■No.09120「おかえり」
GM:星空めてお 担当マスター:竹本柑太

 このリアクションは選択肢120を選んだ方々す
べてと、140を選んだ一部の方々に送られていま
す。
―――――――――――――――――――――――
《あらすじ》
 サドフォースに制圧されたヴァンダーベッケンで
あったが、意外にも人々は平穏な生活を送くること
ができていた。サドフォースの新指揮官となった増
田直樹の配慮によるものである。また、研究者たち
も機構軍に研究データを公開することで、研究の続
行が認められ、ザムザ、アガスティア、両プロジェ
クトチームは新技能の開発に成功する。
 だが、その一方でサドフォースは独自にシステム
凍結解除コードの解析に成功。デーモン・ラウルの
指示により、空港の機能が復活したヴァンダーベッ
ケンには、地球各国の往還機が持ち込まれるように
なった。
 何もかもが機構軍の思惑どおりに進むかと思われ
ていたのだが、突然、王立総合研究所が消滅。さら
にはその数分後、幻影の巨木と大量の植物の幻影が
再出現し始めたのである。
 果たして、この現象はフェデレーションメンバー
にとって有利なものなのだろうか?
 そして、グローリアス・ビクトリアヌス・1世も
ヴァンダーベッケンの主として、今まさに帰還しよ
うとしていた。


 国を追われた王、グローリアス・ビクトリアヌス・
1世は、水中翼船の甲板に立ち、サラサラとした質
感の金髪をなびかせながらホビットを読み込んでい
た。失意にかまけていた分を取り戻すべく、の情報
収集を行なっているのである。
 グローリアスは様々な形式の情報の溢れているウ
ェブの中から、デーモン・ラウルの太陽超新星化対
策の内容、地球圏に生きる人々の大量殺戮による孝
子の減少化を目論んでいることを遅れ馳せながら知
ったのだある。グローリアスはホビットから目を離
すと、片手の親指と人差し指で顎にあてる。
「なるほど。実に合理的なやり方を選ぶな、ラウル
君は」
 いつもの軽い口振りで感想を述べているグローリ
アス。
「陛下……」
 グローリアスの言葉を傍で耳にした彼の主治医コ
ンラート・モルツは、少しだけだが思わず眉を歪め
てしまう。
 だが、グローリアスとネイバー関係にある祀里花
には、表面上の言葉に続く彼の心境がダイレクトに
伝わっていた。
(―――だけど、とても認められたやり方じゃあな
い。そんなことのためににヴァンダーベッケンを使
用させるわけにはいかないんだ)
 グローリアスにとってヴァンダーベッケンが何で
あるのかを知る里花には、その心境の奥にある真意
を理解していた。

「―――すう、はぁ、すう。すう、すう、はあ」
 ちょっとした屋内植物園のように、幻影の植物が
溢れているという有様となっているヴァンダーベッ
ケンのブリッジにて、サドフォース指揮官の増田直
樹は懸命に呼吸を整えていた。
 原因はヴァンダーベッケン各所に再出現した植物
の幻影だ。増田は指揮官として、まず自分が冷静に
なる必要があった。
 深い呼吸を繰り返す増田はこんなことを考えてい
る。
(サドフォースの部下たちは心配いらない。けれど、
問題はその他の機構軍兵士。彼らの幻影に対するイ
メージの悪さは根深いものがある)
 今回の幻影の出現に増田自身も心乱した口だが、
機構軍兵士とは乱し方が違う。増田にはサドフォー
スを維持するという目的があった。兵士たちが怯え
ていたのに対し、増田は指揮官となって順調に築き
上げたものが台無しになったかもしれない、という
虚無感にかられたためだ。自分が倒れることでサド
フォースが潰されてしまうかもしれないということ
を恐れていたのだ。
 そして、増田は冷静に考え直した。幻影の再出現
によって船は混乱を見せているが、それ自体は増田
の責任ではないし、失点には至らない。要はラウル
が必要としている往還機を守っていさえすれば、問
題がないという点に気づいたのである。
 落ち着きをほぼ取り返した増田は通信施設の前に
立ち、サドフォースの部下たちや機構軍兵士各隊の
隊長へいくつかの指示を出し終えると、もう少しだ
け呼吸を整える作業に没頭する。無意味な焦りが全
てを台無しにしてしまぬように。

 ヴァンダーベッケン上層部では、王立総合研究所
の消失と、幻影の再出現を原因とする混乱が続いて
いた。研究所の消失に関してはその原因は不明だが、
地球軌道上に出現しているということで一応の決着
はつけられていた。問題は幻影である。
 機構軍兵士たちは幻影に怯えて近付こうとしない。
幻影はプレステルが開発したエングラム兵器である
という誤認がまだ根強く残っていたのである。そん
な幻影に怯える兵士たちに対し、サドフォース兵士
が叱咤するという構図が各所で見られている。
 そんな中、機構軍兵士10数名が幻影の森の中に
身を潜めて話し合っている。誰一人として幻影に怯
えている様子を見せてはいない。なぜなら、制服の
中身は機構軍兵士などではなく、WG<RON>の
メンバーだったからである。
 RONのリーダーである趙剛琴がメンバーに口頭
で指示を出すと、趙をふくめたメンバーたちは3方
に別れ、それぞれ幻影の森を進んで行った。
 RONの目的はヴァンダーベッケンの機構軍から
の開放である。RONの行動はそのままフェデレー
ションの行動として認識されるため、一般市民が抱
く感情を考えてこれまでは動くのを控えていたが、
この混乱した状況に乗じさえすれば、ヴァンダーベ
ッケンを開放出来るかもしれないと考えていた。

 機構軍側の探索にもかかわらず発見されなかった
隠しブリッジにも、幻影の植物や木々は出現してい
た。これまでこのブリッジに潜み続けていた船長と
乗員たちも、これを何かの好機である判断していた。
 見習い乗員のホーリックス・アリストは、何かを
始めようとしている乗員たちを見て、胸をわくわく
させながら難しい顔をしている船長に訊ねる。
「船長、ついにわたしたち、動き始めるの?」
 船長は首を振る。
「まただホーリー。我々にはやがて戻ってくるであ
ろう陛下のために、すべきことがある」
「何をするんです?」
 船長は答えない。その代わりに、エングラムイン
ターフェースに各々の結晶体を突っ込んでいる3名
の乗員たちの背に声を掛ける。
「分かっているな、お前たち」
「既に始めています!」
 ホーリックスの知る限り、彼ら彼女らはいずれも
システム管理のエキスパートばかりだ。
「よしッ!」
 機嫌よさ気に船長は大きくうなずき、モニターを
見つめる。
「さっぱりわかんないですよ、船長」
「見ていればそのうちわかる」
 船長の向けた視線の先には3次元ホロモニターが
あった。モニターには赤青緑の3色で表示された無
数の光点と線によって、ある立体の構造物が表現さ
れている。
 ホロモニター自体の変化は少ない。赤い光点が青
に変わり、続けて緑へと青に変わるだけだ。緑の光
点に変化はない。ただそれだけだった。

 その頃、完全に冷静さを取り戻し、やるべきこと
をやった増田は、ブリッジのシステムオペレーター
にある確認をする。
「異常はないか? 特に空港機能に関して」
「ありません」
 オペレーターは自信を持ってそう言い切った。も
し、他者からの干渉があったとしても、ここから更
に干渉すればいいだけのことだ。
「そうか。切りが付いているならば休むといい。私
も少し休む」
 ブリッジの下ではまだまだ混乱が続いているのに
もかかわらず、増田はそう言うのだった。

 グローリアスたちの乗った水中翼船は祀由雁の操
縦によって船内港が位置するヴァンダーベッケンの
船尾周辺に到達した。海上の波は荒れていたが、サ
イバーアクセス技能を活用して操縦している祀由雁
は、ここへ来るまで機構軍の艦艇を躱してきたのと
同じ要領で船内港への入港を果たした。
 だが、港には風鈴麗率いる機構軍兵士が待ち構え
ていたのである。
 フェデレーションメンバーたちは動揺をみせるが、
グローリアスと数名のフェデレーションメンバーは
甲板に上り船首まで出ると鈴麗たちを見下ろした。
 そしてグローリアスは、1世紀前ならポピュラー
だったであろうデザインの電子拡声器を取り出すと、
意外なほどの大音量で船内港に声を響かせる。
『『まいったな。出迎えを頼んだつもりはなかった
のだけれども』』
 この拡声器、上っ面がクラッシックな割りにはず
いぶんパワーがあるようだった。船内港中にこの音
声が反響している。ちなみに、この拡声器は船長が
用意していた水中翼船の備品だ。
 鈴麗は眉間にシワを刻みつつも何か言い返してや
ろうと思ったが、ここはぐっと堪える。わざとであ
るかどうか判らないし、感情に走って怒鳴っても声
がしっかり届くかどうかも怪しい。そもそも言い争
いにここまで出向いてきたのではないのだ。
 思い直すに至った鈴麗は、自分も部下から洗練さ
れたデザインの電子拡声器を受け取ると、肉声を大
きく拡大した声で返答する。
『『いえいえ、私たちはグローリアス公、あなたを
お待ちしていたのです』』
『『私は君たちの役に立てないよ』』
 これは予想した反応だった。鈴麗はひと呼吸おい
て、グローリアスを始めとするフェデレーションメ
ンバーに告げる。
『『サドフォースは指揮官の方針により、あなたは
もちろん、フェデレーションメンバーも拘束するつ
もりはありません。何ヵ所か立ち入ることを禁止す
る場所はありますけれども。その見返りとしてとい
うわけでもありませんが、協力していただきたいこ
とがあるだけです。―――内容は、私たちにも出来
るかもしれない超新星化の阻止についてなのですけ
れど、それでも気は乗りませんか?』』
 鈴麗の声の残響音が響く中、フェデレーションメ
ンバーたちは鈴麗の提案に興味を抱き始めていた。
地球に縛りつけられた状態で、太陽の超新星化を阻
止できる手があるとするのならば、フェデレーショ
ンの一員として動きたくなるのが正しいあり方なの
だ。
 グローリアスと共に甲板に出ていた者のひとりで
あるアシュフォード・龍も、この提案に少なからず
な興味を抱いている。だが、相手が相手であるため、
ゴムスタングレーネドを手にして警戒する。そして、
余っている手で拡声器を握ると、鈴麗にこう言って
やる。
『『わりぃけど、その言葉、額面通りには受け取れ
ねぇぜ。この女、俺たちがのこの船から降りたとこ
ろを一網打尽にする腹なのかもしンねーしよ』』
 鈴麗は肩をすくめる。そして、片手をあげて手の
甲を水中翼船に向ける。手の甲には、エングラムが
輝いて見える。
『『私はラウルのレゾナンスによって操られていま
したが、我々サドフォースの指揮官増田の持つ技能、
コンソナンスによって開放されました』』
『『それがどうしたってんだ』』
『『……わかりませんか? ラウルの命令によって
動いている増田がですよ』』
『『つまり、お前らは単なる操り人形じゃあないっ
てことが言いたいンだろう。でもな、あんたがレゾ
ナンスで動かされていたかどうかなんて、俺らにし
てみれば、知らねーことなんだからな』』
 甲板に出てきていた大谷和美と浅石喜四朗が、グ
ローリアスたちに助言する。2人もやはり、それぞ
れ拡声器を手にして。
『『少なくとも、あの女性が今まで言ってきたこと
に嘘はないようですよ。怪しい素振りも見えません
し、捕らえるつもりならとっくに乗り込んできてい
るはずです』』
『『その通り。ただ、わからんがね、その腹の中ま
では』』
 グローリアスは鈴麗に言う。
『『話を聞かせてもらおう』』
 その前に、アシュフォードはグローリアスたちに
こんな提言をしておく。
『『どーでもいいことだけれどよ、俺も含めていー
かげん拡声器を置いてしゃべろうぜ。客観的に見て、
やかましくて仕方がねえ』』
『『そうだね。では、ホビットで音声を通して話し
をしようか』』
 グローリアスたちはそれぞれ所持しているホビッ
トを開き、ウェブチャンネルを指定して会話を続け
ようとする。しかし、妙に接続が悪くてチャンネル
指定の変更を数回行なった。
 そして、鈴麗の抱いている太陽超新星化阻止のプ
ラン<オペラツィオン・スクルド>が、ようやくグ
ローリアスたちにも伝わった。
 それは簡単に説明すると、地球にいる人々の意識
をできる限りまとめることで、孝子の集中を太陽か
ら逸らしたり、統一された意識によって発した孝子
をまとめてぶつけることで、太陽に蓄積されている
孝子を拡散してやろうというものだった。人々の意
識をまとめるために、鈴麗はグローリアスにVR技
術面での協力と演説の要請を求めているのだった。
なお、同調計画として<Eternal Blue>がある。こ
れは、同名ウェブ番組を長期間放映することで、視
聴者に正しい情報を伝え、安心させることが目的の
計画である。オペラツィオン・スクルド計画実行時
にうまくリンクさせれば、人々の意識はよりまとま
ることだろう。
 話を一通り聞いたグローリアスは、しばらく思案
した後、鈴麗にこんな返事をする。
「今の私に打つ手がない以上、技術的な協力はかま
わない。ただ、演説だけは遠慮させてもらえないか
な?」
 鈴麗が何か言おうとする前に、アシュフォードが
口を挟む。
「なんでだよ、王さん。アンタが一説振ってくれや
あ、そこらかしこで起こってる暴動を止められるか
もしれねーンだぜ?」
「国を追われた人間にそんな資格があると思うかい?
もっと適任者がいるはずだよ」
「そんなヤツぁ、もう地球に残っちゃいねーよ」
「いないのなら、VRで創ればいいだけだよ」
 2人の話を聞いていた鈴麗は言う。
『なるほど、悪くない案ですね』
 さらにグローリアスは鈴麗に問う。
「私には不調になる以前のウェブでかじった程度の
知識しかないのだけれど、ただ、ひとつだけ言わせ
てもらえば、仮に人々の意識の統一ができたとして、
本当にそれは有効な手立てなんだろうか?」
『妙に否定的なんですね。私は有効だと信じて準備
を進めるつもりです』
「私は君に冷水を浴びせるつもりはないよ。ただ、
協力させてもらう以上、確認だけはしておきたいん
だ」
 鈴麗にはこのひと言しかいえなかった。
『証明する時間はすでになくなっています。今はど
んな手でも試してみるしかないのです。たとえそれ
が空振りに終わるとしても』
 グローリアスは問い掛けの答えを得られなかった
が、鈴麗のこの返答は真に迫っていたことで逆に説
得力があったのだ。
「わかる。失敗を怖れていては、我々は愚かで孤独
のままだ。私もできる限りの協力をしよう」
『よかった。グローリアス公、あなたならきっと協
力していただけると信じて―――』
 鈴麗が安堵したその刹那、銃声と共に船内港にい
た機構軍兵士が倒れた。さらに銃声が数発響くと、
その数だけの兵士が倒れる。
 水中翼船の甲板にいたグローリアスたちは身を伏
せ、鈴麗たち機構軍兵士は、倒れた兵士の重い体を
物陰まで引きずりつつ、狙撃者を探す。
 鈴麗はホビットに叫ぶ。
『狙われているのは私たち機構軍かッ! グローリ
アス公、あなたの、―――いや、それはありえませ
んでしたね。失礼』
 鈴麗はグローリアスが徹底した非武装主義者だと
いうことをあらためて思い出した。
 機構軍兵士たちが闇雲に撃つ銃声が船内港に響き
渡る中、グローリアスのホビットに通信が入った。
グローリアスはメインをその通信に切り替える。画
像には機構軍制服を着た、目が細く線が細そうな感
じの女性と、その背後で身を潜めながら銃を撃って
いる青年が小さく映っていた。今聞こえている銃声
と同じ音がホビットからも聞こえる。どうやら、こ
の通信相手たちこそが機構軍兵士を狙撃している者
たちらしい。そして、その通信相手の声は落ち着い
た女性の声だった。
『私の名は趙剛琴、WG<RON>のリーダー、そ
して背後にいるのが仲間の虚李元。私たちはヴァン
ダーベッケンの開放のために動いています。私たち
と共に一斉蜂起に協力していただけないでしょうか?』
 これを聞いたグローリアスの表情は堅い。
「悪いけれども、協力できないよ。なぜなら、君の
言う一斉蜂起というのは、武装蜂起のことを指して
いるようだしね」
『何をおっしゃるのです。奴らはあなたから国とこ
の船を奪ったのですよ。我々はあなたのためにです
ね―――』
 グローリアスは趙の言葉を遮る。
「フェデレーションは人類全体を護るために活動し
ているんじゃなかったのか? 今は国がどうとか言
っている場合じゃないんだ。少なくとも互いで血を
流し合う時じゃあない」
『……いいでしょう。今こうしている間にも私の仲
間たちは動いているのです。成果が上がれば、きっ
と陛下のお考えもを変えてくださることでしょう』
 通信の終了と共に兵士を狙う銃声は途切れる。あ
とは、恐慌状態に近い状態にあった機構軍側兵士た
ちの銃声だけが響いていた。

 同じ頃、機構軍兵士の制服を着た数名の男女がヴ
ァンダーベッケンのブリッジのある区画を目指して
通路を進んでいた。彼ら彼女らのほとんどかRON
のメンバー。例外は滅日流石。彼女は下層部でRO
Nの話を耳にして、サドフォースをヴァンダーベッ
ケンから追い出すという目的が一致したため、半ば
強引に同行している。
 ブリッジの区画へと到達したその時、仁九龍がエ
マリー・チェンにぽつりとこう洩らす。
「嫌な予感がする。中止しねえか?」
 歩きながら肩をすくめるエマリー。
「アンタらしくない御発言だね、いまさら何いって
ンだい」
「俺は危機を察知できるフォーサイトを付けている
んだぜ?」
「じゃあ、具体的には何だっていうのよ?」
「わかんねえ」
「そんなんじゃあ、納得できないね。ギイェルモだ
って、渋々同行してくれているンだ」
 RONのメンバーでない流石が口を出す。
「それはきっとあなた自身のことの予言に違いあり
ませんわ」
 だぶだぶな機構軍男性制服を着ている流石が言う。
制服下にはメイド服を着ている。重ね着だ。きっと
スカートにはシワが残ることになるだろう。
「ひどく嫌なことを言う女だな。せっかく同行させ
てやってんのに。ところで、龍水の姿が見えないが
どうした?」
「この女に制服を調達するためにひんむいた兵士に
監視を兼ねて、多分、突っ込んでる」
 龍観雄翻がうっとりとした表情で呟く。
「羨ましいのお」
「何をですの? 尋問とかですの?」
 流石は首を傾げるが、あえて誰も触れようとはし
ない。
 そして、無駄口が多くなってきた仲間たちに対し、
年長者のエスターバン・ギィエルモが言う。
「―――ともかく、もう後戻りはできません。簡単
な任務です。数分後にはこのままブリッジに乗り込
んで、増田とかいう指揮官を暗殺。そうすれば最低
限の流血でブリッジを制圧、しいてはヴァンダーベ
ッケンを開放できるのです」
 仲間たちにそう言ったエステーバンであったが、
それはまるで自分に言い聞かせるように言っていた
のだった。

 その頃、石黒龍水は、がっしりとした体格で下着
姿の機構軍兵士をトイレの個室に監禁。その場所で
ありがたい仏の道を説いていた。

 エステーバンたちはついに警備を担当する女性兵
士マンサ・九院に止められてしまう。
「申し訳ありません。ここから先へはサドフォース
の兵士以外の通行は許可できないのです。連絡はあ
りませんでしたか?」
 通路に居合わせている機構軍兵士たちの視線が、
RONのメンバーたちに集中する。
 このメンツの中で外見的威厳が最もあるエステー
バンが弁明する。
「緊急の連絡なのですよ」
「緊急ですか? 通信では駄目なのでしょうか」
「ええ。……今、通信接続状況が悪くなっていると
いうのはご存じありませんか?」
「そうでしたの?」
「そうなのです。理由は不明ですけれども。ですか
ら我々は指揮官に直接お伝えせねばならないことが
あってここを通ろうとしているのです」
「仕方ありませんわね。それならば―――」
 一応の納得をしようとしていたマンサだったが、
彼の背後で話を聞いていたサドフォース兵士で警備
担当責任者のヴラッド・ナカトが離れた場所から話
に加わる。
「おい、待てよ。それにしたって、緊急だろうがな
んだろうが、報告に5人もいらないだろう。ちょっ
とばかしおかしな話だな」
 エステーバンたちの背後にいる九龍たちは、目を
見合わせて撤退時だという判断をする。
 九龍たちのアイコンタクトを見逃さなかったヴラ
ッドは、部下の兵士にこう命ずる。
「まあいい、身分証をみせてもらえ。くだらない猜
疑心を払拭するための照合をさせてもらうんだ」
 そう命じた一方で、ヴラッドは照合のためのデー
タを引き出すべく、ホビットを取り出す。
「む、確かに通信の具合が妙に悪いな……」
 眼前の兵士の意識がエステーバンたちから外れた
瞬間、エマリーは背後からエステーバンの顔を手で
覆い、九龍は手に隠し持っていたスタングレネード
をマンサの体に叩きつけて炸裂させる。
 そんなに広いとはいえない通路で、スタングレネ
ードから開放された閃光と爆音が、その場に居合わ
せている者の目と耳を潰した。マンサに至ってはし
ばらく動けそうもない。
 一旦は床に崩れ倒れたRONのメンバーたちであ
ったが、サドフォースの兵士たちよりも比較的早く
立ち上がり、来た方向へ戻って行く。目はつぶった
り手で覆うことで守っていたし、爆音については鳴
る瞬間の覚悟が出来ていたからだ。
 スタングレネードの爆音は、周囲の部屋や付近の
通路にいた兵士たちを呼び寄せてしまう。しかし、
RONのメンバーたちは声を掛けてきた兵士に被害
者面をすることで難なく躱していた。機構軍制服の
効果だ。
 だが、制服の効果は長くは続かなかった。ヴラッ
ドは機構軍兵士の中では早く回復したらしく、警告
なしでRONのメンバーたちに発砲してきたのであ
る。当然、エステーバンたちは全力で下層部へ向か
って逃げ出した。その結果、全員何とか逃げのびた
ものの、九龍の体を何発もの銃弾がかすめ、彼の皮
膚や肉をえぐっていた。
 九龍は呟く。
「チッ、こいつが嫌な予感の答えかよ。ま、ちょっ
とした勲章にはなるな」
 だが、これらの傷はエマリーの持つエングラム技
能スレッドによって、傷を残すことなく治療されて
しまうのだった。

 エステーバンたちが逃げていた頃、同じくRON
メンバーの姚緑里とキャンディ・マウントバッテン
は、機構軍の制服着て甲板上に集められている往還
機を調べて回っていた。使える往還機を押さえ、ヴ
ァンダーベッケンにいる子どもや妊婦を宇宙へ送り
出して生き長らえさせようとい計画を実行するため
にである。
 だが、キャンディと緑里の表情は暗い。機構軍整
備士の振りをして往還機に乗り込むことは容易なの
だが、問題はその後だった。操縦室の電源を入れて
も、モニターには解除コードを要求する表示しか映
らないのだ。
 キャンディは肩をすくめる。12歳ながら悲哀と
いうものを十分に表現している。
「ここもだめだねえ。プロテクトが掛けられている。
こりゃあ、どうにもならないよ」
「別の機体はどうかしら?」
 緑里の提案に手を振るキャンディ。
「ダメダメ。賭けてもいいけど、もうどの機体を見
てもおんなじことだと思うよ。機構軍も馬鹿じゃあ
なかったってことだよね」
 確かにこれまで見てきた往還機は、すべてシステ
ムにプロテクトが掛けられていたのである。
 緑里も肩をすくめる。
「そうね。ふう、じゃあリーダーに連絡しましょう
か。気は乗らないけれども」
「そりゃあそうだろうね。そこんところは年長者の
努めということで。5歳も違うんだしさ。―――ど
うしたのさ?」
 緑里は懸命にホビットを操作するのだが、うまく
接続出来ないようだ。
「仕方ないねえ。そんなんだったらアタシがやっと
くよ。―――って、あれ?」
 キャンディのホビットも同様の状態のようだ。2
人は接続を何度も繰り返して、ようやくキャンディ
がリーダーの趙剛琴のホビットにつなぐ。
 キャンディの報告を聞いた趙は、仕方ないと言い
ながらも、ひどく落胆している様子だった。
     @     @     @
 幻影の再出現によって招かれた混乱は、幻影の発
生ヵ所の拡大が停止したことと、サドフォースが機
構軍兵士に対し、誤認を改めさせたことで沈静化を
みた。しかし、グローリアスがヴァンダーベッケン
に帰還したことにより、新たにちょっとした混乱が
発生していた。上層部に位置する王邸周辺に集まり、
グローリアスの帰還を喜んでいたためである。
 グローリアスの帰還を疑っていなかった住民たち
であったのだが、やはり嬉しいものは嬉しいのであ
る。たとえ太陽の超新星化が間近に迫っていたとし
てもだ。
 機構軍側の人間としてこれまで戦場リポートやド
キュメンタリーを取材し、カメラを回していたミラ
ー・マフィンは、これは良い絵になると、住民たち
の様子を撮影。さらにはグローリアスへインタビュ
ーを申し込み、一般公開という形ながら了承された
のである。
 インタビューは特に問題なく進んで行く。グロー
リアスがカメラ慣れしているおかげだった。
 ミラーは終盤、これからこのインタビューを観る
人たちにとって、最も興味があるであろう質問を残
していた。それは、この場に居合わせている大勢の
住民たちにとっても興味のある質問だった。
「あなたは国を追われた立場になられているわけで
すが、再びプレステルの王として返り咲くつもりは
おありですか?」
 グローリアスはきっぱりとこう言う。
「それはないよ。先王は確実に嘆いているだろうけ
れど」
 住民たちが一斉に、悲しそうなうめきに似た声を
あげる。
「議員たちが決定したことでもあるし、ならば国民
の意志として受け止めるべきだからね」
 さらに悲しそうな声をあげる住民たち。やがて住
民の中から「辞めないで」や「私たちはいつまでも
陛下としてお慕い続けます」等の声が住民たちから
上がり続け、インタビューはここで終わらざるをえ
ない状況なった。
 インタビューが出来なくなったミラーは、とりあ
えずグローリアスの表情を撮っておく。グローリア
スは、やわらかな笑みを浮かべながら、愛すべき海
上都市の住民たちの姿を嬉しそうに見つめていたの
だった。
     @     @     @
 ダニエル・ジョホールは、サドフォースの兵士で
ある黒滝摩耶の操縦するV−TOL機に乗り、ウォ
ルビス・ベイの空にいた。カラハリ砂漠に不時着し
たグローリアス2世王子とその仲間たちを捜索し、
救出するためである。
 そのためには黒滝の操縦するこの機で最寄の都市
へ向かい、救援物資とデザート仕様のトレーラーを
調達しなければならなかった。
 一方、黒滝の任務もやはり王子の救出である。ダ
ニエルと違うのは、黒滝がV−TOLで空から捜す
という部分だ。サドフォースが、ダニエルの同乗を
許可しているのは、王子たちの身をを案ずるグロー
リアスの顔を立てていることと、こちら側が先に発
見するという自信があるためである。

 立場の違いから沈黙の続いていた機体の中で、黒
滝はダニエルに話し掛けてみる。
「あなたはグローリアス公に直訴して、この任務を
請け負ったそうですが、グローリアス公は王子のこ
とを心配しているのですか?」
 ダニエルは気さくにしゃべり始めた。
「ええ、口には出さなかったけれど、心配はしてい
るみたいでした」
「ここまで来たのですから、一緒に捜すことにしま
せんか? いろいろ調達するというのは、時間的に
無駄ですから」
「そりゃあまずい。俺にもあんたにも立場ってもん
があるんですから。あんたは王子を見つけて連れて
くれば任務完了ですけど、俺は彼の仲間も助けるつ
もりなんです」
「そうでしたね。それにそもそもあなたを降ろさな
くては、王子を乗せられない」
 どこか気まずくなり、機内を沈黙が支配する。
 しばらくして、黒滝が突然機内でエングラムを展
開し始めた。
 その行動に興味を持ったダニエルは訊ねる。
「なにしてんです? エングラムなんか広げて」
「念のため、アナ・ビジョンを目一杯展開して王子
たちをさがしているのですよ」
「そんなんじゃあ、見つかりませんよ。疲れるだけ
ですよ」
「あの岩山の向こう側にいるかもしれませんし、は
たまた船ごと砂の下に埋もれているのかもしれない。
カラハリ砂漠は常に拡大していますからね。手がか
りを持たない以上はこんことでもしないと」
「でも、それじゃあ本当に疲れてしまう」
「分かっています。でも、砂漠で捜すということは、
こういうものなのです」
 それから数分間の沈黙の後、ダニエルは2機の輸
送機が飛んでいるのを発見する。
「お、あれは輸送機ですね」
「南半球連合軍の機体のようですが、この辺りに軍
事施設があるなんて話は聞きません。しかも、ミサ
イルを運んでいるようですし」
 黒滝は展開中だったアナ・ビジョンで視界に入っ
た輸送機を分析した。飛行中ゆえに遠距離であるた
め、細かい分析などできない。
「こんな時に何の用なのかねえ?」
「まあ、気にしないで最寄の空港へ向かいましょう。
でないと、あなたを降ろしてやれない」
 こちらはサドフォースで向うは南半球機構軍、同
じ宇宙開発機構軍としての友軍である。黒滝はさし
て興味を抱かなかった。
 だが、その2機の輸送機のうち、1機が微妙に旋
回を始め、機体を黒滝のV−TOLへ向けると、1
発のミサイルを発射した。ミサイルは確実に黒滝た
ちを捉え、彼らが気づいたときに残された手は、機
体を捨てるしかなかった。
 こうして、V−TOL機は飛行能力を奪われ、王
子の救出にやってきた黒滝とダニエルは、彼ら自身
がカラハリ砂漠で遭難してしまうのだった。

 黒滝からの救難信号を受け取った増田は、救助隊
を向かわせた後、すぐに南半球連合代表に抗議の通
信を送った。しかし、そんな事実や記録はないと突
っぱねられてしまう。
 だが、黒滝のV−TOLを撃墜したのは紛れもな
く南半球連合の機体であり、しかも、王子を捕らえ
ようとしている偽装輸送機だった。ラウルに主要往
還機のほとんどを徴収され、宇宙へ昇る手立てのな
い南半球連合の首脳陣は、先日の王立総合研究所の
消失事故を知り、ヴァンダーベッケンにおいて海王
星で行なわれたような<ありえない転移>が実用化
されているのではないか、と調査を秘密裏に進めて
いたのである。
 そのための手札としてサドフォースや(南半球連
合所属以外の)機構軍より先に、王子を先に発見し
て保護する必要があったのである。
     @     @     @
 ミラーは先日撮影したインタビュー番組の編集済
みフィルムを増田に見せる。ウェブに乗せる許可を
得るためだ。だが、フィルムを観た増田の表情は堅
い。
「悪いのですが、こことここの部分、特にグローリ
アスが風鈴麗の計画<オペラツィオン・スクルド>
に協力するとか言っている部分は絶対に削除して下
さい。絶対にですよ」
「なぜです? 計画のいい宣伝になるじゃないです
か」
 この部分を削るというのは、ミラーには道理の行
かない話だった。ミラーは当然説明を求める。
「宣伝になってはまずいんです。これが閣下に知れ
でもしたら、サドフォースは反逆行為をしたとして
処分されてしまうのですからね」
     @     @     @
 その日、隠しブリッジの隠された扉は、内側から
でなく外側から開いた。機構軍側の兵士が開けたの
ではない。フェデレーションメンバーであり、ヴァ
ンダーベッケンの整備員である甲斐武人が、正式な
解除コードを使用して開けたのである。
 当然、隠しブリッジにいた者たちは武人を見て驚
くのだが、当の武人は気にする様子もなく船長に歩
み寄って、何かが書かれた紙片を手渡す。
「これ、陛下から。あたいが預かってきたわ」
 それだけ言うと、武人は扉から外へ出て行く。そ
して、再び扉をロックした。
 紙片を見た船長は、ただ面白そうに笑みを浮かべ
るだけで、乗員たちへは何も言わなかった。
     @     @     @
 ヴッアンダーベッケンが平静を取り戻してから数
日後、ブリッジにいる増田のもとにサドフォース前
指揮官、佐渡島・フォン・犯右衛門から通信が届い
た。
『―――ん、ようやくつながったか。増田。預けて
いた指揮権を返してもらうぞ。いや、正確には返し
てもらう必要はないがな』
(別に預かった憶えはないのですがね。まあ、それ
はいいでしょう)
 正確には当時指揮官であった佐渡島が勝手な行動
を取ったために、佐渡島はラウルから解任された上
に機構軍から追放されたのだ。そして、後任として
増田が押しつけられた形になっている。
「何をなさるおつもりなんです?」
『決まっているだろう、機構軍を頂く。国連にデー
モン・ラウルの機構軍総司令官解任動議を提案させ
るんだ。後釜には当然余がつく』
(何を馬鹿な。この人は正気でモノを言っているの
か?)
 呆れている増田の顔を見て佐渡島は言う。
『そんなに感心していないで、まあ余の話を聞け。
ラウルの目論みが明らかになった以上、奴への反発
は相当なもののはずだ。美しい団結の元に合衆国大
統領どのを引きずり下ろし、偉大な指導者であるこ
の佐渡島に頼ってくるはずだ』
(この人の自信はどこから来ているのだろう?)
「それで解任動議は提案できそうなのですか?」
『うむ、我がネヴァンが各国の指導者や代表に貴様
の名で極秘通信を送った。近いうちに―――』
 増田は佐渡島が言っていることを途中から聞けな
くなった。自分の名を使われたことがショックだっ
たためだ。
(なんということだろう。このことが閣下に知られ
でもしたら今までの私の苦労は水の泡だ。この人は
サドフォース存続のために、我々がどれだけの苦労
を強いられているのか頭にないのだろうか?)
 増田の頭の中を不安と困惑が渦を巻いている間に、
佐渡島からの通信は切れていた。
 増田がそばに居合わせた通信士に、自分がどうや
って通信を終えたのかを訊ねると、通信士は不思議
そうな顔をして、増田は佐渡島に対して生返事ばか
りしつつも、何とかとどこおりなく通信を終えてい
たらしい。
 だが、問題はこれで終わったわけではない。大し
て間も置かずに通信が入った。デーモン・ラウルか
らである。ホログラムで映し出されているその姿は、
例によって不機嫌そうだ。ラウルはあいさつ抜きで、
本題に入ってきた。
『増田、貴様に確認しておきたいことがある』
 増田はホログラムのラウルに目を合わせられない。
(早速来た。これでサドフォースはTHE END、おしま
いだ)
『貴様、国連加盟国の代表にくだらない通信文を送
っていたらしいな。そんなものは俺に全て筒抜けだ
ぞ』
「あ、あの。それは……」
 増田は弁解しようにも材料がない。増田の心配を
余所に、ラウルは事実をほぼ見抜いていた。
『判っている。あの愚か者の仕業だろう。誰が得を
して誰が損をするかを考えれば、貴様でないという
ことなどすぐに判る』
「ありがとうございます。ところで―――」増田は
話題を変えたかった。とにかく佐渡島のことには触
れられたくなかったのだ。「―――あの、グローリ
アスが戻ってきたのですが?」
 ラウルは興味もなさそうに言う。
『好きにさせろ。地上に張りついた夢見がちで哀れ
な非武装主義者に何が出来る。ただし、分かってい
るな?』
「承知しております。往還機ですね」
 ラウルの計画にはヴァンダーベッケンある往還機
が必要だ。有効な手札がこちらにある以上、サドフ
ォースはおそらく安泰なのだろう。
 この後、ラウルは増田に情報撹乱のために、ウェ
ブを寸断しているということを告げた。これまでマ
ルチウェブの不調はラウルの仕業だったのである。
(―――参りましたね。オペラツィオン・スクルド
はまだしも、Eternal Blueには確実に影響が出る)
 増田の心配は的中していた。太陽の超新星化が迫
る中、マルチウェブの中で放映されている特別番組
だけでも無数にある。その上、機構軍情報部の手で
人為的に起こされているウェブ障害により、視聴者
の数は予想よりも大幅に下回っているのだ。
 なお、佐渡島の希望は叶っていない。ラウル解任
動議提出どころか、国連自体機能する様子もなかっ
たのである。
     @     @     @
 王立総合研究所は消滅した。その原因は一切不明
となっている。そのため研究者たちは器材と研究デ
ータを失ってしまった。あるのは完成した新開発に
成功したエングラムのみ。
 しかし、研究データを機構軍に公開していたおか
げで、パックアップはきっちり残っていた。プロジ
ェクト<アガスティア>のリーダー、バレンシア・
フォレスターがサドフォースに交渉し、これまでの
研究データを公開させた。
 また、必要な設備はかつてヴァンダーベッケンに
研究所を置いていた民間会社の設備をそのまま利用
することが出来たし、エングラム研究にどうしても
必要な器材はこれもまたバレンシアがプロジェクト
<ザムザ>の分も含めて調達している。

 アガスティア実験室では、ゲオルグ・オスマイヤ
ーを中心に<フォーサイト>技能の改良が進められ
ている。これはフォーサイトに過去視機能を加えよ
うというものだ。これ自体は成功しそうな気配であ
るのだが、バレンシアたちの興味は、その裏で企ん
でいる計画に向いていた。それは、超新星化対策と
してヴァンダーベッケン(もしくは、同船の人員の
み)の空間転移計画だった。
 一方、ザムザでは、サドフォースの許可により、
水島正太郎、祀雪麗、ピリカ・マークセンを研究要
員としてヴァンダーベッケンに乗船させている。当
初、彼らの乗船許可が降りるかどうか不明であった
ため、ある機構軍兵士が報酬を受けて秘密裏に乗船
させる計画があったが、無用の心配に終わってしま
った。
 現在、ザムザ実験室では相変わらず複数の研究が
動いている。スレッドLv3の正体追求、クローンの
短命解消研究、エングラムパターン組み替え、など
など。中には不老不死を追求している者もいた。あ
と、こっそりアガスティアの転移計画にも協力して
いる。
 スレッドLv3の正体追求は、当初難航した。プロ
ジェクトリーダーの今岡形や雪麗は、この技能を情
報世界にいる人間を再生するものだという前提で正
体追求をしていたからだ。形たちは因幡弥生のネイ
バーの1人である滝倫太郎を、情報世界からヴァン
ダーベッケンへ引っ張り上げようと計画していたが、
滝当人が水星を目指しているため、試すことすら出
来ずに終わった。
 では、スレッドとはなんなのか? 形たちはLv1、
Lv2の実例を見ることで、それは対象の遺伝情報を
読み、新陳代謝機能を活性化させることで欠損箇所
を再生させる技能であると理解した。ただ、それで
はLv3の機能とは何なのか判らない。少なくとも、
欠損箇所の再生以上の機能を持つことは推測できて
いたが、活性率の関係で使用を試みるものがいなか
ったため、後日、正太郎がレモン・ライムの長年の
希望を成就させる第一段階として、スレッドLv3の
正体は不明となる。
 ニイヤ・ドッペルゲンガーと張麗は、シアン・K
・カリウムやスクゥードから提供されたクローンや
ナノマシン、さらにはリヴァイアサンの関連データ
を受け取り、クローンの狂った代謝速度を正常にす
るための研究を続けていたが、クローン自身がいな
いため、その成果を確認するには至っていない。
 志木琴菜とクシュナ・ザ・デトネイターは、クロ
ーンの延命から派生して不老不死を追求しているが、
新陳代謝が停止するということはどうゆうことなの
かということと、人の精神とは何なのか、というこ
とを考えることから始めなくてはならない。
 ミスト・ルシオーネは、ザムザの中で<ディゾナ
ンス>に出向し、エングラムパターンの組み替えに
よる疑似精神体の創造を追求する。一般的に、レゾ
ナンス等の実例により、エングラムパターンの組み
替えは可能と思われているのだが、実はこれは誤認
であり、元々の情報に別の情報を覆いかぶせている
だけなのである。また、エングラムパターンはDN
A塩基配列と同様のパターンを描いているとの証明
はなされているのだが、無論DNAそのものではな
い。仮に、エングラムパターンを本当に組み替えた
としても、遺伝情報は何も変わらない。精神の創造
にはつながらない、とわかった。
     @     @     @
「キミはクローンのことは頭にないようですね。い
ったい、何がやりたいんだい?」
 もったいぶった間をつくった後、琴菜は言う。
「不老不死よ」
「そりゃあ、大きく出ましたね」
     @     @     @
 整備員のカナ・デキルは、仲間のファミール・グ
ランフォードと幻影のシーラカンスを連れた清水沢
音らと共に、配管の修繕を行なっていた。先日の王
立総合研究所が消失転移した事故(?)の影響で、
その場所につながっていた各種配管配線が切断され
た形となているために急いで修復する必要があった
からだ。
 頭にリョコウバトのマーサを乗せたカナは、体の
周りをシーラカンスがぐるぐると回っている沢音に
訊ねる。
「ねえ、沢音。その子の名前決めた?」
「うん、ウィザーにしたの。どう?」
「どう? って言われてもねえ。でも言い名前だと
思うわ」
 ヴィザーという名の付けられたシーラカンスは、
壁もパイプも関係なくめり込んだり出てきたりして
沢音の周りを泳いでいる。
 ファミールはそんな2人の様子を見て呟く。
「ボクが普通の人の状態だと思うんだけど、キミた
ち見てると普通じゃないように思えてくるわ」
 この場に限った分布でいえば、幻影の生き物を連
れていないのはファミールだけなので普通ではない
のだ。
 その時、通路の奥からはっきりとした女性の声が
響く。
「やっと見つけましたわよ。カナ・デキル」
 スーツをびしっと着こなした女性が3人の傍に近
づいてきた。
「2対2。これでボクもこの場で普通になれた」
 と、これはファミール。
 カナはファミールに構わず、声を掛けてきた女性
に答える。
「確かアンタ、サドフォースの人じゃなかったっけ?
ケイコとかいう秘書の。あんまし協力したくないなあ」
「誤認ですわ。……わたくし吉岡桂子はサドフォー
スの秘書でなく、デーモン・ラウルの秘書ですのよ」
 少しげんなりという表情でカナは言う。
「なんか余計に協力したくなくなる気がするけど……
で、なんなの」
「そのマーサとかいうリョコウバト、……調べさせ
ていただけない?」
「威張らないなら協力してあげてもいいけど。じゃ
あ、仕事が終わるまでどっかで待ってくれない?」
 こうして桂子の申し出はカナにあっさり了承され、
上層部にある王立航空宇宙史公園の入口前で待ち合
わせることを約束した。

 その頃、かつて王立総合研究所の正面玄関が位置
していた場所の前で、研究所の所長であったインフ
ルエンザが、研究所の代わりにそびえている巨大な
幻影の木の前に立ち、青々と茂る無数の葉を見上げ
ていた。
「忌々しいですわ。こんなものが出てこなければ、
わたくし、今頃あれやこれの素敵な兵器を研究開発
していたことでしょうにッ」
 思わず唇をかむインフルエンザ。彼女はなんとか
してこの現象を自らの手で解決し、できれば研究所
を呼び戻して名実共に王立総合研究所の所長になり
たかった。
 その時、彼女の視界に幻影の巨木の前でうつぶせ
になった青年がいる。紀伊國屋いづなだ。いづなは
幻影に顔を突っ込んだかと思うと、匍匐で体を後退
させ顔を幻影の目前まで戻した。そして、唐突に奇
行に走る。幻影の巨木を舐め始めたのだ。
 レロ、レロ、レロ、レロ、レロ、レロ……
「……ク、クレイジィですわッ!」
 そう言いつつもいづなの様子を眺めるインフルエ
ンザ。よく見ると、いづなの舌にはエングラムが発
現している。いづなはエングラムに幻影を接触させ
ているのである。
 いづなの行動の意味を理解したインフルエンザ。
幻影に接触する際、名称不明技能をフィルターとし
て使用することで、情報を得ることができるという
ことを思い出したのだ。機構軍が提供させた研究デ
ータの中にそんなものがあった。
「やはり、エングラムを接触させてみるしかなさそ
うですわね」
 研究所跡の大穴に落ち込まないよう、幻影の前で
しゃがみこんだインフルエンザは、手のひらにエン
グラムを移すと、巨木の幹にエングラムを触れさせ
た。すると、インフルエンザの頭の中に、巨木の持
つ情報が視覚となって押し寄せてくる。豊かな色が
めぐるましく展開して見えたのだ。
 その中で比較的印象に残って見えた色は、悲しい
げな光、底のない黒、暖かな青、渦巻く灰色、優し
げな黄金色、そして慈愛に満ちた薔薇色。
「いまひとつ抽象的ですわねえ、どういった意味が
あるのかしら?」
 ちなみに、いづなは美味そうに幻影を舐めてはい
るが、その実、何も得てはいない。ただ、頭の中が
何となくチカチカするだけ。彼は名称不明技能を所
持していなかった。

 王立航空宇宙史公園前。
 吉岡桂子はここでカナ・デキルたちを待っている
のだが、時間が経つにつれ、自分と同じように人を
待っている者の姿が目に入った。カルロ・山家・メ
ンデスとロバート・アイルオットに、マーサがクリ
エイターの精神であると信じている水原奈乃。さら
に、<ザムザ>のレモン・ライムと、ピリカ・マー
クセン。それとサドフォースのセンリ・アルネート。
「……ここって、待ち合わせの場所としてそんなに
メジャーな場所だったかしら?」
 そんな桂子の疑問をよそに、カナ・デキルと清水
沢音がそれぞれタコ焼きの皿を手にしながらやって
来た。どうやら、昼食代わりにブラッド・ロスとフ
ァムティア・ロスの店で買ってきたらしい。
 桂子がカナたちに歩み寄ろうとすると、自分と同
じように待ち合わせをしていた者たち全員がカナた
ちに歩み寄る。どうやら全員目的は同じらしい。
 それを察知したセンリが我先にとカナに話し掛け
る。
「遅かったですね。さあ、俺にその鳩、特にその緑
の枝を調べさせてもらいましょうか? おそらくは
それが新天地への鍵に違いないのです」
「別にいいけど、調べて見てもないのにどうしてそ
う、決めつけるかなあ?」
 カナの言葉を聞いてレモンはやんわりと衝撃を受
ける。
「え〜、違うの〜? レモンも同じ風に思っていた
よ〜。ねえ、ピリカちゃん」
「ピリカは特に何も考えてませんでしたッ」
「まあ〜、正直ね〜。ピリカちゃんわ〜」
 何言ってんだか、と思いつつセンリの様子を見る
桂子。センリはマーサを調べるべく、捕らえようと
しているのだが、マーサはセンリに近付こうとはし
てくれない。上空で旋回しているだけだった。そも
そも幻影のハト故に、手では触れられないのだ。
(……不毛だわ)
 センリは一旦マーサを諦めて、沢音のヴィザーを
調べるべく歩み寄ると、ヴィザーも公園ドームの壁
の中へ逃げ隠れてしまう。
 そして、ついに根をあげるセンリ。
「そろそろ、何とかしてもらえませんか? ここで
結果さえ我々サドフォースに伝えてくれさえすれば、
もう何でもいいですよ」
 センリに促されたカナは、仕方なくマーサを手招
きで呼ぶ。すると、マーサは直ぐにカナの頭の上へ
舞い降りた。
 そして、最後のタコ焼き1コを食べ終えたカナは、
紙皿を間近にあったごみ箱へ捨てると、センリを始
めとする、マーサを調べに来た者たちに問う。
「ところで、皆どうやって調べるつもりなの? ア
タシは名称不明を使って調べるつもりだけれども」
 カナは最初から答えを持っていた。ただ、まだそ
れをやっていないだけだった。
「私もそれをしようとしていたんですけどね」
 と、センリは肩をすくめた。
 こうしてマーサと緑の木の枝に対する調査が始め
られる。場所は公園ドームの入口前にあるベンチと
いう、緊張感の欠けらもない場所。だが、やること
はまったく難しくないし、機材も必要ない。ただ、
調査対象にエングラムを接触させるだけなのだ。
 この場に居合わせている者たちの中で、名称不明
を持つ者はカナとセンリとピリカ、そして奈乃。さ
らにこの中で、名称不明Lv2を使用できるかどうか
となると、センリと奈乃は脱落する。Lv1では抽象
的な色しか見えないのである。これは以前、カナが
試していた。
 結局、カナとピリカしか直接調査を行なうことは
できないのだが、桂子は自分はポゼッショナー技能
を所持しているとカナに告げ、意識を共有すること
で調査の様子を見られることとなった。
 カナ(桂子)はマーサにエングラムのある手の甲
の上に降りるよう促す。そして、ピリカは自分のエ
ングラムをマーサの銜えている緑の木の枝に触れさ
せた。カナ(桂子)の意識にマーサから発せられる
情報が実在しない映像として視覚に飛び込んでくる。
それは、様々な動物の映像だった。ただし、それは
リョコウバトと同様に絶滅した種ばかり。自然の減
少によって絶滅した種、乱獲により絶滅した種、同
種の減少により絶滅した種、などなど。ただ、それ
らの映像には常に人間の姿があった。目を覆いたく
なるような映像もあったが、絶滅しようとしている
種を懸命に保護しようとしている人間の姿や、最後
の生き残りとして死を迎えようとする種を哀しげに
見つめている映像もあった。
 マーサとは、絶滅した種に対する人間の記憶が凝
縮し、リョコウバトという姿でこの世界を生きてい
る(?)ということになる。
 ちなみに、シーラカンスのヴィザーの中身もマー
サとほぼ同様の絶滅種に対する人々の想いで詰まっ
ていたが、ひとつだけ微妙に違う部分があった。そ
れは、しぶとさだった。ヴィザーには絶滅したと思
わせて実はきっちり生きているという、しぶとさが
混じっていた。
 一方、ピリカはカナたちよりも莫大な量の映像を
見ている。様々な生物や植物の種としての最後の記
憶が詰まっていたのだ。それは、ピリカが知ってい
るもの知らないものに関係なくだ。もしもピリカが
生物学者だったのなら、おそらくは驚喜していたこ
とだろう。発表する場所と周知させる時間は足りな
いかもしれないが。
 この情報についての意味付けは容易ではないが、
少なくともマーサたちがやってきた場所には、そう
いった情報が詰まっているようだ。そこに大陸があ
るのかどうかは不明である。
     @     @     @
 航空機格納庫。ヴェルネー・フォルパルトは、し
ばらくは飛ばす予定のない愛機のV−TOLの整備
を続けている。
 格納庫の外に見えるは滑走路には、各国から徴収
された厖大な数の往還機が並んでいる。ヴェルネー
は往還機へ近付く資格はなかった。腕時計に目をや
ったヴェルネーは、作業の手を止めて椅子に腰を下
ろす。そして、おもむろにホビットを取り出して開
き、懸命に接続を開始した。

 隠しブリッジ。グローリアスが戻ってからも潜伏
の日々を続けている隠しブリッジの面々。その中で
見習いのホーリックス・アリストは、本当に何もす
ることがなく、ホビットにデータカードを刺して読
書を続けているだけだった。そんな時、船長が唐突
に口を開いた。
「ホーリー、モニターを見ていろ。多分、そろそろ
ちょっとした事が起きるからな。その時、このスイ
ッチとこのボタンを押せ」
「それはいいですけれど。何ですか、これ?」
「その時が来れば判るよ」
 ホーリックスは思い出した。唐突に扉のコードキ
ーを解除して、ここへやって来た甲斐武人のことを。
あの時、彼が船長に渡したメモに関連があるのだと
いうことを。
 ホーリーは無数の往還機が並ぶ滑走路の映像が映
るモニターを、黙って眺めることに意識を集中させ
た。

 その頃、グローリアスは王邸の執務室にいた。オ
ペラツィオン・スクルドのために必要な準備は終わ
っている。とはいっても、グローリアスの出来るこ
とといえば、風鈴麗には最初の段階でVR技術者を
紹介することぐらいしかなかった。
 そして今、グローリアスが何をしているのかとい
うと、コンラート・モルツと治療の方針について話
し合っていた。ただ、グローリアスはモルツの話を
聞いている間、何度も机の上にある置時計に目をや
っていた。
 机の上に置いたカルテを指差しながら、モルツは
言う。
「―――ということで、肩の傷跡はどうしますか?
少し日にちは掛かりますが、完全に消すことは可能
ですよ。スレッドを使えば数時間と掛かりませんけ
れど」
 グローリアスは、傷を負った肩に手をあてて考え
る。
「スレッドもいいけれど、せっかくの傷跡だ、じっ
くり時間を掛けて治すとしよう。完治するかどうか
微妙なところだけれどね」
「わかりました。―――ところで陛下、もしかする
と何か企んではいませんか? どうも落ち着きがな
いように見えています」
「別に企んではいないけれども、ちょっとした面白
いことがそろそろ起こるんだ」
 3次元ホロモニターに立方体が浮かび上がる。そ
して、その立方体の各平面に、無数の往還機の姿が
映し出される。
「これは空港の様子じゃないですか。それよりも、
いつの間にカメラモニターが回復したのですか? 
確か、システムはサドフォース側に―――」
 驚いたモルツはその理由を問おうとするのだが、
グローリアスは面白そうに何かを待っているだけで、
何も答えようとはしてくれなかった。

「やっとつながった。何とか間に合いそう」
 ヴェルネーは一旦立ち上がり、往還機が集まって
いるあたりを眺める。遠巻きに警備している兵士を
除いて誰もいない。何かを安心したヴェルネーは、
再び腰を下ろすと、ホビットの角に表示されている
時間を見る。そして、ホビットのモニターに表示さ
れていアイコンに指を置くと、心のなかでカウント
を取る。
(―――5、4、3、2、1ッ!)
 ヴェルネーが指に力を込めると、滑走路の排水溝
の中から7色の煙幕が吹き上がった。
「困りましたね。あの煙幕弾、曲芸飛行用だったよ
うです」

「あっ、煙が吹き出した。船長、今ですか?」
 ホーリックスが振り返ると、船長は無言で頷いて
いた。ホーリックスは、まず指定されていたスイッ
チを入れる。
 パチ。
 すると、モニターの風景が少しづつ変化している。
煙のおかげではっきりとは見えないが、滑走路の幅
が広がっている。隠し滑走路が出現しようとしてい
るのだ。ホーリックスにもそれが分かっていた。な
ぜなら船内全域に機械的な女性の声で、『ただ今よ
り滑走路A−2及びA−3を開きます。一部通路を
閉鎖しますので、該当する通路にいる方は急いで離
れて下さい。該当する通路は―――』
 と、説明してくれたから。
 ただ、これから押そうとしているボタンの正体は
判らなかった。

「まずい、止めろ! いま直ぐ止めるんだ!」
 ブリッジでは異変に気づいた増田が、システム担
当の兵士を怒鳴りつけていた。
「駄目です。システムが部分的に乗っ取られていま
す!」
「大丈夫じゃあ、なかったのかッ!」
 オペレーターは顔を青くするだけで何も答えられ
ない。大丈夫ではなかったのだ。

 乗っていると判りにくいことだが、ヴァンダーベ
ッケンは構造体の間隔が開き、元々存在していた滑
走路の両側に、新たな滑走路が2本出来上がってい
る。そして、各国から集められた往還機は元々あっ
た滑走路のいちばん端、船尾の辺りに位置している。

 ホーリックスは問題のボタンに指を置いた。
 そして、この後何が起きるのかわくわくしながら
指に力を込めた。
「せーーの」
 プチ。

 その刹那、全ての往還機がセンターライン寄りに
それぞれ傾いた。センターラインがゆっくりと裂け、
下に向かって開いているのである。
 やがて傾斜の角度が大きくなり、往還機の自重で
滑り落ちて行く。途中、まだ耐えていた機体を巻き
込みつつ、狭間に消えた。狭間の底には何もない。
ただ、海が存在しているだけだ。次々と大きな水柱
があがる。ヴァンダーベッケンに集まっていた往還
機は、すべて海の中に沈んだのである。

 往還機がヴァンダーベッケンから落ちて行く様子
をホロモニターで見たモルツは呆れている。
「これは陛下の仕業ですか?」
 うなずくグローリアス。
「けれど、1人でやったわけじゃあないよ」
「じゃなくて、仕組んだのは陛下に―――」
 モルツが何か言おうとしたその時、グローリアス
のホビットに通信が入った。
 ホビットからホロモニターへ接続して映し出すと、
増田の姿が映る。
 グローリアスの姿を確認したらしい増田は、極力
怒りを表に出さないよう言う。
『あなたですか、グローリアス公。往還機を沈めて
しまったのはッ!』
「そのとおり。でも誰がやったなんてことは、どう
だっていいんじゃないか。これから地球に残ってい
る我々は、オペラツィオン・スクルドを行なうんだ
から不要さ、必要ない」
『しかし、往還機なくしては……』
「ラウル君に叱られるのかい? 地球に残る者が団
結するためにも、ああいったものは残らず捨ててし
まった方がいいんだ」

 グローリアスとの通信を終了した増田は、風鈴麗
を呼び出して指令を出す。
「オペラツィオン・スクルドを実行する。<Eternal
 Blue>のギーヴにも連絡を入れるんだ」
「まだ無理です」
 鈴麗はにべもなく言い切ったのだが、増田は納得
しない。
「準備は整っているのだろう?」
「ええ、クレリクはそう言っていましたが。ただ、
後は水星から銀の靴2でエネルギーを送ってもらう
必要があると……」
「送らせろ。そして、出来るだけ早く始めるんだ。
これが成功しなければ、我々は太陽よりも先に閣下
の手で殺される」
     @     @     @
 1ヶ月間の長期放映ウェブ番組Eternal Blueは、
増田の要請により、オペラツィオン・スクルドの開
始に合わせて、同計画で投影されるものと同等の映
像が流されることとなった。
 計画の開始時刻とともに夜側の地域で大気に巨大
な女神のホログラムが投影される。その規模は、当
初、クレリク・英雄・ザンドラマスが計画していた
規模より数段小さいものとなってしまったが、その
分は数で補った。
 音声は直接地上へは届けられないため、これはウ
ェブ番組のEternal Blueから「地球を守りたい、と
祈りましょう」という音声を流すことになる。うま
く行っていれば、孝子の流れは変化し、太陽でなく
地球周辺に集中するはずである。
 本来の計画では、水星からの孝子の流れの報告を
受けながら、孝子を地球へ蓄積し続けるのだが、一
帯のウェブ障害で、残念ながら報告をうまく受けら
れなかった。
 結局、蓄積された孝子を太陽へぶつけるための映
像(槍を持つ女神が巨大な狼を攻撃する)に切り替
えるタイミングは、水星からの報告なしで行なわれ
た。
 ユリウス・フォン・シュテルナーは、これらの映
像を3回繰り返させてみたが、実際に孝子がどう動
き、どれだけの影響を太陽に与えたのかは確認でき
ずじまいだった。
     @     @     @
 ジォビネッタ・デ・ヴィオネットは未だベッドの
上での入院生活を強いられていた。
 負傷した際の応急処置は適切であったものの、そ
の後十分な施設での治療を行なえなかったために、
改めてここ王立総合病院において治療を受けていた。
 祀里花はベッドの上で上半身を起こしているジオ
ビネッタに医者としての確認を求めている。里花は、
応急処置からずっとジォビネッタの治療を担当して
いる外科医だ。
「その銃創、どうするの? 今はスレッドとかいう
エングラム技能で治療出来そうなの。その眼帯の下
のも再生が可能かものしれないわ」
 ジォビネッタはかつて左目のあった辺りの眼帯に
手をあてて答える。
「よしておくわ。スレッドを使われると完治するま
で寝続けなきゃならないんでしょう? 眠っていた
ら超新星で死んでいたなんて嫌だもの。それに、こ
の傷はアタシにとって名誉の負傷だし」
「あなたがいいのなら、としかわたしには言えない
わね」
 その時、病室の扉がスライドし、神代絵理子が見
舞いにやってきた。
「また来たの?」
 とジォビネッタ。彼女に敵意はもうなく、微笑さ
え作っている。
「そうなんだ。組織(パンデモニアム)から離れて
しまったからね、君の見舞い程度しかすることがな
いんだ」
「アタシへの見舞いは暇つぶしなの?」
 3人はそれぞれ微笑んだ。
 ジォビネッタと絵理子、そして里花は数か月もの
間、顔をあわせ続けてきたおかげで、互いのことが
分かりあえるようになりつつあった。
 ネイバーでもないのに。
 そして、絵理子は言う。
「ところで、今日はいい報せを2つ持ってきたんだ。
もう知っているのかもしれないけれど、―――1つ
はデーモン・ラウルが暗殺されて、フェデレーショ
ンは戦争終結宣言をしたらしい。今、死にぞこない
のウェブは、どの番組もこのことばかりを報じてる」
 里花がホロモニターのスイッチを入れると、確か
に戦争終結の話題ばかりだった。
 戦闘経験のあるジォビネッタは、しみじみにこう
言う。
「頭を潰されると、崩壊は早いものなのよね。それ
で、もう1つは何なの?」
「陛下に振られた」
 硬直するジォビネッタと里花。
 絵理子は構わず話を続ける。当然の反応だと思っ
ていたからだ。
「私は君たちより色々と分が悪いんで、失礼ながら
速効させてもらった。で、君たちはどうするつもり
なんだ?」
「わ、わたしは王様のファンに過ぎないから」
 と、里花はやや動揺しなからそう言うと、ジォビ
ネッタの顔を眺める。
「アタシは―――」

 その頃、ラウルの死亡を知った増田は、ブリッジ
で固まっていた。
 ラウルの死後、サドフォースをどう立ち回るべき
か頭を悩ませていた時に、やっと臨時召集された国
連から増田に対し、こんな通告が不安定なウェブに
乗って届いたからだ。
『増田直樹、君を宇宙開発機構軍の総司令に任命す
る。あの、佐渡島とかいう男ではなく、君をだ』
 増田は、今、自分が宇宙開発機構軍の総司令とな
っても太陽の超新星化阻止に何の足しにもなってい
ないことを自覚している。だから、その責任の重さ
に硬直していたのである。総力戦に敗北した今、宇
宙に残る戦力はほとんど皆無だろう。張り子の虎の
軍隊だ。ただ、少なくとも超新星化まではサドフォ
ースを生き長らえさせることができそうだ。
     @     @     @
 12日、未明。王立総合病院ではちょっとした騒
ぎが発生していた。ある事情により、入院させられ
ていたルクオン・ダルダラットが、夜勤中であった
看護婦を人質にして病院正面玄関において、サドフ
ォース警備担当者や一部フェデレーションメンバー
らと対峙していた。
 また、たまたまこの日、未明までグラブ<ノワー
ル>で酒を飲んでいたミラー・マフィンは、騒ぎを
聞きつけて早速ウェブ中継を行なっている。
『こちらは、王立総合病院前です。犯人のルクオン
・ダルダラット(26)は当病院において入院中の
患者です。現在人質となっているグウィネス・スポ
ール看護婦(20)はダルダラットに緊急ブザーで
呼び出され、不意を突かれてそのまま拉致された模
様です。病院側の話によりますと、ダルダラットは
これまで何回も―――』
 機構軍兵士の中には彼と面識がある者がいるらし
く、なにやらこそこそと仲間内で話している。
「やっぱり、あの看護婦の言っていたこと本当だっ
たんだなあ」
「お気の毒に……」
 そこへ警備主任のヴラッド・ナカトが到着する。
「何の話だ?」
「あの犯人はやはり病人であったという話です」
 話がよく見えなくて首を傾げているヴラッドに、
同じく警備担当者であるアキ・ヤイタンは言う。
「射殺しますか?」
「馬鹿言え、せめて麻酔銃とか言えないか?」
 ルクオンを説得しようとする試みはすでに始まっ
ている。
『あなたの要求はなんなの?』
 SPとしての経験が豊富なキョウカ・ライシャワ
ーは、電子拡声器を片手にルクオンから要求を聞き
出そうと試みている。
「俺を宇宙へ昇らせろーッ! 俺らの太陽系を救い
に行くんやーっ!」
 どうやら彼は<シルマリリオン>に参加したいら
しい。
『もう今からじゃあ、間に合わないわよ』
「なんでやッ!?」
『ヴァンダーベッケンには往還機は1機も残っては
いないの。1機もよ』
「ウソや! そんなわけあるかいッ! 最悪、航空
宇宙史公園にレプリカがあったやろッ!」
『それも、もうないのよ』
「ほんまにッ?」
 群衆の中には滅日流石もいた。
「てんでなっていないですわね。人質を取るならも
っと効果的に活用しなくては、たとえば今のような
状況なら、人質の皮膚にスーッと傷を入れて―――」
 などとルクオンのやり方を批評する流石。
 そうしている間に、ヴラッドは部下たちにルクオ
ンを麻酔銃で狙撃させようとしていた。
 その時である。
 群衆の注目を最も浴びていたルクオンが苦しそう
に崩れ倒れてしまう。人質だったグウィネスは倒れ
たルクオンの看護を始めている。
「ルクオンさん、大丈夫ですか? どこが苦しいん
ですか?」
「頭がぶっ壊れそうや……何やねんな、このえげつ
ない意識は……人間嫌いになりそうや……」
 ルクオンはこれだけ呟いて気絶してしまう。
 だが、突然倒れたのはルクオンだけではなかった。
この現場に居合わせていた者の中だけでも、ルクオ
ンを説得していたキョウカと、群衆の中にいた流石
もルクオンが倒れたのと時を同じくして倒れていた。
 この現象の原因は、現時点では何も手がかりはな
いのだが、後に彼らがいずれもプロジェクト<シル
マリリオン>においてのペルセウスミラー展開者の
ネイバーだということが判る。
 ルクオンたちが倒れたのは、9月12日午前4時
11分(サマータイム採用中)。それから38分と
20秒後、つまり4時50分頃、突然、夜空の星々
の一部が強く輝きだしたのである。
 これは小惑星帯がこれまで以上に強い光を浴びた
ことが原因で起った現象だ。つまり、小惑星帯は太
陽の増した光を浴びて輝いている。超新星化は始ま
ったのである。しかも地球の昼の側には、その光は
もう到達しているはずだ。月が出ていれば、第二の
太陽のように輝いただろう。
 そして、超新星化の瞬間、ペルセウスミラー展開
者たちが受けたものが、瞬時にしてルクオンたちへ
も伝わってしまったのである。

 アガスティア実験室には、太陽が超新星化したこ
とを知った研究者や協力者たちが集まっていた。か
ねてから、密かにアガスティアを中心として計画さ
れていたヴァンダーベッケンの転移を実行する時が
迫ったからだ。
 アガスティアリーダーのバレンシア・フォレスタ
ーは苦そうな顔をして周囲の人間に告げる。
「時間切れね。転移先の条件付けも確立されていな
いというのに、ぶっつけで始めなきゃならないのよ。
ひどい話ね」
「まさか予定日が早まっちゃうとは」
 と、ザムザリーダーの今岡形。形はさらに転移先
の交渉を担当していたアルバに訊ねる。
「それでどのネイバーリンクを活用するの? 陛下
にはお伝えした?」
「どこへ向かうのかも決まっていなかったから、陛
下へはお伝えしていないわ」
 そう言って肩をすくめるアルバ。無理もない、提
案の出ているだけでも水星周辺、冥王星周辺、そし
て、冥王星周辺にいる移民船<望月>の内部へ人員
だけの転移というものまであったのだ。いずれもネ
イバーリンクは出来上がり、先方に準備をさせてい
たというのに、相変わらずのウェブ網の不調で正式
な回答は出せずにいたのだ。
 グローリアスの心境を察した形は言う。
「そうね、まだ王子と再会していない王様にこれを
決断させるのは酷な話かもしれないものね」
 バレンシアは努めてドライに振舞いつつ、こう結
論を出す。
「迷っている暇はないわ。王様には事後承諾で行く
しかないし、今からすっ飛ばさないと、多分、全員
あの世行きだもの」
 不安気な表情をしている形たちにバレンシアは答
える。
「大丈夫。どっかのリンクで拾ってくれるわ、きっ
と。手配はしてあるんだし」
 こうしてバレンシアとアガスティアのメンバーた
ちは、周囲の空間情報をエングラムに吸収させ始め
たた。より大量に、そしてより精密にを心がけなが
らヴァンダーベッケンを構成する全てのものを取り
込むべく。

 同じ頃、グローリアスは既に目を覚ましていた。
超新星化の報せを伝えられたためである。
 素早く身だしなみを整えたグローリアスは、執務
室の椅子に腰掛けて呟く。
「ロージィ、どうやら君と僕が出会った場所はなく
なってしまうことになりそうだ。最後に、成長した
王子の姿を見ておきたかったなあ」
 グローリアスはリモコンでカーテンと窓を開けて
みるのだが、その時何かが違っていることに気づい
た。外が妙に暗いのだ。報せでは新たな天の川のご
とく、小惑星帯が輝いているという話なのに。そし
て、ヴァンダーベッケンが砕く波の音が全く届いて
は来ないのだ。いくら何でもこれはおかしい。
 グローリアスは何者かがとてつもないことを行な
っていると直感した。そして、王立総合研究所が消
滅した事故のことを思い出した。

 この時、ヴァンダーベッケンに存在する全ての物
質はエングラムに取り込まれ、取り込んでいるエン
グラムすらをも飲込み、情報世界において再構成さ
れていた。これまで王立総合研究所において、精神
のみをエングラムインターフェースから情報世界へ
送り込むという実験は幾度となく行なわれているが、
実体までをも送り込んだ経験はない。
 ヴァンダーベッケンの情報世界への転送に成功し
たことを確信したバレンシアたちは、当然喜んで見
せる。だが、喜びは一瞬にして終わりを告げること
となる。ザムザ実験室から事故の報せが入ったのだ。

 ザムザ実験室の簡易ベッドには、長年の希望を実
現させる第一段階としてスレッドLv3を水島正太郎
から施されて眠っているレモン・ライムと、スレッ
ドLv1を自分自身で掛けてからスピナーの効果で眠
っている張麗がそれぞれシーツを掛けられて横たわ
っていた。
 アガスティア実験室から戻った形は、プロジェク
ト管理を担当する因幡弥生から事情を聞く。
「あの、ライムさんはLv3の反動を除けば問題は
何もないんですけれど、麗さんが……」
 ちなみに、Lv3の反動とは、新陳代謝の異常活性
であるのだが、睡眠欲求で済まされるようなもので
はない。肉体を作り替えているのだ、その消耗は寿
命を削って行なわれているようで、眠っているレモ
ンの表情は、まるで悪夢を見ているように歪んでい
る。
「実際に張さんの姿を見てもらった方が早いですよ、
因幡さん」
 と、ミスト・ルシオーネ。
 形は緊張しながら、張麗が眠っているベッドへと
近付く。顔を見るかぎり特に変わったところはない。
だが、シーツに目を見ると不自然な形状で盛り上が
っていることに気づいた。
 形はシーツに手を掛ける。そして、ゆっくりとシ
ーツをめくると、そこには無数の手があった。張麗
の左手の1ヶ所から左手が生え、その左手の肘辺り
から無数の左腕が枝分かれして生えていたのである。
 声も出さずに驚いた形はゆっくりとシーツを張麗
の体に掛け直すと、メンバーたちに小声で訊ねた。
「……一体、これはどういうことなの?」
「ちょっとしたバナナの房のみたいでしょ?」
 これはチャッチー・アークの場を和ませようとし
た発言だが、少々不適切だったようだ。祀雪麗から
無言の抗議を受ける。
「……こりゃあ、失礼」
 ニイヤ・ドッペルゲンガーは自分なりの説明をし
てみる。
「彼女、自分に向けてスレッドを使っていましたよ
ね、どうもそれが原因のような気がします」
 志木琴菜は反論する。
「でも、麗さんが使用していたのはLv1よ。Lv1は
自分に使用出来ない」
「問題はレベルじゃなくて、自分に向けたというこ
とですよ。レベルが高くとも、後遺症こそ出ていま
すが、他人にスレッドを施してもらったDr.ライ
ムの体に異常は発生していないのですからね」
 ニイヤはこれだけ言ってから少し考え直す。
「でも、レベルも関係あるかもしれませんね」
「ともかく、幸いなのは彼女が今、眠っていてくれ
ていることです」
 正太郎は心からそう呟いた。
 その後、張麗をどう治療するかが話し合われたが、
本人が眠ったままの切断手術はあまりに酷いため、
とりあえず形はこんな結論を出しておく。
「情報世界から出てから考えましょう。こんな奇妙
な事故が起るような場所で、迂闊なことは出来ない
わ」

 一方、アガスティアでは、ザムザで起きたらしい
事故を気にしながらも、ヴァンダーベッケンを情報
世界へ引き込んだ者の責任として、今後の対応に頭
を悩ませていた。
「ところで、いつ転移先へ出られるんだろう?」
 大虎斑源八の誰もが抱いている疑問に、バレンシ
アは答えてみる。
「用意していたネイバーリンクに引っ掛かるか、人
の強い想いに引っ掛かるかまでよ。うーん、オカル
トね」
 バレンシシアは多分、後半の方は自分でも信じて
はいない。
 閂貞瑠は抱いている疑問をバレンシアにぶつけて
みる。
「それにしても、何の準備もなく情報世界に居続け
ていいのかな?」
「SDSの主任の話だと、エングラムインターフェ
ースの向こう側、つまりこの情報世界に時間の流れ
はない、とか言ってたから、こうして体感時間はか
れこれ1時間ほど経っているけれど、実際は1秒す
ら流れていないのかもしれないし、10万年流れて
いるのかもしれないわね」
「もしかすると、流れてすらいないのかもしれない
ぞ」
「じゃあ、『光あれ』とか言ってみたらいいじゃな
いの。この世界の宇宙が始まるかもよ」
 バレンシアが冗談まじりでそう言ったその時、小
石川虎美がこんなことを言い出す。
「いま外の景色、少し変わったんと違う? あたし
の見間違えなんかなあ?」
「何をばかな。そりゃあ、隣のビルを見間違えたん
だ」
 ゲオルグ・オスマイヤーが眉をひそめると、江陽
隆旭が虎美に同調する。
「おや、どうも小石川さんの言う通りのようだ。ほ
ら、どこかの山々が見えた」
「ほらみぃ、やっぱりそうやん」

 ヴァンダーベッケン側からは一切判らないことと
だが、太陽の超新星化が始まった直後、地球上では
ちょっとした騒ぎが起っていた(超新星化のことも
もちろん騒ぎになっているが、太陽はこの時、不安
定ながら奇跡的な均衡状態にある)。
 情報世界にあるはずのヴァンダーベッケンが、周
囲の海水ごと、半透明な状態で世界各地の上空に、
転移出現を繰り返していたのである。
 なお、その出現時間は不安定で、短いときは1分
未満、長い時には10分近く宙を漂っていた。
 しかし、情報世界にいるヴァンダーベッケン側の
人々にはそれがはっきりと理解できず、ただ単にど
こかの景色が現れて一瞬で元の味気ない情報世界に
戻っているとしか見えていない。

 各種研究室が移転した建物を目指すグローリアス。
彼は移動を続けるリムジンのシートに身をを沈めな
がら、ガラスの向こう側に見える街の様子を眺める。
 全体の風景は闇であったり、時には光であったり。
そして、絶対に見覚えのありそうな風景が淡く見え、
はっきりする前にまた闇へと戻る。常軌を逸した風
景で、同じものは船上の見慣れた街並だけ。この異
変に気づいた住民たちも目を覚まし、不安気に空で
あろう上を見上げている。
 さらに、街に混在する幻影の森へと注意を向ける
と、幻影から微小な胞子のようなものが拡散してい
るように見えた。その様子を見ていると、グローリ
アスはなんとなくだが、ヴァンダーベッケンの全て
が溶け始めているかのような気がしてならない。
そして、グローリアスに幻影の巨木の姿が目に入っ
た。
「すまないけれど、行き先を王立総合研究所跡に変
更してくれないか?」

 アガスティアの面々は、繰り返し現れる地球の風
景に疑問を感じていた。
 貞瑠はある仮説を立ててみる。
「エングラムによって吸収されたんだ。考えられる
要因といえば、エングラムによって排出されようと
していることに違いないさ」
「吸収するのがフォーサイトとして、排出するのは
何なのよ?」
 バレンシアが疑問を提示すると、源八は首を傾げ
ながら考えを言ってみる。。
「遺伝子情報をなぞり再生するスレッド……か? 
馬鹿な、なぜ絡んでくる」
「まとめて吸い込んだからな。そう考えるのが妥当
だろう。しかし、排出されきらない内に情報世界へ
戻っているようではあるな」
 とゲオルグ。
「もしかして、またエングラムに吸われてるんと違
うん?」
 虎美の何気ない仮説に隆旭は驚く。
「それが正しいのならば、ヴァンダーベッケンはル
ープし続けているのか? ネイバーリンクに引っ掛
からず?」
「……俺たちがやらかした転移って、実はネイバー
リンクとは関係ないかもしれないぞ。それだけにコ
ントロール条件が判っていないというのは、どうに
もキツイな」
 そう言って貞瑠は頭を抱えてしまった。

 王立総合研究所跡の前でリムジンから降りたグロ
ーリアスは、手のひらにエングラムを移して巨木の
幹へと手をあてる。
「これは、もしかすると……」
 グローリアスの頭の中にさまざまな映像が届く。
ヴァンダーベッケンを造船しようと決意して日に見
た星空。船長を説得した日の暖炉で燃える炎。黄金
色の海やエメラルド色の海。南極で見た巨大な氷山。
空へ昇る往還機から伸びる炎と煙。などなど。
 それは、ヴァンダーベッケンとグローリアスを巡
る記憶だった。

 その頃、ヴァンダーベッケン船上において異変が
発生していた。上層部構造体のアンテナ部分や無人
ビルの一部、そして甲板の縁各所が、原子分解を起
こしているかのように、粉々になり始めているので
ある。今のところ有機物の崩壊はないようだが、こ
の先は分からない。このまま崩壊が進めば、ヴァン
ダーベッケンはいずれ分裂して崩れて行くことは確
実である。
 当然、この様子はアガスティア実験室からも見え
ていた。
「ここで粉々になるのは御免だわ。まだ、太陽に飲
まれていない世界の方がマシよ。それにしてもまず
いわね、もしかすると情報化されて情報世界に出現
した際に、部分的に再構成しきれていなかったのか
もしれないわ。それとも情報世界に現実世界の物質
は存在しにくいとか?」
 バレンシアは仮説を出してみるが、問題の解決に
はなりにくい仮説だ。
「ともかく、このループから抜け出す手立ては何か
ないものでしょうかね? 例のネイバーリンクなん
かで……」
 不安気に言う隆旭に、貞瑠はきっぱりと答えてや
る。
「だからそれはダメなんだ。フォーサイトを利用し
た転移は、<ありえない転移>とはきっと別物だっ
たんだ」

 一方、増田直樹のいるブリッジにも船の部分崩壊
の知らせが、サドフォースの部下たちから直接知ら
される(ホビット、つまりウェブ通信が使えないた
め)。だが、その報告を聞いても勝手の分からない
この世界で打つべき手はなにもない。ただ、これだ
けしか言えない。
「冷静さを失うな」

 グローリアスは幻影の巨木の前で、巨木自身から
発せられる幻影を見ていた。
「どうか、お考えをお改め下さい」「私は先王とは
違うんだ」(おや、私自身の記憶だ。……武器を全
て破棄しようとした時だ)/「あなたは自分勝手で
無責任な人だ」「無責任で結構よ、私に後悔はない
もの」(ロージィと初めて会った時の……)/「や
っとまた会えたね」「何しに来たのよ、……バカ」
(これは隠れて宇宙へ出ていた時だ)《父上…》
(ん?)/「相変わらずだね、ロージィ」「私はい
つだって折れることはないわ。たぶん、ずっとね」/
「背伸びなんてしなくていいのよ、グローリアス」
「そんなことはしていないさ」《父上!》(この感
覚は?)/「君に似ないで、お淑やかな娘になって
くれて良かった」「あら、だったら私に似ているっ
てことじゃないの?」(こんな記憶はありえないは
ず?)/「ジュニア、よく聞いてほしい。彼女が新
しい君の母親だよ」(……もっとありえない記憶だ。
超新星化は?)/「君が選べッ!」「相変わらず、
強くない人」《父上、僕はここにいます!!》
『私のために泣かないで、グローリアス。涙に曇っ
た目には真実は映せないのよ……』
《父上、僕はここにいるのですッ!》
(ジュニア……君なのかい?)
《そうです、僕です》
 この瞬間、グローリアスの頭の中に、満天の星空
をバックに乳飲み子を抱く聖母の映像が浮かび上が
る。それは、グローリアスがヴァンダーベッケンに
抱いていたローズとジュニアのイメージ。グローリ
アスと彼のジュニアの意識がつながった瞬間であっ
た。

 ウォルビス・ベイ沖で消失したヴァンダーベッケ
ンは、グローリアス1世と彼の子どもであるグロー
リアス2世の意識がつながり合った瞬間、2世がい
るカラハリ砂漠上空に出現した。2世たちによって
ヴァンダーベッケンは現実世界へと引き寄せられた
のである。
 ヴァンダーベッンにいるグローリアスとネイバー
の祀里花がマギー・コアロッホにヴァンダーベッケ
ンが情報世界で漂流していることを知らせ、マギー
がサヤ・スターリットに伝え、そしてサヤと2世が
エングラム接触したことにより、グローリアスと2
世の気持ちがつながったおかげなのだ。

 アガスティア実験室において、ループからの脱出
法を論じ合っていたバレンシアたちは、窓の外のか
ら強い日差しが差してきたことで、外の景色が安定
していることに気づいた。景色はまだぼやけている
が、これまでのように一瞬で変化しないのだ。
 虎美が窓に張りついて首を傾げている。
「あれ、超新星化はどうなってるん?」
 まだ虎美は知らないが、太陽は不安定ながら小康
状態にある。ただし、20日以内に再び超新星化を
始めることは確実であるようだ。

 ヴァンダーベッケンが徐々に実体化しつつ降下す
る中、その周囲に存在していた何万トンもの海水が、
実体化したものから雨のように落ちて行く。
 落下する水滴はその数と共に大きさを増し、最後
にはスコールのように砂漠へと落ちた。真下にあっ
た砂山をあっという間に押し流し、ヴァンダーベッ
ケンが丸々入るような巨大なクレーターをつくり上
げてくれた。
 隠しブリッジにいる船長は、隠し滑走路を開き始
める。で船幅を広げることで、ヴァンターベッケン
の着地後の安定性を高めるためだ。
 海水に続いて実体化しつつあるヴァンターベッケ
ンは、このクレーターに納まった瞬間、ついに実体
化を果たしたのである。もちろん、安定性も十分だ
った。
 ついに実体化したウァンダーベッケンだが、これ
まで出現していた幻影の植物や森は、部分的に拡大
する形で残り続けていた。
 そして、情報世界中で崩壊した部分からも植物の
幻影が茂っている。上層部に位置するビルには蔦が
巻き付き、タワーの代わりに幹の細い木が生える。
さらに、溶けたように崩壊した船縁の部分からは蔓
が生え、側面部分に垂れ下っていた。

 ザムザ実験室において、新陳代謝異常を起こして
いた張麗の左腕は、ヴァンダーベッケンが現実世界
へ帰還した途端に異常部分が消滅したことで解決を
みた。情報世界で発生した無数の左腕は、情報世界
の創造物として現実世界へ持ち込めなかったのであ
る。
 新陳代謝異常の原因は、空間内に正しい時間の流
れが存在しない情報世界において、エングラムが一
時的に異常活性を起こしたことにある。しかし本当
の原因は、張麗が自分にスレッドLv1を掛けてスピ
ナーで眠ってしまったことが本当の原因で、本来な
らば機能し損なっても無害なスレッドLv1の効力が、
エングラムの異常活性により機能し始めたためだっ
たのである。
 また、本当に自分へ向けてスレッドLv3を使おう
ものなら、意識と肉体が作用しあうため、今回のよ
うに新陳代謝変異を起こしてしまうのである。スレ
ッドの開発素材の中に、常人の精神では扱うことの
出来ない、セブン・デイズ・システムが含まれてい
ることを忘れてはならない。

 ヴァンダーベッケンが実体化を続けている間に、
船内港まで降りたグローリアスは、そこでジープに
乗ろうとすると、吉野涼子とウーノ・ラングレーが
運転手とグローリアスの警護をするといって同行を
希望する。彼女たちはグローリアスと2世の再会を
見届けたかったのである。あいにく、精神的な再会
は果たしてしまっているのだが。
 グローリアスは同行を許可して、これまで同行し
てくれていた近衛兵の代わりに、2人をジープに乗
せた。
 ヴァンダーベッケンに比べると、2世たちが乗っ
ていた船は比較にならないくらい小さく、その発見
にてこずると思われていたが、ネイバーリンクのお
かげで大体の位置は判っていた。
 クレーターと化した砂のなだらかな壁をジープで
迷いなく駆け上がると、そこには2世が乗ってきた
船と、2世自身が宇宙で得た仲間と共に、手を振り
待っていたのである。
 そして、ジープから降りたグローリアスは、久し
く間近で見ていなかった2世に、まだ言っていない
第一声を父親として言う。
「おかえり」
 そして、少し照れながらあいさつを返す2世に対
し、グローリアスはいつもの調子に戻る。
「しばらく見ないうちに、ロージィに似てきたね、
うん」

 グローリアスがわが子と再会している間、ヴァン
ダーベッケンに乗船している一部の研究者や乗員の
エングラムに、新たな技能らしきものが書き込まれ
ていた。
 それは、幻影の種を創り出する技能で、その種か
ら出てきた芽は、成長の度合いと共に周辺の物質を
情報化し、情報世界で保存する能力をもっているの
だった。

 太陽は狂ったように激しく輝いている。
 地球に縛られている者たちに、何か手は残されて
いるのだろうか?

            (TO BE CONTINUED !!)
―――――――――――――――――――――――
《お知らせ》
○太陽系崩壊まであと20日以内。

■重要遭遇者一覧
《09120》地球:ヴァンダーベッケン
○宇宙開発機構軍総司令/増田直樹(3046-02)/RA.09120
○<ありえない転移>じゃない転移/
バレンシア・フォレスター(0938-02)/RA.09120
○色々やってる<ザムザ>/今岡形(0642-01)/RA.09120

《09130》地球:カラハリ砂漠→ヴァンダーベッケン
○南半球連合から王子を逃亡させる/スカーレット(00531-02)
/RA.09130
○海賊の移動手段を奪う!/ニディ・プラスニー(00549-01)
/RA.09130
○「あり得ない移動」で親子の再会を提案
/もへんじょ太郎(00998-01)/RA.09130
《09170》水星:ラウル艦隊
○機構軍独立第二遊撃軍パンデモニアム指揮官
/ジュダス=ベトライアー(00377-01)/RA.09170
○ラウルを情報世界に送る/中山りり奈(01632-01)
/RA.09170
○ラウルを仕留めた!/新堂賢一(03473-01)/RA.09170

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