第6章「君がいた想い出と 君が忘れた僕(エピローグ)」
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特務遂行群・カイデリカ市強襲3日前
その日は一段と黒い雲に覆われた日だった。
帝国では厚い雲に覆われる日が多いとは言え、この日の空は異様な空模様だった。通行人の手に傘が握られているのも不思議ではなかった。
帝国首都ラズヴェーダ・国立国際医療センター
その車が職員通用口付近に止まっても注意を払う者は誰一人としていなかった。それから時間を置いて同様に二台の黒塗りの官用車が滑り込んできた。
それぞれの車から下りたった車と同じような黒をまとったSPを帯同しつつ、初老、もしくは中年の男性達が足早に職員通用口へと駆け込んでいた。
初老の男性はその殺風景の部屋を一瞥するとニヤリと苦笑を漏らす。
「今の状況に相応しい場所だな。」
その言葉に納得するように中年の男性陣は初老の男性に注視した。
この部屋はカンファレンスルームと呼ばれていた。通称『ムンテラ室』。
外科手術の前に患者本人や家族に手術方法やその危険性を伝え、麻酔と手術の同意書を書かせる部屋だった。
「まさに命がけの儀式……ですか。」
思わずトリニティ中央政府国防長官バストゥック・キニアスは苦笑した。
「いや……手術が失敗しても責任を問われない誓約書を書かせる場所ですよ。」
そう答えた初老の男性――帝国中央議会首相ガルベス・ラダマンチュスの不気味な笑みを他の首脳部達が気付かないはずがなかった。
帝国中央議会首相ラダマンチュスはこの重要な決断をマスコミや軍関係者に知られるのを極端に恐れていた。中央議会安全保障・危機管理室のスタッフは首都内の場所取りに奔走していた。しかし、適当な場所の確保は思うように進まなかった。
そんな中、このアイディアは危機管理室の女性スタッフの脳裏に突然閃いた。その案をラダマンチュスはいたく気に入った。
白いボードだけが置かれたカンファレンスルームには病院側が容易したパイプ椅子がいくつもあった。
帝国中央議会官房長官、IIA長官、トリニティ中央政府からは国防長官、CIT長官、陸防参謀司令、海防参謀司令がそれぞれ列席していた。
そうそうたる顔ぶれだった。
「軍部の暴走は著しい。この暴走をここで食い止めなければ、帝国は独裁国家として世界から孤立してしまう。」
ラダマンチュスの言葉が皆に染み渡るのを待ってから、彼は再度口を開く。
「ニルヴァーナ機関が進めてきたプロジェクト・ノア。これは軍部の暴走を食い止めるための唯一の楔である。それを実行に移すその前にトリニティの協力をお願いしたい。」
ラダマンチュスの言葉と視線にトリニティ中央政府国防長官キニアスは内心苦笑した。
ここまできて、協力もないだろう。すでにサイは投げられているのだ。
「トリニティとしても帝国が独裁国家に変わるのは脅威です。現在の世界情勢は帝国、ガイリア、連邦の三つの支柱によって保たれています。その柱の一本でも崩れ落ちれば、トリニティは崩壊しますから。」
国防長官の言葉にラダマンチュスは一つ頷き言葉を放つ。
「現在帝国は建国以来の国家そのものの危機……ナショナルクライシスを迎えようとしている。プロジェクト・ノアによって軍上層部を牽制し、中央議会の力を取り戻す。方舟の所在が判明次第、ニルヴァーナ機関とトリニティ平和維持軍によって方舟を確保。その間の情報操作はIIAとCITで行ってもらう。平和維持軍が行動を起こす前に軍に嗅ぎ付けられる事だけは何とか避けたい。この未曾有の事態に対して協力し合いたい。」
協力し合う……その言葉にIIA長官は失笑を零しそうになった。
つまり、責任の分散なのだ。成功すれば儲けもの。失敗した場合、帝国中央議会のみならずトリニティ中央政府すら巻き込もうという魂胆なのだ。
そして、トリニティもそれが分かっていながら拒否が出来ないのだ。帝国の脱退はトリニティの崩壊すらも示唆している。それが分かっているからこの起死回生の策に乗らざるを得ないのだ。
(……茶番劇だよ、コレは。)
自分の体たらくを認める帝国中央議会。砂上の楼閣である事を自覚して、それを何とか保とうと獅子奮迅しているトリニティ中央政府の役人。
世界のトップがこれだからこんな世界なんだ。
IIA長官は内心で嘆息を噛み潰して、首相と国防長官が固く握手をする様を見ていた。
職員用通用口から外に出ようとした時、ついに小雨がぱらついてきていた。それは車が走り出すと勢いを増し、大粒の雨となってフロントガラスを叩きつけていた。高層ビル群の果ての黒い雲からは稲光が垣間見え、轟きが大地と大気を震わせていた。
まるで、この世界の未来を象徴しているようだった。
『破の拳』
確かそんな名前だった気がする。
クエイドの師であるS級派遣員デービィド・グッドスピードの奥義の一つ。
彼の格闘術の奥義で見た事のある三つの内の一つだった。
一つはクエイドの格闘戦の切り札でもある『柔の拳』。
ゼロ距離の密着状態から相手の呼吸に合わせて打ち出す拳である。密着状態で相手に触れた状態で、相手が前に出てこようが、後ろに退こうが致命的な一撃を加える事が出来る。
前に出ようとすればカウンターとなって、内臓に致命的な損傷を被る。後ろに下がれば後方に吹き飛ばされ、そのすぐあとに致命的な一撃を受ける。
クエイドが唯一体得出来た技術だった。
二つ目は『瞬の拳』。
最短の動作から繰り出される最速の拳……確かそんな感じだったと思った。
どんな風に繰り出しているのかよく分からなかったが、肩を全く動かさず、しかも凄まじい速さで迫る拳だった。
そして、三つ目が『破の拳』だった。
簡単に言えば、究極の待ちの拳だ。
迫ってくる相手の拳を避けつつ、相手の勢いと自分の拳の速度で相手の急所を一撃する。その威力は相手の内臓を完全に破壊し、絶命させる。格闘術を超えた殺人術だった。
師との組み手で何度かこれにやられた事があった。もちろん、手加減はしたのだろうが、それを喰らうと二日は胃が食べ物を受け付けなかった。
師が振るった三つの拳の中でも最高の攻撃力を誇っていた。
クエイドの拳はルークの胸を捉えた。
声もなく、吹き飛ぶルーク。受身を取る事も出来ずに地面に叩きつけられ、ゴロゴロと地面を転がった。
だが、その様を見る余裕もなく、クエイドは苦痛に思わず声を上げた。
「くっ……!」
手首に激痛が走り、その痛みに耐え切れずに思わず片ひざを付く。全く動かない右手首を苦悶の表情で見ながら、今は亡き師に悪態を付く。
(あんた化け物かよ……こんな技どうやったら出来るようになるんだよ。)
動かない手首を見ながら、骨が折れたか腕の筋が切れたかのどちらかだろうと苦痛の中で理解した。
この技の代償の大きさにクエイドは二度と使うものかと硬く誓った。
「……肉体的にも技術的にも俺には無理だったって事か……」
ついでに言えば急所を外した事も大きかったのかもしれない。
人体の急所は骨格または筋肉に覆われていないか、それが脆い所と決まっている。つまり柔らかい部分だ。柔らかい部分を殴っても自分に返ってくる反動は小さいように、逆に硬い部分を殴れば当然自分に跳ね返ってくる反発力は大きくなる。
しかもこの場合、相手の体と自分の拳が高速でぶつかる。反動は想像を絶した。
クエイドはそれが分かっていても、急所を殴れなかった。確実に生命を終わらせる殺人術を使用する気になれなかった。
クエイドは苦痛を苦笑で誤魔化しながら空を見上げて呟く。
「……どおりで教えてくれないはずだよな。」
どうやったら相手を倒せる?
その疑問に「転ばせて、踏め」とだけ教えてくれた。
最初はふざけているのかと怒ったが、今考えればとても理に適っている方法だった。
戦闘に関してだけは間違った事を一つも教えなかった。
「……ありがとう。」
そっと呟いた。考えてみれば、そんな言葉、言った事が無かった。
クエイドは硬く口を真一文字に結ぶと、ゆっくりと倒れているルークに向かって歩き出した。起き上がって襲い掛かってくる可能性はないと思ってはいたが、ルークの精神は肉体を凌駕している。さっきの一撃で決定的打撃を加えられなかったとしたら右手を使えない今の状況では苦しかった。
意識があるようなら踏みつけて昏倒させるしかなかった。
ルークの近くで彼の表情を見た時、クエイドは一瞬呆然となった。
「……サリー……なあ……さ……リーな………」
彼は白目を剥き、完全に意識を失っていながらも、サリーナの名を呼び続けていた。
まるで地獄の声のように低く、淀んだその声はまるで腹の底から響いてくるようだった。
クエイドは思わず生唾を飲み込んだ。その音がやけに耳に残った。
俺の想いの強さとこいつの想いの強さ。
同じくらい強い想いのはずなのに……何で、こいつはここまでしなきゃならない?
なんでモンスターになってまでサリーナを求めなきゃならない?
ただ人を好きになっただけで……どうしてここまで残酷な事が起こるんだ?
「……くそっ!」
その言葉が悔しさからなのか、悲しさからなのかは正直分からなかった。
だけど、言葉を胸にひそませて置く事は出来そうもなかった。
閉じていた瞼の外から猛烈な閃光を感じた。暗闇に赤い影が現われた瞬間に瞼を開けた時にはもう遅かった。
ルークの体は炎に包まれていた。炎の中で、皮膚が爛れていくその時にも彼はサリーナの名前を呟き続けていた。炎の熱さと肉が焼ける臭い、そしてそのルークの様相に思わずクエイドはたじろいだ。
「……何が……?」
訳も分からず呟いた。何があったんだ?
その疑問に応えてくれそうな奴がいるのを思い出した。いや、感じた。
怒りで拳がわなついた。動かない右手首の痛みなどもう忘れていた。
ただ、後ろに佇んでいるそいつに叫ばずにはいられなかった。
「カイラス!!何をやったんだっ?!!」
クエイドの激昂した罵声にもカイラスは静しい顔で佇んでいるだけだった。
「……用済み……って事なんじゃろ?」
カイラスのその言葉にクエイドの理性は弾け飛び、左手で短剣を引き抜くと身構える事もせずに飛び掛った。
ただ、とにかく許せなかった。それで自分がどうなるかなんて思いも及ばなかった。
ガーランドはサリーナを抱いたままニルヴァーナ機関の施設の白い廊下を歩いていた。
行き交う人達の視線もガーランドには全く気にならなかった。
ガーランドにしてみれば自分の明確な意思も持たずにただ集団で行動するだけの人間などに興味が沸かなかった。
それに比べ、自分の腕で眠っているこの少女の想いの強さには感服していた。
「絶対に死なない、死にたくない。どんな事があっても生きてみせる……クエイドと一緒に……か。」
ガーランドは眠れるサリーナに穏やかな微笑みを浮かべつつ、彼女の願いを口にした。
この細い体の内のどこにこれほどの強い想いが収まっているのだろうか。ガーランドはこの少女の無垢な願いを思うと、多少気が咎めた。
彼女の想いは十分生きるに値する物だった。ただ生まれたという事実だけで生きている存在とは違う、明確な生きる意志がこの少女にはあった。
「……『方舟を継ぐ者』……この少女がそうでなければ良かったのだがな……」
この少女にとって、目覚めて見る世界は悪夢のような物だろう。
それが分かってはいたが、ガーランドにもやらねばならない事があった。
この少女を救う手段は、残しておいた。
カイラスが上手くクエイドを利用し、クエイドを方舟へと導くだろう。そこでこの少女を取り戻せるかどうかはクエイド次第だ。
……彼が自分の考える通りの存在だとしたならばそれは容易な事だろう。それがまだ半覚醒だったとしても。
ガーランドはサリーナから視線を話すと冷たく笑う。
「……来い、クエイド。『方舟』へ。」
プロジェクト・ノアの終着地点・『方舟』
2000年最大の戦いが一人の少女を中心に巻き起こった騒乱の終焉と共に始まろうとしていた。
(Continue)
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