■No.07220「死んでしまうのなら」
GM:星空めてお 担当マスター:桜井光
このリアクションは選択肢220を選んだ人の内、
一部の方に送られています。
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《前回までのあらすじ》
木星圏への航行の途上、ハンプティ基地では、平
行してクローン少女兵に使われているAIとナノマ
シーンの解析が進められていた。だがナノマシーン
の方は、使われている技術とメンバーの知識の間に
レベルの差がありすぎて、まるで歯がたたない。
そんなある日、ツェータが、投与されていた薬物
が切れて苦しみだす。彼女の苦しみを癒すメンバー
たち。彼女たちは、このことを機に、心を開き出し
た。
途中、所属不明船団との戦いを経て、ハンプティ
基地は木星圏に到着する。基地メンバーは、クロー
ンを施設の整ったアカデミーに移そうとするが、彼
女たちはひどくそれを嫌がる。彼女たちにとって、
ハンプティ基地以外に移ることは不安なのだ。その
ため、やむなく、タウたちは引き続きハンプティ基
地が引き受けることとなった。
クローンに使われていたナノマシーンの研究・解
析はなおも続けられていた。
シアン・K・カリウムは、アカデミーで行われて
いるプロジェクト『ウロボロス』ともコンタクトを
取って研究を続けているが成果は芳しくない。
現在はっきりしているのは、DNA異常の正体程
度だ。以前に火星のシミズ・シティを襲撃したタウ
たちの姉妹であろうクローン兵士(全員撃退され死
亡している)のデータをシミズ・シティから受け取
って比較分析したところ、やはりタウたち四人はD
NAは異常を起こしていた。健康体のDNAと比較
したことで、原因が不明だったタウ以外の三人の異
常の理由も推測できた。宇宙放射線だ。“幽霊船”
に偽装するため、バリアも切って長期に渡って宇宙
空間に潜伏したゆえに宇宙線によって被爆したのだ
ろう。
原因は分かった。だがDNA異常はナノマシーン
によって補正されていると見られるので、実際に何
ができるようになった訳でもない。シアンらの研究
は行き詰まっていた。
「やっぱりここの設備では………いえ、フェデレー
ションの技術じゃこれ以上は無理ね」とシアンは言
う。
「何故ですか?」
顕微鏡をのぞき込む顔を上げて、倉橋慶彦は疑問
の声を上げた。プロジェクト『ホウセンカ』のメン
バー、ウェン・リオ・ヒューもうなずく。ウェンは
海王星で勧められているプロジェクトへナノマシー
ンと反物質資源を輸送するためにこの基地に来てお
り、現在はシアンらの手伝いをしている。数日後に
は、プロジェクトメンバーの因・プロパノール・十
二神島と秋葉原若松と共に輸送班に同行して海王星
へ発つ予定だ。
「考えてもご覧なさいな。彗星動乱時からこっち、
何十年も人体実験を含めた研究を続けている―――」
『かも知れない』とは、言わない。「―――ロス・
アラモスに追いつくつもりなら、単純に考えれば何
十年もかけて追いつかなきゃならない訳でしょう?」
「でも、フェデレーションだってマイクロマシンの
実用段階には達しているじゃないですか。ナノマー
シンがマイクロマシンの段階を経てつくられるのな
ら……」
「あと一歩ってことなんだろうけどね。でも、ダメ
なの」
シアンは残念そうに肩を落とす。マイクロマシン
とナノマシーンの差は非常に大きいのだ。例えばタ
ウたちに用いられているマシーンは、機能の一つと
して身体の強化変形を可能にしていた。これは酵素
や蛋白質の合成などをしている、ということだ。そ
れが何を示すのかというと、
「ナノマシーンはね、何でもできるのよ。マイクロ
マシンも微細な作業にはとっても役立つけど、万能
ではないでしょう?」
「万能というと」
「ナノレベルで分子を操作、合成できるってことは
ね。聖書に書いてあるようなことさえ可能ってこと
なのよ」
「?」
キリスト教の信仰が薄い極東出身のエンジニアで
ある倉橋には、引き合いに出された聖書の内容がよ
く分からない。
「土から人、よ」シアンはさらっと述べた。
倉橋は納得する。そして、驚愕する。
「分子構成の組み替えですか!? そ、そんな……」
「極端な例なのは確かだけど。とんでもないでしょ
う? あのリヴァイアサンだってナノマシーンから
成っているんだから。ひとえに一歩、ワンステップ
って言っても、この階段の一段は大きいわよね」
「大きすぎますよ」ウェンが呟く。
「具体的にどのくらいかかるんですか。何十年とか、
抽象的な言い方じゃなくて」
「具体的? 短く見積もったとして―――10年く
らい、かしら」
つまり、短期間で解析し実用にこじつけることは
あまりにも難しいと言うことだ。だが、タウたちに
用いられていたナノマシーンの作用だけに関して言
えば、まったく打つ手がない訳でもない。
人体実験だ。
「ただ埋め込むだけで同じかそれに近い効果が得ら
れると仮定するなら、人体への投与実験って手もあ
るんだけど、ね……」
溜息混じりに言って、シアンはコーヒーをすすっ
た。黙ったまま、すぐ隣で電子顕微鏡を操作してい
る竜宮神夜へ目を向ける。
「ねえ、神夜のほうの進み具合はどう?」 竜宮は
除去されたクローンたちの第13神経繊維を中心に
脳組織の研究を行っている。微細研究であることに
は変わりないので、ラボはシアンらと共有している。
研究の目的は、13神経の移植修復。成功した後に
は、エングラムを介した教育を施すことを考えてい
る。
「難航しています。どうもクローン臓器としての再
生は、13神経には望めないようですね。正しく形
成してくれません。たまにCTとアナ・ビジョンで
の検査もしていますが、やはり神経が自然再生する
兆しはないですし」
除去されているなら当然じゃないのか、とジムが
たずねる。
「ええ。ですが、なんらかの形で再度形成される可
能性がないわけではないと思いますよ」
竜宮はホビットを操作して、データを表示した。
「何、これは?」
「新しく立ち上がったプロジェクト・ディゾナンス
の発表です。計画そのものはデーモン・ラウル氏の
特殊エングラム技能に対抗するものですが」ラウル
に“氏”なんてつけるな、と倉橋が顔をしかめる。
「発表の中に、こんな一節があります」
『エングラムパターンとDNAには相似する点が見
られる。エングラムパターンのアルファベットを塩
基に例えるとする。肉体を記録するものがDNAで
あるならば、精神を記録するものがエングラムと言
うことになる』
読み進みつつシアンが言う。
「つまり何? 精神を持つものは全て、エングラム
を持つ――」
「はい。この発表が正しいとすれば、精神がある以
上彼女たちの13神経が再生してエングラムが発現
する可能性も、ゼロではないはずです」
この推論が正しいとしても、こちらは待つ以外に
何もできないんですがね、と続けて竜宮は笑った。
@ @ @
「ニーファン」
母は娘に声をかけた。
ニーファンはハンナ・祀の実娘だ。お互いに研究
者であり、エングラム新技能を開発するためにこの
ハンプティ・ダンプティ基地で研究を行っていた。
「おめでとう。よくやったわね」
「被験者の方がたくさんいらっしゃったおかげです
わ」グラスを弄びながらニーファンは母に応える。
酒には弱いのかもう顔が赤い。
「母さんも負けていられないわ。少なくとも、来月
には完成させたいわね。ファイル・ソルの圧縮方法
の解析はユーキ君がいい調子で進めているし、シャ
ドウを介された先の個体でおこなう情報の展開も順
調に……」
「待って下さいドクター・ハンナ。仕事の話はよし
ましょうよ」折角のプロジェクト完了・解散パーテ
ィなんだから仕事のことは忘れて呑んで下さい、と
リリー・ヘヴンズフィールドはワインを勧めた。
プロジェクト『モルフェウス』は先月から大量の
臨床試験を行うことができた。クローンの少女ツェ
ータに対しての使用成功が良いイメージとなったの
か、基地内の人間の多くがみずから進んで被験者と
なってくれたからだ。リリーやクランド・ニシクジ
ョーの行った被験者募集のアプローチも功を奏した。
そのお陰で研究は飛躍的に進み、技能化は成功。デ
ータを集め、更なる改良を施して新しいエングラム
技能が完成した。人間の神経活動を一時的に低下さ
せ、医療に用いる。それをエングラムを持つすべて
の人間が行えるようになったのだ。
そして今、『モルフェウス』のメンバーはプロジ
ェクトの終了を持って解散を宣言した。エングラム
通信を目的としたプロジェクト『パランティア』の
面々も招いて、お祝いとお別れのパーティが行われ
ている。 にこやかに笑う人々。そんな中、急にふ
っと表情を暗くしたまま黙ったモニカ・シュナイダ
ーにザイン・シュリヒトが近寄る。
「モニカ。どうした」
「……ごめんなさい。なんだか、ふと不安になっち
ゃって。太陽が超新星化するっていう今、本当に私
たちの研究は役に立ってくれるんでしょうか……あ
あ、本当にごめんなさい。場にそぐわないこと、言
ってますよね。でも……」モニカは酔っているのだ
ろう。酔って本音が、心の奥底の不安が、こぼれて
いる。
ザインは相手の手を取って、励起させた己のエン
グラムを触れ合わせる。
《大丈夫だ》
言語にするならそういう意志。それがエングラム
を通して伝わっていく。暖かい意志。モニカはザイ
ンの目を見た。いつもぶっきらぼうな感じのザイン
にしては珍しく笑っている。
「すべての物事は、どこかでつながってる。皆でが
んばっていれば、太陽系だってきっと救える」
「そうだな。俺も大いに同感だ」二人の様子に気づ
き、端で見守っていたクランドがそっと近付いて「
俺達のプロジェクトも、モルフェウスも。そして火
星や海王星、太陽上で行われているプロジェクトだ
って」エングラムを重ねる。
「お互いを助けあって、きっとどこかでつながって
るんだ―――」
《これのように》
きらめき重なる、エングラムのように。
@ @ @ ハンプテ
ィ・ダンプティ基地が初期の楕円軌道から本来予定
していた木星周回軌道に乗って一週間が過ぎた。基
地リーダーである瀬田の指示のもと、フェデレーシ
ョンの各プロジェクトに対して反物質の輸送が着々
と行われていた。
先月の船団との交戦で受けた被害は、ジョージ・
ライオネルらによってほぼすべてが修復されている。
α基地は外殻、採集施設ともに完全に元通りになっ
ており、β基地もあとは一部ゲートの補修を行えば
修復を終える。 嵯峨野水灘瀬らの提案もあり、先
月に明らかになったリヴァイアサンの脅威に備えて
α基地周辺を常にエルマーや新型“ライオネル”が
巡回している。
「木星の存在感、見ているだけでずっしりくる……」
マラーキア・ヒルデスハイムはモニター上を流れ
ていく景色を見ながら息を吐いた。木星の縞模様は、
小さい頃に月の動物園で見た虎を連想させた。大き
く、雄大だ。
『赤道半径でいうなら地球の10倍以上にデカイか
らな。Gだって2.4倍だ』
AX−HD1Bの一号機を駆る鳴門サブローから
の通信に苦笑する。鳴門は謎の船団の本拠と予想さ
れるトロヤ群への偵察を考えていたが、アカデミー
からリヴァイアサンの脅威を聞き及び偵察を中止し
て自ら警護チームへ参加している。
『へー。じゃあ重いのは当然だ』HD1B三号機の
葛葉花梨が大人ぶった声を出す。そっちの重さじゃ
ないよ、と呟きつつマラーキアは管制室へ通信を開
いた。
「こちらエルマー級アクゼリュス。現在α基地の周
囲に異常は見られません。あと二周りしたら自分は
次機と交代します」
『管制室、了解しました』聞き慣れた女性オペレー
ターの声。
車輪型ステーションであるβ基地。自転の中心で
ある軸部分は以前と同じように回転以外の力が働か
なくなったため、0.1G未満の非常に低い重力し
か存在しない。機関部やポートは以前の調子を取り
戻し、順調に作業を進めている。軸前部にあるドッ
キングポートには、フェデレーション物資輸送班の
アタランテ改が数基停留している。物資輸送班とは、
輸送機と護衛機の全機にアタランテ改を使用した高
速輸送を担うWGのことである。物資を必要とする
プロジェクトが多数ある今は、いつも忙しく宇宙を
走り回っているのだ。
『こちらブラークI。発進準備完了。これより火星
フォボス港を経由し、水星バルカン基地に向かい、
プロジェクト・オベリスクへ合流します』
「了解。ブラークI並びにブラークII、出航して下
さい」
通信オペレーターの安藤香淡が輸送機と護衛機の
それぞれに出航許可を告げる。向かうフォボス港で
はコロニー用反物質ブースターの建造が、L5では
移送する新造コロニーの改造が進行中だ。
「ワシの大事なシルマリルじゃ。大事に扱ってくれ」
『伝えます』
瀬田の言葉に応えたのは、太陽超新星化阻止プロ
ジェクト『オベリスク』のために反物質を受け取り
に来たプロジェクト・メンバーのイーサ・綺羅・ス
ターウォーカーだ。
3番と2番のアームから、それぞれアタランテ改
が発進する。
「プロジェクト・オベリスクへの反物質輸送が開始
されました。現在申請の通っている反物質使用プロ
ジェクトのうち、未輸送のものはあと3つです」
香淡は基地内へ向けて放送する。以前の、情報の
行き違いから起こってしまった問題を考慮して、公
開できる情報はすぐに基地メンバー全員へ知らせる
ように心がけている。 ほっと肩の力を抜いて、香
淡は他宙域からハンプティ基地へ向けられた通信を
チェックする。
「反物質を必要としたプロジェクトはこれまでにな
く多いからの。ああ、肩がこるわい」瀬田は立ち上
がって背伸びをする。
「……どうして、肩がこるんですか?」 コンピュ
ーター・オペレーターの煌・ティフェレトが思わず
漏らす。男性に対する苦手意識より、疑問の方が強
かった。基地内の仕事が忙しくなっても、コンピュ
ーター操作などは今までどおり秘書が行っているの
だろうから、この老人が肩の調子を悪くする理由が
見あたらない。
「責任じゃよ。可愛い娘を嫁にやるんじゃから、親
の責任というやつがあるじゃろう。これを肩で背負
うもんじゃから、もう」
瀬田は肩をぐるぐると回す。口調はいつもと変わ
らないが、表情から察するに恐らく冗談を言ってい
るのだろう。
「そうそう。ワシもそうだが、船の往来やら通信の
確認やらが増えて、お前さんも肩がこっとるんじゃ
ないか? マッサージでもしてやろうかの」
「いらない」
明らかに肩以外をマッサージする姿勢で近付こう
とした瀬田に、香淡はきっと振り返って言い放つ。
「年寄りの親切は、聞くもんじゃぞ」
「聞くだけにします」通信が入っているのを確認し
て、香淡は回線を開いた。アカデミーからだ。ハン
プティ基地からアカデミー、ジュピターベースIIま
での距離は非常に近い。自転の角度次第だが、大部
分の窓からは巨大なジュピターベースと併設された
アカデミーのドーナツ型コロニーを視認することが
出来る。
『香淡ちゃん? こちら杏菜・ボリックですわ。今
からアカデミーを出てそちらへ戻ります。ルーちゃ
んはもうしばらくアカデミーを見学した後、シャト
ルで戻るそうですわ』
「了解。ごくろうさま。一応聞くけどまさか、飲酒
運転じゃないでしょうね?」
『えへへ』
杏菜とルー・F・シールはプロジェクト『天照大
御神』への反物質輸送に護衛として自機のエルマー
で付き添い、三日前からアカデミーへ渡っていた。
『天照大御神』は太陽調査用の反物質船の建造を目
的としたプロジェクトだ。今月はじめから木星でア
ヴァターラを使用して、船の建造をはじめている。
「アマテラスか。できれば、切羽詰まった状況で使
用するなんてことには、ならないといいよな。イカ
ロスが壊れたりして、その代わり、とかでさ」
言ったのは、リヴァイアサンに対する囮として用
いる宇宙船の遠隔操作システムを点検していたトニ
ー・ハーダウェイ。管制室の通信システムを一部使
用して宇宙船を操ろうというのだ。彗星動乱時のよ
うに、船へフェイドラを積めば非常に優れた遠隔操
船が可能だが、囮に使えるフェイドラなどトニーは
持っていない。
瀬田は、トニーの言葉に渋面で頷く。
「ダイダロスの二の舞が起こる、なんて前提はご免
じゃわい。アマテラスやタロスはイカロスと共に働
く第二、第三の調査船――そうであってくれなくて
はの」
管制室での会話は、ポートの一角で反物質輸送の
準備を行う趙剛琴たちにも聞こえていた。情報の公
開云々ではなく、これはただ回線をオープンにした
ままなのかな、と輸送船の機関部を点検しつつ姚緑
里が笑う。鹿山弾正はうなずきながら会話の内容を
真面目に聞いている。管制からの回線はβ基地停留
中のすべての船に開かれていた。
趙たちは火星で行われている世代宇宙船計画『メ
イフラワー』へ反物質を輸送する予定だ。明日には
出発する。輸送船には輸送WG所属のアタランテ改
『ブラークV』を使用し、航路を先行する護衛船と
してハンプティ基地のアタランテ改『オロメ』を使
用する。輸送と護衛ともに反物質船を用いることで、
高速で目的地へ物資を運ぶことができる。
「もし……もしだよ? 太陽系がホントにドカンと
いったら、人類はメイフラワーに乗ったひとしか生
き残らないんだよね」
「ああ。そうなるね」
キャンディ・マウントバッテンの問いにエマリー・
チェンが答える。ふたりはブラークVのコクピット
で機器や火器の調整を行っている。貨物格納庫のほ
うは天野魅姫と虚・李元がチェックしている。
『メイフラワーに乗りたいのか? キャンディ』
オロメのコクピットから通信を開き、仁九龍がた
ずねる。そういう質問をされるとは思っていなかっ
たのか、作業の手を止めてキャンディは考え込んだ。
「あまり悩むと知恵熱が出るよ」
「うるさいな」
エマリーに茶化されて、キャンディはむっとする。
オロメのコクピット、仁の隣に座った未樹圭一が
お前はどうなんだと仁に訊ねる。
『俺か。そういや、俺はどうなのかな』
仁もはっきりと考えてはいないようだ。
『何にせよ、子供は助けなければいけない。私はそ
う思います』 オロメの兵装を確認するエステーバ
ン・ギイェルモの言葉は、わずか12歳のパイロッ
トであるキャンディに向けられたものか。
それとも、
@ @ @ 子供。
「子供?」
「そう、子供なんだ。捕虜、機構の兵士なのに過保
護な扱いをする―――というスタンスじゃないんだ。
ウェスリーが言うように、彼女たちはサイレントベ
ビー……子供だ。外見がどうあれ、子供には違いな
い。だからこそ暖かく接して守ってやるのさ」
「理屈は分かるよ」
秀真国晶は川島英樹の言葉に頷いた。だが、その
まま角度を変えて首をひねる格好になる。
「自分だってそう思うよ。でもそれとこの状況の関
係は」
「だから、子供だったのさ」
秀真は辺りを見た。コックである自分が受け持っ
ているこの調理室は、滅茶苦茶になっている。小麦
粉と卵黄とミルクでべとべとだ。コンロの周りは黒
く焦げている。
惨憺たる状況の中、一角だけが片付けられている。
邪魔なものをどけただけなのかも知れないが。
そこにはタウたち若草姉妹が揃って、床にちょこ
んと座っていた。不思議そうに、キツネ色の物体を
両手で抱えてかじっている。
「うまく出来ただろう。おいしいか?」
北条虎獅狼が笑いながら言う。顔や腕に軽いひっ
かき傷がいくつも見える。川島と北条は、クローン
たちにパンケーキを作らせたのだ。パンケーキを選
んだ理由は、簡単で、刃物を用いる必要がないから。
小麦粉を吸ってむせたり、ミルクをこぼしたり、
北条の顔をひっかいたりと多少のアクシデントがあ
ったが結果は成功だろう。こんがりと焼けたパンケ
ーキが、タウたちの手の中で湯気を立てている。
「それはお前達がつくったんだぞ。自分でなにかを
つくるというのは、すごいことなんだぞ。だけどな。
次から食べるときはフォークと皿を使おうな」
北条はアルファの頭をなでた。嫌がって軽くひっ
かくアルファ。北条の腕に、新しい傷が浮かぶ。調
理室の入口で見張りをしていた双四葉がうんざりし
た表情で肩をすくめる。よくやったと頭を撫でるた
びに、北条のかすり傷は増えていくのだ。
「オレと北条のおっさんはさ、調理から片付け、食
事のマナーを一貫して教えようとしたんだよ。だけ
ど子供はひとつことを始めたら、他は気にしないだ
ろう? で、こうなったというわけ」
マナーそのものならば、玉響彰子や篠宮美沙季が
学ばせている。成果はまあまあで、フォークを使え
る程度には進んでいる。だが調理をメインとした今
回は、そういったマナーの存在をすっかり忘れてし
まったようだが。
「そういうことか」 秀真はうなだれた。そして決
心する。今度調理室を使う話が出たら必ず自分が立
ち会おう。この川島が言うようにクローンたちが子
供であるなら。 厨房に立たせるのは危険だ―――
ぐちゃぐちゃにされるという意味で。
タウたちクローン少女に対する精神的な治療、つ
まり情操教育は順調に行われていた。AI干渉が効
いているのか、少しずつだが、日に日に人間らしく
なっていく。激しく暴れることもなく、嫌悪や拒否
を示す場合も軽くひっかき傷をつける程度でおさま
っている。監視、警戒のチームも規模を縮小し、教
育を施こそうとするメンバーとは別にひとり見張り
を付けているだけだ。
それでも、まれに暴走しそうになることはある。
AIに組み込まれていた命令だけで動いていたタウ
たちは、自律的な判断や、押しつけでない行動目標
を設定した自由な行為に強いストレスを受けてしま
うのだ。
「そういう場合は優しく語りかけてなだめてやると
こと。彼女たちは子供だが、普通の子供ではない。
精神の未発達な子供(サイレント・ベビー)だ。常
に優しさを持って接することが必要」と心理学者の
神奈備十郎太や、ウェスリー・ハインは言う。
精神が未発達ゆえに、そして以前の事例からまだ
触れさせてはいけないことがある。暴力の存在だ。
接する場合に気を付けることは当然として、マルチ
ウェブから情報を与える場合も暴力的な要素は極力
避けるようにしている。銃器などの武器も、視界に
入れるようなことは決してしない。酒神了は逆に暴
走の抑制手段として武器使用の教育を提案したが、
採用はされていない。銃器で攻撃された記憶がある
以上クローンが過剰な反応を示す可能性は高い、と
の考えが多数を占めているゆえにだ。
「でも、これなら大丈夫ね」
深夜。巌流島ろびんはアルファの部屋へ忍び込も
うとしていた。教育の場合は四姉妹を一緒にあつめ
ることも多くなっているが、『夢』の影響を考慮し
て睡眠の際は個室をあてがわれている。もっとも、
クローンたちはレム睡眠の間隔が非常に短いような
ので、あまり夢は見ることは考えられないのだが。
「これをやって暴れる人はいるけど、これそのもの
が暴力なわけじゃないもの。悪いことじゃないわ」
「悪いに決まってるだろう」溜息混じりの声。
ぴた、とろびんの動きが止まる。背後から腕を掴
まれている。振り返る。ろびんの動きを封じている
のはシュネーデン・ヤマグチだ。
「あたしの後ろを取るなんてっ」
「そんだけやってりゃ、どんなに腕に覚えがあった
って捕まるよ。どんな思惑があるかは知らないが、
コレを飲まそうってのはまずい」
ヤマグチはろびんから酒瓶を奪い取った。半分ほ
ど減っている。今飲んだんだな、とヤマグチは見当
をつける。ろびんの息は酒気を帯びているし、足腰
もふらついている。
「飲酒そのものが悪いとか言う気?」
「ああ。健康に悪いし精神衛生上も良くない。ああ
っと、後者はもちろん人にもよるが」ろびんの頭を
こつんと小突き、「少なくともガキはダメだ」
なおも進もうとする酔った16歳の少女―――ろ
びんを引っ張りつつヤマグチはひとりごちる。
(夜中を狙ってふたりきりになろうとする人が、私
以外にもいるとは……)
去っていく二人の様子を見て、陰にいた警護のS
P、エリシャ・沙利亜・ノースランドが肩をすくめ
た。
立蔵ちなみと神派涼香はクローンたちに絵を描か
せている。はじめはこちらの描いたものだけを模倣
していたが、だんだん(元は模倣なのかも知れない
が)それぞれ違った『画風』を形作ってきている。
特にミューなどは独特で、医師の御子神魁いわく「
ウィリアム・ギヴスンの著作の表紙を飾れそうです
ね」とのこと。素晴らしい作品を見せてくれたお礼
に、と御子神から飴をもらって以来、ミューは暇を
みつけては絵を描いている。飴の味がお気に召した
らしい。
ハルカ・P・ウェイランドとメーア・クロッツェ
ルは四人に好きな服を選ばせてみた。他のふたりは
あまり興味を示さなかったが、タウとツェータは衣
装替えを面白いと感じたようで、特に気に入った服
を着たときは、ぎこちないが喜びの感情を示す。
「うん、可愛いっ。とってもかわいいよ、わかる?」
「かわいい? つぇーた?」ハルカの言葉に、ツェ
ータは首を傾げる。
そう大きく表情は変化しないが、喜んでいるとき
は瞬きの回数を増やしたり、こちらの言葉を反芻し
たりする。善意からの言葉には、同じく善意で反応
することをクローンたちは覚え始めたのだ。
もっとも、服を「自由に選ばせる」こと、自律的
な判断はやはりまだ促せていない。勧める服を好き
か嫌いか訊ねる形だ。
またスクゥード・ソウンらは情操教育以外に、基
礎教育を施している。いずれはアカデミーへ入学さ
せて高等教育を受けさせる意見も上がっているが、
現段階では基礎の基礎を教えるので精一杯だ。ウェ
スリーの意見から、社会性を重視する内容の時は四
人を一緒にし、学習そのものに重点をおく場合はマ
ンツーマンの形式で学習させている。
「そろそろ、笑ってくれるかな」
部屋の中で、タウたちにフィリア・セラフィール
ドが初等の社会科を教えている。マドラス・シノは
ドアについた窓からそれを眺めていた。
表情や感情は確実に現れてきている。だが未だに
一度も、マドラスは彼女たちの笑顔を見たことがな
かった。
「エングラム交感ができれば、感情と一緒に笑い方
が教えられるんだがな」 だが、クローンたちにエ
ングラムはないのだ。
@ @ @
趙剛琴らが火星へ出発してから、五日後。 エル・
グリフィスらはクローンの少女たちに組み込まれて
いる「アイコンタクト」システムに対して、疑似シ
ステムを作成してコンタクトを計る実験を行ってい
た。現在はHD1シリーズとして使用されている戦
闘艇に積み込まれていたレーザー送受信装置をサイ
バーアクセスで操作することで円滑に実験を勧める。
今回の実験の対象はタウだ。目的は情操教育に関す
ることでデータのやりとりを行い、AIの働きを確
認すること。
本人の意思に関係なく一方的なコントロールを行
うことには問題がある、と瀬田から釘をさされてい
る。AI接触に対して瀬田と同じ危機感を持つ者は
結構いるようで、実験室には酒神了やタチアーナ・
ポドゴルナヤ、リージュ・クロウウェルなどが見学
と言う名の見張りに来ている。酒神はどことなくそ
わそわしている。実験内容が穏和なものであるとは
聞いているが、一度でも『だが何が起こるか分から
ない』と思ってしまうと、不安は拭えない。
「ねえ、一体何を話しているんですか?」
不安なのはリージュも同じだ。小さくアンナ・シ
ャルンホルストへたずねる。アンナはシステムの調
整でエルらの実験に協力してるのだ。
「さあ。こちらから一方的に命令などは送ってはい
けないようですから、彼女自身に分かる程度の内容
の情報をやりとりするそうですよ。見ている分には
さっぱり分からないですけど」
椅子に座ったタウの目線の先に置かれたレーザー
送受信機を介して、エルが情報を送り、そして受け
取っている。はたから見れば二人とも黙って座って
いるだけだ。
「データ内容が知りたいなら、ここから見るといい」
監視として実験チームに参加していた青海崎恭一
郎が、ディスプレイの一つをリージュ達へ向ける。
ディスプレイに表示されているのは、フィリア・セ
ラフィールドが実際に行っている情操教育に関する
レポートだ。
『傷つけられることは好き? 嫌い?』
『自分が嫌だと感じることを他人にしてもいい?
悪い?』 などなど、ごくごく簡単な質問だ。タウ
からの返答は『嫌い』『悪い』など、そっけない。
「上手くいってるとい言のかね、これは」青海崎が
苦笑したが「でも、実際に話してやるよりも返事を
返す時間が短いですよ」と篠宮美沙季は言う。
「本当? じゃあ、アイコンタクトの方が教育に向
いているってこと?」
梨音・ミッターマイヤーが声を上げる。だがタチ
アーナが首を振った。
「そうじゃないですよ。もう覚えていることに関し
てはAIを介した方が脳に直結している分返答が早
いでしょうけど、教育に関しては実際に触れあって
あげないと」
アイコンタクトからAIへ直接データを送って刷
り込むことは、教育ではなくてただの書き込みだ、
と半ば感情的にタチアーナは続ける。
「そうですね。では、アイコンタクトでは教育成果
の確認でも行うようにしましょうか」励起していた
エングラムを戻してエルは振り返る。「一旦休憩し
ましょう。タウさんも座り疲れたかも知れませんし」
梨音がタウを椅子から立たそうとする。だがタウ
は梨音の呼びかけを無視して、立とうとしない――
―何かが変だと気付いたのは、青海崎よりも酒神了
の方が早かった。
タウの呼吸の間隔が、少しだけ変わっていたのだ。
「タウ!」
体当たりするような形で梨音を突き飛ばし、酒神
了はタウの真正面へ立つ。銃を抜こうとした青海崎
を目顔で制した直後、酒神はぐっと息を詰まらせる。
誰かが悲鳴を上げる。
「……っ」
「フーッ、フーッ!」
タウは指先だけを鋭く硬質化させて、酒神の腹部
へ突き立てていた。突き飛ばされなかったら梨音が
やられていただろう。
実験室は騒然となりかけたが、篠宮や梨音は動か
ないようにとジェスチャーする。
「……どうした。何か、気に入らないことが、ある
のか」
酒神は苦しい息で、ゆっくりと言う。もしこうい
う事態になったら叱りつけるつもりでいた。だが、
歯を食いしばって大きく目を見開き、苦しそうにし
ているタウを見たらそんな気は消えていた。見れば、
息を荒くはしているものの、タウは爪の先以上の獣
人化を行っていない。タウ自身が、何かに苦しみな
がらも肉体の変異を抑えているのだ。
優しく、できるだけ優しいと自分が思う調子で坂
崎は言葉を続ける。
「タウ?」
「く、すり……」
「薬が、欲しいのか」
爪を突き立てたまま、タウはゆっくりとうなずく。
溜まった涙が一筋だけこぼれる。
「薬……エルファーランの人たちが用意した代替薬
のこと?」
「嘘、二十分前に打ったばかりなのに!」梨音が悲
鳴に近い声で答えた。
タウは歯をがちがちと鳴らしている。
「くるしい。たうは、しぬの……?」
「大丈夫、だいじょうぶだ」酒神はそっと肩を抱い
てやる。呼吸を合わせて背中を撫でてやると、タウ
はゆっくりと床に座り込んだ。
そのまま静かになったタウを別室に移し、酒神の
傷をその場で応急処置する。傷口そのものは小さい
ものの、割と深く抉られていた。
「習慣性はなかったはずじゃないのか?」
酒神の傷を看るエルに青海崎が言う。
「それは肉体的な依存性のことでしょう。精神的な
依存の可能性は何にだってありますから、今のよう
に中毒症状に似た状態になってもおかしくありませ
ん」
「どうするつもりだ? 今までは比較的おとなしか
ったようだが、あんな調子ならいつ死人が出たって
おかしくないぜ。だから俺は言ったんだ。処分しち
まった方がいいってな……っ!?」
青海崎の頬が鳴った。エルを押しのけて酒神が殴
りかかったのだ。
「処分だと! もう一度言ってみろ!」怒鳴ってか
ら、傷の痛みに腹を押さえる。
「怪我人に喧嘩は売らねえよ」
青海崎は切れて血がにじんだ唇の端を、片手でぬ
ぐった。苦々しげな表情も共にぬぐう。二人が乱闘
などを始めないことを確認して、エルが口を開く。
「薬の代わりに、完成したモルフェウスのエングラ
ム技能を用いましょう。精神的な依存の可能性はつ
きまといますが、カウンセリングを重ねながら使用
すればいずれやめることもできるでしょうし」 床
に手をついたまま酒神がうなずく。青海崎は小さく
肩をすくめた。
そして、突然の警報がβ基地内全域に響いた。
@ @ @
「止まって! 何でこんなことを―――」
感情的な言葉になるのを押さえられない。回線は
つながっているのに返事を返さない漁火機に向かっ
て、香淡は叫ぶ。 動揺しているのは香淡だけでは
ない。思いがけない事態に、管制室は騒然となって
いた。
格納庫内のライオネル級六号機を奪い、戦闘機パ
イロットの漁火涼が無許可発進を行ったのだ。艇へ
の搭乗を阻止しようとした警戒中のSGに対しては、
アカデミーからの見学者を人質として搭乗を成功さ
せたらしい。発進準備を終えていた沙原真砂輝がエ
ルマーで追跡しているが攻撃するわけにもいかず、
往生している。
「外部の人間には警戒するよう言っておったが、ま
さか基地メンバーが……」ううむと呻く瀬田。先月
の一件での決着から、内部の人間が暴走することは
もうないだろうと踏んでいたのだ。渋面で瀬田は言
葉を続ける。「基地内に機構のスパイなぞが潜入し
ておったら危険じゃな。格好の工作の機会になりか
ねん、巡回のSGを中心に警戒態勢を敷くようにし
てくれ」
モニターに映る漁火機の後ろ姿を見つめながら、
沙原は操縦桿を握る左手の感覚を確かめる。目標が
止まる様子はない。HD1B六号機は、小惑星帯の
方位へ向けて加速を続けている。
管制室からの呼びかけが止まったことに気づき、
一瞬ためらったが、沙原は漁火機への回線を開いた。
己の名前を告げて、呼びかける。三度目の呼びかけ
で返答があった。
『……その声は沙原か』
「ああ。一体、どうしたんだ」
相手がすぐ近くにいないことを沙原は悔やむ。こ
の距離では、ネイバーでもない限りエングラム交感
を行うのは不可能だろう。
「おい、涼」
口下手な自分では、エングラムを介さなくては気
持ちを正しく伝えられない。
『止めても無駄だ、沙原。オレは絶対に戻らない』
「どうして、だ」
『考えてもみろよ。太陽が、太陽が超新星なんかに
なったら! みんな消えちまうんだぞ……』沙原は
気付く。漁火の声は震えていた。『オレは海賊を倒
しに行く。父さんと母さん……そして妹を殺したヤ
ツらに、復讐してやるんだ。太陽に呑み込まれてみ
んな死んじまうよりも、前に! オレの手で! こ
の機体ならそれができる!』
恐怖だ。
ねじれまがった死への恐怖。それが漁火の判断能
力を粉々に壊し、衝動へ引き寄せている。
《涼……っ!》
沙原は強くエングラムに意識を集中させた。戻っ
てくれ、目を覚ましれくれと思う。その、瞬間。
『邪魔をするな、沙原ァ!』
漁火機は縦に急旋回し、停止した。ブースターを
カットして各部のスラスターを激しく噴射をさせた
のだ。フェイドラの計算サポートがあってはじめて
可能になる離れ業だ。
『邪魔、を……する、ならっ』 漁火が叫ぶ。ろれ
つが回っていない。急激なGの変化で脳に衝撃を受
けているのだ。フェイドラのサポートがあっても、
Gだけはどうしようもない。
『クソ、腕がっ。エリシス……!』
痺れて動かない腕では操縦できない。搭載した自
分のフェイドラへ漁火は命令した。機首に積まれた
レーザー砲が、直進してくる沙原のエルマーへ向く。
「!」
沙原は息を呑んだ。
(どうする。いや、どうすればいい)
操縦桿を倒してレーザーの軌道から回避するか。
それとも、操縦桿についたトリガーを引いて漁火機
を撃墜するか。前者で沙原が生き延びる可能性は低
い。どんな回避行動でも、光速の一撃を避けること
はできない。ならば後者を選ぶしかない、のか?
仲間を、殺せるのか?
刹那の間。沙原は逡巡した。そして選んだ。
「涼っ!」
沙原は操縦桿を右方向に倒す。いや、倒そうとす
る。倒そうとする瞬間に。
微かな発光があった。そして爆発。
少しだけ時を戻す。
モニター上の二つの機体を見て、アーク・フォー
チュンはカイパーベルトの攻防を思い出していた。
アークはα基地を比較的離れて、自機のエルマー
で警戒飛行を行っていた。後行トロヤ群から来たと
思われる先月の船団に対する警戒だ。
「あの機体は……?」
光学カメラからの映像では、見慣れたエルマーな
らともかく戦闘機の姿はよく分からない。敵の戦闘
機を追うエルマー。その状況だけが、分かっていた。
基地と交信して詳細を知ろうとしたときに戦闘機
が急旋回した。エルマーが落とされる、そう思い、
アークは咄嗟にトリガーを引いた。
重みのほとんどないトリガーの手応えが指先に伝
わり、モニターの中の戦闘機は機関部にレーザーを
受けて爆発した。 敵機を撃墜したというカタルシ
スは、何故か感じられなかった―――
「うそ……」
β基地管制室。センサーモニターをチェックして
いた煌は呆然と呟いた。
「ん。どうしたんじゃ? 何かあったか」煌の後ろ
からモニターを覗き込みながら瀬田がたずねる。
「漁火機の反応、消失……撃墜された模様、です…
…」
漁火の乗る六号機を現すモニター上の光点は、確
かに消失していた。ふと、煌は自分の頬に濡れた感
触を覚える。
涙だ。自分が泣いていることに煌は気付いた。遅
れて、モニターの光点が消えたという意味、撃墜さ
れという意味を思い出す。
なんてことじゃ、と力無く瀬田がもらす。
「どうして、死んじゃうのよ……」 涙ぐんだ香淡
の声を、煌は遠くに感じていた。
@ @ @
木星大気圏を抜けたリヴァイアサンがα基地へと
現れたのは、漁火涼の死から十日の後だった。
リヴァイアサンは、全長50メートルの巨体をく
ねらせながらゆっくりと宙域を進んでいた。その周
囲を、防衛チームの戦闘機や宇宙船が遠巻きに取り
囲んでいる。
「形が、前と違うわね」
アタランテ改級『トウィードルダム』の操縦室で
エレス・アクベ隊の指揮を執るエスター・E・ボー
ルスが、ぽつりと呟いた。隣のミラン・サーディ・
アスヴェールが同意する。
「ああ。何かしらの理由で進化したんだろうな。あ
の流線模様、俺は装甲に見えるぜ」
「前にアカデミーから貰った画像では、装甲なんて
なかったのに……厄介ね」
『まったくだ』
エスターの言葉に、同じくエレス・アクベ隊とし
て『トウィードルディ』に乗るスカッド・ジャック
が通信で応える。
『あんな硬そうなのを、相手にするなんて考えたく
ないな』
『でも、ジャック様? 接触がうまくいけば戦わな
くてもいいんでしょう?』
不思議そうな声で言ったのは、ジャックと共にト
ウィードルディに乗るプリン・カスタードだ。
『そうだね。そうだけど』トウィードルディにドッ
キングしているエルマー級から、ミスト・T・アス
トラビウムが言葉を濁す。
「接触がうまくいけば、プリンの言うとおりよ。で
も、そう―――うまくいけば、なのよ」
ミストの言葉を継いで、エスターは言った。そし
てモニターを見る。一隻のシャトルが、リヴァイア
サンとの距離を縮めていた。それは、将斗神楽をリ
ーダーとした『カルヴァンクルス』のシャトルだ。
神楽らは、リヴァイアサンとの友好接触を計ろうと
していた―――
β基地内には警戒態勢が敷かれている。不幸中の
幸いか、漁火の暴走の際にテロなどが行われること
はなかったが、今回もそうだとは限らない。
クローンたちはそれぞれ個室で各メンバーに警護
されている。ツェータの個室では、志賀樹と玉響彰
子、そしてスクゥード・ソウンが見張りをしていた。
もちろん、銃は見えないように隠している。
「じゃあ、次はこれを読んでみて」
スクゥードはホビットの液晶紙ディスプレイに文
字を表示する。緊張した雰囲気に刺激されて興奮し
ないようにと、スクゥードはいつも通り英語を教え
ているのだ。
「あ・そ・ぶ」
「ううん、惜しいな」スクゥードはツェータの頭を
撫でる。「でも、ちょっと違う。おとといにも教え
ただろ? 食事をする前にやるヤツさ」 ツェータ
はうつむいて、歯ぎしりする。答えられなかったこ
とがくやしいのだろう。頭を撫でていた手を頬にや
って、スクゥードはもう一度言った。
「ほら。ものを食べる前と、日曜にはやるものだっ
て、リリーに教わっただろう」
顔を触られて安心したのか、少し考えた後、ツェ
ータはゆっくりと正解を口した。「お・い・の・り」
Rの発音も正しい。PLAYと、PRAY。
正解だ、よくできたと誉めてスクゥードはもう一
度頭を撫でてやる。撫でつつも、スクゥードは何か
しらの心許なさを感じる。 エングラムだ。
クローンたちにもエングラムが発現していれば、
言葉にし難い自分の「喜び」や「優しさ」が確かに
伝えられるのに―――
「二人ともまったく、気楽というか」スクゥードと
ツェータのやりとりを見て志賀は苦笑する。「今し
もシルマリルとリヴァイアサンがぶつかって、太陽
系が崩壊するかも知れないというのに、ほほえまし
いものです」 志賀はなかば皮肉の意味で言ったの
だが、彰子は真剣な表情でうなずく。
「あの子たちは知らないんですよね」話す表情は暗
い。「シルマリルのことも、太陽が超新星化するこ
とも」
彰子は死んだ漁火のことを考える。漁火の暴走の
原因が超新星化による危機感であろうことは、基地
メンバーの全員が知っていた。葬儀の際、漁火と沙
原の通信内容が発表されたのだ。
『すべての人間は力を合わせなくてはならないはず
だ。たとえどんなに苦しくても、恐怖に屈し、歪ん
だ己の意志に負けてはいけない』
葬儀の終わりに、瀬田はそう言っていた。
「ウェスリー・ハインだ。失礼するよ」
ノックが三回。警戒しながら志賀がドアを開くと、
両手を上げて立つウェスリーがいた。周囲に不審な
者がいないことを確認して、部屋へ入れる。
「戦況のほうはどうだい?」スクゥードがたずねる。
「カルヴァンクルス・チームの接触は失敗だ。当初
の予定通り、作戦を変更して殲滅行動に移ってる。
みんな必死に攻撃してるが、効いてるのかどうか…
…そこの、廊下の窓から見えるよ」
わかったとスクゥードがドアを開けると、すばや
くツェータが部屋を飛び出した。
「おい、ツェータ!」
慌てて追いかける。だが、すぐにスクゥードは足
を止めた。少女は、廊下の壁面に大きく設置された
窓に張りついて、じっと外を見ていた。
ツェータの肩に手を置くと、スクゥードも窓の外
に目をやる。α基地のすぐそばで、ちかちかと光が
またたく。レーザーが星間物質に反応しているのだ。
おそらくレーザーはすべて一点、うねりながら宇宙
を進む「もの」―――リヴァイアサンへ向けて放た
れている。どことなく哀れだとスクゥードは感じた。
「あれは、つぇーたたちと、にてる」
ツェータが小さく呟いた。声が震えている。まば
たきもせずに、ツェータはリヴァイアサンを見つめ
ている。
作られた兵器と言う意味では、確かにクローンと
リヴァイアサンは似ているのかも知れない。だがそ
うではない、とスクゥードは思う。似ているのでは
なく、似ていた、に過ぎないのだ。過去がどうあれ、
今のツェータたちは兵器などではなく、人間だとス
クゥードは信じている。
リヴァイアサンを見つめるツェータの瞳には、涙
が溜まっている。哀れみの心が、兵器などにあるも
のか。
「スクゥードさん! た、大変です」
非常に慌てた様子で彰子が駆けてくる。顔が青い。
「どうした」
「今、ドクター・竜宮から通信が入って」彰子はホ
ビットを取り出してデータを見せた。
「これは……」
それはクローンたちの脳を中心とした組織の分析
結果だ。ウェスリーの言った通り、彼女たちは促成
培養されて作られていた。竜宮が発見したのは、そ
れが及ぼす副作用。急激な促成培養をしたせいで、
一般の人間と比べてクローンたちは内臓部分の老化
が非常に早いということらしい。
具体的には、
「のこり、10年……?」
このまま何も手を打たなければ、あと10年程度
でクローンたちは老衰を迎えてしまう。スクゥード
は、心が何か重いものに引かれるのをはっきりと感
じていた。
寿命が長くはないとは聞いていた。だが、10年。
はっきりと数字を出された今、スクゥードは激しく
動揺している。
「すくぅーど、どうした?」
振り返って、不思議そうにスクゥードの顔を見る
ツェータ。答えない。スクゥードは何も言わなかっ
た。左手に励起させたエングラムだけが、激しく明
滅する。
恐怖。
近しい者が消失してしまうことへの恐怖を、スク
ゥードのエングラムは叫んでいた。
@ @ @ リヴァイ
アサン襲撃より三日。
α基地では、対リヴァイアサン戦で損壊したシル
マリル最外殻の修復が急ピッチで進められている。
β基地の方は火星へ反物質を輸送した趙剛琴らが無
事に戻ってきたこと以外は相変わらずで、反物質の
輸送作業が淡々と行われている。
基地メンバー、そしてアカデミーとジュピターベ
ースIIの尽力により、シルマリルを狙ったリヴァイ
アサンの殲滅は成功していた。だが犠牲は出た。太
陽系崩壊への恐怖から暴走した男がまた一人、リヴ
ァイアサンへの融合を計って自滅したのだ。
「彼の葬儀は、地球標準時で今日の午後三時から行
われる予定です」
「……嘆かわしいとしか言えん。ミスランディアの
サポートをしなくてはいかん我々がこの調子では、
太陽系は本当に駄目になってしまうわい」 事務室
の椅子に深々と腰を落として、瀬田は溜息をつく。
「はい。立て続けに自殺者が出たことで、基地内の
士気はよくありません」秘書のアヤナ・マツナガが
応える。自殺者、というのも彼女なりの無念を込め
た言葉だった。
「せっかく馴染んできたクローンたちが早期老化し
てしまうというのも、嫌な話じゃのう」
「はい」
医師らの話ではクローンの寿命はあと10年程度
だ、とアヤナは続ける。
「リヴァイアサンはどうなっとる」
「新しい報告があります。昨日に破壊した個体は、
木星大気圏内に潜伏中の巨大な個体に向けてデータ
を送っていた模様です」
「厄介じゃな」
「はい。内容はおそらく、戦闘の際のデータでしょ
う。それと」アヤナはホビットを操作して、大きな
文字を表示する。
「なんじゃこれは」
「受信したデータの大半は戦闘データと思われる数
字の羅列だったのですが、この単語だけがアルファ
ベットとして残っていました」
やれやれと呟いて、瀬田は表示された単語を睨み
付ける。
『FOOD』
エサ、だ。なんてシンプルな!
「ワシの可愛いシルマリルも、あやつにとってはタ
ダの餌か」怒気をはらんだ口調で瀬田は唸る。
「そう認識された以上、大気圏下の個体がシルマリ
ルを狙うことは間違いありません。しかも、その個
体は今回の戦闘データを受けてさらに強力になって
いると思われます」
「そうか……」
瀬田は頭を抱えたい気分だった。
最悪の状況だ。このシルマリル基地だけではなく、
フェデレーション全体が。イカロスは消息を絶ち─
─恐らくはバルカン付近に潜伏しているのだろう─
─太陽観測基地バルカンが機構に制圧されて『アガ
スティア』への反物質輸送も失敗、月面の植民都市
ツィオルコフスキー・ドームでは12万もの人間が
死亡した。火星ではグワイヒア級二番艦が奪われ、
かのザイード氏までもが帰らぬ人となっていた。
「……まったく、散々じゃわい。で、例のやつらの
その後の情報は?」 例のやつらとは、フォボスに
入港するグワイヒアへ送った反物質を奪った海賊た
ちのことだ。
「他の海賊船団と共に、トロヤ群の機構軍と合流し
たようです。反物質は機構の手に渡ったと見て間違
いないでしょう」
「ボロボロじゃな」思わず瀬田は苦笑する。「だが、
なんとかしなくてはの」
「なりますか」
「なるんじゃないわい、そうなるまでがんばるんじ
ゃよ。皆でな」
瀬田はそう言って、にかっと笑った。
―――――――――――――――――――――――
《お知らせ》
●太陽観測基地“バルカン”を機構軍が占領したた
め、プロジェクト“オベリスク”への反物質輸送は
完了されませんでした。現段階ではL5からコロニ
ーを移送するための反物質を届けるに留まり、バル
カンまでには至りませんでした。輸送に携わったP
Cは次回リプライに於いて、他の選択肢を自由に選
択することができます。
●プロジェクト“ホウセンカ”の反物質及びナノマ
シンの輸送は成功しています。
●AX−HD1B“ライオネル”の六号機は撃墜さ
れました。機体が爆発したため修復は不可能です。
HD1Bは残数五機となりました。
●リアクション内で負傷、個人所有機体の損傷が描
写されている場合でも、次回リプライに於ける行動
を妨げる影響は残っていません。
●キャラクター設定で口調などにその他を選んだ場
合は、具体的に自分で書き込んで下さい。
■重要遭遇者一覧
《07220》シルマリル:ハンプティ・ダンプティ
○プロジェクト「モルフェウス」リーダー/ニーフ
ァン・祀(01704-01)/RA.07220
○脳神経外科医兼微細技術者/竜宮神夜(03403-02)
/RA.07220
■関連リアクション及び住所リスト一覧
《07221》シルマリル:対リヴァイアサン防衛
○エレス・アクベ隊リーダー/エスター・E・ボー
ルス(00417-01)/RA.07221
○α基地防衛指揮/リード・アマリリス(00481-01)
/RA.07221
○プロジェクト『カルヴァンクルス』リーダー/雅
斗神楽(03403-01)/RA.07221
《07180》火星:シミズ・シティ
○プロジェクト『オベリスク』リーダー/結良・メ
ルカトール(03009-01)/RA.07180
○グワイヒア二番艦『シャドウファクシ』強奪作戦
リーダー/シュール・ストーンズ(00847-02)/RA.0
7180
○どんなに他人に憎まれようと、エリーもシティも
絶対守り通す!/新川忠幸(01137-01)/RA.07180
《07181》火星:ピグマリオン計画・他
○シミズ・シティ攻略部隊『タルタロス』内部撹乱
担当/鈴元桂(01138-01)/RA.07181
○ガンサー私用船の外部記録ユニット所持/四條菊
彦(01682-02)/RA.07181
○ガンサー・ラウル秘密鍵の予測的中!/藤崎俊介
(00475-02)/RA.07181
《07201》小惑星帯:ベスタ基地(海賊側)
○女海賊/ステラ・カデンテ(01417-01)/RA.07201
《07210》木星:スペース・アカデミー
○「グロース・ドミネーション」リーダー/ニーナ・
シェイクランド(0534-01)/RA.07210
○ジュピターベース2採掘夫/ゲオルギー・ジャド
フ(1512-01)/RA.07210
○リヴァイアサン対策本部を作ろう/セイル・クレ
イバート(2042-03)/RA.07210
《07211》木星:プロジェクト進行
○プロジェクト「天照大御神」リーダー/銅鐘キタ
ロウ(0179-01)/RA.07211
○プロジェクト「マリオネット」リーダー/ラビュ
ーラ・エルセンタウロ(1450-02)/RA.07211
○プロジェクト「ウロボロス」リーダー/ヴィルジ
ニア・ヴィンチェンチオ(0829-02)/RA.07211
《07230》海王星:リーヴェンデル基地・他
○フェアノール計画/砂原夢(01379-01)/RA.062
31
○C++WGリーダー/御子柴真綾(01143-02)/
RA.06230
○プロジェクト『ホウセンカ』リーダー/ハイソー
ル・西条(00374-01)/RA.06230
■新エングラム技能カード
プロジェクト『モルフェウス』が開発に成功した、
新エングラム技能です。同名の技能として三種類存
在し、効果もすべて同じです。異なるのは転写コス
トと、開発者のエングラムパターンです。転写希望
の際は、コストとパターンの組み合わせから都合の
よいものを選び、コピーしてご利用ください。
これらのエングラム技能が転写されるたびに、カ
ードに書かれた開発者の活性率が上昇します(スタ
ーティングマニュアル56ページ)。
「モルフェウス」[60][CGI]
人間の神経細胞に干渉し、機材や薬品の使用不可
能な状況で麻酔効果を得る。また、興奮状態にある
対象者の精神を安定させる機能も持つ。対象者に手
を触れていることが発動前提。開発リーダー、ニー
ファン・祀(01704-01)によって、理性ある対象への
同意なき使用は、自粛するよう要請されている。Lv.
1[1〜100]「対象者に鎮静効果」
Lv.2[101〜 ]「対象者に麻痺効果」−−−−−−−
−ニーファン・祀[01704-01-0013]
「モルフェウス」[80][CFJ]
人間の神経細胞に干渉し、機材や薬品の使用不可
能な状況で麻酔効果を得る。また、興奮状態にある
対象者の精神を安定させる機能も持つ。対象者に手
を触れていることが発動前提。開発リーダー、ニー
ファン・祀(01704-01)によって、理性ある対象への
同意なき使用は、自粛するよう要請されている。Lv.
1[1〜100]「対象者に鎮静効果」
Lv.2[101〜 ]「対象者に麻痺効果」−−−−−ラン
ド・ニシクジョー[00697-01-0014]
「モルフェウス」[80][AFI]
人間の神経細胞に干渉し、機材や薬品の使用不可
能な状況で麻酔効果を得る。また、興奮状態にある
対象者の精神を安定させる機能も持つ。対象者に手
を触れていることが発動前提。開発リーダー、ニー
ファン・祀(01704-01)によって、理性ある対象への
同意なき使用は、自粛するよう要請されている。Lv.
1[1〜100]「対象者に鎮静効果」
Lv.2[101〜 ]「対象者に麻痺効果」−−リリー・ヘ
ヴンズフィールド[01232-01-0015]
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