EARTH
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第6章「君がいた想い出と 君が忘れた僕(5)」
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「蒸すなぁ。」
額にじわりと出てきた汗を右手の甲で拭い、そう諦めに似た呟きを漏らした。
温暖な気候とは言っても、日中のしかも背広姿は正直暑い。
でも、署でのデスクワークに比べマシかもしれない。こうやって足で調べる方が性に合っていた。
(それにしても、クエイド……変わったな……)
さっき1年ぶりにあったクエイドを見ての感想だった。
初めて会ったのはそう……2年前のアザゼル事件。
ソフィア・ハーティリー。
年齢・出身地・経歴……
個人情報となりえるほとんどの情報がない人物だった。
そんな人物がギルドA級派遣員として、任務に従事していたのだから驚愕する。
そして、彼女の犯した犯罪は連邦犯罪史上……いや、世界的に見ても稀な凶悪犯罪に驚愕を越え、恐怖の域に達した。
アザゼル逮捕までに判明している彼女によって殺害されたと思われる人数は23人。
それだけでも、近年稀に見る凶悪連続殺人鬼だが、ギルドが彼女の逮捕にSクラス任務を発令する事や、国家公安調査庁が乗り出してくる理由にはならない。
彼女は類稀な殺人狂であると同時に、世界最高のハッカーでもあった。
彼女が盗み出したデータには連邦・帝国・ガイリアの極めて機密の高い軍事情報があるとされていた。
帝国軍や連邦軍のメインデータバンクへのハッキングに成功したのはアザゼル以外いなかった。国家公安調査庁でも、帝国軍のデータバンクへのハッキングに成功した例はなかった。
国家公安調査庁にとって、彼女……アザゼルは脅威であると同時に魅力的な存在だった。
そして、アザゼル逮捕に乗り出した。
アザゼルの逮捕は成功した。
しかし、その犠牲者は甚大だった。警察側は2名の殉職者と3名の重傷者、ギルドは4名の殉職者と2名の重傷者を出した。

「……ふぅ」
その報告書に書かれているような事実を思い出して、青葉はため息をついた。
この事件を青葉は客観的に見る事は出来ない。青葉自身アザゼル逮捕に関わったのだから。
当時、青葉・クエイド・そしてギルドSクラス派遣員デービィドによってアザゼルは逮捕された。
この事件で一番変わったのが、クエイドだった。
頼りない新米派遣員だった彼はこの事件でその才覚を発現させた。
しかし、それ以上に彼は裏切られた。そして、信頼していたものを無くしたんだ。
それから、1年後、再び出会ったクエイドは新米派遣員ではなかった。
A級ギルド派遣員として、経験も風格も身に付いていた。
だが、彼には暗闇と冷たさが付き纏っていた。
その瞳には感情らしい感情が見えなかった。ただ、痛々しかったのだけはよく覚えている。
逃げたいのに逃げられない。ボロボロになりながら、それでも歯を食いしばって頑張っている……そんな風に見えてしかたなかった。
そう見えたのは――青葉が以前のクエイドを知っていたからかもしれない。
キリングドール――殺人人形と呼ばれていた。
彼が、アザゼル――ソフィアをいかに慕っていたかを思い知った。
彼女の裏切りが少年を歪な青年にしてしまった事を知った。
――青葉には何もしてやれなかった。
でも、久しぶりに会ったクエイドはまるで昔に戻ったようだった。
昔以上に人間臭かった。一見すればただの照れ屋の青年にしか見えなかった。
「――あの娘かぁ」
青葉はポツリと零した。
華奢で可愛らしい少女という印象が全てだった。多分、誰にでも好かれるような顔つきだと思う。彼女がクエイドを元に戻したのだろう。

そこで思考は途切れた。ズボンのポケットに入れていた携帯電話の振動と着信音に気付いて、それを取り出す。折り畳み式の携帯電話を開くと、液晶画面には見慣れた番号と『仕事場』の文字が出ていた。
「もしもし、青葉です。」
のんびりとした口調とは打って変わって、電話越しに焦った声と後ろから騒々しい音や声が入ってきた。その内容に青葉の目付きが鋭くなった。一瞬にして、刑事の顔に戻っていた。

「青葉、爆発事件!カイデリカ市ロザリオ通り3番地のレストランだ!警察各員も現場に急行している。市民避難と現場の保持をしろ!!」
 
 

土煙で瞳を開ける事すら間々ならない状況で、クエイドは両手を地面について何とか起き上がった。
自分の体の状態を確かめるのもそこそこに手探りでサリーナを探した。
(サリーナ!!どこだよ?!)
声に出して叫ぼうにも口を開ければ土煙が喉を痛め、むせ込んだ咳しか出てこない。
地面を忙しく動いた手が生暖かい感触を捉えた。
クエイドはそこまで這って進むと顔を思い切り近付けて、それが誰なのかを確認した。
見覚えのある愛らしい顔は煤や、土煙で酷く汚れていた。
(サリーナ!!)
彼女に触れてみるが、まるで反応がない。力がまるで入っていない状態だった。
真っ先に『死』の文字が脳裏に飛び込んできた。それを振り払うために、彼女の手を取り、脈を取る。幸い、ゆっくりとした鼓動が指に伝わってきた。
その事に安堵のため息を付き、彼女の状態を丹念に調べ始める。視界がまともに働かない状態なので、自分の手での感触で確かめるしかなかった。
手の感触や、近くで彼女を見て、状態を確かめる。
とりあえず骨折らしい箇所もなく、ぬるりとした血の感触もなかった。
安堵してからクエイドは彼女を抱きかかえた。
徐々に土煙が晴れていく事と、涼しい風が肌に触れるのでここがすでに屋外だという事に気が付いた。
クエイドの思考は今の状況を理解しようと目まぐるしく回転していた。

事故?
それとも、俺への攻撃?サリーナへの攻撃?
とにかく、この場を離れなきゃならない。でも、敵と遭遇したら?
サリーナを発見されないように敵を引き付けて各個撃破しかない。

考えをまとめ、サリーナをゆっくりと寝かせるとクエイドは立ち上がった。体のあちこちが多少痛むがこの程度すんだのが幸いだった。魔法の発動があと一歩でも遅れていたら、間違いなくガラスの破片を体中に浴びている所だった。
防御魔法は攻撃魔法や回復魔法に比べ、制御方法が至って簡単な事が幸いした。
人が殴られそうになった時、とっさに意識しないでも瞼を閉じるように、魔導士ならばとっさに防御魔法の構成を編み上げることも容易である。しかも、構成が単純なため、発動となる詠唱と呪文も至って簡単だ。時間にして、3秒もいらないだろう。
爆発が至近距離でなかったのも幸いした。魔法を唱え、尚且つサリーナを守る時間もあった。

砂を踏む音が嫌に響いた。
その事にクエイドの思案が一瞬で霧散した。僅かに引いた右足に力が入る。腰を落とし、拳を握る。
視界が徐々に晴れていく事が息苦しく感じられた。心拍数が徐々に上がっていく。
それを楽しんでいるかのように砂を踏むようなジャリっという足音が一歩、また一歩と近づいてくる。

魔法は使えない。
その事に舌打ちする。街中で魔法を使えばどれだけの被害が出るか想像もつかない。しかも、街の真ん中での爆発。怪我で身動きの取れない人、気絶している人、混乱、錯乱して動けない人、そんな人たちが回りに何人いるかもわからない。
そんな状況で先制攻撃など出来ない。
敵と判断した瞬間、その一瞬で接近して一撃で相手を吹き飛ばす。そして、転倒している相手に追い討ちをかけ、無力化する。
これがクエイドの考えた先制の一手だった。
視覚と聴覚に全神経が走り出す。
近づくたびに大きくなる砂を踏み潰す音、そしてその音が自分の内で大きく反響するたびに視界の色彩が失われていく。モノクロの中でコマ送りのように全ての時間の流れが遅くなる。気付けば、あの砂を踏み潰す音が消えていた。
極限状況の中では、必要な情報に自身の全ての神経が注ぎ込まれるため、不必要だと思われる情報が消えていく。
クエイドが実戦で何度か体験したその感覚がクエイドにモノクロのスローモーションを見せていた。
土煙の中から、黒い影が現われた。
クエイドは双眸を細め、その黒い影を凝視した。一コマごとに近づいてくる。その影に向かってクエイドは足を踏み出した。
力強く踏み出された足はクエイドの体を前方に推し進める。急速に影がその色を濃くしていく。
極限まで接近し、影の懐に拳を接触させる。接触した瞬間、ぬるりとした感触が手の甲に走った。だが、クエイドは構わず拳に力を込めた。
密着状態のゼロ距離から相手の動きに合わせ、渾身の拳を繰り出す。
対人戦闘における接近戦のクエイドの切り札だった。
拳を繰り出そうとした瞬間、クエイドの鼻腔に生臭い息がかかった。その影の表情を視界の隅に捉えながら、クエイドは渾身の拳を放った。
だが、クエイドの予想を凌駕した事態が起きた。
真芯を捕らえたはずの拳がその芯をはずされた。芯をはずれた拳は滑ったその皮膚の表面を勢いよく走った。常人だったら、内臓をえぐる様なその衝撃もその滑りやすい皮膚の前では対した効力が及ばない――
直感的にそう感じた瞬間、クエイドの描いた初手とは全く逆の形となってクエイドは吹き飛ばされた。
側頭部を強打され、視界がどろりと歪んだ。
振動で揺さぶられ、脳震盪によって、クエイドは動けなかった。
影は倒れたクエイドを一瞥してから、サリーナの方へ向かって歩き始めた。
(やめろ!!サリーナに近づくな!!)
そう心の中で叫んでも、指にさえ力が入らない。

俺は――またサリーナを奪われるのか?

そう胸中で絶叫した時、暗い声が響いてきた。

さぁ、どうする?俺に助けを乞うか?

『あいつ』だった。そう、こんな時響く声はいつも『あいつ』に決まっていた。
クエイドに迷いはなかった。
「…………らを……」
搾り出した声が喉を震わす。

力強く望め

想いが強ければ強いほどにお前の内に宿る力は強大になる

「俺に……力を……」
サリーナを守れるのなら……失ってしまうのなら……
神だろうが、悪魔だろうが、例え『あいつ』だろうが、魂を売り渡してやる。

オレは――目の前のあいつを――

そして、突然体が軽くなった。そして、それを確かめるように『オレ』は駆け出した。
突然、起き上がって迫ってくるオレに対して、そいつは反応するのが精一杯だった。
力だけを頼りに拳を放つ。あの『出来損ないの人形』が繰り出す拳とは違う、技術なんてものは皆無の力に頼りきった一撃だった。
だが、その拳はそいつを吹き飛ばすのには十分過ぎる程の威力だった。
「……ふん……」
オレはそいつを吹き飛ばした拳をまじまじと見ながら、落胆で鼻を鳴らした。
「――この程度か。これじゃ、『本体』の覚醒どころか、オレ自身の全力すら出せないじゃないか。」
拳を握ったり、開いたりしながら自身の現在持っている力を確かめて、落胆を大きくする。
――まぁ、いいだろう。
今、本体を目覚めさせる必要はない。かえって、時期尚早ってやつだ。
まだこの出来損ないには戦ってもらわなくてはならない。あいつ――魔王の動向も気になる。
「それにお前如きを殺すのにはこの程度の力で十分だ。」
殺意のこもった視線をその目の前の敵にぶつける。
そいつは立ち上がると、同じような怒りと殺意の瞳をぎらつかせる。その瞳を跳ね返すように軽く肩を竦めて挑発する。
「ああ、何処からでもかかってこいよ。どんな手段を使っても構わない。オレはクエイドとは――あの、出来損ないの人形とは違うんでね。」
クエイドがやるように構成とやらを組み上げる。そして、それを内で発動させる。
瓦礫の中に埋まっているはずの短剣が瞬時にクエイドの右手の中に現われる。その重量感と感触を楽しむように右手の中で遊ばせる。
「短剣か。武器の扱いには慣れてないんだ。今の内に肩慣らしをしておくか。」
クエイドは大きく一歩を踏み込むと短剣を持った右腕を大きく振り上げた。
いちいち挙動の大きなその動きを避けるのは普通なら造作もない事だろう。あの人形の動きに比べれば、まるで素人のそれだろう。
それはオレ自身認める所だった。
しかし、今この肉体を扱っているのはオレだ。オレに馴染んだこの肉体をオレが使えば、不完全とは言え、どうなるか?
「グギャァァァッァァァッァァァッ!!!」
凄まじい耳障りな悲鳴と共にそいつの腕が血飛沫とともに地面を転がった。そいつの腕からは赤黒い血が流れている。
それを見て、オレは可笑しくて笑いを堪える事が出来なかった。
「クッ!ハハハハッハハハッ!!てめぇ、そんな格好しておきながら人間と同じ赤い血を流しやがるのかよ?!化け物は化け物らしく緑色の液体でも飛び散らしてろよ!!」
オレの嘲笑の中でそいつは傷口を押さえながら、ゴロゴロとその場でもがき来るしんでいる。長い爪を地面に掻き立てて、必死に地面を這いずっている。
その先にある物を見て、オレは嘲笑を止めた。
足早にそいつに近づくと、そいつの頭を踏み潰す。
顔面を地面に叩きつけられたそいつはじたばたと暴れるが、オレの足がそいつの頭から離れる事はなかった。
この化け物に教えなければならないな。そう思い、口を開く。
「化け物の分際でその先の物に触れようなんて悪戯が過ぎるんだよ。その先にいる女は極上の供物なんだよ。てめぇなんかの手で触れられたら汚れちまうだろうが。」
さらに足に力を込めると頭蓋の悲鳴とも思える、骨の軋む音が聞こえた。喉の潰れた蛙のような悲鳴がそいつから迸っているが、そんな事に構う事無く力を更に込めていく。
いつまで耐えられるのか、そしていつ頭が潰れるのか、
お楽しみのその時を待ってオレは力を込め続けた。
だが、そこで力をそれ以上加えるのをやめた。別にこいつへの慈悲でも何でもない。
もっと面白そうな物が近づいてくるのに気付いたからだ。
「ヘリのローター音が……一つ、二つ、………三つか。」
聴覚も常人のそれ以上はあるようだ。それから、レイラインにアクセスし、そのヘリの正体を探る。程なくして、答えが判明する。
口元の笑みを隠す事も出来ずに、オレは声を抑える事も出来ずに笑った。
「くっくっく……アハハハハハハハハッ!!最高の舞台じゃないか!なぁ?お前も思うだろ?!」
帝国軍特務遂行群。その戦闘ヘリ3機が接近しつつあるのだ。
これが笑わずにいられるか?ローグィンでは遊ぶ事すら出来なかった。あの出来損ないのせいだ。こっちの気持ちを少しは考えろと言いたくなるもんだ。あいつの心の奥底で何も出来ずに出来損ないにちょっかいを出す事ぐらいしか楽しみがないんだ。それも出来損ないが心を乱した時にしかそれが出来やしない。あの女が――そう、あの女がプログラムを持つ者でなかったら俺はいつ現われる事が出来たかも分からない。
「くっくっく……本当にあの女は女神だよ。最高の供物だ。この星の終焉を始めるための儀式にあの女ほど相応しい供物はない。」
視線をあの女から眼前の化け物に移すと優しく呟く。
「お前を殺すお楽しみは後だ。それまで歌でもその供物に聞かせていろよ。」
構成を編み上げると同時にそれを発現させる。
突如四本の光剣が宙に現われた。短剣程の長さのその光剣を一瞥してから、指を鳴らした。
それと同時に四本の剣が化け物の四肢に突き立った。腕を無くした方へは、その肩に光の剣が突き刺さる。
赤い鮮血に濡れた光の剣と、化け物の絶叫。そして、オレの嘲笑。
素晴らしい賛歌じゃないか?この歌は賛美歌だ。この素晴らしい世界への!

愉快だ。実に愉快だ。この世界は素晴らしい。オレの興味を満たす手段で溢れている。
殺人?すればいいんだ。
戦争?結構じゃないか。
略奪?欲しければ手に入れろ。

そうだ。この世界には『全て』がある。恐怖も狂気も愛も、それらを満たす手段さえ!
飽きるまでこの世界を蹂躙してやる!!

「さぁ、手始めにあの蚊トンボを一匹撃ち落としてやるか。」
いつもの手順で構成を編み上げ、それを発現させる。
――だが、効果は現われなかった。
今までの満面の笑顔から怒りにも似た表情に豹変した。
「邪魔を……邪魔をするなぁ!!出来損ないめ!!」
オレは再び構成を編み上げる。いや、編み上げはしない。
「くそっ!!これからって時に……もう少しだけ眠っていればいいものを!!」
真っ先にあの化け物を殺しておくんだった。こいつは殺す事を恐れているんだった。
殺させない。絶対に殺させない。
「お前に何が出来るというんだ?!ローグィンでも助けを借りてやっと退けたくせに!!」
吐き出した言葉に怒りを滲ませ、力の限り抗った。まだこの体を明け渡したくない。返せ。まだ、オレは遊びたりないんだよ。返せ。
「あ……諦めろ……俺……が……何とか……する。」
くそ!くそ!!くそ!!!
人形のくせに!!出来損ないの人形の分際で!!オレが造った人形の分際で!!
「うる……さい。だ……ま……れ。俺は……俺だ……クエイド……」

「クエイド・ラグナイトだーーーーー!!」

クエイドはその場に崩れ落ちるように片ひざをついた。
息も絶え絶えで、まるで全力でマラソンを走った後のように体全体が心臓のようだった。
酸素が欲しくて欲しくて堪らなかった。そんな心肺機能の事はお構いなしにクエイドは震える両足を抑えて、立ち上がる。
「なんっ……とかっ……取りもどっ……した……」
何とかこの発作を抑えなくちゃならない。
胃がぐるぐると回り、視界が暗転しそうになるのをギリギリで堪える。側にはサリーナがいる。そして、緑色のヌルヌルとした皮膚をした妙な人間みたいな化け物もいる。しかも、特務遂行群の戦闘ヘリが接近しつつあるらしい。
こんな状況で気を失ってなんかいられなかった。
化け物を押さえつけている『あいつ』の召還した魔法の剣は徐々にその効果を失わせ始めている。
クエイドが回復するのが先か、化け物が襲い掛かってくるのが先か、特務遂行群が現われるのが先か。
(早く回復しろよ!!)
そう急かしても体は一向に言う事をきかない。今の状態じゃ、立っているのが精一杯で、サリーナを守るどころか自分自身さえ守れやしない。どんな攻撃でさえ、一撃で即倒だ。
「お疲れのようだな。」
その声に今まで自分の両足を支えてきた気力が萎えていくのを絶望的に感じた。
それでも何とか立っていられたのは気力でもなんでもなかった。恐怖で足が竦んで動かないだけだった。
関係ない。
こいつには関係ない。
例え、万全な状態であったとしても。ラッグスやリーサ、それにネロとサリーナがいて、さらにクエイドの状態が万全でも勝てる見込みはない相手。
「……ガーランド……」
その名前を呟いて、漆黒の青年は黒を纏っている中で唯一輝く色彩を放つ黄金の瞳でクエイドを視界に捉えていた。
「こんにちは。この程度の奴にだらしないな。君の力はこんな物じゃないだろ、クエイド君?」
やたら親しい口調のガーランドに嫌悪感を覚えながらクエイドは言葉を吐き出す。
「あんたらみたいな化け物連中と一緒にしないでくれよ。あんたといい、あの爺さんといい何なんだよ?」
ガーランドはにこっと微笑んでから人指し指を立てて、優しく呟いた。
「俺は魔王ですよ。前にも君には言ったと思うんですけどね。」
その答えにクエイドは鼻で笑った。
「化け物たちの王様には――あんたには相応しい存在名称って奴か?!」
その言葉にガーランドは微笑み返した。ナイフのように胸に突き刺さる言葉と一緒に。
「あなたも十分化け物ですよ。体の内に『そんな物』を宿しているんですから。」
「何っ?!」
クエイドは歯を食いしばった。ギリッという奥歯を噛み締めた音が脳髄に不協和音となって響く。
胸の内で蠢いている存在を感じつつ、ガーランドの言葉を噛み締めた。
「――お前は……こいつが何なのか知っているのか?」
「そうだな。君よりは。」
簡単に肯定するガーランドにクエイドは敵愾心を抑えるのに必死だった。
ガーランドへの敵愾心と自分自身への不信感で感情を抑えるのに必死だった。
「――こいつは……こいつは何なんだよ?!」
叫び声にもガーランドはその柔らかい物腰を変えず、涼しい顔で告げる。
「その存在を言葉で現すのは難しいな。――そうだな。」
クエイドを焦らすというよりも、言葉を選ぶように間をおいてから口を開く。
「俺達が殺したくて、殺したくて堪らない存在であり、同時にそのための手段でもある。」
「なんだって?」
ガーランドはふっと笑みを零した。その笑みは嘲笑のようであり、苦笑のようでもあった。
「――まぁ、今の君に話しても意味がないな。それに君が回復する前に用をすませなくては。」
クエイドの右手に握られている短剣を見て、笑みを漏らす。
クエイドは思わず舌打ちをする。確かにガーランドの読んだ通り、体に力が戻りつつあった。だからといって、ガーランドにとって脅威になるとはクエイドには思えなかったが。正直、クエイドは自分がガーランドに勝てない事を認めなければならなかった。
ガーランドはゆっくりと歩を進めると身構えるクエイドの横を通り過ぎていった。
クエイドの心臓が一瞬止まったのはないのか思う程、動揺した。
叫ばずにはいられなかった。
「サリーナに近づくな!!」
クエイドの叫び声にガーランドは首だけを動かし、冷たく呟いた。
「悪いがそうはいかない。今日、用があるのはこの娘なんだ。」
「何……だと……」
クエイドの苦々しい声にもガーランドは温和に微笑むだけだった。彼女に近づく足を少しでも止めようとクエイドが動こうとした時、体がフワリと浮かび上がった。
そう思った瞬間、意識だけをその場所に残して吹き飛んでいた。
何回地面を転がったかも分からなかった。歪んだ青空を視界で捉えているのが精一杯だった。首を何とかサリーナの方へ向けると、ガーランドがサリーナを抱きかかえていた。
(待ってくれ……サリーナを……連れて行かないで……)
懇願を表情に浮かべて、震える手をサリーナに伸ばすが掴むのは彼女の手ではなく、何の感触もしない空気だけだった。
そんなクエイドを見ながら、ガーランドは今まで浮かべていた温厚な表情を無くし、無表情でクエイドに言葉を告げる。
「『方舟』に来い、クエイド。」
その言葉だけを残して、ガーランドは消えた。サリーナをつれて。
どこを探してもサリーナがいない。あんなに今度は守ると誓ったサリーナがいない。
「うっ………ぐっ……うわぁぁぁぁぁっ!!!」
言葉になんてならなかった。ただ、叫ばずにはいられなかった。
叫ばなければ、自己嫌悪で体をめちゃくちゃに引き裂きそうだった。許せない自分を、ガーランドへの怒りを、叫び声で発散するしか術をしらなかった。
 

俺はいつになったらサリーナを守れるようになるんだ?


答えは――答えなんていらない。
クエイドは立ち上がった。
覚悟と力が足りないって言うのなら手に入れてやる。
「方舟だろうが、どこだろうが行ってやる。」
クエイドはその瞳に悲壮な決意を込めて、叫んだ。
「サリーナを取り戻すんだ!!」
誰に言うでもない。自分を奮い立たせる言葉だった。
自分だけがサリーナを救える。サリーナを救えるのを自分だけだ。そう自分に言い聞かせるための言葉であり、その言葉が力をくれるような気がした。
だが、その言葉に返してくる奴がいるなんて想像もしていなかった。
「何故……何故、サリーナはお前なんかを選ぶんだよ……?」
クエイドはその聞き覚えのある声に思わず振り向いた。
言葉を発したのはあの化け物だった。その化け物の形相にクエイドは衝撃を受けた。
「――あんたは……」
 
 

戦闘ヘリの機関砲が文字通り火を吹いた。
20mmの弾丸の雨は容易に警察用ARMSの装甲を貫き、コンクリートを激しく叩きつける。
その様はどしゃぶりの雨が水溜りを叩きつけるようなものだろうか。
勢いよく叩きつけられた弾丸によって、コンクリートはまるで雨粒のように破片となって、宙を舞う。だが、水と決定的に違うのはその殺傷力だ。
高速で乱れ飛ぶ破片は容易に肉に食い込む。まるで地面からも弾丸の雨を食らったかのように人間はその体をズタズタに切り裂かれる。
そうやって、何人の警察官と民間人が崩れ落ちただろうか。
その数を数えるのも嫌になるほど、カイデリカは阿鼻叫喚の様相を呈していた。
戦闘ヘリから放たれた対地ミサイルが不規則な弾道を描いて飛翔する。10秒にも満たない飛翔時間の後に起こるのは目標物の粉砕である。
爆炎がオレンジに煌き、圧倒的熱量と衝撃波でほとんどの物を焼き払う。無機質も有機質も関係ない。その脅威に晒されれば等しく熱と衝撃という手で撫でられる。
絶望的な状況で突発的に死んでいった者達は皆一様に「何故、自分がこんな目に?」と問うだろう。
その問いに答えが返ってこなかったのは、幸いと言えるかもしれない。
知らずに死んでいくのは幸福な事ではないが、不幸をそれ以上に背負う必要はない。

彼ら――特務遂行群は、『テロ』というその二文字に偽装するためだけにこの暴挙を行ったのだ。
しかも、目標である『ギルティ・ノア』を完全にロストした状態で。
 

「ギルティ・ノアはまだ見つからないのか?!」
クラークは苛立ちを抑えきれずに無線に向かって怒鳴り声を上げる。
「ギルティ・ノアを完全にロストしました。発信機からの信号はロザリオ通り3番地付近で完全に消失!探索区域を全域に広げても反応ありません!!」
無線機から返されるその声には明らかに焦りの色が見えていた。
クラークは奥歯を噛み締めた。ギリギリと耳障りな歯軋りが苛立ちをさらにエスカレートさせる。
――どうする?
浮かんだのはその言葉唯一つだった。
状況は最悪だ。
作戦はすでに開始されてしまった。
作戦開始時には間違いなく目標の居場所が分かっていた。テロに偽装し、爆発物で完全に抹殺する予定だった。それで死ななかったとしても、潜伏していた私服戦闘員が確実に暗殺を完了している予定だった。
だが、爆発物を設置しようとした直前に謎の爆発が目標付近で発生してしまった。
それによって当初の作戦は頓挫。私服戦闘員を暗殺に向かわせようとしたら、今度は目標をロスト。しかも、何の手違いか戦闘ヘリ小隊が行動を起こしてしまった。
(――何だというんだ?!まるで、俺達の作戦を全部知っていて、仕組んだようじゃないか?!)
ラズウェルは一つ息を吐いた。
冷静にならなければならなかった。非情なまでな冷静さを持たなければならなかった。
クラークは決断すると静かに呟いた。
「……作戦コード・オメガに移行する。」

戦慄の決断が下された瞬間だった。それはカイデリカ市が戦場になる事を決定した瞬間でもあった。
 

作戦コード・オメガとは特務遂行群の任務において、最後の手段を意味する。
あらゆる状況判断から、任務遂行が不能と見なされた場合に発令される作戦コードである。
今回の作戦では最終的に目標の抹殺が不可能だった場合、戦闘ヘリによってカイデリカ市警察署、主要な橋、電波中継基地、市庁舎を破壊する事になっている。
その際、貨物トラックに偽装した軍用輸送トラックによって、市街地中心で完全武装した特殊歩兵1個中隊によって、民間人への攻撃も同時に行われる。

完全にローグィン市での偽装テロの再現である。
帝国軍上層部がここまで過激な要求を特務遂行群に発令したのには理由があった。
緊迫した現在の情勢化で、連邦国内でここまで軍事的な騒乱が生じた場合、連邦経済は大打撃を被る。
現在の世界を支配しているのは軍事力などという生易しいものではない。世界を支配しているのは経済という化け物だ。
連邦経済への打撃は帝国にとって大きな好機となる。
しかも、ロンダルギアの騒乱が連邦にまで波及する事になれば、軍事的緊張は一挙に加速する。その結果、連邦は軍備に予算を大きく割く事になる。そうなれば、帝国軍にも大幅に軍事予算が割かれる事になるだろう。
N計画という大計画を実行するには金の力が絶対的に必要になるからだ。

しかも、ローグィン市で偽装テロが行われたばかりだ。
その影響力は計り知れない。それに、今回の計画はローグィン市のそれの『再現』だ。
それはすなわち、世論が『ローグィン市のテロとカイデリカ市のテロは同一犯による犯行』という事実を容易に作り上げてしまう事だ。

これらの理由が軍上層部をこの非情な作戦を強行させたのだった。
 

だが、それらの思惑すら利用した者がいる事を彼らは知らなかった。
極度な軍事的緊張状態は容易にそのタガを外す。
そんな状態で、何か一つの軍事的事件をきっかけに戦争状態に突入することは歴史が幾度も証明している。エルグラド紛争がいい例だろう。
大国同士の戦争は各地の紛争に拍車をかけ、その閉塞感から世界的な経済の低迷――大恐慌を起こし、世界経済の破綻を招く。それがさらに紛争を頻発させる。
それらの大小の戦争によって、軍事力と経済力は悪戯に浪費され、トリニティ国際連合の秩序は乱れる。

ガーランド――魔王のシナリオは順調に進んでいた。
レ軍のネルドガルド侵攻を端にし、キルギスタン動乱、モンスタークライシス、ローグィン市偽装テロ事件、そして、カイデリカ市騒乱。
間違いなく、世界は混迷の度合いを深めていた。世界全土で紛争が頻発し、軍事力と経済力が疲弊した状況で不完全なNOVAを復活させ、完全な魔王及び、五竜と神竜とモンスター群による総攻撃。これによるNOVAと人類の抹殺。
それがガーランドの描いたシナリオの全容だった。
 

そのシナリオ通りに、カイデリカ市は戦場と化していた。
 

青葉は回転式拳銃の引き金を思い切り引いた。
上に跳ね上げられる衝撃と共に銃口から火花が走るのが確かに見えた。硝煙の臭いなのか、煤の臭いなのか分からないほど、戦争の臭いがした。
実戦で銃を使うのは初めてじゃなかった。
射撃訓練でならば何回も撃ったことがある。人に対して撃った事すらあった。
だが、明らかにこちらよりも火力の上な相手に対して発砲した事はなかった。
「うわっ!」
自分でも少し間の抜けた声を出したもんだと思いながら、コンクリートをえぐったその弾痕を見て、背筋が凍った。
こちらは何発も撃てないというのに相手はもうその数十倍という数の弾丸を発砲している。
別の所に隠れて応射していた警察官が爆炎と共に吹き飛んだ。
「くそっ!!下がれ!!このままじゃ全滅するぞ!!」
青葉は命一杯叫ぶと、銃を撃ちながら後方に走り出した。
青葉達警察官が使っている武器が回転式拳銃なら、相手である特務遂行群の特殊歩兵部隊が使用している武器は多目的アサルトライフルだった。
市街戦を念頭に開発された次世代型アサルトライフルで、マシンガンの機能はもちろん、別途に装備された火器を用いる事で、グレネード弾の発射すら可能にしている。用途に応じて、ライフルとしても使える軽火器とは呼べない代物だった。
この兵器によって、遮蔽物はまるで意味を成さなくなっていた。コンクリートの壁ごと肉体も吹き飛ばされてしまうからだ。たった今も警察官数名がグレネード弾によって肉片にされたばかりだった。
「くそっ!!勝負にならない!!あいつらを逮捕するにはあいつらと同じ武器か魔導士が必要だ、くそッ!!」
こんな事態になってもまだ逮捕しようとしている自分が生粋の警察官である事を嫌でも実感してしまう。しかし、それはもう不可能だった。捕まえるどころか、殺す事すら難しい。相手は明らかに武装でも実力でも自分達よりも上だったからだ。
「増援はまだ来ないのかよ?!」
すぐ近くで起こった爆発に鼓膜が悲鳴を上げるのを苦痛で思い知りながら、青葉は何度目かの叫び声を上げた。
 

カイデリカ市警察署は8階建てのビルだった。
よく警察署にある妙に奇麗事を並べた看板がここにも例に漏れずあり、「秩序を守り 市民に愛される 警察官」などという看板が警察署の屋上付近に大きく掲げられていた。
しかし、その平和的な概観とは裏腹に内部は騒然となっていた。
市民からの緊急の電話で警察署のありとあらゆる電話は鳴りっぱなしの状態でその対応だけでも署員は忙殺されていた。手の空いた動ける警察官は回転式拳銃と防弾チョッキという簡素な武装で駆り出され、パトカーのサイレンが鳴り止む事はなかった。門前には2機の警察用ARMSが巨大な盾を持って、鎮座している。
しかし、その二人の守護神も空から来る猛者の前では完全に無力だった。
ローター音を響きかせて現われた戦闘ヘリに気がつき、装備されている10.2mm回転式拳銃を発砲するが、そんなものが戦闘ヘリに命中するはずもなかった。
戦闘ヘリから放たれた対地ミサイルが不規則な起動を描いて、警察用ARMSに命中すると、機体は一瞬にして紅蓮の炎にまかれ、辺りに金属片をばら撒いて爆砕した。
その戦果を楽しむ暇も無く、戦闘ヘリは警察署の周辺を旋回しつつ、20mm機関砲の銃口を警察署の窓ガラスに向けた。それから3秒と立たずに、けたたましい射撃音と共に、一斉に窓ガラスが次々と割られていった。
中で作業していた警察官達はその弾丸の嵐を悲鳴と破砕音、そして銃撃音の中でのたうち回っていた。
机の上に無造作に詰まれていた報告書は宙に舞い上がり、その隙間を何十発もの弾丸が飛翔していった。逃げ出そうと背中を向けた警察官を容赦なく貫くと、大量の血がその傷口から溢れ出して、床を血に染めた。運良く逃げられたのはほんの僅かの人々だっただろう。ほとんどの人が戦闘ヘリの存在に気付いた瞬間に弾丸の無慈悲な洗礼を浴びていた。
一分後、震えながら身を屈めていた新米の婦人警察が恐る恐る顔を挙げた。
目の前にカッと目を見開いて、血塗れになって死んでいる男性の顔があった。
ヒッと短く悲鳴を出してから後ろに飛び退くように後ずさった。嗚咽さえも震える唇を介しては満足に出なかった。一刻も早くその場から遠ざかりたいのに倒れた机が邪魔をしていてそれ以上後ろに下がれなかった。
恐怖で発狂しそうな程だったのに、何故か視線はその絶命した男性から離れなかった。
そして、どこか冷静だった頭の一部がその青年について考察していた。
彼は、自分の好きだった青年だった。
笑顔のよく似合う、少し照れ屋の青年だった。自分と同期の青年だった。一緒の部署に配属されてお互いがんばろうと声を掛け合った青年だった。
ようやく、その婦人警官の口から迸るだけの悲鳴が放たれた。
他の警察官が助けにきた時、彼女の周りには彼のような惨たらしい死体がいくつも転がっていた。
報告書は血溜りの上に落ち、赤黒く変色していた。そして、死体の顔や体にべったりとはりついていた。
助けに現われた警察官の一人が真っ青な顔をしてこう漏らした。
「……これじゃ……まるで紙葬だよ……」
その言葉で耐え切れずにその場に嘔吐した警察官すらいた。
 
 

「……あんたは……」
クエイドは驚愕を隠す事も出来ずに眼前の化け物の形相を見ていた。
それは化け物と呼称しても何ら差し支えない姿をしていた。
元は服だったらしい布着れを身に纏ってはいるが、その破れた所から見える皮膚の色は緑色で艶かしく光っている。腕が異様に長く、足のすねの当たりまで伸びている。まるで海草のような髪の毛は水なのか、それとも自身の体液なのかは分からないが、濡れていて顔に所々張り付いていた。
だが、それらの化け物じみた容姿とは裏腹にその顔には間違いなく見覚えがあった。
「……お前が俺の名前を知っているわけがないだろう?俺はあんたに名乗ってないんだから。」
嘲笑とも苦笑ともとれない、笑みを浮かべる。
「……サリーナと一緒に働いていた……」
クエイドはそう呟くので精一杯だった。
髪型はすっかり変わってしまったが、吊り上った斜視とも言える意思の強い瞳は見間違う事はなかった。
「ルークだ。覚えておけよ。サリーナに殺された男の名前だよ。」
「サリーナが……殺した?」
その言葉の意味が分からず、相手の言葉を反芻するのが精一杯だった。
彼の言った言葉も分からなければどうして彼がこんな化け物じみた姿になってしまったのかも分からなかった。
「そうだ。俺はサリーナに殺されたんだよ。俺の気持ちは殺された。」
「ま、待てよ。だから、そんな姿になったというのか?!そんな馬鹿な事?!」
「あるさ。」
うろたえるクエイドにルークは冷たく肯定した。そして、鼻で笑ってから淡々と話し始めた。
「なぁ?二人の男が一人の女を好きになりましたとさ。それで一人の男と一人の女が愛し合いました。ここで質問。」
「ふざるな!!ちゃんと答えろ!!」
クエイドの叫び声にも、ルークは肩を竦める。
「おいおい。まだ話は終わってねぇんだよ。お前の質問なんかよりも俺の質問の方がずっと面白いんだ。ちゃんと聞けよ。さて、それで質問。残った一人の男はどうするでしょう?」
クエイドはどんな言葉を言っていいのかも分からず、ただ立ち尽くしていた。
ルークは芝居がかったように大きく手を広げる。
「男は女を愛していました。取られた男よりもずっと。その女を手に入れるためだったら、自分の命だろうが、他人の命だろうが、構わない。だけど、女は奪われた。さて、どうする?」
ルークの瞳に今まで異常に狂気の色が鮮明に浮き上がってきた。その様に恐怖を感じて、クエイドは思わず一歩後ろに下がった。
ルークは左手で拳を握り、震わせながら熱っぽく語る。
「奪い取るしかねぇだろ。心が奪えないなら体だけでも奪い取ってやる。それでも拒むと言うのなら殺してやる。それで、その死体だけでも俺の物にしてやるんだ。俺だけの物に、俺だけのサリーナだ。く……くく……くは……はははははははははっ!!!」
哄笑がクエイドの体を金縛りのように動けなくしていた。
狂っている……そう思わずにはいられなかった。
だが、恐怖を覚えている自分自身に戸惑っていた。彼の狂気への恐怖ではない、もっと根源的な内面的な恐怖によって体が動けないという事もクエイドは自覚していた。
「なぁ?サリーナをどこにやったよ?俺にくれよ?なぁ?」
ルークは瞬きもせずにクエイドの顔をニタニタと笑いながら物欲しそうに手を差し出してくる。切り裂かれた右腕の傷口付近がヒクヒクと痙攣するたび、血が噴出す量が増している。そのあまりの様に恐怖を覚えずにはいられない。
「サリーナは……」
クエイドの声が途切れた。
その先の言葉が出てこなかった。頭の中ではその言葉がぐるぐると回っているくせに喉から先に出てこようとしなかった。
何度も何度も言おうとしては言葉を飲み込んでいた。
「サリーナは……ここには……いない。」
その言葉を呟いた時、自分の無力感に苛まれた。
握っていた拳から力が抜けた。だらりと下がった両手には指一本動かす力と気力が届かなかった。
それとは対照的にルークの瞳には力が漲り、体を震わせ感情を爆発させる。
怒号はまるで大地そのものを震わせるようにクエイドの全身を恐怖と狂気の振動で叩きつける。
「ふざけるなよ?!俺の……俺の……俺のサリーナだぞ?!俺の物になるはずだったのに!!それを……それをぉぉ!!!」
ルークを強く大地を蹴るとクエイドに迫る。
余りの速さにクエイドは防御の姿勢を取るのが精一杯だった。繰り出された拳を両腕でガードするが、その勢いを止める事は出来ずに大きく後ろに吹き飛ばされる。
バランスを崩しながらも、ようやく勢いを殺し、すぐに立ち上がる。
だが……
「くぅっ」
痺れる両腕の痛みにクエイドは渋面を作る。
痺れた腕は痙攣しているように震えている。これでは当分使い物になりそうもなかった。
(このままじゃ……)
このまま勢いに押されれば凌ぎきれない。
クエイドの状況分析にもルークは哄笑を高らかに上げるだけだった。
「圧倒的だ!!圧倒的じゃないか!!これが、これが力か!!これなら……サリーナを手に入れられる!!俺の物だ!俺の物だ!俺の物だ!!」

――狂っている。

ルークのその哄笑を聞きながらクエイドはそう思わずにはいられなかった。
力に取り憑かれている。
狂気と執着が奴に実力以上の力を与えている……そう思わずにはいられなかった。
剣閃によって切り裂かれた右腕からは今も血が噴出している。痛みがないはずがない。
だが、ルークの表情には痛みを現すものはまるでない。脳が痛みを感じていないのだ。
クエイドは生唾を飲んだ。
クエイド自身は経験した事はないが、話は聞いた事がある。
精神が肉体を超える。
異常な興奮状態によって、脳内に異常な量の脳内麻薬が分泌され痛みを完全に遮断する。
痛みだけじゃない。通常、肉体はその限界を超えるような能力を発揮できない。脳が自壊を防ぐためにリミッターを設けているからだ。
だが、今のルークにはリミッターは存在しない。自分の肉体が壊れようが、限界を超えた力を発揮し続ける。
クエイドは引いている右足に力を込めた。砂がアスファルトに擦れる音が響く。
両腕の痺れはまだ取れない。接近戦では分が悪すぎる。
(だったら、魔法で一気に仕留める。)
クエイドは構成を編み始める。この状況では大きな魔法は使えない。十分な間合いがある訳でもないし、魔法の余波を防ぐ遮蔽物も距離もない。それに今はモンスターのような形態だが、人間だったルークを殺せない。
簡単な詠唱を呟き、魔力を空間に満たす。魔力に十分に満たされた空間は、呪文を放てばいつでも魔法として現実世界に現出出来るだけの力を備えている。
だが、まさに呪文を放とうとした瞬間に、ルークの口元が歪に歪む。
「無駄だ!!魔法なんか、俺には効かねぇ!!」
――読まれている?!
クエイドは戦慄した。構成が読まれた。
その一瞬の動揺の間にルークの周囲に構成が急速に組み上げられていく。
クエイドはその構成が組みあがる前に魔法を放つべく焦りを含ませた魔法の引き金を引く最後の言葉を言い放つ。
「『風刃』!!」
なぎ払うように振った右手から真空の刃が一閃した。
本来ならば、かまいたちを発生する殺傷能力の低い魔法だが、構成のアレンジによる一点集中によってその攻撃能力を飛躍的に上げた魔法である。
繰り出された一筋の真空の刃は空気を切り裂き、音もなくルークの足元に迫った。
クエイドはこの一撃でルークの両足、もしくは片足の切断を狙っていた。
切断に達しなくても致命的な一撃が加えられれば、驚異的な脚力による回避能力や攻撃能力が発揮出来ない。痛みを感じる、感じないはこの場合関係がない。
「『防壁』!!」
響いた呪文。詠唱をカットしたその特有の魔法発現手順にクエイドは内心で驚愕の声を上げた。それは、人の身では絶対に出来ない魔法の発現方法だった。出来るのは人を超える存在。
ルークの前に見えない魔力の障壁が現出する。それにクエイドの放った真空の刃が触れた瞬間、魔力の障壁が黄色い光となって視覚で見る事が出来た。しかし、見えたのは一瞬で、乾いた音をたてて、壁と刃の双方が消えた。
「さぁ!!遊ぼうぜ!!」
ルークは下舐めずりをしてから、クエイドに向けて駆け出した。彼の左手を見ると異様に長く伸びた爪が見えた。まるで鋭利な刃物のように鈍い光を放っている。
今の腕の状況であれを止められるか?
一瞬後ろに飛び退こうか躊躇したが、クエイドは腰から短剣を引き抜く。後ろに下がったとしても瞬発力は相手の方が上だ。逆に逃げ場がなくなる方が痛いと判断したからだ。
鈍い音を響かせて、クエイドはルークの左腕を短剣で止める事が出来た。
相手が片腕だった事と、爪が軽く、遠心力も十分に働いていなかった事が幸いだった。クエイドは受け止めたまま体を左側に傾ける。ルークが前のめりなった事を確認しつつ、右足を大きく蹴り上げた。
「喰らうかよっ!!」
ルークは挑発的な雄叫びを叫びながら、さらに前のめりに倒れ込む事によってその蹴りを交わす。
バックステップでその場から距離を取るクエイドとすぐに立ち上がるルーク。再び睨み合いの状況に戻る。
クエイドは短く息を吐いた。極度の緊張感にいつも異常に体力の低下を感じる。
したたり落ちる汗を拭く事も出来ずに、クエイドはルークの動きに集中しなければならなかった。
クエイドに求められるのは一撃必殺。小手先の打撃など無意味だった。
(奴を無力化する手段は――)
魔法によって両足を吹き飛ばす。
――すでに実行して読まれている。それに詠唱時間から言っても分があるのは向こうだ。
接近戦によって無力化させる。
――今の腕の状況じゃ無理だ。短剣でも、奴を殺す事は出来ても殺さずに抑える事は出来ない。
閉め技で相手を無力化させる。
――奴と組むのは危険過ぎる。力は相手の方が上だし、奴にはあの爪がある。

思い浮かんだありとあらゆる手段はいずれもリスクを伴った。そのリスクを犯すだけのメリットがクエイドには無いように思えた。
クエイドの取った手段は消極的なものだった。
「どうしてそこまでサリーナに拘るんだ?」
時間稼ぎだった。両腕の痺れが取れれば反撃の機会はある。そう踏んだからだった。それに今の奴は絶対にこの策に乗ってくるという読みがあった。
その読みどおりにルークはクエイドの言葉に意気揚揚と乗ってきた。
「愛してるからに決まっているだろうが?!欲しくて欲しくて堪らねぇんだよ!!サリーナの心はもうお前のもんだ。それは認めてやる。ああ、認めてやるさ!!だがなぁ!!体は渡さねぇ!!体は俺のもんだ!!くくく……ハハハッハハハハッ!!」
ルークの狂気に囚われた哄笑を聞くとこの判断が間違いではなかったかと思わずにはいられなかった。気分が悪かった。奴の言う言葉の通りの様を想像せずにはいられなかったからだ。
そう、それは明確なビジョンとなって、クエイドの脳裏に映し出される。
それは見た事のあるビジョンだったからだ。
人物がルークか、『あいつ』に操られている俺かの差だけだったからだ。
「……サリーナは……物じゃないッ!」
苦虫を噛み潰したような表情でクエイドは言葉を漏らした。
それはルークだけでなく、クエイドの内で燻っている『あいつ』に対しても放たれた言葉だった。
「『物じゃない』?おめぇはそうだろうよ!!だがなぁ!!俺にはもうそんな権利はねぇんだよ!!もう、俺にとってサリーナは『物』としての価値しかねぇんだ!!物としか見れないんだよ!!お前が俺の気持ちをズタズタに切り裂いて、殺したからだ!!」
「俺が……殺した?お前の気持ちを?」
クエイドの今ひとつ分かっていない口調にさらにルークは語気を荒げる。
「ああ、そうだ!!俺はサリーナの事が好きだった。ああ、愛していたさ!!だけど、サリーナはお前を選んだ!!その瞬間に俺の愛は否定されたんだ!!無いも同然にされたんだよ!!殺されたんだ、あんたとサリーナに!!」
猛々しいその叫び声はまるで魂の咆哮だった。悲しいまで痛々しい咆哮だった。
クエイドは言葉を完全に失っていた。痺れていた腕はもうその痺れさえも感じずに力なく、うな垂れていた。
自分の言葉にさらに激しさに拍車をかけたのか、ルークの激しい言葉は尚も続く。
「サリーナは物じゃないだと?人間として見ろってか?!俺の気持ちを殺したまま『いい人』を演じ続けろってのか?!報われないと分かっているのに?!それで俺の気持ちを殺したお前達を祝福しろってのか?!それとも見て見ぬふりでもしてろってのか?!祝福なんてしてたまるか!!俺は手に入れてやる!!心がだめなら体だ!!体が無理なら、命だ!!犯して、嬲って、殺して、さらに犯し続けてやる!!何度でも、何度でもだ!!」
クエイドは思わずたじろいだ。
ルークの狂気の深さに恐怖を覚えずにはいられなかった。彼に抱いた恐怖は同時に自分自身への恐怖だった。
自分自身の心の闇を現実として目の当たりにしたような恐怖だった。
クエイドは固唾を飲んだ。
そして、絶望的に呟く。

――こいつは、『あいつ』に操られた俺そのものだ――

俺はサリーナに選ばれた。
ルークはサリーナに選ばれなかった。

違いはそれだけだった。
彼女に抱いた激しい愛情が彼女の愛を手に入れられないと悟った時、狂気に生まれ変わった。殺してでも手に入れるという狂気の願望に取り憑かれた。
たったそれだけの違いだった。それだけの違いで一人の男が狂ってしまった。

――これが『愛』なのか?
何なんだよ、『愛』って?
好きになるって事はこんな事なのか?
『愛』し、『愛』されるって事は誰かの『愛』を殺すって事なのか?
無理矢理殺された『愛』はどうなるんだ?
 

俺は――こいつを殺したのか?


(違う!!こんなのは答えでもなんでもない!!)
クエイドは迷いを振り払うように大きくかぶりを振った。
現実を直視しろ。そう懸命に胸中で叫び、ルークを睨む。
サリーナはいない。ガーランドに連れて行かれた。取り戻すんだ。『方舟』に行って。
そう……取り戻すんだ、サリーナを。

「……だからって、サリーナの気持ちはどうなるんだ。」
「じゃぁ、俺の気持ちはどうなるんだよ?!俺に血塗れの心を抱いて生き続けろってか?!もう、後戻りは出来ないんだよ!!俺はもう化け物だ!!サリーナを殺してでも手に入れなきゃならねぇんだよ!!お前にそれだけの覚悟が持てるのか!!何で、サリーナはお前を選んだんだ?!お前さえいなければ!!サリーナが俺さえ選んでくれれば!!俺は、俺はッーーーー!!」
クエイドの漏らした言葉の数倍の言葉を浴びせ掛けられ、クエイドは奥歯を噛み締めた。

こんな言葉じゃ届きはしない。
あいつは――人間を捨てでもサリーナを手に入れようとしているんだ。それに抗える言葉を、抗える強さを――

倫理じゃない、俺だけの言葉を必要とした。
どんな言葉にも、どんな強さもに屈しない俺だけの、彼女の想いに応えられる強さ。
決して折れる事のない想いにくくった一本の槍を。
 

俺だって、サリーナが欲しい。サリーナの心も体も欲している。
それは何のために?
サリーナを守るためとか、サリーナを幸せにしたいとか、サリーナのせいにしない俺だけの強い想いを俺は今、見出さなければならない。
ここで見出さなければ俺はこいつにも『あいつ』にもガーランドにも勝てはしないんだ。
思い出せ。
何故、自分の身を危険に晒してまで彼女を欲するのか。
何故、彼女の全てを欲しがろうとするのか。
何故、それほどまでに彼女を愛しているのか。
 

「俺は――」
クエイドは躊躇した。この言葉は独りよがりの俺の暴走した想いだ。それを集約した言葉だ。
だけど、これが俺の本心だ。
この言葉でしか、俺は自分自身が彼女を愛する理由を現せない。どんな倫理も、悪意も、殺意も、誘惑も跳ね返す言葉だ。
その結果がどんなに残酷でもこれが俺の言葉だ。
俺は――このためにこれからを戦うんだ。俺なりのやり方で。
 

「俺は――サリーナと生きて、二人で幸せになりたいんだ。」
 

そうだ。
だから、俺はサリーナを失っても生きたんだ。
サリーナを守りたいと想ったんだ。
サリーナを抱き締めたいと想ったんだ。
サリーナから悲しみを遠ざけたいと想ったんだ。
サリーナを泣かせたくないと想ったんだ。
サリーナを愛したんだ。
 

「てめぇのは、『持っている者』の独りよがりだ!!『持たざる者』の俺にはサリーナの体を手に入れる事でしか幸福を掴めねぇんだよ!!」
「――だったら、サリーナを無理矢理手に入れればいい。」
「ああん?」

もうどんな言葉にもたじろぐ事はなかった。恐怖も感じなかった。
クエイドの瞳に冷たさとは違う冷静でいて、熱い気持ちが宿る。
「手に入れたいんだろ。だったら、俺を殺して手に入れろよ。俺だって、サリーナが欲しい。だから、あんたから死守する。」
今まで狂気じみた笑みしか見せていなかったルークの表情に初めて、恐れが見えた。
「へっ!!てめぇが殺されたらサリーナもなぶり殺しだってのにいい目をするじゃねぇか。」
「だから負けられないんだ。俺は俺の願いを叶えるためにあんたを止める。もう、俺は迷わない。誰かの幸せを壊すとか、誰かの気持ちを殺すとか、そんな事考えない。あんたは、サリーナに近付けない。」
クエイドの言葉は静かだった。
だけど、その言葉に宿っている想いは強かった。

ルークは何も言わずに地面を滑らすように左足を下げた。左手を腰溜めに据え、顎を引いて腰を落とした。
クエイドは短剣を腰の鞘に戻した。
拳で決着をつけたかった。
右足を僅かに引き、顎を引く。やや前傾姿勢を保ちつつ両腕に力を込めた。

決着は一瞬で付く。

両者がそれを十分に理解していた。
クエイドは動かない。微動だにせず、ルークを見据えていた。
ルークは動く時を強かに待っていた。瞬発力にまかせ、渾身の一撃を見舞う。それしかクエイドを葬り去る術を思いつかなかった。
両者に魔法という手段は存在しなかった。
邂逅し、拳を交わらせる決着の仕方でしか、自身の想いの強さを証明出来ない事を理解していたからだ。
これは戦闘でも、決闘でもない。
私闘だ。生存競争だ。

長い静寂の時を待って、ルークの両目がカッと見開く。
滑り出すように前に出る左足。それを見てクエイドは右腕を僅かに引いた。

接近し、接触した瞬間に勝者と敗者に別れる。

振り上げられる腕、動かない拳。

視線が交錯した。その刹那、決着は付いた。
 
 
 
 
 
 
 

(Continue)
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