それぞれにそれぞれのはじまり
それぞれの場所で
東京・某税務事務所
「・・・どおやら、変な抵当や根抵当はついてないようねえ・・・」
土地の登記簿を閲覧していた伊勢日向は、納得したようにうんうんと頷いていった。
彼女は、今回の「アストラル」入門に際し、金銭面で旧経営者がトラブルを起こしていたという事実をききつけ、こうして念には念を入れていたところだったのであった。
「じゃあ、気を取り直して行くとしますか。」
そう元気に言い放つと、日向は一挙動で出口へと向かって歩き始めたのであった。
東京都内・某所
「・・・これ以上、どこにいけばいいっていうのよお」
やっとのことで探し出したビルのとある一室の前で、江崎蘭は疲れたような声を上げながらその場にへたんと座り込んでいった。
彼女の眼前の一室には、壁にでかでかと「借主募集」の広告が貼られており、現在、この事務所が使用されていないということをあらわしていたのであった。
こここそ、以前、アストラルの社長であった男が事務所を構えていたという場所なのであった。
蘭は、つい先日まで地方にあった弱小団体でデビューに向けて練習を重ねていたレスラーの卵だったのである。
しかし、つい先日、その団体は何の前触れもなく急に解散。彼女は給料未払いのまま、まさに裸一環で放り出されてしまっていたのである。
そんな彼女ではあったが、必死の思いでバイトをし、やっとの思いでお金をためていた最中に、今回のこのアストラルの求人を見つけていたのである。
しかし、以前の経験もあって、彼女は「まず社長にあって、団体が解散しても未払いの給料は保証する」旨の契約書を書いてもらわねばと思い立ち、道場によるよりも先に、まずこちらへと歩を向けていたのであった。
バイトしたとはいってもたかがしれている。
彼女は、なんと自転車を購入し、それによってこの東京くんだりまですさまじい距離をすさまじい時間かけてやってきていたのである。
・・・もう、動けないね・・・
疲れ切った表情のまま、その場にへたりこむ蘭なのだった。
と、その時だった。
「あんた、ここの関係者やの?」
不意に後方から声をかけられた蘭は、疲れからのろのろとした動作でその声の方へと頭を向けていく。
その視線の先で、東京に着いたばかりの美鶴姫七美は、訝しげな表情を崩さぬままに眼前の蘭を見やっていたのだった。
「せやから、関係者なん?って聞いてるやろ、答ええな。」
一向に口を開こうとしない蘭に対し、いらいらした表情を露骨に浮かべたままの表情の七美は再度、棘のたちまくった言葉を蘭に向かって投げかけていく。
しかし
「・・・ほえ・・・?」
すでに疲労と空腹で極限状態の蘭には、まともに答えるだけの能力は残っていなかったのであった。
・・・こら、あかんわ・・・
はあ、と小さくため息をつくと、七美は小さく腕組みし、思考を巡らせていく。
・・・せやけど、今はどんな些細な情報でも欲しいさかいしなあ・・・
七美は、一度ちらりと横目で、いまだにその場にへたりこんだままの蘭を見やっていく。
「・・・立ち話もなんやさかい、そこいらのサテンでもはい・・・」
と、言いかけた七美に対し、蘭の耳が過敏に反応を示した。
「ごはんおごってくれるあるか!!!!!!!」
それまで無表情だった蘭が、突如脱兎のごとき勢いで七美の足にからみついていく。
「な、なんやの、一体!?」
突然の事態に、七美は完全に虚をつかれた格好となり、慌てて後方に後退さっていく。
「ごはんごはんごはんごはんごはんごはん!!!!!」
しかし、そんなことお構いなしに突進していく蘭。
「わ、わかった!わかったさかいに、ちょっと離れなや!!」
懸命に後退さりながら、若干悲鳴にもにた声をあげる七美。
あの、街金融の親父をも震え上がらせる七美に悲鳴を上げざるをえない状況にまで追い込んだ蘭なのであった。
この後、さんざん飲み食いされた挙げ句、蘭がこれからアストラルに入門しにいくだけの人間であることが解った七美がムンクの叫びよろしくその場に呆然と立ちつくしたのは言うまでもなかった。