■No.10110「すべてを包み訪れるもの」
GM:星空めてお 担当マスター:桜井光
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《あらすじ》 水星圏へと到達したハンプティ・ダ
ンプティ基地を、機構軍艦隊が襲う。機構軍優勢の
状況から、直衛艦隊は幾度かの両基地揚陸を許して
しまう。だが、保安メンバーの働きにより揚陸部隊
は阻止される。
やがて、α基地にとりついていたリヴァイアサン
が暴走、敵味方なく周囲の宇宙船を破壊していく。
その被害はグワイヒアにまで及んだが、クローン少
女タウが身を挺し、リヴァイアサンと融合、支配を
行ったことで危機は免れる。その後、小惑星帯SG
の参戦、機構軍反物質船ブリシンガメンの離反、そ
れらが功を奏してフェデレーションは機構軍に勝利
することができた。
そして太陽は超新星化を開始する。タウ=リヴァ
イアサンは『シルマリリオン』の力となるために光
に消えた。しかし、太陽はすべての努力を嘲笑う。
超新星化は止まったが、それは一時の猶予でしかな
かった。
三週間後、太陽は再び超新星化を開始する。
太陽の一時的膨張から十日。
バルカン=水星間に位置を固定したハンプティ基
地には、これまでにない量の人員が収納されていた。
プロジェクト『ビーム・アス・ホーム』を中心とし
た旧セレス基地のメンバーや小惑星帯SGの人員が
ステーションの車輪部分、つまり居住区に入ってい
る。SGには第二管制室、『ビーム・アス・ホーム』
には第三管制室を貸与している。方向性の異なるプ
ロジェクトや任務を持つメンバーを、それぞれに統
括するためだ。
従来のハンプティ基地メンバーは、中央管制室を
使用している。機構軍の揚陸で破壊された旧メイン
ブリッジからは、すでに大部分の機器が持ち出され
ていた。
がらんとした旧メインブリッジには、今、大小ふ
たつの人影があった。
「なあ、どうしてこんな所にいるんだ」
背の高い人影、アーク・フォーチュンはもうひと
つの人影へたずねた。アークは自分の手に慣れた操
縦桿を取り外して持っていくつもりでここに入って
きたのだ。そうしたら、誰かがいた。
小さな影はポニーテールを揺らしつつ、幼い声で
不機嫌そうに応える。
「うるさい、タコ」
影は、立蔵ちなみはじっとひとつだけ電源のつい
たモニターを見つめていた。その小さなモニターに
は、現在の基地の状況が映し出されていた。
基地のすぐ近くの宙域には、小惑星帯SGが二週
間前の決戦で用いた急造移動要塞がある。要塞は現
在ハンプティ基地からアヴァターラと人員を送られ、
改修作業中である。やがて外宇宙移民船『オメテク
ートリ』となる予定だ。
そして、β基地。
その外観は以前と少し変わっていた。
車輪型ステーションであるβ基地の中心から伸び
たいくつものアームの先にジョイントが取り付けら
れ、小シルマリル外殻を連結させている。基地や宇
宙船の補修の合間を縫い、整備主任のジョージ・ラ
イオネルが瀬田リーダーの許可を取って工事を行っ
たのだ。
「あれが、タウとシルマリルの残りカスか」ぽつり
とちなみは呟く。「小さいな」
「見た目はな」
アークもモニターを見つめる。
しばらくの沈黙。
「……生まれて数年って、早すぎるよ。短すぎるよ」
「そうだな」
アークはちなみの横顔を見た。頬が濡れている。
泣いているのだ。
「俺様より若いタウが、あそこまでやったんだ。絶
対、あきらるもんか。これで終わりなんてことに、
させるもんか───」
言葉を止める。自分が泣いているのに気付いたの
だ。ちなみはごしごしと顔を拭い、顔を赤くしてぷ
いと顔を背けた。
背けた先でぴたりと固まる。
「───」
何かを呟く。
視線の先には黒いものがあった。
ちなみの目は、通信席に散ったどす黒い血の染み
を捉えていた。
@ @ @
超新星化は近い。
あと十日程度で、太陽は再び牙を剥く。
それまでに、決定的な何かをしなくてはならない
のだ。各地では対超新星化のプロジェクトやWGが
急ぎ進められていた。 β基地中央管制室では居住
区の各ブロック、各管制室の統制を行いつつ、残り
少ない反物質の分配計画が進められている。
『……以上の理由により、アヴァターラを貸与して
欲しいとのことです』
「うむ」
椅子に座ったまま、瀬田はモニター上のアヤナ・
マツナガへと頷いた。瀬田付きの秘書であるアヤナ
は現在、事務室で各種プロジェクトに対する事務手
続きを行っている。
「ミスランディアから話は来ているからの。分かっ
た。許可じゃ」
『はい。次は、木星アカデミーのWGから反物質燃
料使用の申請です。今、そのWGのメンバーの方が
来ていらっしゃいますので、お代わりします』
アヤナに代わってモニターに現れたのは、十代後
半の少年だった。スマートな、かなりの美形だ。
『WGパームナッツのメンバー、イーサ・綺羅・ス
ターウォーカーです。木星アカデミーから来ました。
転移実験により、一週間ほど後に、こちらへリヴァ
イアサン=シャークが<転移>します』
リヴァイアサンと聞いて、正式な通信士として働
き始めた公星・J・ガリアンが嫌な顔をする。リヴ
ァイアサンに関しては、木星圏で仲間の一人を失い、
ここ水星ではタウを失った。基地メンバーにとって、
リヴァイアサンの名は、少なからず不快なものとな
っていた。
「リヴァイアサンですか」
「そう無闇やたらと嫌うな」瀬田はひらひらと手を
振る。「あれとこれとは別物じゃ、思考をもっと柔
軟に持て。ああ、すまんなイーサ君、続けてくれ」
『は、はい。その……シャークがこちらへ来た際に、
燃料として反物質をいくらか分けて頂きたいのです』
「ではひとつ聞かせて欲しい。シャークの運用目的
は?」
公星にはああ言ったが、瀬田も気持ちとしてはリ
ヴァイアサンを個々と見れず、どうしても全体とし
て見てしまう。シャークの運用が超新星化に関する
以外の目的の場合は、燃料の補給は拒否するつもり
でいた。
『移民のための、こじし座への<転移>です』
「了解した」
内心で息を吐き、短く頷く。
反物質燃料は確かに用意しておく、と続け、瀬田
は通信を切った。
短く息を吸う。そして、公星に何かを言おうと、
「んふふふふふふふ」
突然、抱きついてきた影。杏菜・ボリックだ。半
月ほど前から、何かというと杏菜は瀬田に張り付い
ている。自分からでなく向こうからというのは好み
ではないらしく、瀬田は嫌がっているのだが
「な、なんじゃ」
「瀬田ちゃん、今誰か女の子と話してましたわね」
「???」
勘違いしている。
勘違いしているのだ。たぶん、イーサを女の子と
見間違えたのだろう。
「さすが師匠、深く愛されてますね」
笑いながらうんうんと公星が頷く。それを見て、
大変な姿勢で抱きつかれたまま、瀬田はおおと目を
丸くした。
「久しぶりに笑ったな、若造。もう悩みは吹っ切れ
たか?」
公星はここ一ヶ月以上、どうしてかふさぎ込んで
いた。だが今確かに、彼は笑っていた。
「いえ」公星は首を振る。だが表情は暗くない。「
悩みは持ってます。ですが、僕は信じて生きること
を誓ったんです。なんとかして、強い心を持とうと
してる最中ですよ」
「そこまで考えておれば、充分じゃよ」
もう一度、瀬田はにやりと笑った。そして視線を、
自分に抱きついたままの杏菜に戻す。
「そろそろ……離れんか?」
「んふふふ、駄目ですわ。瀬田ちゃん、すごくクー
ルだから、やっぱり好きです。わたしと瀬田ちゃん
は離れられない運命なのです」
上気した頬を杏菜は瀬田の腕に押しつける。
瀬田は諦めの表情で息を吐いた。杏菜はこれまで
の彼女の行動の例に漏れず、既に酒を飲んでいる。
酔っぱらいをまともに相手する自信は、さすがの瀬
田にもなかった。
「瀬田リーダー」
基地移動に引き続きいて管制官として働いている
アンナ・シャルンホルストが、瀬田を呼んだ。首は
がっちり固められているので、視線だけで瀬田はア
ンナへ向いた。
「なんじゃ」
「基地外防衛で周辺宙域を回っている船への管制も
あるので、コンピューターのオペレーティングにま
で手が回らないんです。そろそろ、煌さんに戻って
きて欲しいのですが」
「ううむ、そうか。公星」
繋ぎます、との公星の声と共に、メインコンピュ
ータールームに回線が通る。
モニターのひとつに、コンピューター・オペレー
ターの煌・ティフェレトが映し出された。
明るい声が管制室に響く。
『はい、こちらティフェレトです』
「瀬田じゃ。そちらの進み具合はどうじゃ?」
そちらとは、ハンプティ基地をこじし座20番星
へ<転移>させようというWG『マーチラビット』の
ことである。基地について最もよく認識しているで
あろう瀬田を<転移>の基点として、彼のネイバーリ
ンクを使って飛ぶという計画を進めている。時間が
許す限り、ぎりぎりまで反物質を各地に供給し、ペ
ルセウスミラー崩壊予定日より早く、<転移>を行う
のだ。
太陽超新星化を指をくわえて見守っているわけに
はいかないとして、瀬田はこのWGに対して全面協
力を行っていた。大小数々のプロジェクトがある中、
このWGが瀬田と直接に接触できたのは、ひとえに
秘書のアヤナの手腕によるものだ。
『順調ではあるんですが』煌の声が少し曇る。『…
…はじめに提案されていた方法の、情報量過多によ
る情報世界への<転移>から、エヴァグリーン技能の
使用による<転移>を検討中なので、今進めている計
画通りになるかは、不明です』
煌は現在『マーチラビット』に参加し、オペレー
ターの業務と併せて働いている。
「何時頃こちらに戻れそう?」
アンナが訊く。
「え、ええと、すみません。前回の戦闘でお休みし
たばっかりなのにその───」
ごめんなさい今日は戻れそうにないんです、との
煌の言葉に、アンナは脱力して肩を落とした。
『やっほ、瀬田。元気?』
煌の後ろから顔を出したのは、『マーチラビット』
の年若きリーダー、ミント・エレクトリアだ。赤毛
のシャギーが軽やかに揺れている。
「元気かどうかは、見て分かれ」
低く呟く瀬田には、まだ杏菜がくっついている。
『あはは! 随分モテてるねェ?』
「うるさい。ところで、そちらにアークはおるか?」
基地移動の際の操舵士であるアーク・フォーチュ
ンは、『マーチラビット』のメンバーとなっていた。
煌と同じように、管制室との二足のわらじだ。
『いないけど、どうかした?』
「いやこちらにおらんのでな、そっちに行ったのか
と。この娘を剥がして貰おうと思ったんじゃが」
言って、視線を杏菜へ移す。
「んふふふふ。剥がすだなんて瀬田ちゃん、照れな
くてもいいですのに」
「……」
瀬田は沈黙する。
小惑星帯SGの若き女性ストラテゴ、セリュース・
クレッチマーとラピッド・リバーに会いに第二管制
室へ行こうとした時も。
セレスから来たオリジナル・フェイドラを見に第
三管制室へ行こうとした時も。
両方とも杏菜に邪魔された。結局、まだ通信でし
か見ていないし話していないのだ。 恨めしい……
との無言の視線を杏菜へ注ぐ。
「いやん、瀬田ちゃんたら視線が熱いン」
「……」
がく、と肩の力を落とす。
(あの女性に関しては特に何をしている訳でもなさ
そうなのに、あんなにも深く愛されているなんて)
さすがです師匠、と公星は小さく呟いて純粋な感
動のそれを瀬田へと注いだ。
視線を。
@ @ @ 注がれる
視線。
じいっと、ニーファン・祀は励起させた己のエン
グラムを見つめていた。
プロジェクト『パランティア』のリーダーであり、
また自分の母でもあるハンナ・祀がプロジェクトの
所有する研究室へ戻ってきた時も、ニーファンはエ
ングラムを見ていた。
「ただいま───ど、どうしたの?」
娘の様子に驚くハンナを、ニーファンの隣に座っ
たモニカ・シュナイダーが、静かにして下さいと告
げる。
(何をしてるの?)
小さな声で尋ねる。
(パランティアによるパケットを自動展開させるた
めに……今、自分のエングラムでそのプログラムを
認識させているところ、らしいんですが)
(ふむ)
ハンナは小さく息を吐き、娘の頭をぱんと叩いた。
「わ!?」ニーファンは驚いて振り返った「か、母さ
ん! 何を」
「はい、息を抜く。駄目よニーファン、今のところ
の理論では自動展開は不可能だし、何よりやっては
いけないわ。悪意ある情報までも勝手に開いてしま
ったら、どうするの?」
母の言葉に、ニーファンは眉をしかめた。
「情報そのものに善も悪もありませんわ。受け取る
者に物事を正常に認識する判断力があれば、その情
報を発した者の意図を読みとることぐらい可能なん
ですから。情報を確認した上で、取捨選択すればい
いのでしょう」
「違うわよ。それは違う」ハンナは困ったような表
情でほほえんだ。そして続ける。「素性の分からな
い情報を遮断しろ、とは言い切れないけれどね。悪
意はね、本来とても強いものなの。ニーファンが思
うよりも簡単に人は傷ついてしまうわ。それを誘発
するようなことは可能な限り避けないと」
「そんな───」
「待って、ニーファン」
反論しようとしたニーファンを、モニカが制した。
「ハンナさんはビーム・アス・ホームへ実験協力し
てきたばかりなんですよ。疲れているんだから、休
ませてあげないと」
ぶつぶつと小さく呟きながら、ニーファンは肩を
すくめた。見れば、確かにハンナの表情には色濃い
疲労が見える。
彼女たちプロジェクト『パランティア』は、技能
の作成に成功したがまだ解散には至っていなかった。
さらなる技能強化と、各プロジェクトへの協力がそ
の理由だ。
「いえモニカ、あたしはいいのよ。それより彼の調
子は?」
「まだ部屋で休んでます。ドクターの話では、リヴ
ァイアサンの時に随分無理をしたから、しばらくは
動かない方がいいって」
「そう。人数的には辛いわね」
「人数って……母さん、また何か新しいプロジェク
トかWGに協力するんですの?」
ニーファンの言葉にハンナは頷いた。
「バルツィバルのメンバーが、あの子を……タウを
情報世界サイドから再生しようとしているらしいの。
情報世界へのアクセス方法がはっきりとしていない
ようだから、もしかしたら私たちに協力が要請が来
るかも」
「死者再生!?」ニーファンが思わず素っ頓狂な声を
出す。「因果力のはっきりした影響も分からないの
に、そんなことをしようと言うんですか? それこ
そ、間違ったこと───」
「そうね、私もそう思う。でも、彼らには彼らの考
えがあるはずよ。それを聞いてから、判断しましょ
う」
@ @ @
数日後。
『家』ではハルカ・P・ウェイランドがぱたぱた
と動き回っていた。忙しそうなハルカを、アルファ
達が不思議そうに眺めている。
死んだひとたちの事は忘れられない。勿論、タウ
も。忘れられないからハルカは動き回っているのだ。
「なあ、ハルカは何をやっているんだ?」
立蔵ちなみの言葉に、クローン達の『母』役を務
めるフィリア・セラフィールドはホビットから顔を
上げた。
「ん? ハルカさん? ああ、今ね、お誕生日会の
準備をしてるの」
「誕生日って、フィリアのか」
「違うわよ」
言って、にこにこと笑う。9月15日でフィリア
は二十歳の誕生日を迎えていた。
「超新星化がおさまって、治療も成功したら、その
日をあの子達の誕生日にしてあげようって」
「ふうん。で、フィリアは何をやってるんだ?」
言って、ちなみはフィリアの周りにちらばった光
メモリカードの山を見た。
「超新星化阻止に何かできないかと思ってね……マ
ルチウェブの番組枠を取ってもらって、地球の人達
に意思の統一をうながそうかと思うの。つまり、各
プロジェクトに必要なネイバーリンク、活性率の確
保ね。同じような事をやっている人はたくさんいる
けど、ひとりでも多くやったほうが成果は確実だろ
うから」
「ふうん」
ちなみが、納得したのかそれともまだ疑問を持っ
ているのか分からない感じで頭を動かす。同時に、
『家』の外で警備を行っている双四葉から通信が入
った。
『バルツィバルから、スクゥード・ソウン君とリー
ジュ・クロウウェル君が来ておるが。お通ししてよ
ろしいかな』
結構です、とのフィリアの言葉の後、ドアが開い
た。途端、リージュを見たアルファが、そしてスク
ゥードを見たツェータが、ぱーっと表情を明るくす
る。ミューは「ほぁ」とあくびをした。
「スクゥードさん、何か?」
「ああ。バルツィバルの方針が決定したんで、その
報告に。例のタウ再生だが」一旦言葉を切り、続け
る。「タウは太陽に取り込まれて、情報世界へ転移
したと仮定して行う。エヴァグリーン技能の安全性
が保証されてないから、パランティアを用いた情報
過多による<転移>で俺が飛んで、タウの情報を探す
ことになった。プロジェクト・パランティアの人間
にも手伝って貰おうと思う」
「え」
フィリアは一瞬、言葉を失った。
「情報世界へ、飛ぶんですか」
「ああ。大丈夫、名称不明技能があるんだ。ちょっ
とやそっとじゃやられないさ」
「でも」フィリアは眉根を寄せる。「無理はしない
で下さいよ。この上にあなたまで失ったら」
言って、ツェータのほうを見る。
クローンの姉妹達はタウの死を知っている。だが
はっきりとした認識はできていないらしい。事実と
しての死と、認識としての死が、まだ一致しないの
だろう。たまに、タウがいないことに疑問を抱いて
フィリアに訊いてくるのだ。
『タウ、どこにいる?』と。
寂しい。その感情を露わにして。
「大丈夫だよ。ところで、あの小僧はどうしてる」
「ミキハラ君のこと?」
「ああ」
ミキハラ。
機構軍揚陸の際、『家』を襲撃した真・造酒原の
事だ。危険なナノマシーンの保持者など本来ならば
早々に引き渡すところだが、ヘッドを失った機構軍
は未だ統制が取れていないため、捕虜問題に着手で
きていない。よって、真は現在、隔離区画で監禁中
である。
「ドクターの話では、解離性同一障碍らしいんです。
捕虜になってからはずっと、聞き分けのいい子なん
ですけど。いつ凶暴な人格が出てくるか、分からな
いって」
ゆえに、警備は強固なものとなっている。デボラ・
フォン・ケーニッヒなどはパワードスーツを使用し
て警備にあたっている。
「多重人格って本当にいるんですね」
リージュが難しそうな顔で言う。
そんなの全部演技に決まってる、多重人格なんて
この世にあるもんか、とぼそぼそとちなみが呟いた
が、誰も聞こえていなかったようだ。
「スクゥードさん、それで───酒神くんの様子は」
「了か」スクゥードは表情を暗くさせた。「良くな
いな」
愛する者を、タウを失った酒神は、かなりのショ
ックを受けていた。『バルツィバル』としての活動
以外に、滅多に外には出てこない。
「フィリアさんからも、何か言ってあげてください」
「そうだな。頼む」
リージュの言葉に頷き、スクゥードはホビットを
操作し、酒神の個室へコールをかける。
小さなモニターに回線接続状況が表示される。
コール中。
コール中。
「部屋にいるんですか?」
「ああ。そのはずだが」スクゥードは小さく息を吐
いた。「やはり、出ないか」
電子音が、暗闇に響く。
通信の着信を伝える、ホビットのコール音だ。発
信元はスクゥード・ソウン。
酒神了は、明かりのない自室にいた。暗闇の中で
椅子に座っている。その手の中には、無許可で所持
している光学拳銃があった。
やがてコール音が途切れた。
そして、再びの着信。今度はコールがない。強制
通信だ。
モニターに現れたのは、青海崎恭一郎だった。
『聞こえるか酒神』
ホビットのカメラ機能は閉じている。向こうから
こちらの様子は見えない。
『いいか、何度でも言うぞ。お前は自分からあいつ
を手放したんだ。それを』青海崎の口調はいつもと
変わりなく、強い。『どうケジメをつける気だ?
せいぜい、俺は見物させてもらうぞ』
そこまで言うと、通信は向こうから切れた。
しばらくの間、酒神は黙ってホビットを見ていた。
そして、拳銃を向けて引き金を引く。
ホビットには、黒い穴が空いた。
@ @ @
澄んだ大きな瞳が四つ、ホビットのディスプレイ
の向こうからこちらを覗いていた。
倉橋慶彦は少し驚いて後ずさった。
「ははは。やはり、驚きますか」
「ああ。さすがに、顔が同じってのはやはり」
振り返り、倉橋は笑い声の主を見る。
山下博士。この『プロテウス』のサイバネティク
ス・ラボの雰囲気が妙に似合っている。機構のクロ
ーン科学者であり、ハンプティ基地への揚陸作戦で
はクローン部隊の司令官を務めた男だ。
彼は自らの部下であるクローン部隊『アルテミス・
ドール』にも、ハンプティ基地で続けられている延
命研究を受けさせてやりたいと願い、機構からフェ
デレーションへと身を転じたのである。山下の持つ、
イコール、機構の有するナノマシーン技術の提供は
『プロテウス』の研究に大きなプラスとなっていた。
状況から急ぎ実用する事になった常人用の医療用ナ
ノマシーンの最大の問題点、つまり安全性も、山下
の持ってきたデータの裏付けのお陰で、実用に至っ
ていた。
「アイン、ツヴァイ。そちらの調子はどうだい」
『アイン。オールグリーン』
『ツヴァイも、すべてせいじょうです』
ホビットの向こう、AIシステムルームで、アル
ファ達と同じ顔が応える。その口調は数ヶ月前の彼
女たちとそっくりだ。多少、アイン達のほうが無機
的だが。
かつてのタウ達と同様、アイ・コンタクト技術を
用いて『アルテミス・ドール』のクローン達はAI
の補正を受けていた。現在は実験的に二体のクロー
ンだけがハンプティ基地にいるが、ここでの研究成
果を受けていずれ、L4コロニーに残るクローン達
にも調整や延命治療が行われる予定だ。
「正直、彼女たちを見ていると変な感じがするわね。
まるで、デジャ・ヴみたい」
『プロテウス』リーダー、シアン・K・カリウム
は肩をすくめた。
それと同時に、コンピュータールームの扉が開き、
クリフォード・ラムズが現れる。
「延命用ナノマシーンへのパーソナルデータ打ち込
み最終段階まで終了した。引き続き、彼女たちの部
分クローンへ投与を続けよう」
「うん。万事順調ね」
「そうだな。“プロテウス”もうまく使われてるよ
うだし」
クリフォードの言っているのは自分たちWGの事
ではない。
医療用ナノマシーン“プロテウス”。
タウの遺したナノマシーンをWG『プロテウス』
が調整して製作した医療用のナノマシーン。アルフ
ァ達の延命治療の前段階として作られたものだが、
その驚異的な修復能力は目を見張るものがある。
だが、欠点もある。修復能力は非常に高いが、多
量のエネルギーを消費する。患者の体が弱っていれ
ば、多大な疲労による衰弱死もあり得るのだ。よっ
て、従来の医療行為では命の危険のある者にのみ、
ナノマシーンは投与されていた。
「ふう」
ソファに座り、クリフォードは大きく息を吸い、
吐いた。
「クリフ、疲れた?」
「多少は」シアンへ振り向き、続ける。「だが達成
感が勝ってる。このまま行こう。ここまできてあせ
る必要はない、このまま行けるさ」
毅然と言って、クリフォードはにっこりと笑った。
その顔を見て、シアンは何となく元気が出た。くじ
けない人間がいる。
それは純粋に、嬉しい。
「そうですね」
倉橋は頷いた。
決心していた。倉橋は決めていた。最後まで、ナ
ノマシーンの研究を続けると。最後のひとりになっ
ても、自分のできることをやるまでだと、倉橋は考
えていた。
「最後まで。最後の瞬間まで、がんばりましょうね、
絶対。アルファ達も救ってあげましょう。遺してく
れた、タウのためにも」
シアンは思う。
せめて、せめてアルファ達やL4コロニーのクロ
ーン達は助けてやりたいと。タウを救えなかった事
への、せめてもの罪滅ぼしに。
そしてふと、シアンは気付いた。
「クリフ?」
かすかに、
かすかに。クリフォードの脚は震えていた。
@ @ @
さらに数日。
地球日付にして9月27日。
アヤナ・マツナガは公星を連れ、瀬田の事務室へ
入った。公星はその瞬間、空気が凍ったと思った。
実際、少なくとも鳥肌は立った。
「んふふふふ」
どこかで聞いた笑み。
椅子に座った瀬田に、例の如く酔っぱらった杏菜
が張り付いていた。
公星はおそるおそるアヤナの表情を伺った。変わ
らない。いつもと何も変わらない。
(おや?)
「各プロジェクトの概要と、こちらの協力体制をす
べてデータ化してそれぞれプロジェクトの段階ごと
に光メモリカードに保存しておきました」
淡々と述べ、アヤナは公星を促す。
公星は両手で抱えた箱を瀬田の机に置いた。一寸
の隙間なく、箱には光メモリカードが詰まっている。
「うむ。ご、ごくろう」
瀬田は杏菜の向こうから苦しそうに声を出した。
実は嫌がっていないんじゃないか、と公星はだん
だん思い始めていた。
ともかく用は済んだし管制室へ戻りますと、公星
が言おうとした時、
「公星様」
短くアンナが言った。
「私は瀬田リーダーとお話がありますので、先に杏
菜様と一緒に戻っていて下さい」
「は、はい」
それはつまり、杏菜を引き剥がして連れて行けと
いう事なのだろうか。一瞬、ためらったが、公星は
考えを実行に移した。
しばらくどたばたして色々な所を殴られたが、数
分後には、公星は見事に杏菜を連れ出すことに成功
していた。
中央管制室───
公星が戻ると、管制官のアンナが防衛チーム『ジ
ェリコ』の管制を行っていた。『ジェリコ』とは基
地内外の防衛を任としたチームだ。
「どうですか、何か異常は」
「あ、公星さん。ええ、走査には今のところ何も捉
えられていません。ただ」
「ただ?」
通信席について、公星は振り返る。
「ただ、小惑星帯SGのほうで、数機の宇宙船があ
った筈のデブリの消失を確認したと」
「デ、デブリ? それは……その人達の勘違いじゃ
ないんですか? あ、いや、計測情報の読み間違い
という意味ですけど」
「そうだとは思うんですが」
アンナは首を傾げた。
何故か、妙に気になっていたのだ。半分実体化し
た不安が、脊髄と脳の間を漂っているような。
そんな感じがした。
@ @ @
翌日、28日。
鳴門サブローはHD1一号機で宙域を飛行してい
た。予想された機構残党の襲撃はなく、テロの船も
見あたらない。船籍が機構に属した船が来ることも
あったが、それらはすべてビーム・アス・ホームへ
の協力者だった。
「ここ半年で、かなり働かなきゃならなかったが」
鳴門はひとりごちる。
元々、カイパーベルトに漂うハンプティ基地にお
いて、パイロット達の任務はあまり多くはなかった。
たまに海賊が来る程度で、大規模な攻撃などもほと
んどなかった。
特定の敵を想定しない警戒飛行。
それを今やっていることで、鳴門は妙な感覚を覚
えていた。まるで、もう何もかも元に戻ったかのよ
うな───
だが違う。
危機は依然として存在し、滅亡はすぐ目の前に姿
を見せている。
(だが、俺は逃げない)まだらに染まった太陽を、
鳴門はモニター越しに見る。(俺がこの土壇場でも
パイロットを続けてるのは、守るためだ。あの子に
とっての希望はきっと、ハンプティ基地の皆だった)
だから最後まで守り続けるんだ、と鳴門は決意し
ている。自分たちを守ってくれたタウのために。
ふと、鳴門はエングラムに違和感を感じた。
「何だ?」
エングラムは勝手に励起していた。
ぞくり、と背筋に嫌な感触が生まれる。次の瞬間、
鳴門は操縦桿の安全装置を外し、トリガーに指をか
けていた。
《何だ? この感覚は、一体!?》
「いいか、解離性なんたらだか知らないが、お前は
自分のした事に責任を取るべきなんだ。信念も理性
もなく、意味もなく、オレ達の仲間を殺しやがった
んだぞお前は」
言葉を荒げ、川島英樹は拘束具を着せられた真・
酒造原の襟首を掴んだ。
真のネイバーであり、フィリアから真のメンタル
ケアを任されたイノス・チルディルクになだめられ、
川島はしぶしぶ真を離した。
床に倒れた真を、イノスが抱き起こす。
「……ごめんなさい」
か細く、真は呟いた。いや、ヴァールハイトと言
うべきか。『家』を襲撃したときとは、表情と、何
より雰囲気が全く違う。
精神医によると、殺戮を行ったのは“ヴァールハ
イト”ではなく、“リューグナー”と言う人格らし
い。多重人格というものが存在する、という仮定の
上での話だが。
実験では“リューグナー”以外の人格は常人用ナ
ノマシーンを操作できないとのことらしい。だが、
安全のために真の体には拘束具が着けられ、この隔
離区画で監禁を行っているのだ。イノスは常に真と
一緒にいるが、川島は精神科医の許可を取って面会
に来ていた。
おどおどと震えながら、真は呟き続ける。
「僕……何もおぼえてなくて……ホントに、ごめん
なさい」
それを聞いて川島の目が見開かれる。
理解できないのだ。明らかに同一人物であるのに
別の人格などという概念は、川島には理解できなか
った。ゆえに、真の言葉に川島は怒りを覚えた。
「貴様ッ」
再び襟を掴み、持ち上げる。
喉を絞められて、真は表情を歪めた。
「ごめんなさい……」
「川島さん、やめて!」
イノスが引き離す。
「ネイバーだから分かるの。この子、ホントに何も
覚えてないの」
「信じられるかよ」
(オレが間違ってるって言うのか!)
イノスの言葉に激昂し、川島は己のエングラムを
励起させた。精神科医からは、精神障碍のある人間
とのエングラム接触は危険だと言われていたが、も
はや、川島は確かめられずにはいられなかった。
無理矢理に拘束具を外し、左手を取る。
どうしてか、真のエングラムは既に励起していた。
「あぁ……やめて、やめて。エングラムは、いやだ
よ、やめて───やめてよ!」
真は首を振って泣きわめいたが、川島は構わずに
真の体を押さえつけた。
「川島さん、駄目!」
「どいてろ」
イノスを弾き飛ばす。
そして川島は己のエングラムを、真のそれと重ね
合わせた。
《───》
伝わる。真から、膨大な量の感情がエングラムを
介して川島の脳に伝わった。
怯え。飢え。母親。父親。恐怖。恐怖。恐怖。
そして、
「───な、何をやってるんですか、川島さん!?」
悲鳴に近い声。
それが、この隔離区画へ様子見に来たフィリア・
セラフィールドの声だと分かった瞬間、川島は力の
限り叫んでいた。
「ダメだフィリア、逃げろ」
語尾はまともな言葉にはならなかった。
切り裂かれた喉は、空気の泡と共に鮮血をごぼご
ぼと撒き散らした。意識が暗黒の縁に吸い込まれる
よりも前に、川島は腰の拳銃を抜き、
撃つ。
その後は、どうなったか分からなかった。
@ @ @
「デボラ・フォン・ケーニッヒから通信です!」
公星の声が中央管制室に響いた。
瀬田は視線だけで公星へ向く。
「捕虜の機構ナノマシーン兵、真・造酒原が隔離区
画から脱走しました」
「捕らえたのか?」
瀬田は表情を歪めた。
バルカン基地にて『会』のテロが行われたとの通
信が入ってから、数分しか経っていない。もっとも
それは、地球圏から戻っていたFSSグワイヒアの
協力もあってすぐに制圧されていたのだが。
「隔離区画でフィリア・セラフィールドさんを人質
にした後、A区画へ向け逃走。保安SG、デボラ・
フォン・ケーニッヒとアシーン・ウォーラステイン
の両名によりフィリアさんは救出されましたが、造
酒原は逃走し、姿を見失ったとの事です」
「……被害状況は」
「軽傷二名、重傷一名、死亡三名です」
フィリアが軽傷の欄にいたことで、公星は胸をな
で下ろした。だが、すぐに思い直す。一名は重傷を
受け、三名は死んでいるのだ。
「佐倉は動いておるか」
「はい」アンナが頷く。「すでに、警備の配置を転
換しています。……今、予想潜伏区画に一種警戒態
勢が敷かれました」
「他区域にも二種警戒態勢を敷け。それと、アンナ。
『ジェリコ』も動けるようにしておいてくれ。最悪、
最小区画ごと爆破する」
言って、瀬田は呻いた。
常人用ナノマシーンの脅威が、どの程度なのか分
からないのだ。近接戦闘以外に大したことはないの
かも分からないが、リヴァイアサンの例もある。
「『プロテウス』の中村に助言を請う。専門外だろ
うが、知識はゼロではない筈じゃ。通信を繋げ」
「了解」
@ @ @
四人のSGチームを率い、佐倉は予想潜伏区画で
真を捜索していた。
捜索は簡単だった。数分で、佐倉は目標が潜伏し
ていると思われる部屋を探し当てた。
血だ。
川島英樹が命と引き替えに撃ったレーザーは、真
の腹部を撃ち抜いていた。ナノマシーンに肉体の修
復機能があるのかは不明だが、もしあったとしても、
レーザーによる銃創を再生するにはかなりのエネル
ギーが必要の筈だ。つまり、そうそう回復はしてい
られない。そしてその予想は的中した。真の血が、
その進路に確かな痕跡を残していたのだ。
佐倉は部屋のドアを。
息を呑む。
そこは保育室だったのだ。保母の死体が床に転が
っていた。子供の死体は、まだ、
まだ。
ひとりだけだった。
虚ろな瞳を、こちらに向けて───
「ぉおおおおおおおおおおおおおっ」
叫び、佐倉はレティセントの引き金を引いていた。
震える子供達へと刃を伸ばそうとしていた真は、フ
ルオートで吐き出される弾丸の群れをまともに喰ら
い、派手に転倒した。
転倒しつつ、真は自分を撃った人間を見た。
戦慄する。
佐倉圭一。自分を認めてくれた人間を、マクラク
ラン中尉を死に追いやった人間がそこにいた。
「お前……佐倉か」
長く伸びた髪を硬質化させる。急激な疲弊感。肉
体の変化に、多量のエネルギーが奪われているのだ。
だが構わずに、真はすばやく起きあがった。
硬質化させた髪を、佐倉へ伸ばす。
銃撃。
佐倉の部下達の撃ったレーザーが、髪を灼き、体
を貫く。
(ちっ、多勢に無勢じゃあさすがに不利か)
即座に決断し、真はそれを行動に移した。髪をカ
ーテンのように体の前面に降ろし、防弾の幕にする。
そして、走る。
佐倉達を蹴散らし、真は部屋から脱出した。もち
ろん、すれ違いざまに腕の刃で佐倉の首を狙う。だ
が、その刃はレティセントを両断しただけで、佐倉
を傷つけるには至らなかった。
「あはははは! 命拾いしたな!」笑い声。真は笑
っていた。「だけど死ぬんだ。みんな、絶対、殺し
てやるからな!」
嘲笑を残し、真は廊下の奥へ消えた。
部下へ子供達の保護を命じ、佐倉は中央管制室へ
コムニーを繋いだ。
「……中央管制室へ連絡」静かに、続ける。「目標
は中心部方面へと逃走。全基地内防衛チームへ包囲
網の縮小を命令する。このまま、追い込む」
通信を切る。
二つに分かれたレティセントの残骸、そして死ん
だ子供の瞳をもう一度見つめ、佐倉は己の拳を強く
握りしめた。
@ @ @
中央管制室───
佐倉の連絡から数分。全保安SGの包囲により、
真は着実に追い込まれていた。
モニターにはこれまでに真の通ったルートが表示
されている。
『こちらA−4区画。たった今目標と交戦、目標は
A−2へと向かいました。こちらの被害は軽微です』
藤島一郎の声が告げる。 モニターに進路が追加
される。
「確実に追い込んでます。あと目標が移動できるの
は、A−2区画もしくは」
続けようとして、アンナは絶句した。
「?」ひょい、と公星がアンナのコンソールを覗き
込む。「ええとこれは……第三エレベーター区画!?」
「やはり、狙いは機関部か」
ううむと瀬田は唸った。
「……基地内防衛チーム、第三エレベーター直前で
完全に目標を包囲しました」
管制室へ一時的に戻っていた煌が告げる。
モニター上の軌跡は、第三エレベーターの真上で
ぴたりと止まった。
@ @ @
銃撃。
デボラの赤いパワードスーツは、圧倒的な火力で
真へ弾丸の奔流を注いでいた。真の背にある閉じら
れた隔壁が、重い弾丸を受けていびつに歪んでいく。
佐倉やアシーンのチームが撃つレーザーは、真の
体を確実に灼いていく。捕獲ではなく、せん滅行動
と佐倉達の作戦は移行していた。
(ち、くしょう)
真は内心で呻いた。
計算外だった。
ここまで警備の統制が取れているとは、真は思っ
ていなかった。
弾丸の雨を喰らいながら、真は思った。
(だが、まだ死なない。僕には、悪魔がついてる。
このナノマシーンさえあれば、僕は)
防弾用の重厚な隔壁を形成しようと、意識を集中
させる。だが、
『ゾウショクスル』
駄目だったのだ。
『ゾウショクスル』
己の脳が浸食されていることに、真は気付いた。
多大なダメージを受け、度重なる変形でエネルギー
を消費したナノマシーンは、真の支配を上回る命令
を優先させていたのだ。
すなわち、自己の保存。母体を捨て、周囲すべて
の物質を己とするプログラム。
真は知らなかった。マクラクランの最後の手が、
この『暴走』である事に。
「何なの、一体!?」
アシーンが悲鳴を上げた。
その目は真を見ていた。少女のような顔だけを残
し、無秩序な変形を始めた肉の塊を。アシーンはす
ぐに、それをナノマシーンの暴走によるものだと判
断した。『プロテウス』の研究結果を、何かの機会
に目にしていたからだ。
『ダメージが、ナノマシーンにどのような影響を与
えるか、全く分かりません。最悪、爆発的な増殖を
開始しかねない、射撃は危険です!』
中村博士の言葉がコムニーから伝わる。
撃てない。
保安チームは銃を構えたまま硬直した。
「中央管制室っ」部下へ射撃停止を命じつつ、佐倉
はコムニーへと怒鳴った。「区画爆破を」
『駄目です。エレベーター付近では狭すぎるんです、
基地外からの宇宙船兵器射出による爆破の影響を緩
和できるだけの、隔壁の間隔が───』
途中から、
佐倉は途中から、管制の声を遠くに感じていた。
ステーションの中心。機関部へ伸びたエレベータ
ーの入口は真のすぐそばにあった。それを見ながら、
佐倉の脳裏を様々なイメージが通り過ぎた。
自分を襲うクローン兵。
自分に撃ち殺されたクローン兵。
頭を押さえて苦しむクローン兵。
宇宙空間でこちらを振り返るタウ。
そして、死んだ子供の瞳。
子供───?
「……アシーン」
佐倉は静かに呟く。
レーザーライフルを構えたまま硬直していたアシ
ーンは、一瞬遅れて佐倉へ向いた。汗が飛んだ。
「分かったよ。命の重みの、その先に何があるのか」
「え」
どうして佐倉の顔に笑みが浮かんでいるのか、ア
シーンは分からなかった。その笑みが、どうしてあ
の、光に消えたタウの表情と似ていたのかも。
「な、何を」
何を言っているのかと、アシーンが言うより前に。
佐倉は走っていた。
エレベーターの開閉ボタンを叩き、ドアが開くと
同時に、異形となった真を抱えて一緒にエレベータ
ーへと転がり込む。それを一息でやってのけた。
『佐倉っ』
パワードスーツのスピーカーから、息を呑むデボ
ラの声が伝わる。
増殖を開始した真の肉体は、リヴァイアサンを思
わせる勢いで佐倉を取り込み始めていた。
「機関部へ降りるまでに、エレベーターごと」
吹き飛ばしてくれ。
そう言って、佐倉はエレベーターのドアを閉じた。
@ @ @
『こちら管制室のアンナです。いいですか。エレベ
ーターだけを爆破もしくは消滅させるんです』
「そんな無茶を」
言わないでよ、と『ジェリコ』のメンバーである
ルーチェ・バーティレリは汗を拭った。操縦桿を握
り直す。
バンツー級で警戒飛行を行っていたルーチェは、
中央管制室のアンナから通信を受け取ってすぐに、
目標のエレベーターを射程に捉える位置まで移動し
ていた。だが、
「あたしの積んでるペネトレータじゃ、無理だよ」
ペネトレータ、つまり貫通弾型質量弾。その設定
された爆発力では、爆圧がエレベーターから機関部
まで伝わってしまう。機関部は広くない。隔壁を閉
じても、反物質機関がダメージを受ける確率は高い。
『なら、レーザーで』
「攻撃用レーザーは積んでないの!」
『……大丈夫、俺がやる』
突然入ったのは、鳴門機からの通信だった。ルー
チェのバンツー級の背後に、鳴門サブローの乗るH
D1B一号機が現れていた。
照準を合わせる。
鳴門の視線の先。モニターに浮かぶ円形の照準は、
直線形のエレベーターの一点を捉えた。
『鳴門機へ管制より通信。照準点へのエレベーター
到達カウントを計算後、そちらへすぐに送ります』
「いらないよ。分かる。あいつがどこにいるかは、
はっきりと分かる」
『鳴門機? 射撃の精度のためには』
「大丈夫だ。サイバーアクセスを使う」
言って、鳴門は目を閉じた。
励起したエングラムへ意識を集中させる。流れ込
んでいるのだ。エングラムから、自分のものでない
感情が。サイバーアクセスでレーザー砲の機構に集
中している筈なのに、はっきりと伝わる。
《───》
伝わる。膨大な量の感情がエングラムを介して鳴
門の脳に伝わっていた。
怯え。飢え。母親。父親。恐怖。恐怖。恐怖。
そして、
殺意。
自分を認めてくれなかった人間達への、圧倒的な
までの殺意。それが、止めどなく溢れている。
《ボクヲホメテ》
《ファーター? ムッター?》
《ミンナコロシテヤル》
「くっ……」
流れ込む感情に耐えつつ、鳴門はエングラムから
殺意の主をたどった。ゆっくりと降りていくエレベ
ーターの中で、暴走したナノマシーンに取り込まれ
たそいつがいる。
自分のネイバー、真・酒造原が。
《今、楽にしてやる》 閉じた瞼をゆっくり開く。
そして、鳴門はレーザー砲を撃った。
@ @ @
「……鳴門機の射撃により、目標は消滅しました」
「そうか。佐倉は」
「佐倉リーダーも、同様にレーザーに巻き込まれた
模様です」アンナの声は低く告げる。
「分かった」
言うと、瀬田はコンソールについている煌を見た。
煌の肩は震えていた。
だが、泣いてはいなかった。
涙は瞳の奥で、じっと溢れるのを耐えていた。
(耐えることを覚えたか)
と、瀬田は思った。
@ @ @
そして、数日後。
死亡者の簡易葬儀を済ませた基地は、これまでに
ない焦燥と緊張に包まれていた。
太陽超新星化だ。
数々のプロジェクトは失敗に終わっていた。
プロジェクトの一環で情報世界へ飛んだ反物質船
ブリシンガメンは消息不明となり、かつてブリシン
ガメンと護衛艦隊があった空間には、エヴァグリー
ンの残したものなのか、大小ふたつの巨大な樹が浮
かび上がっていた。
どうしてプロジェクトは失敗に終わったのか?
それは、
ペルセウスミラーだ。
盾は、残っていたのだ。プロジェクト『シルマリ
リオン』は終わっていなかった。太陽に灼かれて肉
体は失われたものの、かれらは情報世界に移動し、
今もなおペルセウス・ミラーを展開させていた。と
はいえ脅威は去ったわけではない。太陽に集中した
コギトン流は、手を緩めればすぐに暴れ出すだろう。
そして皮肉な事に、それら勇者の盾は、数々のプ
ロジェクトやWGに対する障壁となっていたのであ
る。爆発をねじ伏せている高活性率ミラーは外部か
らの接触をも阻んでいた。
つまり、超新星化対策を遂行しようとすれば、ま
ずペルセウス・ミラーを解除せねばならない。 結
果として、太陽を抑えているペルセウスミラーを解
除し、エヴァグリーン技能を用いて太陽を情報化さ
せようと言う作戦が提案され、決定していた。
「つまり、簡単に言えば、自分たちでスイッチを押
すということじゃよ」
と、瀬田は伝えていた。
ペルセウス・ミラーの解除。それは爆発の再開を
意味する。
WG『バルツィバル』の研究室───
「ペルセウスミラー解除って、それしか手はないん
ですか?」祀白馬は玉響彰子へ尋ねた。「爆発が再
開したら、最初の衝撃波が水星軌道へ達するのは、
二、三分後なんでしょう」
「三分です」
彰子は頷く。
「そうです。金星到達までは六分。地球を呑み込む
まで八分」と、リージュが捕捉する。
「それだけの時間で、『Double Earth』は太陽を情
報化しなければいけないのでしょう? それで、間
に合うんでしょうか」
篠宮美沙季が首をかしげる。
「やるしかないんです」リージュは続ける。「もう、
シルマリリオンの人も限界の筈ですから」
「……やるしかないってのか。で、俺達はどうなる
んだ」とは、ララミー・パーキンス。
「ペルセウスミラーは地球情報化の際の防護の他に、
水星付近の基地、船舶へも守りの手をかざしてくれ
るそうです。まあ、この基地にもミラーの使い手は
いますし。大丈夫ですよ」
そう言って、彰子は小さく微笑む。
「そうか。つまりあれだな」苦笑してララミーは頭
を掻いた。「俺達は、やれることをやると」
タウ再生の手順は最終段階まで決定していた。
パランティアによる情報パッケージを個人に集中
して送り、多量のパッケージを一度に展開する。そ
うすれば、エングラムは情報過多の状態となり、個
人は情報世界へと飛ぶ事ができるのだ。『個人』に
は、名称不明技能を所持するスクゥード・ソウンが
名乗り出ていた。
そして今、スクゥードの情報世界への<転移>が行
われようとしていた。
「スクゥードおじちゃん」
天海ひかるは、自分のネイバーであるスクゥード
へ声をかけた。天海はネイバーリンクを通じて情報
世界のスクゥードと繋がり、他のメンバーへ情報世
界を認識させる役をかって出ている。
「大丈夫? やれる?」
「ああ、大丈夫さ。みんな、そろそろ開始しよう。
配置についてくれ」
スクゥードの声で、メンバーがそろぞれのポジシ
ョンについていく。
天海はネイバーリンクによるメンバーとスクゥー
ドの繋がりの確保、そしてポゼッショナーによるタ
ウの情報固定。秀真國晶とララミーは最高活性率ス
レッドによるタウの肉体再生。ウェスリー・ハイン
とマドラス・シノは防衛を担当している。リージュ
と吉野雪江は緊急医療メンバーであり、あとの人間
は全体補助という形で働いている。
そして、ハンナ達『パランティア』メンバーが情
報送付の役を受け持っていた。
「ハンナさん。まず、パランティアでパッケージの
送付をお願いします。できだけ、大量に───」
ハンナが頷くのと同時に、ドアが開いた。
ウェスリーが開いたのだ。皆がそちらを向き、驚
く。部屋に入ってきたのは酒神了だった。
「了、遅いぞ。どこへ行ってたんだ」
「俺も飛ぶ」
とだけ、酒神は言った。
「ダメですよ! 名称不明もないのに情報世界なん
かに行ったら」雪江が悲鳴に近い声で続ける。「耐
えられる訳がないんですから」
「分かってる。だが、ケジメをつけろと言われたん
だ。他にどうしようがある」
酒神は低い声で言って、スクゥードの隣の席に着
いた。
「パランティア、俺にも頼む。大丈夫、活性率の高
さならスクゥードにも劣らない」
スクゥードは黙って奥歯を噛んだ。
「お前には計画の最終決定権がある。そのお前が決
めたなら、そうするしかない。だが」
続けようとしたスクゥードを、ウェスリーが制し
た。ウェスリーのネイバー、ユウ・セフィ・フワル
がその隣で黙って頷いていた。
「ウェスリー?」スクゥードは表情を曇らせる。
「やらせてやれ。そいつにはその権利がある。そう
だろう」
「……ああ」
@ @ @
すでに前日から、フィリアはマルチウェブを用い
て地球の人々へ意志の統一を訴えかけていた。
今も。
カメラの先で、必死にフィリアは語りかける。
スタッフのひとりが、彼女の声は届いているので
しょうかと琴葉野綾へ尋ねた。
「届いています。届かなくてはいけないんです」
綾ははっきりと言った。ウェブを見た人間が心を
ひとつにしなければ、プロジェクト『Double Earth』
の試み、地球の情報化は行うことができない。それ
ができなければ、ペルセウスミラーを解除しても待
っているのは消滅だけだ。
「それに、絶対に届いていますよ。ほら、分かりま
せんか? 今、私たちは確かに、フィリアさんの言
葉が心に届いてます」
モニターのひとつを、綾は見た。
映画『彗星動乱』のラストシーンが映し出されて
いる。このシーンもまた、人々へと呼びかけるため
のプロジェクトの一環だ。
「届きます、絶対」
@ @ @
「第二管制室から通信。水星宙域にゼーゼマン=リ
ヴァイアサンが出現、小惑星帯SGと交戦しながら
こちらへ向かってきています」
「本当!?」アンナが驚愕した。
「はい、小惑星帯SGの機体がすでに数機やられて
いるようです」
公星の声は、いつになく焦っていた。
ペルセウスミラー解除はもうあと何時間も先のこ
とではない。様々な情報が飛んでいるのではっきり
とは言えないが、公星は『あと一時間以内』という
バルカンからの通信を重用視していた。
「この期に及んで、リヴァイアサンじゃと!」
瀬田は立ち上がっていた。
「……すみません、私たちのミスです。デブリの消
失が奴のパーツ補給だった事に、どうして気付かな
かったのか」
アンナは唇を噛んだ。血が、少しだけにじむ。
「反省はあとでいい」短く言って、瀬田は声を荒げ
た。「護衛艦隊、全機出撃! 小惑星帯SGと協力
してあやつを落とせ」
続けて、瀬田はアンナへ『マーチラビット』のル
ームと通信を開かせる。
『はい。こちらミント』
「瀬田じゃ。リヴァイアサンが来た。ペルセウスミ
ラー解除中に基地に取り付かれいては手も足も出ん。
一時間以内で<転移>は可能か」
『む───無茶言わないでよ! それに何、一時間
て。アタシのトコには三時間て情報が来てたのに…
…それに合わせて準備してるに決まってるじゃない』
強い口調が、だんだん弱くなっていく。ミントの
言葉にも、焦りは見え始めていた。
「責めはせん。ともかく、できるだけ早く準備を進
めるんじゃ。最悪、基地に一定まで近づかれたら、
本気で一時間でこじし座へ<転移>するからの」
『り……了解。分かったわよ! やればいいんでし
ょ、やれば!』
「いい返事じゃ」
通信を切り、瀬田は汗を拭った。
@ @ @
《すごいな》 かくも世界とは混沌であるのかと、
スクゥードは思考した。
情報世界にはすべてがあり、そして何もなかった。
スクゥードが求めるのはタウの情報だ。ゆえに、
他のものを認識するには至らない。
ただ時間もなく空間もなく、ただ混沌だけが感じ
られた。自分の肉体という概念ですら、はっきりと
しない。己の思考を確立させ、存在を確かなものへ
と導く。名称不明技能を得ているとはいえ、その作
業は容易なものではなかった。
スクゥードは酒神を見た。
いや、認識した。
《タウ!》
酒神の強い意志が伝わる。酒神はスクゥードのす
ぐそばに存在していた。タウの情報を求めているか
らだ。つまり情報として近いところに酒神とスクゥ
ードはある。
やがて、スクゥードはタウをみつけた。
基地の中、オロメの乗員に捕らえられた彼女の姿。
これは自分の記憶なのだと、スクゥードは悟った。
辿る。
そこから、世界に存在するタウ自身の情報を辿っ
た。そして、認識する。
タウの過去を───
それは、女性だった。
静かな雰囲気を持った綺麗な女性。
生まれたのはL4コロニー。そしてずっと、そこ
で暮らしていくつもりだった。
二十二才。大学を卒業し、コンピューターソフト
ウェアの会社に就職したばかり。自分の明るい未来
を信じて疑わない、陽気な娘だった。
そして死んだ。
交通事故だった。医学の進歩に貢献できるならば
と、家族は彼女の遺体をコロニーの医学研究所へ引
き渡した。
研究所で行われたのは、医学の研究ではなかった。
『計画』に適した遺伝情報を持つ彼女の体は、クロ
ーン兵士の作成に用いられた。
そして、無数の彼女が生を受けた。
「このひと、あの子達のお母さんなんですね」
エングラムから伝わるスクゥードの認識情報を読
みとって、雪江は呟いた。
「クローンの母体か」秀真は頷いた。
そして、タウがいる。
促成培養。AIチップの埋め込みと、ナノマシー
ンの注入。13神経の切除。戦闘訓練。
それらはすべて、タウから何かを少しずつ奪って
いった。得られたものは何一つない。
情報の与える嫌悪感にスクゥードは呻いた。
やがて、タウはシルマリルタスクフォースとして
の作戦プログラムを植え付けられた。一旦、機構軍
と協力体制にある海賊の元へ送られると、幽霊船に
偽装し……
《ぐあああっ!?》
スクゥードは叫んでいた。
タウには何の感慨もない事だった。だから今、さ
らりと情報は流れた。だがほんの一瞬とはいえ、ス
クゥードには耐えられなかった。海賊船での出来事。
頭では分かっていたこと。
だが、あえて触れずにいたこと。
それは、
「こいつらがクソ機構からの兵士だってよ。あのシ
ルマリルを落とすんだと」「女じゃねえか」「馬鹿、
女じゃねえかとか軽々しく言うな。ンなこと、ステ
ラの姉御に聞かれたら殺されるぞ」「あのあばずれ
を姉御だって? ウチとハラルトは同盟を結んじゃ
いるが、配下ってワケじゃねえんだ。何言ってやが
る」「うるせえな、何をゴチャゴチャ言ってる」
「とりあえず、クソ機構からのプレゼントを頂こう
としようや」「おい、そいつら兵士だろう?」「馬
鹿野郎。テメエ、ホントに馬鹿だな」「そうそう。
兵士だろうがなんだろうが、こいつらは女だ。女。
分かるか?」「ま……まだガキだろう」「馬鹿、だ
からテメエは馬鹿だっていうんだよ」「そうだぜお
い」「女なら、なんでもいいだろうがこんなムサい
船ン中でよう」「女なら」「やるこたァひとつだ」
「ヘヘ、クソ機構もたまにゃあ気が利きやがる」
「順番だぞ」「アホ、順番もクソもあるか」「俺か
らだ」「だから順番じゃねえっていってんだろ」
「三人ずつでいこうや」
そして、
クローンたちを襲う。幾つもの獣の手が。
悲鳴。 情報のもたらす嫌悪感に耐えきれず美沙
季が悲鳴を上げるのと、スクゥードが情報世界から
戻ってきたのは、ほぼ同時だった。
「スクゥードさん!」
雪江が駆け寄り、疲労でぐったりとしたスクゥー
ドを抱きかかえる。
「……くそっ……耐えられなかった、耐えきれなか
った……」荒い息でスクゥードは言った。
今の情報で、メンバーの殆どはエングラムを通じ
て精神に打撃を喰らい、さらに肉体的な疲労を受け
ていた。
「了は」眼鏡を取って、マドラスが言った。「了は、
どうしたんだ。まだ向こうにいるのか」
《タウ! タウ! タウ!》
認識するに耐えない、タウが海賊から受けた陵辱
をはっきりと目の当たりにしながら、酒神はただひ
たすらに意志を振り絞っていた。
やがて情報は別の時間のものへと移った。
ハンプティ・ダンプティβ。
ゆっくりとタウに現れていく、自我。人格。喜び。
好意。そして、愛。
酒神は一瞬だけ意識を失った。
そして意識が再構成された時、そこには求めるも
のがあった。
(りょう?)
柔らかい声。
その声と同じくらい柔らかで暖かい日差しが、そ
こには降り注いでいた。
緑深い木々。青い空と真っ白な入道雲。
そこが地球であると酒神は認識していた。そして、
そこに立つ自分の視線の先にいるのが、自分が求め
ていたものだと、酒神は分かっていた。
「タウ」
タウがいた。
白いワンピースを着て、つばの広い麦わら帽子を
被ったタウが、日差しの中でこちらを見ていた。
(りょう、すき)
少女は笑っていた。
帽子のつばを両手で押さえ、楽しそうに笑いなが
ら、酒神を見ていた。
「タウ。帰ろう、私と一緒に」
酒神は左手を伸ばした。タウははにかみつつ、自
分も左手でその手に触れた。
そこにはエングラムがあった。
(タウ、りょうのこと、すき……)
言葉が聞こえ、
《駄目。私はもう、死んでいるんです。ここにある
私はただの幻。幻は実体を持てないし、何より死者
は死者たるべき……》
エングラムから意志が響いた。
一瞬、酒神は言葉を失った。だが、酒神の意志は
たったひとつだった。
「私は」酒神はタウの手を両手で包んだ。「君を愛
してる。たとえ世界が決めた事でも、絶対に君をよ
みがえらせてみせる。だから」
帽子のつばを上げて、正面から目を見つめる。
「一緒に来てくれ」
(りょう)
嬉しそうな声と、笑顔。そして、タウは了の頬に
軽くキスをした。
《ありがとう》
自分の帽子を酒神にかぶせ、タウは木々の向こう
へと走っていった。
追おうとして酒神は気付いた。体が動かない。酒
神の体は意志に反し、その場に座り込んだ。
(おいタウ! あまり遠くまで行くんじゃないぞ)
フェデレーションの制服ではなくジーンズとシャ
ツという格好の自分は、走っていったタウへ向かっ
て手を振り、声をかけていた。
「どういう、ことだ」
《あり得た未来。あなたは酒神了だけれど、この未
来の酒神了ではないの》 これはあり得た未来の姿。
シルマリリオンが成功して危機の去った地球へと
降りた、タウと酒神の姿。
「あ───」壊れていく。自分が壊れていくのを酒
神は感じていた。「私は……この光景を見ることは
できない……?」
タウを失った暗黒で一生を過ごせと言うのか!?
絶望に呑まれた酒神の意志を情報が浸食していく。
名称不明のない酒神は、あっさりと情報流入の影響
を受けていた。
精神が蝕まれる。
狂気が意志を上回っていく。 そして狂気は、同
じくして酒神に膨大な量の知識を与えた。情報世界
の法則が、意志を拭い記憶を破壊し、酒神へと満ち
ていく。
《よみがえらせてやる》
酒神は叫んだ。
《見つけたぞ。時間を逆転させてやる! 自身を生
け贄にしてでも、タウはよみがえらせる! 必ず!》
膨大な情報世界の法則から、たったひとつの方法
を酒神は見いだしていた。
時間逆転。自分の基点として時間を逆転させ、み
ずからが情報の相互関連性を失い、『いなかったこ
と』になるのと引き替えに、死者の時間を引き戻し
再生させる方法。
《そうだ、簡単なことさ。ひとり減ったのなら、別
のひとりをその代わりにすればいい!》
意志を撒き散らす。
そして、再びタウの姿が浮かび上がった。あり得
た未来の彼女ではなく、酒神と最後の分かれのキス
をした時の、タウ。
タウは酒神のすぐ目の前にいた。
《りょう》
《タウ……私は死んでもいいんだ。だから、君を》
《りょう、すきだよ》
一瞬だけ、
タウは一瞬だけさみしそうな顔をして、笑顔で首
を横に振った。拒否。時間逆転は、対象の強い拒否
に逆らう事はできない。
ゆえにタウは拒否した。酒神を世界から消すこと
を、彼女は選ばなかった。
《タウ》
《りょう、すき。だから───》
だから、
だから貴方には明日を。
@ @ @
「ペルセウスミラー解除されます!」
「できる限り船を戻せ。光学機器をカット、すべて
の窓のシャッターを閉じるんじゃ」
素早く命令すると、瀬田はどかと椅子に腰を下ろ
した。
「リーダー、バルツィバルから通信です」言ったの
はアヤナだ。瀬田を見ずに続ける。「タウ再生計画、
失敗したそうです」
「そうか」
それだけ言うと、瀬田は押し黙った。声は低い。
だが、決して沈んだものではなかった。
振り返っていれば、アヤナは聞こえていたかも知
れない。頷きながら言った、瀬田の呟きを。
「……死者は、死者たるべきか」
@ @ @
「───了! しっかりしろ、了!」
突然に実体化して通常空間へ戻った酒神を抱え、
スクゥードは怒鳴った。
酒神は多大なダメージを受けていた。実体化の際
に内臓へ負担があったらしく、酒神は何度も吐血し
ていた。
「シ、死者は、死者たルべキ、だとォ……」
「ダメだよ酒神さん、しゃべらないで。血が」
リージュが泣きそうな顔で酒神の口元から血を拭
う。一呼吸ごとに、酒神は血を吐いていた。急ぎ、
雪江は医療班へ連絡を取った。
そして、 非常警戒態勢を促すブザーが三度だけ
鳴った。
『リヴァイアサン撃破。よって、基地転移は行われ
ません。太陽の閃光に備え、総員基地外モニターを
カットして下さい。外部への窓は二○後に完全遮断
します』
中央管制室から基地内全域への緊急通信が、そう
告げた。
そして、太陽は再び膨張を開始した。
@ @ @
張りつめられた糸が悲鳴をあげ、切れようとして
いた。
地球はついに完全なる情報化を果たした。
残るは、こじし座への転移を待つばかり。
だが地球は、いまだ世界樹の姿をとって、その軌
道を周りつづけていた。
超新星が放った死の光は、すでに金星を飲み込み
地球へとせまっている。
情報世界に浮かび、つながれた何十億もの意識。
そのすべてが、ただ一点へと向けられていた。
ヴァンダーベッケンの甲板の上で、地球そのもの
の舵をとる少女、リンダ=イフェアへ。
血を吐く叫び。
《───ごめんなさい、ごめんなさいっ!
───私は、私にはどうしても、37億の人々を見
捨てるなんてことできない、できないよッ!》
『Double Earth』に参じたすべての者へ、こじし
座と地球を結ぶネイバーたちへ、その悲愴な決意が
染みわたった。
数えきれない疑念の矢が彼女を射る。
リンダはそのすべてから逃れず、みずからむきだ
しにした心で受けとめた。
《それでも、私はみんなで助かりたい。
みんなと生きていきたい!》
救いあらば、張り裂けよ我が心と、慟哭にむせぶ
リンダ。
オペレーション『Double Earth』は静止した。
そののちに控える『ノア』も、ほんのわずかな時
間、地球を生き延びさせるにすぎない。
やがて超新星は、銀河系全体の恒星が一時にうみ
だすよりも大きなエネルギーを爆散させ、太陽系を
死と熱の海へと変える。
あらゆる策が徒労に終わった。
人類の終末を指す時計の針は、残り二分を切って
いた。
37億の非発現者は、情報世界に光を見いだすこと
ができず、ただとまどう。
やがて戸惑いのさざなみは恐慌の津波となり、か
ろうじて拮抗していたバランスを押し崩し、惑星地
球を物理世界へと引き戻すだろう。ヴァンダーベッ
ケンが、その彷徨の果てに砂漠に現れた時のように。
その瞬間、神の最後の慈悲ともいえる一瞬の死が
人類を見舞うのだ。
ざわざわとエングラムをはしる悪寒。否応なく伝
わる恐慌の予感が、いまや発現者たちをも素早く確
実に覆い尽くそうとしている。
審判の時。
《……“絶望”、ですか》
風が吹いた。
星の光を受けて舞う海鳥。
頬を、翼を撫でゆく星風の感触。
問いを発したのは、バルカンの整備士エルフリー
デ・ヴェレン。
《絶望───そんな悲しいものが、何万年もかけて
たどり着いたあたしたちの答えなんですか。
違うと思う。
あたしたちは生きてる。シルマリリオンのみんな
だって、まだ生きています。時間はあります。最後
の一秒だって、あたしたちには何かできることが、
きっとあるはずです!
あたしたち人間は、いつかきっと死にます。それ
でも人間は生きようとする、なぜですか?
そんなことは誰だって知っているはずです。人間
らしく生きることに、大好きな人たちと一緒に時を
過ごすことに、意味があるから!
だから、だからッ、あきらめないでください!》
ネットワークを吹き渡る風が、暗雲を切り裂き、
果てのない蒼穹で満たしていく。
訪れる静寂。
物理世界においてほんの一秒。
やがて、呼応して新たな声があがる。
澄み切った水面を伝わる波紋のように。
《───そうね。今、この時間を無為に過ごせば、
結局、人類は存在しなかったも同然といえるでしょ
う。数刻後に己が死ぬのだとしても、そんな屈辱を
受けるくらいなら“死んだほうがまし”》
同バルカン、テレーゼ・ミュンヒハウゼン。
《───提案があります。結局のところ、最後まで
言葉をもてあそぶことしかできなかったわたくしを
許してください。
すなわち、呼び起こされた想念───コギトンの
凝集が“ありえない転移”を呼び起こし、エングラ
ムの交感が、こうして地球と水星をも光の速度を超
えてむすびつけるというのなら、“時間”という我
々にとって絶対の規範すら、揺るがすことができる
のではなくて?
現に、鏡の盾を張り、超新星と化した太陽をも防
ぎとめた人々は、直感的にそれを感じ、行っている。
わたくしたちは、ありえたかもしれない未来、いい
え、絶対にありえない未来さえも、“ここ”へ引き
寄せ、超新星爆発による破局という、最悪の事態を
避けることが出来るのでは───?》
返答は即座にあった。
《同意する───『スクルド』『スルト』のユリウ
ス・フォン・シュテルナーだ。俺達にはもはや、シ
ルマリルもイカロスも残されていない。そそぐべき
“力”がない。
しかし、望みはある。今、はっきりわかった。俺
が地球で行った愚かな行為が、ラクダの背に載せた
最後のワラの一本であり、その背骨を砕いたのだ。
俺が超新星化を招いた。すまない、謝罪する暇が今
はない。だが俺は、失敗から一つの確証を得た。
超新星化を起こす“力”ならば、元へと戻すこと
もできる。今、この時なら、すべての人に伝えるこ
とができる。いまこそ再び、人々の想いの矢を、荒
くれる太陽へと射かける時だ》
《『Birth Sol』今岡形よ。誰が悪いってんじゃな
いわ。いずれ起きたことだもの───だけど、それ
はある意味、太陽を根本から作りかえ、新たな太陽
を産み出すということね。でもね、『エヴァグリー
ン』では間に合わなかった。すでに超新星化は起き
て、光の速さで広がっている。
エングラム技能という手段もなく、ただ漠然と意
志を結ぶだけでは駄目よ! それでは何も変わらな
いわ。同じことの繰り返しになるだけ!》
《“力”の焦点を結ぶ“対称”を求めればいい。太
陽ではない、新しい対称を。その力点こそが“力”
を振るうだろう───失礼、L5『ディゾナンス』
未岡さとりだ。
我々は、もうその対称を選んでいる。口にする必
要はないね。そう、みんなわかっているんだ。この
想いを託すべき相手を。
ここに一人のエングラム研究者として、新しい概
念を提示したい。今、僕たちは史上最も強いネイバ
ーリンクで結ばれている。僕たちの意志が一つとな
り、精神の振幅が揃った時に発せられるコギトンは、
強力な一つの波となっているだろう。
でたらめに発せられて、物理法則をかき乱す力じ
ゃない。人々の“希望”を現実のものにする、とて
も純粋な力だ!
直感的に置き換えられる言葉がある。そう。
レーザーだ。コギトンレーザーだ!》
未岡のエングラムを通して、明解なビジョンが伝
わった。幾重にも連なった意識の波が集束し、まば
ゆい一筋の光となる。
すべての人々は、意識を一つに揃えるべく、祈り、
願った。
莫大なコギトンの奔流は、おのずとその対称へと
集う。
今を生き、最も多くの人の心に残ったであろう、
その少女のもとへ。
@ @ @
月面ディアナドームでその時を迎えた、『彗星動
乱』フェイドラ役のピュリア・ウル・リーフは、自
分の髪が、指先が、その身体のすべてが、神秘的な
光を散らしていることに気づき、驚嘆した。
「わたし、わたしが───?」
戸惑いを隠せないピュリアを、一層の光芒が包み
こむ。監督やスタッフたちが目を見張るなか、爆発
とともに彼女の姿はかき消え、次の瞬間、水星“バ
ルカン”へと現れた。
───張り巡らされたペルセウスミラーをも貫い
て。
バルカンのテラスは、もうひとつの超新星が生ま
れたかのように明るさを増した。
現れたピュリアは、竜巻に翻弄されるかのように
舞い、輝く髪を高く巻きあげる。
激しく励起したエングラムを見つめるピュリア。
《わたしがこの、力を、振るう、
太陽を生まれ変わらせる、
誰も死なせない、
残されたわずかな時間、
わたしにできること────》
何十億もの人々が寄り添い、優しく、力強く語り
かける様がありありと感じられた。
かぼそい指をにぎり、励まそうとしていた。
活性率は五千億をかるく超える。
《そう、わかる、
わたしが、わたししか出来ないこと、
───でも───でも────怖い────!》
よぎる迷いに、エングラムの輪郭がぶれる。
ピュリアを起点に、暗い色の水晶が爆発し結晶し
た。
放射状に成長する結晶は、バルカンすべてを覆い
尽くし、なおも勢いを止めない。
《ああ……ああ……ああ……!》
どうにもならぬまま、ピュリアは、押しつぶされ
そうな不安と苦しみを、周囲へと巻き散らした。
反響しあいながら拡散する苦悶が、ネットワーク
を壊れんばかりに揺さぶる。
殴りつけるような思考が彼女をとらえた。
《なんて下手くそなの!
力を貸すわ。しっかり!》
よわさと、強さの双方がないまぜになった思考が、
ピュリアにささやきかけた。
ささやきは、彼女に一つのビジョンを与える。
ピュリアは汗を浮かべながらも、暴走する結晶を、
必死に引き戻した。
きん、と音を立てて、結晶は一つにまとまった。
結晶はわすかに離れて宙に浮き、ピュリア自身の
エングラムと寸分の狂いもなく共振している。
共振───レゾナンス!
揺れうごくピュリアの瞳に、凛と、光がともった。
瞳には、煌々ときらめく、一振りの大剣が映って
いた。彼女の背丈ほどもある、エングラムの剣だ。
具象化されたコギトンレーザー。
運命の糸を断ち切ろうとする、人間のつるぎ。
彼女は、いまや完全にコギトンの流れを掌握し、
制御していた。
《ありがとう、みんな》
残された時間はわずかだった。
ピュリア・ウル・リーフは、あふれる想いと感謝
を、たった一つの言葉に込めて、太陽へと飛んだ。
《マム!》
叫びを発したのは『シルマリリオン』征矢司。
《もうミラーはいらねえ。必要なのは俺たちじゃな
い!》
寡黙をまもっていた『シルマリリオン』アネット・
バコは、その思考をネットワークへと投じた。
《……アレをやる気かい。もうあとは無いんだよ。
地球をまもる盾はなくなるんだ》
《できるよ! もう、一回やっていることだもん。
みんなの力を合わせれば、きっと出来る!》
おなじく『シルマリリオン』の望月付足〜プラス
〜が請け合う。
その明るさにあきれかえるアネットから、ほっと
する気持ちと、押し隠しながらもわかる誇らしい感
情が彼らに伝わってきた。
《わかった。シルマリリオンの総仕上げだ。抜かり
なくいくよ!》
アネットの号令に『シルマリリオン』のペルセウ
スミラー展開者、ネイバー、すべてのメンバーたち
が口々に返事を返した。
それは9月12日に彼らの起こした奇跡の再現だっ
た。
ミラーを構成する彼らの思念は、光速で膨張する
太陽を追い越して進行し、その衝撃波を無効化した。
蒸発途中の物質を燃やし尽くした。生命の驚異とな
る電磁波を、無害なレベルになるまで吸収した。
あとは、猛々しい反応をつづける太陽を、生まれ
変わらせるのみ。
『シルマリリオン』『ノア』の蜜子・G・グラン
ディには、それまでミラーを満たしていた力が、急
速に衰えていくのがわかった。
そこに残ったわずかな力と、彼らの獲得したミラ
ーを操る知識とを一つに集束させると、絶え間ない
コギトンの流れの示す先へ、そっと贈りだした。
きらめくミラーを見送りながら蜜子はつぶやく。
《……あの時、私たちには、剣が無かった。
人々が未来を求める意志こそが欠けていた。
ピュリアさん、今、あなたには盾がない。
ゴルゴーンの巣へ赴くあなたを、わたし達が護り
ます。どうか受けとってください…………》
@ @ @
荒れ狂う太陽へと飛び込んだ、ピュリア・ウル・
リーフ。
因果力=ラプラビリティをも断ち切る剣を手にし
た彼女を待ちかまえていたのは、まったく予想もつ
かぬ光景だった。
かつてなきほど活性化したエングラムを通して、
彼女には過去と未来が同時に見渡せた。
彼女の瞳が見通す太陽は、過去から未来へと連綿
と続く光の柱であり、あくまでも貪欲に、地球を、
太陽系を飲み込もうとする暴竜だった。
その竜と、自分が、互いに強くひきつけられてい
ることもわかる。
《望むところ》
さらに接近して臨む竜は、うねりたくる無数の竜
の塊であり、際限なくつづく循環と回帰に彩られた、
揺るぎなき運命の象徴だった。
ピュリアは、それらすべてが太陽系の崩壊へとつ
ながる“運命の糸そのもの”なのだと悟った。
彼女に躍りかかり、運命のあぎとを突き立てんと
する竜を、ピュリアは一閃した。
彼女に応え、剣は、自在に縦横にひらめく。
竜の鎌首は、その斬り口から爆発的な光をともな
い四散していく。
されども竜はきりなく現れる。
どれだけのあいだ、彼女は死闘を演じていたこと
だろう。
いつしか星は、輝きをやめ、挑む相手は、全き闇
の竜と化していた。
雄々しく剣を振るいながらも、ピュリアは身震い
した。恐ろしいまでの喪失感。
《───美萌ちゃん! ザインさん! 光さん!
西条さん! みどりちゃん!》
彼女の心から、すっぽりと何かが抜け落ちていく。
《アトラスさん! 監督! ナディア! フェイド
ラ! わたしの、わたしの大事な人たち! ああっ、
もう顔も……思い出せないっ》
それは彼女の大切な想い出。
自ら断ち切っていく竜の首とともに、ピュリア自
身のラプラビティまでもが消失していくのだ。
《わたしは───わたしは、時間を逆行している─
──》
彼女は過去を観ているのではない。
運命をほどき進むことで、彼女自身が過去へと向
かっているのだ。
でなければ運命を変えることはできない。
その代償が、こんなにも大きいものだとは。
彼女は衝撃に打たれた。
絡まり合ったすべてのラプラビティを切りひらき、
目指す地へと辿り着いたとしても、自分はもはや自
分ではない。ましてや、自分を憶えているものなど、
誰もおりはしないのだ。
力なく剣を降ろし、両手で顔を覆う、ピュリア。
《……ゆかりちゃん……ゆかり…………もう、ネイ
バーのあなたにも、届かないなんて…………》
呆然と漂う彼女を、竜の吐く黒い炎がなめた。
小枝のように突きとばされるピュリア。
彼女がその歩みをとめれば、また次々と竜は蘇り、
破滅の未来へと突き進む。
風化する心に、ただ、剣の輝きだけが止まるなと
訴える。
《駄目……これ以上は、進めない……》
無限の孤独に包まれたピュリアは、我が身を抱き、
ほんのわずかな喪失の念にすらすがった。
竜達は次々と喰らいつき、絶望の淵へとピュリア
をひきずりこむ。
猛然と勢いを盛り返した竜が屠るたび、ピュリア
のまとう輝きは薄れ、彼女は傷ついていった。
自分はもう、ここでおわりなんだと思った。
やっぱり、自分は星空なんか夢見ちゃいけなくて、
地球でのうのうと暮らしていればよかった。
今度みたいな、辛くて苦しいばっかりの話には関
わらないようにしているべきだった。
誰か他の人が頑張ってるのを横目で見ながら、気
まぐれに応援してみたりするのが似合っていたんだ
と、そう、思った。
───ぐい、と彼女の肩をつかむ手があった。
それは小さくて、でも暖かくて、とても懐かしい
感触の
《立て! 剣をとれ! ピュリア!》
らんらんと輝くとび色の瞳が、彼女の肩を掴んで
言った。
《……リンダ! ニナ! どうして!?》
《あなたの呼ぶ声が聞こえた》
間違いなくリンダ・イフェアだった。
ニナ・バーンスタインは無言で、三人の前にミラ
ーをかざし、迫る竜の牙をしりぞけた。
リンダは地球のヴァンダーベッケンに、ニナにい
たっては、こじし座で、転移してくる地球を待ち受
けていたはずだ。
それぞれが『Double Earth』を務めあげるために
散り別れたのだ。
しかし今、その手で抱きしめられる場所にいるの
は、まごうことない、彼女たちだった。
リンダは、再び問いかけようとするピュリアの視
線を真っ向から受け止めた。
《拒むことも出来た、と思う。でも……》
リンダ・イフェアは、涙をこらえ、ぐっと唇を噛
みしめた。
《誓ったんだ、鷹になるって。
自分で決めて、自分の翼で飛ぶ。
あの人に、自分に、そう誓ったんだ》
《みんなで助かろう。今を生きる人たちと、みんな
で生きていこう。そう決めたわよね、三人で》
いやます絶望の竜の力を、ミラーを展開する腕に
受けながらニナは言った。
少ない彼女の言葉には、震えが混じっていた。裏
切られ傷つくことを、深く怖れていた。だが、こら
え、必死に奮い立とうとしている。この二人と出会
えたことを誇りに思う。あなたがいれば、私は強く
なれる。だから、一歩遅れでもいい。ついていこう。
その時こそ、私は、私になれる。
ピュリアの頬に、とめどなく涙が流れ落ちた。
《……二人とも馬鹿よ……本当に、無茶苦茶なんだ
から……》
最後の抱擁をほどいたのは、ピュリア自身だった。
《これ以上、過去へ戻れば、私も、ニナもリンダも、
自分を失ってしまう。
みんなの大切な人々も、消えてしまう。
誰もわたしたちの事を思い出さない。
いいえ、最初から居なかったことになるのよ。
何も、何も残らないのよ……!》
切々と、ピュリアは二人に語りかけた。
《きっと、お互いを感じることもなくなる。それが、
みんなで生きようとすることだ、って本当に言える
の?》
身を削られるような沈黙の後に、
リンダが、ふっと微笑んだ。
《ねえ、ピュリア?……ニナ……? 強情だと笑っ
てね……私は、まだあきらめていないんだ》
二人が息をのむ。
《───三人で考えた『Double Earth』は失敗しち
ゃったけど、でもそれで終わりじゃない》
鳥のように自由に羽ばたくことを夢みた心は、
いつか、勇気ひとつを友に、
大空を目指した兄弟となり、
孤独と戦いながら大海を渡り、
音の壁を打ち破り、
夜空に瞬く一つの星に、
長き夜を越えて、小さな一歩を記した。
そして───
《私達はまだ、ここに、こうして居るんだもの。
いつか必ず、私たちはたどりつく。
こじし座20番星へ。
もっと遠く、星の世界にだって。
絶対、絶対、絶対に飛んでみせる。
きっと、みんなにだって…………》
それ以上は、言葉にならなかった。
ピュリアの身体にまばゆい光が戻る。
リンダは、ニナの持つミラーの一つを譲り受け、
張りめぐらせる。
猛り狂う闇の暴竜とも、振りおろされる火鞭とも
つかぬ太陽深部へ進むたび、三人の意識は薄れ、渾
然となった。それでも、ただ一つの想いだけを胸に、
なおも彼女らがとどまることはなかった。
剣が振るわれるたび、ミラーは輝き、大きく雄々
しいフォルムをかたちづくった。
あたかもそれは────
@ @ @
『シルマリリオン』によって無害化された超新星
の光が太陽系を駆け抜け、『HMM2S』とランバージ
ャックのつくった輪状星雲を、いっそう明るく輝か
せた。
太陽は生まれ変わった。
我らの主星は、その失われた質量を、時間流を調
節することによって補っていた。太陽の寿命そのも
のも、おそらくは数億年単位で削られているはずだ。
しかし、太陽の反応そのものは一種の恒常性が働い
ているかのように、よく安定している。不可思議な
時間流の作用については、今後の観測が待たれるこ
ととなった。しかし、その基地のよりどころであっ
た水星はもう無い。
ケイト・スペンサーとそのネイバー、グレイ・ス
トークの守護により、九死に一生を得た金星も、そ
の様相をがらりと変えていた。
エヴァグリーンによって情報化され世界樹へと変
貌した地球や月は、再び物質化し、公転軌道へと立
ち戻った。同時に未曾有の規模のエングラムコンタ
クトも、終焉を告げる。
すべてが終わった時、全人類にはエングラムが発
現していた。
@ @ @
ハンプティ基地は今度こそ、歓声に包まれた。
太陽は元の姿へ戻っていた。
人が皆思い浮かべていた、すべての命へ暖かい光
を注ぎ続ける永遠の母の姿へ。
そしてクローン達の手には、輝きが生まれた。
エングラムが。
居住区───
医療室を抜け出していた酒神は、居住区の自室に
いた。明かりの全くない暗闇の中にいた。
虚ろな瞳でブリッツを手にする。
こめかみに当てる。そして引き金を引こうとした
瞬間、
「───?」
酒神は虚空を見る。
何かを、確かに酒神は見つめていた。彼の視線の
先には、確かに何かが見えていた。
光が視界を埋める。
まだらではない、正常に戻った太陽光が、モニタ
ーから部屋に注がれていた。部屋が光に満たされる。
白く暖かな光。
それに晒された酒神の口元が、ふっと笑みの形に
緩んだ。
「明日、か」
手を離れた銃は、床に落ちた。
@ @ @
七日後。
生への歓喜の二日。死者への悔恨の四日。そして、
その先に何があるのか気付く一日。
そうして、太陽沈静から七日が過ぎていた。
基地の各区画では、『家』主催のパーティーが開
かれていた。ハルカがずうっと走り回って準備をし
ていたアルファ達の誕生日パーティーだ。
基地メンバーが一度に顔を合わせるだけの広い場
所がないので、居住区の各ブロックにある大食堂な
どに分かれて、それぞれでパーティーを行うという
寸法だ。
「ほう、ではもうあの子らは普通の寿命にもどった
んじゃな?」
と、瀬田はシアンへ尋ねた。
瀬田は色々な場所に顔を出していた。今は、医療
班と『プロテウス』の合同会場にいる。
「ええ。それどころか、私たちより少し長いくらい
です。細胞の老化を抑えるわけですから、かなり長
い間、若い姿のままですし」
そしてシアンは付け加えた。この成果はすべて、
タウのおかげであると。
「……」
「あ、瀬田さん絶句してる」
「もう少し後に生まれれば自分も若いままだったの
に、とか思ってるんでしょうね」
綾女と倉橋に突っ込まれ、さらに瀬田は肩を落と
した。その様子に、皆が笑った。
瀬田の隣に控えているアヤナだけが、笑みを少し
も浮かべずにワインを飲んでいる。
『みんな、楽しんでますかー?』
と、設置されたモニターに現れたのは、主催者の
ハルカだ。彼女がいるのは『家』のメンバー中心の
大食堂だ。パーティの主役、つまりアルファ達がい
る場所なので人気が非常に多い。
『はい、ここでアルファちゃんからひとことです』
ハルカに代わり、アルファの顔がモニターいっぱ
いに拡がる。カメラを覗き込んでいるのだろう。
『ひねりこむ……』
べき。嫌な音がして、画面は砂嵐となった。
「おおお。壊しおったわい」
瀬田は快活に笑った。そして笑い声はすぐに凍り
付く。杏菜が、瀬田を見つけてくっついてきたのだ。
「んふふふふ。見つけましたわ」
「あああおのれ見つかったぁ」
「あらぁリーダー」シアンが可笑しそうに口元を押
さえる。「もしかして、色々回っているのは杏菜を
避けるためですの?」
アヤナ以外の皆がもう一度笑った。瀬田は大きく
息を吐いた。
「アークさん、やっと見つけました」
旧メインブリッジで、煌はやっとのことでアーク
の姿を見つけていた。アークはかつて自分が座って
いた操舵席に着いて、モニターの映像を見ていた。
「パーティ、始まってますよ。行きましょう?」
「ああ……」
頷いたものの、アークは動く気配がない。しばら
くアークの後ろ姿を見てから、ニードルガンで穴の
空いた瀬田の席に、煌はちょこんと座った。
「命令じゃ。パーティに行くこと」
瀬田のまねをして、声を低くする。
「似てないなぁ」笑って、アークは振り返った。「
威厳が足りないぜ───よし」
アークは立ち上がった。背伸びをする。
「ちょっと疲れててさ。居眠りでもするつもりでこ
こに来たんだが、煌に来られちゃしょうがない。パ
ーティに行くとしようか」
アーク達『マーチラビット』の面々は、ここのと
ろこ非常に忙しく働いていた。基地のこじし座開発
拠点化計画が決定したため、その中心となって活動
しているのだ。
「そうですよ。寝るのは後でもできるんですから」
「はは」
笑って、アークは座っている煌の後ろに立った。
両肩にそれぞれ手を置いて、モニターを見る。
こじし座20番星第二惑星。それが、映っていた。
「佐倉も、ビアンキ代表も。みんなきっと、行きた
かったんだろうな」
フェデレーション代表、アントニオ・ビアンキは
太陽沈静の後に暗殺されていた。小惑星帯SGスト
ラテゴ、セリュース・クレッチマーが新代表の最有
力候補という話だ。
「俺、さ」少し間を空けて、アークは続けた。「こ
じし座以外にも、人が住める場所があるんじゃない
かって思うんだ。だから、それを探したい。勿論、
今の計画が終わってからだが、煌さえ良かったら─
──」
「はい?」
煌は振り返った。
すぐ先に、アークの顔があった。
真っ赤。火がついたように煌の顔は真っ赤になっ
てしまう。思わず立ち上がろうと、
「一緒に探そう。もっと遠くの、星の世界」
立ち上がろうとしたが、肩に置かれたアークの手
で、煌は動けなかった。
煌は困った表情でアークを見つめた。
「……嫌か?」
アークの言葉に、煌は慌てて首を横に振る。嫌で
はない。アークとはずっと一緒にいられればいいと、
素直にそう思う。だが、
だが。異性が苦手な自分にとって、目線のすぐ先
に男性の顔があるのは、かなり困った状況だった。
恥ずかしくて、顔がどんどん熱くなる。
なんとかしたい。でも動けない。
「良かった。嫌じゃ、ないんだな」
小さく笑って、アークは顔を近づけた。煌の心拍
数が一気に跳ね上がる。
瞬間、
「わわ!?」
大きな声を出して、アークは煌から離れていた。
煌の顔の真下に、誰かがいた。動悸の止まらない胸
を押さえつつ、椅子から降りて、煌はその誰かの顔
を確認する。
「よーう」誰か、がひらひらと手を振る。
「ち、ちなみちゃん?」
「そうらよ」
突然に現れてアークを邪魔したのは、立蔵ちなみ
だった。多分酒を飲んでいるのだろう、ろれつが回
っていない。
幼い顔を朱に染めて、ちなみはにへらと笑った。
「おいアーク」手を振って続ける。「あせるなあせ
るな。今日を急ぐ必要は、なーんもないんだからな」
硬直していたアークは、その言葉でやっと息を吐
いた。そして、苦笑する。
「……ああ、そうだな」
「おう。お前は生きてるんらから。そうだろ? 今
日はパーティをする日ら」
頷き、アークは煌の手を取った。
「ようし。パーティ、行こうぜ。ここからなら医療
班とかの会場が近いよな」
「えと、あの、今の話の返事……」
「ああ。今のちなみの言葉、聞いただろ。今日はパ
ーティをする日だって。だから」
命の重みの先にあるもの。
迎えるべきもの。
そして、絶望と希望を、すべて包み訪れるもの。
人はそれがあるゆえに生きるのだと、誰かが言っ
た。それが正しいかどうかは、誰にも分からない。
分からないが───
人は必ずそこへ向かうのだ。
より良い未来を、手にするために。
モニターの方へ振り返り、星を見つめながらアー
クは続けた。
「だから、明日でいいさ」
だから。
明日へ向かうのだ。
END
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《お知らせ》
●今回でリアクションは終了しました。
■重要遭遇者一覧
《10110》ハンプティ基地β:クローン他
○基地移動計画リーダー! しばらくは多忙です/
ミント・エレクトリア(02015-01)/RA.10110
○「見つけたよ。命の重みの、その先」/佐倉圭一
(00156-01)/RA.10110
○医療用ナノマシーン完成!/シアン・K・カリウ
ム(02015-02)/RA.10110
■関連リアクション及び住所リスト一覧
《10100》水星:バルカン〇“未来”のために力を
貸して! ジャック!/有須川ミチル(00556-01)/
RA.10100
〇『HMM2S』作戦用記憶構造物建設/神道
寺龍威(01233-01)/RA.10100
《10101》水星:情報世界
○「シルマリリオン」計画リーダー/アネット・バ
コ(00829-03)/RA.10101
〇情報世界からサルベージに協力/望月付足(00781-01)/
RA.10101
《10111》ハンプティ基地β:リヴァイアサン他
○これがサイバーアクセスLv3の力だ!/ミラン・
サーディ・アスヴェール(01713-01)/RA.10111
○全うすべき選択を……/エスター・E・ボールス
(00417-01)/RA.10111
《10115》ハンプティ基地β:ビーム・アス・ホー
ム
○プロジェクトリーダー/滝倫太郎(00641-01)/
RA.10115
《10120》水星:グワイヒア
○マーサを実体化しようと試みた人/ミスト・ルシ
オーネ(01267-01)/RA.10120
○明日のために、パーティを!/最上ちはや(0608
4-01)/RA.10120
○地球観測ネットを構築/佐藤しぇら(03138-01)
/RA.10120
《10130》水星:スペースガード
○主席戦略担当/ラピッド・リバー(00626-01)/RA.
10130
○次席戦略担当/セリュース・クレッチマー(06155-
01)/RA.10130
《10175》L4:ロス・アラモス/Lジャック他
○月面にクローンたちを迎えよう/豪徳寺会人(00
759-01)/RA.10175
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