EARTH
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| 第7章「天空の城 過ぎ去れし残影に映る過去と今(5)」 ============================================================= 方舟の出現をありとあらゆる国家が知った。 だが、突如として出現したその空中に浮遊する巨大物体に対して明確な行動を取れた国家は皆無だった。 方舟の出現から僅かな時を置いて、トリニティ中央政府が公式な声明を発表したからだ。 WNNを初めとする世界中の報道機関が一斉にその声明を発表した。 その内容をさして気にとめる国民はあらゆる国家の中ではそう多くはなかった。そのほとんどは自分の好きなテレビ番組やスポーツ中継を中断され、憤慨し、悪戯にテレビのチャンネルを変えるという行為に訴えた者がほとんどだっただろう。だが、その声明の内容に耳を傾ける内に今自分の上を飛翔しているかもしれない巨大な物体に対して恐怖を抱き始めていた。その事態は人類が始めて経験する『遺跡による脅威』を全世界に宣誓した大事件として歴史書に記名される出来事だった。 「……平和維持出動だと?くそっ!これじゃ全く我々は手を出せないという事か!!」 帝国国防省長官ガブリエルはテレビの前で声明を読み上げるトリニティ中央政府首相を睨みながら悪態を付いた。 「平和維持権の行使……これを使われてしまったら我々は指を咥えてみているしかありません。」 帝国統合軍参謀長ログナーの言葉は淡々としていたがその表情には落胆が隠せずにあった。 「プロジェクト・ノア……成功した場合、我々はどうなる?」 「帝国中央議会の権力は増し、間違いなく軍上層部は一掃されるでしょうね。もちろん私達も含めて。」 自分で言っていて気が滅入ってきた。ログナーは嘆息を皮脂の裏に隠してガブリエルを見詰めた。その視線に気付き、テレビから目を離してログナーを見詰め返した。 「……我々の取るべき選択は多くない。そうだろう?」 「ええ。プロジェクト・ノアが成功した場合、我々のとるべき選択は二つ。中央議会の提言を享受して去るか、あくまで抵抗するか。」 「クーデターか。」 ガブリエルの双眸が険しくなる。その厳しい双眸はまるで自身の覚悟を推し量っているかのようだった。進むべきか留まるべきか、決断の前に立たされた時、人は険しい表情になる。彼の表情はその典型だった。 「首脳部である帝国中央議会を占拠し、首相を監禁して国権の発動を未然に防ぐ。これはそう難しくはないでしょう。戦略対策室ではかつてからそれについてのオプションを幾度も検討しています。もちろん極秘にですが。」 「問題はその後だ。新政府の樹立を宣言したとしてもトリニティは認めんだろう。当然だがな。クーデターを起こしたとして実際に動く我が軍は何割程度だと思う?」 「6割……多くて8割ですね。」 「トリニティ平和維持軍にガイリア・連邦を中心とした多国籍軍を相手にする、か。勝算は低いな。」 その言葉にログナーは内心安堵した。この男は愚かではない。 少々短気な所もあるが、抜け目なく狡賢い。軍ではなく政治家に向いているとログナーは思っていた。それに手の付けられない愚か者であったならば今、この椅子には座ってはいないだろう。 「帝国中央議会とトリニティ中央政府の狙いは方舟……あの空中遺跡の軍事基地化です。あれを落とす事がもし可能だとするなら……」 「小さな島一つ分は優にあるのだ。ガレリオン洋艦隊、それに帝国空中艦隊を総動員しても難しいだろうな。当然トリニティも同程度の規模で反撃してくるだろう。奴らに我々を攻撃する口実を与える訳にいかない。それほどの大規模な軍事行動を起こせる状況ではない。」 「では……静観?」 ガブリエルはため息を零した。刻々と変わる状況に置いて静観が美徳では無い事を理解してはいた。だが、打つ手がない以上静観を決め込む事より他にない。 「そうだな。神にでも祈るか。」 その言葉に苦笑の一つでも浮かべられれば良かったのに、とガブリエルは思った。 「……あれが方舟……」 ラズウェルは思わず唾を飲み込んだ。言葉を呟けただけでも上出来だったのかもしれない。ブリッジにいる全ての士官はその光景に呆然としていた。 空に浮かぶ島……その形容が最も正しいだろう。だが、その島は思っていた以上の様だった。島の底は岩石に覆われており、まるで地面からそのまま刳り貫かれたようだった。しかし、島の上は近代的なビル群がひしめき合っていた。島の中央には一際目立つ大きな宮殿が見えた。飛行場と思えるような巨大な滑走路まで見えた。そして、そんなビル群と同じように緑も乱立している。巨大な樹木がビルを圧迫し、ビルと樹木が渾然一体とした近代の古代都市を演出していた。 「……素晴らしい……」 ラズウェルの声は歓喜で打ち震えていた。 これならばすぐにでも軍事利用出来る!! その叫びを声に出さないでいるのがやっとの状況だった。 そんなラズウェルを見ながらガーランドは微笑を浮かべた。この感動で打ち震えている男をさらに狂喜させる代物が方舟には存在する。 彼は発見できなかったが、方舟の下方には岩石とは明らかに違う黒いドームがあった。岩石に隠れて見つけるのは至難だが、あれこそが方舟を五竜が恐れる最大の原因だった。 『神の槍』 そう呼ばれていた対地兵器はその一撃で核兵器に匹敵する威力を可能にする。ICBM(大陸間弾道ミサイル)の射程には遠く及ばないが、巡航ミサイル程度の射程は有している。 無公害の決戦兵器とさえ言わしめた代物だった。 (……あれだけは渡しませんよ。) その言葉を胸中に浮かばせて、苦笑を堪えた。 まるで自分は扇動家だ。魅力的な物を物欲しそうに見ている者にちらつかせ、自分の駒として操り、自分の望む方向に導き、そして決してその望みを叶えない。利用するだけ利用して必要がなくなれば簡単に切り捨てる。 (……因果な存在だな、俺は。) そう自分を慰める事にした。どんなに嫌悪した所で変えられないのだ。変えようと思うだけ無駄な事だ。運命でさえない。法則なのだ。不変の法則なのだから、変えようと思うだけ無駄なのだ。 自分に課せられた義務を全うする。魔王に課せられた義務を。 ガーランドは人には過ぎた玩具を冷たく見ていた。 目の前にガーランドがいる。 漆黒のコートを纏い、冷たく輝く黄金の瞳に吸い込まれる感覚を覚えながら、クエイドは拳をきつく握った。右手に握られている長刀に嫌でも注視する。 (……ガーランド……) 彼の名前を心の中で呟いて彼について自分が知りえる事を胸中で付け加えていった。 魔王を名乗る男。 類稀な魔法と剣技を持つ男。 殺しても死なない男。 どうやって出し抜く? 神速の剣……奴の一振りを知覚してから回避するのは不可能だと背筋が寒くなりながら肯定した。一度だけ奴の剣を受けた事があったが、それは偶然と似たものだった。その一撃を止められたのは奇跡とさえ言えた。もう一度やれと言われても不可能だろうと思えた。 その見えない剣を掻い潜って接近戦を挑む。 (――無理だな。) 認めざるを得なかった。接近戦は向こうに分があるのは明らかだった。剣を避け、懐に入って一撃を加える。その一撃で絶命させない限りは勝てない。 だが、それを実行するのには実力差を大きく上回る程の運が必要になる。 ガーランドは長い年月をかけて技を練ってきた無類の剣士と同等かそれ以上なのだ。 それを会得するのに歳月が必要だったどうかはわからないが、卓越した技術と人を凌駕する肉体を持った恐らく歴史上最強の剣士なのだ。それは認めなければならない。 クエイドは足をじりじりと広げ、戦闘態勢のベストポジションを探った。自然と足が止まった時、態勢は低くなっていた。左肩を相手に突き出したその格好はいつものクエイドの姿勢よりも若干大仰としたものだった。腰に据えられた拳はガーランドを狙い、その力を溜め込んでいた。 クエイドに魔法を使って、ガーランドを倒そうという考えは少しもなかった。 魔法には極端な集中力と時間が必要になる。しかも、ガーランドの用いる魔法は自分自身が使う者よりあらゆる面で優れていた。自分から相手の得意な土俵に入る事は愚かしい事だと思えた。 (ならばどうする?) クエイドの右手が皮製のホルスターに触れた。 技でも魔法でも殺せない相手を殺す兵器。 どれだけの格闘術を持っていようと、どれだけ魔法に優れていようとも関係ない。引き金を引く。その次の瞬間には相手は血塗れで倒れている。そういう兵器だ。 だが、問題もある。 射撃術はどれだけの鍛錬を持ってしても完璧には成りえない。どんな状況でも、どんな態勢でも、百発百中で標的を絶命させる。その途方もない理想形の何十歩も前の段階で足踏みしているのが現状なのだ。 自分の力量では、銃を両手でしっかりと固定し、照準を絞り、数メートルの相手を絶命させるのがやっとだ。部位を確実に狙うとなればさらに数歩前に戻らなければならないだろう。 それに震える指がトリガーに触れたその瞬間に破滅の暴風は吹き荒れる。死ぬか生きるかは運頼みだ。 臆病者を殺人者に変える武器。 クエイドがガーランドに勝っている部分は多くはない。 勝っている部分は経験とガーランドよりも劣っていると自覚している点だ。 クエイドはガーランドの剣を豪剣と見切っている。 押して、押して、押し切る事。それが豪剣だ。 正面からの戦闘ならばガーランドに敵はいないだろう。 だが、戦闘は正攻法だけじゃない。出し抜く術はいくらでもある。 左足を滑り込ませるように移動させた。 そして、その左足が止まるよりも早く右手が繰り出された。 視界にガーランドの冷笑を捕らえながら、自分の拳が打ち砕く部位を見据えていた。打ち出された拳は内蔵を破壊する確かな手応えを感じる事もなく、宙に制止した。 拳を繰り出した状況のまま、クエイドは溜めこんでいた息を思い切り吐き出した。 出し抜く術はいくらでもある……本当に? 疑念があと半歩足を踏み込ませない。いや……それも違う。 (恐れているんだ、殺す事を。) 殺す事への恐怖が大きく一歩を踏み込ませない。確実に致命傷を与える線を越させない。 (……くそっ!) 舌打ちする自分の仕草にさえ苛立った。 結局の所、出し抜くにしても殺すにしても殺す覚悟が必要になってくる。 時間はもうない。 これ以上の技術を得られるはずもない。 悟りを開く時間もない。 逃げる事も出来ない。 持てる技術の全てを振るえば出し抜く事はおろか殺す事だって出来る。殺せると断言さえ出来る。相手がARMSだろうが、ドラゴンだろうが、ガーランドだろうが。 だが、『殺せない』という条件がついただけで何も『殺せなくなる』。 当たり前の事だ。空は青いから青く見えると言っているのと同じだ。 結局何度堂々巡りを繰り返してもここにぶつかってしまう。 (くそっ!!) 何度目かの叱責は危うく声となって出てしまう程だった。眉を吊り上げて眉間に皺を寄せるその表情は殺人人形と呼ばれていた男の物とは程遠い表情だった。 「……クエイドさん。」 「……え?」 聞きなれた……それでいて、どこか違和感のあるその声に思わず声を挙げて振り向いた。ラッグスが無表情――というよりも意図的に感情を隠している面持ちで立っていた。 「少し……いいですか?」 「あ、ああ……」 クエイドは戸惑いながらも頷いた。考えてみればラッグスと二人きりで話をするなんて始めてだった。いつもリーサがいて、ネロがいたからだ。 そう思いながら、居心地の悪さを覚えながらクエイドはラッグスを見た。 彼はまるでクエイドを値踏みしているように見詰めていた。その視線に嫌な予感を覚えた。こういった事はあまり外れない事を直感的に悟って徐々に心が身構え始めていた。 「……人を殺せないってネロから聞きました。」 クエイドは何も言えずにただラッグスの瞳を見詰めた。ブラウンがかったその瞳に映る自分の姿を見て嘆息を噛み潰すので必死だった。 (なんて表情してるんだよ。) 自身への叱責は気を抜けば今にも口を突いて出そうだった。心を強固に覆ったつもりでいてもラッグスの言葉は容易にその外郭を突き抜けて、弱く柔な心を鷲掴みにした。 「人を殺した事は?」 まるで尋問だな、と内心で思いながら頷いた。そう言えば……サリーナと知り合う前は簡単に殺していたんだ。何も感じる事無く。あの頃の俺は何処に行ったんだ? 「――実は僕、バロンの研究員をやる前は研修医だったんですよ。」 ラッグスは初めて曖昧な笑みを浮かべた――いや、零した。笑みは消え去り、哀愁だけが表情から滲み出していた。 「実家は帝国なんですけどね。裕福でも貧しくもない――ごく普通の次男坊だったんですよ。兄は――今も変わっていないなら帝国政府で俗に言う高級官僚だと思います。僕は兄に何一つ勝てなかった。運動でも成績でも、ね。コンプレックスを感じてたんですね。」 ラッグスは歩きながらクエイドの横を通り過ぎて、通路の手すりに両手を掛けた。窓さえもないその壁に自身の姿を溶かしながら。 「何で医者になりたかったのか。正直、今も分からないんですよ。人を助けたかったのかもしれませんけど……兄に勝ちたかったんだと思います。」 「――どうして医者を辞めたんだ?」 クエイドは話を核心にもっていくために話を急いだ。それは苛立ってというよりもラッグスが何故その話を始めたのかが知りたかったからだった。 そして、質問してからそれが不適当な問いだと気付いた。この場合は『諦めたのか』と問うほうが適当だったからだ。だが、その程度の違いなどこの際どうでもいいとも三分の一秒程で納得した。ラッグスも自分と同じ事を考えているのではと思ったのに掛かった時間はそれの倍以上だったが。 ラッグスは壁に笑みを溶かして呟いた。 「……人を殺したからですよ。」 視線が自然とラッグスの背中に向けられた。表面上のクエイドの変化はその程度だった。ローグィンでの騒乱でリーサに人を殺したと告白された時ほどのショックは受けなかった。 「帝国の……特に私立の大学病院の研修医は貧窮に喘いでいるんですよ、実際は。金持ちが医者になるものだって風潮があって……一般の人には縁遠い所なんですよ、あらゆる意味で。そして、貧しい研修医は生活費を稼ぐために大学病院から斡旋されるアルバイトの給料で生活する訳です。」 今度はラッグスの話を急かす事無く黙って聞いていた。彼が『人を殺した』過程を知る上で重要だと感じたからだった。 「そのアルバイトは夜間の救命救急なんですけど……研修医がたった一人で診るんですよ。来る患者はほとんどが交通事故の患者なんですけどね。クエイドは交通事故にあった人を見た事がありますか?」 「……いや。」 「……見ない方がいいですよ。凄惨過ぎて見るに忍びないですから。複雑骨折したばかりの有り得ない方向にぐにゃぐにゃに曲がった腕や足、それに内臓破裂……ガラスか何かで口の端が切り裂かれている患者さえいました。血塗れで診察台にあげられ、僕に懇願するんです。『先生助けてくれ』って。」 想像する事しか出来なかったが……その光景は容易に想像が出来た。クエイドの場合、複雑骨折はほとんど有り得ない。要人警護でもやりすぎて骨折、もしくは銃創を作るくらいだろう。戦場でなら、骨折する可能性よりも腕や足が骨ごと吹き飛ばされる方があるくらいだった。その場合、血塗れで倒れるのは診察台ではなく、地面だが。 「研修医の僕には……どうしようもなかった。連絡を入れたりもしたけど……先生も先輩も捉まらず僕がオペをした。患者は……死にました。それでアルバイトを辞めようとさえ思いました。でも、生活があった。結局僕は6人の患者を殺したんです。」 クエイドは無言だった。 どんな言葉をかえるのが適当なのか全く分からなかった。貶せばいいのか、慰めればいいのか、励ませばいいのか。無言でただ顔を俯いて聞いているしか出来なかった。 「その後、僕はバロンに研究者と迎えられるという言葉で医学の道を諦めました。……しかし、バロンで行われていた事は……あなたなら分かるでしょう?」 「ああ。」 クエイドは短く答えた。 バロンでは生物兵器の研究開発を行っている。 生物兵器と言ってもモンスターを利用したもの……なんて甘いものではない。生物細菌兵器。人体に対して極めて有害な細菌及びウィルスを用いた無差別大量殺戮兵器の開発だった。有名な所では、炭疸菌・ボツリヌス毒素・リシン・アフラトキシン・エボラ等があった。それが実際に兵器として用いられた事はなかった。その被害は想像を絶する。数百万という人類が未だ経験した事のない災厄を招く兵器。 「僕は人を殺す事に次第に罪悪感を覚えなくなりました。でも……リーサに会って、ネロに会って……ようやく気付きました。」 ラッグスは振り返ってクエイドの瞳を正視した。 「クエイドさん……どうして人を殺したくないんです?自分が危なくて、仲間が危なくて、それでも殺せないのは何故ですか?」 「俺は……」 思わず言葉を濁した。どうしても独りよがりな気がして人に言うのをいつも躊躇った。それでも、言わなければならないと思うのはそうしなければ本当に望む答えを見つけられないと思ったからだ。 「俺が俺じゃなくなるんだ、人を殺すと。そして……多分、何番目かにサリーナを殺してしまう。それが一番怖いんだ。」 「……絶対にサリーナさんを殺さないとしたら、あなたは殺しますか?」 僅かに思案して口を噤む。 視界にラッグスが映っていない事に気付いて初めて自分が瞳を閉じている事を自覚した。その視界を閉ざす暗闇が自身の悪そのもののように思えてきた。くそっ、と吐きかけたが表情に心情は吐露していないとクエイドは確信していた。 無表情が感情を押し殺し始めていた。 「――殺す。」 その次の言葉を紡ごうと唇が微かに動くが、クエイドはそれをやめた。言い訳がましいと思った。どんな理由をつけようがサリーナを殺さないのなら俺は殺すだろう。そう思ったからだった。 そう思った自分にどうしようもない虚無感が襲った。 (……サリーナを殺さないのなら、気に入らない奴は皆殺しにするのか?) 淡々とそんな事を考えている自分に苛立つよりも、諦めにも似た感情が沸き起こった。 結局、俺は暗殺者なのか? 「――分かりました。」 そう言って、ラッグスは俺の前から立ち去った。 何が『分かりました』なんだ? 俺が暗殺者だって事なのか?それともただの臆病者だという事か? ……どっちでも構わない。 結局、答えは得られない。 銃口を向けられた時に……答えは明確な形で現われる。銃口が……サリーナに向けられた時。その時まで。 「――珍しいじゃねぇか、お前がクエイドと二人っきりで話すなんて。」 そう呟いたネロの表情を見てラッグスは思わず微笑を零した。ネロの表情にはいつもの陽気さは欠片もなかった。ただ、冷たい瞳でラッグスを睨んでいた。 「ネロは彼の事がお気に入りなんですね。」 ラッグスの微笑にはいつもの温和さがなかった。冷たい、嘲るような笑みだった。そして、口から放たれる言葉も感情がまるでこもっていなかった。 「彼は殺しますよ。おかげで安心しました。」 そう言ってネロの横を通り過ぎようとした。だが、視界が急に目まぐるしく移動すると背中に衝撃を覚え、瞳の片隅にあったはずのネロの顔が正面にあった。 痛む背中で無理矢理壁に押し付けられた事が分かった。胸元を鷲掴みにしているネロの手が微かに震えていた。 だけど、痛む背中にも心の何処も感じていないようだった。それよりも対照的に感情を剥き出しに迫ってくるネロを見ているのが面白かった。 「僕はね、彼の苦しみが分からないんですよ。殺せばいいじゃないですか。自分の大切なもの……生命、財産、自由……それらを侵害してくる無粋な輩は排除すればいいんです。」 「そういう問題じゃ、ねぇだろう。」 苦々しく呟く。だが、頭ではそういう問題ではある事を理解している。だが、クエイドが抱えているのはそういった事でない事も理解している……いや、理解しようとしている。 「――彼が何だというんです?彼のために方舟くんだりまでわざわざ来て、彼の救えなかった人を助けに行って、いい加減うんざりです。サリーナ・レイフォンス……方舟の後継者。だが、結局はそれだけ。そう、それだけなんですよ。何の利用価値もない。クエイド・ラグナイトにはまだ利用価値があります。ガーランドを……魔王を抹殺してもらいます。そのために必要なら彼に――殺させますよ、何人だろうと。その中にあの娘が含まれていても問題はありません。」 「――お前――」 ネロの手が思わず緩んだ。それでラッグスの嘲笑が一層際立った。何か分からないが、明確におかしいと直感した。こいつはラッグスじゃない。見慣れた――いや、ラッグスの身体的特徴を備えた人間を見ながらそう思った。 「最初の供物は御主がよいか?」 そのしわがれた声に振り向こうと更に手を緩めた。その直後、顎を跳ね上げるように僅かな痛みが走った。冷たい感覚に渋面を作る。ラッグスの手には黒い鉄塊が握られていた。それが銃だとすんなり認識する。 「てめぇ……」 身動きと取れない状況でもそのしわがれた声の主――カイラスを罵倒する言葉は呟けた。それをささやかな抵抗だと思って、悔恨が広がる。 「魔法が使えぬというのは不便じゃな。構成すら読めん。この男には――そうじゃな、いざとなったらサリーナを殺させるか。」 まるでお使いを頼むように淡々と語る。 「――駒には駒でいてもらわんとな。収拾がつかん。」 そして、ゆっくりとネロに近づき彼の後頭部を鷲掴みにする。 「殺しはせん。ただ忘れてもらうだけだ。」 そのカイラスの呟きだけが聞こえた。後は全く理解出来ない事になった。視界が歪んでけばけばしい色が滲み、溶け合い、混ざり合っていった。記憶の断片が溶け合っていく様を何も出来ずに見詰めながら、色彩は失われ黒く塗りつぶされていく。 完全に黒く塗りつぶされた時には、自分が誰なのかさえ分からなかった。 「サリーナ、起きたのか?」 ガーランドは軽い微笑みを浮かべて呟く。サリーナは体を起こして彼を見た。静かにそこに立っている。その雰囲気に覚えがあって少し戸惑った。 「――何故、あなたがここに?」 「サリーナの事、起こしに来たんだ。もうすぐ方舟に着くみたいだから。」 ぶっきらぼうだけど、優しい声音。その言い方が誰の真似なのか分かって怒りが込み上げてきた。手元にあった――何でもよかった――枕を彼に投げつける。彼はそれを避けようともしなかった。彼に当たって落ちる枕。まるで興味がないようにそれに視線を向ける事は一度と無くサリーナを見詰め続けていた。 「どうしてクエイドのような真似をするの?!」 思わず叫んでいた。 ガーランドの雰囲気はクエイドのそれと同じだった。似ているとかそういう次元ではなく、全く同じだった。彼はようやくサリーナから視線を外して足元に転がり落ちていた枕を拾い上げた。そして、悲しく微笑んでから小さく呟いた。 「サリーナがそれを望んでいるから。」 「私はそんな事、望んでなんていない!!」 強く否定するその声にガーランドは首を振った。そしてベッドにそっと枕を置くと呟いた。 「サリーナはクエイドに会いたいと望んでいるんだろ?だから俺は――」 「やめて!!クエイドの口調で……私の名前を呼ばないで!!」 サリーナは顔を覆った。まるで子供のように体を丸めていた。震えるその細い肩を両手で強く抑えていた。それを見詰めながらガーランドは双眸を細めた。 伸びた指がサリーナの細い腕を絡めとって、ベッドに押し倒す。少女を力で組み伏せる事など造作もなかった。それでも彼女には似合わない厳しい瞳を健気に向けながら、自分を見据えていた。その厳しい瞳に尊敬と憎悪がほとんど同時に湧き上がってくる。 「望んでも手に入らない。そう思っているのか?」 微笑を浮かべてサリーナの顔に自分の顔をまるで合わせ鏡の様に近付ける。しかし、鏡が左右対称であるように彼女の表情は厳しさを一層際立たせている。その事に皮肉に笑みを浮かべたくなるがそれは表皮の裏で燻るだけですんだ。 サリーナは答えずに睨み返してくる。それに満足して話続ける。 「そう思っているなら間違いだ。望めば手に入る。そういう風に『出来ている』。」 「――出来ている?じゃあ、私が望めばクエイドの元に帰れるというの?」 ――そう、可能だ。 ガーランドは内心で嘆息しながらそう思った。 だが、口から出た言葉は別の言葉だった。 「人には願望を可能に出来る手段が与えられている。そのための頭脳であり、そのための腕だ。だが、心が不完全なんだ。そう心がな。」 呟いた言葉が徐々に熱を帯びていた。それにガーランドが気付けたのはサリーナの腕に必要以上の力が加わり、苦悶の表情を彼女が浮かべていたからだ。 彼女の手を離すと弾かれたようにサリーナが起き上がり、距離を取った。胸元に手をやり、息を切らしている。変わらないのは自分に向ける視線だけだった。 「方舟に着く。準備しておけ。」 ガーランドはサリーナに背を向けて彼女から対称の位置にあった扉に近づいた。扉のノブに手を掛けるが思いとどまってから視線だけを彼女に向けて呟いた。 「――クエイドも方舟に向かっている。」 「……え?」 ガーランドは微笑みを残してその部屋を後にした。サリーナがどんな表情をしていたのか気になったと言えばそうだが、今はそれもどうでもいい。 クエイド、お前に俺を殺せるか? 三匹のドラゴンが空気を切り裂いて飛翔していた。黒味がかった緑の鱗に覆われたドラゴン達は空中戦に置ける最強のドラゴン・ウィザードドラゴンだった。 <そろそろ奴らの支配圏に突入する。> ドラゴンの一匹は口を動かす事もなく、脳に直接意思を伝達していた。 <まだ目標まで数百kmはあるのにか?> <バカ野郎。それでもドラゴンの眷族か?奴らの索敵手段……確かレーダーとか言う奴だ。周囲500kmはその機械の目から逃れられない。> <その影響下に入ったら覚悟しておけよ。ミサイルの雨が降って来る。> <対空ミサイルは俺達の魔法でも防げるのは多くて3発だ。それ以上喰らったら間違いなく死ぬ。> ドラゴンの一匹が荒く鼻息を出した。 <ハッ。誉あるこの聖戦の最初の戦士だぞ俺達は。死など恐れるものか。> <無駄死にして来いなんて命令じゃないぞ、よく思い出せ。俺達はあの小うるさい蚊トンボ(ガンシップ)を始末する事だ。> <くっくっく。鯨(飛行戦艦)だって沈めてやるぜ。> <おしゃべりはお終いだ。敵勢力圏に突入する。> <了解。> <了解。ぶっ殺してやるぜ。> 「機影補足!!方位0−8−5。距離470。」 その吼えた声が艦橋に緊張が走る。 「高度5000。マッハ1.2で本艦に接近中!!機影3を確認!!」 レーダーに映った3つの赤い光点が徐々に中心へと接近しつつあった。 中心――そこに位置しているのはトリニティ平和維持軍の誇る精鋭空中艦隊である。その更に中心に位置している旗艦・空中空母『回天』の艦長は副長にだけ聞こえる声で呟いた。 「――平和維持権を行使しているというのに……何者だ?」 「平和維持権を行使している今の状況では、敵対行動と思われる行動は攻撃を受けても文句は言えないでしょう。しかし……」 「そうだ。だが、念を押しておく必要はある。」 「あらゆる周波数帯であの未確認飛行編隊にコンタクトを試みろ。」 「了解。」 通信士の声に頷いてから、再び小さな声で呟く。 「それでダメなら……」 「ガンシップに出撃命令を出す。」 返してきた声はどこか冷えたものだった。 方舟の中央の宮殿から北東の位置にその飛行場はあった。 それはどう見えても飛行場だった。開けたその場所には滑走路らしき物が何本も走っているのが上空からでも容易に判別できたからだ。先行隊として方舟に到着したニルヴァーナ機関部隊は輸送飛空艇から次々に歩兵が重火器やARMSを運び出していた。その装備を仮設テントの中から眩しそうにガーランドが見ていた。 「凄まじい装備ですね。」 「トリニティ陸防軍が一部参加しているからな。」 ラズウェルは面白くもなさそうに答える。だが、その視線の先にはトリニティ陸防軍部隊を見ていた。 「もしもトリニティ平和維持軍がここの譲渡を申し出てきたらどうします?」 「それは俺の関知する所ではない……が、それはそれでいいだろう。違うか?」 「いいえ……でも意外です。」 「意外?」 ラズウェルは初めて視点を移してガーランドを見た。ガーランドは軽く微笑んでからラズウェルを見ずにARMSを見ながら答えた。 「ニルヴァーナ機関にとってここは宝島だからですよ。」 ラズウェルは鼻で笑う。 「俺はそれほど強欲ではないよ。トリニティが名実共に世界の盟主になるのならそれはそれで問題ないだろう。張子の虎である今なんかよりはよっぽど世界は安定する。」 「あなたから世界平和を聞けるとは思いませんでしたよ。」 何も答えないラズウェルを残して、歩く。 「……どこに行く?」 「俺の役目はこれで終わりです。あなたは方舟を手に入れた。あの娘は私が頂く。それが約束だったはず。」 「まだ方舟を手に入れたと決まった訳ではないだろう?」 「それは解釈の違いですよ。それにここで私の邪魔をする事はお勧め出来ません。その理由は……」 ラズウェルはその言葉を遮って頭を振った。聞きたくないと言うように。 「俺を慄かせたいのか?だったら無駄だな。俺はそれ程お前を過小評価しているつもりはない。特務遂行群並の脅威評価を下している。」 特務遂行群並? その言葉にくつくつと笑みを浮かべる。その理由が分からないのだろう。ラズウェルはただ自分を見詰めているだけだった。 「それが過小評価だと言っているんですよ。」 その言葉だけを残してガーランドは去った。その無防備な背中を拳銃で打ち抜く事は容易かったが、それを下せる程ラズウェルは命に対して執着がない訳ではなかった。 「つまり都市部は樹木で覆われていてARMSなどの重車両は行動を制限されると言う事か?」 大きなテーブルを囲んでクエイド達5人は上に開かれている地図を見ながら話ていた。その地図はカイラスがレイラインで調べた事を元に描いた地図だった。 そんな物を利用しなければならない事に軽くため息を付きたかったが利用出来る物は何でも利用しなければサリーナは奪い返せない。 ……もしかしたらその発想がため息を付く原因かもしれない。 「ARMSとて万能ではないという事じゃよ。ただでさえ密集したビル群なのにそこに不規則に樹木が乱立しているのじゃ。間違いなく行動を制限出来るじゃろうよ。」 「だが、ARMSを投入してくる理由を考えるとあまり安直に喜べないな。」 「どういう事だ、そりゃ?」 クエイドは地図に書かれている方舟の中心――宮殿と呼ばれる場所を指差した。 「奴らの狙いは方舟の軍事利用……そうだったよな?」 「ああ、そうじゃ。」 「だったら、まずは司令部――いや、この場合指揮所か。まぁ、どっちでもいいけど指揮する場所が必要だ。この方舟を見る限り最も好都合なのはここだ。」 クエイドの指はそこを強調するように二度その地点を叩いた。 「まずは宮殿を確保しようとするだろう。そのためにはひとまずARMSの大部分は二つに分けられると思う。まず整備・基地として駐屯するために飛空艇が止まっているこの空港――」 クエイドの指がすっと宮殿のある場所から空港へと移動する。 「そして、宮殿へ。」 指は再び宮殿に戻る。顔を挙げると皆が自分の指と顔とを見ていた。クエイドは一つ咳払いしてから言葉を続けた。 「ARMSよりも歩兵の方が厄介だろうな。宮殿内部はもちろんだろうし、そこらじゅうに配置されるだろう。」 「問題ないじゃろ?たかが一介の兵士じゃ。」 割り込んできたしわがれた声に陰鬱な気分になる。 「あんたは獣魔術とか言う訳の分からない魔法が使えるし、超人的な力が振るえるからいいだろうけど、俺達はそういうわけじゃない。訓練をしている兵士は脅威でしかないんだ。」 だが、そんな反論もカイラスにはまるで効果がなかったようだ。冷たい視線に晒されて、それよりも更に心も凍るような呟きを発する。 「殺す訓練をしているのはお前も同じじゃろ?」 音をたてて立ち上がったのはクエイドではなく、リーサだった。そして、それに面食らったのはカイラスではなく、クエイドだった。 クエイドは内心で考えている状況と起こった状況の違いの差に嘆息しそうになった。 「あなたはさっきからなんでっ……!」 「リーサ、いいんだ。」 クエイドは出来るだけ抑揚のない穏やかな声になるように努めながら声を掛けた。この状況で内心を吐露する訳にはいかなかった。味方ではないとはいえ、カイラスは大事な戦力だった。それをここで失う訳にはいかなかった。 「でもっ……。」 リーサは眉間に似合わない皺を寄せながら懸命に訴えていた。 リーサの気持ちはとてもあり難かった。今まで、こんな時自分を庇ってくれる人はサリーナくらいしか思い浮かばなかった。 だから、サリーナに見せるように笑って見せた。 『大丈夫、心配いらないよ』 そんな風に笑ってみた。 ――でも、俺は初めて気付いた。 俺がこんな風に笑う時にサリーナが浮かべていた表情は……とても悲しそうだった。 目の前のリーサが哀しそうにそんな俺を心配していたから。 だからって、自分を心配してくれている人に対してかつてのように無関心ではいられない。 もう、人形には戻りたくない。 (――どんな風にすればいいのか。それはサリーナに教えてもらうさ。) そう自分で結ぶと視線をカイラスに戻す。 カイラスは冷淡な瞳で見ていた。まるで人形のような何の感情も感じない瞳で。 「――クエイド、お前何か勘違いしているじゃろ?」 皺が刻まれた口元に皮肉そうな笑みが浮かんだ。その笑みには決まって何か自分自身の掛け替えのないものを覆そうという魂胆が見えてしまう。それを経験則から自分が学んでしまった事にクエイドは内心で毒づいた。 「殺せないお前なぞ、何の価値もないんじゃよ。殺してこそのお前じゃろうが。」 流石にその言葉に何の言葉も発していなかったネロまでもが険悪な瞳をカイラスに向けた。何の変化もないように見えるのはラッグスだけだった。リーサの手は怒りで打ち震えている。 その様子を見て、決断した。 クエイドは普段よりも意識してゆっくりと言った。その言葉にナイフを仕込み、相手の心臓につきたてるように怨念のような物を織り交ぜて。 「――あんたに頼ろうと思った俺がバカだったよ。」 クエイドはゆっくりと立ち上がった。カイラスを正視して冷たく双眸を細めた。出来る限りの殺気を込めてカイラスの放つ威圧感を跳ね返す。 「殺せない俺は確かにあんたにとっては無価値だろうな。でも、あんたが価値を求めている『俺』はリーサや、ラッグス、ネロ、そしてサリーナにとっては無価値なんて生易しいものじゃないんだ。」 「お前は――間違いなく殺すじゃろうよ。これまでと同様にこれからも。」 カイラスは立ち上がるとゆっくりとした歩調で去っていった。 それを止める者はおろか、見送る人さえいえなかった。皆の視線を集めていたのはクエイドだった。 「これで……良かったんだよな?」 珍しく気弱な声で皆に同意を求めるように視線を巡らす。 ネロはタバコのヤニで黄色くなった歯を見せながら、陽気に笑ってくれた。 リーサは嬉しそうに何度も頷いてくれた。 ラッグスはただ微笑んでいてくれた。 殺せない不完全な俺。でも周りにはみんながいる。殺す事が出来ていた殺人人形だった頃にはなかったものがある。 大切な人がいる。失いたくない人がいる。守りたい人がいる。 そして―― 「ん?おい、あれが方舟じゃないか?!」 ネロの声にみんなが方舟を間近に見ようとガラスの側までいる。 クエイドも方舟を見る。 そして――あそこに俺の愛している人がいる。
(Continue)
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