「……俺?」
どうして俺なんだろう?
まだ知り合って間もないのに。どうして俺には仮面で接することなくサリーナ本人として接してくれるのだろう?俺の事を……特別に想ってくれている?……まさか……そんな……知り合って間もないのに?
……でも、そう思えば納得いく。サリーナが俺を買い物に誘ったのだって俺を特別に想っているからだとしたら……まさか、そんな都合よくいくはずがないじゃないか。
それに俺とサリーナはまだ恋人って訳じゃないんだから買い物って言ったって、デートな訳でもないし……

……

………

「……これって、デートじゃないか……」
鈍すぎるクエイドはようやくその事に気付いたのだった。
 
 

「……そうだ。あの後、色々と考えてたんだっけ。結局サリーナとの約束も断れなかったんだ。」
クエイドはため息を付くと首筋を軽く手で揉んだ。落ち着けず、じっとしている事が出来なかった。
「……ダメだ。考えてもまるで分からない。俺が一人で悩んだって答えが出る訳ないよな。」
クエイドはある意味絶望的にそう呟いた。本当なら誰かに相談したい所だが、生憎相談出来そうな人物はここにはいない。……それにラッグスや、リーサならともかくネロに相談した日には絶対に笑い者にされそうな気がしてならなかった。
「……そう言えば、あいつ等無事に脱出出来たかな……」
クエイドはそのぽつりと呟いた言葉で落ち着けた事に気が付いた。まだぎこちないけど、友達と……仲間と呼べる人がいる。だから、クエイドは困惑の中でも大丈夫だった。
「……とにかく、今は目の前の問題から解決しよう。」
そして、クエイドはゆっくりと扉をノックした。
 
 

サリーナはクエイドに貸していた自分の部屋に戻るとゆっくりと扉を閉めて鍵を掛けた。まだ、動悸が治まらない。胸がドキドキと高鳴っている。
やっぱりあの人だけは違う。
そう思い知ってしまう。
買い物に行くのに誰かを自分から誘った事なんて一度もなかった。自分の方から誰かに踏み込もうなんてした事なかった。
だから、戸惑いも覚えている。でも……今まで感じた事もないような昂揚感と浮き立つような心躍る感覚もある。
「……私……クエイドの事、好きなのかな……」
そう呟いてみても答えは出ない。その答えが知りたかったから彼を誘ったのかもしれない。
好きかもしれない。好きじゃないのかもしれない。
……ただどうしても彼が気になって仕方がなかった……
……彼だけに心の扉が開いてしまう……

どうして、私は他の人に心を開けないのだろう。
どうして、こんなに他人が怖いのだろう。嫌われるのが怖いのだろう。
誰にでも……自分の事を嫌いな人にも好かれようとしてしまうのだろう。
そしてそのくせ……誰も信じてはない。誰も愛してはいない。ただ、安らぎだけを求めている。

自分の事も分からない私がクエイドに対してどう想っているのか分からなくてもしょうがないようにさえ思えた。
でも……それでも答えが知りたい。クエイドなら教えてくれるかもしれない。
そう思っているのかもしれない。

サリーナは衣類の掛かっている戸棚を開くと、お気に入りの服を選んでそれを取り出した。そして、ゆっくりと身に纏っている服を脱ぎ始めた。
ふと瞳に止まった鏡に映る自分の姿。
その姿を見つめて呟いた。

「汚い……人……」

そう呟いた時のサリーナの瞳はまるで人形の様だった。何の光りも宿っていないガラス玉の様に。まるで殺人人形と呼ばれていた頃のクエイドのように。

クエイドがサリーナを失って、自分の狂気を抑えきれなくなった様にサリーナも再び欺瞞の渦の中に自分の身を落とそうとしていた。今度はサリーナが壊れようとしていた。サリーナ自身がそうとは知らずに。
だから……直感的にクエイドが救ってくれると想ったのかもしれない。
 
 
 
 
 
 

(Continue)
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