EARTH
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| 第7章「天空の城 過ぎ去れし残影に映る過去と今(8)」 ============================================================= 風よりも早い旋風の刃が肉に食い込もうとその暴虐の牙を向いた。クエイドは刃それ事体を知覚する事は出来なかった。だが、腕を振る仕草は見る事が出来た。外よりも内側の方が速度は遅くなる。間合いは分からなかったが剣が来ると思われる方向と角度は分かった。クエイドは横に低い姿勢で跳んだ。クエイドの横を風が通り過ぎた。その時、ステンドグラスから漏れていた光がガーランドの刃を銀光の軌跡として描いていた。それはクエイドのすぐ側を過ぎ去っていた。 クエイドは右手を地面に突いてその勢いを幾分か殺した状態で両足を地に着けた。右手に持っていたスローイングダガーは取り落としてしまっている。クエイドは二本目のスローイングダガーを取り出す。 (純粋な戦闘能力ならあいつに分があるだろうが、超接近戦――決戦能力なら俺に分があるはずだ。) クエイドにはその確信があった。 決戦能力――耳覚えのない言葉だが、クエイドにとってこの言葉の横には何時でも死があった。自分の中で確実に相手を無力化出来る範囲を決戦距離と言った。クエイドにとってみれば密着状態の零距離から腕を伸ばした範囲の事だ。ガーランドにとってはだいたい長刀の届く範囲だろう。自身から腕を伸ばし、長刀が届く2m程。その範囲は必ず決着の付く距離。暗殺技能のような確実に相手を絶命させる手段を持つ者にとって、その範囲に入る事は即座に死を意味した。ガーランドのような豪剣使いは決戦距離を極めた剣士と言い換える事も出来る。相手が誰であれその距離を制すれば必ず勝てる。そういう必勝の手段を持っている奴は強い。それを経験的にクエイドは知っていた。 ガーランドは一刀目が避けられると振り上げた剣を切り返して、振り下ろした。長刀のため、間合いが異様に広い。ガーランドとは1m以上離れているが余裕を持って切っ先が届いた。クエイドは後ろに大きく飛び退いた。流石にここまで離れれば刃も届かない。 クエイドの振った腕から銀閃が走った。スローイングダガーはガーランドの左の肩口にその刃を突き立てた。 ガーランドが僅かに舌打ちしたのが表情で分かった。ガーランドは左手に長刀を持ちかえると右手でその短剣を引き抜いた。黒い服からは血の染みを認めるのは無理だったが確実に攻撃能力を減退させたはずだった。そして、その一瞬の隙を見逃す程クエイドは甘くはなかった。 (その辺りの甘さがあんたの命取りだ!) クエイドは手早くホルスターからテンペストを抜き取るとスライドを引いて撃鉄を起こした。両手でその銃を支え、照準をガーランドに合わせた。 一転して動から静に戦いは転じた。 「どんなに化け物じみた力を持っていてもあんたには実戦の経験がほとんどないんだろう?俺のような奴と一対一で闘った事なんて皆無だろう?肩に刺さったナイフなんて放っておけば良かったんだ。」 クエイドは口を動かしつつも、照準は完全にガーランドを捉えていた。距離としては3mしかない。この程度の距離ならマシンガンを用いれば必ず命中させる事は出来る。 ガーランドは肩の傷を抑えながら、笑みを漏らした。 「お前に俺が撃てるのか?」 その言葉を挑発と受け取って撃つ事も出来たがクエイドは乗らなかった。今悪戯にガーランドと決着を付ける必要はない。ガーランドを出し抜いてサリーナを連れ戻せればそれで目的は達成される。それ以外の事など無意味なのだ。 クエイドは出来るだけ抑揚のない声で呟いた。 「この指がトリガーを少し引いただけで殺せるんだ。俺が殺せる、殺せないなんて悶々と悩んでいる事が馬鹿みたいに思えるくらいにな。だから、無駄な事はやめろよ。そこから一足で俺に切り込むよりも引き金を引く方が早い。構成も無駄だ。俺はあんたの言う通り臆病者だからな。脅威に晒された時何をするか分かったもんじゃないぞ。」 「……そうか。」 ガーランドの表情にうっすらと笑みが広がった。そして、次の瞬間にクエイドが今言った通りに急速に構成が展開していく事が分かった。 「ば……」 思わず声が挙がった。そして、その瞬間に照準をガーランドの膝に向けていた。 「馬鹿野郎!!」 叫び声と同時に引き金を引き絞った。銃口から火花が迸って銃身の横から薬莢が幾つも中空に舞い上がった。銃声の連続音が響く中で銃弾の嵐は容赦なく、目標であるガーランドの足を無慈悲に引き裂いていった。 その光景が異様にスローに見えた。銃弾が突き抜ける事によって足が引き裂かれ、血が噴出していく。貫通した弾丸が床を砕いて石片が水溜りを叩く雨のように踊り狂う。視界の隅で空薬莢が弧を描いて幾つも宙を泳いで地面を跳ね上がる様を見ながら、それでもクエイドの視界はそれを付属としか見ていなかった。どんなに凄惨な現場も見てきたつもりだった。でも、今のガーランドの表情はなんだ。 ガーランドは微笑みを浮かべながら倒れていった。もう少しそれを見続けていたらガーランドの体に銃弾をいくつも撃ち込む所だった。 広間に銃声の残響が木霊した。そして、最後に宙を舞っていた空薬莢が床に落ちて乾いた音をたてながら転がった。 あとに残ったのは静寂だった。八つ裂きされたガーランドの下半身から止め処なく血が溢れ出していた。衣類はズタズタに切り刻まれて、鮮血が夥しい量の水溜りとなってクエイドの足元にさえ流れてきた。顕になった剥き出しの肉の中に白い物があった。それを骨だと認識するのに自分で思っていた以上に時間がかかったような気がした。 静寂の中で血が流れるドクドクという生々しい音が聞こえてくるような気がした。 だが、聞こえてきたのは哄笑だった。思わず自分の口元に手をやった。だが、クエイドの口は開いてはいなかった。笑っているのはガーランドだった。 「くっくっくっくっく……」 含み笑いを続けるガーランドを見下ろしながら、クエイドは銃口を倒れたガーランドに向けながら彼にゆっくりと近づいた。 「結局殺さなかったな。知ったかぶって自分はいつでの殺せるんだと凄んだところで結局殺す勇気さえなかったな。くっくっくっ……。」 クエイドはガーランドに近づいた。そしてその耳障りな哄笑を続ける口に向かって右足のつま先を叩き込んだ。血と一緒にいくつかの歯が飛び散るのが見えた。そして、胸元から左手で三本目のスローイングダガーを抜き取るとそれを下に投げつけた。思った程大きな音も立てずに投剣はガーランドの右の掌を貫通して、床に突き立った。クエイドはそれを踵でさらに強く床に押し付けた。ビクンと一度だけガーランドの掌が動いたが、あとは力なく指が折れ曲がったまま動かない。 クエイドは双眸に何の光も灯らせないままに右手に持ったテンペストをホルスターにしまい込むと腰から掌に収まる程度の拳銃を取り出して銃口をガーランドの肩口に向けた。そして安全装置を外して、何の躊躇いもなく引き金を引く。テンペストの銃声の連続音ではなく、間隔を開けた二度の銃声と二度薬莢が転がる音。ガーランドの肩から飛び散った血がクエイドのズボンの裾に掛かる。クエイドはそれに構わず今度は未だ長刀を握っている左手に向けて、二度発砲した。人差し指と中指が千切れとぶのが見えた。三つの指で長刀を支える事は出来ずに乾いた音を数度響かせて床に転がった。 クエイドはその光景を作り出していく自分を冷えた面持ちで淡々と考えていた。ある意味殺す事よりも凄惨な事をやっているのではないか、そう思える程にクエイドの行っている事は拷問に等しいものだった。 だが、クエイドにしてみればこれだけやってもまだ安心は出来なかった。ガーランドを殺さずに無力化するにはこれでもまだ生易しいと言わざるを得ないとクエイドは感じていた。 その証拠に彼はまるで痛みを感じていないようにクエイドのする行為を見詰めながら、冷笑を浮かべ続けていた。口から血を流しながら、指が吹き飛ぶのを感じながら、四肢を再起不能なまでに傷つけられながらも彼はクエイドに冷笑を向けていた。 「これで……俺を止めたつもりか?」 血のせいで上手く喋れないのであろう。くぐもった声でガーランドは呟いた。クエイドは硝煙の臭いに意識がどんどん冷めていくのを感じながらそんなガーランドをただ見下ろしていた。 「俺は……魔王だからな。詠唱を唱えなくても構成を展開させ魔法を発動させる事は出来るぞ?」 (……だから?) クエイドは言葉には出さずにそう問うた。事実、ガーランドから構成が展開されていくのを感じた。これだけ傷つきながら錬度の高い構成を編み上げる事の出来るガーランドに正直驚嘆した。だが、それだけだ。先ほど感じた恐怖はもう感じない。 クエイドは再び拳銃の引き金を引いた。乾いた銃声が響いてガーランドの肘を貫通した。そして、霧散する構成を感じながらクエイドは唾を飲んだ。 (痛みは感じている――痛覚は正常に働いている。) その事実を噛み締めて内心で戦慄した。 痛みを感じていながら、それを表情に表さないなど言う事が可能なのだろうか。ガーランドは未だ冷笑を浮かべている。何度体を傷つけられてもそれは変わらない。 「もう、終わりにしよう。」 クエイドは頭を振って呟いた。やっと口を開けて、ようやく呟けた言葉だった。 何が決着だ。これでは一方的な虐待以外の何物でもない。 その想いがクエイドにその言葉を呟かせた。 「――何を終わらす?俺の命か?奪いたいのなら奪え。その瞬間に俺の願いは成就する。そう思っている。」 奥歯が鳴った。 くだらない。くだらない! 「死んで願いが叶えば満足だと言うのか?!あんたには生きたいとか、そういった感情はないのか?!」 クエイドは思わず叫び声を上げていた。その声が広間の隅々まで響き渡った時、彼は銃を腰にしまっていた。 クエイドは頭を振った。もうこれ以上こいつの体を痛めつけたとして何の利益があるのだろうか。もう戦闘所か日常生活すらおぼつかない程の重症なのだ。魔法によって回復したとしてもこれだけの量の血を失っては動けない。 そう確信してガーランドに背を向けて奥へと歩いていく。恐らくその先にサリーナがいる。 刹那、悪寒が背筋を滑り落ちていった。クエイドはまるで弾かれたように前方に跳ぶと、くるりと振り返った。 そして、さっきよりも尚強い恐怖の衝動に駆られた。 ガーランドは立っていた。 骨さえ砕かれた足で確かに体を支えて立っていた。右手に打ちつけられた投剣は彼の足元で床に突き刺さったまま血痕を残して濡れた刀身を光らせている。ガーランドの右手は中心から避け、中指と人指し指が異様に離れていた。満身創意を通り越して、半死半生だった。体中の傷はどれも致命傷ではないが、行動を不能にするにはいずれも十分すぎる傷だった。 (だが、奴は立った。それだけはまぎれもない事実だ。) クエイドは腰を落として、右足を引くいつもの構えを取った。それが必要な状況には見えなかったが、奴はあのガーランドだ。どんな隠し手を持っているか分かったものじゃない。 「俺に願いなどはない。あるとするなら……星の願いを成就させる事、それが俺の望みであり、生きる糧そのものだ。」 今度は奥歯を軋ませる事はなかった。だが、皮肉で胃がねじれそうになった。こいつにしてみれば何十人を虐殺するのも、サリーナの人生を踏みにじるのも、俺の存在を否定するのもその高尚な『星の望み』などという訳の分からない事のためらしい。 クエイドは理解出来ないとかぶりを強く振った。馬鹿げている。本当に馬鹿げていると叫びたかった。だが、叫ぶ前にガーランドが久しぶりに力強い声で語った。 「魔王の力とはどういったものか見せてやろう。」 ガーランドの体が閃光に包まれた。 「……黄金の杖……」 サリーナはその光の玉を見ながら思わず呟かずにはいられなかった。夢――いや、かつてここで繰り広げられたクライドとサリシアーナの悲劇。その全ての元凶がここにあった。サリシアーナが見せてくれたかつてと全く変わらずに薄暗く、ただ広いだけの空間に浮かぶ黄金の球体。その側に一人の少女が膝を折って佇んでいた。 「……貴方は……」 彼女に近づきながらサリーナはその小さな手を胸元に当てた。掌にじわりと浮かんだ汗に気持ち悪さを感じながらもその少女に近づいた。 少女は少しだけ瞳を開けるとまるで壊れかけの機械のように歪な動きでサリーナを見詰めた。 黒い髪を肩で切り揃えたサリーナと同い年くらいの少女だった。だが、彼女の身に纏っている装束には覚えもあった。いや、生気を失いつつある青白い面持ちだがその容姿にも記憶があった。自分の記憶ではないが、つい最近見たもので忘れる事は出来なかった。 「……声紋……分析……パターン1587926と確認。……お久しぶりです。サリシアーナ様。」 そう言って微笑んだ少女の瞳から涙が零れた。そして、崩れ落ちそうになる彼女をサリーナは慌てて支えた。 「……あなた、確か……セーラ……だよね?」 「サリシアーナ様……私などの名前を覚えていて下さったのですね。ああ……今はサリシアーナ様ではなく、別の人として生まれ変わったのですよね。」 少女……セーラはか細く消え去りそうな声で呟いた。しかし、その声には消え去りそうだがほのかに温かい灯火にも似た優しさがあった。 「うん。私はサリーナ。サリシアーナ……私の……その、前世……でいいのかな?あの時は色々ありがとう。貴方がここにいる理由、何となくだけど分かるよ。私との最後の約束を守っていてくれたんだよね。」 彼女の手を取ろうとして触れたその瞬間、まるで砂の建物に触れてしまったように崩れ落ちていった。サリーナはその光景に目を奪われているとセーラは「ああ」と短くうめいてから言葉を続けた。 「長すぎました。生命活動を極端に低下させても……もう少しで完全に死ぬ所でした。間に合って良かった。マスター……クライド様とは……?」 サリーナはセーラを抱き締めながら頷いた。彼女の顔を見られなかった。死を前にしてもかつての……いや、今もクライドをマスターと慕っている彼女を見ると自分だけがクエイドとこの現実を一緒に生きている事に罪悪感を覚えたからだ。 「クエイド……貴方のマスターの転生した人は……元気だよ。ここにも来るらしいから必ず逢わせるよ。」 しかし、サリーナの言葉にセーラは首を振った。そして、微笑んだ。 「いいんです。マスターはきっと……私の事を覚えてはいないでしょう。マスターはずっと……地上に行ってもずっと貴方の事を想い続けていました。そんな貴方が羨ましかった事もありました。でも……いいんです。」 その言葉に今度はサリーナが強く首を振った。 いいわけがない。彼女はずっとずっと本当に長い間一人で、待ち続けていた。私が――あんなお願いを最後の瞬間にしてしまったから。だから彼女はこんな暗くて淋しい所で待ち続けなければならなかった。そして今、死に瀕している。最後に――彼女のマスターに逢わせたかった。逢わせてあげたかった。 「それよりも……貴方は手に入れなければなりません。黄金の杖――聖剣を。」 彼女の弱々しい手が眼前の光の玉を指差した。 「どうやって?」 「大丈夫。もうすでに黄金の杖は貴方の遺伝子パターンを取り込んでいます。拒絶反応は起こりえません。触れるだけでその力は貴方のものになります。」 サリーナはこくりと頷いた。セーラをそっと床に寝かせた。 死に逝く人……そう認めなくても、彼女の体から体温が徐々に失われていくのを哀しくそこに触れる自分の体が感じていた。そんな彼女を冷たい床に横たわらすのは本当に忍びなかった。 サリーナは光り輝く球体を見詰めた。 サリーナの脳裏にサリシアーナが見せたクライドとの別離の瞬間が蘇る。 この球体に放り込まれ、そして侵食されていく彼の姿を。 全ての悪夢の始まり。 違う。悪夢ではなくて、現実だった。仕組まれた運命となって、クエイドと私の周りを動かし、私達を操る、見えざる糸。運命の糸車を回し始めたのはアデルヴァードだとしても、その担い手を失いながら回り続ける糸車に意味なんてない。意味なんてあるはずがない! そう 意味なんてないよ
(……サリシアーナ?) 内に響く哀しく、そして力強い言葉。まるで涼風のように聞こえたその声を以前のように恐れる事はなかった。 私が垣間見た運命では貴方は黄金の杖を手に入れていない
黄金の杖を手に入れる前に…… 「……ガーランドに殺された?」 サリーナの呟きに答えてこないサリシアーナ。その沈黙で彼女は理解した。 彼女は微笑んでいた。その微笑みはサリシアーナに向けたもの――そして、仕組まれた運命に向けた微笑みだった。だから、彼女は精一杯に胸を張って力強く微笑んでいた。 「大丈夫。私も、クエイドも、運命なんかに負けない。自分達の手で自分達の望む未来を形作ってみせる。」 そして、同時に光の球体に――黄金の杖に――触れる。 瞬間、瞳の前に電流が迸ったような気がした。黄金の杖に触れている右手がかつて、侵食されたように蛍光塗料のような緑色の紋様で侵されていく。その紋様が徐々にだが、右手から這うように腕へと這い上がってきた。 「サリシアーナ様!!」 セーラが叫び声を上げた。その声は驚きに駆られた声ではなく、自分を励ます声だと思った。だから、サリーナは歯を食いしばった。 (熱い!!) 心の中で悲鳴を上げながらそれでも黄金の杖から手を離そうとはしなかった。紋様が広がるたびに皮膚が焼け爛れるような熱さが這い上がってくる。 イメージして 要領は魔法と同じ
構成を組み上げるの 支配出来ると思えば支配出来る あなたの遺伝子パターンは既に取り込まれているの (――魔法) 幾度となく使ったその力の名前を内心で呟く。 魔法を扱うには構成を組み上げる。 そんな普段では考えないような当たり前の事を確認していく。構成――魔法の種類、規模、影響等を決定する。だが、それらの前に大前提としてある一つの確信が必要になる。それは『絶対に魔法を使える』という事だ。 サリーナはそれに思い当たり、強く想った。自分は必ず黄金の杖を手に入れる。それを使って必ずクエイドを救ってみせる――と。 瞬間、二の腕にまで広がっていた紋様がサリーナの掌に集まり始めた。腕全体の燃えるような熱さは消えたが、その分掌の熱さは加速度的に高くなったような気がした。 それでもサリーナは構成を編み続けた。自分の想像する黄金の杖をイメージし続けた。 黄金の杖――聖剣。 自分でも扱える程の細身で、長くないショートソード程度の剣。光に包まれた剣。運命の糸車を壊す聖剣。クエイドと私の運命を切り開く聖剣を!! そして、目の前の球体が一瞬だけ膨張し、そして弾け飛んだ。 クエイドは絶望的にその光景を見詰めていた。 絶望――希望が途絶える事。その先には何の光明も見えない事。 クエイドの目の前で繰り広げられている光景はその言葉通りだった。思わず崩れ落ちそうになるのを必死で堪えていた。 「驚いたかな?」 ガーランドは微笑みながらそう呟いた。 冗談じゃない。それが正直な感想だった。 いつ切断していてもおかしくなかった彼の両足にはあの暴虐の銃弾によって出来た銃創、裂傷が全くなくなっていた。傷跡さえも見つけられない。それは体の到る所で見られた。 投剣によって切り裂かれた右手も、銃で撃ち抜かれた肩も、千切れ飛んだはずの左手の指も、そして数本の歯が抜け落ちたはずの口からは唇が切れた後さえも見えない。形のいい唇が微笑みを作っている様が、異様に思えた。 完全に戦闘前の状況にガーランドは戻っていた。 「魔法の構成なんてまるで見えなかった。」 クエイドのその言葉はまるで呻き声のようだった。自分でも狼狽しているのが分かったが、こんな状況をまざまざと見せられて平常でいられるほうがおかしかった。 そして、そのうめきにガーランドは当然のように答えた。 「魔法ではないからな。私のこの肉体は借り物だ。だから、壊れた所でどうと言う事もなく再生出来る。」 「再生する……。」 クエイドはガーランドの言葉を苦々しく肯定した。愚かしく相手の言動を反復するのは正直苛立たしかった。それでも認めなければならない。あいつは体を再生出来る。魔法の力を使わずに。 (認めろ!!あいつは致命傷でも再生出来る。その事実を認めろ。どんなに否定しても現実なんだ。それは変わらない。) クエイドは懸命に自分に言い聞かせた。そんなバカなと思い続ける理性と、それを現実として認めなければならないという危機感にクエイドはただ胸中で命令し続けた。 それが功を奏した。 いつもの戦闘態勢を何とか堅持する事が出来た。 ハプニングはあったが、もう一度スタートラインに立つことは出来た。だが…… (どうする?行動不能な攻撃を加え、無力化する事は出来ない。残された手は――少ない。) 少ない――というよりも一つだ。 もう二度と回復させない。殺すしかない。 だが、それさえも可能かどうか分からない。かつて、レ軍侵攻の際にガーランドと交戦した時は間違いなく、心臓に短剣を突き立てた。それでも目の前のこいつは生きている。 (――死なない。こいつは――死なない、そういう事なのか?肉体の生命活動を著しく低下させる、もしくは生命活動を停止させた場合、時間の経過によって回復する?決定打にはならないが、時間稼ぎは出来る?) そう思いついて、クエイドの頬から汗が一筋流れた。 都合が良すぎる。 それが最初に下した感想だった。 殺せない俺。殺しても死なないガーランド。殺せない俺に殺せとせかす『あいつ』。駒としてガーランドを殺させようとするカイラス。 これは――罠だ。 状況証拠だけだが、クエイドはそう感じ取った。『あいつ』が闇の中で息を殺しながら、その時を待ち構えているように思えてならない。 だが――状況が罠だと分かっていながら、罠に自分から掛かりに行くしかない。 手段を選んでいる余裕がもうない。 険しい表情で睨みつけながらクエイドは覚悟を決めた。 (殺せない。俺はあいつを絶対に殺せない。だが――) 双眸がどんどん険しくなっていく。極端に集中した事によって、こめかみ辺りがジンジンと痛んできた。指先にさえ繊細な神経が張り巡らされるようにちりついてくる。 だが――傷つける事は出来る。もう、上品にあいつを無力化しよう等とは思わない。足や腕なんて場所は狙わない。殺さずに相手を無力化出来る手段はある。回復したければすればいい、その度に地獄を見せてやる。生き地獄を。 ガーランドが動いた。そう感じた時にはすでにあいつの射程内に納まっていた。 (早い!!) そう感じた事すら遅すぎた。上段から振り下ろされた斬撃は明らかにクエイドの脳天を狙っていた。短剣で受け止める時間はない。そう思った時にはすでに体はガーランドの斬撃に反応していた。考えて行動するよりも早く体が動いていた。 最も、そうでもなければ今ごろクエイドは真っ二つにされている所だった。 人間が真っ二つになる――そんなのは空想の中だけだと思っていた。頭蓋骨は当然だが丸みがある。刃がその丸みを滑って、肩に直撃する事もある。それに頭蓋骨は意外に固い。頭蓋骨を斬ったとしても脊椎、胸骨、と幾つも骨を切断しなければ刃は股間まで届かない。 そんな事は到底可能ではない。 しかし、クエイドはその当然だと思っていた知識が崩れるのをすぐ側で直視した。 すぐ横を通り過ぎた斬撃は床に当たるとまるで爆発でも起きたような爆音と石片を撒き散らして、床を深々と切り裂いていた。ガーランドの長刀はその凄まじい斬撃にも少しの刃こぼれを見せた様子も無く、艶かしい銀光を床に残している。 クエイドはその光景に恐怖を感じてはいた。だが、恐怖よりも興奮の方が勝っていた。自分の死よりも目の前の化け物を殺す事で一杯になりそうだった。 (殺しはしない。だけど、死ぬよりも辛い目に逢わせてやる。) そう呪詛のように呟きながら、腰から短剣を引き抜いた。だが、引き抜いたと同時にガーランドが迫っていた。 後ろに跳んでもすぐに追いつかれる。直線的な動きでは反応速度、身体能力の勝るガーランドが上だ。それでも、クエイドは後方に跳んだ。ガーランドは追撃のために迫っていたが、その速度をほんの少しだけ落とした。 クエイドが後ろに跳ぶと同時に虚空に置くように投げた短剣がガーランドの横を僅かにかすめたからだった。 クエイドはすぐに腰のホルスターからテンペストを引き抜き、スライドを引いて撃鉄を起こした。だが、確実に行えるのはそこまでだ。ガーランドが与えた隙は少ない。両手で構える事も、照準を合わせる事も出来そうにない。片腕で支え、トリガーを引くのが精一杯だ。それでは相手を殺さない所か、弾丸が命中する可能性すら著しく少ない。放たれた2,3発の弾丸がガーランドのどこにも命中しなければその次の瞬間には殺される。 (だったら、こんな物『まとも』に使う事なんてない!!) クエイドは言葉にならない絶叫を響かせながら、テンペストを投げつけた。ガーランドはそれを避けようとはしなかった。避けられるはずがなかった。投げつけられたテンペストはガーランドを狙わずに、クエイドとガーランドの間の床に叩きつけられたからだ。叩きつけられたテンペストは金属の甲高い悲鳴を上げてから跳ね上がった。そして、当然のように暴発した。クエイドはその暴発した弾丸でガーランドを仕留めようとは当たり前だが思っていなかった。地面に叩きつけられたテンペストから放たれる暴発した弾丸の軌道を予測する事なんて出来ない。予測する必要なんて、ない。ただ、ガーランドの足を止めさえすれば。 暴発した弾丸は在らぬ方に向かって放たれた。だが、クエイドの予想外の行動にガーランドは動きを止めた。クエイドの思っていた通りにガーランドは正攻法以外の戦法に弱かった。余りに予想外の事体に見舞われるとどう対処したらいいのか分からず、混乱してしまうのだった。 ガーランドは勢いをつけて飛び込んで来たために一度その勢いを殺すとすぐには行動出来なかった。硬直したその瞬間を狙い済ましたかのようにクエイドが大地を踏み込んだ。その踏み込みだけで死んでもいい。そう思える程思い切って大地を蹴った。ガーランドに肉薄した。ガーランドの持つ決戦範囲を抜けて、クエイド自身の決戦範囲の中にガーランドを置く事に成功した。 ガーランドの持つ長刀は、なるほど間合いが広く攻撃範囲も相当なものだろう。だが、その長刀の長さが致命傷になる。必要以上に接近されるとまるで役に立たなくなる。逆にクエイドにとって、密着状態の超接近戦こそ持てる戦闘能力を十分に発揮できる。クエイドはガーランドが間合いを取る前に右手を突き出した。右手に拳は握られておらず、抜き手だった。そして、ガーランドの顔面に突き刺さった。 抜き手――例え拳だったとしても――では頭蓋骨を突き破る事などガーランドはともかくクエイドには出来ない。右手の人指し指と中指がガーランドの両目に第二間接まで突き刺さっていた。 「あぁ……うぅ……ああぁ……あぁあぅあああぅ!!」 初めてガーランドの醜い呻き声を聞いてクエイドは残酷な、だけど言い難い昂揚感に襲われていた。だが、口調は出来るだけ冷淡に聞こえるように努める。 「これでお前の訳の分からない再生が止まるとは思えないからな。」 そして、クエイドはさらに指を奥まで入れた。ガーランドの悲鳴と一緒にその瞳から鮮血の涙が流れていた。瞳の奥、紛れもない瞳の奥へと指を入れ、視神経に指を絡めるとそれを無理矢理に引き抜いた。 糸が切れる音、そんなのを想像していた。だが、音はせずにただ柔らかい肉の塊を潰すような感触だけが残った。血塗れの指を引き抜くとガーランドの瞳から鮮血が噴出した。 「あああああああああぁぁぁぁっ!!!」 凄まじい絶叫と共にガーランドは仰向けに倒れた。このままではのたうち回る事になる。クエイドはそう考えて、次の行動に移した。 倒れたガーランドの股間を狙って、頑健なブーツの踵を踏み潰すように思い切り打ちつけた。肉が潰れる感触に背筋が粟立った。だが、それでもクエイドは残酷とも言える過剰攻撃をし続けた。ポケットから四本目の投剣を取り出す。そして、仰向けのガーランドに馬乗りになった。左膝でガーランドの利き腕である右腕を封じる。そして、右膝で右肩を押さえつけた。両目から血を流し続けるガーランドの苦悶の表情を何の感慨も沸かずに刹那の時だけ見詰めた。ガーランドの黒髪を無造作に掴んで無理矢理左頬を見せるようにさせた。投剣を逆手に握り締めると振り上げる。 血塗れの瞳が確かにクエイドを見た。まさに化け物の形相だった。 その瞳に晒されながら、クエイドの心には一点の曇りもなかった。ただ今この残虐な行為を行っている自分を何処か人事のように感じながら、そのくせ実感は確かにここにあるという雲の上を歩くような不確かな体の感覚に襲われていた。 それでも、クエイドは振り上げた投剣を握る右手を振り下ろした。 鮮血が一瞬、クエイドの目の前に広がった。そして、口の中に血の味が広がった。飛び散ったガーランドの血だという事は分かっていた。だが、それを吐き出しもせず唾液に混じらせ、血の味を舌で十分に味わってから飲み込んだ。 自分が今味わった血の何倍もの量の血が投剣を握り締める右手の側で溢れ出ていた。投剣はガーランドの鼻を横から深々と切り裂いていた。ゆっくりと投剣を引き抜くとコロンとガーランドの顔にたった今まで付いていた鼻が削げ落ちた。クエイドはもう一度腕を振り上げて、そして今度は左頬に向かって刃を振り下ろした。もう銀色の刃は血に染まって、その刃を輝かせてはいなかった。銀閃を引くことはなく、赤い血の軌跡を虚空に残してガーランドの左頬から右頬へと貫いて、床へと突き刺さった。そして、クエイドはようやくガーランドから飛び退く。 腰に付けていたバックからスタングレネードを取り出して、安全ピンを抜いてからおもむろに仰向けのガーランドに放り投げた。ガーランドの上気する胸の上で止まったスタングレネードはクエイドが両耳と両目を閉じたすぐ後に太陽のような閃光と火山の噴火にも勝る爆音を轟かせた。 閉じた瞼さえも越えて網膜に届いた白い闇を見詰めながら、クエイドは思った。 俺は殺していない。だが、こんな悪魔のような所業を何も感じずに行っている時点で―― 『俺も、化け物なのか?』
冷たい死の気配に思わず固唾を飲む。 血塗れのガーランドは今にも消えそうな、途切れ途切れの嗚咽を漏らしながら体を震わせている。暴れ回る体力すらないのだろう。 視力・聴覚・嗅覚・味覚・そして触覚。五感のほぼ全てに致命的な程のダメージを追っているはずだ。 右手の指には視神経の肉片が血と一緒にこびり付いている。手袋のおかげでその感触に慄く事はないが、黒さが一層増したそれを見るのは気分の良い物ではなく、クエイドは腕を振って、指に絡みつく肉片を吹き散らした。 こんな状態で目が見えるはずがない。 嗅覚も鼻を殺ぎ落とした時点でほとんど麻痺しているだろう。よしんば嗅覚が生きていたとしても、嗅げるのは自身の血の臭いだけだ。 聴覚は耳元でスタングレネードの閃光と爆音を聞いているのだ。恐らく鼓膜は破れているだろう。頬を貫かれ、口の中は血の味が充満している事は想像に難くない。鉄錆の味が口の中に蘇ってクエイドは僅かばかり気分がむかついてきた。全身に到る傷は致命傷には至らないが、決して軽症ではない。 (感覚器官は他の身体機能よりも精密に出来ている。裏を返せば例え回復出来たとしても、時間が掛かるはずだ。) クエイドはそう予想していた。だが、次の瞬間にはその予想が裏切られる。 またしても、ガーランドの体を柔らかい光が包み始めたからだ。クエイドは舌打ちしてから胸中で毒づく。 (これでもダメなのか?!) それでもクエイドは何もせずに傍観してはいられなかたった。床に突き刺さっている投剣を確認するとそれを目指して駆けた。腕を伸ばして投剣を回収してそれをガーランドに向かって投げた。弾丸に劣らない速度でガーランドに迫る短剣は光に接触する直前で見えざる壁に阻まれて消失した。 舌打ちして、血塗れの右手で拳を握った。それを腰に添えて体勢を幾分か下げる。そのいつもの戦闘態勢ならば大概の事態に対処出来る自信があった。だが、それは過信に過ぎなかった。一瞬、まさに刹那の時見えた構成。その構成は本当に一瞬だったために幻のようにさえ見えた。暴虐で、力の放出だけを求めた構成、稚拙過ぎる構成だった。だが、単純明快な構成だった。 そして、瞬間クエイドの目の前に踊り狂う爆炎が現われた。 まるで生物のように唸り声を上げて、大きな赤い口を開けて迫ってくるそれを前に不覚にもクエイドは何も出来なかった。 それを情けないというのは酷なものだろう。魔法を展開するには時間がなかった。 だが、それは免罪符にはなりえない。 次の瞬間には爆風と熱風が無慈悲に体を叩きつける。クエイドの意識は一瞬で遥か彼方へと吹き飛ばされていった。 サリーナの目の前にあった直径5mはある光の球体は徐々にその体積を縮めていった。そして、サリーナの掌に乗るほどになり、最後には彼女の手の中へと吸い込まれていった。 「……黄金の杖……手に入ったの?」 その呟きの答えを欲しくてサリーナはセーラに困惑の表情を浮かべた。セーラはそんなサリーナを安心させようと微笑み、頷いた。 それでもサリーナには実感がわかなかった。さっきまでの自分と今の自分で何かが変わったとは思えないからだ。両手を見てみても蛍光塗料のように輝く紋様の残骸すら見えない。クエイドなどとは比べ物にならない、弱々しい女を意識させる小さな掌だけが見える。この両手でさっきまで運命を変える聖剣を掴んでいたと思うと少しだけ滑稽に思える。 サリーナはその小さな掌を拳に変えた。 (手に入れた……よね。) その拳の中に運命を変える手段が握られている。サリシアーナが見た未来の私が手に入れる事が出来なかった運命に打ち込む楔となる聖剣が私の、この手の中に確かに握られている。 体が震え始めた。僅かに震えている両拳を見ながらサリーナは喜びを噛み締めていた。 「……やった……私……やったよ……!」 喜びを必死で噛み潰すように体を震わせていた。そんなサリーナの姿にセーラは微笑みを浮かべながら眺めていた。その視界が僅かに滲んでいくのと、緩慢になっていく意識を自覚しながら。 (サリシアーナ様……クライド様を……救ってあげてください……そして……二人でどうか……幸せを……) もう、その言葉をサリーナに伝える力すら残っていなかった。 数千年の時間には人間の能力を遥かに超えた『エレハイム』でも敵わなかったようだ。でも、それでも構わない。サリシアーナ様の生まれ変わり……彼女を黄金の杖へ誘う事は出来た。出来るなら、クライド様にもう一度お目にかかりたかったが、それももういい。 (クライド……様……オ・し……い……シ・テ…………た。) 白く濁っていく視界にはもうサリーナの姿は映っていなかった。その視界はもう何も映していなかった。だが、死へと落ちる最後の夢として、在りし日のクライドの姿を見つめながら、セーラは微笑んだ。 「セーラ、私やったよ!!黄金の杖、手に入れたよ!!」 サリーナがそう叫んでセーラを見た。セーラは微笑んでいる。 それを見て、サリーナは最初彼女も喜んでくれていると思った。だが、徐々にその笑顔が喜から哀へと色を変えていく。 彼女の瞳にはもう、生きている証の光がなかった。 エレハイム・セーラ……大量生産された量産型エレハイムでありながら、彼女はエレハイムとしての本懐を成し遂げた。悠久の時をその想いの強さだけで乗り切り、天地大戦という激動と戦乱の時代を駆け抜けた人生に静かに幕が引かれた。 何回目だろうか―― それも思い出せない。再び叩きつけられた衝撃でクエイドは血を吐き出した。涙で滲んだ視界に赤黒い斑点が見えた。自分の吐いた血だと分かった時には腹を蹴られて横転していた。さっきよりもさらに大量の血を吐いて、それが自分の顔に掛かった。どうやら自分は仰向けに倒れているらしい。いや、もしかしたらうつ伏せかもしれない。そんな事は些細な問題だと思った。立ち上がろうにも腕が動かない。少しだけ上体を起こして自分の左腕を見た。おかしな方向に捻じ曲がっている腕を見てから力が尽きて上体を沈めた。 (腕――折れているな。) 何の感慨も沸かずにそう思った。多分肋骨も何本か折れているだろう。内臓も傷ついているかもしれない。 「――生きているか?」 酷い耳鳴りでよく聞こえない。少し思案してからそれが自分にかけられた言葉だと気付いた。答えようとしたが呻き声を漏らしただけだった。 「生きているようだな。」 言葉の後に胸倉を無造作に捉まれて、壁へと投げられる。受身も取れずにそのまま壁に激突する。思った程大きな音も立てずに壁から跳ね返されて、床に倒れ込む。その衝撃で床に頭を強打したが、その痛みももうない。壁に激突したショックで呼吸が止まった。そして、次に肺から空気が吐き出された時には一緒に血も吐き出している。浅く、早い呼吸も血でベトベトになった口からはまるで蛙の鳴き声のような醜いうめきしか吐けない。 サリーナに逢いたい どうしてそんな事を考えたのかはわからない。サリーナというのが何のか、誰なのかさえ曖昧だけどそう思った。いや、それどころか自分が誰なのかさえ、もうよく分からない。 構成が見えた――構成? 訝しんだ次の瞬間には体がもみくちゃにされるように何度も地面を跳ね回り、叩きつけられた。 サリーナと話して、手を繋いで、それから―― 柔らかい物と硬い物を同時に踏み潰したような気味の悪い音が体の内側から響いた。漆黒のブーツが脚を踏み潰している。文字通り踏み潰している。あるはずの骨がまるで柔らかい木片のように粉々になっているのだろう、踏み潰された下の脚があり得ない方向に曲がっているのが見える。そして、一緒に銀閃が見えた。 それから――どうしたいんだろう。 鮮血が顔に掛かる。鬱陶しくそれを見ると何かが付いていない。ああ……腕がないんだ。 そう思った時には斬り飛ばされた右腕が床を滑るように転がっていく。溢れ出てくる血を見ながら、素直にこう思った。 どうして――死なないんだろう? 切り刻まれ、ズタズタにされていく自分の体を感じつつ、そう疑問符を投げかけた。 突き抜けるような轟音にサリーナは体勢を崩して、思わず屈みこんだ。 長い階段。淡い光明だけが不気味な彫刻を浮き彫りして、出口への道を誘っている。かび臭く、生ぬるい滞った空気に感じる嫌悪をサリーナは額に浮かべた汗と一緒に拭った。 振動によってパラパラと小さな石粒が落ちてくる。 まさか、倒壊はしないだろう――そう思ってみてもそれを肯定する要素は何処にもなく、どちらかと言えばそれを否定する要素でこの空間は満ちていた。 (今のは――ガーランド?) その考えは外れてはいないように思えた。振動は以外に近かった。 胸騒ぎがした。 胸に去来する息が詰まるような想いに息苦しくなって思わず襟元に手をやる。心拍数が徐々に上がっていくのを自分の息遣いで感じながら、サリーナは駆け出した。 何か――何かが手遅れになる。 その脅迫めいた思いに急かされるように、光明が誘う出口に向けた歩を足早に進めた。 出口の明かりが徐々にその色を増していく。 (出口だ。) そう思って、最後の階段を駆け上がった。広がった通路を更に走った。胸騒ぎがさらに強くなる。まるで夕闇のように心の中に闇が広がっていく。 光が消えていく。不安で一杯になっていった。早くクエイドの顔を見たかった。 その通路を過ぎれば広間に出るはず。サリーナは不安を少しでも浮き立つものに変えようとクエイドの事を考え続けた。 そして、広間に出た。 「……え?」 サリーナは言葉を失っていた。さっきまで見ていた広間とは明らかに異なっていた。壁は所々崩れ落ち、天井に掛かっていたステンドグラスもいくつか崩れ落ちていた。床は爆発によると思われる衝撃でいくつも捲りあがっている。残骸で埋め尽くされていた。 そして――血塗れで佇む漆黒の男性の側で同じような漆黒の男性が倒れている。 佇んでいる男性は全てが黒に覆われた男――ガーランド。 ガーランドの側で倒れている青年―― 「クエイド!!」 サリーナは叫びながらクエイドに向かって駆け出した。側にガーランドがいる事などまるで考えなかった。クエイドの側に行くと血の臭いで思わず脚が竦んだ。 「あ……あ……」 口を付く無意味な言葉。その先に出てくるべき言葉を失った声。 クエイドの姿はあまりに無残だった。 右腕が――ない。腕がついていたはずの切断面からは今も血が大量に流れ出ている。左足はあり得ない方向へと曲がっている。左腕も同様だ。 クエイドの綺麗な金髪は血によって、赤茶けている。 「クエイド――死んでいる――?」 ガクガクと体が震え出す。涙が零れ落ちてくるが泣き叫ぶ事すら出来ずにただただ立ちつくすだけだった。そんな彼女に冷たい声が響く。 「――死んではいない。まぁ、虫の息だが。」 ガーランドの方を振り向くと彼は能面のように無表情で佇んでいた。彼の持っている長刀にはクエイドの血がべっとりとついている。彼の体のあちこちに血痕が見えた。 その全てがクエイドの血―― そう思った瞬間感情が爆発した。 「うわぁぁっぁっぁぁっぁ!!!」 サリーナは激昂に身を任せて、彼女が発したとは思えない程の声を上げて無謀にもガーランドに素手で殴りかかった。ガーランドはそれを避けもせずに簡単に振り上げられたサリーナの腕を掴んだ。 「殺してやる!!絶対に殺してやるんだから!!」 サリーナは完全に自分を見失って、泣き叫んだ。だが、彼女の力ではガーランドの腕から逃れる事は出来なかった。そうと分かっても暴れ回った。両手が塞がっているのならば足で届く範囲全てを蹴り続けた。 だが、ガーランドにとってはそんな攻撃はどうでも良かったのだろう。ただ、サリーナにされるがままに彼女を見詰め続けていた。そして、優しく呟いた。 「このままクエイドを殺してもいいのかな?」 その言葉の力は強かった。サリーナはすぐに暴れるのを止めた。涙と暴れたせいで髪が顔に張り付いたまま、それを直そうともせずにガーランドの一見優しそうな、どこまでも無関心な表情を見ていた。 サリーナの体から力が抜けていくのを感じて、ガーランドはサリーナの腕を放した。放された途端にまるで全ての力を奪われたように腕は重力に任せて落ちた。 「クエイド……クエイド……」 サリーナはとうとう崩れ落ちた。そして、這うようにしてクエイドへと近づいていった。彼の周りは血だまりと化していた。サリーナの腕や、足に彼の血が付き赤黒く汚れていった。それでも構わずに彼に近づいた。 彼の側まで行くと何かを呟き続けている事に気付いた。それは本当にか細い声ですぐ近くにいても聞き取れなかった。 「何?クエイド、何て言いたいの?」 サリーナは顔を彼のすぐ側まで近付ける。くぐもった声で息も絶え絶えにつぶやいているので、よく聞き取れなかった。それでも全神経を聴覚に集中して、彼の言葉を拾い上げる。 「サ……リ……ィナ……ニ……ゲ……テ……」 彼の言葉に涙が溢れ出てきた。 こんな姿になっても、こんなに痛めつけられても、クエイドは自分の心配をしている。その事が堪らなく哀しくなった。サリーナはクエイドの手を探した。右手はもうどこにもない。左手を見つけてそれを力強く握ろうとした。そして、はっとした。 薬指と小指がなくなっていた。 「クエイド……!!」 サリーナはその手を強く握った。クエイドの血でサリーナの手も血塗れになる。血の滑る感触にクエイドをこんな姿にしたガーランドへの憎しみが湧きあがってくる。 「――少し俺も大人気なかったな。仕返しのつもりで少々力を加えたらこれだ。人形はもろいな。」 「……あなたはどこまでクエイドや私を愚弄すれば気が済むの?」 静かだが、怒りを含んだ声にガーランドは答えなかった。ただ、小さな背中を震わせてクエイドの手を握っている少女の背中を見ていた。彼女の周りから構成が垣間見えた。広がっていく構成は優しく、再生を願う想いだ。その強さと純粋さにガーランドは思わずうめいた。だが、だからと言ってそれで救える訳ではない。ガーランドは彼女の肩を掴んだ。 「無駄だ。お前ではクエイドは癒せない。」 今度こそサリーナは振り返り、涙を零して叫んだ。 「分かっているよ!!でも、でも、このままじゃクエイドが死んじゃう……人間は死んだらもう生き返らないんだよ!!あなたは大切な人を生き返らせてくれるの?!」 その叫び声よりも、激情によって掻き消された構成を確認してからガーランドは呟く。 「さすがに俺も死人は生き返らせる事が出来ない。だが――」 ガーランドは構成を編み上げ、それをすぐさま展開した。その途端にクエイドの体を淡い光が包み込む。 「クエイド――?」 サリーナが心配そうに声を掛けるのを見て、ガーランドは苦笑して呟く。 「心配するな。傷を癒している。いや、癒すという言い方は適切ではないな。補完しているとでも言うべきかな。周りにある元素を使って彼の体を再構築している。傷ついた臓器、失われた腕、無くした血液、全てが元に戻る。」 ガーランドの言葉どおりにクエイドの周りを包んでいる光が彼の傷ついた箇所を癒していった。無くした腕さえも光に包まれながらその輪郭を形作っていた。 癒されていくクエイドに安堵を覚えつつも、サリーナは嫌味の一つも言いたかった。 「直せるから傷つけたの?傷が癒されてもそれによって受けた心の傷、恐怖は拭えないんだよ?」 サリーナの嫌味にガーランドは苦笑も浮かべずに聞き流していた。 その通りだ。胸中でその答えを秘めて。 (――最も、ここまで傷つく前に現出すると思っていたのだがな。やはりこの娘を人質にとらない限り現出はあり得ないか。) 冷酷な分析を終えると同時に、魔法の展開が終了した。 光が消えた時、そこにいたクエイドは完全に元の姿に戻っていた。最も、所々破れた戦闘服や血痕までは補完させなかったために、ボロボロの印象は拭えない。しかし、体に関しては万全と言えるだろう。ガーランドは場所をサリーナに譲るように立ち上がり、クエイドから5,6歩離れた。 「クエイド……クエイド!!」 「サリーナ……サリーナ……だよ、な?」 クエイドは微かに笑ってから、失われていた右腕をよろよろとサリーナに伸ばした。サリーナはすぐにその手を取ると自分の頬へと導いた。 「うん、うん。私だよ。私の顔、忘れちゃった?」 「まさか。本当に……サリーナだ。」 流れてくる涙を親指の先で受け止め、それを拭った。サリーナは照れたようにはにかんで笑っている。自分の無事よりも、彼女が無事で本当に良かったと思った。 「――呑気な物だな。」 せっかくの再会に水を刺すように鋭くガーランドの声が聞こえた。それでも、クエイドは自分をあれ程痛めつけた相手に対して不敵に笑った。 「前に言わなかったか?この状況で、あんたが俺達を殺そうと思ったら俺に防ぐ手はないって。生かして、殺すなんて手間を誰がするんだ?」 クエイドの指摘にガーランドは思わず笑顔を零した。それは無邪気な子供のように見えた。だからこそ、サリーナにとっては怖かった。 戦いを子供のように楽しむ――それは決してサリーナには分からない感覚だった。 「お前達に伝えたい事があったからだ。」 ガーランドはゆっくりとクエイド達に近づいた。それにサリーナが反応しようと立ち上がりかけたのをクエイドがサリーナの肩を掴んで静止させた。サリーナの顔を見て、小さく首を振った。それでサリーナも諦めた。 確かに今の自分達ではどうしようもない。それを認めるのは悔しかった。だけど、すぐ側にクエイドがいる事がいい意味で自分自身に余裕を持たせている。 ガーランドはクエイドを見下ろし、息を一つ吸ってからゆっくりとした口調で告げた。 「クエイド、お前は人形だ。」(そう、お前は人形だ) クエイドはこの時、心底驚愕した。 ガーランドの言動に呼応するように『あいつ』が語り始めたからだった。こんな事は今まで一度としてなかった。 何か――どうしようもなく、酷い事がこれから起こるような、そんな暗澹な想いを持ったままガーランドの言葉を聞かざるを得なかった。 そして、ついに最初の星の物語は悲劇へのクライマックスを迎えた。
(Continue)
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